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更級日記
物語にあこがれた東国育ちの少女が、上京の旅から宮仕え、結婚、夫との死別までの約四十年をふり返って書いた日記を、章ごとに原文で読みます。
作品について
『更級日記』は、菅原孝標の娘(菅原孝標女、1008〜?)が、晩年に自分の生涯をふり返って書いた回想記です。父の任国の上総(今の千葉県中部)で育った作者が、十三歳の寛仁四年(1020)に京へ上る旅から書き起こし、物語に夢中になった少女時代、姉や乳母との死別、三十代での宮仕えと結婚、物詣での日々、そして康平元年(1058)の夫橘俊通の死と、阿弥陀仏の来迎を夢に見る晩年までをつづります。
作品を貫くのは、『源氏物語』をはじめとする物語へのあこがれと、その夢が現実の中でしぼんでゆくことへの思いです。「光源氏ばかりの人はこの世におはしけりやは」と、夢見がちだった若い日を悔いながら、作者は旅の風景や月や花、人との出会いと別れを、多くの和歌とともに書きとめています。
作者の父菅原孝標は菅原道真の子孫で、上総介・常陸介をつとめた受領です。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母にあたり、作者は文学に親しむ家に育ちました。書名は、夫の任国の信濃の歌枕「更級」と、作中の「月も出でで闇にくれたる姨捨に」の歌にちなむとされます。作者は『夜の寝覚』『浜松中納言物語』の作者ともいわれます。
章
上京の旅(寛仁四年・十三歳)
宮仕えと父の東国下向(錯簡のある本文)
物語にあこがれた日々(治安元年〜万寿二年)
宮の同僚と源資通
物詣での日々
晩年
このページの本文について
原文は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(明治36年)所収の「更科日記」(457〜498頁)を底本としています。底本の表記(旧字体・歴史的仮名遣い・踊り字)をそのまま翻刻し、句読点と「」は底本に従いました。本文の脇に小さく刷られた人名・年紀の注や異本の注記は翻刻に入れていません。底本の誤植と思われる所や通行本文と違う所も底本どおりに翻刻し、各章の文法注に断りました。
『更級日記』の古写本は、藤原定家の写した本をもとにしていますが、その本は頁の綴じ違い(錯簡)があったため、明治の活字本の多くは記事の順が入れ替わった本文でした。大正時代に佐佐木信綱・玉井幸助らがこれを正し、今の通行本文の順になりました。国文大観は錯簡のある本文で、たとえば京に着いた直後に宮仕えのころの記事が続きます(第5章)。このサイトでは底本の順のまま読み、錯簡で記事が入れ替わる所は各章の解説で通行本文の順を示しました。
『更級日記』には章の区切りはありません。このサイトの章の分け方と章題は、内容のまとまりと分量をもとに当サイトで付けたものです。
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