万葉集 巻第一 68番
大伴の 美津の濱なる
大伴の御津の浜にある忘れ貝――その名のように、家にいる妻を忘れることなどあろうか。難波行幸に従った身人部王の歌。

題詞(太上天皇、難波宮に幸せる時の歌)
現代語訳
大伴の御津の浜にある忘れ貝――その名のように、家にいる妻を忘れて思うことなどあろうか(決して忘れはしない)。
意訳
難波の浜には、拾えば恋しさを忘れられるという「忘れ貝」がある。けれども、どんなに忘れ貝があろうとも、家にいる妻のことを忘れたりはしない、と言い切る。旅先の浜辺の景物を手がかりに、妻への変わらぬ思いを表した歌である。
語釈・文法注
- 忘貝(わすれがひ)
- 二枚貝の片方の殻。拾うと恋しさを忘れられると信じられた。
文法・本文
- 忘れて念へや
- 已然形「念へ」+「や」で反語。忘れて思うことがあろうか、いやない。
- 忘貝(本文)
- 『白文万葉集』は原文を「忘貝」とし、元暦校本の字形を注記する。
和歌
- 作者
- 身人部王(?–729)
伝未詳の王。神亀6年(729)に亡くなったことが『続日本紀』に見える。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・68番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 難波行幸のときの四首の一つ。左注によれば身人部王の作。
修辞
- 序詞
- 「大伴の美津の濱なる忘貝」が、同じ言葉のくり返しで「忘れて」を導く。
- 反語
- 「忘れて念へや」と反語で結ぶ。
解説
「忘れ貝」は、恋の苦しみを忘れさせるという言い伝えのある貝で、万葉集にもしばしば詠まれる。この歌は、その名を序詞に用いて「忘れて」を導き、かえって忘れられない思いを強調している。
旅先で目にした浜辺の貝という身近な景物に、妻への思いを託した歌で、旅の歌と恋の歌が自然に結びついている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、33頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、26頁(コマ19)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日