万葉集 巻第一 67番
旅にして
旅先で、物恋しげに鳴く鴫の声さえ聞こえなかったなら、恋しさのあまり死んでしまっただろう。難波行幸に従った高安大島の歌。

題詞(太上天皇、難波宮に幸せる時の歌)
現代語訳
旅先で、物恋しげな鴫の鳴く声さえ聞こえなかったなら、恋しさのあまり死んでしまっただろう。
意訳
旅のさびしさの中で、鴫がもの悲しげに鳴いている。その声が、恋しい人を思う自分の心と響き合い、かえって慰めになっている。もしその声もなかったら、恋しさに耐えきれず死んでしまっただろう、と大げさに言うことで、旅の寂しさと恋しさの深さを表している。
語釈・文法注
- 物戀しぎ
- 「物恋し」と鳥の「鴫(しぎ)」を掛ける。物恋しげに鳴く鴫。
文法・本文
- 聞えざりせば……死なまし
- 「…せば…まし」は反実仮想。もし聞こえなかったら、死んでいただろう。
- 原文「孤悲」
- 「恋」を「孤悲(こひ)」と書く。ひとり悲しむ意を字に込めた表記として名高い。
和歌
- 作者
- 高安大島(7世紀末〜8世紀初め)
伝未詳。左注に作者として名が見える。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・67番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 難波行幸のときの四首の一つ。左注によれば高安大島の作。
修辞
- 掛詞
- 「物恋し」と「鴫」を掛ける。
- 反実仮想
- 「…ざりせば…まし」で、恋しさの深さを強調する。
解説
原文で「恋ひて」を「孤悲而」と書いていることは、万葉仮名の表記の工夫としてよく知られている。音を借りるだけでなく、「ひとり悲しむ」という意味を漢字に込めており、編者や筆録者の遊び心がうかがえる。
鳥の声が旅人の心を慰めるという発想は、旅の歌にしばしば見られる。「物恋しぎ」と言葉を掛けて、鳥の声と人の恋心とを重ね合わせる技巧が光っている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、33頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、26頁(コマ19)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日