万葉集 巻第一 69番
草枕 旅行く君と
旅に出て行かれるあなただと知っていたなら、岸の赤土で衣を染めてさしあげたのに。住吉の娘が長皇子に献じた歌。

題詞(太上天皇、難波宮に幸せる時の歌)
現代語訳
(草枕)旅に出て行かれるあなただと知っていたなら、岸の赤土で(衣を)染めてさしあげたのに。
意訳
住吉の浜で宴に侍った娘は、貴人がまた旅立っていくと知って名残を惜しむ。もっと早く知っていたら、この岸の美しい赤土で衣を染めて、旅の記念に差し上げたのに、と歌う。別れを惜しむ気持ちと、心尽くしのもてなしができなかった心残りとが、やさしく表されている。
語釈・文法注
- 埴生(はにふ)
- 赤や黄の粘土質の土。衣を染めるのに用いた。住吉の岸の埴生は名高かった。
文法・本文
- 知らませば……にほはさましを
- 「…ませば…まし」は反実仮想。知っていたら、染めてあげたのに。
和歌
- 作者
- 清江娘子(7世紀末〜8世紀初め)
住吉(清江)の娘子。左注には「長皇子に進る。姓氏未だ詳ならず」とある。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・69番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 難波行幸のときの四首の一つ。左注によれば、清江娘子が長皇子に献じた歌。
修辞
- 枕詞
- 「草枕」が「旅」にかかる。
- 反実仮想
- 「…ませば…ましを」で、かなわなかった願いを表す。
解説
住吉の岸の埴生は、衣を染める土として知られ、57番の引馬野の榛と同じく、旅の記念に衣を染める風習を伝えている。この歌は、宴の席で長皇子に侍った土地の娘が、別れに際して詠んだものと考えられる。
65番で長皇子が住吉の弟日娘をたたえた歌があり、この清江娘子を弟日娘と同じ人物とみる説もある。土地の女性が貴人を見送る歌として、素朴で情のこもった一首である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、33頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、26頁(コマ19)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日