古典ライブラリー

新古今和歌集 巻第九 離別歌 869番

神無月

藤原恒佐(ふじわらのつねすけ)

神無月、まれな御幸に誘われて、今日別れてしまったら、いつまた会えるだろう。

作者
一條右大臣恒佐(藤原恒佐)
  1. 1亭子院ていじのゐん亭子院ていじのゐんていじのいんののの宮みや宮みやみやののの瀧たき瀧たきたき御覽ごらん御覽ごらんごらんじにおはしましけるじにおはしましけるじにおわしましける御おほん御おほんおおん供とも供ともともににに、、、素性法師そせいほふし素性法師そせいほふしそせいほうしめしめしめし具ぐ具ぐぐせられてまゐりけるせられてまゐりけるせられてまいりけるををを、、、住吉すみよし住吉すみよしすみよしのこほりにてのこほりにてのこおりにて、、、いとまいとまいとま給たま給たまたまはははりてりてりて、、、大和やまと大和やまとやまとにつかはしけるににつかはしけるににつかわしけるに、、、よみよみよみ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける詞書
  2. 2神無月かみなづき神無月かみなづきかみなづき初句
  3. 3まれのまれのまれの御幸みゆき御幸みゆきみゆきににに二句
  4. 4さそはれてさそはれてさそわれて三句
  5. 5今日けふ今日けふきょう別わか別わかわかれなばれなばれなば四句
  6. 6いつかいつかいつか逢あ逢ああひひい見み見みみむむむ結句

引用の仕方

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現代語訳

〔詞書〕亭子院が宮の滝をご覧になりにお出かけになった御供に、素性法師が召し連れられて参りましたが、住吉の郡で暇をいただいて、大和に帰りました時に詠みました歌。

神無月、まれな御幸に誘われて、今日別れてしまったら、いつまた会えるだろう。

意訳

十月、めったにない法皇の御幸にお供として誘われて来たが、今日ここで別れてしまったら、次はいつ会えるのだろう。

語釈・文法注

亭子院
宇多法皇。
宮の滝
吉野の滝。
御幸
上皇の外出。

和歌

作者
藤原恒佐(ふじわらのつねすけ) 879–938
藤原良世の子。右大臣に至った。一条右大臣と呼ばれた。
出典
『新古今和歌集』巻第九・離別歌・869番
歌体
短歌
状況
詞書「亭子院の宮の瀧御覽じにおはしましける御供に、素性法師めし具せられてまゐりけるを、住吉のこほりにて、いとま給はりて、大和につかはしけるに、よみ侍りける」(亭子院が宮の滝をご覧になりにお出かけになった御供に、素性法師が召し連れられて参りましたが、住吉の郡で暇をいただいて、大和に帰りました時に詠みました歌)。

解説

恒佐の歌。昌泰元年(898年)の宇多上皇の宮滝御幸の折。

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出典

底本
『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、158頁(コマ89)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日