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おくのほそ道 第19章

壺の碑

加右衛門の絵図をたよりに十符の菅を見て、多賀城の壺の碑を訪ねる。苔むした碑面に、多賀城の創建と修造を記す文字を読みとり、山河が変わり歌枕の多くが失われた中で、千年前の古人の心にじかにふれた感動に涙する。

苔におおわれた古い石碑の文字を、身をかがめて読む芭蕉(AI生成)
苔におおわれた古い石碑の文字を、身をかがめて読む芭蕉
  1. 1かのかのかの畫圖ゑづ畫圖ゑづえずにまかせてたどりにまかせてたどりにまかせてたどり行ゆけ行ゆけゆけばばば、、、おくのおくのおくのののの山際やまぎは山際やまぎはやまぎわににに、、、ののの菅有すげあり菅有すげありすげあり。。。今いま今いまいまももも年々としどし年々としどしとしどし十符とふ十符とふとふののの菅菰すがごも菅菰すがごもすがごもををを調ととのへ調ととのへととのえててて、、、國守こくしゆ國守こくしゆこくしゅににに獻けん獻けんけんずとずとずと云い云いいりりり。。。
  2. 2壺碑つぼのいしぶみ壺碑つぼのいしぶみつぼのいしぶみ   市川村多賀城いちかはむらたがじやう市川村多賀城いちかはむらたがじやういちかわむらたがじょうににに有あり有ありあり
  3. 3石いし石いしいしぶみぶみぶみははは、、、高たか高たかたかサササ六尺餘ろくしやくよ六尺餘ろくしやくよろくしゃくよ、、、横三尺斗歟よこさんじやくばかりか横三尺斗歟よこさんじやくばかりかよこさんじゃくばかりか。。。苔こけ苔こけこけををを穿うが穿うがうがててて文字幽也もんじかすかなり文字幽也もんじかすかなりもんじかすかなり。。。をををしるすしるすしるす。。。ととと有あり有ありあり。。。
  4. 4ののの御時おほんとき御時おほんときおおんときににに當あた當あたあたれりれりれり。。。むかしよりよみむかしよりよみむかしよりよみ置お置おおるるるおほくおほくおおく語傳かたりつた語傳かたりつたかたりつたふといへどもふといへどもうといえども、、、山崩川落やまくづれかはおち山崩川落やまくづれかはおちやまくずれかわおちててて道みち道みちみちあらたまりあらたまりあらたまり、、、石いし石いしいしははは埋うづ埋うづうずててて土つち土つちつちにかくれにかくれにかくれ、、、木き木ききははは老お老おおててて若木わかぎ若木わかぎわかぎにかはればにかはればにかわれば、、、時とき時ときとき移うつ移うつうつりりり代變よへん代變よへんよへんしてしてして其そ其そそ跡あと跡あとあとたしかならぬたしかならぬたしかならぬ事こと事ことことのみのみのみををを、、、爰ここ爰ここここににに至いた至いたいたりてりてりて疑うたがひ疑うたがひうたがいなきなきなき千せん千せんせん歳さい歳さいさいののの、、、今眼前いまがんぜん今眼前いまがんぜんいまがんぜんににに古人こじん古人こじんこじんののの心こころ心こころこころをををすすす。。。
  5. 5行脚あんぎや行脚あんぎやあんぎゃののの一德いつとく一德いつとくいっとく、、、存命ぞんめい存命ぞんめいぞんめいののの悦よろこ悦よろこよろこびびび、、、羈旅きりよ羈旅きりよきりょののの勞らう勞らうろうをををわすれてわすれてわすれて泪なみだ泪なみだなみだももも落おつ落おつおつるばかりるばかりるばかり也なり也なりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

あの加右衛門の絵図のとおりにたどって行くと、奥の細道の山際に十符の菅がある。今も毎年、十符の菅菰を作って、藩主に献上しているという。

壺の碑(市川村多賀城にある)

壺の碑は、高さ六尺あまり、横幅は三尺ほどであろうか。苔をうがつようにして文字がかすかに見える。四方の国境からの里数を記している。「この城は、神亀元年、按察使鎮守府将軍大野朝臣東人が置いたものである。天平宝字六年、参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣朝獦が修造した。十二月一日」とある。聖武天皇の御代にあたる。昔から詠みおかれた歌枕は、数多く語り伝えられているけれども、山は崩れ、川は流れを変えて道も改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代わってしまうので、時が移り代が変わって、その跡がはっきりしないものばかりであるのに、ここに来て、疑いようのない千年前の記念物を目の当たりにし、今、目の前に古人の心を見る思いがする。これこそ行脚の一つの徳、生きながらえた喜びであって、旅の苦労も忘れて、涙もこぼれるばかりである。

意訳

ここまで芭蕉は、名のみ残って姿の変わり果てた歌枕を、いくつも見てきた。浅香山の花かつみは誰も知らず、しのぶもぢ摺の石は谷に落とされ、笠島の実方の墓には行けなかった。

その中で、壺の碑だけは千年前の文字をそのまま刻んで立っていた。「山崩川落て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば」――自然も人の世も移り変わってしまう無常のただ中で、変わらずに残ったものに出会えた驚きと喜びが、『おくのほそ道』の中でも最も感情の高ぶった文章となっている。

「行脚の一德、存命の悦び」とは、つらい旅を続け、生きてここまで来られたからこそ、この感動にめぐり会えたということである。旅に死ぬ覚悟で出てきた芭蕉の、生きていることへの感謝の言葉でもある。

語釈・文法注

十符の菅
編み目が十筋ある菰を編むための菅。陸奥の名産として歌に詠まれた。「みちのくの十符の菅菰七符には君を寝させて三符に我寝む」。
おくの細道
仙台から多賀城へ向かう途中の岩切あたりの道の名。作品の題もこれにちなむとされる。
つぼの石ぶみ
壺の碑。古来「みちのくの奥ゆかしくぞ思ほゆる壺の碑外の浜風」(西行)などと詠まれた歌枕。芭蕉が見たのは、多賀城跡にある多賀城碑で、本来の壺の碑(青森県の坪村にあったという)とは別のものとされるが、江戸時代にはこれを壺の碑と考えた。
四維國界之數里
四方の国境までの里数。碑には京・蝦夷国・常陸国・下野国・靺鞨国の境までの里数が刻まれている。
按察使
地方行政を監察する官。
聖武皇帝
聖武天皇。神亀元年(724)に即位した。
哥枕
歌枕。和歌に詠まれた名所。
記念
形見。昔をしのぶよすが。
閲す
見て確かめる。

文法

所里也
底本どおり。碑文の原文は「所置也(置く所なり)」で、底本の「里」は誤植と思われる。
惠美朝臣獦修造而
底本どおり。碑文の原文は「藤原恵美朝臣朝獦修造也」で、恵美朝臣朝獦(藤原仲麻呂の子)が修造したことをいう。
斗歟
「ばかりか」。〜ほどであろうか。
事のみを
「を」は逆接の接続助詞。ことばかりであるのに。

解説

多賀城碑は宮城県多賀城市の多賀城跡に立つ石碑で、高さ約248センチ。神亀元年(724)に大野東人が多賀城を置き、天平宝字六年(762)に藤原朝獦が修造したことを記す。江戸時代初期に土中から掘り出され、壺の碑として有名になった。明治以後、偽作説も出されたが、現在では奈良時代の真物と認められ、2024年に国宝に指定された。

曾良の『随行日記』によれば、五月八日に十符の菅と壺の碑を見て、塩竈に泊まっている。本文は碑文の一部を引くが、底本には「所里也」「惠美朝臣獦」など、碑文の原文と違う所がある。

この章の「山崩川落て」以下の一節は、無常と不変、失われたものと残されたものを対比させる、『おくのほそ道』全体の主題を凝縮した文章とされる。次の平泉の章の「國破れて山河あり」と並んで、作品の思想の中心をなしている。

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出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、13〜14頁(コマ15–16)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日