人物事典

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145人
赤染衛門あかぞめえもん958頃–1041以後赤染時用の娘とされるが、平兼盛(第40首)の実の娘とする説もある。藤原道長の妻倫子と、その娘の中宮彰子に仕えた。学者大江匡衡の妻で、良妻賢母として知られた。『栄花物語』正編の作者ともいわれる。百人一首1新古今集10人物と作品を見る 県犬養娘子あがたのいぬかいのおとめ生没年未詳奈良時代の女性歌人。万葉集1歌を読む 県犬養人上あがたのいぬかいのひとかみ生没年未詳奈良時代の官人。内礼正として、天皇の命で大伴旅人の病の看護にあたった。万葉集1歌を読む 県犬養三千代あがたのいぬかいのみちよ?–733宮中に仕えた女官で、はじめ美努王に嫁して葛城王(橘諸兄)らを生み、のち藤原不比等の妻となって光明皇后を生んだ。元明天皇から橘の姓を賜った。万葉集1人物と作品を見る 安貴王あきのおおきみ生没年未詳天智天皇の曾孫。巻第四に、因幡の八上采女との恋の歌がある。万葉集4人物と作品を見る 麻田陽春あさだのやす生没年未詳百済系の渡来人の子孫で、大宰大典を務めた。懐風藻にも詩が残る。万葉集2歌を読む 安宿王あすかべのおおきみ生没年未詳(八世紀中頃)長屋王の子。母は藤原不比等の娘。天平宝字元年(757)の橘奈良麻呂の変に連座して佐渡に流された。万葉集1人物と作品を見る 敦道親王あつみちしんのう981–1007冷泉天皇の皇子。大宰帥。兄の為尊親王の死後、和泉式部と恋に落ち、その経緯は『和泉式部日記』に描かれる。新古今集1人物と作品を見る 厚見王あつみのおおきみ生没年未詳(奈良時代)奈良時代の皇族。『万葉集』に短歌三首を残す。万葉集4新古今集1人物と作品を見る 安都年足あとのとしたり生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 安都扉娘子あとのとびらのおとめ生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 阿倍女郎あべのいらつめ生没年未詳奈良時代の女性歌人。巻第四に中臣東人との贈答がある。万葉集5人物と作品を見る 阿倍老人あべのおきな生没年未詳(八世紀中頃)遣唐使の一行に加わった人。巻十九に、唐に渡るにあたって母に贈った歌を残す。万葉集1歌を読む 安倍奥道あべのおきみち?–774奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 安倍清行あべのきよゆき825–900安倍安仁の子。陸奥守・讃岐守などを務めた。小野小町との贈答歌が伝わる。古今集2歌を読む 安倍子祖父あべのこおじ生没年未詳伝未詳。巻十六に、わざと意味の通らない言葉をつないだ「心の著く所無き歌」を作ったと伝える。万葉集2人物と作品を見る
安倍仲麿あべのなかまろ698–770奈良時代の遣唐留学生。717年に唐へ渡り、科挙に合格して玄宗皇帝に仕え、高官に昇った。李白・王維ら唐の詩人とも交流した。753年に帰国を目指したが船が難破し、再び唐に戻ってその地で没した。百人一首1古今集1人物と作品を見る 阿閉皇女あへのひめみこ661–721天智天皇の皇女で、草壁皇子の妃。文武天皇・元正天皇の母。のちに即位して元明天皇となり(在位707–715)、平城京に都を移した。万葉集1人物と作品を見る 安倍広庭あべのひろにわ659–732奈良時代初めの官人。中納言に至った。懐風藻にも詩が残る。万葉集4人物と作品を見る 安倍虫麻呂あべのむしまろ?–752奈良時代の官人。母の安曇外命婦は坂上郎女の母と姉妹で、郎女とは従兄妹にあたる。万葉集3人物と作品を見る 阿保経覧あぼのつねみ?–912暦博士・天文博士などを務めた。古今集1歌を読む 尼敬信あまけいしん生没年未詳尼僧で、経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 海犬養岡麻呂あまのいぬかいのおかまろ生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む あやもちあやもち生没年未詳経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 荒木田氏良あらきだのうじよし生没年未詳(十二世紀後半)伊勢神宮の神官(禰宜)。新古今集1歌を読む 荒木田長延あらきだのながのぶ生没年未詳(十二世紀)伊勢神宮の祠官(内宮の禰宜)。新古今集1歌を読む 有間皇子ありまのみこ640–658孝徳天皇の皇子。父の没後、斉明天皇の時代に、蘇我赤兄にそそのかされて謀反を企てたとして捕らえられた。紀伊の牟婁の湯にいた天皇と中大兄皇子のもとへ送られて尋問を受け、帰り道の藤白坂で処刑された。十九歳であった。万葉集2人物と作品を見る 在原滋春ありわらのしげはる生没年未詳(九世紀後半)在原業平の子。内舎人などを務めた。旅の途中で病にかかり、辞世の歌を母のもとに届けさせた話が巻第十六に見える。古今集6人物と作品を見る
在原業平ありわらのなりひら825–880平城天皇の孫で、阿保親王の子。在原行平の異母弟。六歌仙・三十六歌仙の一人。美男で情熱的な歌人として知られ、『伊勢物語』の主人公「昔男」のモデルとされる。百人一首1古今集30新古今集12人物と作品を見る 在原棟梁ありわらのむねやな?–898在原業平の子で、在原元方の父。左衛門佐・筑前守などを務めた。寛平の歌合に歌を出した。古今集4人物と作品を見る 在原元方ありわらのもとかた生没年未詳(九世紀末〜十世紀前半)在原業平の孫、在原棟梁の子。藤原国経の養子になったとも伝える。『古今和歌集』の巻頭歌「年の内に」の作者。古今集14新古今集1人物と作品を見る
在原行平ありわらのゆきひら818–893平城天皇の孫で、阿保親王の子。在原業平の異母兄。因幡守などの地方官を経て中納言に至った。一族の子弟のための学校「奨学院」を創設した。一時、須磨に籠居したと伝えられ、『源氏物語』須磨の巻に影響を与えた。百人一首1古今集4新古今集1人物と作品を見る 粟田女娘子あわためのおとめ生没年未詳伝未詳。大伴家持に歌を贈った女性。万葉集2歌を読む 安法あんぽう生没年未詳(十世紀後半)俗名源趁。源融の曽孫。河原院に住み、恵慶らと交わった。中古三十六歌仙の一人。新古今集3人物と作品を見る 安法法師女あんぽうほうしのむすめ生没年未詳(十世紀末〜十一世紀初め)安法法師(源趁)の娘。三条天皇に仕えた。新古今集2歌を読む 庵君諸立いおりのきみもろたち生没年未詳奈良時代の人。伝はわからない。万葉集1歌を読む 伊香子淳行いかごのあつゆき生没年未詳近江の伊香郡にゆかりの人物と見られるが、経歴はわからない。古今集1歌を読む 軍王いくさのおおきみ7世紀前半左注にも「いまだ詳ならず」とあり、どのような人物かはわかっていない。百済の王族とする説もある。万葉集2人物と作品を見る 池辺王いけべのおおきみ生没年未詳大友皇子の孫で、淡海三船の父。万葉集1歌を読む 石川郎女いしかわのいらつめ生没年未詳(7世紀後半)大津皇子・草壁皇子と歌を交わした女性。万葉集には「石川郎女」「石川女郎」と呼ばれる女性が何人か登場し、同じ人物かどうかははっきりしない。万葉集7人物と作品を見る 石川女郎いしかわのいらつめ7世紀後半〜8世紀初め大津皇子の宮に仕えた女性。大伴宿奈麻呂(大伴安麻呂の子)にこの歌を贈った。万葉集5人物と作品を見る 石川老夫いしかわのおきな生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 石川賀係女郎いしかわのかけのいらつめ生没年未詳奈良時代の女性歌人。万葉集1歌を読む 石川君子いしかわのきみこ生没年未詳奈良時代の官人。大宰少弐などを務めた。左注に、号を少郎子といったとある。万葉集1歌を読む 石川広成いしかわのひろなり生没年未詳奈良時代の官人。内舎人として大伴家持と同僚だった。万葉集3人物と作品を見る 石川夫人いしかわのぶにん7世紀後半天智天皇の夫人。蘇我氏の出身とされる。万葉集1歌を読む 石川大夫いしかわのまえつきみ生没年未詳大宰府の官人。左注は、石川宮麻呂か石川吉美侯のどちらかとする。万葉集1歌を読む 石川命婦いしかわのみょうぶ生没年未詳(八世紀)宮中に仕えた女官。大伴坂上郎女の母の石川内命婦と同じ人とする説がある。巻二十に歌を残す。万葉集1人物と作品を見る
和泉式部いずみしきぶ978頃–?越前守大江雅致の娘。和泉守橘道貞の妻となったことから「和泉式部」と呼ばれる。為尊親王、その弟の敦道親王と相次いで恋に落ち、その恋を『和泉式部日記』に綴った。のちに中宮彰子に仕えた。情熱的な恋の歌にすぐれ、平安時代を代表する女流歌人である。小式部内侍(第60首)の母。百人一首1新古今集25人物と作品を見る
伊勢いせ872頃–938頃平安時代前期の女性歌人。伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕えた。宇多天皇の寵愛を受けて皇子を産み、のちに敦慶親王との間に歌人の中務を産んだ。『古今和歌集』では女性歌人として最も多くの歌が採られている。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集22新古今集15人物と作品を見る
伊勢大輔いせのたいふ生没年未詳(11世紀前半)伊勢神宮の祭主大中臣輔親の娘で、大中臣能宣(第49首)の孫。一条天皇の中宮彰子に仕え、紫式部・和泉式部らと同じ時期に宮中で活躍した。「伊勢大輔」は、父の官職などにちなむ呼び名。百人一首1新古今集7人物と作品を見る 石上乙麻呂いそのかみのおとまろ?–750石上麻呂の子。越前守・丹波守などを務め、のちに中納言となった。左注に、越前国守に任じられた石上乙麻呂かとある。万葉集2人物と作品を見る 石上堅魚いそのかみのかつお生没年未詳奈良時代の官人。式部大輔を務めた。万葉集1歌を読む 石上卿いそのかみのまえつきみ生没年未詳名は伝わらない。石上麻呂、またはその子の乙麻呂とする説がある。万葉集1歌を読む 石上麻呂いそのかみのまろ640–717石上大臣。物部氏の一族。壬申の乱では大友皇子側にあったが、のちに天武・持統天皇に仕えて重んじられ、左大臣にまで昇った。万葉集1人物と作品を見る 一条院いちじょういん980–1011第六十六代天皇。円融天皇の皇子。中宮定子・彰子のもとで後宮文化が栄えた。新古今集1歌を読む 市原王いちはらのおおきみ生没年未詳天智天皇の曾孫で、安貴王の子。写経所の長官などを務め、大伴家持と親しかった。万葉集6人物と作品を見る 伊都内親王いとないしんのう?–861桓武天皇の皇女で、阿保親王の妃となり、在原業平を産んだ。晩年は長岡に住んだ。古今集1歌を読む 因幡いなば生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 井戸王いのへのおおきみ7世紀後半どのような人物かは伝わっていない。題詞では、額田王の17・18番の歌に和えた歌の作者とされる。万葉集1人物と作品を見る 磐姫皇后いわのひめのおおきさき伝承の時代(5世紀前半)仁徳天皇の皇后。葛城襲津彦の娘と伝えられる。『古事記』『日本書紀』では、天皇が八田皇女を妃としたことを激しく嫉妬した皇后として描かれる。この四首は皇后に仮託された歌とみられる。万葉集5人物と作品を見る
殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふ1130頃–1200頃藤原信成の娘。後白河天皇の皇女である殷富門院亮子内親王に仕えた。非常に多くの歌を詠んだことから「千首大輔」とも呼ばれた。歌合や歌会で活躍し、藤原定家・寂蓮らとも交流した。百人一首1新古今集10人物と作品を見る 忌部首いんべのおびと生没年未詳名の伝わらない忌部氏の人。巻十六に、いくつもの物の名を一首に詠み込んだ歌を残す。万葉集1人物と作品を見る 忌部黒麻呂いんべのくろまろ生没年未詳奈良時代の官人。万葉集3人物と作品を見る 遊行女婦うかれめ生没年未詳各地を旅して宴席で歌舞を披露した女性。名は伝わらない。万葉集1歌を読む
右近うこん生没年未詳(10世紀前半)右近少将藤原季縄の娘。醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房。藤原敦忠(第43首)・藤原師輔・源順など多くの貴族との恋の歌のやりとりが『大和物語』に描かれている。百人一首1人物と作品を見る 宇多天皇うだてんのう867–931第五十九代天皇。光孝天皇の皇子。菅原道真を重用し、譲位後は出家して亭子院・寛平法皇と呼ばれた。歌合を多く催した。新古今集2人物と作品を見る 寵うつく生没年未詳女性歌人と見られるが、経歴は伝わらない。古今集3人物と作品を見る 海上女王うなかみのおおきみ生没年未詳志貴皇子の娘とされる。聖武天皇に仕えた。万葉集1歌を読む 采女うねめ生没年未詳天皇に仕えた女官(采女)。左注によれば近江の采女。古今集1歌を読む 馬内侍うまのないし生没年未詳(十世紀末〜十一世紀初め)源時明の娘。斎宮女御徽子、円融天皇の中宮媓子、のち中宮定子らに仕えた。中古三十六歌仙の一人。新古今集8人物と作品を見る 永縁えいえん1048–1125藤原永相の子。興福寺の僧で、権僧正に至った。ほととぎすの歌で名高く、「初音の僧正」と呼ばれた。新古今集3人物と作品を見る
恵慶法師えぎょうほうし生没年未詳(10世紀後半)平安時代中期の僧・歌人。播磨国の国分寺の講師を務めたと伝えられる。源融の旧邸・河原院に住んだ安法法師のもとに集まった歌人たちと親しく交流した。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集7人物と作品を見る 越前えちぜん生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀前半)大中臣公親の娘。式子内親王に仕え、のち後鳥羽院に仕えた女房。千五百番歌合などに出詠した。新古今集7人物と作品を見る 榎井王えのいのおおきみ生没年未詳奈良時代の王族。志貴皇子の子とされる。万葉集1歌を読む 縁達師えんだちし生没年未詳僧とみられるが、伝はわからない。万葉集1歌を読む 円珍えんちん814–891天台宗の僧。唐に渡って密教を学び、帰国後に天台座主となった。園城寺(三井寺)を再興し、寺門派の祖とされる。新古今集2人物と作品を見る 円仁えんにん794–864最澄の弟子。唐に渡って『入唐求法巡礼行記』を著した。天台座主。新古今集1歌を読む 円融院えんゆういん959–991第六十四代天皇。村上天皇の皇子。新古今集7人物と作品を見る 生石真人おいしのまひと生没年未詳奈良時代の官人。村主は姓。万葉集1歌を読む 大海人皇子おおあまのおうじ?–686舒明天皇の皇子で、天智天皇の弟。天智天皇の没後、壬申の乱(672)で大友皇子を破って即位し、天武天皇となった(在位673–686)。飛鳥浄御原宮で律令国家の建設を進めた。万葉集1人物と作品を見る 大網人主おおあみのひとぬし生没年未詳伝未詳。公は姓。万葉集1歌を読む 大石蓑麻呂おおいしのみのまろ生没年未詳(八世紀前半)天平八年(736)の遣新羅使の一行の一人。巻十五の遣新羅使の歌群に歌がある。万葉集1歌を読む
大江千里おおえのちさと生没年未詳(9世紀後半〜10世紀初め)平安時代前期の学者・歌人。漢学の家である大江氏の出身で、在原行平・業平の甥にあたる。宇多天皇の命で、漢詩の句を題にして和歌を詠んだ『句題和歌』(大江千里集)を献上した。百人一首1古今集10新古今集3人物と作品を見る 大江千古おおえのちふる866–924大江音人の子。醍醐天皇の侍読を務めた学者。大江千里の弟。新古今集1歌を読む 大江匡衡おおえのまさひら952–1012大江重光の子。文章博士・式部大輔などを務めた。赤染衛門の夫。漢詩文にすぐれた。新古今集2歌を読む
大江匡房おおえのまさふさ1041–1111平安時代後期の学者・歌人。学者の家・大江家に生まれ、神童とうたわれた。後三条・白河・堀河の三代の天皇の侍読(学問の師)を務め、権中納言に至った。晩年は大宰権帥として九州に赴任した。有職故実の書『江家次第』を著した。赤染衛門(第59首)の曾孫。百人一首1新古今集14人物と作品を見る 大江嘉言おおえのよしとき?–1010大江仲宣の子。対馬守として任地で没した。中古三十六歌仙の一人。新古今集5人物と作品を見る 大伯皇女おおくのひめみこ661–701天武天皇の皇女で、母は大田皇女(天智天皇の皇女)。大津皇子の同母の姉。天武天皇の即位後、伊勢神宮に仕える斎王(斎宮)となった。弟の死後に都へ戻り、その死を悼む歌を残している。題詞では「大泊皇女」と書かれている。万葉集6人物と作品を見る
凡河内躬恒おおしこうちのみつね生没年未詳(9世紀後半〜10世紀前半)平安時代前期の歌人。身分の低い官人だったが、紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰者の一人に選ばれた。宇多・醍醐天皇の御幸や歌合で多くの歌を詠み、即興の歌の名手として知られた。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集60新古今集10人物と作品を見る 大津皇子おおつのみこ663–686天武天皇の皇子で、母は大田皇女。大伯皇女の同母の弟。容姿・才能にすぐれ、『懐風藻』には漢詩も残る。天武天皇の没後、謀反の疑いで捕らえられ、二十四歳で死を賜った。万葉集4人物と作品を見る 大伴東人おおとものあずまひと生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 大伴池主おおとものいけぬし生没年未詳(八世紀中頃)越中掾として国守の大伴家持に仕え、漢文の書簡と歌をさかんに贈り交わした。のち越前掾。天平宝字元年(757)の橘奈良麻呂の変にかかわり、その後の消息は伝わらない。万葉集22人物と作品を見る 大伴稲公おおとものいなきみ生没年未詳大伴安麻呂の子で、旅人・坂上郎女の弟。左注によれば、この歌は姉の坂上郎女の代作。万葉集3人物と作品を見る 大伴女郎おおとものいらつめ?–728大伴旅人の妻とされる。大宰府で亡くなった。万葉集2歌を読む 大伴像見おおとものかたみ生没年未詳大伴氏の一族の官人。万葉集5人物と作品を見る 大伴清縄おおとものきよつな生没年未詳大伴氏の一族。万葉集1歌を読む 大伴黒主おおとものくろぬし生没年未詳(九世紀後半〜十世紀初め)近江の人と伝える。仮名序は「そのさまいやし、いはば薪を負へる山人の、花の陰にやすめるが如し」と評する。六歌仙の一人。古今集3人物と作品を見る 大伴坂上郎女おおとものさかのうえのいらつめ生没年未詳大伴安麻呂の娘で、旅人の異母妹。家持の叔母で、のちに姑となった。大伴家の家刀自として一族の祭祀を担い、万葉集の女性歌人のうち最も多くの歌を残した。万葉集81人物と作品を見る 大伴宿奈麻呂おおとものすくなまろ生没年未詳大伴安麻呂の子で、坂上郎女の夫。坂上大嬢・二嬢の父。万葉集2歌を読む 大伴駿河麻呂おおとものするがまろ?–776大伴御行の孫。陸奥按察使・鎮守将軍などを務めた。叔母の坂上郎女の娘、坂上二嬢を妻とした。万葉集13人物と作品を見る 大伴田主おおとものたぬし年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集3人物と作品を見る 大伴旅人おおとものたびと665–731大伴安麻呂の子で、大伴家持の父。中納言・大納言を務めた貴族。神亀年間の末に大宰帥として九州の大宰府に赴任し、山上憶良らと「筑紫歌壇」と呼ばれる文化的な交流を生んだ。漢詩文の教養が深く、酒や梅を題材にした風流な歌を残した。万葉集74新古今集1人物と作品を見る 大伴旅人ほか大宰府の官人おおとものたびとほか天平2年(730)主人の大伴旅人をはじめ、大弐紀男人、少弐小野老、筑前守山上憶良、沙弥満誓ら、大宰府と九州諸国の官人三十二人。万葉集32人物と作品を見る 大伴田村大嬢おおとものたむらのおおいらつめ生没年未詳大伴宿奈麻呂の娘。田村の里に住んだので田村大嬢と呼ばれた。坂上大嬢の異母姉。万葉集9人物と作品を見る 大伴千室おおとものちむろ生没年未詳伝未詳。題詞の注に「いまだ詳ならず」とある。万葉集1歌を読む 大伴利上おおとものとしかみ生没年未詳大伴氏の一族とされる。万葉集1歌を読む 大伴書持おおとものふみもち?–746大伴旅人の子で、家持の弟。若くして亡くなった。万葉集5人物と作品を見る 大伴卿おおとものまえつきみ生没年未詳大納言の大伴氏の人。題詞の注に「未だ詳ならず」とあり、大伴安麻呂か大伴旅人とされる。万葉集1人物と作品を見る 大伴三中おおとものみなか生没年未詳奈良時代の官人。摂津の班田司の判官、遣新羅副使などを務めた。万葉集3人物と作品を見る 大伴三林おおとものみはやし生没年未詳大伴氏の一族とされるが、伝はわからない。万葉集1歌を読む 大伴三依おおとものみより?–774大伴御行の子。大宰府に赴任したことがあり、のちに参議に近い官に至った。万葉集4人物と作品を見る 大伴村上おおとものむらかみ生没年未詳奈良時代の官人。大伴氏の一族。万葉集3人物と作品を見る 大伴百代おおとものももよ生没年未詳大宰大監として大伴旅人のもとに仕え、梅花の宴にも加わった。万葉集7人物と作品を見る
大伴家持おおとものやかもち718頃–785奈良時代の貴族・歌人。大伴旅人の子。『万葉集』に最も多くの歌を残し、その編纂にも深く関わったと考えられている。三十六歌仙の一人。百人一首1万葉集436新古今集11人物と作品を見る 大伴安麻呂おおとものやすまろ?–714大伴旅人・坂上郎女の父。大納言兼大将軍を務めた。底本の頭注に「大伴卿は安麻呂」とある。万葉集3人物と作品を見る 大伴四綱おおとものよつな生没年未詳奈良時代の官人。大宰府の防人司の佑(次官)を務めた。万葉集4人物と作品を見る 大中臣明親おおなかとみのあきちか生没年未詳(十二世紀末)伊勢神宮の祭主の一族。新古今集1歌を読む 大中臣定雅おおなかとみのさだまさ生没年未詳(十二世紀後半)伊勢神宮の祭主の一族。新古今集1歌を読む 大中臣輔親おおなかとみのすけちか954–1038大中臣能宣の子で、伊勢大輔の父。伊勢神宮の祭主を務めた。新古今集3人物と作品を見る
大中臣能宣おおなかとみのよしのぶ921–991伊勢神宮の祭主を務めた神官の家に生まれ、自らも祭主となった。村上天皇の命で『後撰和歌集』の撰集と『万葉集』の訓読にあたった「梨壺の五人」の一人。伊勢大輔(第61首)の祖父。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集10人物と作品を見る 大原今城おおはらのいまき生没年未詳奈良時代の官人。大伴家持と親しかった。万葉集3人物と作品を見る 大原桜井おおはらのさくらい生没年未詳(八世紀前半)桜井王のこと。のち大原真人の姓を賜った。遠江守などを務めた。万葉集1歌を読む 大神女郎おおみわのいらつめ生没年未詳伝未詳。大伴家持に歌を贈った女性。万葉集2歌を読む 大宅女おおやけめ生没年未詳豊前国(福岡県東部・大分県北部)の娘子。万葉集2歌を読む 岡本天皇おかもとのすめらみこと7世紀岡本宮で天下を治めた天皇。左注は、舒明天皇(高市岡本宮)と斉明天皇(後岡本宮)のどちらか決めかねるとする。万葉集3人物と作品を見る 置始東人おきそめのあずまひと7世紀末〜8世紀初め持統・文武天皇の時代の官人。弓削皇子の死を悼む挽歌なども残す。万葉集4人物と作品を見る 忍坂部乙麻呂おさかべのおとまろ8世紀初め伝未詳。左注に作者として名が見える。万葉集1歌を読む 刑部垂麻呂おさかべのたりまろ生没年未詳伝未詳。263番の作者でもある。万葉集2歌を読む 他田広津娘子おさだのひろつのおとめ生没年未詳奈良時代の女性歌人。万葉集2歌を読む 小鯛王おだいのおおきみ生没年未詳巻十六に、宴の席で琴を取ってまず誦したという歌二首を残す。左注に置始多久美という人物と同じとも記す。万葉集2人物と作品を見る 小田事おだのつかう生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 乙おと生没年未詳女性歌人と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 小野老おののおゆ?–737奈良時代の官人。大宰少弐・大弐を務め、大伴旅人のもとで筑紫歌壇の一員となった。万葉集1歌を読む 小野小町おののこまち生没年未詳(9世紀中頃)平安時代前期の女性歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。仁明天皇の後宮に仕えたともいわれるが、経歴ははっきりしない。絶世の美女と伝えられ、後世、多くの伝説や謡曲・物語の題材となった。百人一首1古今集18新古今集6人物と作品を見る 小野貞樹おののさだき生没年未詳甲斐守などを務めた。小野小町との贈答歌が伝わる。古今集2歌を読む 小野滋蔭おののしげかげ生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
小野篁おののたかむら802–852平安時代前期の公卿・学者・漢詩人。遣唐副使に任じられたが、大使との争いから乗船を拒み、嵯峨上皇の怒りを買って隠岐に流された。のちに許されて参議に至る。昼は朝廷に、夜は冥府の閻魔庁に仕えたという伝説がある。百人一首1古今集6新古今集2人物と作品を見る 小野千古の母おののちふるのはは生没年未詳陸奥介として下る小野千古の母。経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 小野春風おののはるかぜ生没年未詳(九世紀後半)武人として知られ、元慶の乱(878)で出羽に赴いて功を立てた。のち右近衛少将などを務めた。古今集2人物と作品を見る 小野美材おののよしき?–902小野篁の孫。大内記などを務め、漢詩文と書に優れた。古今集2歌を読む 小治田広瀬王おはりだのひろせのおおきみ?–722奈良時代初期の王族。万葉集1歌を読む 小治田広耳おはりだのひろみみ生没年未詳奈良時代の官人。万葉集2歌を読む 麻続王おみのおおきみ7世紀後半麻続王は天武天皇の時代の皇族。天武天皇4年(675)に罪を得て流された。23番はその流罪を哀れんだ当時の人の作、24番は麻続王の答えの歌とされる。万葉集2人物と作品を見る 尾張連おわりのむらじ生没年未詳名は伝わらない。尾張氏の人。万葉集2歌を読む か
118人雅縁がえん1138–1223源雅通の子。興福寺別当・僧正に至った。新古今集1歌を読む 加賀左衛門かがのさえもん生没年未詳(十一世紀)丹波泰親の娘とされる。藤原頼通の妻隆姫に仕えた女房。新古今集4人物と作品を見る 加賀少納言かがのしょうなごん生没年未詳(十一世紀初め)上東門院に仕えた女房。紫式部と親しかった。新古今集1歌を読む 鏡王女かがみのおおきみ?–683藤原鎌足の妻となった女性。天智天皇とも歌を交わした(巻第二の91〜93番)。万葉集7人物と作品を見る 柿本人麻呂かきのもとのひとまろ生没年未詳(7世紀後半〜8世紀初め)持統天皇・文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人。『万葉集』を代表する歌人で、後世「歌聖」と仰がれた。三十六歌仙の一人。百人一首1万葉集84新古今集23人物と作品を見る 柿本人麻呂歌集かきのもとのひとまろかしゅう7世紀後半〜8世紀初め万葉集の編纂に使われた歌集の一つで、今は伝わらない。柿本人麻呂が自作や、各地で集めた歌を記したものと考えられている。旋頭歌や、簡潔な表記の恋の歌を多く含む。万葉集2人物と作品を見る 柿本人麻呂の妻かきのもとのひとまろのつま生没年未詳柿本人麻呂の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 覚性法親王かくしょうほっしんのう1129–1169鳥羽天皇の皇子。仁和寺の門跡を務めた。新古今集1歌を読む 覚忠かくちゅう1118–1177関白藤原忠通の子。天台座主・大僧正に至った。新古今集1歌を読む 覚弁かくべん生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)平安末から鎌倉初めの僧。権大僧都。新古今集1歌を読む 景式王かげのりのおおきみ生没年未詳文徳天皇の孫と伝える。古今集2歌を読む 笠縫女王かさぬいのおおきみ生没年未詳六人部王の娘。母は田形皇女。万葉集1歌を読む 笠女郎かさのいらつめ生没年未詳大伴家持に恋をした女性。巻第四に家持に贈った二十四首の歌があり、万葉集を代表する恋の歌人の一人。万葉集29人物と作品を見る 笠金村かさのかなむら生没年未詳元正天皇・聖武天皇の時代の宮廷歌人。行幸に従った歌や旅の歌が多く、「笠朝臣金村の歌集」が万葉集の資料になった。万葉集44人物と作品を見る 花山院かざんいん968–1008第六十五代天皇。冷泉天皇の皇子。在位二年で出家した。和歌を好み、『拾遺和歌集』の撰集に関わったとされる。新古今集7人物と作品を見る 膳王かしわでのおおきみ?–729長屋王の子。長屋王の変で父とともに自害した。万葉集1歌を読む 春日王かすがのおおきみ?–745奈良時代前半の皇族。志貴皇子の子とする説がある。万葉集2歌を読む 春日老かすがのおゆ生没年未詳僧弁紀が還俗して春日倉首老と名のった。大宝元年(701)に還俗し、のちに常陸介となった。万葉集3人物と作品を見る 春日蔵首老かすがのくらびとおゆ7世紀末〜8世紀初めもと僧で弁基といったが、還俗して春日倉首老となった。漢詩にもすぐれ、『懐風藻』にも作品が残る。万葉集4人物と作品を見る 門部王かどべのおおきみ?–745奈良時代の皇族で、のちに大原真人の姓を賜った。出雲守などを務めた。万葉集4人物と作品を見る 兼覧王かねみのおおきみ?–932文徳天皇の皇子惟喬親王の子。宮内卿などを務めた。紀貫之・凡河内躬恒らと交流があった。古今集5人物と作品を見る 神社老麻呂かみこそのおゆまろ生没年未詳伝未詳。万葉集2歌を読む 上野岑雄かみつけのみねお生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 上古麻呂かみのふるまろ生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 蒲生娘子かもうのおとめ生没年未詳(八世紀中頃)越中国の遊行女婦(宴席で歌を詠む女性)。巻十九に、国司たちの宴で詠んだ雪の歌を残す。万葉集1人物と作品を見る 賀茂女王かものおおきみ生没年未詳長屋王の娘。母は阿倍朝臣の娘。万葉集3人物と作品を見る 賀茂重政かものしげまさ生没年未詳(十二世紀末)賀茂社の神官。新古今集1歌を読む 賀茂重保かものしげやす1119–1191賀茂別雷社の神主。『月詣和歌集』を撰んだ。新古今集2歌を読む 賀茂季保かものすえやす生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)賀茂社の神官。新古今集1歌を読む 鴨足人かものたるひと生没年未詳伝未詳。鴨君は姓。万葉集4人物と作品を見る 鴨長明かものちょうめい1155?–1216下鴨神社の禰宜鴨長継の子。俊恵に和歌を学び、和歌所の寄人となった。のち出家して日野の方丈の庵に住み、『方丈記』を著した。歌論書『無名抄』、説話集『発心集』もある。新古今集10人物と作品を見る 賀茂成助かものなりすけ1034–1082賀茂社の神主。新古今集1歌を読む 賀茂幸平かものゆきひら生没年未詳(十二世紀末)賀茂社の神官。新古今集1歌を読む 高陽院木綿四手かやのいんのゆうしで生没年未詳(十二世紀)高陽院(藤原泰子。鳥羽天皇の皇后)に仕えた女房。新古今集1歌を読む 川島皇子かわしまのみこ657–691天智天皇の皇子。天武天皇の時代に『日本書紀』の編纂に携わった。大津皇子と親しかったが、その謀反を密告したと伝えられる。題詞の注には、山上憶良の作とする伝えも記されている。万葉集1新古今集1人物と作品を見る 河内かわち生没年未詳(十一世紀末〜十二世紀初め)前斎院(令子内親王)に仕えた女房。『堀河百首』の作者の一人。新古今集1歌を読む 河内百枝娘子かわちのももえのおとめ生没年未詳伝未詳。大伴家持に歌を贈った女性。万葉集2歌を読む 河辺東人かわべのあずまひと生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 河辺宮人かわべのみやひと生没年未詳伝未詳。巻第二の228・229番にも、姫島の娘子を悼む同じ時の歌がある。万葉集6人物と作品を見る 河村王かわむらのおおきみ生没年未詳伝未詳。巻十六に、宴の席で琴を弾く前にまず誦したという歌二首を残す。万葉集2歌を読む 閑院かんいん生没年未詳女性歌人。藤原基経に仕えた女房などとも考えられるが、詳しい経歴はわからない。古今集2歌を読む 閑院の五の皇女かんいんのごのみこ?–907?光孝天皇の皇女で、式部卿敦慶親王の妻となったが、まもなく亡くなったと伝える。古今集1歌を読む 巫部麻蘇娘子かんなぎべのまそおとめ生没年未詳伝未詳。大伴家持と歌を交わした女性とみられる。万葉集5人物と作品を見る 徽子女王きしじょおう929–985醍醐天皇の皇子重明親王の娘。伊勢の斎宮を務めたのち、村上天皇の女御となり、斎宮女御と呼ばれた。琴と和歌にすぐれた。三十六歌仙の一人。新古今集12人物と作品を見る 熙子女王きしじょおう?–950保明親王の娘。朱雀天皇の女御。新古今集1歌を読む 宜秋門院丹後ぎしゅうもんいんのたんご生没年未詳(十二世紀後半〜十三世紀前半)源頼行の娘。九条兼実の娘で後鳥羽院の中宮となった宜秋門院任子に仕えた女房歌人。「異浦の丹後」と呼ばれた。新古今集9人物と作品を見る
喜撰法師きせんほうし生没年未詳(9世紀頃)平安時代初期の僧で、宇治山に住んだと伝えられる。六歌仙の一人だが経歴はほとんど分からず、確かな作とされる歌はこの一首しかない。百人一首1古今集1人物と作品を見る 吉田宜きちだのよろし生没年未詳百済系の渡来人の子孫で、医術にすぐれた官人。もと僧で恵俊といった。大伴旅人と親しかった。万葉集4人物と作品を見る
儀同三司母ぎどうさんしのはは?–996高階成忠の娘。円融天皇の内侍として仕え、漢詩文にすぐれて「高内侍」と呼ばれた。関白藤原道隆の妻となり、伊周・隆家・定子(一条天皇の中宮)らを産んだ。「儀同三司」は伊周のこと。百人一首1新古今集1人物と作品を見る 紀秋岑きのあきみね生没年未詳紀貫之の一族で、経歴はほとんどわからない。古今集2歌を読む 紀有常きのありつね815–877紀名虎の子で、惟喬親王の母静子の兄。娘は在原業平の妻となった。『伊勢物語』にも登場する。古今集1新古今集1人物と作品を見る 紀有常の娘きのありつねのむすめ生没年未詳紀有常の娘で、在原業平の妻。業平が昼に来て夕方には帰ってしまうのを恨んで詠んだ歌が伝わる。古今集1人物と作品を見る 紀有朋きのありとも?–880紀友則の父。宮内少輔などを務めた。古今集2歌を読む 紀女郎きのいらつめ生没年未詳紀鹿人の娘で、名は小鹿。安貴王の妻であったが、のちに大伴家持と歌を交わした。万葉集11人物と作品を見る 紀鹿人きのかひと生没年未詳奈良時代の官人。紀女郎の父。万葉集3人物と作品を見る 紀惟岳きのこれおか生没年未詳紀貫之の一族で、経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
紀貫之きのつらゆき866頃–945頃平安時代前期を代表する歌人。『古今和歌集』の撰者の中心となり、仮名で和歌の本質を論じた「仮名序」を書いた。土佐守の任期を終えて帰京する旅を、女性に仮託して仮名で記した『土佐日記』の作者でもある。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集102新古今集31人物と作品を見る 紀利貞きのとしさだ?–881紀貫之の一族で、少内記・阿波介などを務めた。古今集4人物と作品を見る
紀友則きのとものり?–905頃平安時代前期の歌人。紀貫之の従兄。官位には恵まれなかったが、紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰者に選ばれた。しかし完成を待たずに亡くなり、『古今和歌集』には友則の死を悼む貫之らの歌が載る。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集46人物と作品を見る 紀豊河きのとよかわ生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 紀皇女きのひめみこ生没年未詳天武天皇の皇女。弓削皇子との恋の歌(巻第二の119〜122番)で知られる。万葉集1歌を読む 紀乳母きのめのと生没年未詳陽成天皇の乳母を務めた紀全子のことかと考えられている。古今集2歌を読む 紀茂行きのもちゆき生没年未詳紀貫之の父と伝える。古今集1歌を読む 紀淑人きのよしひと?–948?紀長谷雄の子で、紀淑望の弟。伊予守などを務めた。古今集1歌を読む 紀淑望きのよしもち?–919紀長谷雄の子。大学頭・東宮学士などを務めた漢学者。真名序の作者とされる(底本の真名序は末尾を「臣貫之等謹序」とする)。古今集1新古今集1人物と作品を見る 行基ぎょうき668–749奈良時代の僧。諸国を巡って橋や池を造り、民衆に仏法を説いた。東大寺の大仏造立に協力し、大僧正となった。新古今集1人物と作品を見る 行慶ぎょうけい1101–1165白河院の皇子。園城寺の僧で、大僧正に至った。新古今集1歌を読む 慶暹きょうせん生没年未詳(十一世紀)平安中期の天台宗の僧。律師の位にあった。新古今集1歌を読む
行尊ぎょうそん1055–1135参議源基平の子で、三条天皇の曾孫にあたる。12歳で三井寺(園城寺)に入り、大峰山・熊野などで厳しい修行を積んだ修験者として知られた。のちに天台座主・大僧正に至った。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 行遍ぎょうへん生没年未詳(十二世紀末)平安末期の僧。法橋の位にあった。新古今集4人物と作品を見る
清原深養父きよはらのふかやぶ生没年未詳(9世紀後半〜10世紀前半)平安時代前期の歌人。内匠允・内蔵大允などを務めた。琴の名手としても知られた。清原元輔(第42首)の祖父、清少納言(第62首)の曾祖父にあたる。晩年は洛北に補陀落寺を建てて住んだと伝えられる。百人一首1古今集17新古今集5人物と作品を見る
清原元輔きよはらのもとすけ908–990清原深養父(第36首)の孫で、清少納言(第62首)の父。河内権守・肥後守などを務めた。村上天皇の命で『後撰和歌集』の撰集と『万葉集』の訓読にあたった「梨壺の五人」の一人。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 草壁皇子くさかべのみこ662–689天武天皇と持統天皇の子。日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)と尊称された皇太子。即位しないまま二十八歳で亡くなった。子に文武天皇・元正天皇がいる。万葉集1人物と作品を見る 草嬢くさのおとめ生没年未詳田舎の娘の意とされる。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 九条院くじょういん1131–1176藤原呈子。藤原伊通の娘で、藤原忠通の養女。近衛天皇の中宮。新古今集1歌を読む 九条兼実くじょうかねざね1149–1207関白藤原忠通の子で、良経の父、慈円の兄。摂政・関白・太政大臣を務め、九条家の祖となった。日記『玉葉』を残した。俊成・定家を庇護し、家で百首歌や歌合を催した。新古今集11人物と作品を見る くそくそ生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 宮内卿くないきょう生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)源師光の娘。後鳥羽院に仕えた女房で、若くして歌才を認められ、千五百番歌合などで活躍したが、二十歳前後で亡くなったと伝えられる。「若草の宮内卿」と呼ばれた。新古今集15人物と作品を見る 久米禅師くめのぜんじ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集5人物と作品を見る 久米広縄くめのひろつな生没年未詳(八世紀中頃)越中掾として国守の大伴家持に仕え、大伴池主のあとを受けて家持と歌を交わした。巻十八・十九に歌が多い。万葉集4人物と作品を見る 桉作益人くらつくりのますひと生没年未詳内匠寮の大属。巻第三の311番の作者。万葉集2歌を読む 倉橋部女王くらはしべのおおきみ生没年未詳伝未詳の女王。万葉集1歌を読む 車持千年くるまもちのちとせ生没年未詳元正・聖武天皇の時代の宮廷歌人。笠金村・山部赤人とともに行幸に従って歌を詠んだ。万葉集6人物と作品を見る 慶算けいさん生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧。法眼の位にあった。新古今集1歌を読む 恵子女王けいしじょおう?–992代明親王の娘。藤原伊尹の妻で、義孝・懐子(冷泉天皇の女御、花山天皇の母)の母。新古今集2歌を読む 兼芸法師けんげいほうし生没年未詳(九世紀後半)僧。経歴はほとんどわからない。古今集3人物と作品を見る 源三位げんざんみ生没年未詳(十一世紀)後朱雀天皇の乳母。源兼資の娘。新古今集1歌を読む 顕昭けんしょう1130?–1209?藤原顕輔の猶子。仁和寺の僧。六条藤家の歌学者で、『袖中抄』や古今集・万葉集などの注釈書を多く著した。六百番歌合では寂蓮と激しく論争した。新古今集2人物と作品を見る 元正天皇げんしょうてんのう680–748草壁皇子の娘。奈良時代の女帝で、聖武天皇に譲位して太上天皇となった。万葉集3人物と作品を見る 源信げんしん942–1017天台宗の僧。比叡山横川に住み、『往生要集』を著して浄土教の基礎を築いた。恵心僧都と呼ばれる。新古今集2人物と作品を見る 遣唐使の母けんとうしのはは未詳天平5年の遣唐使に加わった人の母。名は伝わらない。万葉集2歌を読む 元明天皇げんめいてんのう661–721天智天皇の皇女で、草壁皇子の妃。文武天皇・元正天皇の母。707年に即位し、710年に都を藤原京から平城京へ移した。万葉集3新古今集1人物と作品を見る 公胤こういん1145–1216源憲俊の子。園城寺の僧で、権僧正に至った。新古今集1歌を読む 皇嘉門院こうかもんいん1122–1181藤原聖子。藤原忠通の娘。崇徳天皇の中宮。新古今集2歌を読む 皇嘉門院尾張こうかもんいんのおわり生没年未詳(十二世紀)皇嘉門院(崇徳天皇の中宮聖子)に仕えた女房。新古今集1歌を読む
皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう生没年未詳(12世紀後半)太皇太后宮亮源俊隆の娘。崇徳院(第77首)の皇后であった皇嘉門院聖子に仕えた女房。九条兼実の家の歌合などで活躍した。百人一首1人物と作品を見る 孝謙天皇こうけんてんのう718–770聖武天皇と光明皇后の娘。第四十六代の天皇。のち重祚して称徳天皇となった。巻十九に、遣唐使に賜った歌などを残す。万葉集3人物と作品を見る
光孝天皇こうこうてんのう830–887第58代天皇。仁明天皇の皇子。陽成天皇が退位させられたあと、藤原基経に推されて55歳で即位した。温厚で学問を好んだと伝えられる。基経を事実上の関白とし、摂関政治の基礎が築かれた。百人一首1古今集2新古今集3人物と作品を見る 幸清こうせい1177–1235石清水八幡宮の別当。法印の位にあった。新古今集2歌を読む 小馬命婦こうまのみょうぶ生没年未詳(十世紀後半)円融天皇の中宮媓子に仕えた女房。家集『小馬命婦集』がある。新古今集1歌を読む 光明皇后こうみょうこうごう701–760藤原不比等の娘。聖武天皇の皇后で、施薬院・悲田院を設けた。万葉集3人物と作品を見る 公猷法師こうゆうほうし生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む 後三条院ごさんじょういん1034–1073第七十一代天皇。後朱雀天皇の皇子。摂関家を外戚としない天皇として、延久の荘園整理令などの親政を行った。新古今集1人物と作品を見る
小式部内侍こしきぶのないし?–1025和泉式部(第56首)と橘道貞の娘。母とともに中宮彰子に仕え、母と区別して「小式部」と呼ばれた。歌の才能に恵まれ、藤原教通らとの恋が伝わる。母に先立って、20代の若さで亡くなった。百人一首1人物と作品を見る 小侍従こじじゅう1121?–1202?石清水八幡宮の別当光清の娘。二条天皇・高倉天皇らに仕えた女房歌人。「待宵の小侍従」と呼ばれた。新古今集7人物と作品を見る 児島こじま生没年未詳筑紫の娘子。大宰府の遊行女婦(うかれめ)とみられ、巻第六に大伴旅人との別れの歌もある。万葉集5人物と作品を見る 後白河院ごしらかわいん1127–1192第七十七代天皇。譲位後、五代の天皇にわたって院政を行った。今様を愛好し、歌謡集『梁塵秘抄』を編んだ。藤原俊成に『千載和歌集』の撰集を命じた。新古今集4人物と作品を見る 後朱雀院ごすざくいん1009–1045第六十九代天皇。一条天皇の皇子で、母は上東門院彰子。新古今集3人物と作品を見る 巨勢郎女こせのいらつめ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む
後鳥羽院ごとばいん1180–1239第82代天皇。高倉天皇の皇子。平家が安徳天皇を伴って都落ちしたのち、4歳で即位した。譲位後も院政を行い、『新古今和歌集』の撰集を命じて自らも深く関わった。1221年、鎌倉幕府の打倒を目指して承久の乱を起こしたが敗れ、隠岐に流されて、その地で亡くなった。百人一首1新古今集33人物と作品を見る 近衛院このえいん1139–1155第七十六代天皇。鳥羽天皇の皇子で、母は美福門院。三歳で即位し、十七歳で没した。新古今集1歌を読む 碁檀越の妻ごのだんおちのつま生没年未詳碁檀越の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 児部女王こべのおおきみ生没年未詳伝未詳。巻十六に、人をからかった戯れの歌を残す。万葉集1歌を読む 小弁こべん生没年未詳(十一世紀)越前守藤原懐尹の娘とされる。後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた女房歌人。新古今集4人物と作品を見る 小町が姉こまちがあね生没年未詳小野小町の姉と伝える女性で、経歴はわからない。古今集1歌を読む 惟明親王これあきらしんのう1179–1221高倉天皇の皇子で、後鳥羽院の兄。出家して聖円と号した。後鳥羽院の歌壇で正治百首などに出詠した。新古今集6人物と作品を見る 後冷泉院ごれいぜいいん1025–1068第七十代天皇。後朱雀天皇の皇子。在位中に歌合をたびたび催した。新古今集1歌を読む 惟喬親王これたかしんのう844–897文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘静子(三条町)。皇位を弟(清和天皇)に越され、のち出家して比叡山の麓の小野に隠棲した。在原業平との交流が『伊勢物語』に描かれる。古今集2新古今集1人物と作品を見る
喜撰法師きせんほうし生没年未詳(9世紀頃)平安時代初期の僧で、宇治山に住んだと伝えられる。六歌仙の一人だが経歴はほとんど分からず、確かな作とされる歌はこの一首しかない。百人一首1古今集1人物と作品を見る 吉田宜きちだのよろし生没年未詳百済系の渡来人の子孫で、医術にすぐれた官人。もと僧で恵俊といった。大伴旅人と親しかった。万葉集4人物と作品を見る
儀同三司母ぎどうさんしのはは?–996高階成忠の娘。円融天皇の内侍として仕え、漢詩文にすぐれて「高内侍」と呼ばれた。関白藤原道隆の妻となり、伊周・隆家・定子(一条天皇の中宮)らを産んだ。「儀同三司」は伊周のこと。百人一首1新古今集1人物と作品を見る 紀秋岑きのあきみね生没年未詳紀貫之の一族で、経歴はほとんどわからない。古今集2歌を読む 紀有常きのありつね815–877紀名虎の子で、惟喬親王の母静子の兄。娘は在原業平の妻となった。『伊勢物語』にも登場する。古今集1新古今集1人物と作品を見る 紀有常の娘きのありつねのむすめ生没年未詳紀有常の娘で、在原業平の妻。業平が昼に来て夕方には帰ってしまうのを恨んで詠んだ歌が伝わる。古今集1人物と作品を見る 紀有朋きのありとも?–880紀友則の父。宮内少輔などを務めた。古今集2歌を読む 紀女郎きのいらつめ生没年未詳紀鹿人の娘で、名は小鹿。安貴王の妻であったが、のちに大伴家持と歌を交わした。万葉集11人物と作品を見る 紀鹿人きのかひと生没年未詳奈良時代の官人。紀女郎の父。万葉集3人物と作品を見る 紀惟岳きのこれおか生没年未詳紀貫之の一族で、経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
紀貫之きのつらゆき866頃–945頃平安時代前期を代表する歌人。『古今和歌集』の撰者の中心となり、仮名で和歌の本質を論じた「仮名序」を書いた。土佐守の任期を終えて帰京する旅を、女性に仮託して仮名で記した『土佐日記』の作者でもある。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集102新古今集31人物と作品を見る 紀利貞きのとしさだ?–881紀貫之の一族で、少内記・阿波介などを務めた。古今集4人物と作品を見る
紀友則きのとものり?–905頃平安時代前期の歌人。紀貫之の従兄。官位には恵まれなかったが、紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰者に選ばれた。しかし完成を待たずに亡くなり、『古今和歌集』には友則の死を悼む貫之らの歌が載る。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集46人物と作品を見る 紀豊河きのとよかわ生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 紀皇女きのひめみこ生没年未詳天武天皇の皇女。弓削皇子との恋の歌(巻第二の119〜122番)で知られる。万葉集1歌を読む 紀乳母きのめのと生没年未詳陽成天皇の乳母を務めた紀全子のことかと考えられている。古今集2歌を読む 紀茂行きのもちゆき生没年未詳紀貫之の父と伝える。古今集1歌を読む 紀淑人きのよしひと?–948?紀長谷雄の子で、紀淑望の弟。伊予守などを務めた。古今集1歌を読む 紀淑望きのよしもち?–919紀長谷雄の子。大学頭・東宮学士などを務めた漢学者。真名序の作者とされる(底本の真名序は末尾を「臣貫之等謹序」とする)。古今集1新古今集1人物と作品を見る 行基ぎょうき668–749奈良時代の僧。諸国を巡って橋や池を造り、民衆に仏法を説いた。東大寺の大仏造立に協力し、大僧正となった。新古今集1人物と作品を見る 行慶ぎょうけい1101–1165白河院の皇子。園城寺の僧で、大僧正に至った。新古今集1歌を読む 慶暹きょうせん生没年未詳(十一世紀)平安中期の天台宗の僧。律師の位にあった。新古今集1歌を読む
行尊ぎょうそん1055–1135参議源基平の子で、三条天皇の曾孫にあたる。12歳で三井寺(園城寺)に入り、大峰山・熊野などで厳しい修行を積んだ修験者として知られた。のちに天台座主・大僧正に至った。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 行遍ぎょうへん生没年未詳(十二世紀末)平安末期の僧。法橋の位にあった。新古今集4人物と作品を見る
清原深養父きよはらのふかやぶ生没年未詳(9世紀後半〜10世紀前半)平安時代前期の歌人。内匠允・内蔵大允などを務めた。琴の名手としても知られた。清原元輔(第42首)の祖父、清少納言(第62首)の曾祖父にあたる。晩年は洛北に補陀落寺を建てて住んだと伝えられる。百人一首1古今集17新古今集5人物と作品を見る
清原元輔きよはらのもとすけ908–990清原深養父(第36首)の孫で、清少納言(第62首)の父。河内権守・肥後守などを務めた。村上天皇の命で『後撰和歌集』の撰集と『万葉集』の訓読にあたった「梨壺の五人」の一人。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 草壁皇子くさかべのみこ662–689天武天皇と持統天皇の子。日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)と尊称された皇太子。即位しないまま二十八歳で亡くなった。子に文武天皇・元正天皇がいる。万葉集1人物と作品を見る 草嬢くさのおとめ生没年未詳田舎の娘の意とされる。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 九条院くじょういん1131–1176藤原呈子。藤原伊通の娘で、藤原忠通の養女。近衛天皇の中宮。新古今集1歌を読む 九条兼実くじょうかねざね1149–1207関白藤原忠通の子で、良経の父、慈円の兄。摂政・関白・太政大臣を務め、九条家の祖となった。日記『玉葉』を残した。俊成・定家を庇護し、家で百首歌や歌合を催した。新古今集11人物と作品を見る くそくそ生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 宮内卿くないきょう生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)源師光の娘。後鳥羽院に仕えた女房で、若くして歌才を認められ、千五百番歌合などで活躍したが、二十歳前後で亡くなったと伝えられる。「若草の宮内卿」と呼ばれた。新古今集15人物と作品を見る 久米禅師くめのぜんじ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集5人物と作品を見る 久米広縄くめのひろつな生没年未詳(八世紀中頃)越中掾として国守の大伴家持に仕え、大伴池主のあとを受けて家持と歌を交わした。巻十八・十九に歌が多い。万葉集4人物と作品を見る 桉作益人くらつくりのますひと生没年未詳内匠寮の大属。巻第三の311番の作者。万葉集2歌を読む 倉橋部女王くらはしべのおおきみ生没年未詳伝未詳の女王。万葉集1歌を読む 車持千年くるまもちのちとせ生没年未詳元正・聖武天皇の時代の宮廷歌人。笠金村・山部赤人とともに行幸に従って歌を詠んだ。万葉集6人物と作品を見る 慶算けいさん生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧。法眼の位にあった。新古今集1歌を読む 恵子女王けいしじょおう?–992代明親王の娘。藤原伊尹の妻で、義孝・懐子(冷泉天皇の女御、花山天皇の母)の母。新古今集2歌を読む 兼芸法師けんげいほうし生没年未詳(九世紀後半)僧。経歴はほとんどわからない。古今集3人物と作品を見る 源三位げんざんみ生没年未詳(十一世紀)後朱雀天皇の乳母。源兼資の娘。新古今集1歌を読む 顕昭けんしょう1130?–1209?藤原顕輔の猶子。仁和寺の僧。六条藤家の歌学者で、『袖中抄』や古今集・万葉集などの注釈書を多く著した。六百番歌合では寂蓮と激しく論争した。新古今集2人物と作品を見る 元正天皇げんしょうてんのう680–748草壁皇子の娘。奈良時代の女帝で、聖武天皇に譲位して太上天皇となった。万葉集3人物と作品を見る 源信げんしん942–1017天台宗の僧。比叡山横川に住み、『往生要集』を著して浄土教の基礎を築いた。恵心僧都と呼ばれる。新古今集2人物と作品を見る 遣唐使の母けんとうしのはは未詳天平5年の遣唐使に加わった人の母。名は伝わらない。万葉集2歌を読む 元明天皇げんめいてんのう661–721天智天皇の皇女で、草壁皇子の妃。文武天皇・元正天皇の母。707年に即位し、710年に都を藤原京から平城京へ移した。万葉集3新古今集1人物と作品を見る 公胤こういん1145–1216源憲俊の子。園城寺の僧で、権僧正に至った。新古今集1歌を読む 皇嘉門院こうかもんいん1122–1181藤原聖子。藤原忠通の娘。崇徳天皇の中宮。新古今集2歌を読む 皇嘉門院尾張こうかもんいんのおわり生没年未詳(十二世紀)皇嘉門院(崇徳天皇の中宮聖子)に仕えた女房。新古今集1歌を読む
皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう生没年未詳(12世紀後半)太皇太后宮亮源俊隆の娘。崇徳院(第77首)の皇后であった皇嘉門院聖子に仕えた女房。九条兼実の家の歌合などで活躍した。百人一首1人物と作品を見る 孝謙天皇こうけんてんのう718–770聖武天皇と光明皇后の娘。第四十六代の天皇。のち重祚して称徳天皇となった。巻十九に、遣唐使に賜った歌などを残す。万葉集3人物と作品を見る
光孝天皇こうこうてんのう830–887第58代天皇。仁明天皇の皇子。陽成天皇が退位させられたあと、藤原基経に推されて55歳で即位した。温厚で学問を好んだと伝えられる。基経を事実上の関白とし、摂関政治の基礎が築かれた。百人一首1古今集2新古今集3人物と作品を見る 幸清こうせい1177–1235石清水八幡宮の別当。法印の位にあった。新古今集2歌を読む 小馬命婦こうまのみょうぶ生没年未詳(十世紀後半)円融天皇の中宮媓子に仕えた女房。家集『小馬命婦集』がある。新古今集1歌を読む 光明皇后こうみょうこうごう701–760藤原不比等の娘。聖武天皇の皇后で、施薬院・悲田院を設けた。万葉集3人物と作品を見る 公猷法師こうゆうほうし生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む 後三条院ごさんじょういん1034–1073第七十一代天皇。後朱雀天皇の皇子。摂関家を外戚としない天皇として、延久の荘園整理令などの親政を行った。新古今集1人物と作品を見る
小式部内侍こしきぶのないし?–1025和泉式部(第56首)と橘道貞の娘。母とともに中宮彰子に仕え、母と区別して「小式部」と呼ばれた。歌の才能に恵まれ、藤原教通らとの恋が伝わる。母に先立って、20代の若さで亡くなった。百人一首1人物と作品を見る 小侍従こじじゅう1121?–1202?石清水八幡宮の別当光清の娘。二条天皇・高倉天皇らに仕えた女房歌人。「待宵の小侍従」と呼ばれた。新古今集7人物と作品を見る 児島こじま生没年未詳筑紫の娘子。大宰府の遊行女婦(うかれめ)とみられ、巻第六に大伴旅人との別れの歌もある。万葉集5人物と作品を見る 後白河院ごしらかわいん1127–1192第七十七代天皇。譲位後、五代の天皇にわたって院政を行った。今様を愛好し、歌謡集『梁塵秘抄』を編んだ。藤原俊成に『千載和歌集』の撰集を命じた。新古今集4人物と作品を見る 後朱雀院ごすざくいん1009–1045第六十九代天皇。一条天皇の皇子で、母は上東門院彰子。新古今集3人物と作品を見る 巨勢郎女こせのいらつめ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む
後鳥羽院ごとばいん1180–1239第82代天皇。高倉天皇の皇子。平家が安徳天皇を伴って都落ちしたのち、4歳で即位した。譲位後も院政を行い、『新古今和歌集』の撰集を命じて自らも深く関わった。1221年、鎌倉幕府の打倒を目指して承久の乱を起こしたが敗れ、隠岐に流されて、その地で亡くなった。百人一首1新古今集33人物と作品を見る 近衛院このえいん1139–1155第七十六代天皇。鳥羽天皇の皇子で、母は美福門院。三歳で即位し、十七歳で没した。新古今集1歌を読む 碁檀越の妻ごのだんおちのつま生没年未詳碁檀越の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 児部女王こべのおおきみ生没年未詳伝未詳。巻十六に、人をからかった戯れの歌を残す。万葉集1歌を読む 小弁こべん生没年未詳(十一世紀)越前守藤原懐尹の娘とされる。後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた女房歌人。新古今集4人物と作品を見る 小町が姉こまちがあね生没年未詳小野小町の姉と伝える女性で、経歴はわからない。古今集1歌を読む 惟明親王これあきらしんのう1179–1221高倉天皇の皇子で、後鳥羽院の兄。出家して聖円と号した。後鳥羽院の歌壇で正治百首などに出詠した。新古今集6人物と作品を見る 後冷泉院ごれいぜいいん1025–1068第七十代天皇。後朱雀天皇の皇子。在位中に歌合をたびたび催した。新古今集1歌を読む 惟喬親王これたかしんのう844–897文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘静子(三条町)。皇位を弟(清和天皇)に越され、のち出家して比叡山の麓の小野に隠棲した。在原業平との交流が『伊勢物語』に描かれる。古今集2新古今集1人物と作品を見る さ
91人
西行法師さいぎょうほうし1118–1190俗名は佐藤義清(のりきよ)。鳥羽院に仕える北面の武士だったが、23歳で妻子を捨てて出家した。生涯の多くを旅に過ごし、自然と心を素直に詠んだ。家集『山家集』がある。『新古今和歌集』には最多の94首が採られている。百人一首1新古今集94人物と作品を見る 西日さいじつ生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む 最澄さいちょう767–822天台宗の開祖。唐に渡って天台の教えを学び、比叡山に延暦寺を開いた。新古今集1歌を読む 佐伯赤麻呂さえきのあかまろ生没年未詳伝未詳。巻第三の404〜406番で娘子と歌を交わした人物。万葉集4人物と作品を見る 佐伯東人さえきのあずまひと生没年未詳佐伯東人は天平4年(732)に西海道節度使の判官となった。621番はその妻の歌。万葉集2人物と作品を見る 酒井人真さかいのひとざね?–917経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 境部王さかいべのおおきみ生没年未詳(八世紀前半)穂積親王の子。漢詩集『懐風藻』にも詩が載る。巻十六に、いくつもの物の名を詠み込んだ歌を残す。万葉集1人物と作品を見る 境部老麻呂さかいべのおゆまろ生没年未詳(八世紀前半)伝未詳。巻十七に、新しい都の恭仁京をたたえる長歌と反歌を残す。万葉集2歌を読む 坂門人足さかとのひとたり年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集3人物と作品を見る 坂上大嬢さかのうえのおおいらつめ生没年未詳大伴宿奈麻呂と大伴坂上郎女の娘。大伴家持の妻となった。万葉集11人物と作品を見る
坂上是則さかのうえのこれのり生没年未詳(10世紀前半)征夷大将軍坂上田村麻呂の子孫とされる。加賀介などを務めた。蹴鞠の名手としても知られ、醍醐天皇の前で二百六回蹴り続けたという逸話がある。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集8新古今集7人物と作品を見る
相模さがみ生没年未詳(11世紀)源頼光の娘(養女とも)。相模守大江公資の妻となったことから「相模」と呼ばれるが、のちに離別した。一条天皇の皇女脩子内親王に仕えた。後朱雀・後冷泉天皇の時代の歌合で活躍した、当代を代表する女流歌人。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 桜井王さくらいのおおきみ生没年未詳奈良時代の王族。遠江守を務め、のちに大原真人の姓を賜った。万葉集2歌を読む 貞登さだののぼる生没年未詳仁明天皇の皇子で、母は三国町。臣籍に下って貞姓を賜り、出家したのち還俗した。古今集1歌を読む 薩妙観さつのみょうかん生没年未詳(八世紀)宮中に仕えた女官(命婦)。渡来系の人で、のちに河上忌寸の姓を賜った。巻二十に、元正太上天皇の命に応えて詠んだ歌を残す。万葉集1人物と作品を見る 讃岐さぬき生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 狭野弟上娘子さののおとがみのおとめ生没年未詳(八世紀中頃)後宮の蔵部に仕えた女嬬。「狭野茅上娘子」とも書く。中臣宅守と結ばれたが、宅守が越前に流され、離れて交わした二人の贈答歌六十三首が巻十五に載る。万葉集21人物と作品を見る 沙弥さみ生没年未詳名は伝わらない僧。万葉集1歌を読む 沙弥女王さみのおおきみ未詳伝未詳の女性皇族。万葉集1歌を読む 沙弥満誓さみまんぜい生没年未詳俗名は笠麻呂。美濃守・右大弁などを務めた後に出家し、造筑紫観世音寺別当として大宰府に下った。大伴旅人らと交わった。万葉集6人物と作品を見る
猿丸大夫さるまるだゆう生没年未詳伝説的な歌人で、実在したかどうかもはっきりしない。『古今和歌集』の序に名が見え、のちに家集『猿丸大夫集』がまとめられた。三十六歌仙の一人。百人一首1人物と作品を見る
三条院さんじょういん976–1017第67代天皇。冷泉天皇の皇子。36歳で即位したが、藤原道長との関係が悪く、眼病にも苦しんだ。道長に退位を迫られ、在位わずか5年で、道長の孫にあたる後一条天皇に譲位した。翌年、42歳で亡くなった。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 三条院女蔵人左近さんじょういんのにょくろうどさこん生没年未詳(十一世紀初め)三条天皇に仕えた女蔵人。新古今集3人物と作品を見る 三条町さんじょうのまち?–866紀名虎の娘で、文徳天皇の更衣。惟喬親王の母。古今集1歌を読む 志斐嫗しいのおみな生没年未詳持統天皇に仕えた老女。名は伝わらない。万葉集1歌を読む
慈円じえん1155–1225関白藤原忠通(第76首)の子で、九条兼実の弟。11歳で出家し、天台座主に四度就任した。歴史書『愚管抄』を著し、家集に『拾玉集』がある。甥の九条良経(第91首)や後鳥羽院と親しく、新古今時代の歌壇でも重きをなした。百人一首1新古今集91人物と作品を見る 志貴皇子しきのみこ?–716天智天皇の皇子。壬申の乱の後は天武天皇の皇統のもとで政治の表舞台に立つことは少なかったが、歌人としてすぐれ、万葉集に清新な歌を残した。子の白壁王が即位して光仁天皇となったため、死後に春日宮天皇と追尊された。万葉集6新古今集1人物と作品を見る 七条院権大夫しちじょういんのごんのだいぶ生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)後鳥羽院の母、七条院殖子に仕えた女房。新古今集1歌を読む 七条院大納言しちじょういんのだいなごん生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)七条院殖子に仕えた女房。新古今集3人物と作品を見る 持統天皇じとうてんのう645–702天智天皇の皇女で、天武天皇の皇后。夫の死後に即位し、694年に日本初の本格的な都城である藤原京へ都を移した。孫の文武天皇に譲位したのちも、太上天皇として政治を支えた。百人一首1万葉集6新古今集1人物と作品を見る 倭文部可良麻呂しとりべのからまろ生没年未詳(八世紀中頃)常陸国から筑紫に送られた防人の一人。巻二十の防人の歌に歌がある。万葉集1歌を読む 信濃しなの生没年未詳(十二世紀末)後鳥羽院の時代の女房歌人。新古今集2歌を読む 下野雄宗しもつけのおむね生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 寂昭じゃくしょう962?–1034俗名大江定基。三河守のとき愛人の死をきっかけに出家した。長保五年(1003年)に宋に渡り、彼の地で没した。新古今集1人物と作品を見る 寂然じゃくぜん生没年未詳(十二世紀)俗名藤原頼業。兄の寂念・寂超とともに「大原の三寂」と呼ばれた。西行と親しかった。新古今集14人物と作品を見る 寂超じゃくちょう生没年未詳(十二世紀)俗名藤原為経。美福門院加賀の最初の夫で、隆信の父。大原の三寂の一人。新古今集2歌を読む
寂蓮法師じゃくれんほうし1139頃–1202俗名は藤原定長。藤原俊成(第83首)の甥で、一時はその養子となったが、俊成に実子の定家が生まれたのち出家した。後鳥羽院の命で『新古今和歌集』の撰者の一人に選ばれたが、完成を見ずに亡くなった。百人一首1新古今集35人物と作品を見る 守覚法親王しゅかくほっしんのう1150–1202後白河天皇の皇子。仁和寺の門跡を務めた。歌人たちに五十首歌を詠ませるなど、歌壇の庇護者として活動した。新古今集5人物と作品を見る
俊恵法師しゅんえほうし1113–1191頃源俊頼(第74首)の子で、源経信(第71首)の孫。若くして父を亡くし、東大寺の僧となった。京都・白川の自坊「歌林苑」に多くの歌人を集めて歌会を開き、歌壇の中心となった。鴨長明の和歌の師としても知られる。百人一首1新古今集12人物と作品を見る
順徳院じゅんとくいん1197–1242第84代天皇。後鳥羽院(第99首)の第三皇子。父とともに承久の乱を起こしたが敗れ、佐渡に流されて、その地で20年余りを過ごして亡くなった。和歌に深く通じ、歌論書『八雲御抄』を著した。宮中の故実を記した『禁秘抄』もある。百人一首1人物と作品を見る 性空しょうくう?–1007平安中期の天台宗の僧。播磨国の書写山に円教寺を開いた。和泉式部との贈答で知られる。新古今集1人物と作品を見る 静賢じょうけん1124–?藤原通憲(信西)の子。法印。後白河院の近臣。新古今集1歌を読む 上西門院兵衛じょうさいもんいんのひょうえ生没年未詳(十二世紀)源顕仲の娘。待賢門院堀河の妹。待賢門院、のち上西門院に仕えた。新古今集2歌を読む 昌子内親王しょうしないしんのう950–1000朱雀天皇の皇女。冷泉天皇の皇后となり、のち皇太后・太皇太后となった。新古今集1歌を読む 少将井尼しょうしょうのいのあま生没年未詳(十一世紀)大原に住んだ尼。和泉式部と交わった。新古今集1歌を読む 成尋じょうじん1011–1081天台宗の僧。延久四年(1072年)に宋に渡り、彼の地で没した。母は『成尋阿闍梨母集』の作者。新古今集1人物と作品を見る 成尋阿闍梨母じょうじんあじゃりのはは988?–?源俊賢の娘とされる。子の成尋の渡宋を嘆いた家集『成尋阿闍梨母集』がある。新古今集1歌を読む 成清じょうせい生没年未詳(十二世紀)石清水八幡宮の僧。法印。新古今集1歌を読む 上東門院じょうとうもんいん988–1074藤原彰子。藤原道長の娘。一条天皇の中宮で、後一条・後朱雀天皇の母。紫式部・和泉式部らが仕えた。新古今集5人物と作品を見る 上東門院小少将じょうとうもんいんのこしょうしょう生没年未詳(十一世紀初め)源時通の娘。一条天皇の中宮彰子(上東門院)に仕えた女房で、紫式部と親しかった。新古今集2歌を読む 聖徳太子しょうとくたいし574–622用明天皇の皇子で、厩戸皇子とも。推古天皇の摂政として、冠位十二階や十七条憲法を定めたと伝えられる。万葉集1人物と作品を見る 承仁法親王しょうにんほっしんのう1169–1197後白河天皇の皇子。天台座主を務めた。新古今集1歌を読む 勝命法師しょうみょうほうし1112?–?俗名は藤原親重。美濃守などを務めたのち出家した。歌林苑の歌人と交わり、藤原清輔に近かった。新古今集1人物と作品を見る 聖武天皇しょうむてんのう701–756文武天皇の皇子。奈良時代の天皇で、東大寺の大仏を造立した。左注によれば太上天皇(元正天皇)の御製ともいう。万葉集8新古今集1人物と作品を見る
式子内親王しょくしないしんのう1149–1201後白河天皇の皇女。若くして賀茂神社の斎院を務め、退下ののち出家した。藤原俊成(第83首)に和歌を学び、新古今時代を代表する女流歌人となった。藤原定家との恋の伝説が生まれ、謡曲『定家』の題材となった。百人一首1新古今集49人物と作品を見る 舒明天皇じょめいてんのう593–641第34代の天皇(在位629–641)。名は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)。飛鳥の岡本宮で政治を行い、遣唐使を初めて送った。皇后は宝皇女(のちの皇極・斉明天皇)で、天智天皇・天武天皇の父にあたる。万葉集では、この天皇の代から歌の時代が本格的に始まる。万葉集2人物と作品を見る 白河院しらかわいん1053–1129第七十二代天皇。譲位後に院政を始めた。和歌を好み、源俊頼に『金葉和歌集』の撰集を命じ、藤原通俊に『後拾遺和歌集』を撰ばせた。新古今集4人物と作品を見る 白女しろめ生没年未詳摂津の江口(淀川の河口)の遊女と伝える。古今集1歌を読む 新少将しんしょうしょう生没年未詳(十二世紀)源俊頼の娘。待賢門院に仕えた女房。新古今集1歌を読む 真静法師しんせいほうし生没年未詳下出雲寺で導師を務めた僧と伝える。古今集1歌を読む 神退法師しんたいほうし生没年未詳僧で、経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
周防内侍すおうのないし生没年未詳(11世紀後半〜12世紀初め)周防守平棟仲の娘。名は仲子。後冷泉・後三条・白河・堀河の四代の天皇に、内侍として仕えた。歌合などで活躍し、宮廷歌人として重んじられた。百人一首1新古今集5人物と作品を見る 菅野高世すがののたかよ生没年未詳春宮(皇太子)に仕えた人物と伝えるが、詳しい経歴はわからない。古今集1歌を読む 菅野忠臣すがののただおみ生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 菅原輔昭すがわらのすけあき生没年未詳(十世紀後半)菅原文時の子。文章生として漢詩文にすぐれたが、のち出家した。新古今集1歌を読む 菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ1008–?菅原道真の子孫、菅原孝標の娘。『更級日記』の作者。『夜の寝覚』『浜松中納言物語』の作者とする説もある。新古今集1人物と作品を見る
菅原道真すがわらのみちざね845–903平安時代前期の学者・政治家・漢詩人。宇多天皇に重用されて右大臣に至ったが、藤原時平の讒言によって大宰府に左遷され、その地で没した。死後、天満天神として祀られ、学問の神として信仰されている。「菅家」は菅原家の主人を敬って呼ぶ名。百人一首1古今集2新古今集16人物と作品を見る 輔仁親王すけひとしんのう1073–1119後三条天皇の皇子。皇位継承の有力な候補だったが、白河天皇の意向で即位できなかった。漢詩と和歌にすぐれた。新古今集1人物と作品を見る 朱雀院すざくいん923–952第六十一代天皇。醍醐天皇の皇子。在位中に平将門・藤原純友の乱が起こった。新古今集2歌を読む
崇徳院すとくいん1119–1164第75代天皇。鳥羽天皇の皇子。5歳で即位したが、父の鳥羽上皇に疎まれ、23歳で異母弟の近衛天皇に譲位させられた。保元の乱(1156年)で後白河天皇と争って敗れ、讃岐国(香川県)に流されて、その地で亡くなった。和歌を深く愛し、『詞花和歌集』の撰集を命じた。百人一首1新古今集7人物と作品を見る 清江娘子すみのえのおとめ7世紀末〜8世紀初め住吉(清江)の娘子。左注には「長皇子に進る。姓氏未だ詳ならず」とある。万葉集1歌を読む 駿河采女するがのうねめ生没年未詳駿河国から宮廷に仕えた采女。万葉集2歌を読む
清少納言せいしょうなごん966頃–1025頃清原元輔(第42首)の娘で、清原深養父(第36首)の曾孫。一条天皇の中宮定子に仕え、その才知で定子に深く愛された。宮仕えの日々や、自然・人間への鋭い観察を綴った随筆『枕草子』の作者。百人一首1人物と作品を見る 消奈行文せなのゆきふみ生没年未詳(八世紀前半)高句麗から渡来した人々の子孫で、大学助などを務めた学者。『懐風藻』にも詩が載る。巻十六に、人をあざける戯れの歌を残す。万葉集1人物と作品を見る
蝉丸せみまる生没年未詳(9〜10世紀頃)逢坂の関のあたりに庵を結んで住んだと伝えられる人物。琵琶の名手で盲目であったとも、醍醐天皇の皇子であったともいわれるが、いずれも後世の伝説で、実像はほとんど分からない。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 瞻西せんさい?–1127天台宗の僧。京都東山の雲居寺を再興し、阿弥陀の大仏を造った。新古今集2歌を読む 選子内親王せんしないしんのう964–1035村上天皇の皇女。五代の天皇にわたって賀茂の斎院を務め、大斎院と呼ばれた。釈教歌集『発心和歌集』がある。新古今集1人物と作品を見る 禅性ぜんしょう生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む 宗円そうえん生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)鎌倉初期の僧。法眼の位にあった。新古今集1歌を読む 増賀ぞうが917–1003平安中期の天台宗の僧。橘恒平の子。名利を嫌って多武峰に隠棲し、奇行の逸話で知られる。新古今集1人物と作品を見る 増基ぞうき生没年未詳(十世紀)平安中期の僧侶歌人。中古三十六歌仙の一人。新古今集1歌を読む 承均法師そうくほうし生没年未詳(九世紀後半)雲林院に住んだ僧と伝える。経歴はほとんどわからない。古今集3人物と作品を見る 僧正聖宝そうじょうしょうぼう832–909真言宗の僧で、醍醐寺を開いた。修験道の中興の祖ともされる。古今集1歌を読む
僧正遍昭そうじょうへんじょう816–890俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。桓武天皇の孫で、仁明天皇に重んじられたが、天皇の崩御を機に出家した。のちに僧正となる。素性法師の父。六歌仙・三十六歌仙の一人。百人一首1古今集17新古今集2人物と作品を見る 僧都勝延そうずしょうえん827–901東大寺などで学んだ学僧で、律師・少僧都に至った。古今集1歌を読む 素覚そかく生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。俗名は藤原家基とされる。新古今集2歌を読む
素性法師そせいほうし生没年未詳(9世紀後半〜10世紀初め)僧正遍昭の子。俗名は良岑玄利(よしみねのはるとし)。父の勧めで若くして出家し、京都の雲林院や大和の石上良因院に住んだ。宇多天皇・醍醐天皇に重んじられた。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集38新古今集2人物と作品を見る 衣通王そとおりのおおきみ伝承の時代軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名。允恭天皇の皇女で、その美しさが衣を通して輝いたことから衣通王と呼ばれた。同母兄の軽太子との恋が罪とされ、伊予へ流された太子を追ったと『古事記』は伝える。万葉集1人物と作品を見る 衣通姫そとおりひめ伝承上の人物允恭天皇の妃と伝える伝説上の女性で、美しさが衣を通して輝いたという。仮名序は小野小町を「いにしへの衣通姫の流なり」と評する。古今集1人物と作品を見る
曽禰好忠そねのよしただ生没年未詳(10世紀後半)平安時代中期の歌人。丹後掾を務めたことから「曾丹(そたん)」と呼ばれた。身分は低かったが、日常の言葉や新しい題材を取り入れた斬新な歌風で知られ、一年を360首で詠む「毎月集」を作った。偏屈な人柄で、招かれていない宴に押しかけて追い出された逸話が残る。百人一首1新古今集16人物と作品を見る 園臣生羽の娘そののおみいくはのむすめ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集3人物と作品を見る た
76人待賢門院安芸たいけんもんいんのあき生没年未詳(十二世紀)藤原顕盛の娘とされる。鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子に仕えた女房で、のち郁芳門院安芸とも呼ばれた。新古今集1人物と作品を見る
待賢門院堀河たいけんもんいんのほりかわ生没年未詳(12世紀前半)神祇伯源顕仲の娘。崇徳院の母である待賢門院璋子に仕えた女房。待賢門院が出家すると、ともに出家した。西行(第86首)とも親しく、歌のやりとりが残る。中古六歌仙の一人。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 醍醐天皇だいごてんのう885–930第六十代天皇。その治世は「延喜の治」とたたえられた。紀貫之らに命じて最初の勅撰和歌集『古今和歌集』を撰ばせた。新古今集9人物と作品を見る
大弐三位だいにのさんみ999頃–1082頃紫式部(第57首)と藤原宣孝の娘で、名は賢子。母と同じく中宮彰子に仕え、のちに後冷泉天皇の乳母となって従三位に叙せられた。大宰大弐高階成章と結婚したことから「大弐三位」と呼ばれる。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 大輔たいふ生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 平篤行たいらのあつゆき?–910桓武平氏の一族で、刑部少輔などを務めた。古今集1歌を読む
平兼盛たいらのかねもり?–990光孝天皇の子孫で、はじめ兼盛王と称し、のちに臣籍に降下して平姓を賜った。駿河守などを務めた。村上天皇の時代を代表する歌人で、家集に『兼盛集』がある。三十六歌仙の一人。赤染衛門(第59首)の実の父とする説がある。百人一首1人物と作品を見る 平貞文たいらのさだふん?–923桓武天皇の玄孫で、「平中(へいちゅう)」と呼ばれた。色好みとして知られ、『平中物語』の主人公とされる。寛平・延喜の歌合で活躍した。古今集9新古今集1人物と作品を見る 平忠盛たいらのただもり1096–1153平正盛の子で、清盛の父。刑部卿に至った。平氏で初めて昇殿を許された。新古今集1歌を読む 平親宗たいらのちかむね1144–1199平時信の子で、平時忠・建春門院滋子の弟。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 平中興たいらのなかき?–930桓武平氏の一族で、近江守などを務めた。古今集2歌を読む 平教盛母たいらののりもりのはは生没年未詳(十二世紀)平忠盛の妻で、教盛の母。藤原家隆(家保)の娘とされる。新古今集1歌を読む 平元規たいらのもとのり生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 妙たえ生没年未詳(十二世紀)摂津国江口の遊女。西行との贈答で知られ、謡曲『江口』の題材となった。新古今集1歌を読む 高丘河内たかおかのかわち生没年未詳奈良時代の官人・文人。百済系の渡来氏族の出身。万葉集2歌を読む 高倉院たかくらいん1161–1181第八十代天皇。後白河天皇の皇子で、母は平滋子(建春門院)。中宮は平清盛の娘徳子。後鳥羽院の父。新古今集4人物と作品を見る 高階経重たかしなのつねしげ生没年未詳(十一世紀)高階成順の子とされる。陸奥介などを務めた。新古今集1歌を読む 高田女王たかたのおおきみ生没年未詳高安王の娘。今城王に贈った恋の歌が巻第四にある。万葉集7人物と作品を見る 高橋たかはしのあそみ生没年未詳名は伝わらない。左注に「奉膳の男子」とあり、宮中の食膳を司る家の人とみられる。万葉集3人物と作品を見る 高橋虫麻呂たかはしのむしまろ生没年未詳奈良時代前半の歌人。藤原宇合に仕えたとみられ、伝説や地方の風物を詠んだ長歌にすぐれる。万葉集6人物と作品を見る 高松院右衛門佐たかまついんのうえもんのすけ生没年未詳(十二世紀)高松院(姝子内親王。二条天皇の中宮)に仕えた女房。新古今集1歌を読む 高宮王たかみやのおおきみ生没年未詳伝未詳。巻十六に、いくつもの物の名を一首に詠み込んだ歌二首を残す。万葉集2歌を読む 高向利春たかむこのとしはる生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 高安たかやす生没年未詳伝はわからない。高安王とする説もある。万葉集1歌を読む 高安王たかやすのおおきみ?–742奈良時代の皇族で、のちに大原真人の姓を賜った。摂津大夫などを務めた。万葉集1歌を読む 高安大島たかやすのおおしま7世紀末〜8世紀初め伝未詳。左注に作者として名が見える。万葉集1歌を読む 当麻真人麻呂の妻たぎまのまひとまろのつま7世紀後半当麻真人麻呂は持統天皇の伊勢行幸に従った官人とみられる。その妻の名は伝わっていない。万葉集1人物と作品を見る 当麻麻呂の妻たぎまのまろのつま生没年未詳当麻麻呂の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 田口馬長たぐちのうまおさ生没年未詳(八世紀前半)伝未詳。巻十七に、ほととぎすを思う歌を残す。万葉集1歌を読む 田口益人たぐちのますひと?–720奈良時代初めの官人。和銅元年(708)に上野守となった。万葉集2歌を読む 内匠たくみ生没年未詳(十世紀前半)醍醐天皇の御代の女蔵人。新古今集1歌を読む 高市黒人たけちのくろひと生没年未詳(7世紀末〜8世紀初め)持統・文武天皇の時代の歌人。旅の途中の景色を、静かで寂しさのこもった目で詠んだ短歌にすぐれ、万葉集に十数首を残す。万葉集15人物と作品を見る 高市黒人の妻たけちのくろひとのつま生没年未詳高市黒人の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 高市古人たけちのふるひと7世紀後半伝未詳。題詞の注に「或書にいふ高市連黒人」とあり、旅の歌にすぐれた高市黒人の作とする説が有力である。万葉集2人物と作品を見る 高市皇子たけちのみこ654–696天武天皇の長子。壬申の乱で父を助けて活躍し、のちに太政大臣となった。万葉集3人物と作品を見る 竹取翁たけとりのおきな年代未詳巻十六の、竹取の翁が野で九人の仙女に出会い、若いころの自分を語る長歌の作り手として伝えられる人物。伝説上の人物で、『竹取物語』の翁との関わりも論じられる。万葉集3人物と作品を見る 丹比乙麻呂たじひのおとまろ生没年未詳丹比屋主の第二子。万葉集1歌を読む 丹比笠麻呂たじひのかさまろ生没年未詳伝未詳。巻第四にも筑紫へ下るときの歌がある。万葉集3人物と作品を見る 丹比国人たじひのくにひと生没年未詳奈良時代の官人。のちに遠江守などを務めた。万葉集2歌を読む 多治比土作たじひのはにし生没年未詳(八世紀中頃)巻十九に、遣唐大使の藤原清河を送る宴で詠んだ歌を残す。のち参議に至った。万葉集1歌を読む 丹比大夫たじひのまえつきみ生没年未詳名の伝わらない丹比氏の大夫(四位・五位の官人)。巻十五の遣新羅使の歌群に、一行が誦した古歌として、亡き妻を悲しむ挽歌が載る。万葉集2人物と作品を見る 丹比真人たじひのまひと生没年未詳丹比氏の人。題詞に「名闕く」とあり、名は伝わらない。万葉集3人物と作品を見る 丹比屋主たじひのやぬし生没年未詳奈良時代の官人。大蔵少輔を務めた。万葉集2歌を読む 但馬皇女たじまのひめみこ?–708天武天皇の皇女。異母兄の高市皇子の宮にいたが、同じく異母兄の穂積皇子と恋をした。万葉集4人物と作品を見る 橘清樹たちばなのきよき?–925経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 橘為仲たちばなのためなか?–1085橘義通の子。陸奥守などを務めた。和歌六人党の一人。新古今集2歌を読む 橘長盛たちばなのながもり生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 橘奈良麻呂たちばなのならまろ721?–757橘諸兄の子。のちに藤原仲麻呂を除こうとして事が露見し(橘奈良麻呂の変)、獄死したとみられる。万葉集1人物と作品を見る 橘諸兄たちばなのもろえ684–757はじめ葛城王といい、母は県犬養三千代。臣籍に降って橘の姓を継ぎ、左大臣として聖武朝の政治を担った。大伴家持と親しく、『万葉集』の成立にかかわったとする説もある。万葉集1人物と作品を見る 橘良利たちばなのよしとし生没年未詳(九世紀末〜十世紀初め)宇多法皇に仕え、法皇の出家に従って出家した。法名は寛蓮。碁の名手として知られた。新古今集1人物と作品を見る 田辺福麻呂たなべのさきまろ生没年未詳奈良時代の官人・歌人。橘諸兄に仕え、宮廷歌人として都の讃歌などを残した。巻第六の終わりの21首は『田辺福麻呂歌集』から採られている。万葉集31人物と作品を見る 丹波大女娘子たにわのおおめおとめ生没年未詳伝未詳。万葉集3人物と作品を見る 田部櫟子たべのいちひこ生没年未詳奈良時代の官人。大宰府に赴任した。万葉集4人物と作品を見る 手持女王たもちのおおきみ生没年未詳伝未詳。河内王の妻とみられる。万葉集3人物と作品を見る 朝恵法師ちょうえほうし生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む 奝然ちょうねん938–1016東大寺の僧。永観元年(983年)に宋に渡り、帰国の際に釈迦如来像(清凉寺の本尊)をもたらした。新古今集1人物と作品を見る 通観つうかん生没年未詳奈良時代の僧。327番の作者と同じ人とみられる。万葉集2歌を読む 調首淡海つきのおびとおうみ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集3人物と作品を見る 調使首つきのおみのおびと生没年未詳伝未詳。巻十三に、備後国の神島の浜で行き倒れた人の屍を見て作った長歌と反歌を残す。万葉集5人物と作品を見る 土御門右大臣女つちみかどのうだいじんのむすめ生没年未詳(十一世紀)源師房の娘。藤原通房の妻。新古今集1歌を読む 角麻呂つぬのまろ生没年未詳伝未詳。万葉集4人物と作品を見る 常康親王つねやすしんのう?–869仁明天皇の皇子。天皇の崩御を嘆いて出家し、紫野の雲林院に住んだ。古今集1歌を読む 角広弁つののこうべん生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 津守国基つもりのくにもと1023–1102住吉社の神主。和歌を好み、『後拾遺和歌集』の撰者藤原通俊に自分の歌を採らせようとした逸話で知られる。新古今集1人物と作品を見る
天智天皇てんじてんのう626–671舒明天皇の皇子で、即位前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれた。645年、中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討ち(乙巳の変)、大化の改新を進めた。668年、近江大津宮で即位。百人一首1万葉集2新古今集1人物と作品を見る 天武天皇てんむてんのう?–686舒明天皇の皇子で、天智天皇の弟。大海人皇子。壬申の乱(672)で大友皇子を破って即位した(在位673–686)。吉野は乱の挙兵の地で、天皇にとって特別な場所であった。万葉集5人物と作品を見る
道因法師どういんほうし1090–1182頃俗名は藤原敦頼。右馬助などを務め、80歳を過ぎてから出家した。和歌への執心が深く、秀歌が詠めるよう、七、八十歳まで毎月住吉神社に参詣したと伝えられる。90歳を過ぎても歌会に熱心に出席した。百人一首1新古今集4人物と作品を見る 道命法師どうみょうほうし974–1020大納言藤原道綱の子で、右大将道綱母の孫。天王寺別当を務めた。読経の美声で知られ、和泉式部との交渉を伝える説話がある。中古三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 登蓮とうれん生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。歌林苑の会衆の一人。新古今集1歌を読む 俊成女としなりのむすめ1171?–1254?藤原俊成の孫で、養女となった。源通具の妻。後鳥羽院に仕え、千五百番歌合などで活躍した。余情に富む妖艶な歌風で、新古今時代を代表する女性歌人。新古今集30人物と作品を見る 舎人娘子とねりのおとめ7世紀末〜8世紀初め舎人氏の女性で、宮廷に仕えたとみられる。舎人皇子との贈答歌(巻第二)も残る。万葉集4人物と作品を見る 舎人皇子とねりのみこ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む 舎人吉年とねりのよしとし年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む 鳥羽院とばいん1103–1156第七十四代天皇。堀河天皇の皇子。譲位後、崇徳・近衛・後白河の三代にわたり院政をしいた。新古今集2人物と作品を見る 具平親王ともひらしんのう964–1009村上天皇の皇子。中務卿を務めた。博学で詩歌にすぐれ、後中書王と呼ばれた。新古今集8人物と作品を見る 土理宣令とりのせんりょう生没年未詳奈良時代初めの文人。懐風藻にも詩が残る。万葉集2歌を読む
待賢門院堀河たいけんもんいんのほりかわ生没年未詳(12世紀前半)神祇伯源顕仲の娘。崇徳院の母である待賢門院璋子に仕えた女房。待賢門院が出家すると、ともに出家した。西行(第86首)とも親しく、歌のやりとりが残る。中古六歌仙の一人。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 醍醐天皇だいごてんのう885–930第六十代天皇。その治世は「延喜の治」とたたえられた。紀貫之らに命じて最初の勅撰和歌集『古今和歌集』を撰ばせた。新古今集9人物と作品を見る
大弐三位だいにのさんみ999頃–1082頃紫式部(第57首)と藤原宣孝の娘で、名は賢子。母と同じく中宮彰子に仕え、のちに後冷泉天皇の乳母となって従三位に叙せられた。大宰大弐高階成章と結婚したことから「大弐三位」と呼ばれる。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 大輔たいふ生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 平篤行たいらのあつゆき?–910桓武平氏の一族で、刑部少輔などを務めた。古今集1歌を読む
平兼盛たいらのかねもり?–990光孝天皇の子孫で、はじめ兼盛王と称し、のちに臣籍に降下して平姓を賜った。駿河守などを務めた。村上天皇の時代を代表する歌人で、家集に『兼盛集』がある。三十六歌仙の一人。赤染衛門(第59首)の実の父とする説がある。百人一首1人物と作品を見る 平貞文たいらのさだふん?–923桓武天皇の玄孫で、「平中(へいちゅう)」と呼ばれた。色好みとして知られ、『平中物語』の主人公とされる。寛平・延喜の歌合で活躍した。古今集9新古今集1人物と作品を見る 平忠盛たいらのただもり1096–1153平正盛の子で、清盛の父。刑部卿に至った。平氏で初めて昇殿を許された。新古今集1歌を読む 平親宗たいらのちかむね1144–1199平時信の子で、平時忠・建春門院滋子の弟。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 平中興たいらのなかき?–930桓武平氏の一族で、近江守などを務めた。古今集2歌を読む 平教盛母たいらののりもりのはは生没年未詳(十二世紀)平忠盛の妻で、教盛の母。藤原家隆(家保)の娘とされる。新古今集1歌を読む 平元規たいらのもとのり生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 妙たえ生没年未詳(十二世紀)摂津国江口の遊女。西行との贈答で知られ、謡曲『江口』の題材となった。新古今集1歌を読む 高丘河内たかおかのかわち生没年未詳奈良時代の官人・文人。百済系の渡来氏族の出身。万葉集2歌を読む 高倉院たかくらいん1161–1181第八十代天皇。後白河天皇の皇子で、母は平滋子(建春門院)。中宮は平清盛の娘徳子。後鳥羽院の父。新古今集4人物と作品を見る 高階経重たかしなのつねしげ生没年未詳(十一世紀)高階成順の子とされる。陸奥介などを務めた。新古今集1歌を読む 高田女王たかたのおおきみ生没年未詳高安王の娘。今城王に贈った恋の歌が巻第四にある。万葉集7人物と作品を見る 高橋たかはしのあそみ生没年未詳名は伝わらない。左注に「奉膳の男子」とあり、宮中の食膳を司る家の人とみられる。万葉集3人物と作品を見る 高橋虫麻呂たかはしのむしまろ生没年未詳奈良時代前半の歌人。藤原宇合に仕えたとみられ、伝説や地方の風物を詠んだ長歌にすぐれる。万葉集6人物と作品を見る 高松院右衛門佐たかまついんのうえもんのすけ生没年未詳(十二世紀)高松院(姝子内親王。二条天皇の中宮)に仕えた女房。新古今集1歌を読む 高宮王たかみやのおおきみ生没年未詳伝未詳。巻十六に、いくつもの物の名を一首に詠み込んだ歌二首を残す。万葉集2歌を読む 高向利春たかむこのとしはる生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 高安たかやす生没年未詳伝はわからない。高安王とする説もある。万葉集1歌を読む 高安王たかやすのおおきみ?–742奈良時代の皇族で、のちに大原真人の姓を賜った。摂津大夫などを務めた。万葉集1歌を読む 高安大島たかやすのおおしま7世紀末〜8世紀初め伝未詳。左注に作者として名が見える。万葉集1歌を読む 当麻真人麻呂の妻たぎまのまひとまろのつま7世紀後半当麻真人麻呂は持統天皇の伊勢行幸に従った官人とみられる。その妻の名は伝わっていない。万葉集1人物と作品を見る 当麻麻呂の妻たぎまのまろのつま生没年未詳当麻麻呂の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 田口馬長たぐちのうまおさ生没年未詳(八世紀前半)伝未詳。巻十七に、ほととぎすを思う歌を残す。万葉集1歌を読む 田口益人たぐちのますひと?–720奈良時代初めの官人。和銅元年(708)に上野守となった。万葉集2歌を読む 内匠たくみ生没年未詳(十世紀前半)醍醐天皇の御代の女蔵人。新古今集1歌を読む 高市黒人たけちのくろひと生没年未詳(7世紀末〜8世紀初め)持統・文武天皇の時代の歌人。旅の途中の景色を、静かで寂しさのこもった目で詠んだ短歌にすぐれ、万葉集に十数首を残す。万葉集15人物と作品を見る 高市黒人の妻たけちのくろひとのつま生没年未詳高市黒人の妻。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 高市古人たけちのふるひと7世紀後半伝未詳。題詞の注に「或書にいふ高市連黒人」とあり、旅の歌にすぐれた高市黒人の作とする説が有力である。万葉集2人物と作品を見る 高市皇子たけちのみこ654–696天武天皇の長子。壬申の乱で父を助けて活躍し、のちに太政大臣となった。万葉集3人物と作品を見る 竹取翁たけとりのおきな年代未詳巻十六の、竹取の翁が野で九人の仙女に出会い、若いころの自分を語る長歌の作り手として伝えられる人物。伝説上の人物で、『竹取物語』の翁との関わりも論じられる。万葉集3人物と作品を見る 丹比乙麻呂たじひのおとまろ生没年未詳丹比屋主の第二子。万葉集1歌を読む 丹比笠麻呂たじひのかさまろ生没年未詳伝未詳。巻第四にも筑紫へ下るときの歌がある。万葉集3人物と作品を見る 丹比国人たじひのくにひと生没年未詳奈良時代の官人。のちに遠江守などを務めた。万葉集2歌を読む 多治比土作たじひのはにし生没年未詳(八世紀中頃)巻十九に、遣唐大使の藤原清河を送る宴で詠んだ歌を残す。のち参議に至った。万葉集1歌を読む 丹比大夫たじひのまえつきみ生没年未詳名の伝わらない丹比氏の大夫(四位・五位の官人)。巻十五の遣新羅使の歌群に、一行が誦した古歌として、亡き妻を悲しむ挽歌が載る。万葉集2人物と作品を見る 丹比真人たじひのまひと生没年未詳丹比氏の人。題詞に「名闕く」とあり、名は伝わらない。万葉集3人物と作品を見る 丹比屋主たじひのやぬし生没年未詳奈良時代の官人。大蔵少輔を務めた。万葉集2歌を読む 但馬皇女たじまのひめみこ?–708天武天皇の皇女。異母兄の高市皇子の宮にいたが、同じく異母兄の穂積皇子と恋をした。万葉集4人物と作品を見る 橘清樹たちばなのきよき?–925経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 橘為仲たちばなのためなか?–1085橘義通の子。陸奥守などを務めた。和歌六人党の一人。新古今集2歌を読む 橘長盛たちばなのながもり生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 橘奈良麻呂たちばなのならまろ721?–757橘諸兄の子。のちに藤原仲麻呂を除こうとして事が露見し(橘奈良麻呂の変)、獄死したとみられる。万葉集1人物と作品を見る 橘諸兄たちばなのもろえ684–757はじめ葛城王といい、母は県犬養三千代。臣籍に降って橘の姓を継ぎ、左大臣として聖武朝の政治を担った。大伴家持と親しく、『万葉集』の成立にかかわったとする説もある。万葉集1人物と作品を見る 橘良利たちばなのよしとし生没年未詳(九世紀末〜十世紀初め)宇多法皇に仕え、法皇の出家に従って出家した。法名は寛蓮。碁の名手として知られた。新古今集1人物と作品を見る 田辺福麻呂たなべのさきまろ生没年未詳奈良時代の官人・歌人。橘諸兄に仕え、宮廷歌人として都の讃歌などを残した。巻第六の終わりの21首は『田辺福麻呂歌集』から採られている。万葉集31人物と作品を見る 丹波大女娘子たにわのおおめおとめ生没年未詳伝未詳。万葉集3人物と作品を見る 田部櫟子たべのいちひこ生没年未詳奈良時代の官人。大宰府に赴任した。万葉集4人物と作品を見る 手持女王たもちのおおきみ生没年未詳伝未詳。河内王の妻とみられる。万葉集3人物と作品を見る 朝恵法師ちょうえほうし生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む 奝然ちょうねん938–1016東大寺の僧。永観元年(983年)に宋に渡り、帰国の際に釈迦如来像(清凉寺の本尊)をもたらした。新古今集1人物と作品を見る 通観つうかん生没年未詳奈良時代の僧。327番の作者と同じ人とみられる。万葉集2歌を読む 調首淡海つきのおびとおうみ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集3人物と作品を見る 調使首つきのおみのおびと生没年未詳伝未詳。巻十三に、備後国の神島の浜で行き倒れた人の屍を見て作った長歌と反歌を残す。万葉集5人物と作品を見る 土御門右大臣女つちみかどのうだいじんのむすめ生没年未詳(十一世紀)源師房の娘。藤原通房の妻。新古今集1歌を読む 角麻呂つぬのまろ生没年未詳伝未詳。万葉集4人物と作品を見る 常康親王つねやすしんのう?–869仁明天皇の皇子。天皇の崩御を嘆いて出家し、紫野の雲林院に住んだ。古今集1歌を読む 角広弁つののこうべん生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 津守国基つもりのくにもと1023–1102住吉社の神主。和歌を好み、『後拾遺和歌集』の撰者藤原通俊に自分の歌を採らせようとした逸話で知られる。新古今集1人物と作品を見る
天智天皇てんじてんのう626–671舒明天皇の皇子で、即位前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれた。645年、中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討ち(乙巳の変)、大化の改新を進めた。668年、近江大津宮で即位。百人一首1万葉集2新古今集1人物と作品を見る 天武天皇てんむてんのう?–686舒明天皇の皇子で、天智天皇の弟。大海人皇子。壬申の乱(672)で大友皇子を破って即位した(在位673–686)。吉野は乱の挙兵の地で、天皇にとって特別な場所であった。万葉集5人物と作品を見る
道因法師どういんほうし1090–1182頃俗名は藤原敦頼。右馬助などを務め、80歳を過ぎてから出家した。和歌への執心が深く、秀歌が詠めるよう、七、八十歳まで毎月住吉神社に参詣したと伝えられる。90歳を過ぎても歌会に熱心に出席した。百人一首1新古今集4人物と作品を見る 道命法師どうみょうほうし974–1020大納言藤原道綱の子で、右大将道綱母の孫。天王寺別当を務めた。読経の美声で知られ、和泉式部との交渉を伝える説話がある。中古三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 登蓮とうれん生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。歌林苑の会衆の一人。新古今集1歌を読む 俊成女としなりのむすめ1171?–1254?藤原俊成の孫で、養女となった。源通具の妻。後鳥羽院に仕え、千五百番歌合などで活躍した。余情に富む妖艶な歌風で、新古今時代を代表する女性歌人。新古今集30人物と作品を見る 舎人娘子とねりのおとめ7世紀末〜8世紀初め舎人氏の女性で、宮廷に仕えたとみられる。舎人皇子との贈答歌(巻第二)も残る。万葉集4人物と作品を見る 舎人皇子とねりのみこ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む 舎人吉年とねりのよしとし年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む 鳥羽院とばいん1103–1156第七十四代天皇。堀河天皇の皇子。譲位後、崇徳・近衛・後白河の三代にわたり院政をしいた。新古今集2人物と作品を見る 具平親王ともひらしんのう964–1009村上天皇の皇子。中務卿を務めた。博学で詩歌にすぐれ、後中書王と呼ばれた。新古今集8人物と作品を見る 土理宣令とりのせんりょう生没年未詳奈良時代初めの文人。懐風藻にも詩が残る。万葉集2歌を読む な
22人長田王ながたのおおきみ?–737奈良時代前期の王族。和銅5年(712)に伊勢の斎宮に遣わされた。のち衛門督・刑部卿などを務めた。万葉集6人物と作品を見る 中務なかつかさ912?–991?宇多天皇の皇子敦慶親王と歌人伊勢の娘。村上天皇の時代の歌壇で活躍した。三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 中皇命なかつすめらみこと7世紀前半誰を指すかは諸説ある。舒明天皇の皇女で孝徳天皇の皇后となった間人皇女とする説、のちの皇極(斉明)天皇とする説などがある。歌は間人連老(はしひとのむらじおゆ)が天皇に献上したと題詞にある。万葉集5人物と作品を見る 中臣東人なかとみのあずまひと生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 中臣女郎なかとみのいらつめ生没年未詳伝未詳。大伴家持に恋の歌を贈った女性。万葉集5人物と作品を見る 中臣武良自なかとみのむらじ生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 中臣宅守なかとみのやかもり生没年未詳(八世紀中頃)中臣東人の子。狭野弟上娘子を妻としたころ越前国に流された(罪の理由ははっきりしない)。その間に娘子と交わした贈答歌が巻十五に載る。のち許されて都に戻った。万葉集38人物と作品を見る 中大兄皇子なかのおおえのおうじ626–671舒明天皇の皇子。645年に中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討ち(乙巳の変)、大化の改新を進めた。のち近江大津宮で即位して天智天皇となった。百人一首の第1首の作者でもある。万葉集3人物と作品を見る 長意吉麻呂ながのおきまろ7世紀後半〜8世紀初め長忌寸意吉麻呂(奥麻呂)。持統・文武天皇の時代の歌人。宴席で即興の歌や、物の名を詠みこむ機知に富んだ歌を多く詠んだ。万葉集13人物と作品を見る 長皇子ながのみこ?–715天武天皇の皇子。母は天智天皇の皇女の大江皇女。弓削皇子の同母の兄。万葉集に数首の歌を残す。万葉集5人物と作品を見る 長屋王ながやのおおきみ684–729天武天皇の孫で、高市皇子の子。のちに左大臣となって政治の中心に立ったが、神亀6年(729)、藤原氏の策謀により謀反の疑いをかけられて自害した(長屋王の変)。万葉集5人物と作品を見る 難波天皇の妹なにわのすめらみことのいろと伝承の時代難波天皇(仁徳天皇とされる)の妹。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 難波万雄なにわのよろずお生没年未詳経歴はわからない。古今集1歌を読む 丹生女王にうのおおきみ生没年未詳奈良時代の女王。大伴旅人と親交があった。万葉集6人物と作品を見る 二条にじょう生没年未詳源至の娘と伝える女房。古今集1歌を読む
二条院讃岐にじょういんのさぬき1141頃–1217頃源頼政の娘。二条天皇に仕え、のちに後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に仕えた。この歌によって「沖の石の讃岐」と呼ばれた。父の頼政は、以仁王とともに平家打倒の兵を挙げて敗死した武将・歌人である。百人一首1新古今集16人物と作品を見る 二条后にじょうのきさき842–910藤原長良の娘で、清和天皇の女御となり陽成天皇を産んだ。のち皇太后。若い頃の在原業平との恋が『伊勢物語』に描かれる。古今集1人物と作品を見る 日蔵にちぞう905?–985?平安中期の真言宗の僧。吉野の金峰山で修行し、冥界をめぐって菅原道真に会ったという説話で知られる。新古今集1人物と作品を見る 仁徳天皇にんとくてんのう伝説上の天皇第十六代天皇とされる。応神天皇の皇子。民の窮乏を知って課役を三年間免じたという聖帝の伝えがある。新古今集1人物と作品を見る 額田王ぬかたのおおきみ生没年未詳(7世紀後半)鏡王の娘とされる。はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に仕えて十市皇女を産み、のち天智天皇の宮廷で活躍した。第1期を代表する歌人。左注には、天智天皇の御歌とする伝えも記されている。万葉集15人物と作品を見る 抜気大首ぬきけのおおびと未詳伝未詳。筑紫に赴任した官人。万葉集3人物と作品を見る
能因法師のういんほうし988–1050頃俗名は橘永愷(たちばなのながやす)。若くして出家し、摂津国古曽部に住んだ。各地の歌枕を求めて旅を重ねた漂泊の歌人で、歌枕を集めた『能因歌枕』を著した。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集10人物と作品を見る
二条院讃岐にじょういんのさぬき1141頃–1217頃源頼政の娘。二条天皇に仕え、のちに後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に仕えた。この歌によって「沖の石の讃岐」と呼ばれた。父の頼政は、以仁王とともに平家打倒の兵を挙げて敗死した武将・歌人である。百人一首1新古今集16人物と作品を見る 二条后にじょうのきさき842–910藤原長良の娘で、清和天皇の女御となり陽成天皇を産んだ。のち皇太后。若い頃の在原業平との恋が『伊勢物語』に描かれる。古今集1人物と作品を見る 日蔵にちぞう905?–985?平安中期の真言宗の僧。吉野の金峰山で修行し、冥界をめぐって菅原道真に会ったという説話で知られる。新古今集1人物と作品を見る 仁徳天皇にんとくてんのう伝説上の天皇第十六代天皇とされる。応神天皇の皇子。民の窮乏を知って課役を三年間免じたという聖帝の伝えがある。新古今集1人物と作品を見る 額田王ぬかたのおおきみ生没年未詳(7世紀後半)鏡王の娘とされる。はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に仕えて十市皇女を産み、のち天智天皇の宮廷で活躍した。第1期を代表する歌人。左注には、天智天皇の御歌とする伝えも記されている。万葉集15人物と作品を見る 抜気大首ぬきけのおおびと未詳伝未詳。筑紫に赴任した官人。万葉集3人物と作品を見る
能因法師のういんほうし988–1050頃俗名は橘永愷(たちばなのながやす)。若くして出家し、摂津国古曽部に住んだ。各地の歌枕を求めて旅を重ねた漂泊の歌人で、歌枕を集めた『能因歌枕』を著した。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集10人物と作品を見る は
206人博通法師はくつうほうし生没年未詳伝未詳の僧。万葉集3人物と作品を見る 間人大浦はしひとのおおうら生没年未詳伝未詳。万葉集2歌を読む 間人宿禰はしひとのすくね生没年未詳名は伝わらない。間人氏の人。万葉集2歌を読む 波多少足はたのおたり生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 秦間満はたのはしまろ生没年未詳(八世紀前半)天平八年(736)に新羅へ遣わされた使節の一行の一人。巻十五の遣新羅使の歌群に歌がある。万葉集1人物と作品を見る 秦八千島はたのやちしま生没年未詳(八世紀中頃)越中国の大目(国司の第四等官)。国守の大伴家持らを館に招いて宴を開き、歌を詠んだ。万葉集1人物と作品を見る 八条院高倉はちじょういんのたかくら生没年未詳(十二世紀後半〜十三世紀前半)藤原惟方の娘とされ、鳥羽天皇の皇女八条院暲子内親王に仕えた女房。後鳥羽院の歌壇で活躍した。新古今集8人物と作品を見る 八条院六条はちじょういんのろくじょう生没年未詳(十二世紀後半)八条院暲子内親王に仕えた女房。新古今集1歌を読む 花園左大臣室はなぞののさだいじんのしつ生没年未詳(十二世紀)花園左大臣源有仁の妻。藤原公実の娘。新古今集1歌を読む 土師水通はにしのみみち生没年未詳大宰府の官人。巻第十六に戯れの歌がある。万葉集2歌を読む 祝部允仲はふりべのただなか生没年未詳(十二世紀末)日吉社の禰宜。祝部成仲の一族。新古今集1歌を読む 祝部成仲はふりべのなりなか1099–1191近江の日吉社の神職(禰宜)。歌林苑の歌人と交わり、多くの歌合に出詠した。新古今集5人物と作品を見る 祝部成茂はふりべのなりもち1180–1254日吉社の禰宜。祝部成仲の孫。新古今集1歌を読む 播磨娘子はりまのおとめ未詳播磨国の女性。国司として赴任していた石河大夫と親しんだ。万葉集2歌を読む
春道列樹はるみちのつらき?–920平安時代前期の歌人。文章生から大宰大典などを経て、壱岐守に任じられたが、赴任する前に亡くなった。伝わる歌は少ない。百人一首1古今集3人物と作品を見る 東三条院ひがしさんじょういん962–1001藤原詮子。藤原兼家の娘。円融天皇の女御で、一条天皇の母。女院号のはじめ。新古今集2歌を読む 肥後ひご生没年未詳(十一世紀後半〜十二世紀初め)藤原定成の娘。二条関白藤原教通家や、堀河天皇の中宮篤子内親王に仕えた女房。新古今集5人物と作品を見る 常陸娘子ひたちのおとめ生没年未詳常陸国の女性。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 美福門院加賀びふくもんいんのかが?–1193藤原親忠の娘。はじめ藤原為経(寂超)の妻となり隆信を生み、のち藤原俊成の妻となって定家を生んだ。美福門院に仕えた。新古今集1人物と作品を見る 兵衛ひょうえ生没年未詳藤原高経の娘で、宮仕えした女性歌人。古今集2歌を読む 広河女王ひろかわのおおきみ生没年未詳穂積皇子の孫。上道王の娘。万葉集2歌を読む 葛井大成ふじいのおおなり生没年未詳奈良時代の官人。筑後守を務め、梅花の宴にも加わった。万葉集2歌を読む 葛井子老ふじいのこおゆ生没年未詳(八世紀前半)天平八年(736)の遣新羅使の一行の一人。壱岐で病死した雪連宅満を悼む挽歌を作った。万葉集3人物と作品を見る 葛井広成ふじいのひろなり生没年未詳奈良時代の官人・文人。駅使として大宰府を訪れた。懐風藻にも詩が残る。万葉集1歌を読む 藤原顕季ふじわらのあきすえ1055–1123藤原隆経の子。白河院の近臣で、修理大夫に至った。六条藤家の祖で、人麻呂影供を始めた。新古今集1人物と作品を見る
藤原顕輔ふじわらのあきすけ1090–1155藤原顕季の子。歌道の家・六条藤家を父から継いだ。崇徳院の命により『詞花和歌集』を撰集した。左京大夫・正三位に至る。藤原清輔(第84首)の父。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 藤原顕綱ふじわらのあきつな1029–1103藤原兼経の子。讃岐守などを務めた。歌人讃岐典侍の父。新古今集2歌を読む 藤原顕仲ふじわらのあきなか1059–1129源顕房の子で、藤原氏の養子となった。『堀河百首』の作者の一人。新古今集3人物と作品を見る 藤原顕長ふじわらのあきなが1118–1167藤原顕隆の子。権中納言に至った。新古今集1歌を読む
藤原朝忠ふじわらのあさただ910–966三条右大臣藤原定方(第25首)の五男。中納言に至った。笙の名手として知られた。天徳内裏歌合などで活躍し、『大和物語』には恋の逸話が残る。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集1人物と作品を見る 藤原朝光ふじわらのあさてる951–995藤原兼通の子。大納言・左大将に至った。新古今集3人物と作品を見る 藤原敦家ふじわらのあついえ1033–1090藤原兼経の子。伊予守などを務めた。笙・篳篥など管絃の名手として知られる。新古今集1歌を読む
藤原敦忠ふじわらのあつただ906–943左大臣藤原時平の三男。美男で琵琶・和歌にすぐれ、「枇杷中納言」とも呼ばれた。権中納言に至ったが、38歳の若さで亡くなった。父の時平が菅原道真(第24首)を左遷したため、その祟りで早世したとも噂された。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 藤原洽子ふじわらのあまねいこ生没年未詳典侍(ないしのすけ)を務めた女官。古今集1歌を読む 藤原有家ふじわらのありいえ1155–1216藤原重家の子で、六条藤家の歌人。『新古今和歌集』の撰者の一人。大蔵卿に至った。新古今集19人物と作品を見る
藤原家隆ふじわらのいえたか1158–1237藤原光隆の子。藤原俊成に和歌を学び、『新古今和歌集』の撰者の一人となった。藤原定家と並び称される歌人で、生涯に六万首を詠んだと伝えられる。承久の乱で隠岐に流された後鳥羽院とも、変わらず歌のやりとりを続けた。従二位に至り、「壬生二品」と呼ばれた。百人一首1新古今集43人物と作品を見る 藤原家経ふじわらのいえつね992–1058藤原資業の子。文章博士・式部権大輔などを務めた。漢詩文と和歌にすぐれた。新古今集2歌を読む 藤原家衡ふじわらのいえひら1180–1240?藤原経家の子。後鳥羽院の歌壇で活躍し、千五百番歌合などに出詠した。新古今集2歌を読む 藤原家房ふじわらのいえふさ1167–1196藤原基房の子。中宮大夫・権大納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原家通ふじわらのいえみち1143–1187藤原重通の子。権中納言・右衛門督に至った。新古今集2歌を読む 藤原宇合ふじわらのうまかい694–737藤原不比等の三男で、藤原式家の祖。遣唐副使として唐に渡り、のち式部卿・参議となった。漢詩文にもすぐれ、『懐風藻』に多くの詩を残す。万葉集6新古今集1人物と作品を見る
藤原興風ふじわらのおきかぜ生没年未詳(9世紀末〜10世紀初め)平安時代前期の歌人。相模掾・下総大掾など地方官を務めた。管絃、とくに琴の名手として知られた。寛平御時后宮歌合などに出詠している。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集17新古今集4人物と作品を見る 藤原勝臣ふじわらのかちおん生没年未詳(九世紀後半)藤原南家の人で、大宰少弐・阿波守などを務めたと伝える。古今集4人物と作品を見る 藤原兼家ふじわらのかねいえ929–990藤原師輔の子。摂政・太政大臣に至った。道隆・道長らの父。東三条殿に住んだ。新古今集2歌を読む
藤原兼輔ふじわらのかねすけ877–933平安時代前期の公卿・歌人。賀茂川の堤のそばに邸があったことから「堤中納言」と呼ばれた。紀貫之・凡河内躬恒ら歌人を庇護し、その邸は歌人たちの交流の場となった。紫式部の曾祖父。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集4新古今集7人物と作品を見る 藤原兼房ふじわらのかねふさ1001–1069藤原兼隆の子。讃岐守などを務めた。夢に人麻呂を見て、その姿を描かせたという話が伝わる。新古今集1人物と作品を見る 藤原兼通ふじわらのかねみち925–977藤原師輔の子で、伊尹の弟。関白・太政大臣に至った。弟の兼家と激しく対立した。諡は忠義公。新古今集1人物と作品を見る 藤原兼光ふじわらのかねみつ1145–1196藤原資長の子。権中納言に至った。日野家の人。新古今集1歌を読む 藤原兼宗ふじわらのかねむね1163–1242藤原忠親の子。権中納言に至った。新古今集2歌を読む 藤原兼茂ふじわらのかねもち?–923藤原利基の子で、藤原兼輔の兄。参議に至った。古今集2歌を読む 藤原鎌足ふじわらのかまたり614–669中臣鎌足。中大兄皇子とともに蘇我氏を倒し、大化の改新を進めた。天智天皇の信任が厚く、亡くなる直前に大織冠と藤原の姓を賜った。藤原氏の祖。万葉集3人物と作品を見る 藤原清河ふじわらのきよかわ生没年未詳(八世紀)藤原房前の子。天平勝宝四年(752)に遣唐大使として唐に渡ったが、帰りの船が難破して唐に戻り、唐の朝廷に仕えたまま帰国できずに没した。万葉集2人物と作品を見る
藤原清輔ふじわらのきよすけ1104–1177左京大夫藤原顕輔(第79首)の子。歌道の家・六条藤家を継いだ。若いころは父と不仲で、官位にも恵まれなかった。和歌の学問に通じ、歌学書『袋草紙』『奥義抄』を著した。二条天皇の命で『続詞花和歌集』を撰集したが、天皇の死によって勅撰集とはならなかった。百人一首1新古今集12人物と作品を見る 藤原清正ふじわらのきよただ?–958藤原兼輔の子。紀伊守などを務めた。三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 藤原公実ふじわらのきんざね1053–1107藤原実季の子。権大納言に至った。『堀河百首』の作者の一人。新古今集1歌を読む 藤原公継ふじわらのきんつぐ1175–1227藤原実定の子。左大臣に至った。徳大寺家を継いだ。新古今集5人物と作品を見る
藤原公経ふじわらのきんつね1171–1244藤原実宗の子で、西園寺家の祖。妻が源頼朝の姪だったことから鎌倉幕府と結びつき、承久の乱では幕府側について勝利した。乱後は太政大臣となり、朝廷で絶大な権勢をふるった。京都・北山に西園寺を建て、その地はのちに金閣寺となった。藤原定家の妻の弟にあたる。百人一首1新古今集10人物と作品を見る
藤原公任ふじわらのきんとう966–1041関白藤原頼忠の子。和歌・漢詩・管絃のいずれにもすぐれ、「三船の才」とたたえられた。『和漢朗詠集』を編み、『三十六人撰』で三十六歌仙を選んだ。歌論書『新撰髄脳』『和歌九品』を著すなど、当代随一の文化人だった。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 藤原公衡ふじわらのきんひら1158–1193藤原公保の子。左近衛中将に至った。新古今集4人物と作品を見る 藤原公通ふじわらのきんみち1117–1173藤原通季の子。按察使・権大納言に至った。新古今集3人物と作品を見る 藤原公能ふじわらのきんよし1115–1161藤原実能の子で、実定の父。右大臣に至った。大炊御門右大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原国経ふじわらのくにつね828–908藤原長良の子で、二条后高子の兄。大納言に至った。古今集1歌を読む 藤原国房ふじわらのくにふさ生没年未詳(十一世紀)藤原定成の子。河内守などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原妍子ふじわらのけんし994–1027藤原道長の娘。三条天皇の中宮。枇杷殿に住んだので枇杷皇太后宮と呼ばれた。新古今集2歌を読む 藤原言直ふじわらのことなお生没年未詳大和権掾などを務めたと伝える。古今集1歌を読む 藤原伊家ふじわらのこれいえ1048–1084藤原公基の子。周防内侍と交流があった。新古今集1歌を読む 藤原惟方ふじわらのこれかた1125–?藤原顕頼の子。参議・左兵衛督に至った。平治の乱ののち配流され、のち許されて出家した。新古今集1人物と作品を見る 藤原惟成ふじわらのこれしげ953–989藤原雅材の子。花山天皇の側近として政治を動かしたが、天皇の出家に従って出家した。新古今集5人物と作品を見る
藤原伊尹ふじわらのこれただ924–972右大臣藤原師輔の長男。摂政・太政大臣に至り、「一条摂政」と呼ばれた。和歌所の別当として『後撰和歌集』の撰集を監督した。容姿に優れ、風流を好んだ。家集『一条摂政御集』がある。藤原義孝(第50首)の父。「謙徳公」は死後に贈られた名。百人一首1新古今集10人物と作品を見る 藤原伊綱ふじわらのこれつな生没年未詳(十二世紀後半)藤原頼輔の子。歌合などに出詠した。新古今集1歌を読む 藤原惟幹ふじわらのこれもと?–902?経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
藤原定家ふじわらのさだいえ1162–1241藤原俊成(第83首)の子。後鳥羽院の命で『新古今和歌集』の撰者の一人となり、のちに後堀河天皇の命で『新勅撰和歌集』を単独で撰んだ。歌論書『近代秀歌』『毎月抄』、日記『明月記』を残し、古典の書写・校訂にも力を尽くした。この小倉百人一首の撰者とされる。百人一首1新古今集46人物と作品を見る
藤原定方ふじわらのさだかた873–932内大臣藤原高藤の子。姉の胤子が宇多天皇の女御となり醍醐天皇を産んだため、醍醐天皇の外戚として重んじられ、右大臣に至った。京の三条に邸があったことから「三条右大臣」と呼ばれる。管絃にも通じ、歌壇の後援者でもあった。紫式部の曾祖父にあたる。百人一首1古今集1人物と作品を見る
藤原定頼ふじわらのさだより995–1045大納言藤原公任(第55首)の子。権中納言に至った。美声で読経にすぐれ、書や和歌にも才能を示した。小式部内侍(第60首)をからかって見事にやりこめられた逸話で知られる。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集4人物と作品を見る 藤原実家ふじわらのさねいえ1145–1193藤原公能の子で、実定の弟。大納言に至った。新古今集1歌を読む
藤原実方ふじわらのさねかた?–998左大臣藤原師尹の孫。左近衛中将まで昇り、風流な貴公子として知られた。清少納言とも親しかった。のちに陸奥守として東北に下り、その地で亡くなった。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集12人物と作品を見る
藤原実定ふじわらのさねさだ1139–1192右大臣徳大寺公能の子で、藤原俊成の甥、藤原定家の従兄にあたる。左大臣に至った。祖父の実能が「徳大寺左大臣」と呼ばれたので、区別して「後徳大寺」と呼ばれる。管絃・和歌にすぐれ、『平家物語』にも風流な人物として登場する。百人一首1新古今集16人物と作品を見る 藤原実資ふじわらのさねすけ957–1046藤原斉敏の子で、祖父実頼の養子。右大臣に至った。日記『小右記』を残した。新古今集1歌を読む 藤原実房ふじわらのさねふさ1147–1225藤原公教の子。左大臣に至り、のち出家した。三条家の人。新古今集4人物と作品を見る 藤原実宗ふじわらのさねむね1145–1212藤原公通の子。内大臣に至った。西園寺公経の父。新古今集1歌を読む 藤原実行ふじわらのさねゆき1080–1162藤原公実の子。太政大臣に至った。八条太政大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原実能ふじわらのさねよし1096–1157藤原公実の子。左大臣に至った。徳大寺を建て、徳大寺家の祖となった。新古今集1歌を読む 藤原実頼ふじわらのさねより900–970藤原忠平の子。関白・太政大臣に至った。小野宮家の祖。諡は清慎公。新古今集4人物と作品を見る 藤原重家ふじわらのしげいえ1128–1180藤原顕輔の子で、清輔の弟。大宰大弐を務めた。六条藤家の歌人で、有家の父。新古今集4人物と作品を見る 藤原成範ふじわらのしげのり1135–1187藤原通憲(信西)の子。民部卿・中納言に至った。桜を好み、桜町中納言と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原季経ふじわらのすえつね1131–1221藤原顕輔の子で、清輔の弟。正三位に至った。六条藤家の歌人。新古今集1歌を読む 藤原季縄ふじわらのすえなわ?–919藤原千乗の子。右近少将などを務めた。交野の少将と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原季通ふじわらのすえみち生没年未詳(十二世紀)藤原宗通の子。琵琶・箏の名手として知られた。新古今集1歌を読む 藤原季能ふじわらのすえよし1153–1211藤原俊盛の子。正三位に至った。後鳥羽院の歌壇で正治百首などに出詠した。底本は作者を「正三位秀能」と刷るが、流布本の多くと新編国歌大観は「正三位季能」とする。新古今集3人物と作品を見る 藤原菅根ふじわらのすがね856–908文章生出身の学者で、醍醐天皇の侍読を務めた。参議に至った。古今集1歌を読む 藤原資実ふじわらのすけざね1162–1223藤原兼光の子。権中納言に至った。新古今集2歌を読む 藤原資隆ふじわらのすけたか生没年未詳(十二世紀)藤原重兼の子。少納言などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原輔尹ふじわらのすけただ生没年未詳(十世紀末〜十一世紀初め)藤原興方の子。大和守などを務めた。新古今集3人物と作品を見る 藤原資仲ふじわらのすけなか1021–1087藤原資平の子。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原資業ふじわらのすけなり988–1070藤原有国の子。文章博士・式部大輔などを務めた。日野家の祖。新古今集1歌を読む 藤原資宗ふじわらのすけむね生没年未詳(十一世紀)藤原頼宗の孫。後冷泉天皇の時代の殿上人。新古今集1歌を読む 藤原生子ふじわらのせいし1014–1068藤原教通の娘。後朱雀天皇の女御。新古今集3人物と作品を見る 藤原関雄ふじわらのせきお805–853藤原真夏の子。官途を好まず、東山の山荘に隠れ住んで「東山進士」と呼ばれた。琴・書にも優れた。古今集2人物と作品を見る 藤原隆家ふじわらのたかいえ979–1044藤原道隆の子で、伊周・中宮定子の弟。中納言に至った。大宰権帥のとき刀伊の入寇を撃退した。新古今集1人物と作品を見る 藤原隆季ふじわらのたかすえ1127–1185藤原家成の子。大納言に至った。四条家の人。新古今集1歌を読む 藤原高遠ふじわらのたかとお949–1013藤原実頼の孫で、藤原公任の従兄。大宰大弐となって筑紫に下った。和歌と管絃にすぐれた。新古今集3人物と作品を見る 藤原隆時ふじわらのたかとき?–1100?藤原清綱の子。白河院の近臣で、因幡守などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原隆信ふじわらのたかのぶ1142–1205藤原為経の子で、母は美福門院加賀。藤原定家の異父兄。似絵(肖像画)の名手として知られる。新古今集3人物と作品を見る 藤原隆房ふじわらのたかふさ1148–1209藤原隆季の子。権大納言に至った。平清盛の娘を妻とした。新古今集2歌を読む 藤原高光ふじわらのたかみつ940?–994藤原師輔の子。右少将のとき比叡山で出家し、のち多武峰に移った。その出家は『多武峰少将物語』に描かれる。三十六歌仙の一人。新古今集6人物と作品を見る 藤原孝善ふじわらのたかよし生没年未詳(十一世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 藤原忠家ふじわらのただいえ1033–1091藤原長家の子で、俊成の祖父。大納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原忠定ふじわらのたださだ1188–1256藤原兼宗の子。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原忠実ふじわらのただざね1078–1162藤原師通の子。関白・太政大臣に至った。忠通・頼長の父。宇治に住み、知足院と号した。新古今集2人物と作品を見る 藤原忠経ふじわらのただつね1173–1229藤原兼房の子。右大臣に至った。新古今集3人物と作品を見る 藤原斉信ふじわらのただのぶ967–1035藤原為光の子。大納言に至った。一条朝の四納言の一人で、『枕草子』にも登場する。新古今集1歌を読む 藤原忠教ふじわらのただのり1076–1141藤原師実の子。大納言に至った。新古今集1歌を読む
藤原忠平ふじわらのただひら880–949関白藤原基経の四男。兄の時平が早世したのち藤氏の長者となり、朱雀天皇・村上天皇の時代に摂政・関白・太政大臣を歴任した。温和な人柄で、のちの摂関家の基礎を築いた。「貞信公」は死後に贈られた名。百人一首1新古今集1人物と作品を見る 藤原忠房ふじわらのただふさ?–928藤原興嗣の子。山城守・右京大夫などを務めた。管絃に長じ、舞楽「胡蝶」を作ったと伝える。古今集4人物と作品を見る
藤原忠通ふじわらのただみち1097–1164関白藤原忠実の子。鳥羽・崇徳・近衛・後白河の四代にわたって摂政・関白を務めた。弟の頼長と対立し、保元の乱(1156年)では後白河天皇の側について勝利した。書道にすぐれ、法性寺流の祖とされる。晩年は出家して法性寺に住んだ。慈円(第95首)の父。百人一首1新古今集5人物と作品を見る 藤原忠行ふじわらのただゆき?–906経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 藤原忠良ふじわらのただよし1164–1225藤原基実の子。大納言に至った。後鳥羽院の歌壇で千五百番歌合などに出詠した。新古今集5人物と作品を見る 藤原為忠ふじわらのためただ?–1136藤原知信の子。安芸守などを務めた。常盤に住み、子の為業・為経(寂超)・頼業(寂然)らと歌合を催した。新古今集1人物と作品を見る 藤原為時ふじわらのためとき?–1029?藤原雅正の子で、紫式部の父。越前守・越後守を務めた。漢詩文にすぐれた。新古今集1歌を読む 藤原為頼ふじわらのためより?–998藤原雅正の子。紫式部の伯父。新古今集1歌を読む 藤原親隆ふじわらのちかたか1099–1165藤原為房の子。参議に至った。新古今集1歌を読む 藤原親経ふじわらのちかつね1151–1210藤原俊経の子。文章博士・式部大輔などを務めた漢学者。後鳥羽院の立場で真名序を書いた。新古今集人物と作品を見る 藤原経家ふじわらのつねいえ1149–1209藤原重家の子。正三位に至った。六条藤家の歌人。新古今集2歌を読む 藤原恒佐ふじわらのつねすけ879–938藤原良世の子。右大臣に至った。一条右大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原経衡ふじわらのつねひら1005–1072藤原公業の子。筑前守などを務めた。和歌六人党の一人。新古今集2歌を読む 藤原経通ふじわらのつねみち生没年未詳(十二世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 藤原定子ふじわらのていし977–1001関白藤原道隆の娘。一条天皇の中宮、のち皇后。清少納言が仕え、『枕草子』にその後宮が描かれる。新古今集1人物と作品を見る 藤原時平ふじわらのときひら871–909藤原基経の子。醍醐天皇のもとで左大臣となり、菅原道真を大宰府に左遷させた。『古今和歌集』の時代の政界の第一人者。古今集2人物と作品を見る 藤原俊忠ふじわらのとしただ1073–1123藤原忠家の子で、俊成の父、定家の祖父。権中納言に至った。新古今集4人物と作品を見る
藤原俊成ふじわらのとしなり1114–1204藤原俊忠の子。藤原基俊(第75首)に和歌を学び、後白河院の命で『千載和歌集』を撰集した。「幽玄」の美を重んじ、歌論書『古来風体抄』を著した。和歌の家・御子左家の基礎を築き、91歳の長寿を保った。藤原定家(第97首)の父。百人一首1新古今集70人物と作品を見る
藤原敏行ふじわらのとしゆき?–901頃(907説もある)平安時代前期の歌人・書家。蔵人頭・右兵衛督などを務めた。能書家として知られ、京都・神護寺の鐘の銘文を書いたと伝えられる。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集17人物と作品を見る 藤原知家ふじわらのともいえ1182–1258藤原顕家の子。正三位に至った。定家に師事したが、のち反御子左家の立場をとった。新古今集1歌を読む 藤原執弓ふじわらのとりゆみ?–764藤原仲麻呂の子で、のち真先と名を改めた。播磨介のとき、巻二十に歌を残す。父の乱で討たれた。万葉集1人物と作品を見る 藤原直子ふじわらのなおいこ生没年未詳典侍(ないしのすけ)を務めた女官。古今集1歌を読む 藤原長家ふじわらのながいえ1005–1064藤原道長の子。権大納言に至った。御子左家の祖で、藤原定家の曽祖父にあたる。新古今集4人物と作品を見る 藤原長方ふじわらのながかた1139–1191藤原顕長の子で、藤原俊成の甥。権中納言に至った。新古今集4人物と作品を見る 藤原仲実ふじわらのなかざね1057–1118藤原能成の子。越前守・備中守などを務めた。堀河天皇の歌壇で活躍し、『堀河百首』の作者の一人。歌学書『綺語抄』を著した。新古今集1人物と作品を見る 藤原長実ふじわらのながざね1075–1133藤原顕季の子。権中納言に至り、のち左大臣を追贈された。娘は鳥羽天皇の皇后美福門院得子。新古今集1人物と作品を見る 藤原長能ふじわらのながとう949?–1009?藤原倫寧の子で、右大将道綱母の弟。花山院の歌壇で活躍した。能因法師の歌の師とされる。中古三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 藤原永範ふじわらのながのり1106–1180藤原永実の子。文章博士・宮内卿などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原仲平ふじわらのなかひら875–945藤原基経の子で、時平・忠平の兄弟。左大臣に至った。若い頃に伊勢と恋仲であった。古今集1歌を読む 藤原仲文ふじわらのなかふみ923–992藤原公葛の子。信濃守などを務めた。三十六歌仙の一人。新古今集1歌を読む 藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ706–764藤原武智麻呂の子。叔母の光明皇太后の信任を得て権勢をふるい、淳仁天皇から恵美押勝の名を賜った。のち道鏡と対立して乱を起こし、近江で敗死した。万葉集1人物と作品を見る 藤原業清ふじわらのなりきよ生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)後鳥羽院の時代の歌人。新古今集2歌を読む 藤原済時ふじわらのなりとき941–995藤原師尹の子。大納言・右大将に至った。娘の娍子は三条天皇の皇后。新古今集1歌を読む 藤原成通ふじわらのなりみち1097–1162?藤原宗通の子。大納言に至った。蹴鞠の名手として知られる。新古今集1歌を読む 藤原後蔭ふじわらののちかげ?–921中納言藤原有穂の子。備前守などを務め、唐物使として大宰府に下った。古今集1歌を読む 藤原範兼ふじわらののりかね1107–1165藤原能兼の子。刑部卿に至った。学者として知られ、歌学書『和歌童蒙抄』や歌枕の書『五代集歌枕』を著した。新古今集6人物と作品を見る 藤原教長ふじわらののりなが1109–1180?大納言藤原忠教の子。参議に至った。崇徳院の近臣で、保元の乱で常陸に流され、のち許されて出家した。書と和歌にすぐれ、古今集の注釈書『古今集註』を著した。新古今集1人物と作品を見る 藤原範永ふじわらののりなが生没年未詳(十一世紀)藤原中清の子。尾張守などを務めた。和歌六人党の一人。新古今集3人物と作品を見る 藤原範光ふじわらののりみつ1154–1213藤原範兼の子。民部卿に至った。後鳥羽院の近臣。新古今集2歌を読む 藤原秀能ふじわらのひでよし1184–1240後鳥羽院の北面・西面の武士。和歌所の寄人として院に重んじられた。承久の乱で院方として戦い、のち出家して如願と号した。新古今集17人物と作品を見る 藤原広嗣ふじわらのひろつぐ?–740藤原宇合の子。大宰少弐のとき反乱を起こし、敗れて処刑された(藤原広嗣の乱)。万葉集2歌を読む 藤原夫人ふじわらのぶにん生没年未詳藤原鎌足の娘、五百重娘。天武天皇の夫人で、新田部皇子の母。大原大刀自ともいう。万葉集3人物と作品を見る 藤原卿ふじわらのまえつきみ生没年未詳藤原氏の高官。藤原房前・麻呂などとする説がある。万葉集7人物と作品を見る
藤原雅経ふじわらのまさつね1170–1221藤原頼経の子で、和歌と蹴鞠の家・飛鳥井家の祖。蹴鞠の名手として知られた。『新古今和歌集』の撰者の一人。源頼朝・実朝に重んじられ、京と鎌倉を行き来して、鴨長明を実朝に紹介したとも伝えられる。百人一首1新古今集22人物と作品を見る 藤原正光ふじわらのまさみつ957–1014藤原兼通の子。参議に至った。新古今集1歌を読む 藤原麻呂ふじわらのまろ695–737藤原不比等の四男で、京家の祖。京職大夫などを務めた。坂上郎女と恋の歌を交わした。万葉集3人物と作品を見る
藤原道綱母ふじわらのみちつなのはは936頃–995伊勢守藤原倫寧の娘。藤原兼家の妻となり、道綱を産んだ。本朝三美人の一人に数えられる。兼家との結婚生活の苦悩を綴った『蜻蛉日記』の作者で、女流日記文学の先駆けとなった。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 藤原道経ふじわらのみちつね生没年未詳(十二世紀)藤原顕綱の子。新古今集3人物と作品を見る 藤原通俊ふじわらのみちとし1047–1099藤原経平の子。権中納言に至った。白河天皇の命で『後拾遺和歌集』を撰んだ。新古今集2歌を読む 藤原道長ふじわらのみちなが966–1027藤原兼家の子。娘たちを后に立てて摂政・太政大臣となり、摂関政治の全盛を築いた。法成寺を建て、法成寺入道と呼ばれた。新古今集4人物と作品を見る
藤原道信ふじわらのみちのぶ972–994太政大臣藤原為光の子で、藤原兼家の養子となった。和歌にすぐれ、将来を期待されたが、23歳の若さで亡くなった。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集9人物と作品を見る
藤原道雅ふじわらのみちまさ992–1054藤原伊周の子で、儀同三司母(第54首)の孫。父の失脚によって一家は没落した。三条天皇の皇女当子内親王との恋が発覚して天皇の怒りを買い、その後も素行の荒さから「荒三位」と呼ばれた。晩年は左京大夫として過ごした。百人一首1人物と作品を見る 藤原光範ふじわらのみつのり1126–1213藤原永範の子。文章博士・式部大輔などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原宮の役民ふじわらのみやのえきみん7世紀末藤原宮の造営に徴発されて働いた民。ただし、歌の内容や技巧から、柿本人麻呂など宮廷の歌人が役民の立場に立って作ったものと考えられている。万葉集1人物と作品を見る 藤原元真ふじわらのもとざね生没年未詳(十世紀)藤原清邦の子。甲斐守などを務めた。屏風歌や歌合で活躍した。三十六歌仙の一人。新古今集8人物と作品を見る 藤原基輔ふじわらのもとすけ生没年未詳(十二世紀)藤原基家の子とされる。新古今集1歌を読む
藤原基俊ふじわらのもととし1060–1142右大臣藤原俊家の子で、藤原道長の曾孫にあたる。名門の出身ながら官位には恵まれなかった。和歌・漢詩に通じ、伝統を重んじる歌風で、源俊頼(第74首)と並ぶ歌壇の重鎮となった。藤原俊成(第83首)の師。百人一首1新古今集7人物と作品を見る 藤原盛方ふじわらのもりかた1137–1178藤原顕時の子。新古今集1歌を読む 藤原師氏ふじわらのもろうじ913–970藤原忠平の子。権大納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原師実ふじわらのもろざね1042–1101藤原頼通の子。白河天皇のもとで摂政・関白を務めた。京極殿に住んだので京極前関白と呼ばれる。新古今集1人物と作品を見る 藤原師輔ふじわらのもろすけ908–960藤原忠平の子。右大臣に至った。娘の安子は村上天皇の中宮。九条家の祖で、日記『九暦』を残した。新古今集1人物と作品を見る 藤原師通ふじわらのもろみち1062–1099藤原師実の子。関白・内大臣に至った。日記『後二条師通記』を残した。新古今集2歌を読む 藤原保季ふじわらのやすすえ1171–1240?藤原隆範の子。歌合などに出詠した。新古今集3人物と作品を見る 藤原八束ふじわらのやつか715–766藤原房前の子で、のちに真楯と名を改めた。大納言に至った。家持と親しかった。万葉集6人物と作品を見る 藤原行能ふじわらのゆきよし1179–?藤原伊経の子。世尊寺流の書家で、和歌所の寄人の一人として歌合などに出詠した。新古今集1歌を読む 藤原好風ふじわらのよしかぜ生没年未詳春宮の帯刀(たちはき)の陣に仕えた武官と伝える。古今集1歌を読む
藤原義孝ふじわらのよしたか954–974謙徳公藤原伊尹(第45首)の三男。容姿端麗で、仏道に深く帰依した。21歳の若さで天然痘にかかり、兄の挙賢と同じ日に亡くなった。子の藤原行成は、三蹟の一人として知られる能書家となった。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集2人物と作品を見る
藤原良経ふじわらのよしつね1169–1206関白九条兼実の子で、藤原忠通(第76首)の孫。摂政・太政大臣に至った。和歌・漢詩・書にすぐれ、『新古今和歌集』の仮名序を書いた。叔父の慈円(第95首)や藤原定家らと親しく、新古今時代の歌壇を支えたが、38歳で急死した。百人一首1新古今集79人物と作品を見る 藤原良平ふじわらのよしひら1184–1240九条兼実の子で、良経の弟。太政大臣に至った。後鳥羽院の歌壇で千五百番歌合などに出詠した。新古今集2人物と作品を見る 藤原良房ふじわらのよしふさ804–872藤原冬嗣の子。娘明子の産んだ清和天皇の外祖父として、臣下で初めて摂政となり、太政大臣に至った。白河殿(染殿)に住んだ。古今集1人物と作品を見る 藤原頼実ふじわらのよりざね1155–1225藤原経宗の子。太政大臣に至った。後鳥羽院の歌壇で正治百首などに出詠した。新古今集5人物と作品を見る 藤原頼輔ふじわらのよりすけ1112–1186藤原忠教の子。刑部卿に至った。蹴鞠の名手で、難波家の祖とされる。新古今集3人物と作品を見る 藤原頼忠ふじわらのよりただ924–989藤原実頼の子で、公任の父。関白・太政大臣に至った。諡は廉義公。新古今集1歌を読む 藤原頼通ふじわらのよりみち992–1074藤原道長の子。後一条・後朱雀・後冷泉の三代にわたって約五十年間摂政・関白を務め、宇治の平等院を建立した。宇治殿・宇治前関白と呼ばれる。新古今集1人物と作品を見る 藤原頼宗ふじわらのよりむね993–1065藤原道長の子。右大臣に至った。堀河右大臣と呼ばれる。新古今集2歌を読む 藤原因香ふじわらのよるか生没年未詳(九世紀後半)藤原高藤の娘とも伝える女官で、典侍(ないしのすけ)を務めた。古今集4人物と作品を見る 吹芡刀自ふふきのとじ7世紀後半十市皇女に仕えた女性とみられる。左注にも「未だ詳ならず」とあり、どのような人物かはわかっていない。万葉集3人物と作品を見る 布留今道ふるのいまみち生没年未詳(九世紀後半)内匠頭・三河介などを務めた。大和の石上(布留)の地にちなむ氏の人。古今集3人物と作品を見る 振田向宿禰ふるのたむけのすくね未詳伝未詳。筑紫に赴任していた官人。万葉集1歌を読む
文屋朝康ふんやのあさやす生没年未詳(9世紀末〜10世紀初め)文屋康秀(第22首)の子。大舎人大允・大膳少進などを務めた下級官人。寛平御時后宮歌合などに出詠した。伝わる歌は少ない。百人一首1古今集1人物と作品を見る 文屋有季ふんやのありすえ生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
文屋康秀ふんやのやすひで生没年未詳(9世紀後半)平安時代前期の歌人。地方官や縫殿助などを務めた下級官人。六歌仙の一人。三河国に赴任する際、小野小町を誘ったという逸話が『古今和歌集』に見える。百人一首1古今集5人物と作品を見る 平城天皇へいぜいてんのう774–824桓武天皇の皇子(在位806–809)。譲位後、平城京に移り、薬子の変(810)ののち出家した。在原業平の祖父にあたる。古今集1人物と作品を見る 日置少老へきのおおゆ生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 日置長枝娘子へきのながえおとめ生没年未詳大伴家持と歌を交わした女性。万葉集2歌を読む 平群氏女郎へぐりうじのいらつめ生没年未詳(八世紀中頃)越中守として赴任していた大伴家持に、十二首の恋の歌を贈った女性。巻十七に載る。万葉集12人物と作品を見る 弁べん生没年未詳(十二世紀)平安後期の女房歌人。新古今集1歌を読む 弁基べんき生没年未詳左注に、春日老(282・284・286番の作者)の僧であったときの名かとある。万葉集1歌を読む 弁乳母べんのめのと生没年未詳(十一世紀)加賀守藤原順時の娘。後冷泉天皇の乳母を務めた女房歌人。新古今集2歌を読む 法円ほうえん生没年未詳(十一世紀)平安中期の僧。新古今集1歌を読む 穂積老ほづみのおゆ?–749奈良時代の官人。養老6年(722)、天皇を非難した罪で佐渡に流され、のちに許されて都に戻った。万葉集1人物と作品を見る 穂積皇子ほづみのみこ?–715天武天皇の皇子。知太政官事を務めた。異母妹の但馬皇女との恋の歌で知られ、晩年には大伴坂上郎女を妻とした。万葉集4人物と作品を見る 堀河院ほりかわいん1079–1107第七十三代天皇。白河天皇の皇子。和歌・管絃を好み、その歌壇から『堀河百首』が生まれた。新古今集1人物と作品を見る 本院侍従ほんいんのじじゅう生没年未詳(十世紀)藤原時平の邸本院に仕えた女房。藤原兼通との恋で知られる。新古今集1歌を読む
春道列樹はるみちのつらき?–920平安時代前期の歌人。文章生から大宰大典などを経て、壱岐守に任じられたが、赴任する前に亡くなった。伝わる歌は少ない。百人一首1古今集3人物と作品を見る 東三条院ひがしさんじょういん962–1001藤原詮子。藤原兼家の娘。円融天皇の女御で、一条天皇の母。女院号のはじめ。新古今集2歌を読む 肥後ひご生没年未詳(十一世紀後半〜十二世紀初め)藤原定成の娘。二条関白藤原教通家や、堀河天皇の中宮篤子内親王に仕えた女房。新古今集5人物と作品を見る 常陸娘子ひたちのおとめ生没年未詳常陸国の女性。名は伝わらない。万葉集1歌を読む 美福門院加賀びふくもんいんのかが?–1193藤原親忠の娘。はじめ藤原為経(寂超)の妻となり隆信を生み、のち藤原俊成の妻となって定家を生んだ。美福門院に仕えた。新古今集1人物と作品を見る 兵衛ひょうえ生没年未詳藤原高経の娘で、宮仕えした女性歌人。古今集2歌を読む 広河女王ひろかわのおおきみ生没年未詳穂積皇子の孫。上道王の娘。万葉集2歌を読む 葛井大成ふじいのおおなり生没年未詳奈良時代の官人。筑後守を務め、梅花の宴にも加わった。万葉集2歌を読む 葛井子老ふじいのこおゆ生没年未詳(八世紀前半)天平八年(736)の遣新羅使の一行の一人。壱岐で病死した雪連宅満を悼む挽歌を作った。万葉集3人物と作品を見る 葛井広成ふじいのひろなり生没年未詳奈良時代の官人・文人。駅使として大宰府を訪れた。懐風藻にも詩が残る。万葉集1歌を読む 藤原顕季ふじわらのあきすえ1055–1123藤原隆経の子。白河院の近臣で、修理大夫に至った。六条藤家の祖で、人麻呂影供を始めた。新古今集1人物と作品を見る
藤原顕輔ふじわらのあきすけ1090–1155藤原顕季の子。歌道の家・六条藤家を父から継いだ。崇徳院の命により『詞花和歌集』を撰集した。左京大夫・正三位に至る。藤原清輔(第84首)の父。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 藤原顕綱ふじわらのあきつな1029–1103藤原兼経の子。讃岐守などを務めた。歌人讃岐典侍の父。新古今集2歌を読む 藤原顕仲ふじわらのあきなか1059–1129源顕房の子で、藤原氏の養子となった。『堀河百首』の作者の一人。新古今集3人物と作品を見る 藤原顕長ふじわらのあきなが1118–1167藤原顕隆の子。権中納言に至った。新古今集1歌を読む
藤原朝忠ふじわらのあさただ910–966三条右大臣藤原定方(第25首)の五男。中納言に至った。笙の名手として知られた。天徳内裏歌合などで活躍し、『大和物語』には恋の逸話が残る。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集1人物と作品を見る 藤原朝光ふじわらのあさてる951–995藤原兼通の子。大納言・左大将に至った。新古今集3人物と作品を見る 藤原敦家ふじわらのあついえ1033–1090藤原兼経の子。伊予守などを務めた。笙・篳篥など管絃の名手として知られる。新古今集1歌を読む
藤原敦忠ふじわらのあつただ906–943左大臣藤原時平の三男。美男で琵琶・和歌にすぐれ、「枇杷中納言」とも呼ばれた。権中納言に至ったが、38歳の若さで亡くなった。父の時平が菅原道真(第24首)を左遷したため、その祟りで早世したとも噂された。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 藤原洽子ふじわらのあまねいこ生没年未詳典侍(ないしのすけ)を務めた女官。古今集1歌を読む 藤原有家ふじわらのありいえ1155–1216藤原重家の子で、六条藤家の歌人。『新古今和歌集』の撰者の一人。大蔵卿に至った。新古今集19人物と作品を見る
藤原家隆ふじわらのいえたか1158–1237藤原光隆の子。藤原俊成に和歌を学び、『新古今和歌集』の撰者の一人となった。藤原定家と並び称される歌人で、生涯に六万首を詠んだと伝えられる。承久の乱で隠岐に流された後鳥羽院とも、変わらず歌のやりとりを続けた。従二位に至り、「壬生二品」と呼ばれた。百人一首1新古今集43人物と作品を見る 藤原家経ふじわらのいえつね992–1058藤原資業の子。文章博士・式部権大輔などを務めた。漢詩文と和歌にすぐれた。新古今集2歌を読む 藤原家衡ふじわらのいえひら1180–1240?藤原経家の子。後鳥羽院の歌壇で活躍し、千五百番歌合などに出詠した。新古今集2歌を読む 藤原家房ふじわらのいえふさ1167–1196藤原基房の子。中宮大夫・権大納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原家通ふじわらのいえみち1143–1187藤原重通の子。権中納言・右衛門督に至った。新古今集2歌を読む 藤原宇合ふじわらのうまかい694–737藤原不比等の三男で、藤原式家の祖。遣唐副使として唐に渡り、のち式部卿・参議となった。漢詩文にもすぐれ、『懐風藻』に多くの詩を残す。万葉集6新古今集1人物と作品を見る
藤原興風ふじわらのおきかぜ生没年未詳(9世紀末〜10世紀初め)平安時代前期の歌人。相模掾・下総大掾など地方官を務めた。管絃、とくに琴の名手として知られた。寛平御時后宮歌合などに出詠している。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集17新古今集4人物と作品を見る 藤原勝臣ふじわらのかちおん生没年未詳(九世紀後半)藤原南家の人で、大宰少弐・阿波守などを務めたと伝える。古今集4人物と作品を見る 藤原兼家ふじわらのかねいえ929–990藤原師輔の子。摂政・太政大臣に至った。道隆・道長らの父。東三条殿に住んだ。新古今集2歌を読む
藤原兼輔ふじわらのかねすけ877–933平安時代前期の公卿・歌人。賀茂川の堤のそばに邸があったことから「堤中納言」と呼ばれた。紀貫之・凡河内躬恒ら歌人を庇護し、その邸は歌人たちの交流の場となった。紫式部の曾祖父。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集4新古今集7人物と作品を見る 藤原兼房ふじわらのかねふさ1001–1069藤原兼隆の子。讃岐守などを務めた。夢に人麻呂を見て、その姿を描かせたという話が伝わる。新古今集1人物と作品を見る 藤原兼通ふじわらのかねみち925–977藤原師輔の子で、伊尹の弟。関白・太政大臣に至った。弟の兼家と激しく対立した。諡は忠義公。新古今集1人物と作品を見る 藤原兼光ふじわらのかねみつ1145–1196藤原資長の子。権中納言に至った。日野家の人。新古今集1歌を読む 藤原兼宗ふじわらのかねむね1163–1242藤原忠親の子。権中納言に至った。新古今集2歌を読む 藤原兼茂ふじわらのかねもち?–923藤原利基の子で、藤原兼輔の兄。参議に至った。古今集2歌を読む 藤原鎌足ふじわらのかまたり614–669中臣鎌足。中大兄皇子とともに蘇我氏を倒し、大化の改新を進めた。天智天皇の信任が厚く、亡くなる直前に大織冠と藤原の姓を賜った。藤原氏の祖。万葉集3人物と作品を見る 藤原清河ふじわらのきよかわ生没年未詳(八世紀)藤原房前の子。天平勝宝四年(752)に遣唐大使として唐に渡ったが、帰りの船が難破して唐に戻り、唐の朝廷に仕えたまま帰国できずに没した。万葉集2人物と作品を見る
藤原清輔ふじわらのきよすけ1104–1177左京大夫藤原顕輔(第79首)の子。歌道の家・六条藤家を継いだ。若いころは父と不仲で、官位にも恵まれなかった。和歌の学問に通じ、歌学書『袋草紙』『奥義抄』を著した。二条天皇の命で『続詞花和歌集』を撰集したが、天皇の死によって勅撰集とはならなかった。百人一首1新古今集12人物と作品を見る 藤原清正ふじわらのきよただ?–958藤原兼輔の子。紀伊守などを務めた。三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 藤原公実ふじわらのきんざね1053–1107藤原実季の子。権大納言に至った。『堀河百首』の作者の一人。新古今集1歌を読む 藤原公継ふじわらのきんつぐ1175–1227藤原実定の子。左大臣に至った。徳大寺家を継いだ。新古今集5人物と作品を見る
藤原公経ふじわらのきんつね1171–1244藤原実宗の子で、西園寺家の祖。妻が源頼朝の姪だったことから鎌倉幕府と結びつき、承久の乱では幕府側について勝利した。乱後は太政大臣となり、朝廷で絶大な権勢をふるった。京都・北山に西園寺を建て、その地はのちに金閣寺となった。藤原定家の妻の弟にあたる。百人一首1新古今集10人物と作品を見る
藤原公任ふじわらのきんとう966–1041関白藤原頼忠の子。和歌・漢詩・管絃のいずれにもすぐれ、「三船の才」とたたえられた。『和漢朗詠集』を編み、『三十六人撰』で三十六歌仙を選んだ。歌論書『新撰髄脳』『和歌九品』を著すなど、当代随一の文化人だった。百人一首1新古今集6人物と作品を見る 藤原公衡ふじわらのきんひら1158–1193藤原公保の子。左近衛中将に至った。新古今集4人物と作品を見る 藤原公通ふじわらのきんみち1117–1173藤原通季の子。按察使・権大納言に至った。新古今集3人物と作品を見る 藤原公能ふじわらのきんよし1115–1161藤原実能の子で、実定の父。右大臣に至った。大炊御門右大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原国経ふじわらのくにつね828–908藤原長良の子で、二条后高子の兄。大納言に至った。古今集1歌を読む 藤原国房ふじわらのくにふさ生没年未詳(十一世紀)藤原定成の子。河内守などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原妍子ふじわらのけんし994–1027藤原道長の娘。三条天皇の中宮。枇杷殿に住んだので枇杷皇太后宮と呼ばれた。新古今集2歌を読む 藤原言直ふじわらのことなお生没年未詳大和権掾などを務めたと伝える。古今集1歌を読む 藤原伊家ふじわらのこれいえ1048–1084藤原公基の子。周防内侍と交流があった。新古今集1歌を読む 藤原惟方ふじわらのこれかた1125–?藤原顕頼の子。参議・左兵衛督に至った。平治の乱ののち配流され、のち許されて出家した。新古今集1人物と作品を見る 藤原惟成ふじわらのこれしげ953–989藤原雅材の子。花山天皇の側近として政治を動かしたが、天皇の出家に従って出家した。新古今集5人物と作品を見る
藤原伊尹ふじわらのこれただ924–972右大臣藤原師輔の長男。摂政・太政大臣に至り、「一条摂政」と呼ばれた。和歌所の別当として『後撰和歌集』の撰集を監督した。容姿に優れ、風流を好んだ。家集『一条摂政御集』がある。藤原義孝(第50首)の父。「謙徳公」は死後に贈られた名。百人一首1新古今集10人物と作品を見る 藤原伊綱ふじわらのこれつな生没年未詳(十二世紀後半)藤原頼輔の子。歌合などに出詠した。新古今集1歌を読む 藤原惟幹ふじわらのこれもと?–902?経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
藤原定家ふじわらのさだいえ1162–1241藤原俊成(第83首)の子。後鳥羽院の命で『新古今和歌集』の撰者の一人となり、のちに後堀河天皇の命で『新勅撰和歌集』を単独で撰んだ。歌論書『近代秀歌』『毎月抄』、日記『明月記』を残し、古典の書写・校訂にも力を尽くした。この小倉百人一首の撰者とされる。百人一首1新古今集46人物と作品を見る
藤原定方ふじわらのさだかた873–932内大臣藤原高藤の子。姉の胤子が宇多天皇の女御となり醍醐天皇を産んだため、醍醐天皇の外戚として重んじられ、右大臣に至った。京の三条に邸があったことから「三条右大臣」と呼ばれる。管絃にも通じ、歌壇の後援者でもあった。紫式部の曾祖父にあたる。百人一首1古今集1人物と作品を見る
藤原定頼ふじわらのさだより995–1045大納言藤原公任(第55首)の子。権中納言に至った。美声で読経にすぐれ、書や和歌にも才能を示した。小式部内侍(第60首)をからかって見事にやりこめられた逸話で知られる。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集4人物と作品を見る 藤原実家ふじわらのさねいえ1145–1193藤原公能の子で、実定の弟。大納言に至った。新古今集1歌を読む
藤原実方ふじわらのさねかた?–998左大臣藤原師尹の孫。左近衛中将まで昇り、風流な貴公子として知られた。清少納言とも親しかった。のちに陸奥守として東北に下り、その地で亡くなった。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集12人物と作品を見る
藤原実定ふじわらのさねさだ1139–1192右大臣徳大寺公能の子で、藤原俊成の甥、藤原定家の従兄にあたる。左大臣に至った。祖父の実能が「徳大寺左大臣」と呼ばれたので、区別して「後徳大寺」と呼ばれる。管絃・和歌にすぐれ、『平家物語』にも風流な人物として登場する。百人一首1新古今集16人物と作品を見る 藤原実資ふじわらのさねすけ957–1046藤原斉敏の子で、祖父実頼の養子。右大臣に至った。日記『小右記』を残した。新古今集1歌を読む 藤原実房ふじわらのさねふさ1147–1225藤原公教の子。左大臣に至り、のち出家した。三条家の人。新古今集4人物と作品を見る 藤原実宗ふじわらのさねむね1145–1212藤原公通の子。内大臣に至った。西園寺公経の父。新古今集1歌を読む 藤原実行ふじわらのさねゆき1080–1162藤原公実の子。太政大臣に至った。八条太政大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原実能ふじわらのさねよし1096–1157藤原公実の子。左大臣に至った。徳大寺を建て、徳大寺家の祖となった。新古今集1歌を読む 藤原実頼ふじわらのさねより900–970藤原忠平の子。関白・太政大臣に至った。小野宮家の祖。諡は清慎公。新古今集4人物と作品を見る 藤原重家ふじわらのしげいえ1128–1180藤原顕輔の子で、清輔の弟。大宰大弐を務めた。六条藤家の歌人で、有家の父。新古今集4人物と作品を見る 藤原成範ふじわらのしげのり1135–1187藤原通憲(信西)の子。民部卿・中納言に至った。桜を好み、桜町中納言と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原季経ふじわらのすえつね1131–1221藤原顕輔の子で、清輔の弟。正三位に至った。六条藤家の歌人。新古今集1歌を読む 藤原季縄ふじわらのすえなわ?–919藤原千乗の子。右近少将などを務めた。交野の少将と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原季通ふじわらのすえみち生没年未詳(十二世紀)藤原宗通の子。琵琶・箏の名手として知られた。新古今集1歌を読む 藤原季能ふじわらのすえよし1153–1211藤原俊盛の子。正三位に至った。後鳥羽院の歌壇で正治百首などに出詠した。底本は作者を「正三位秀能」と刷るが、流布本の多くと新編国歌大観は「正三位季能」とする。新古今集3人物と作品を見る 藤原菅根ふじわらのすがね856–908文章生出身の学者で、醍醐天皇の侍読を務めた。参議に至った。古今集1歌を読む 藤原資実ふじわらのすけざね1162–1223藤原兼光の子。権中納言に至った。新古今集2歌を読む 藤原資隆ふじわらのすけたか生没年未詳(十二世紀)藤原重兼の子。少納言などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原輔尹ふじわらのすけただ生没年未詳(十世紀末〜十一世紀初め)藤原興方の子。大和守などを務めた。新古今集3人物と作品を見る 藤原資仲ふじわらのすけなか1021–1087藤原資平の子。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原資業ふじわらのすけなり988–1070藤原有国の子。文章博士・式部大輔などを務めた。日野家の祖。新古今集1歌を読む 藤原資宗ふじわらのすけむね生没年未詳(十一世紀)藤原頼宗の孫。後冷泉天皇の時代の殿上人。新古今集1歌を読む 藤原生子ふじわらのせいし1014–1068藤原教通の娘。後朱雀天皇の女御。新古今集3人物と作品を見る 藤原関雄ふじわらのせきお805–853藤原真夏の子。官途を好まず、東山の山荘に隠れ住んで「東山進士」と呼ばれた。琴・書にも優れた。古今集2人物と作品を見る 藤原隆家ふじわらのたかいえ979–1044藤原道隆の子で、伊周・中宮定子の弟。中納言に至った。大宰権帥のとき刀伊の入寇を撃退した。新古今集1人物と作品を見る 藤原隆季ふじわらのたかすえ1127–1185藤原家成の子。大納言に至った。四条家の人。新古今集1歌を読む 藤原高遠ふじわらのたかとお949–1013藤原実頼の孫で、藤原公任の従兄。大宰大弐となって筑紫に下った。和歌と管絃にすぐれた。新古今集3人物と作品を見る 藤原隆時ふじわらのたかとき?–1100?藤原清綱の子。白河院の近臣で、因幡守などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原隆信ふじわらのたかのぶ1142–1205藤原為経の子で、母は美福門院加賀。藤原定家の異父兄。似絵(肖像画)の名手として知られる。新古今集3人物と作品を見る 藤原隆房ふじわらのたかふさ1148–1209藤原隆季の子。権大納言に至った。平清盛の娘を妻とした。新古今集2歌を読む 藤原高光ふじわらのたかみつ940?–994藤原師輔の子。右少将のとき比叡山で出家し、のち多武峰に移った。その出家は『多武峰少将物語』に描かれる。三十六歌仙の一人。新古今集6人物と作品を見る 藤原孝善ふじわらのたかよし生没年未詳(十一世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 藤原忠家ふじわらのただいえ1033–1091藤原長家の子で、俊成の祖父。大納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原忠定ふじわらのたださだ1188–1256藤原兼宗の子。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原忠実ふじわらのただざね1078–1162藤原師通の子。関白・太政大臣に至った。忠通・頼長の父。宇治に住み、知足院と号した。新古今集2人物と作品を見る 藤原忠経ふじわらのただつね1173–1229藤原兼房の子。右大臣に至った。新古今集3人物と作品を見る 藤原斉信ふじわらのただのぶ967–1035藤原為光の子。大納言に至った。一条朝の四納言の一人で、『枕草子』にも登場する。新古今集1歌を読む 藤原忠教ふじわらのただのり1076–1141藤原師実の子。大納言に至った。新古今集1歌を読む
藤原忠平ふじわらのただひら880–949関白藤原基経の四男。兄の時平が早世したのち藤氏の長者となり、朱雀天皇・村上天皇の時代に摂政・関白・太政大臣を歴任した。温和な人柄で、のちの摂関家の基礎を築いた。「貞信公」は死後に贈られた名。百人一首1新古今集1人物と作品を見る 藤原忠房ふじわらのただふさ?–928藤原興嗣の子。山城守・右京大夫などを務めた。管絃に長じ、舞楽「胡蝶」を作ったと伝える。古今集4人物と作品を見る
藤原忠通ふじわらのただみち1097–1164関白藤原忠実の子。鳥羽・崇徳・近衛・後白河の四代にわたって摂政・関白を務めた。弟の頼長と対立し、保元の乱(1156年)では後白河天皇の側について勝利した。書道にすぐれ、法性寺流の祖とされる。晩年は出家して法性寺に住んだ。慈円(第95首)の父。百人一首1新古今集5人物と作品を見る 藤原忠行ふじわらのただゆき?–906経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 藤原忠良ふじわらのただよし1164–1225藤原基実の子。大納言に至った。後鳥羽院の歌壇で千五百番歌合などに出詠した。新古今集5人物と作品を見る 藤原為忠ふじわらのためただ?–1136藤原知信の子。安芸守などを務めた。常盤に住み、子の為業・為経(寂超)・頼業(寂然)らと歌合を催した。新古今集1人物と作品を見る 藤原為時ふじわらのためとき?–1029?藤原雅正の子で、紫式部の父。越前守・越後守を務めた。漢詩文にすぐれた。新古今集1歌を読む 藤原為頼ふじわらのためより?–998藤原雅正の子。紫式部の伯父。新古今集1歌を読む 藤原親隆ふじわらのちかたか1099–1165藤原為房の子。参議に至った。新古今集1歌を読む 藤原親経ふじわらのちかつね1151–1210藤原俊経の子。文章博士・式部大輔などを務めた漢学者。後鳥羽院の立場で真名序を書いた。新古今集人物と作品を見る 藤原経家ふじわらのつねいえ1149–1209藤原重家の子。正三位に至った。六条藤家の歌人。新古今集2歌を読む 藤原恒佐ふじわらのつねすけ879–938藤原良世の子。右大臣に至った。一条右大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 藤原経衡ふじわらのつねひら1005–1072藤原公業の子。筑前守などを務めた。和歌六人党の一人。新古今集2歌を読む 藤原経通ふじわらのつねみち生没年未詳(十二世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 藤原定子ふじわらのていし977–1001関白藤原道隆の娘。一条天皇の中宮、のち皇后。清少納言が仕え、『枕草子』にその後宮が描かれる。新古今集1人物と作品を見る 藤原時平ふじわらのときひら871–909藤原基経の子。醍醐天皇のもとで左大臣となり、菅原道真を大宰府に左遷させた。『古今和歌集』の時代の政界の第一人者。古今集2人物と作品を見る 藤原俊忠ふじわらのとしただ1073–1123藤原忠家の子で、俊成の父、定家の祖父。権中納言に至った。新古今集4人物と作品を見る
藤原俊成ふじわらのとしなり1114–1204藤原俊忠の子。藤原基俊(第75首)に和歌を学び、後白河院の命で『千載和歌集』を撰集した。「幽玄」の美を重んじ、歌論書『古来風体抄』を著した。和歌の家・御子左家の基礎を築き、91歳の長寿を保った。藤原定家(第97首)の父。百人一首1新古今集70人物と作品を見る
藤原敏行ふじわらのとしゆき?–901頃(907説もある)平安時代前期の歌人・書家。蔵人頭・右兵衛督などを務めた。能書家として知られ、京都・神護寺の鐘の銘文を書いたと伝えられる。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集17人物と作品を見る 藤原知家ふじわらのともいえ1182–1258藤原顕家の子。正三位に至った。定家に師事したが、のち反御子左家の立場をとった。新古今集1歌を読む 藤原執弓ふじわらのとりゆみ?–764藤原仲麻呂の子で、のち真先と名を改めた。播磨介のとき、巻二十に歌を残す。父の乱で討たれた。万葉集1人物と作品を見る 藤原直子ふじわらのなおいこ生没年未詳典侍(ないしのすけ)を務めた女官。古今集1歌を読む 藤原長家ふじわらのながいえ1005–1064藤原道長の子。権大納言に至った。御子左家の祖で、藤原定家の曽祖父にあたる。新古今集4人物と作品を見る 藤原長方ふじわらのながかた1139–1191藤原顕長の子で、藤原俊成の甥。権中納言に至った。新古今集4人物と作品を見る 藤原仲実ふじわらのなかざね1057–1118藤原能成の子。越前守・備中守などを務めた。堀河天皇の歌壇で活躍し、『堀河百首』の作者の一人。歌学書『綺語抄』を著した。新古今集1人物と作品を見る 藤原長実ふじわらのながざね1075–1133藤原顕季の子。権中納言に至り、のち左大臣を追贈された。娘は鳥羽天皇の皇后美福門院得子。新古今集1人物と作品を見る 藤原長能ふじわらのながとう949?–1009?藤原倫寧の子で、右大将道綱母の弟。花山院の歌壇で活躍した。能因法師の歌の師とされる。中古三十六歌仙の一人。新古今集4人物と作品を見る 藤原永範ふじわらのながのり1106–1180藤原永実の子。文章博士・宮内卿などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原仲平ふじわらのなかひら875–945藤原基経の子で、時平・忠平の兄弟。左大臣に至った。若い頃に伊勢と恋仲であった。古今集1歌を読む 藤原仲文ふじわらのなかふみ923–992藤原公葛の子。信濃守などを務めた。三十六歌仙の一人。新古今集1歌を読む 藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ706–764藤原武智麻呂の子。叔母の光明皇太后の信任を得て権勢をふるい、淳仁天皇から恵美押勝の名を賜った。のち道鏡と対立して乱を起こし、近江で敗死した。万葉集1人物と作品を見る 藤原業清ふじわらのなりきよ生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀初め)後鳥羽院の時代の歌人。新古今集2歌を読む 藤原済時ふじわらのなりとき941–995藤原師尹の子。大納言・右大将に至った。娘の娍子は三条天皇の皇后。新古今集1歌を読む 藤原成通ふじわらのなりみち1097–1162?藤原宗通の子。大納言に至った。蹴鞠の名手として知られる。新古今集1歌を読む 藤原後蔭ふじわらののちかげ?–921中納言藤原有穂の子。備前守などを務め、唐物使として大宰府に下った。古今集1歌を読む 藤原範兼ふじわらののりかね1107–1165藤原能兼の子。刑部卿に至った。学者として知られ、歌学書『和歌童蒙抄』や歌枕の書『五代集歌枕』を著した。新古今集6人物と作品を見る 藤原教長ふじわらののりなが1109–1180?大納言藤原忠教の子。参議に至った。崇徳院の近臣で、保元の乱で常陸に流され、のち許されて出家した。書と和歌にすぐれ、古今集の注釈書『古今集註』を著した。新古今集1人物と作品を見る 藤原範永ふじわらののりなが生没年未詳(十一世紀)藤原中清の子。尾張守などを務めた。和歌六人党の一人。新古今集3人物と作品を見る 藤原範光ふじわらののりみつ1154–1213藤原範兼の子。民部卿に至った。後鳥羽院の近臣。新古今集2歌を読む 藤原秀能ふじわらのひでよし1184–1240後鳥羽院の北面・西面の武士。和歌所の寄人として院に重んじられた。承久の乱で院方として戦い、のち出家して如願と号した。新古今集17人物と作品を見る 藤原広嗣ふじわらのひろつぐ?–740藤原宇合の子。大宰少弐のとき反乱を起こし、敗れて処刑された(藤原広嗣の乱)。万葉集2歌を読む 藤原夫人ふじわらのぶにん生没年未詳藤原鎌足の娘、五百重娘。天武天皇の夫人で、新田部皇子の母。大原大刀自ともいう。万葉集3人物と作品を見る 藤原卿ふじわらのまえつきみ生没年未詳藤原氏の高官。藤原房前・麻呂などとする説がある。万葉集7人物と作品を見る
藤原雅経ふじわらのまさつね1170–1221藤原頼経の子で、和歌と蹴鞠の家・飛鳥井家の祖。蹴鞠の名手として知られた。『新古今和歌集』の撰者の一人。源頼朝・実朝に重んじられ、京と鎌倉を行き来して、鴨長明を実朝に紹介したとも伝えられる。百人一首1新古今集22人物と作品を見る 藤原正光ふじわらのまさみつ957–1014藤原兼通の子。参議に至った。新古今集1歌を読む 藤原麻呂ふじわらのまろ695–737藤原不比等の四男で、京家の祖。京職大夫などを務めた。坂上郎女と恋の歌を交わした。万葉集3人物と作品を見る
藤原道綱母ふじわらのみちつなのはは936頃–995伊勢守藤原倫寧の娘。藤原兼家の妻となり、道綱を産んだ。本朝三美人の一人に数えられる。兼家との結婚生活の苦悩を綴った『蜻蛉日記』の作者で、女流日記文学の先駆けとなった。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 藤原道経ふじわらのみちつね生没年未詳(十二世紀)藤原顕綱の子。新古今集3人物と作品を見る 藤原通俊ふじわらのみちとし1047–1099藤原経平の子。権中納言に至った。白河天皇の命で『後拾遺和歌集』を撰んだ。新古今集2歌を読む 藤原道長ふじわらのみちなが966–1027藤原兼家の子。娘たちを后に立てて摂政・太政大臣となり、摂関政治の全盛を築いた。法成寺を建て、法成寺入道と呼ばれた。新古今集4人物と作品を見る
藤原道信ふじわらのみちのぶ972–994太政大臣藤原為光の子で、藤原兼家の養子となった。和歌にすぐれ、将来を期待されたが、23歳の若さで亡くなった。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集9人物と作品を見る
藤原道雅ふじわらのみちまさ992–1054藤原伊周の子で、儀同三司母(第54首)の孫。父の失脚によって一家は没落した。三条天皇の皇女当子内親王との恋が発覚して天皇の怒りを買い、その後も素行の荒さから「荒三位」と呼ばれた。晩年は左京大夫として過ごした。百人一首1人物と作品を見る 藤原光範ふじわらのみつのり1126–1213藤原永範の子。文章博士・式部大輔などを務めた。新古今集1歌を読む 藤原宮の役民ふじわらのみやのえきみん7世紀末藤原宮の造営に徴発されて働いた民。ただし、歌の内容や技巧から、柿本人麻呂など宮廷の歌人が役民の立場に立って作ったものと考えられている。万葉集1人物と作品を見る 藤原元真ふじわらのもとざね生没年未詳(十世紀)藤原清邦の子。甲斐守などを務めた。屏風歌や歌合で活躍した。三十六歌仙の一人。新古今集8人物と作品を見る 藤原基輔ふじわらのもとすけ生没年未詳(十二世紀)藤原基家の子とされる。新古今集1歌を読む
藤原基俊ふじわらのもととし1060–1142右大臣藤原俊家の子で、藤原道長の曾孫にあたる。名門の出身ながら官位には恵まれなかった。和歌・漢詩に通じ、伝統を重んじる歌風で、源俊頼(第74首)と並ぶ歌壇の重鎮となった。藤原俊成(第83首)の師。百人一首1新古今集7人物と作品を見る 藤原盛方ふじわらのもりかた1137–1178藤原顕時の子。新古今集1歌を読む 藤原師氏ふじわらのもろうじ913–970藤原忠平の子。権大納言に至った。新古今集1歌を読む 藤原師実ふじわらのもろざね1042–1101藤原頼通の子。白河天皇のもとで摂政・関白を務めた。京極殿に住んだので京極前関白と呼ばれる。新古今集1人物と作品を見る 藤原師輔ふじわらのもろすけ908–960藤原忠平の子。右大臣に至った。娘の安子は村上天皇の中宮。九条家の祖で、日記『九暦』を残した。新古今集1人物と作品を見る 藤原師通ふじわらのもろみち1062–1099藤原師実の子。関白・内大臣に至った。日記『後二条師通記』を残した。新古今集2歌を読む 藤原保季ふじわらのやすすえ1171–1240?藤原隆範の子。歌合などに出詠した。新古今集3人物と作品を見る 藤原八束ふじわらのやつか715–766藤原房前の子で、のちに真楯と名を改めた。大納言に至った。家持と親しかった。万葉集6人物と作品を見る 藤原行能ふじわらのゆきよし1179–?藤原伊経の子。世尊寺流の書家で、和歌所の寄人の一人として歌合などに出詠した。新古今集1歌を読む 藤原好風ふじわらのよしかぜ生没年未詳春宮の帯刀(たちはき)の陣に仕えた武官と伝える。古今集1歌を読む
藤原義孝ふじわらのよしたか954–974謙徳公藤原伊尹(第45首)の三男。容姿端麗で、仏道に深く帰依した。21歳の若さで天然痘にかかり、兄の挙賢と同じ日に亡くなった。子の藤原行成は、三蹟の一人として知られる能書家となった。中古三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集2人物と作品を見る
藤原良経ふじわらのよしつね1169–1206関白九条兼実の子で、藤原忠通(第76首)の孫。摂政・太政大臣に至った。和歌・漢詩・書にすぐれ、『新古今和歌集』の仮名序を書いた。叔父の慈円(第95首)や藤原定家らと親しく、新古今時代の歌壇を支えたが、38歳で急死した。百人一首1新古今集79人物と作品を見る 藤原良平ふじわらのよしひら1184–1240九条兼実の子で、良経の弟。太政大臣に至った。後鳥羽院の歌壇で千五百番歌合などに出詠した。新古今集2人物と作品を見る 藤原良房ふじわらのよしふさ804–872藤原冬嗣の子。娘明子の産んだ清和天皇の外祖父として、臣下で初めて摂政となり、太政大臣に至った。白河殿(染殿)に住んだ。古今集1人物と作品を見る 藤原頼実ふじわらのよりざね1155–1225藤原経宗の子。太政大臣に至った。後鳥羽院の歌壇で正治百首などに出詠した。新古今集5人物と作品を見る 藤原頼輔ふじわらのよりすけ1112–1186藤原忠教の子。刑部卿に至った。蹴鞠の名手で、難波家の祖とされる。新古今集3人物と作品を見る 藤原頼忠ふじわらのよりただ924–989藤原実頼の子で、公任の父。関白・太政大臣に至った。諡は廉義公。新古今集1歌を読む 藤原頼通ふじわらのよりみち992–1074藤原道長の子。後一条・後朱雀・後冷泉の三代にわたって約五十年間摂政・関白を務め、宇治の平等院を建立した。宇治殿・宇治前関白と呼ばれる。新古今集1人物と作品を見る 藤原頼宗ふじわらのよりむね993–1065藤原道長の子。右大臣に至った。堀河右大臣と呼ばれる。新古今集2歌を読む 藤原因香ふじわらのよるか生没年未詳(九世紀後半)藤原高藤の娘とも伝える女官で、典侍(ないしのすけ)を務めた。古今集4人物と作品を見る 吹芡刀自ふふきのとじ7世紀後半十市皇女に仕えた女性とみられる。左注にも「未だ詳ならず」とあり、どのような人物かはわかっていない。万葉集3人物と作品を見る 布留今道ふるのいまみち生没年未詳(九世紀後半)内匠頭・三河介などを務めた。大和の石上(布留)の地にちなむ氏の人。古今集3人物と作品を見る 振田向宿禰ふるのたむけのすくね未詳伝未詳。筑紫に赴任していた官人。万葉集1歌を読む
文屋朝康ふんやのあさやす生没年未詳(9世紀末〜10世紀初め)文屋康秀(第22首)の子。大舎人大允・大膳少進などを務めた下級官人。寛平御時后宮歌合などに出詠した。伝わる歌は少ない。百人一首1古今集1人物と作品を見る 文屋有季ふんやのありすえ生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む
文屋康秀ふんやのやすひで生没年未詳(9世紀後半)平安時代前期の歌人。地方官や縫殿助などを務めた下級官人。六歌仙の一人。三河国に赴任する際、小野小町を誘ったという逸話が『古今和歌集』に見える。百人一首1古今集5人物と作品を見る 平城天皇へいぜいてんのう774–824桓武天皇の皇子(在位806–809)。譲位後、平城京に移り、薬子の変(810)ののち出家した。在原業平の祖父にあたる。古今集1人物と作品を見る 日置少老へきのおおゆ生没年未詳伝未詳。万葉集1歌を読む 日置長枝娘子へきのながえおとめ生没年未詳大伴家持と歌を交わした女性。万葉集2歌を読む 平群氏女郎へぐりうじのいらつめ生没年未詳(八世紀中頃)越中守として赴任していた大伴家持に、十二首の恋の歌を贈った女性。巻十七に載る。万葉集12人物と作品を見る 弁べん生没年未詳(十二世紀)平安後期の女房歌人。新古今集1歌を読む 弁基べんき生没年未詳左注に、春日老(282・284・286番の作者)の僧であったときの名かとある。万葉集1歌を読む 弁乳母べんのめのと生没年未詳(十一世紀)加賀守藤原順時の娘。後冷泉天皇の乳母を務めた女房歌人。新古今集2歌を読む 法円ほうえん生没年未詳(十一世紀)平安中期の僧。新古今集1歌を読む 穂積老ほづみのおゆ?–749奈良時代の官人。養老6年(722)、天皇を非難した罪で佐渡に流され、のちに許されて都に戻った。万葉集1人物と作品を見る 穂積皇子ほづみのみこ?–715天武天皇の皇子。知太政官事を務めた。異母妹の但馬皇女との恋の歌で知られ、晩年には大伴坂上郎女を妻とした。万葉集4人物と作品を見る 堀河院ほりかわいん1079–1107第七十三代天皇。白河天皇の皇子。和歌・管絃を好み、その歌壇から『堀河百首』が生まれた。新古今集1人物と作品を見る 本院侍従ほんいんのじじゅう生没年未詳(十世紀)藤原時平の邸本院に仕えた女房。藤原兼通との恋で知られる。新古今集1歌を読む ま
80人円方女王まとかたのおおきみ?–774長屋王の娘。巻二十に、宴の席で詠んだ歌を残す。万葉集1歌を読む 御形宣旨みあれのせんじ生没年未詳(十世紀末)賀茂斎院に仕えた女房。新古今集2歌を読む 三方沙弥みかたのさみ生没年未詳巻二で園臣生羽の娘と贈答した三方沙弥と同じ人とみられる。巻十九に、雪を詠んだ歌を伝える。万葉集6人物と作品を見る 三河内侍みかわのないし生没年未詳(十二世紀)藤原為業(寂念)の娘。二条天皇に仕えた女房。新古今集1歌を読む 三国人足みくにのひとたり生没年未詳奈良時代の官人。万葉集1歌を読む 三国町みくにのまち生没年未詳仁明天皇の更衣で、のちに臣籍に下った貞登の母と伝える。古今集1歌を読む 三島王みしまのおおきみ生没年未詳舎人親王の子。万葉集1歌を読む 陸奥みちのく生没年未詳女房と見られるが、経歴は伝わらない。古今集1歌を読む 御名部皇女みなべのひめみこ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む 源顕房みなもとのあきふさ1037–1094源師房の子。右大臣に至った。娘の賢子は白河天皇の中宮で、堀河天皇の母。新古今集1歌を読む 源有仁みなもとのありひと1103–1147後三条天皇の孫で、輔仁親王の子。臣籍に下って左大臣に至った。花園に住んだので花園左大臣と呼ばれた。詩歌・管絃にすぐれた。新古今集3人物と作品を見る 源家長みなもとのいえなが1170?–1234源時長の子。和歌所の開闔(事務長)として『新古今和歌集』の撰集の実務にあたり、『源家長日記』を残した。新古今集3人物と作品を見る 源景明みなもとのかげあきら生没年未詳(十世紀)源兼光の子。中古三十六歌仙の一人。新古今集1歌を読む
源兼昌みなもとのかねまさ生没年未詳(12世紀初め)宇多源氏の一族で、美濃守源俊輔の子。皇后宮少進などを務めた下級官人。のちに出家した。堀河天皇の時代の歌合などに出詠したが、詳しい経歴は分からない。百人一首1人物と作品を見る 源清蔭みなもとのきよかげ884–950陽成天皇の皇子。臣籍に下り、大納言に至った。新古今集1歌を読む 源公忠みなもとのきんただ889–948光孝天皇の孫。右大弁に至った。醍醐・朱雀天皇に仕え、鷹狩や香の調合にもすぐれた。三十六歌仙の一人。新古今集2人物と作品を見る 源国信みなもとのくにざね1069–1111右大臣源顕房の子。権中納言に至った。堀河天皇の歌壇で活躍し、『堀河百首』の作者の一人。新古今集5人物と作品を見る 源実みなもとのさね?–904?嵯峨源氏の一族で、筑紫に湯治に下ったことが巻第八の詞書に見える。古今集1歌を読む 源信明みなもとのさねあきら910–970源公忠の子。陸奥守などを務めた。中務との恋で知られる。三十六歌仙の一人。新古今集2歌を読む
源実朝みなもとのさねとも1192–1219源頼朝の次男で、鎌倉幕府の第3代将軍。12歳で将軍となり、のちに右大臣に至った。京の文化にあこがれ、藤原定家に和歌を学んで、家集『金槐和歌集』を残した。1219年、鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された。28歳だった。百人一首1人物と作品を見る
源重之みなもとのしげゆき?–1000頃清和天皇の曾孫。相模権守・肥後守などの地方官を歴任し、晩年は陸奥守となった藤原実方に従って陸奥に下り、その地で没した。旅の歌が多い。冷泉天皇の東宮時代に献上した『重之百首』は、現存する最古の百首歌の一つである。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 源重之女みなもとのしげゆきのむすめ生没年未詳(十世紀後半〜十一世紀)源重之の娘。父とともに陸奥に下った。新古今集1歌を読む 源順みなもとのしたごう911–983源挙の子。梨壺の五人の一人として『後撰和歌集』を撰び、『和名類聚抄』を編んだ。三十六歌仙の一人。新古今集2人物と作品を見る 源周子みなもとのしゅうし?–935源唱の娘。醍醐天皇の更衣で、源高明の母。近江更衣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 源季景みなもとのすえかげ生没年未詳(十二世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 源季広みなもとのすえひろ生没年未詳(十二世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 源高明みなもとのたかあきら914–982醍醐天皇の皇子で、臣籍に下った。左大臣に至ったが、安和の変で大宰権帥に左遷された。西宮に邸があったので西宮左大臣と呼ばれた。新古今集3人物と作品を見る 源隆国みなもとのたかくに1004–1077源俊賢の子。権大納言に至った。宇治に住み、宇治大納言と呼ばれた。『宇治大納言物語』の作者とされる。新古今集1人物と作品を見る 源隆綱みなもとのたかつな1043–1074源隆国の子。左近衛中将・参議に至った。新古今集1歌を読む
源経信みなもとのつねのぶ1016–1097宇多源氏。和歌・漢詩・管絃にすぐれ、藤原公任(第55首)と並ぶ「三船の才」とたたえられた。大納言に至り、晩年は大宰権帥として九州に赴任し、その地で没した。源俊頼(第74首)の父。百人一首1新古今集19人物と作品を見る 源経信母みなもとのつねのぶのはは生没年未詳(十一世紀)源道方の妻で、経信の母。源国盛の娘。新古今集1歌を読む
源融みなもとのとおる822–895嵯峨天皇の皇子で、臣籍に降下して源氏の姓を賜った。左大臣に至る。京都の六条河原に、陸奥の塩竈の景色を模した壮大な庭をもつ邸宅「河原院」を造り、風流の限りを尽くした。光源氏のモデルの一人ともいわれる。百人一首1古今集2人物と作品を見る 源常みなもとのときわ812–854嵯峨天皇の皇子で、臣籍に下って源姓を賜り、左大臣に至った。東三条に邸があった。古今集1歌を読む 源俊賢母みなもとのとしかたのはは生没年未詳(十世紀)藤原師輔の娘。源高明の妻で、俊賢の母。新古今集1歌を読む 源俊房みなもとのとしふさ1035–1121源師房の子。左大臣に至った。堀河左大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む
源俊頼みなもとのとしより1055–1129大納言源経信(第71首)の子。白河院の命により『金葉和歌集』を撰集した。新しい題材や表現を大胆に取り入れ、当時の歌壇を革新した。歌論書『俊頼髄脳』、家集『散木奇歌集』がある。俊恵法師(第85首)の父。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 源具親みなもとのともちか生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀前半)源師光の子で、宮内卿の兄。和歌所の寄人として、後鳥羽院の歌壇で千五百番歌合などに出詠した。新古今集7人物と作品を見る
源等みなもとのひとし880–951嵯峨天皇の曾孫で、中納言源希の子。地方官や右大弁を経て参議に至った。歌人としての事績は少なく、勅撰集に入る歌もわずかである。百人一首1人物と作品を見る 源恵みなもとのほどこす生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 源正清みなもとのまさきよ生没年未詳(十世紀)源宗于の子とされる。蔵人頭などを務めた。新古今集1歌を読む 源雅定みなもとのまささだ1094–1162源雅実の子。右大臣に至り、のち出家した。中院右大臣と呼ばれた。新古今集2歌を読む 源雅実みなもとのまさざね1059–1127源顕房の子。太政大臣に至った。久我家の祖。新古今集2歌を読む 源当純みなもとのまさずみ生没年未詳左大臣源能有の子。少納言などを務めた。古今集1歌を読む 源雅信みなもとのまさのぶ920–993敦実親王の子。左大臣に至った。娘の倫子は藤原道長の妻。新古今集1歌を読む 源雅通みなもとのまさみち1118–1175源雅定の養子。内大臣に至った。土御門内大臣通親の父。新古今集1歌を読む 源通親みなもとのみちちか1149–1202村上源氏。内大臣に至った。後鳥羽院の外戚として権勢をふるい、通具・通光の父。和歌所の寄人を務めた。新古今集6人物と作品を見る 源通光みなもとのみちてる1187–1248内大臣源通親の子で、通具の弟。太政大臣に至った。後鳥羽院の歌壇で活躍し、千五百番歌合などに出詠した。新古今集14人物と作品を見る 源通具みなもとのみちとも1171–1227内大臣源通親の子。大納言に至った。『新古今和歌集』の撰者の一人で、撰者名の筆頭に挙がる。妻は歌人の俊成女。新古今集17人物と作品を見る 源道済みなもとのみちなり?–1019源方国の子。筑前守などを務め、大宰少弐として任地で没した。漢詩文にもすぐれた。中古三十六歌仙の一人。新古今集6人物と作品を見る 源光行みなもとのみつゆき1163–1244源光季の子。源氏物語の注釈書『水原抄』を著し、河内本の校訂を始めた。新古今集1歌を読む
源宗于みなもとのむねゆき?–939光孝天皇の孫で、是忠親王の子。臣籍に降下して源氏の姓を賜った。地方官を歴任し、右京大夫に至ったが、皇族の出でありながら官位には恵まれず、不遇を嘆く逸話が残る。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集6人物と作品を見る 源師賢みなもとのもろかた1035–1081源資通の子。蔵人頭などを務めた。新古今集1歌を読む 源師忠みなもとのもろただ1054–1114源俊房の子。大納言に至った。新古今集1歌を読む 源師時みなもとのもろとき1077–1136源俊房の子。権中納言に至った。日記『長秋記』を残した。新古今集1歌を読む 源師俊みなもとのもろとし1080–1141源俊房の子で、師時の弟。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 源師房みなもとのもろふさ1008–1077具平親王の子。藤原頼通の猶子となり、右大臣に至った。村上源氏の祖。新古今集1歌を読む 源師光みなもとのもろみつ生没年未詳(十二世紀)源師頼の子。歌林苑に関わった。新古今集3人物と作品を見る 源師頼みなもとのもろより1068–1139左大臣源俊房の子。大納言に至った。堀河天皇の歌壇で活躍し、『堀河百首』の作者の一人。新古今集2人物と作品を見る 源泰光みなもとのやすみつ生没年未詳(十二世紀末)後鳥羽院の時代の歌人。新古今集1歌を読む 源行宗みなもとのゆきむね1064–1143源基平の子。大蔵卿に至った。新古今集3人物と作品を見る 源能有みなもとのよしあり845–897文徳天皇の皇子で、臣籍に下って源姓を賜った。右大臣に至り、近院の右大臣と呼ばれた。古今集3人物と作品を見る 源頼朝みなもとのよりとも1147–1199源義朝の子。平氏を倒して鎌倉幕府を開き、征夷大将軍となった。右近衛大将に任じられたので右大将と呼ばれた。新古今集2人物と作品を見る 源頼政みなもとのよりまさ1104–1180摂津源氏の武将で、二条院讃岐の父。歌人としても名高く、歌林苑の歌人と交わった。以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げ、宇治で敗れて自害した。新古今集3人物と作品を見る 三野石守みののいそもり生没年未詳(八世紀前半)大伴旅人の従者。巻十七に、旅人が大宰府から都に帰る折の歌を残す。万葉集1歌を読む 三原王みはらのおおきみ?–752舎人親王の子。万葉集1歌を読む 御春有助みはるのありすけ生没年未詳藤原利基・藤原敏行に仕えた人物と伝える。古今集2歌を読む
壬生忠見みぶのただみ生没年未詳(10世紀中頃)壬生忠岑(第30首)の子。摂津大目などを務めた下級官人。幼いころから歌の才能を認められ、村上天皇の時代の歌合で活躍した。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集5人物と作品を見る
壬生忠岑みぶのただみね生没年未詳(9世紀後半〜10世紀前半)平安時代前期の歌人。身分の低い官人だったが、紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰者の一人に選ばれた。歌論書『和歌体十種』の作者とされる。第41首の作者壬生忠見の父。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集37新古今集4人物と作品を見る 三統理平みむねのまさひら853–926平安前期の学者。文章博士・式部大輔などを務めた。新古今集1歌を読む 都良香みやこのよしか834–879文章博士を務めた漢詩人・学者で、『文徳実録』の編纂にも加わった。仙人になったという伝説がある。古今集1人物と作品を見る 宮道潔興みやじのきよき生没年未詳春宮の帯刀を務めたことが巻第十八の詞書に見える。古今集1歌を読む 六鯖むさば生没年未詳(八世紀前半)天平八年(736)の遣新羅使の一行の一人。六人部鯖麻呂のことかとされる。壱岐で病死した雪連宅満を悼む挽歌を作った。万葉集3人物と作品を見る 身人部王むとべのおおきみ?–729伝未詳の王。神亀6年(729)に亡くなったことが『続日本紀』に見える。万葉集1歌を読む 宗岳大頼むねおかのおおより生没年未詳越(北陸)に赴任していたことが巻第十八の詞書に見える。古今集2歌を読む 致平親王むねひらしんのう951–1041村上天皇の皇子。兵部卿。のち出家した。新古今集1歌を読む 村上天皇むらかみてんのう926–967第六十二代天皇。その治世は「天暦の治」とたたえられた。宮中に和歌所を置いて『後撰和歌集』を撰ばせ、天徳四年(960)の内裏歌合を催した。新古今集10人物と作品を見る
紫式部むらさきしきぶ973頃–1014頃学者藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、大弐三位(第58首)を産んだが、夫と死別した。のちに一条天皇の中宮彰子に仕え、宮中で『源氏物語』を書き継いだ。宮仕えの日々を『紫式部日記』に記している。百人一首1新古今集14人物と作品を見る
元良親王もとよししんのう890–943陽成院の第一皇子。風流で恋多き人物として知られ、『大和物語』『今昔物語集』などに多くの恋の逸話が残る。家集に『元良親王集』がある。百人一首1人物と作品を見る 物部良名もののべのよしな生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 盛明親王もりあきらしんのう928–986醍醐天皇の皇子。新古今集1歌を読む
源兼昌みなもとのかねまさ生没年未詳(12世紀初め)宇多源氏の一族で、美濃守源俊輔の子。皇后宮少進などを務めた下級官人。のちに出家した。堀河天皇の時代の歌合などに出詠したが、詳しい経歴は分からない。百人一首1人物と作品を見る 源清蔭みなもとのきよかげ884–950陽成天皇の皇子。臣籍に下り、大納言に至った。新古今集1歌を読む 源公忠みなもとのきんただ889–948光孝天皇の孫。右大弁に至った。醍醐・朱雀天皇に仕え、鷹狩や香の調合にもすぐれた。三十六歌仙の一人。新古今集2人物と作品を見る 源国信みなもとのくにざね1069–1111右大臣源顕房の子。権中納言に至った。堀河天皇の歌壇で活躍し、『堀河百首』の作者の一人。新古今集5人物と作品を見る 源実みなもとのさね?–904?嵯峨源氏の一族で、筑紫に湯治に下ったことが巻第八の詞書に見える。古今集1歌を読む 源信明みなもとのさねあきら910–970源公忠の子。陸奥守などを務めた。中務との恋で知られる。三十六歌仙の一人。新古今集2歌を読む
源実朝みなもとのさねとも1192–1219源頼朝の次男で、鎌倉幕府の第3代将軍。12歳で将軍となり、のちに右大臣に至った。京の文化にあこがれ、藤原定家に和歌を学んで、家集『金槐和歌集』を残した。1219年、鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された。28歳だった。百人一首1人物と作品を見る
源重之みなもとのしげゆき?–1000頃清和天皇の曾孫。相模権守・肥後守などの地方官を歴任し、晩年は陸奥守となった藤原実方に従って陸奥に下り、その地で没した。旅の歌が多い。冷泉天皇の東宮時代に献上した『重之百首』は、現存する最古の百首歌の一つである。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 源重之女みなもとのしげゆきのむすめ生没年未詳(十世紀後半〜十一世紀)源重之の娘。父とともに陸奥に下った。新古今集1歌を読む 源順みなもとのしたごう911–983源挙の子。梨壺の五人の一人として『後撰和歌集』を撰び、『和名類聚抄』を編んだ。三十六歌仙の一人。新古今集2人物と作品を見る 源周子みなもとのしゅうし?–935源唱の娘。醍醐天皇の更衣で、源高明の母。近江更衣と呼ばれた。新古今集1歌を読む 源季景みなもとのすえかげ生没年未詳(十二世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 源季広みなもとのすえひろ生没年未詳(十二世紀)平安後期の歌人。新古今集1歌を読む 源高明みなもとのたかあきら914–982醍醐天皇の皇子で、臣籍に下った。左大臣に至ったが、安和の変で大宰権帥に左遷された。西宮に邸があったので西宮左大臣と呼ばれた。新古今集3人物と作品を見る 源隆国みなもとのたかくに1004–1077源俊賢の子。権大納言に至った。宇治に住み、宇治大納言と呼ばれた。『宇治大納言物語』の作者とされる。新古今集1人物と作品を見る 源隆綱みなもとのたかつな1043–1074源隆国の子。左近衛中将・参議に至った。新古今集1歌を読む
源経信みなもとのつねのぶ1016–1097宇多源氏。和歌・漢詩・管絃にすぐれ、藤原公任(第55首)と並ぶ「三船の才」とたたえられた。大納言に至り、晩年は大宰権帥として九州に赴任し、その地で没した。源俊頼(第74首)の父。百人一首1新古今集19人物と作品を見る 源経信母みなもとのつねのぶのはは生没年未詳(十一世紀)源道方の妻で、経信の母。源国盛の娘。新古今集1歌を読む
源融みなもとのとおる822–895嵯峨天皇の皇子で、臣籍に降下して源氏の姓を賜った。左大臣に至る。京都の六条河原に、陸奥の塩竈の景色を模した壮大な庭をもつ邸宅「河原院」を造り、風流の限りを尽くした。光源氏のモデルの一人ともいわれる。百人一首1古今集2人物と作品を見る 源常みなもとのときわ812–854嵯峨天皇の皇子で、臣籍に下って源姓を賜り、左大臣に至った。東三条に邸があった。古今集1歌を読む 源俊賢母みなもとのとしかたのはは生没年未詳(十世紀)藤原師輔の娘。源高明の妻で、俊賢の母。新古今集1歌を読む 源俊房みなもとのとしふさ1035–1121源師房の子。左大臣に至った。堀河左大臣と呼ばれた。新古今集1歌を読む
源俊頼みなもとのとしより1055–1129大納言源経信(第71首)の子。白河院の命により『金葉和歌集』を撰集した。新しい題材や表現を大胆に取り入れ、当時の歌壇を革新した。歌論書『俊頼髄脳』、家集『散木奇歌集』がある。俊恵法師(第85首)の父。百人一首1新古今集11人物と作品を見る 源具親みなもとのともちか生没年未詳(十二世紀末〜十三世紀前半)源師光の子で、宮内卿の兄。和歌所の寄人として、後鳥羽院の歌壇で千五百番歌合などに出詠した。新古今集7人物と作品を見る
源等みなもとのひとし880–951嵯峨天皇の曾孫で、中納言源希の子。地方官や右大弁を経て参議に至った。歌人としての事績は少なく、勅撰集に入る歌もわずかである。百人一首1人物と作品を見る 源恵みなもとのほどこす生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 源正清みなもとのまさきよ生没年未詳(十世紀)源宗于の子とされる。蔵人頭などを務めた。新古今集1歌を読む 源雅定みなもとのまささだ1094–1162源雅実の子。右大臣に至り、のち出家した。中院右大臣と呼ばれた。新古今集2歌を読む 源雅実みなもとのまさざね1059–1127源顕房の子。太政大臣に至った。久我家の祖。新古今集2歌を読む 源当純みなもとのまさずみ生没年未詳左大臣源能有の子。少納言などを務めた。古今集1歌を読む 源雅信みなもとのまさのぶ920–993敦実親王の子。左大臣に至った。娘の倫子は藤原道長の妻。新古今集1歌を読む 源雅通みなもとのまさみち1118–1175源雅定の養子。内大臣に至った。土御門内大臣通親の父。新古今集1歌を読む 源通親みなもとのみちちか1149–1202村上源氏。内大臣に至った。後鳥羽院の外戚として権勢をふるい、通具・通光の父。和歌所の寄人を務めた。新古今集6人物と作品を見る 源通光みなもとのみちてる1187–1248内大臣源通親の子で、通具の弟。太政大臣に至った。後鳥羽院の歌壇で活躍し、千五百番歌合などに出詠した。新古今集14人物と作品を見る 源通具みなもとのみちとも1171–1227内大臣源通親の子。大納言に至った。『新古今和歌集』の撰者の一人で、撰者名の筆頭に挙がる。妻は歌人の俊成女。新古今集17人物と作品を見る 源道済みなもとのみちなり?–1019源方国の子。筑前守などを務め、大宰少弐として任地で没した。漢詩文にもすぐれた。中古三十六歌仙の一人。新古今集6人物と作品を見る 源光行みなもとのみつゆき1163–1244源光季の子。源氏物語の注釈書『水原抄』を著し、河内本の校訂を始めた。新古今集1歌を読む
源宗于みなもとのむねゆき?–939光孝天皇の孫で、是忠親王の子。臣籍に降下して源氏の姓を賜った。地方官を歴任し、右京大夫に至ったが、皇族の出でありながら官位には恵まれず、不遇を嘆く逸話が残る。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集6人物と作品を見る 源師賢みなもとのもろかた1035–1081源資通の子。蔵人頭などを務めた。新古今集1歌を読む 源師忠みなもとのもろただ1054–1114源俊房の子。大納言に至った。新古今集1歌を読む 源師時みなもとのもろとき1077–1136源俊房の子。権中納言に至った。日記『長秋記』を残した。新古今集1歌を読む 源師俊みなもとのもろとし1080–1141源俊房の子で、師時の弟。権中納言に至った。新古今集1歌を読む 源師房みなもとのもろふさ1008–1077具平親王の子。藤原頼通の猶子となり、右大臣に至った。村上源氏の祖。新古今集1歌を読む 源師光みなもとのもろみつ生没年未詳(十二世紀)源師頼の子。歌林苑に関わった。新古今集3人物と作品を見る 源師頼みなもとのもろより1068–1139左大臣源俊房の子。大納言に至った。堀河天皇の歌壇で活躍し、『堀河百首』の作者の一人。新古今集2人物と作品を見る 源泰光みなもとのやすみつ生没年未詳(十二世紀末)後鳥羽院の時代の歌人。新古今集1歌を読む 源行宗みなもとのゆきむね1064–1143源基平の子。大蔵卿に至った。新古今集3人物と作品を見る 源能有みなもとのよしあり845–897文徳天皇の皇子で、臣籍に下って源姓を賜った。右大臣に至り、近院の右大臣と呼ばれた。古今集3人物と作品を見る 源頼朝みなもとのよりとも1147–1199源義朝の子。平氏を倒して鎌倉幕府を開き、征夷大将軍となった。右近衛大将に任じられたので右大将と呼ばれた。新古今集2人物と作品を見る 源頼政みなもとのよりまさ1104–1180摂津源氏の武将で、二条院讃岐の父。歌人としても名高く、歌林苑の歌人と交わった。以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げ、宇治で敗れて自害した。新古今集3人物と作品を見る 三野石守みののいそもり生没年未詳(八世紀前半)大伴旅人の従者。巻十七に、旅人が大宰府から都に帰る折の歌を残す。万葉集1歌を読む 三原王みはらのおおきみ?–752舎人親王の子。万葉集1歌を読む 御春有助みはるのありすけ生没年未詳藤原利基・藤原敏行に仕えた人物と伝える。古今集2歌を読む
壬生忠見みぶのただみ生没年未詳(10世紀中頃)壬生忠岑(第30首)の子。摂津大目などを務めた下級官人。幼いころから歌の才能を認められ、村上天皇の時代の歌合で活躍した。三十六歌仙の一人。百人一首1新古今集5人物と作品を見る
壬生忠岑みぶのただみね生没年未詳(9世紀後半〜10世紀前半)平安時代前期の歌人。身分の低い官人だったが、紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰者の一人に選ばれた。歌論書『和歌体十種』の作者とされる。第41首の作者壬生忠見の父。三十六歌仙の一人。百人一首1古今集37新古今集4人物と作品を見る 三統理平みむねのまさひら853–926平安前期の学者。文章博士・式部大輔などを務めた。新古今集1歌を読む 都良香みやこのよしか834–879文章博士を務めた漢詩人・学者で、『文徳実録』の編纂にも加わった。仙人になったという伝説がある。古今集1人物と作品を見る 宮道潔興みやじのきよき生没年未詳春宮の帯刀を務めたことが巻第十八の詞書に見える。古今集1歌を読む 六鯖むさば生没年未詳(八世紀前半)天平八年(736)の遣新羅使の一行の一人。六人部鯖麻呂のことかとされる。壱岐で病死した雪連宅満を悼む挽歌を作った。万葉集3人物と作品を見る 身人部王むとべのおおきみ?–729伝未詳の王。神亀6年(729)に亡くなったことが『続日本紀』に見える。万葉集1歌を読む 宗岳大頼むねおかのおおより生没年未詳越(北陸)に赴任していたことが巻第十八の詞書に見える。古今集2歌を読む 致平親王むねひらしんのう951–1041村上天皇の皇子。兵部卿。のち出家した。新古今集1歌を読む 村上天皇むらかみてんのう926–967第六十二代天皇。その治世は「天暦の治」とたたえられた。宮中に和歌所を置いて『後撰和歌集』を撰ばせ、天徳四年(960)の内裏歌合を催した。新古今集10人物と作品を見る
紫式部むらさきしきぶ973頃–1014頃学者藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、大弐三位(第58首)を産んだが、夫と死別した。のちに一条天皇の中宮彰子に仕え、宮中で『源氏物語』を書き継いだ。宮仕えの日々を『紫式部日記』に記している。百人一首1新古今集14人物と作品を見る
元良親王もとよししんのう890–943陽成院の第一皇子。風流で恋多き人物として知られ、『大和物語』『今昔物語集』などに多くの恋の逸話が残る。家集に『元良親王集』がある。百人一首1人物と作品を見る 物部良名もののべのよしな生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 盛明親王もりあきらしんのう928–986醍醐天皇の皇子。新古今集1歌を読む や
25人八代女王やしろのおおきみ生没年未詳(八世紀)聖武天皇に仕えた女王。『万葉集』の歌人。万葉集1新古今集1歌を読む 康資王母やすすけおうのはは生没年未詳(十一世紀)伯耆守高階成順の娘で、母は伊勢大輔。神祇伯延信王の妻となり、康資王を産んだ。後冷泉天皇の皇后寛子に仕えた。新古今集4人物と作品を見る 矢田部名実やたべのなざね生没年未詳経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 山口女王やまぐちのおおきみ生没年未詳(八世紀)大伴家持に歌を贈った女王。『万葉集』の歌人。万葉集6新古今集2人物と作品を見る 山口若麻呂やまぐちのわかまろ年代未詳関係する作品から人物をたどります。万葉集2歌を読む 山前王やまくまのおおきみ?–723天武天皇の孫で、忍壁皇子の子。万葉集3人物と作品を見る 山田法師やまだほうし生没年未詳平安中期の僧侶歌人。経歴は未詳。新古今集1歌を読む 倭姫王やまとひめのおおきみ7世紀後半天智天皇の皇后。古人大兄皇子の娘。天皇の病と死に際して、四首の歌を残している(147〜149・153番)。万葉集4人物と作品を見る 山上憶良やまのうえのおくら660–733?遣唐使の一員として唐に渡り、儒教や仏教の思想を学んだ。のち伯耆守・筑前守となり、筑前では大宰帥の大伴旅人と親しく交わった。子どもへの愛情、貧しさ、老いや病など、人生と社会の問題を正面から詠んだ歌人。万葉集60新古今集1人物と作品を見る 山上臣やまのうえのおみ生没年未詳名の伝わらない山上氏の人。左注に、山上憶良の子かという説を記す。巻十八に、射水郡の駅館の柱に書きつけた歌を残す。万葉集1人物と作品を見る
山部赤人やまべのあかひと生没年未詳(8世紀前半)聖武天皇の時代に活躍した宮廷歌人。自然の美しさを清らかに描く叙景歌にすぐれ、柿本人麻呂と並んで「山柿」と称された。三十六歌仙の一人。百人一首1万葉集49新古今集7人物と作品を見る 山部王やまべのおおきみ生没年未詳奈良時代の王族。万葉集1歌を読む 猷円ゆうえん生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む
祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい生没年未詳(11世紀後半〜12世紀初め)後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた女房。母は歌人の小弁。兄(夫とも)が紀伊守だったことから「紀伊」と呼ばれた。多くの歌合で活躍した。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 幽仙法師ゆうせんほうし836–900比叡山の僧で、延暦寺の別当を務めた。古今集2歌を読む 雄略天皇ゆうりゃくてんのう5世紀後半第21代の天皇。名は大泊瀬幼武(おほはつせわかたけ)。泊瀬朝倉宮(奈良県桜井市)で天下を治めたと伝わる。『古事記』『日本書紀』には、各地に勢力を広げた力強い天皇として、また多くの女性に求婚する歌物語の主人公として描かれる。この歌も、雄略天皇に仮託された伝承歌と考えられている。万葉集2人物と作品を見る 弓削皇子ゆげのみこ?–699天武天皇の皇子。母は天智天皇の皇女の大江皇女。長皇子の同母の弟。若くして亡くなった。万葉集9人物と作品を見る 湯原王ゆはらのおおきみ生没年未詳志貴皇子の子。父に似て、繊細で清らかな歌を残した。万葉集25新古今集1人物と作品を見る
陽成院ようぜいいん868–949第57代天皇。清和天皇の皇子で、9歳で即位した。宮中での乱行が伝えられ、17歳で藤原基経によって退位させられた。その後65年にわたって上皇として過ごした。百人一首1人物と作品を見る 陽明門院ようめいもんいん1013–1094禎子内親王。三条天皇の皇女。後朱雀天皇の皇后で、後三条天皇の母。新古今集1歌を読む 誉謝女王よさのおおきみ?–706伝未詳の女王。慶雲3年(706)に亡くなったことが『続日本紀』に見える。万葉集1歌を読む 依羅娘子よさみのおとめ7世紀後半〜8世紀初め柿本人麻呂の妻。石見で人麻呂と別れたとみられる。人麻呂の死を悼む歌(224・225番)も残している。万葉集3人物と作品を見る 善滋為政よししげのためまさ生没年未詳(十一世紀初め)慶滋保胤の一族とされる。文章博士などを務めた。新古今集1歌を読む 良岑秀崇よしみねのひでおか生没年未詳良岑氏の一族で、経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 余明軍よのみょうぐん生没年未詳百済系の渡来人で、大伴旅人に仕えた資人(従者)。旅人の死を悼む歌も残した。万葉集8人物と作品を見る
山部赤人やまべのあかひと生没年未詳(8世紀前半)聖武天皇の時代に活躍した宮廷歌人。自然の美しさを清らかに描く叙景歌にすぐれ、柿本人麻呂と並んで「山柿」と称された。三十六歌仙の一人。百人一首1万葉集49新古今集7人物と作品を見る 山部王やまべのおおきみ生没年未詳奈良時代の王族。万葉集1歌を読む 猷円ゆうえん生没年未詳(十二世紀)平安後期の僧侶歌人。新古今集1歌を読む
祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい生没年未詳(11世紀後半〜12世紀初め)後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた女房。母は歌人の小弁。兄(夫とも)が紀伊守だったことから「紀伊」と呼ばれた。多くの歌合で活躍した。百人一首1新古今集2人物と作品を見る 幽仙法師ゆうせんほうし836–900比叡山の僧で、延暦寺の別当を務めた。古今集2歌を読む 雄略天皇ゆうりゃくてんのう5世紀後半第21代の天皇。名は大泊瀬幼武(おほはつせわかたけ)。泊瀬朝倉宮(奈良県桜井市)で天下を治めたと伝わる。『古事記』『日本書紀』には、各地に勢力を広げた力強い天皇として、また多くの女性に求婚する歌物語の主人公として描かれる。この歌も、雄略天皇に仮託された伝承歌と考えられている。万葉集2人物と作品を見る 弓削皇子ゆげのみこ?–699天武天皇の皇子。母は天智天皇の皇女の大江皇女。長皇子の同母の弟。若くして亡くなった。万葉集9人物と作品を見る 湯原王ゆはらのおおきみ生没年未詳志貴皇子の子。父に似て、繊細で清らかな歌を残した。万葉集25新古今集1人物と作品を見る
陽成院ようぜいいん868–949第57代天皇。清和天皇の皇子で、9歳で即位した。宮中での乱行が伝えられ、17歳で藤原基経によって退位させられた。その後65年にわたって上皇として過ごした。百人一首1人物と作品を見る 陽明門院ようめいもんいん1013–1094禎子内親王。三条天皇の皇女。後朱雀天皇の皇后で、後三条天皇の母。新古今集1歌を読む 誉謝女王よさのおおきみ?–706伝未詳の女王。慶雲3年(706)に亡くなったことが『続日本紀』に見える。万葉集1歌を読む 依羅娘子よさみのおとめ7世紀後半〜8世紀初め柿本人麻呂の妻。石見で人麻呂と別れたとみられる。人麻呂の死を悼む歌(224・225番)も残している。万葉集3人物と作品を見る 善滋為政よししげのためまさ生没年未詳(十一世紀初め)慶滋保胤の一族とされる。文章博士などを務めた。新古今集1歌を読む 良岑秀崇よしみねのひでおか生没年未詳良岑氏の一族で、経歴はほとんどわからない。古今集1歌を読む 余明軍よのみょうぐん生没年未詳百済系の渡来人で、大伴旅人に仕えた資人(従者)。旅人の死を悼む歌も残した。万葉集8人物と作品を見る 