
魏志倭人伝
「倭人は帯方の東南大海の中に在り」。三世紀の中国の歴史書が記した倭の国々への道のり、倭人の風俗、女王卑弥呼と魏との往来を、原文と訓み下しで読みます。
作品について
「魏志倭人伝」は、中国の正史『三国志』(西晋の陳寿の撰、三世紀末)のうち、「魏書」巻三十 烏丸鮮卑東夷伝の倭人の条を、日本で呼びならわした名です。二千字ほどの短い記事ですが、文字で書かれた日本の記録がまだない三世紀の倭(日本列島)の様子を伝える、ほとんど唯一のまとまった史料です。
前半は、朝鮮半島の帯方郡から対馬国・一大国(壱岐)・末盧国・伊都国・奴国などを経て、女王の都する邪馬壹国(一般に邪馬台国)に至る道のりと、国々の官・戸数を記します。中ほどは、入れ墨・衣服・食事・葬送・占いなど倭人の風俗と社会のしくみ、後半は、女王卑弥呼が景初二年(238。景初三年の誤りとする説が有力)に魏に使いを送って「親魏倭王」に任じられ、金印と銅鏡百枚などを賜ったこと、狗奴国との争い、卑弥呼の死と宗女壹与(台与)の擁立までを記します。邪馬台国がどこにあったか(九州説・畿内説)をめぐる論争は、この記事の里程と方角の読み方から始まりました。
目次
倭人条の全文を、内容のまとまりと分量をもとに、当サイトで全13章に分けました。章の分け方と題は当サイトで付けたものです。
倭への道のり
倭人の風俗
女王卑弥呼と魏
このページの本文について
原文は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている橋本増吉『東洋史上より観たる日本上古史研究』第一(大岡山書店、昭和7年)の巻頭に載る写真版「紹興版魏志倭人傳縮寫」を底本としました。長澤規矩也氏が所蔵していた南宋の紹興年間の刊本(紹興本)の倭人条を、約二分の一に縮めて写したものです。現在よく使われる百衲本(南宋紹熙刊本)とは字の違うところがあり、たとえば紹熙本の「對海國」を紹興本は「對馬國」に作ります。原文は底本の字体のまま翻刻し、本文の間に小さな字で二行に割って入る注(南朝宋の裴松之の注)は〈〉に入れました。
底本は白文(返り点・送りがなのない漢文)なので、訓み下しは当サイトで付けました。訓み方は、江戸時代以来の訓読の慣用に従い、旧字体と歴史的仮名遣いで書いています。国名・人名・官名の読みは定まっていないものが多く、ふりがなは漢字の音による一つの読み方の目安です。