徒然草 第9章(第50段〜第54段)
伊勢の鬼と仁和寺の法師たち
伊勢から鬼になった女が来たという噂に都じゅうが騒いだ応長の事件、宇治の里人の作った水車、石清水八幡宮で本殿を拝まずに帰った仁和寺の法師、足鼎をかぶって抜けなくなった法師、稚児を驚かそうと埋めた弁当を盗まれた法師たち――世間の騒ぎと、仁和寺の法師たちの失敗談を集める。

- 1のころのころのころ、、、伊勢伊勢いせののの國國くによりよりより女女おんなののの鬼鬼おにになりたるになりたるになりたるをををゐてのぼりたりといふことありてゐてのぼりたりといふことありていてのぼりたりということありて、、、そのころそのころそのころ二十日二十日はつかばかりばかりばかり、、、日日ひごとにごとにごとに、、、京白川京白川きょうしらかわののの人人ひと、、、鬼見鬼見おにみにとてにとてにとて出出いでまどふでまどふでまどう。。。
- 2「「「昨日昨日きのうははは西園寺西園寺さいおんじににに參參まいりたりしりたりしりたりし。。。今日今日きょうははは院院いんへへへまゐるべしまゐるべしまいるべし。。。たゞたゞただ今今いまはははそこそこにそこそこにそこそこに」」」などいひあへりなどいひあへりなどいいあえり。。。まさしくまさしくまさしく見見みたりといふたりといふたりという人人ひともなしもなしもなし。。。上下上下かみしもたゞたゞただ鬼鬼おにののの事事ことのみいひやまずのみいひやまずのみいいやまず。。。
- 3そのころそのころそのころ東山東山ひんがしやまよりよりより、、、へんへまかりへんへまかりへんえまかり侍侍はべりしにりしにりしに、、、四條四條しじょうよりかみざまのよりかみざまのよりかみざまの人人ひと、、、みなみなみな北北きたをををさしてさしてさしてはしるはしるはしる。。。「「「一條一條いちじょう室町室町むろまちににに鬼鬼おにありありあり」」」とのゝしりあへりとのゝしりあへりとののしりあえり。。。
- 4今出川今出川いまでがわののの邊邊べよりよりより見見みやればやればやれば、、、院院いんののの御棧敷御棧敷おおんさじきのあたりのあたりのあたり、、、更更さらにににとほりとほりとおりうううべうべうびょうもあらずもあらずもあらず立立たちこみたりちこみたりちこみたり。。。「「「はやくはやくはやく跡跡あとなきなきなき事事ことにににはははあらざめりあらざめりあらざめり」」」とてとてとて人人ひとをやをやをやりてりてりて見見みするにするにするに、、、大大おおかたあへるものなしかたあへるものなしかたあえるものなし。。。
- 5暮暮くるゝまでかくるゝまでかくるるまでかく立立たちさわぎてちさわぎてちさわぎて、、、はてはてはてははは鬪諍鬪諍とうじょうおこりておこりておこりて、、、あさましきあさましきあさましき事事ことどもありけりどもありけりどもありけり。。。そのころおしなべてそのころおしなべてそのころおしなべて、、、二日三日二日三日ふつかみか人人ひとのわづらふことのわづらふことのわずらうこと侍侍はべりしりしりしをぞをぞをぞ、、、「「「かのかのかの鬼鬼おにののの虛言虛言そらごとははわ、、、このしるしこのしるしこのしるしををを示示しめすなりけりすなりけりすなりけり」」」といふといふという人人ひとももも侍侍はべりしりしりし。。。
- 6ののの御池御池みいけににに、、、ののの水水みずをををまかせられむとてまかせられむとてまかせられむとて、、、大井大井おおいののの土民土民どみんにおほせてにおほせてにおおせて、、、水車水車みずぐるまををを作作つくらせられけりらせられけりらせられけり。。。おほくのあしおほくのあしおおくのあしをををたまひてたまひてたまいて、、、數日數日すじつにいとなみにいとなみにいとなみ出出いだしてかけたりけるにしてかけたりけるにしてかけたりけるに、、、大大おおかためぐらざりければかためぐらざりければかためぐらざりければ、、、とかくなほしけれどもとかくなほしけれどもとかくなおしけれども、、、終終ついにまはらでいたづらにたてりけりにまはらでいたづらにたてりけりにまわらでいたずらにたてりけり。。。
- 7さてさてさて宇治宇治うじののの里人里人さとびとををを召召めしてこしらへさせられければしてこしらへさせられければしてこしらえさせられければ、、、やすらかにゆひてまゐらせたりけるがやすらかにゆひてまゐらせたりけるがやすらかにゆいてまいらせたりけるが、、、おもふやうにめぐりておもふやうにめぐりておもうようにめぐりて、、、水水みずををを汲汲くみみみ入入いるゝことめでたかりけりるゝことめでたかりけりるることめでたかりけり。。。
- 8よろづにそのよろづにそのよろずにその道道みちををを知知しれるものれるものれるものははは、、、やんごとなきものなりやんごとなきものなりやんごとなきものなり。。。
- 9にあるにあるにある法師法師ほうし、、、年年としよるまでよるまでよるまでををををををがまざりければがまざりければがまざりければ、、、心心こころうくおぼえてうくおぼえてうくおぼえて、、、あるあるある時思時思ときおもひたちてひたちていたちて、、、たゞたゞただ一人一人ひとりかちよりまうでけりかちよりまうでけりかちよりもうでけり。。。高良高良こうらなどなどなどををを拜拜おがみてみてみて、、、かばかりとかばかりとかばかりと心得心得こころえてかへりにけりてかへりにけりてかえりにけり。。。
- 10さてさてさて傍傍かたわらののの人人ひとににに逢逢あひてひていて、、、「「「年年としごろごろごろ思思おもひつるひつるいつる事事ことはははたしたしたし侍侍はべりぬりぬりぬ。。。聞聞ききしにもすぎてきしにもすぎてきしにもすぎてたふとたふととうとくこそおはしけれくこそおはしけれくこそおわしけれ。。。そもそもそも參參まいりたるりたるりたる人人ひとごとにごとにごとに山山やまへへへのぼりしのぼりしのぼりしははは、、、何事何事なにごとかありけむかありけむかありけむ、、、ゆかしかりしかどゆかしかりしかどゆかしかりしかど、、、神神かみへへへまゐるこそまゐるこそまいるこそほいなれとほいなれとほいなれと思思おもひてひていて、、、山山やままでまでまでははは見見みずずず」」」とぞいひけるとぞいひけるとぞいいける。。。すこしのすこしのすこしの事事ことにもにもにも、、、はははあらまほしきことなりあらまほしきことなりあらまほしきことなり。。。
- 11これもこれもこれも仁和寺仁和寺にんなじのののほふほふほう師師し、、、童童わらわののの法師法師ほうしにならむとするなごりとてにならむとするなごりとてにならむとするなごりとて、、、おのおのあそぶことありけるにおのおのあそぶことありけるにおのおのあそぶことありけるに醉醉えひてひていて興興きょうににに入入いるあまりるあまりるあまり、、、をををとりてとりてとりて頭頭かしらにかづきたればにかづきたればにかずきたれば、、、つまるやうにするつまるやうにするつまるようにするををを、、、鼻鼻はなをををおしおしおしひらめひらめひらめててて、、、顏顏かおをををさしさしさし入入いれてれてれて舞舞まひひい出出いでたるにでたるにでたるに、、、滿座滿座まんざ興興きょうににに入入いることかぎりなしることかぎりなしることかぎりなし。。。
- 12しばしかなでゝしばしかなでゝしばしかなでて後後のちぬかむとするにぬかむとするにぬかむとするに、、、おおおほかたぬかれずほかたぬかれずほかたぬかれず。。。酒宴酒宴しゅえんことさめてことさめてことさめて、、、いかゞはせむとまどひけりいかゞはせむとまどひけりいかがわせむとまどいけり。。。とかくすればとかくすればとかくすれば、、、首首くびのまはりかけてのまはりかけてのまわりかけて血血ちたりたりたり、、、たゞはれにたゞはれにただわれに腫腫はれみちてれみちてれみちて、、、息息いきもつまりければもつまりければもつまりければ、、、うちわらむとすれどうちわらむとすれどうちわらむとすれど、、、たやすくたやすくたやすかわれわれわれずずず。。。
- 13響響ひびきてきてきて堪堪たへがたかりければへがたかりければえがたかりければ、、、かなかなかなはははですべきですべきですべきやうなくてやうなくてようなくて、、、三足三足みつあしなるなるなる角角つのののの上上うえにににをををうちかけてうちかけてうちかけて、、、手手てをををひきひきひき杖杖づえをををつかせてつかせてつかせて、、、京京きょうなるなるなる醫師醫師くすしのがりゐてのがりゐてのがりいて行行ゆきけるきけるきける。。。
- 14道道みちすがらすがらすがら、、、人人ひとのあやしみのあやしみのあやしみ見見みることかぎりなしることかぎりなしることかぎりなし。。。醫師醫師くすしのもとにさしのもとにさしのもとにさし入入いりてりてりて、、、むかひむかひむかい居居いたりけむありさまたりけむありさまたりけむありさま、、、さこそことやうなりけめさこそことやうなりけめさこそことようなりけめ。。。ものものものをををいふもいふもいうも、、、くゞもりくゞもりくぐもり聲聲こえににに響響ひびきてきてきて聞聞きこえずえずえず。。。
- 15「「「かゝることかゝることかかることははは文文ふみにもにもにも見見みえずえずえず、、、傳傳つたへたるへたるえたる敎敎おしえもなしもなしもなし」」」といへばといへばといえば、、、またまたまた仁和寺仁和寺にんなじへへへかへりてかへりてかえりて、、、親親したしきものしきものしきもの老老おいたるいたるいたる母母ははなどなどなど、、、枕上枕上まくらがみによりによりにより居居いててて泣泣なききき悲悲かなしめどもしめどもしめども、、、聞聞きくらむともおぼえずくらむともおぼえずくらむともおぼえず。。。
- 16かゝるかゝるかかるほどにあるものゝいふやうほどにあるものゝいふやうほどにあるもののいうようははは、、、「「「たとひたとひたとい耳鼻耳鼻みみわなこそこそこそきれきれきれうすうすうすともともとも、、、命命いのちばかりばかりばかりはははなどかなどかなどか生生いきざらむきざらむきざらむ。。。たゞたゞただ力力ちからをををたてゝたてゝたてて引引ひききき給給たまへへえ」」」とてわらのしべとてわらのしべとてわらのしべをををまはりにさしまはりにさしまわりにさし入入いれてれてれて、、、かねかねかねをををへだてゝへだてゝへだてて、、、首首くびもちぎるばかりもちぎるばかりもちぎるばかり引引ひきたるにきたるにきたるに、、、耳鼻耳鼻みみわなはははかけかけかけうけうけうけながらぬけにけりながらぬけにけりながらぬけにけり。。。からきからきからき命命いのちまうけてまうけてもうけて、、、久久ひさしくやみしくやみしくやみ居居いたりけりたりけりたりけり。。。
- 17にいみじきちごのありけるにいみじきちごのありけるにいみじきちごのありけるををを、、、いかでさそひいかでさそひいかでさそい出出いだしてしてして遊遊あそばむとたくむばむとたくむばむとたくむ法師法師ほうしどもありてどもありてどもありて、、、能能のうあるあそびあるあそびあるあそび法師法師ほうしどもなどかたらひてどもなどかたらひてどもなどかたらいて、、、風流風流ふりゅう、、、ねんごろにいとなみねんごろにいとなみねんごろにいとなみ出出いでゝでゝでて、、、箱風情箱風情はこふぜいのものにしたゝめのものにしたゝめのものにしたため入入いれてれてれて、、、ののの岡岡おかののの便便びんよきよきよき所所ところにににうづみおきてうづみおきてうずみおきて、、、紅葉紅葉もみじちらしかけなどちらしかけなどちらしかけなど、、、思思おもひよらぬさまにしてひよらぬさまにしていよらぬさまにして、、、御所御所ごしょへへへ參參まいりてりてりて、、、ちごちごちごをををそゝのかしそゝのかしそそのかし出出いでにけりでにけりでにけり。。。
- 18うれしくうれしくうれしく思思おもひてひていて、、、こゝかしここゝかしこここかしこ遊遊あそびめぐりてびめぐりてびめぐりて、、、ありつるありつるありつる苔苔こけののの筵筵むしろになみゐてになみゐてになみいて、、、「「「いといといとうこそこうじにたれうこそこうじにたれうこそこうじにたれ。。。あはれあはれあわれ紅葉紅葉もみじををを燒燒やかむかむかむ人人ひともがなもがなもがな。。。しるしあらむしるしあらむしるしあらむ僧僧そうたちたちたち、、、いのりいのりいのり試試こころみられよみられよみられよ」」」などいひしろひてなどいひしろひてなどいいしろいて、、、埋埋うずみつるみつるみつる木木きのもとにのもとにのもとに向向むかひてひていて、、、數珠數珠ずずおしすりおしすりおしすり、、、印印いんことごとしくむすびいでなどしてことごとしくむすびいでなどしてことごとしくむすびいでなどして、、、いらなくいらなくいらなくふるまひてふるまひてふるまいて、、、木木きののの葉葉はをををかきのけたれどかきのけたれどかきのけたれど、、、つやつやものもつやつやものもつやつやものも見見みえずえずえず、、、所所ところのたがひたるにやとてのたがひたるにやとてのたがいたるにやとて、、、堀堀ほりらぬらぬらぬ所所ところもなくもなくもなく山山やまをををあされどもなかりけりあされどもなかりけりあされどもなかりけり。。。
- 19埋埋うずみけるみけるみけるををを人人ひとののの見見みおきておきておきて、、、御所御所ごしょへへへ參參まいりたるりたるりたる間間まににに盜盜ぬすめるなりけりめるなりけりめるなりけり。。。法師法師ほうしどもことどもことどもこと葉葉はなくてなくてなくて、、、聞聞ききにくゝいさかひきにくゝいさかひきにくくいさかい腹腹はらだちてだちてだちて歸歸かえりにけりりにけりりにけり。。。あまりにあまりにあまりに興興きょうあらむとすることあらむとすることあらむとすることははは、、、必必かならずあいなきものなりあいなきものなりあいなきものなり。。。
現代語訳
〔第50段〕応長のころ、伊勢国から、女が鬼になったのを連れて上京してきたといううわさがあって、そのころ二十日ほど、毎日、京や白川の人が鬼を見に行くといって、うろうろと出歩いた。「昨日は西園寺に参っていたそうだ」「今日は院の御所へ参るだろう」「ただ今はどこそこに」などと言い合っていた。たしかに見たという人もいない。身分の高い者も低い者も、ただ鬼のことばかり言いやまない。そのころ、東山から安居院のあたりへ参りましたところ、四条から北の方の人が、みな北をさして走っていく。「一条室町に鬼がいる」と大声で騒ぎ合っている。今出川のあたりから見やると、院の御桟敷のあたりは、まったく通れそうもないほど人が立てこんでいた。「やはり根も葉もないことではなさそうだ」と思って、人をやって見させたが、だれも鬼に会った者はいない。日が暮れるまでこうして騒ぎたてて、しまいには喧嘩が起こって、あきれるような事件もあった。そのころ、どこでも人が二、三日病気になることがありましたのを、「あの鬼のうそ話は、この前兆を示していたのだ」と言う人もいました。
〔第51段〕亀山殿の御池に、大井川の水を引き入れようとして、大井の土地の人々に命じて、水車を造らせなさった。たくさんのお金を下さって、何日もかけて造りあげてかけたところ、まったく回らなかったので、あれこれ直したけれど、とうとう回らないで、むだに立っていた。そこで宇治の里人をお呼びになって造らせなさると、たやすく組み上げて差しあげたのが、思いどおりに回って、水を汲み入れることみごとであった。何事につけても、その道を知っている者は、尊いものである。
〔第52段〕仁和寺にいたある法師が、年をとるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、情けなく思って、ある時思い立って、たった一人で歩いてお参りした。(山のふもとの)極楽寺や高良社などを拝んで、これだけのものと思いこんで帰ってしまった。さて、仲間の人に会って、「長年思っていたことを果たしました。聞いていた以上に尊くていらっしゃいました。それにしても、参詣する人がみな山へ登っていったのは、何があったのでしょうか、知りたかったけれど、神へお参りするのこそ本来の目的だと思って、山までは見ませんでした」と言った。ちょっとしたことにも、案内者はあってほしいものである。
〔第53段〕これも仁和寺の法師の話。稚児が法師になろうとする名残だといって、みなで遊ぶことがあったときに、酒に酔って興に乗るあまり、そばにあった足鼎を取って頭にかぶったところ、つかえるようになるのを、鼻を押しつぶして顔を差し入れて舞い出たので、満座の人は大喜びであった。しばらく舞ってから抜こうとすると、まったく抜けない。酒宴も興ざめして、どうしたらよかろうと途方にくれた。あれこれするうちに、首のまわりが傷ついて血が流れ、ただもう腫れに腫れあがって、息もつまってきたので、打ち割ろうとするけれど、たやすくは割れない。(たたくと頭に)響いてたえがたかったので、どうしようもなくて、三本足の角の上に帷子をかぶせて、手を引き杖をつかせて、京の医者のところへ連れて行った。道中、人が怪しんで見ることといったらこの上ない。医者のところに入って、向かい合っていたであろうありさまは、さぞ異様だったことだろう。ものを言っても、くぐもった声で響いて聞こえない。(医者が)「こんなことは医書にも見えず、伝えられた教えもない」と言うので、また仁和寺へ帰って、親しい者や年老いた母などが枕もとに寄って泣き悲しむけれど、(本人は)聞こえているとも思えない。そうしているうちに、ある者が言うには、「たとえ耳や鼻がちぎれてなくなっても、命だけはどうして助からないことがあろうか。ただ力いっぱい引っ張りなさい」と言って、わらのしべをまわりに差し入れて、金属から(顔を)へだてて、首もちぎれるほど引っ張ったところ、耳や鼻は欠けて穴があきながら抜けた。危ない命を拾って、長い間病んでいた。
〔第54段〕仁和寺の御室に、すばらしい稚児がいたのを、何とかして誘い出して遊ぼうとたくらむ法師たちがいて、芸のできる遊び法師たちなどを仲間に入れて、しゃれた弁当箱のようなものを心をこめてこしらえ、箱のようなものに詰め入れて、双の岡の都合のよい所に埋めておいて、紅葉を散らしかけるなど、思いもよらない様子にしておいて、御所へ参って、稚児を誘い出した。うれしく思って、あちこち遊びまわって、さっきの苔の筵に並んで座って、「ひどく疲れてしまった。ああ、紅葉を焼いて酒を温めてくれる人がいればなあ。霊験のある僧たちよ、祈ってごらんなさい」などと言い合って、埋めた木のもとに向かって、数珠を押しもみ、印をおおげさに結んだりして、仰々しくふるまって、木の葉をかきのけたけれど、まったく何も見えない。場所がちがうのかと、掘らない所もないほど山中を探しまわったけれど、なかった。埋めるのを人が見ていて、御所へ参っている間に盗んだのであった。法師たちは言葉もなく、聞き苦しく言い争い、腹を立てて帰ってしまった。あまりに趣向をこらそうとすることは、必ずつまらない結果になるものである。
意訳
〔第50段〕伊勢から鬼女が来たといううわさで、都じゅうが二十日も鬼を探して走り回り、喧嘩まで起きたが、だれ一人実際に見た者はいなかった。うわさに踊らされる群衆の姿を、兼好は自分も人をやって確かめさせた体験を交えて、冷静に書きとめている。
〔第51段〕大井の人が何日かけても回らなかった水車を、宇治の里人はあっさりと組み上げた。専門家の知恵の尊さを説く。
〔第52段〕石清水八幡宮は男山の山上にあるのに、ふもとの末社を拝んで本殿と思いこみ、山に登る人々を不思議に思いながら帰ってきた法師。「すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり」の教訓で名高い。
〔第53段〕〔第54段〕宴会で足鼎をかぶって踊り、抜けなくなって耳と鼻を失いかけた法師。稚児を驚かせようと弁当を埋めて、まじないで掘り出す芝居をするつもりが、だれかに盗まれていた法師たち。仁和寺の法師たちの失敗談は、悪ふざけや凝りすぎた趣向の末路を、笑いとともに描く。
語釈・文法注
- 應長
- 鎌倉時代の年号(1311〜1312)。
- 安居院
- 京都の大宮通の東、今出川の北にあった天台宗の寺。
- 龜山殿
- 後嵯峨上皇が嵯峨に造った御所。のち亀山上皇が住んだ。今の天龍寺のあたり。
- 大井川
- 京都の嵐山のふもとを流れる川。大堰川。
- 仁和寺
- 京都の御室にある真言宗の寺。宇多天皇が開いた。兼好は近くの双ヶ岡に住んだことがある。
- 石淸水
- 石清水八幡宮。京都府八幡市の男山の山上にある神社。
- 極樂寺高良
- 石清水八幡宮の山のふもとにあった極楽寺と、末社の高良社。
- 先達
- その道の先輩。案内者。
- あしがなへ
- 足鼎。三本の足のついた金属製の器。湯を沸かしたり物を煮たりする。
- 帷子
- 裏地のない夏の衣。
- 御室
- 仁和寺のこと。また、そこに住む法親王。
- 雙の岡
- 双ヶ岡。仁和寺の南にある丘。兼好が住んだところ。
- わりご
- 破子。中に仕切りのある弁当箱。
文法
- あらざめり
- 「あらざるめり」の撥音便「あらざんめり」の撥音の無表記。ないようだ。
- とほりうべうもあらず
- 「うべう」は「得べく」のウ音便。通ることができそうにもない。
- ほふ師
- 底本は「ほふ師」と書く。法師。
- さこそことやうなりけめ
- 「さこそ…けめ」は、さぞ…だったろう。過去の推量「けむ」の已然形で、「こそ」の結び。
- などか生きざらむ
- 「などか…む」は反語。どうして生きないことがあろうか、きっと助かる。
解説
第50段の鬼の騒ぎは、応長元年(1311)の実際の出来事と考えられている。「まさしく見たりといふ人もなし」と、だれも見ていないのにうわさだけが広がるさまを、兼好は冷めた目で記している。最後に「この病のしるしを示すなりけり」と言う人がいたと書き添えるのは、うわさを後からこじつける人の心理までとらえていて、おもしろい。
第52段から第54段までは、仁和寺の法師たちの失敗談である。兼好は仁和寺に近い双ヶ岡に住んだことがあり、寺の内情に通じていた。第52段の「すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり」は、『徒然草』の中でもっともよく知られた言葉の一つで、学校の教科書にもよく取り上げられる。
第53段の足鼎の話は、笑い話であると同時に、命にかかわる失敗でもある。兼好は笑うだけでなく、母親が枕元で泣き悲しむ場面まで書いている。第54段は「あまりに興あらむとすることは、必あいなきものなり」と結び、凝りすぎた趣向への戒めとしている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、782〜784頁(コマ405–406)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日