平泉
陸奥国いまの岩手県西磐井郡平泉町付近
奥州藤原氏三代の栄華の跡。義経主従が討ち死にした高館で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠み、中尊寺では五百年の風雨に耐えた光堂を「五月雨の降のこしてや光堂」とたたえます。
地図上の位置:中尊寺付近を平泉の代表点として表示。義経堂のある高館はこの東にあります
古典の舞台をたどる
物語の舞台や歌枕を、いまの地図から探す。
かぐや姫の手紙が焼かれた富士の山、光源氏が退いた須磨の浦、那須与一が扇の的を射た屋島、芭蕉が「夏草や」と詠んだ平泉――。当サイトで原文と現代語訳を読める作品から、描かれた場所と作者ゆかりの地を集めました。地名は作品に出てくる呼び名で示し、山城・大和・摂津といった昔の国の名と、いまの都道府県のどちらからでも探せます。
142 地点18 作品36 か国33 都府県

印を選ぶと地名と作品が表示されます。地図が表示されない場合も、右(下)の一覧から探せます。
作品の舞台作者ゆかりの場所旅の道筋(作品を選ぶと表示)
作品に出てくる昔の地名、旧国名、いまの地名、人物名などで探せます。各地点には、地図上の位置をどのように示したかを記しています。
142地点を表示中
陸奥国いまの岩手県西磐井郡平泉町付近
奥州藤原氏三代の栄華の跡。義経主従が討ち死にした高館で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠み、中尊寺では五百年の風雨に耐えた光堂を「五月雨の降のこしてや光堂」とたたえます。
地図上の位置:中尊寺付近を平泉の代表点として表示。義経堂のある高館はこの東にあります
陸奥国いまの宮城県多賀城市付近
「契りきな」の歌では、波が越えないとされた末の松山を、変わらない約束のたとえにしています。
地図上の位置:末の松山の史跡付近
陸奥国いまの宮城県松島町付近
「見せばやな雄島の海人の袖だにも」に詠まれる島。海人の袖の濡れ具合に涙を重ねています。
地図上の位置:松島湾の雄島付近
陸奥国いまの宮城県岩沼市付近
根元から二本に分かれた昔の姿をとどめる歌枕の松。能因の歌や、伐られては植え継がれてきた歴史を思い、「櫻より松は二木を三月越」と詠みます。
地図上の位置:竹駒神社付近を代表点として表示。武隈の松はこの近くにあります
陸奥国いまの宮城県仙台市宮城野区付近
画工加右衛門の案内で、宮城野・玉田・横野・つつじが岡などの歌枕をめぐります。別れぎわに紺の緒の草鞋を贈られ、「あやめ艸足に結ん草鞋の緒」と詠みました。
地図上の位置:榴岡天満宮付近(歌枕の「つつじが岡」)を代表点として表示
陸奥国いまの宮城県多賀城市付近
苔むした碑面に多賀城の創建と修造を記す文字を読みとります。歌枕の多くが失われた中で、千年前の古人の心にじかにふれた感動に涙する場面です。
地図上の位置:多賀城碑付近
陸奥国いまの宮城県塩竈市付近
早朝に参詣した壮麗な社殿。神前の古い宝燈に「文治三年和泉三郎奇進」とあるのを見て、義経に忠義をつくした藤原忠衡をしのびます。
地図上の位置:鹽竈神社・志波彦神社の境内付近
陸奥国いまの宮城県宮城郡松島町付近
松島に渡った翌日、五月十一日に参詣した寺。雲居禅師の徳によって七堂伽藍が整った金色の大寺に、かつての見仏上人の寺をしのびます。
地図上の位置:瑞巌寺境内付近
陸奥国いまの宮城県石巻市付近
平泉をめざして道に迷い、たどり着いた港。金華山を望み、数百の廻船と立ち並ぶ家々の煙に驚きますが、宿を貸す人もいませんでした。
地図上の位置:日和山公園付近を石巻の港の代表点として表示
陸奥国いまの宮城県大崎市付近
鳴子の湯から出羽へ越える関。関守にあやしまれ、山中の封人の家で風雨に閉じこめられて「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠み、昼なお暗い山刀伐峠を越えます。
地図上の位置:尿前の関跡付近
出羽国いまの秋田県にかほ市付近
島々の浮かぶ入江を舟でめぐり、「松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と松島と比べます。雨にぬれるねむの花に西施の面影を見て、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠みました。
地図上の位置:蚶満寺付近。当時の入江は文化元年(1804)の地震で隆起し、いまは水田の中に島々の跡が残ります
出羽国いまの山形県尾花沢市付近
紅花問屋を営む俳人、鈴木清風を訪ねた地。長旅の疲れをいたわる手厚いもてなしにくつろぎ、「涼しさを我宿にしてねまる也」と詠みます。
地図上の位置:芭蕉・清風歴史資料館付近
出羽国いまの山形県山形市付近
岩の上に岩を重ねた山に堂々が静まりかえる寺。その静けさの中で、「閑さや岩にしみ入蟬の聲」と詠みました。
地図上の位置:立石寺(山寺)付近
出羽国いまの山形県北村山郡大石田町付近
最上川を舟で下ろうと日和を待った川港。水かさの増した急流を下る体験を、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠みます。
地図上の位置:大石田町の代表点
出羽国いまの山形県鶴岡市付近
出羽三山の一つ。南谷の別院に泊まり、「有難や雪をかほらす南谷」と詠んで、天台の教えと修験の行が栄える霊山の尊さをたたえます。
地図上の位置:羽黒山の山頂付近(出羽三山神社)
出羽国いまの山形県鶴岡市・東田川郡庄内町付近
白い木綿注連と宝冠を身につけ、強力の案内で氷雪を踏んで登った月山。山頂で一夜を明かして湯殿山へ下り、雪の下に咲く遅桜に心ひかれます。
地図上の位置:月山の山頂付近。湯殿山はその南西にあります
出羽国いまの山形県酒田市付近
最上川を下って着いた日本海の港町。医師の淵庵不玉の家に泊まり、夕日を沈める最上川の河口を「暑き日を海にいれたり最上川」と詠みます。
地図上の位置:日和山公園付近を酒田の港の代表点として表示
陸奥国いまの福島県二本松市付近
平兼盛が「みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれり」と、陸奥にいる女たちをからかって詠んだ地。のちに鬼婆伝説で知られるようになりました。
地図上の位置:黒塚の史跡付近
陸奥国いまの福島県白河市付近
陸奥への入口の関。ここに至ってようやく旅に出た実感がわきます。能因や頼政が歌に詠んだ秋風・紅葉を思いながら、初夏の卯の花の白さを雪にたとえました。
地図上の位置:白河の関跡付近
陸奥国いまの福島県須賀川市付近
旧知の相楽等窮の家に泊まり、「風流の初やおくの田植うた」を発句に連句を巻きます。栗の木陰に住む僧の暮らしに心ひかれ、「世の人の見付ぬ花や軒の栗」と詠みました。
地図上の位置:須賀川市街の代表点
陸奥国いまの福島県福島市付近
「しのぶもぢ摺」の歌枕。模様を摺り出したという石を訪ねると、谷に落とされて裏返しに伏していました。
地図上の位置:文知摺観音付近
陸奥国いまの福島県福島市付近
義経に仕えて討ち死にした佐藤継信・忠信兄弟の菩提寺。一族の墓碑と、兄弟の妻たちの話に涙し、寺宝の義経の太刀・弁慶の笈を見ます。
地図上の位置:医王寺付近
陸奥国いまの福島県福島市付近
土間にむしろを敷いただけの宿で、雨漏りと蚤・蚊に悩まされ、持病まで起こる一夜。旅先で死ぬのも天命と気力をふるい起こして、伊達の大木戸を越えます。
地図上の位置:飯坂温泉の代表点
常陸国いまの茨城県つくば市付近
「筑波嶺の峰より落つるみなの川」の源となる山。恋心が深まるさまを川の流れに重ねています。
地図上の位置:筑波山の山頂付近
下野国いまの栃木県栃木市付近
「煙」を詠む歌枕。同行の曾良が、祭神の木花咲耶姫が無戸室に入って火中で子を産んだ故事など、地名と煙の由来を語って聞かせます。
地図上の位置:大神神社(室の八嶋)境内付近
下野国いまの栃木県日光市付近
宿の主人「仏五左衛門」の正直さに感じ入ったあと、四月一日に日光山に参詣し、「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠みます。黒髪山を望み、裏見の滝にも立ち寄りました。
地図上の位置:日光東照宮付近
下野国いまの栃木県大田原市付近
那須野で馬を貸してくれた農夫と、あとを追う小さな女の子「かさね」。黒羽では城代家老の兄弟に歓待され、十日以上も逗留して周辺の名所を訪ねました。
地図上の位置:黒羽の「芭蕉の館」付近を代表点として表示
下野国いまの栃木県大田原市付近
禅の師、仏頂和尚がかつて山居した寺。杉の古木の奥に岩窟に結びかけた庵の跡を見いだし、「木啄も庵はやぶらず夏木立」の句を柱に残します。
地図上の位置:雲巌寺境内付近
下野国いまの栃木県那須郡那須町付近
玉藻の前の伝説が残る、毒気を吐く石。石の毒気はまだ消えず、蜂や蝶が地面が見えないほど重なって死んでいたと記します。
地図上の位置:殺生石付近
下野国いまの栃木県那須郡那須町付近
西行が「道のべに清水流るる柳かげ」と詠んだと伝わる柳。その陰にたたずむうちに、「田一枚植て立去る柳かな」と詠みます。
地図上の位置:芦野の遊行柳付近
武蔵国いまの埼玉県草加市付近
旅立ちの日にたどり着いた宿場。まだ見ぬ奥羽への期待と、餞別の品が肩に食い込む重さへのぼやきが語られます。
地図上の位置:札場河岸公園付近を草加の宿の代表点として表示
上総国いまの千葉県市原市付近
更級日記の作者が少女時代を過ごした地。物語を読みたい一心で薬師仏に祈り、父の任期が終わった十三歳の秋、京へ向けて旅立ちます。
地図上の位置:上総国分尼寺跡展示館を代表点として表示。上総の国府の位置は確定していません
武蔵国いまの東京都墨田区・台東区付近
武蔵と下総の境の大河。渡し守に急かされて舟に乗った男たちは、都鳥の名を聞いて「名にし負はばいざこと問はむ」と都を思います。更級日記の一行もこの川を渡って相模へ向かいました。
地図上の位置:言問橋付近を代表点として表示。渡し場の位置は特定していません
武蔵国いまの東京都港区付近
武蔵の国で作者が聞いた竹芝寺の由来。都の衛士が帝の姫宮を背負って故郷へ逃げ帰り、二人がそのまま武蔵で暮らしたという伝説が語られます。
地図上の位置:済海寺を代表点として表示。竹芝寺の跡と伝わる地の一つです
武蔵国いまの東京都江東区付近
芭蕉が住まいとした深川の草庵。旅立ちを前に庵を人に譲り、「草の戸も住替る代ぞひなの家」と詠みます。三月二十七日の明け方、ここから舟で隅田川をさかのぼり、千住で見送りの人々と別れました。
地図上の位置:芭蕉稲荷神社・芭蕉庵史跡展望庭園付近。芭蕉庵の跡と伝わる場所です
相模国いまの神奈川県中郡大磯町付近
西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」にちなむ地。三夕の歌の一首として知られます。
地図上の位置:鴫立庵付近。歌の場所をこの地とするのは後世の伝承です
相模国いまの神奈川県横須賀市付近
荒れる海を渡ろうとした倭建命のため、妃の弟橘比売が身を投じて波を鎮めた海。「さねさし相模の小野に燃ゆる火の」の歌を残します。
地図上の位置:走水神社付近。浦賀水道に面した地です
相模国いまの神奈川県鎌倉市付近
鎌倉幕府三代将軍で歌人でもあった源実朝は、鶴岡八幡宮での拝賀を終えて退出する際に暗殺されました。
関連人物:源実朝
地図上の位置:鶴岡八幡宮の境内付近
越後国いまの新潟県三島郡出雲崎町付近
越後路の途中で記された「荒海や佐渡によこたふ天河」。佐渡を望む北国街道の宿場で詠まれたと伝えられます。
地図上の位置:出雲崎町の代表点。句を詠んだ場所はこの地とする伝承があります
越後国いまの新潟県糸魚川市付近
親不知・子不知の難所を越えて泊まった宿。隣の部屋の遊女たちに同行を頼まれますが断り、その哀れさに「一家に遊女もねたり萩と月」と詠みます。
地図上の位置:市振の宿の代表点
佐渡国いまの新潟県佐渡市付近
承久の乱後、佐渡に配流された順徳院の火葬塚。佐渡での生涯を伝えるゆかりの地です。
関連人物:順徳院
地図上の位置:真野御陵の史跡付近
越中国いまの富山県高岡市付近
越中守として赴任した大伴家持が、五年あまりを過ごした地。「春の苑くれなゐにほふ桃の花」など、万葉集の家持の秀歌の多くがここで詠まれました。
地図上の位置:勝興寺付近。越中の国府跡とされる地です
越中国いまの富山県射水市付近
黒部の四十八が瀬を渡って出た越中の浦。歌枕の担籠の藤波は見に行けず、早稲の香の中を進む思いを「わせの香や分入右は有磯海」と詠みます。
地図上の位置:放生津八幡宮付近を代表点として表示
加賀国いまの石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市付近
木曾義仲が夜襲をかけ、平家の大軍を谷底へ追い落とした合戦の地。のちに火牛の計の伝説でも知られるようになりました。
地図上の位置:倶利伽羅付近を峠の代表点として表示
加賀国いまの石川県加賀市付近
白髪を黒く染めて戦った老武者、斎藤別当実盛が討たれた篠原の合戦の地。首を洗うと白髪が現れ、義仲は涙を流したと語られます。
地図上の位置:首洗池付近
加賀国いまの石川県金沢市付近
倶利伽羅峠を越えて着いた城下町。会うのを楽しみにしていた門人の一笑がすでに亡く、追善の会で「塚も動け我泣聲は秋の風」と慟哭します。
地図上の位置:金沢城付近を金沢の代表点として表示
加賀国いまの石川県小松市付近
斎藤実盛の甲と錦の切れを伝える社。白髪を染めて戦い討ち死にした老将をしのび、「むざんやな甲の下のきり〴〵す」と詠みます。実盛の最期は平家物語に語られています。
地図上の位置:多太神社境内付近
加賀国いまの石川県小松市付近
花山法皇が那智・谷汲の名から名づけたと伝わる寺。奇石の上に建つ小堂の清らかさに、「石山の石より白し秋の風」と詠みます。
地図上の位置:那谷寺境内付近
加賀国いまの石川県加賀市付近
「山中や菊はたおらぬ湯の匂」とたたえた湯。腹を病んだ曾良はここから先に伊勢へ向かい、師弟は句を交わして別れます。
地図上の位置:山中温泉の代表点
加賀国いまの石川県加賀市付近
前の夜に曾良が泊まり、「終宵秋風聞やうらの山」と書き残していた寺。一夜を隔てた別れを千里の隔たりと感じ、「庭掃て出るや寺に散柳」と書き捨てて旅立ちます。
地図上の位置:全昌寺境内付近
越前国いまの福井県あわら市付近
加賀と越前の境、吉崎の入江を舟で渡って訪ねた松。西行作と伝える歌ですべての景色が言い尽くされていると述べ、自らは句を添えません。
地図上の位置:吉崎御坊跡付近を代表点として表示。汐越の松はこの西の浜坂にありました
越前国いまの福井県吉田郡永平寺町付近
天龍寺で、金沢から同行してきた北枝と別れ、「物書て扇引さく余波哉」と名残を惜しみます。さらに山に入り、道元禅師の開いた永平寺に参詣しました。
地図上の位置:松岡の天龍寺付近。永平寺はこの東の山中にあります
越前国いまの福井県敦賀市付近
八月十四日の夜、気比神宮に夜参りして遊行上人の砂持の故事を聞き、「月清し遊行のもてる砂の上」と詠みます。翌日の名月の夜は雨でした。
地図上の位置:気比神宮境内付近
越前国いまの福井県敦賀市付近
西行が詠んだ「ますほの小貝」を拾おうと舟で渡った浜。わびしい漁村の寺で夕暮れの寂しさを味わい、「寂しさや須磨にかちたる濱の秋」と詠みます。
地図上の位置:色浜の本隆寺付近
信濃国いまの長野県千曲市付近
妻にせがまれて親代わりのおばを山に捨てた男が、山に照る月を見て「わが心なぐさめかねつ」と詠み、おばを連れ戻します。古今和歌集にも同じ歌が収められています。
地図上の位置:冠着山の山頂付近。冠着山は古くから姨捨山とされる山です
美濃国いまの岐阜県大垣市付近
長い旅の終着地。曾良や門人たちが集まって、死者がよみがえったかのように喜びいたわります。九月六日、伊勢へ向かう舟に乗り、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と詠んで旅を結びます。
地図上の位置:大垣船町川湊(奥の細道むすびの地)付近
駿河国いまの静岡県付近
竹取物語では、帝がかぐや姫の手紙と不死の薬を山頂で焼かせ、その煙が今も立ちのぼると結ばれます。伊勢物語の男は五月にも雪の残る姿に驚き、更級日記の少女は煙を上げる山を見ながら都へ上りました。万葉集では山部赤人が神々しい高嶺をたたえています。
地図上の位置:富士山の山頂付近
駿河国いまの静岡県静岡市駿河区・藤枝市付近
蔦や楓が茂る暗く細い山道で、男たちは顔見知りの修行者に出会い、都の人への文を託します。「夢にも人に逢はぬなりけり」の歌が詠まれます。
地図上の位置:宇津ノ谷峠の「蔦の細道」付近
相模国いまの静岡県小山町・南足柄市付近
暗い山のふもとの宿に、どこからともなく遊女が三人現れ、澄んだ声で歌って山中へ去っていきます。翌朝、一行は雲を足の下に見ながら峠を越えました。
地図上の位置:足柄峠付近
駿河国いまの静岡県静岡市清水区付近
海に面した関で、関屋が並び、海まで柵が続いていたと更級日記は記します。富士の煙と並ぶ、東海道の旅の名所でした。
地図上の位置:清見寺付近を関跡の代表点として表示
駿河国いまの静岡県富士市付近
更級日記には、富士川で拾われた紙に翌年の国司の名が書かれていたという不思議な話が見えます。平家物語では、水鳥の羽音を源氏の大軍と思い込んだ平家が戦わずに逃げ去った場所です。
地図上の位置:富士川下流の代表点。渡しや合戦の場所は特定していません
遠江国いまの静岡県浜松市中央区付近
浜名湖と海をつなぐ水路に架けられていた橋。病をおして旅を続けた更級日記の一行は、橋の跡も見えないほど荒れた浜名を渡りました。
地図上の位置:弁天島付近を代表点として表示。古代の橋の位置や湖の形は現在と異なります
遠江国いまの静岡県掛川市付近
東海道の難所の峠。六十九歳で再び東国へ下る西行が「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」と、命あってもう一度越える感慨を詠みました。
地図上の位置:小夜の中山公園付近
駿河国いまの静岡県焼津市付近
野に誘い出され、火を放たれた倭建命が、草薙の剣で草を刈り、火打ち石で迎え火をつけて難を逃れた地。古事記は地名の由来をこの話に結びつけます。
地図上の位置:焼津神社付近を代表点として表示
三河国いまの愛知県知立市付近
東へ下る男たちが、沢に咲くかきつばたを見て「から衣きつつなれにし」の折句を詠んだ場所。川が蜘蛛手に分かれ、橋を八つ渡したことが地名の由来と語られます。
地図上の位置:八橋かきつばた園(無量寿寺)付近
伊勢国いまの三重県亀山市付近
東征の帰り、伊吹山の神に打たれた倭建命が「倭は国のまほろば」と故郷をしのび、力尽きた地。その魂は白鳥となって飛び去ります。
地図上の位置:能褒野神社付近を代表点として表示
近江国いまの滋賀県大津市付近
京と近江を結ぶ古い関。旅立ちを惜しむ歌と、関守をめぐる故事を踏まえた歌に登場します。石山や唐崎へ向かう日記の旅人も、この関を越えました。
地図上の位置:逢坂山関跡付近
近江国いまの滋賀県大津市付近
観音の霊験で知られた寺で、平安の女性たちがこもって祈りました。蜻蛉日記・和泉式部日記・更級日記の作者がそれぞれ参詣しています。紫式部がここで源氏物語を書き始めたという伝説もあります。
地図上の位置:石山寺境内付近
近江国いまの滋賀県大津市付近
夜明け前に京を出た蜻蛉日記の作者が、逢坂の関を越えて祓えをした琵琶湖のほとり。湖に浮かぶ釣舟や大津の家並みが描かれます。
地図上の位置:唐崎神社付近
近江国いまの滋賀県長浜市付近
北国へ向かう平経正が琵琶湖に浮かぶ島に渡り、弁才天の前で琵琶を弾くと、白竜が姿を現したと語られます。
地図上の位置:竹生島の中央付近
近江国いまの滋賀県大津市付近
都を追われた木曾義仲が、乳母子の今井兼平とともに最期を迎えた粟津の松原の近く。巴御前を落ちのびさせる場面も描かれます。
地図上の位置:義仲寺境内付近。木曾義仲の墓所と伝わる寺です
近江国いまの滋賀県大津市付近
天智天皇の都が置かれたものの、壬申の乱で荒れはてた地。柿本人麻呂が通りかかり、春草の茂る荒都を悲しむ長歌と「ささなみの志賀の辛崎」の反歌を詠みました。
地図上の位置:近江神宮付近を代表点として表示。宮跡(錦織遺跡)はこの近くです
近江国いまの滋賀県東近江市・近江八幡市周辺付近
天智天皇の薬狩りのおり、額田王が「あかねさす紫野行き標野行き」と詠んだ野。大海人皇子の「紫のにほへる妹を」の歌と贈答になっています。
地図上の位置:船岡山付近を蒲生野一帯の代表点として表示
近江国いまの滋賀県大津市付近
宇治で行方を絶った浮舟を助けた「横川の僧都」の住む比叡山の奥。浮舟はこの僧都のもとで出家し、薫が送った使いにも会おうとしないまま物語は終わります。
地図上の位置:比叡山の横川中堂付近
近江国いまの滋賀県米原市付近
東征を終えた倭建命が、草薙の剣を置いたまま素手で神を討ちに登った山。白い猪の姿の神を侮ったため、激しい氷雨に打たれて病み、最期の旅が始まります。
地図上の位置:伊吹山の山頂付近
山城国いまの京都府宇治市付近
喜撰法師が「わが庵は都のたつみ」と詠んだ宇治の山。歌の中では都から見た方角も手がかりになります。
地図上の位置:喜撰山の山頂付近
山城国いまの京都府京都市右京区付近
貞信公の歌に詠まれる紅葉の名所。「峰のもみぢ葉」をもう一度見せたいという思いが描かれます。この歌の由来は大和物語にも語られています。
地図上の位置:嵯峨・小倉山周辺の代表点
山城国いまの京都府京都市右京区付近
「滝の音は絶えて久しく」の歌に詠まれる滝の跡。水音は消えても、その名は伝わるという趣向です。
地図上の位置:大覚寺境内付近を代表点として表示
丹後国いまの京都府宮津市付近
「大江山」の歌で生野を経て向かう丹後の名所。母のもとから届く便りを待つ心情に結びつきます。
地図上の位置:天橋立の中央付近
山城国いまの京都府京都市北区付近
「風そよぐならの小川の夕暮は」に詠まれる川。夏の神事の景色の中に、秋の気配を見いだします。徒然草では、賀茂の競べ馬の見物や、境内の岩本社・橋本社の祭神をめぐる話の舞台になります。
地図上の位置:上賀茂神社境内付近を代表点として表示
山城国いまの京都府乙訓郡大山崎町付近
淀川をさかのぼった一行が船を下りた、京への入口の港町。ここから陸路で荒れはてた京の家へ帰り着きます。
地図上の位置:離宮八幡宮付近を山崎の代表点として表示
山城国いまの京都府京都市西京区付近
二条の后の大原野詣でに供奉した老いた近衛の翁が、「大原や小塩の山も今日こそは」と神代をしのぶ歌を献じます。
地図上の位置:大原野神社境内付近。小塩山はその西にそびえます
山城国いまの京都府綴喜郡井手町付近
大和へ使いに下る内舎人が、井手の里で幼い女の子に帯を与えて将来を約束します。山吹とかわずの名所としても歌に詠まれた里です。
地図上の位置:玉川付近
山城国いまの京都府宇治市付近
源氏物語の最後の十帖「宇治十帖」の舞台。八の宮の姫君たちと薫・匂宮、そして浮舟の物語が宇治川の水音とともに語られます。更級日記の作者はこの渡しで浮舟を思い、平家物語では宇治橋の合戦と、佐々木・梶原の先陣争いの舞台になりました。
地図上の位置:宇治橋付近を代表点として表示
山城国いまの京都府京都市伏見区付近
鴨長明が六十歳を前に結んだ、一丈四方の小さな庵の跡と伝わる地。懸樋の水、春の藤、夏の時鳥、山守の童との散策など、庵の暮らしが語られます。
地図上の位置:「方丈石」付近。鴨長明の庵跡と伝わる場所です
山城国いまの京都府京都市右京区付近
徒然草でおなじみの「仁和寺にある法師」の寺。石清水八幡宮に参りながら山上の本殿を拝まずに帰った法師や、足鼎をかぶって抜けなくなった法師の話が語られます。
地図上の位置:仁和寺境内付近
山城国いまの京都府八幡市付近
仁和寺の法師は、ふもとの極楽寺・高良社だけを拝んで、山上の本殿を参らずに帰ってしまいます。「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」と結ばれる段の舞台です。
地図上の位置:男山山上の本殿付近
丹波国いまの京都府亀岡市付近
聖海上人が、獅子と狛犬が背中合わせに立っているのを見て感涙したところ、子どもたちのいたずらだったと分かる話の舞台です。
地図上の位置:出雲大神宮境内付近
山城国いまの京都府京都市右京区付近
兼家との仲に絶望した蜻蛉日記の作者が、西山の般若寺にこもった地。下山を勧める人々の訪れや便りが続く「山住み」の日々が描かれます。
地図上の位置:鳴滝般若寺町の代表点。般若寺は現存しません
山城国いまの京都府京都市上京区付近
藤原道長の邸宅。紫式部日記は、出産のため里に下った中宮彰子のいるこの邸の秋の景色から始まり、皇子誕生の喜びや行幸の日のようすを記します。
地図上の位置:京都御苑の東部(京都迎賓館付近)を代表点として表示
山城国いまの京都府京都市左京区付近
東山の俊寛の山荘で、平家打倒の密議が開かれます。瓶子(へいじ)が倒れたのを「平氏が倒れた」と喜ぶ場面が知られます。
地図上の位置:俊寛僧都忠誠之碑付近。俊寛の山荘跡と伝わる場所です
山城国いまの京都府京都市右京区付近
清盛の寵愛を失った白拍子の祇王が、母や妹とともに出家して庵を結んだ嵯峨の奥。やがて仏御前も訪れ、四人で念仏の日々を送ります。
地図上の位置:祇王寺境内付近。祇王たちが庵を結んだ往生院の跡と伝わります
山城国いまの京都府京都市右京区付近
清盛をはばかって嵯峨に身を隠した小督を、源仲国が中秋の月夜に琴の音を頼りに探し出します。
地図上の位置:嵐山・渡月橋近くの小督塚付近
山城国いまの京都府京都市左京区付近
壇の浦で助けられた建礼門院が、大原の奥に結んだ庵。後白河法皇が訪れる「大原御幸」と、女院が六道になぞらえて一門の運命を語る場面で物語は閉じられます。
地図上の位置:寂光院境内付近
山城国いまの京都府京都市下京区付近
源融が陸奥の塩竈の景色を庭に写したという邸。伊勢物語や大和物語の歌語りに登場し、源氏物語で夕顔が急死する「なにがしの院」のモデルとする説もあります。
地図上の位置:木屋町通五条下ルの「河原院址」の碑付近を目安として表示
山城国いまの京都府京都市右京区付近
嵯峨の奥の葬送の地。徒然草は「あだし野の露消ゆる時なく」と書き出し、命が常にあるものならもののあわれもないだろうと、無常をむしろ味わいとして語ります。
地図上の位置:化野念仏寺付近
山城国いまの京都府京都市右京区付近
伊勢へ下る斎宮の娘とともに潔斎する六条御息所を、光源氏が晩秋に訪ねる場面の舞台。黒木の鳥居と小柴垣、虫の音の中で二人は別れを惜しみます。
地図上の位置:野宮神社付近。斎宮が潔斎した野宮の跡と伝わる社です
山城国いまの京都府京都市右京区付近
明石の君が母尼君と幼い姫君を連れて上京し、移り住んだ大堰川のほとりの邸。川の音が明石の浦を思わせ、光源氏との再会と姫君との別れが描かれます。
地図上の位置:渡月橋付近を大堰川のほとりの代表点として表示
山城国いまの京都府京都市右京区付近
常寂光寺には、藤原定家の小倉山荘跡と伝わる場所があります。小倉百人一首の成立に関わる地として紹介されています。
関連人物:藤原定家
地図上の位置:常寂光寺境内。山荘跡の伝承地で、位置の確定を意味しません
山城国いまの京都府京都市上京区付近
紫式部が生涯の大半を過ごし、源氏物語や紫式部日記を書いたとされる邸の跡。境内には源氏庭が設けられています。
関連人物:紫式部
地図上の位置:廬山寺境内付近。紫式部の邸の跡とされる場所です
山城国いまの京都府京都市左京区付近
鴨長明は下鴨神社の禰宜の家に生まれ、摂社である河合神社の禰宜になることを望みましたがかないませんでした。境内には方丈の庵の復元があります。
関連人物:鴨長明
地図上の位置:下鴨神社の摂社、河合神社の境内付近
山城国いまの京都府京都市右京区付近
仁和寺の南にある三つの丘。兼好法師がそのふもとに住み、墓所を定めたと伝えられ、近くの長泉寺には兼好の歌碑と墓があります。
関連人物:兼好法師
地図上の位置:双ヶ岡の代表点。兼好が庵を結んだと伝わる丘です
和泉国いまの大阪府高石市付近
「音に聞く」の歌に現れる波の荒い浜。寄せる波と人の噂を掛け合わせています。
地図上の位置:現在の高師浜周辺の代表点。古代の海岸線とは異なります
摂津国いまの大阪府大阪市住吉区付近
海の神をまつる社。土佐日記では、風と波を鎮めるため、船君が大切な鏡を海に投げ入れます。源氏物語では、須磨・明石から戻った光源氏が願ほどきの盛大な参詣をし、明石の君とすれ違います。
地図上の位置:住吉大社境内付近。古代の住吉の浜は現在より東にありました
河内国いまの大阪府八尾市付近
筒井筒の男が通った新しい女の住む里。生駒の山並みを越えて大和から河内へ通う道のりが、妻の歌の「たつた山」に重なります。
地図上の位置:高安山の山頂付近を代表点として表示
河内国いまの大阪府枚方市付近
惟喬親王の離宮。親王と右馬頭の一行は桜を愛で、「世の中にたえて桜のなかりせば」の歌が詠まれます。続いて天の川のほとりで酒宴を開きました。
地図上の位置:枚方市渚元町の代表点。院跡の碑の位置ではありません
摂津国いまの大阪府大阪市中央区付近
蘆の茂る入り江が広がっていた難波潟。百人一首には「難波潟みじかき蘆のふしの間も」など、蘆や澪標を詠んだ恋の歌が並びます。土佐日記の一行はここから淀川をさかのぼり、大和物語の「蘆刈」の夫婦はこの地で別れて暮らします。
地図上の位置:難波宮跡公園付近を代表点として表示。古代の難波潟の入り江は現在の市街地にあたります
摂津国いまの大阪府三島郡島本町付近
新古今和歌集を撰ばせた後鳥羽院が愛した離宮の地。「見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」と、春の夕べの美しさを詠みました。
地図上の位置:水無瀬神宮付近。後鳥羽院の水無瀬離宮の跡と伝わる地です
播磨国いまの兵庫県高砂市付近
「たれをかも」の歌に詠まれる高砂の松。長寿の象徴である松を引き合いに、老いの孤独を詠みます。
地図上の位置:高砂市街の代表点
淡路国いまの兵庫県淡路島付近
「淡路島かよふ千鳥」の歌で、須磨から思いを寄せる島。千鳥の声が旅寝の夜を際立たせます。
地図上の位置:島内の代表点。歌の景色を見る地点ではありません
淡路国いまの兵庫県淡路市付近
「来ぬ人を」の歌に現れる淡路島北部の浦。藻塩を焼く煙と、待ち続ける思いを重ねています。
地図上の位置:松帆の浦周辺の代表点
摂津国いまの兵庫県神戸市中央区付近
芦屋に住む男のもとに集まった衛府の次官たちが見物に出かけた滝。白い水しぶきを、ほどけて散る白玉や涙に見立てた歌が詠まれます。
地図上の位置:雄滝付近
摂津国いまの兵庫県神戸市中央区付近
二人の男に同じほどの志で求婚された娘が、選びかねて身を投げた川。二人の男もあとを追い、三つの塚が残ったと語られます。
地図上の位置:生田神社付近を代表点として表示。古い生田川の流路とは異なります
摂津国いまの兵庫県神戸市須磨区付近
朧月夜との密会が露見した光源氏が、自ら身を引いて退いた海辺。秋風と波の音、都を恋うる日々が描かれ、嵐の夜に物語は明石へ動きます。
地図上の位置:現光寺付近を代表点として表示。光源氏の住まいの跡と伝わる寺です
播磨国いまの兵庫県明石市付近
嵐ののち、夢のお告げに導かれて光源氏が移り住んだ地。明石入道の娘、明石の君と出会い、のちの明石の中宮につながる縁が結ばれます。
地図上の位置:無量光寺付近を代表点として表示。明石入道の浜の館の伝承地の一つです
摂津国いまの兵庫県神戸市須磨区付近
義経の坂落としで平家が総崩れになった合戦の地。海へ逃れようとした平敦盛を熊谷直実が呼び止め、泣く泣く討つ場面がよく知られています。
地図上の位置:須磨浦公園付近を代表点として表示。坂落としの場所には諸説があります
淡路国いまの兵庫県南あわじ市付近
伊耶那岐命と伊耶那美命が天の沼矛で海をかき回し、矛の先からしたたった潮が固まってできた島と伝わる地。ここから国生みが始まります。
地図上の位置:おのころ島神社付近。淤能碁呂島の伝承地の一つです
摂津国いまの兵庫県神戸市兵庫区付近
平清盛が強引に都を移した地。方丈記は、古い都が荒れ、新しい都も定まらない人々の不安を描き、平家物語は遷都と半年での還都を語ります。
地図上の位置:荒田八幡神社付近。福原遷都の際の安徳天皇の行在所跡と伝わる地です
大和国いまの奈良県橿原市付近
「春すぎて」の歌に詠まれる大和三山の一つ。白い衣と新緑の対比が、初夏の訪れを伝えます。
地図上の位置:天香久山の山頂付近
大和国いまの奈良県吉野町周辺付近
雪景色を詠む歌と、秋風が吹く古里を詠む歌に現れる吉野。季節の異なる二首を比べられます。
地図上の位置:吉野山周辺の代表点。歌ごとの眺望地点は特定していません
大和国いまの奈良県斑鳩町付近
「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は」の舞台。紅葉が竜田川に散り、錦のように見える情景です。竜田川・竜田山の紅葉は伊勢物語や大和物語の歌語りにもくり返し現れます。
地図上の位置:三室山付近。竜田川はそのふもとを流れます
大和国いまの奈良県桜井市付近
「憂かりける」の歌に詠まれる初瀬。初瀬の山おろしが、冷たくなった相手の心に重なります。長谷観音への参詣は平安の女性たちのあこがれで、蜻蛉日記・更級日記の作者も旅をし、源氏物語では玉鬘が右近とめぐり会う場所になりました。
地図上の位置:長谷寺付近を初瀬の代表点として表示
大和国いまの奈良県天理市付近
筒井筒の幼なじみが暮らした大和の地と伝わる場所。男が河内へ通う夜、妻は「風吹けば沖つ白波たつた山」と男の身を案じます。
地図上の位置:天理市櫟本町の代表点。在原寺の跡と伝わる在原神社がある地区です
大和国いまの奈良県奈良市付近
帝の寵愛が薄れたことを嘆いた采女が身を投げた池。人麻呂が「わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の」と詠んだと語られます。
地図上の位置:猿沢池の中央付近
大和国いまの奈良県宇陀市付近
軽皇子に従って野宿した柿本人麻呂が、「東の野にかぎろひの立つ見えて」と夜明けの光を詠んだ地。亡き草壁皇子をしのぶ歌でもあります。
地図上の位置:宇陀市大宇陀迫間の代表点。「かぎろひの丘万葉公園」がある地区です
大和国いまの奈良県葛城市付近
謀反の疑いで死を賜った大津皇子が葬られた山。姉の大伯皇女は「明日よりは二上山を弟世と我が見む」と、山を弟と思って生きる悲しみを詠みました。
地図上の位置:二上山の代表点。雄岳には大津皇子の墓とされる墓所があります
大和国いまの奈良県奈良市付近
「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」と、大宰府で小野老が都の繁栄を詠んだ平城京。百人一首では、古い都の八重桜が宮中に献上された場面が詠まれます。
地図上の位置:平城宮跡(大極殿付近)
大和国いまの奈良県奈良市付近
唐に渡った阿倍仲麻呂が、帰国を前に「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と、ふるさとの月を思った山。土佐日記では、船旅の夜の月を見てこの歌が語られます。
地図上の位置:春日大社付近。三笠山(御蓋山)はその背後にあります
大和国いまの奈良県桜井市付近
疫病に苦しんだ崇神天皇の夢に大物主神が現れ、その祭りによって国が鎮まります。夜ごと通う男の衣に糸を刺してたどると三輪山に至ったという、地名の由来の話も語られます。
地図上の位置:三輪山の山頂付近。ふもとに大神神社があります
紀伊国いまの和歌山県和歌山市付近
聖武天皇の紀伊行幸に従った山部赤人が、「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ」と、潮が満ちて鶴が鳴き渡る景色を詠みました。
地図上の位置:和歌浦の代表点。古代の干潟の位置とは異なります
因幡国いまの鳥取県鳥取市付近
「立ち別れ」の歌で、因幡への旅立ちを告げる地名。松と「待つ」を掛けた言葉遊びにつながります。
地図上の位置:稲葉山の山頂付近
因幡国いまの鳥取県鳥取市付近
和邇をだまして海を渡った素兎が、皮をはがれて泣いていた岬と伝わる地。大穴牟遅神(大国主神)が兎を助けます。
地図上の位置:白兎神社付近。「気多の前」の伝承地です
因幡国いまの鳥取県鳥取市付近
因幡守の大伴家持が、新年の宴で「新しき年の初めの初春の」と詠んだ地。万葉集四千五百余首の最後を飾る歌です。
地図上の位置:鳥取市国府町の代表点。国庁跡の位置ではありません
出雲国いまの島根県松江市付近
黄泉の国から逃げ帰った伊耶那岐命が、千引の石で道をふさいだ坂。古事記はこの坂を出雲の伊賦夜坂だと記します。
地図上の位置:黄泉比良坂の伝承地の碑付近
出雲国いまの島根県雲南市付近
八俣の大蛇を退治した須佐之男命が「わが御心すがすがし」と言って宮を造った地。「八雲立つ出雲八重垣」の歌が詠まれます。
地図上の位置:須我神社境内付近。須佐之男命が宮を造った須賀の地と伝わります
出雲国いまの島根県出雲市付近
天から下った建御雷神が剣を逆さに立ててその上に座り、大国主神に国を譲るよう迫った浜。国譲りの舞台です。
地図上の位置:稲佐の浜付近。古事記の「伊耶佐の小浜」とされる浜です
安芸国いまの広島県廿日市市付近
平家一門があつく信仰した社。高倉上皇の厳島御幸や、徳大寺実定が平家の歓心を得るために参詣した話が語られます。
地図上の位置:厳島神社の社殿付近
長門国いまの山口県下関市付近
源平最後の合戦の地。潮の流れが変わって平家は敗れ、二位の尼は幼い安徳天皇を抱いて「波の下にも都のさぶらふぞ」と海に沈みます。
地図上の位置:みもすそ川公園付近。近くには安徳天皇をまつる赤間神宮があります
讃岐国いまの香川県高松市付近
平家の舟に掲げられた扇の的を、那須与一が一矢で射落とした場面の舞台。義経が海に落とした弓を命がけで拾う「弓流」も続きます。
地図上の位置:祈り岩・与一公園付近。那須与一が祈ったと伝わる岩のある場所です
土佐国いまの高知県南国市付近
国司の任期を終えた一行の旅の出発点。見送りの人々との宴が続くなか、任地で亡くした幼い娘への思いが日記の底に流れていきます。
地図上の位置:南国市比江の代表点。国府跡と紀貫之邸跡の碑がある地区です
土佐国いまの高知県室戸市付近
雨と風にはばまれ、一行が何日も足止めされた港。女たちは海辺で水浴びをし、正月十五日の小豆粥も炊けないまま日を数えます。
地図上の位置:室津港付近
筑前国いまの福岡県太宰府市付近
大宰帥の大伴旅人の邸で開かれた梅花の宴。その序の「初春の令月にして気淑く風和ぎ」は、元号「令和」の典拠になりました。
地図上の位置:坂本八幡宮付近。大伴旅人の邸の跡とされる地の一つです
条件に合う地点がありません。キーワードや絞り込みを変えてみてください。
旅を描いた作品は、立ち寄った場所を順に結ぶと道のりが見えてきます。「地図で道筋を見る」を選ぶと、その作品の地点と道筋を地図に表示します。
土佐日記
承平4年(934)12月〜承平5年2月
国府を出た一行は、風待ちを重ねながら室戸岬を回り、阿波の水門(鳴門)を渡って和泉・住吉へ。淀川をさかのぼって山崎で船を下り、京へ帰り着きます。
更級日記
寛仁4年(1020)9月〜12月
物語を読みたい一心の少女が、父とともに上総を発ち、武蔵・相模・駿河・遠江・三河・尾張・美濃・近江を経て京へ上ります。
伊勢物語
第七〜十五段ごろ
「身をえうなきもの」と思いなした男が、友と東国へ下ります。三河の八橋、駿河の宇津の山と富士、武蔵の隅田川と、都を思う歌を重ねていきます。
おくのほそ道
元禄2年(1689)3月〜8月
松尾芭蕉が曾良を伴って江戸深川を発ち、日光・白河の関・松島・平泉を経て奥羽山脈を越え、出羽の立石寺・最上川・出羽三山・象潟へ。日本海沿いに越後・越中・加賀・越前を南下して、美濃の大垣で旅を結びます。
朱色の印は作品に描かれた場所、青色の印は作者の生涯や作品の成立に関わる場所です。印は現代の地図で参照できる地点、または広い地名の代表点で、歌が作られた場所や出来事が起きた正確な位置を示すものではありません。古代の海岸線や川の流れ、地形も現在とは異なる場合があります。
地名は作品の中の呼び名を見出しにし、旧国名(律令制の国)と現在の都道府県を添えています。昔の地名がいまの同じ名の土地を指すとは限りません。たとえば徒然草の「出雲」は島根県ではなく丹波の国の出雲(京都府亀岡市)です。
神話や伝説の舞台、古い建物の跡など、場所が確定していないものは「伝承地」「代表点」と明記して掲載しています。比定に大きな異説があり、代表点も示しにくい地名は掲載を見送っています。旅の道筋は経由地を直線で結んだ目安で、実際の道や航路をたどるものではありません。
地名と作品の関係は、各作品ページの本文・語釈・解説を参照してください。場所の確認には現地の案内資料と OpenStreetMap を用い、背景地図には国土地理院の地理院タイルを使用しています。