古典ライブラリー

平家物語 巻第五

富士川の事

頼朝挙兵の報を受け、平家は維盛を大将軍、忠度を副将軍として東国へ討手を下した。富士川で源氏の大軍と向き合った平家は、斎藤別当実盛から坂東武者の強さを聞いておびえ、夜半、水鳥がいっせいに飛び立つ羽音を源氏の夜襲と思いこんで、戦わずに逃げ帰った。頼朝はこれを八幡大菩薩の御はからいと拝み、都では平家をあざける落書がはやった。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんののの由よし由よしよし頻しき頻しきしきりりりににに風ふう風ふうふう聞ぶん聞ぶんぶんありありありしかしかしかばばば、、、福ふく福ふくふく原はら原はらはらにににははは公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう僉せん僉せんせん議ぎ議ぎぎあつあつあっててて、、、今いま今いまいま一いち一いちいち日にち日にちにちももも勢せい勢せいせいのののつかつかつかぬぬぬ先さき先さきさきににに、、、急いそ急いそいそぎぎぎ討うつ討うつうつ手て手ててををを下くだ下くだくださささるるるべしべしべしとてとてとて、、、大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにににははは小こ小ここ松まつ松まつまつののの權ごん權ごんごんののの亮すけ亮すけすけ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもり、、、副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにににははは薩さつ薩さつさつ摩ま摩ままののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ度のり度のりのり、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい大たい大たいたい將しやう將しやうしょうにににははは上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ清きよ清きよきよををを先さき先さきさきとととしてしてして、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい三さん三さんさん萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、九く九くく月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにちににに新しん新しんしん都と都ととををを立た立たたつつっててて、、、あくるあくるあくる十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにちにににははは舊きう舊きうきゅう都と都ととににに著つ著つつききき、、、やがてやがてやがて同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう日にち日にちにちののの日ひ日ひひ東とう東とうとう國ごく國ごくごくへへへこそこそこそ赴おもむ赴おもむおもむかかかれれれけれけれけれ。。。
  2. 2大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん小こ小ここ松まつ松まつまつののの權ごん權ごんごんののの亮すけ亮すけすけ維これ維これこれ盛もり盛もりもりははは生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん二に二にに十じふ十じふじゅう三さん三さんさん、、、容よう容ようよう儀ぎ儀ぎぎ帶たい帶たいたい佩はい佩はいはい、、、繪ゑ繪ゑえにににかくかくかくともともとも筆ふで筆ふでふでももも及およ及およおよびびび難がた難がたがたししし。。。重ぢゆう重ぢゆうじゅう代だい代だいだいののの著き著きき背せ背せせ長なが長ながなが唐から唐からから革かは革かはかわととといふいふいう鎧よろひ鎧よろひよろいをををばばば、、、唐から唐からから櫃うと櫃うとうとににに入い入いいれれれててて舁か舁かかかかかせせせらるらるらる。。。道だう道だうどう中ちゆう中ちゆうちゅうにににははは赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに萌もえ萌もえもえ黄ぎ黄ぎぎ匂にほひ匂にほひにおいののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、連れん連れんれん錢ぜん錢ぜんぜん葦あし葦あしあし毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまににに金きん金きんきん覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの鞍くら鞍くらくらををを置お置おおいいいててて乘の乘ののりりり給たま給たまたまへへえりりり。。。副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん薩さつ薩さつさつ摩ま摩ままののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ度のり度のりのりははは紺こん紺こんこん地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに、、、黑くろ黑くろくろ絲いと絲いといと縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、黑くろ黑くろくろききき馬むま馬むまうまののの太ふと太ふとふとううう逞たくま逞たくまたくましきしきしきににに、、、鑄い鑄いい懸かけ懸かけかけ地ぢ地ぢじののの鞍くら鞍くらくらををを置お置おおいいいててて乘の乘ののりりりたまへたまへたまえりりり。。。馬うま馬うまうま鞍くら鞍くらくら、、、鎧よろひ鎧よろひよろい兜かぶと兜かぶとかぶと、、、弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢やや、、、太た太たた刀ち刀ちち、、、刀かたな刀かたなかたなににに至いた至いたいたるるるまでまでまで、、、照て照ててりりり輝かゞや輝かゞやかがやくくく程ほど程ほどほどににに出い出いいででで立た立たたたたたれれれたれたれたればばば、、、めづらしかりめづらしかりめずらしかりししし見けん見けんけん物ぶつ物ぶつぶつなりなりなり。。。
  3. 3中なか中なかなかにににももも副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん薩さつ薩さつさつ摩ま摩ままののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ度のり度のりのりははは、、、あるあるある宮みや宮みやみや腹ばら腹ばらばらののの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうのののもともともとへへへ通かよ通かよかよははわれれれけるけるけるががが、、、あるあるある夜よ夜よよおはしおはしおわしたりたりたりけるけるけるににに、、、このこのこの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうののの局つぼね局つぼねつぼねににに、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう客まら客まらまら人うど人うどうど來き來ききててて、、、さささ夜よ夜よよもももやう〳〵やう〳〵ようよう更ふ更ふふけけけゆくゆくゆくまでまでまで歸かへ歸かへかえりりり給たま給たまたまははわずずず。。。忠たゞ忠たゞただ度のり度のりのり軒のき軒のきのき端ば端ばばにににたゝずんたゝずんたたずんででで、、、扇あふぎ扇あふぎおうぎををを荒あら荒あらあらくくくつかはつかはつかわれれれけれけれければばば、、、かのかのかの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう、、、「「「野の野ののもせもせもせにににすだくすだくすだく蟲むし蟲むしむしののの音ね音ねねよよよ。。。」」」ととと、、、優いう優いうゆうににに口くち口くちくちずさみずさみずさみ給たま給たまたまへへえばばば、、、扇あふぎ扇あふぎおうぎをををやがてやがてやがて使つか使つかつかひひいやみやみやみてててぞぞぞ歸かへ歸かへかえららられれれけるけるける。。。そのそのその後のち後のちのちおはしおはしおわしたるたるたる夜よ夜よよ、、、「「「いついついつぞぞぞややや何なに何なになにとてとてとて、、、扇あふぎ扇あふぎおうぎをををばばばつかひつかひつかいやみやみやみしししぞぞぞややや。。。」」」ととと問と問ととはははれれれけれけれければばば、、、「「「いさいさいさ、、、かしがましかしがましかしがましなどなどなど聞きこ聞きこきこえええ侍はべ侍はべはべりりりししし程ほど程ほどほどににに、、、さてさてさてこそこそこそ扇あふぎ扇あふぎおうぎをををばばば使つか使つかつかひひいやみやみやみてててははは候さふら候さふらそうらひひいしかしかしか。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。そのそのその後のち後のちのち、、、このこのこの女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう、、、薩さつ薩さつさつ摩ま摩ままののの守かみ守かみかみのののもともともとへへへ小こ小ここ袖そで袖そでそでををを一ひと一ひとひと襲かさね襲かさねかさねつかはすつかはすつかわすとてとてとて、、、千せん千せんせん里り里りりののの名な名なな殘ごり殘ごりごりののの惜を惜をおしさしさしさににに、、、一いつ一いついっ首しゆ首しゆしゅののの歌うた歌うたうたををを書か書かかききき添そ添そそへへえててて贈おく贈おくおくららられれれけるけるける。。。
  4. 4東あづま東あづまあずま路ぢ路ぢじののの草くさ草くさくさ葉ば葉ばばをををわけわけわけててて袖そで袖そでそでよりよりよりもももたたたたたたぬぬぬたもとたもとたもとののの露つゆ露つゆつゆぞぞぞこぼるゝこぼるゝこぼるる
  5. 5薩さつ薩さつさつ摩ま摩ままののの守かみ守かみかみののの返へん返へんへん事じ事じじににに、、、
  6. 6別わか別わかわかれれれ路ぢ路ぢじををを何なに何なになにかかかなげかなげかなげかむむん越こ越ここえええてててゆくゆくゆく關せき關せきせきもももむかしむかしむかしのののあとあとあとととと思おも思おもおもへへえばばば
  7. 7關せき關せきせきももも昔むかし昔むかしむかしののの跡あと跡あとあとととと詠よ詠よよめめめるるる事こと事ことことははは、、、先せん先せんせん祖ぞ祖ぞぞ平たひら平たひらたいらののの將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん貞さだ貞さださだ盛もり盛もりもり、、、俵たはら俵たはらたわら藤とう藤とうとう太だ太だだ秀ひで秀ひでひで鄕さと鄕さとさと、、、將まさ將まさまさ門かど門かどかど追つい追ついつい討たう討たうとうのののためためためににに東あづま東あづまあずまへへへ下げ下げげ向かう向かうこうしししたりたりたりししし事こと事ことことををを、、、今いま今いまいま思おも思おもおもひひい出い出いいでででててて詠よ詠よよみみみたりたりたりけるけるけるにににややや、、、いといといとやさしうやさしうやさしゅうぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  8. 8昔むかし昔むかしむかしははは朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきををを平たひ平たひたいらげらげらげににに、、、外ぐわい外ぐわいがい土ど土どどへへへ向むか向むかむかふふう將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんははは、、、まづまづまず參さん參さんさん内だい内だいだいしてしてして節せつ節せつせつををを賜たま賜たまたまはるはるわる。。。宸しん宸しんしん儀ぎ儀ぎぎ南なん南なんなん殿でん殿でんでんににに出しゆつ出しゆつしゅつ御ぎよ御ぎよぎょしてしてして、、、近この近このこの衞ゑ衞ゑえ階かい階かいかい下か下かかににに陣ぢん陣ぢんじんをををひきひきひき、、、内ない内ないない辨べん辨べんべん外げ外げげ辨べん辨べんべんののの公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう參さん參さんさん列れつ列れつれつしてしてして、、、中ちう中ちうちゅう儀ぎ儀ぎぎののの節せち節せちせち會ゑ會ゑえををを行おこな行おこなおこなははわるるる。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん、、、副ふく副ふくふく將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん、、、各おのおの各おのおのおのおの禮れい禮れいれい儀ぎ儀ぎぎををを正たゞ正たゞただしうしうしゅうしてしてして之これ之これこれををを賜たま賜たまたまはるはるわる。。。承しよう承しようしょう平へい平へいへい、、、天てん天てんてん慶ぎやう慶ぎやうぎょうののの蹤しよう蹤しようしょう跡せき跡せきせきももも年とし年としとし久ひさ久ひさひさしうしうしゅうなつなつなっててて、、、なぞらへなぞらへなぞらえ難がた難がたがたしししとてとてとて、、、今こん今こんこん度ど度どどははは讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの守かみ守かみかみののの正まさ正まさまさ盛もり盛もりもりががが、、、前さき前さきさきののの對つ對つつ馬しま馬しましまののの守かみ守かみかみ源みなもと源みなもとみなもとののの義よし義よしよし親ちか親ちかちか追つい追ついつい討たう討たうとうののの爲ため爲ためためににに、、、出いづ出いづいず雲も雲ももののの國くに國くにくにへへへ下げ下げげ向かう向かうこうせせせししし例れい例れいれいとてとてとて、、、鈴すゞ鈴すゞすず許ばか許ばかばかりりり賜たま賜たまたまはつはつわっててて、、、皮かは皮かはかはののの袋ふくろ袋ふくろふくろににに入い入いいれれれててて雜ざふ雜ざふぞう色しき色しきしきががが頸くび頸くびくびにににかけかけかけさせさせさせてててぞぞぞ下くだ下くだくだららられれれけるけるける。。。いにしへいにしへいにしえ朝てう朝てうちょう敵てき敵てきてきををを平たひ平たひたいらげらげらげんんんとてとてとて都みやこ都みやこみやこををを出い出いいづるづるずる將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんははは、、、三み三みみつつつののの存ぞん存ぞんぞん知ち知ちちありありあり。。。節せつ節せつせつ刀たう刀たうとうををを賜たま賜たまたまはるはるわる日ひ日ひひ家いへ家いへいえををを忘わす忘わすわすれれれ、、、家いへ家いへいえををを出い出いいづるづるずるとてとてとて妻さい妻さいさい子し子ししををを忘わす忘わすわすれれれ、、、戰せん戰せんせん場ぢやう場ぢやうじょうにににしてしてして敵かたき敵かたきかたきににに戰たゝか戰たゝかたたかふふう時とき時ときとき身み身みみををを忘わす忘わすわするるる。。。さればさればされば今いま今いまいまののの平へい平へいへい氏じ氏じじののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん維これ維これこれ盛もり盛もりもり、、、忠たゞ忠たゞただ度のり度のりのりももも定さだ定さださだめめめてててさやうさやうさようののの事こと事ことことどもどもどもをををばばば存ぞん存ぞんぞん知ち知ちちせせせられられられたりたりたりけんけんけん、、、哀あは哀あはあわれれれなりなりなりししし事こと事ことことどもどもどもなりなりなり。。。
  9. 9各おのおの各おのおのおのおの九ここの九ここのここの重へ重へへののの都みやこ都みやこみやこををを立た立たたつつっててて、、、千せん千せんせん里り里りりののの東とう東とうとう海かい海かいかいへへへ赴おもむ赴おもむおもむかかかれれれけるけるける。。。平たひ平たひたいらからからかににに歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼらららんんん事こと事ことことももも、、、まことまことまことににに危あやふ危あやふあやうきききありさまありさまありさまどもどもどもにてにてにて、、、或あるい或あるいあるいははは野の野のの原はら原はらはらののの露つゆ露つゆつゆににに宿やど宿やどやどををを借か借かかりりり、、、或あるい或あるいあるいははは高たか高たかたか峯ね峯ねねののの苔こけ苔こけこけににに旅たび旅たびたび寢ね寢ねねをををししし、、、山やま山やまやまををを越こ越ここえええ河かは河かはかはををを重かさ重かさかさねねね、、、日ひ日ひひ數かず數かずかずふれふれふればばば、、、十じふ十じふじゅう月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろく日にち日にちにちにににははは駿する駿するする河が河ががののの國くに國くにくに清きよ清きよきよ見み見みみががが關せき關せきせきにににぞぞぞ著つ著つつききき給たま給たまたまふふう。。。都みやこ都みやこみやこをををばばば三さん三さんさん萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききででで出い出いいでででたれたれたれどもどもども、、、路ろ路ろろ次じ次じじ兵つはもの兵つはものつわものつきつきつき添そ添そそひひいててて七しち七しちしち萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんははは蒲かん蒲かんかん原ばら原ばらばら、、、富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわににに進すゝ進すゝすすみみみ、、、後ご後ごご陣ぢん陣ぢんじんははは未いま未いまいまだだだ手て手てて越ごし越ごしごし、、、宇う宇うう津つ津つつののの谷や谷ややににに支さゝ支さゝささへへえたりたりたり。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん權ごん權ごんごんののの亮すけ亮すけすけ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもり、、、侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい大たい大たいたい將しやう將しやうしょう上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ清きよ清きよきよををを召め召めめしししててて、、、「「「維これ維これこれ盛もり盛もりもりががが存ぞん存ぞんぞん知ち知ちちにににははは、、、足あし足あしあし柄がら柄がらがらののの山やま山やまやまうちうちうち越こ越ここえええ、、、廣ひろ廣ひろひろみみみへへへ出い出いいでででててて軍いくさ軍いくさいくさをををせせせんんん。。。」」」とととはやらはやらはやられれれけれけれけれどもどもども、、、上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみ申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「福ふく福ふくふく原はら原はらはらををを御おん御おんおん立た立たたちちち候さふら候さふらそうらひひいししし時とき時ときとき、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう殿どの殿どのどのののの仰おほ仰おほおおせせせにににははは、、、軍いくさ軍いくさいくさをををばばば忠たゞ忠たゞただ清きよ清きよきよににに任まか任まかまかせせせさせさせさせ給たま給たまたまへへえとととこそこそこそ仰おほ仰おほおおせせせ候さふら候さふらそうらひひいつれつれつれ。。。伊い伊いい豆づ豆づず、、、駿する駿するする河が河ががののの勢せい勢せいせいののの參まゐ參まゐまいるるるべきべきべきだにだにだに、、、未いま未いまいまだだだ一いつ一いついっ騎き騎ききももも見み見みみえええ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。御み御みみ方かた方かたかたののの御おん御おんおん勢せい勢せいせい七しち七しちしち萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎとととははは申まう申まうもうせせせどもどもども、、、國くに國くにくに々ぐに々ぐにぐにののの驅かり驅かりかり武む武むむ、、、馬むま馬むまうまももも人ひと人ひとひとももも皆みな皆みなみな疲つか疲つかつかれれれはてはてはてててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。東とう東とうとう國ごく國ごくごくははは草くさ草くさくさももも木き木ききももも兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけににに從したが從したがしたがひひいついついついててて候さふらふ候さふらふそうろうなれなれなればばば、、、何なん何なんなん十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎかかか候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。たゞたゞただ富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわををを前まへ前まへまえににに當あ當ああてててててて、、、御み御みみ方かた方かたかたののの御おん御おんおん勢せい勢せいせいををを待ま待ままたたたせせせ給たま給たまたまふふうべうべうびょうもももややや候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばでででゆらへゆらへゆらえたりたりたり。。。
  10. 10さるさるさる程ほど程ほどほどににに兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらををを立た立たたつつっててて、、、足あし足あしあし柄がら柄がらがらののの山やま山やまやまうちうちうち越こ越ここえええ、、、黄き黄きき瀨せ瀨せせ川がは川がはがわにににこそこそこそ著つ著つつききき給たま給たまたまへへえ。。。甲か甲かか斐ひ斐ひひ、、、信しな信しなしな濃の濃ののののの源げん源げんげん氏じ氏じじどもどもども、、、馳は馳ははせせせ來きた來きたきたつつっててて一ひと一ひとひとつつつににになるなるなる。。。駿する駿するする河が河ががののの國くに國くにくに浮うき浮うきうき島しま島しましまががが原はら原はらはらにてにてにて勢せい勢せいせいぞろへぞろへぞろえありありあり。。。都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい二に二にに十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎとととぞぞぞ註しる註しるしるいいいたるたるたる。。。常ひた常ひたひた陸ち陸ちち源げん源げんげん氏じ氏じじ佐さ佐ささ竹たけ竹たけたけののの四し四しし郎らう郎らうろうががが雜ざふ雜ざふぞう色しき色しきしきののの、、、文ふみ文ふみふみ持も持ももつつっててて京きやう京きやうきょうへへへ上のぼ上のぼのぼりりりけるけるけるををを、、、平へい平へいへい家け家けけののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい大たい大たいたい將しやう將しやうしょう上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ清きよ清きよきよ、、、このこのこの文ふみ文ふみふみををを奪うば奪うばうばひひい取と取ととつつっててて、、、見み見みみるるるににに、、、女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうのののもともともとへへへののの文ふみ文ふみふみなりなりなり。。。苦くる苦くるくるしかるしかるしかるまじまじまじとてとてとて、、、取と取ととらららせせせてててけりけりけり。。。さてさてさて、、、「「「源げん源げんげん氏じ氏じじががが勢せい勢せいせいはははいかいかいか程ほど程ほどほどあるあるあるぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととひひいけれけれければばば、、、「「「下げ下げげ郎らう郎らうろうははは四し四しし五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく千せん千せんせんまでまでまでこそこそこそ、、、ものものものののの數かず數かずかずをををばばば知し知ししつつっててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。それそれそれよりよりより上うへ上うへうえをををばばば知し知ししりりり參まゐ參まゐまいらららせせせずずず候さふらふ候さふらふそうろう。。。多おほ多おほおおいいいやらうやらうやろう、、、少すくな少すくなすくないいいやらうやらうやろう、、、大おほ大おほおお凡よそ凡よそよそ七なぬ七なぬなぬ日か日かか八やう八やうよう日か日かかががが間あひだ間あひだあいだははは、、、はたはたはたとととつゞいつゞいつづいててて、、、野の野ののももも山やま山やまやまももも、、、海うみ海うみうみももも河かは河かはかはももも、、、みなみなみな武む武むむ者しや者しやしゃででで候さふらふ候さふらふそうろう。。。昨日きのふ昨日きのふきのう黄き黄きき瀨せ瀨せせ川がは川がはがわにてにてにて人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらひひいつるつるつるははは、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの御おん御おんおん勢せい勢せいせい二に二にに十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎとととこそこそこそ申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらひひいつれつれつれ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみ、、、「「「あなあなあな心こゝろ心こゝろこころうううややや。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんののの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころののの延の延ののびびびさせさせさせ給たま給たまたまひひいたるたるたるほどほどほど、、、口くち口くちくち惜を惜をおしかりしかりしかりけるけるける事こと事ことことはははなしなしなし。。。今いま今いまいま一いち一いちいち日にち日にちにちももも前さき前さきさきににに討うつ討うつうつ手て手ててををを下くだ下くだくださささせせせ給たま給たまたまひひいたらたらたらばばば、、、大おほ大おほおお庭ば庭ばば兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい、、、畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまががが一いち一いちいち族ぞく族ぞくぞく、、、などなどなどかかか參まゐ參まゐまいらららででで候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。これこれこれだにだにだに參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうらははわばばば、、、伊い伊いい豆づ豆づず、、、駿する駿するする河が河ががののの勢せい勢せいせいはははみなみなみな從したが從したがしたがひひいつくつくつくべかりべかりべかりつるつるつるををを。。。」」」ととと、、、後こう後こうこう悔くわい悔くわいかいすれすれすれどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。
  11. 11大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん權ごん權ごんごんののの亮すけ亮すけすけ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもり、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの案あん案あんあん内ない内ないない者じや者じやじゃとてとてとて、、、長なが長ながなが井ゐ井ゐいののの齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう實さね實さねさね盛もり盛もりもりををを召め召めめしししててて、、、「「「汝なんぢ汝なんぢなんじほどほどほどののの强つよ强つよつよ弓ゆみ弓ゆみゆみ精せい精せいせい兵びやう兵びやうびょう、、、八はつ八はつはっ箇か箇かか國こく國こくこくにににはははいかいかいか程ほど程ほどほどあるあるあるぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまへへえばばば、、、齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうあざあざあざ笑わら笑わらわらつつっててて、、、「「「さささ候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、君きみ君きみきみははは實さね實さねさね盛もり盛もりもりををを大おほ大おほおおとととおぼしおぼしおぼしめさめさめされれれ候さふらふ候さふらふそうろうにににこそこそこそ。。。纔わづ纔わづわずかかか十じふ十じふじゅう三さん三さんさん束ぞく束ぞくぞくをををこそこそこそ仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふら候さふらそうらへへえ。。。實さね實さねさね盛もり盛もりもりほどほどほど射い射いい候さふらふ候さふらふそうろう者もの者ものものははは、、、八はつ八はつはっ箇か箇かか國こく國こくこくにににはははいくらいくらいくらももも候さふらふ候さふらふそうろう。。。大おほ大おほおお矢や矢ややととと申まう申まうもうすすす定ぢやう定ぢやうじょうののの者もの者ものものののの、、、十じふ十じふじゅう五ご五ごご束そく束そくそくににに劣おと劣おとおとつつっててて引ひ引ひひくくくははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。弓ゆみ弓ゆみゆみののの强つよ强つよつよさささももも、、、したゝかしたゝかしたたかなるなるなる者もの者ものものののの五ご五ごご六ろく六ろくろく人にん人にんにんしてしてして張は張ははりりり候さふらふ候さふらふそうろう。。。かやうかやうかようののの精せい精せいせい兵びやう兵びやうびょうどもどもどもががが射い射いい候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、鎧よろひ鎧よろひよろいののの二に二にに三さん三さんさん領りやう領りやうりょうはははたやすうたやすうたやすう、、、かけかけかけずずず射い射いいとほしとほしとおし候さふらふ候さふらふそうろう。。。大だい大だいだい名みやう名みやうみょうととと申まう申まうもうすすす定ぢやう定ぢやうじょうののの者もの者ものものののの、、、五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく騎き騎ききににに劣おと劣おとおとつつっててて持も持ももつつつははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。馬むま馬むまうまににに乘の乘ののつつっててて落お落おおつるつるつる道みち道みちみちををを知し知ししらららずずず、、、惡あく惡あくあく所しよ所しよしょををを馳は馳ははすれすれすれどどど馬むま馬むまうまををを倒たふ倒たふたおさささずずず。。。軍いくさ軍いくさいくさはははまたまたまた親おや親おやおやももも討う討ううたたたれよれよれよ、、、子こ子ここももも討う討ううたたたれよれよれよ、、、死し死ししにににぬれぬれぬればばば、、、乘の乘ののりりり越こ越ここえ〳〵え〳〵えのりこえ戰たゝか戰たゝかたたかひひい候さふらふ候さふらふそうろう。。。西さい西さいさい國こく國こくこくののの軍いくさ軍いくさいくさととと申まう申まうもうすすすははは、、、凡すべ凡すべすべててて其そ其そそののの儀ぎ儀ぎぎ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。親おや親おやおや討う討ううたたたれれれぬれぬれぬればばば引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞききき、、、佛ぶつ佛ぶつぶつ事じ事じじ孝けう孝けうきょう養やう養やうようししし、、、忌いみ忌いみいみあけあけあけててて寄よ寄よよせせせ、、、子こ子ここ討う討ううたたたれれれぬれぬれぬればばば、、、そのそのその憂うれ憂うれうれへへえ歎なげ歎なげなげきききとてとてとて寄よ寄よよせせせ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。兵ひやう兵ひやうひょう粮らう粮らうろう米まい米まいまい盡つ盡つつきききぬれぬれぬればばば、、、春はる春はるはるははは田た田たたつくりつくりつくり、、、秋あき秋あきあきははは刈か刈かかりりり收をさ收をさおさめめめててて寄よ寄よよせせせ、、、夏なつ夏なつなつははは暑あつ暑あつあつしししととといとひいとひいとい、、、冬ふゆ冬ふゆふゆははは寒さむ寒さむさむしししととと嫌きら嫌きらきらひひい候さふらふ候さふらふそうろう。。。東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの軍いくさ軍いくさいくさととと申まう申まうもうすすすははは、、、すべてすべてすべてそのそのその儀ぎ儀ぎぎ候さふら候さふらそうらははわずずず。。。そのそのその上うへ上うへうえ甲か甲かか斐ひ斐ひひ、、、信しな信しなしな濃の濃ののののの源げん源げんげん氏じ氏じじ等ら等らら、、、案あん案あんあん内ない内ないないははは知し知ししつつったりたりたり、、、富ふ富ふふ士じ士じじののの裾すそ裾すそすそよりよりより搦からめ搦からめからめ手て手ててにににややや廻まは廻まはまわりりり候さふら候さふらそうらははわんずんずんずらんらんらん。。。かやうかやうかようににに申まう申まうもうせせせばばば、、、大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんののの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころををを臆おく臆おくおくさせさせさせ參まゐ參まゐまいらららせせせんんんとてとてとて、、、申まう申まうもうすすすとととややや思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらははわんんん。。。そのそのその儀ぎ儀ぎぎでででははは候さふら候さふらそうらははわずずず。。。但たゞ但たゞただししし軍いくさ軍いくさいくさははは勢せい勢せいせいののの多た多たた少せう少せうしょうににによりよりより候さふら候さふらそうらははわずずず。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんののの謀はかりごと謀はかりごとはかりごとににに依よ依よよるるるとととこそこそこそ申まう申まうもうししし傳つた傳つたつたへへえててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、これこれこれををを聞き聞ききくくく兵つはもの兵つはものつわものどもどもども皆みな皆みなみな震ふる震ふるふるひひいわなゝきわなゝきわななきあへあへあえりりりけりけりけり。。。
  12. 12さるさるさる程ほど程ほどほどににに同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう四し四しし日にち日にちにちののの卯う卯ううののの刻こく刻こくこくににに、、、富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわにてにてにて源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺいののの矢や矢ややあはせあはせあわせとととぞぞぞ定さだ定さださだめめめけるけるける。。。二に二にに十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにちののの夜よ夜よよににに入い入いいつつっててて、、、平へい平へいへい家け家けけののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども源げん源げんげん氏じ氏じじののの陣ぢん陣ぢんじんををを見み見みみ渡わた渡わたわたせせせばばば、、、伊い伊いい豆づ豆づず、、、駿する駿するする河が河ががののの人にん人にんにん民みん民みんみん百ひやく百ひやくひゃく姓しやう姓しやうしょう等ら等らら、、、軍いくさ軍いくさいくさににに恐おそ恐おそおそれれれててて、、、或あるい或あるいあるいははは野の野ののににに入い入いいりりり山やま山やまやまににに隱かく隱かくかくれれれ、、、或あるい或あるいあるいははは船ふね船ふねふねににに取とり取とりとり乘の乘ののつつっててて海うみ海うみうみ河かは河かはかわににに浮うか浮うかうかびびびたるたるたるががが、、、いとなみいとなみいとなみののの火ひ火ひひののの見み見みみえええけるけるけるををを、、、あなあなあなおびたゞしおびたゞしおびただしののの源げん源げんげん氏じ氏じじののの陣ぢん陣ぢんじんののの遠とほ遠とほとお火び火びびのののおほさおほさおおさよよよ。。。げにげにげにももも野の野ののももも山やま山やまやまももも、、、海うみ海うみうみももも河かは河かはかはももも、、、みなみなみな武む武むむ者しや者しやしゃでででありありありけりけりけり。。。いかゞいかゞいかがせせせんんんとととぞぞぞあきれあきれあきれけるけるける。。。そのそのその夜よ夜よよののの夜よ夜よよ半は半はわばかりばかりばかり、、、富ふ富ふふ士じ士じじののの沼ぬま沼ぬまぬまにににいくらいくらいくらもももありありありけるけるける水みづ水みづみず鳥とり鳥とりとりどもどもどもががが何なに何なになににににかかかははは驚おどろ驚おどろおどろきききたりたりたりけんけんけん、、、一いち一いちいち度ど度どどにににばつばつばっととと立た立たたちちちけるけるける羽は羽はは音おと音おとおとののの、、、雷いかづち雷いかづちいかずち大おほ大おほおお風かぜ風かぜかぜなどなどなどのののやうやうようににに聞きこ聞きこきこえええけれけれければばば、、、平へい平へいへい家け家けけののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、「「「あはやあはやあわや源げん源げんげん氏じ氏じじののの大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいののの向むか向むかむこうううたるたるたるははは。。。昨日きのふ昨日きのふきのう齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうががが申まう申まうもうしししつるつるつるやうやうようににに、、、甲か甲かか斐ひ斐ひひ、、、信しな信しなしな濃の濃ののののの源げん源げんげん氏じ氏じじ等ら等らら、、、富ふ富ふふ士じ士じじののの裾すそ裾すそすそよりよりより搦からめ搦からめからめ手て手ててへへへややや廻まは廻まはまわりりり候さふらふ候さふらふそうろうらんらんらん。。。敵かたき敵かたきかたき何なん何なんなん十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎかかかあるあるあるらんらんらん。。。取とり取とりとり籠こ籠ここめめめられられられてててはははかなふかなふかなうまじまじまじ。。。こゝこゝここをををばばば落お落おおちちちててて、、、尾を尾をお張はり張はりはり川がは川がはがわ洲すの洲すのすの股また股またまたををを防ふせ防ふせふせげげげややや。。。」」」とてとてとて、、、取と取ととるるる物もの物ものものももも取と取ととりりりあへあへあえずずず、、、われわれわれ先さき先さきさきに〳〵に〳〵にわれさきにとととぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききたるたるたる。。。あまりあまりあまりにににあわてあわてあわて騒さわ騒さわさわいいいででで、、、弓ゆみ弓ゆみゆみ取と取ととるるる者もの者ものものははは弓ゆみ弓ゆみゆみををを知し知ししらららずずず、、、わがわがわが馬むま馬むまうまにににははは人ひと人ひとひと乘の乘ののりりり、、、人ひと人ひとひとののの馬むま馬むまうまにににはははわれわれわれ乘の乘ののりりり、、、繋つな繋つなつないいいだるだるだる馬むま馬むまうまににに乘の乘ののつつっててて馳は馳ははすれすれすればばば、、、株くひ株くひくいををを廻めぐ廻めぐめぐるるる事こと事ことこと限かぎ限かぎかぎりりりなしなしなし。。。そのそのその邊へん邊へんへん近ちか近ちかちかききき宿しゆく宿しゆくしゅく々じゆく々じゆくじゅくよりよりより、、、遊いう遊いうゆう君くん君くんくん遊いう遊いうゆう女ぢよ女ぢよじょどもどもども召め召めめししし集あつ集あつあつめめめ、、、遊あそ遊あそあそびびび酒さか酒さかさか宴もり宴もりもりしししけるけるけるががが、、、或あるい或あるいあるいははは首かしら首かしらかしら蹴け蹴けけわらわらわられれれ、、、或あるい或あるいあるいははは腰こし腰こしこし蹈ふ蹈ふふみみみ折を折をおららられれれててて、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけぶぶぶ事こと事ことことおびたゞしおびたゞしおびただし。。。
  13. 13同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう四し四しし日にち日にちにちののの卯う卯ううののの刻こく刻こくこくににに、、、源げん源げんげん氏じ氏じじ二に二にに十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎ富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわにににおしおしおし寄よ寄よよせせせててて、、、天てん天てんてんももも響ひゞ響ひゞひびききき大だい大だいだい地ぢ地ぢじもももゆるぐゆるぐゆるぐばかりばかりばかりににに、、、鬨とき鬨ときときをををぞぞぞ三さん三さんさん箇か箇かか度ど度どどつくりつくりつくりけるけるける。。。平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたにににははは、、、しづまりしづまりしずまり返かへ返かへかえつつっててて音おと音おとおともももせせせずずず。。。人ひと人ひとひとををを入い入いいれれれててて見み見みみせせせけれけれければばば、、、「「「みなみなみな落お落おおちちちててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。或あるい或あるいあるいははは敵かたき敵かたきかたきののの忘わす忘わすわすれれれたるたるたる鎧よろひ鎧よろひよろい取と取ととつつっててて參まゐ參まゐまいるるる者もの者ものものもももありありあり、、、或あるい或あるいあるいははは平へい平へいへい家け家けけののの棄す棄すすててて置お置おおいいいたるたるたる大おほ大おほおお幕まく幕まくまく取と取ととつつっててて歸かへ歸かへかえるるる者もの者ものものもももありありあり。。。「「「およそおよそおよそ平へい平へいへい家け家けけののの陣ぢん陣ぢんじんにににははは、、、蝿はへ蝿はへはへだにだにだにももも翔かけ翔かけかけりりり候さふら候さふらそうらははわずずず。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ、、、いそぎいそぎいそぎ馬むま馬むまうまよりよりより下お下おおりりり、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををぬぎぬぎぬぎ、、、手てう手てうちょう水づ水づずうがひうがひうがいをををしてしてして、、、王わう王わうおう城じやう城じやうじょうののの方かた方かたかたををを伏ふ伏ふふししし拜をが拜をがおがみみみ、、、「「「これこれこれははは全まつた全まつたまったくくく賴より賴よりより朝とも朝ともともががが私わたくし私わたくしわたくしののの高かう高かうこう名みやう名みやうみょうにににはははあらあらあらずずず、、、ひとへひとへひとえににに八はち八はちはち幡まん幡まんまん大だい大だいだい菩ぼ菩ぼぼ薩さつ薩さつさつののの御おん御おんおんはからひはからひはからいなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  14. 14やがてやがてやがて打うち打うちうち取と取ととるるる所ところ所ところところなれなれなればばばとてとてとて、、、駿する駿するする河が河ががののの國くに國くにくにをををばばば一いち一いちいち條でう條でうじょうののの次じ次じじ郎らう郎らうろう忠たゞ忠たゞただ賴より賴よりより、、、遠江とほたふみ遠江とほたふみとおとうみののの國くに國くにくにをををばばば安やす安やすやす田だ田だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし定さだ定さださだににに預あづ預あづあずけけけらるらるらる。。。なほなほなおももも續つゞ續つゞつづいいいててて攻せ攻せせむむむべかりべかりべかりしかしかしかどもどもども、、、後うしろ後うしろうしろもももさすがさすがさすが覺おぼ覺おぼおぼ束つか束つかつかなしなしなしとてとてとて、、、駿する駿するする河が河ががののの國くに國くにくによりよりより鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへぞぞぞ歸かへ歸かへかえららられれれけるけるける。。。海かい海かいかい道だう道だうどう宿しゆく宿しゆくしゅく々じゆく々じゆくじゅくののの遊いう遊いうゆう君くん君くんくん遊いう遊いうゆう女ぢよ女ぢよじょどもどもども、、、「「「あなあなあないま〳〵しいま〳〵しいまいましののの打うつ打うつうつ手て手ててののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんややや、、、軍いくさ軍いくさいくさにににははは見み見みみ逃に逃ににげげげをををだにだにだに、、、あさましきあさましきあさましきことことことにににするするするににに、、、平へい平へいへい家け家けけののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは聞き聞ききききき逃に逃ににげげげししし給たま給たまたまへへえりりり。。。」」」とととぞぞぞ笑わら笑わらわらひひいけるけるける。。。
  15. 15さるさるさる程ほど程ほどほどににに、、、落らく落らくらく書しよ書しよしょどもどもども多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。都みやこ都みやこみやこののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんをををばばば宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりととといひいひいい、、、討うつ討うつうつ手て手ててののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょうをををばばば權ごん權ごんごんののの亮すけ亮すけすけととといふいふいう閒あひだ閒あひだあいだ、、、平へい平へいへい家け家けけをををひらやひらやひらやににによみよみよみなしなしなしててて、、、
  16. 16ひらやひらやひらやなるなるなるむねもりむねもりむねもりいかにいかにいかに騒さわ騒さわさわぐぐぐらむらむらん柱はしら柱はしらはしらとととたのむたのむたのむすけすけすけをををおとしおとしおとしててて
  17. 17富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわのののせゞせゞせぜののの岩いは岩いはいわ越こ越ここすすす水みづ水みづみずよりよりよりもももはやくはやくはやくももも落お落おおつるつるつる伊い伊いい勢せ勢せせ平へい平へいへい氏じ氏じじかなかなかな
  18. 18またまたまた上總かづさ上總かづさかずさ守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ清きよ清きよきよががが、、、富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわににに鎧よろひ鎧よろひよろい棄す棄すすてててたりたりたりけるけるけるをををももも詠よ詠よよめめめりりり。。。
  19. 19富ふ富ふふ士じ士じじ川がは川がはがわににに鎧よろひ鎧よろひよろいははは棄す棄すすてててつつつすみすみすみぞめぞめぞめのののころもころもころもたゞたゞただきよきよきよ後のち後のちのちののの世よ世よよのののためためため
  20. 20たゞたゞただきよきよきよはははにげにげにげののの馬むま馬むまうまにににぞぞぞ乘の乘ののりりりてててけるけるける上總かづさ上總かづさかずさしりがいしりがいしりがいかけかけかけてててかひかひかいなしなしなし

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

こうして右兵衛佐殿(頼朝)が謀叛を起こしたといううわさがしきりに聞こえたので、福原では公卿の評議があって、一日でも早く、勢力がつかないうちに急いで討手を下すべきだということになり、大将軍には小松の権亮少将維盛、副将軍には薩摩守忠度、侍大将には上総守忠清をはじめとして、総勢三万余騎が、九月十八日に新都を出発し、翌十九日には旧都に着き、そのまま同じ月の二十日に東国へ向かわれた。

大将軍の小松の権亮維盛は二十三歳、姿かたちや装いの立派さは、絵に描こうとしても筆が及ばない。先祖伝来の着背長で唐革という鎧は、唐櫃に入れて担がせておられる。道中では赤地の錦の直垂に萌黄匂の鎧を着て、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍を置いて乗っておられた。副将軍の薩摩守忠度は紺地の錦の直垂に黒糸縅の鎧を着て、太くたくましい黒い馬に鋳懸地の鞍を置いて乗っておられた。馬・鞍・鎧・兜・弓矢・太刀・刀に至るまで、照り輝くほどに装って出発されたので、すばらしい見物であった。

なかでも副将軍の薩摩守忠度は、ある皇女に仕える女房のもとへ通っておられたが、ある夜訪ねて行かれると、その女房の部屋に身分の高い女房の客が来ていて、夜がしだいに更けていくまでお帰りにならない。忠度は軒先にたたずんで、扇を荒々しく使われたので、その女房が「野原いっぱいに群がって鳴く虫の声よ」と優雅に口ずさまれると、忠度はすぐに扇を使うのをやめてお帰りになった。その後訪ねて行かれた夜、「いつぞやは、どうして扇を使うのをやめたのですか」と尋ねられると、「さあ、『やかましい』などと聞こえましたので、それで扇を使うのをやめたのでございます」と申された。その後、この女房は薩摩守のもとへ小袖を一揃い贈るというので、遠く別れる名残惜しさに、一首の歌を書き添えて贈られた。

東国への道の草葉を分けて行かれるあなたの袖よりも、旅立たずに都に残る私のたもとのほうが、涙の露がこぼれることです。

薩摩守の返事に、

別れの道を、どうして嘆くことがあろうか。これから越えて行く関も、昔先祖がたどった跡だと思えば。

関も昔の跡と詠んだのは、先祖の平将軍貞盛が、俵藤太秀郷とともに、将門追討のために東国へ下向したことを、今思い出して詠んだのであろうか、たいそう優雅なことと評判であった。

昔は朝敵を平らげるために地方へ向かう将軍は、まず参内して節刀を賜った。天皇が南殿にお出ましになり、近衛府の官人が階段の下に陣を敷き、内弁・外弁の公卿が参列して、中儀の節会を行われる。大将軍と副将軍はそれぞれ礼儀を正してこれを賜った。しかし承平・天慶の先例も年月が久しくなって、まねるのが難しいというので、今度は讃岐守正盛が、前対馬守源義親を追討するために出雲国へ下向したときの例にならって、駅鈴だけを賜り、皮の袋に入れて雑色の首にかけさせて下られた。昔から朝敵を平らげようとして都を出る将軍には、三つの心得がある。節刀を賜る日には家を忘れ、家を出るときには妻子を忘れ、戦場で敵と戦うときには身を忘れる。だから今の平氏の大将軍維盛と忠度も、きっとそのようなことを心得ておられたのであろう、哀れなことであった。

それぞれ九重の都を出発して、はるか東海道へ向かわれた。無事に帰り上れるかどうかも、まことに危ういありさまで、あるいは野原の露に宿を借り、あるいは高い峰の苔の上に旅寝をし、山を越え川を渡って日数が経つうちに、十月十六日には駿河国の清見が関にお着きになった。都を三万余騎で出たが、途中で兵が加わって七万余騎になったと聞こえた。先陣は蒲原・富士川に進み、後陣はまだ手越・宇津の谷にとどまっていた。大将軍の権亮少将維盛は、侍大将の上総守忠清を呼んで、「わたしの考えでは、足柄の山を越えて広い所へ出て戦をしよう」と勇まれたが、上総守が申すには、「福原をお立ちになったとき、入道殿(清盛)の仰せでは、戦は忠清に任せなさいとおっしゃっておりました。伊豆・駿河の軍勢が参るはずなのに、まだ一騎も見えません。味方の軍勢は七万騎と申しても、国々から駆り集めた武者で、馬も人もみな疲れきっております。東国は草も木も兵衛佐に従っておりますから、敵は何十万騎おりましょうか。ただ富士川を前にして、味方の軍勢をお待ちになるのがよろしいでしょう」と申したので、どうしようもなくためらっていた。

そのうちに兵衛佐頼朝は鎌倉を出発して、足柄の山を越え、黄瀬川にお着きになった。甲斐・信濃の源氏たちが駆けつけて一つになる。駿河国の浮島が原で軍勢の点検があった。総勢二十万騎と記されている。常陸源氏の佐竹四郎の雑色が手紙を持って京へ上っていたのを、平家の侍大将上総守忠清がその手紙を奪い取って見ると、女房のもとへの手紙であった。差し支えあるまいと返してやった。そして「源氏の軍勢はどれほどあるか」と尋ねると、「わたくしのような下郎は、四、五百か千ぐらいまでしか物の数を知りません。それより上は存じません。多いのやら少ないのやら、およそ七日八日の間は、ずっと続いて、野も山も、海も川も、みな武者でございます。昨日黄瀬川で人が申しておりましたのは、源氏の御勢は二十万騎ということでございました」と申したので、上総守は、「ああ情けない。大将軍がのんびりしておられたことほど、残念なことはない。一日でも早く討手をお下しになっていたら、大庭兄弟や畠山の一族は、どうして参らずにいようか。この者たちさえ参っていれば、伊豆・駿河の軍勢はみな味方についたはずなのに」と後悔したが、どうしようもなかった。

大将軍の権亮少将維盛は、東国の事情に詳しい者として、長井の斎藤別当実盛を呼んで、「おまえほどの強弓を引く精兵は、関東八か国にどれほどいるか」とお尋ねになると、斎藤別当はあざ笑って、「そうおっしゃるのは、殿は実盛を大矢(強弓の射手)とお思いになっているのでしょう。わたくしはわずか十三束の矢を引くだけでございます。実盛ほど射る者は、八か国にはいくらでもおります。大矢と申すほどの者は、十五束より短い矢を引くことはございません。弓の強さも、屈強な者が五、六人がかりで張るほどです。このような精兵たちが射ますと、鎧の二、三領はたやすく重ねて射通してしまいます。大名と申すほどの者は、五百騎より少ない手勢を持つことはございません。馬に乗れば落ちることを知らず、悪路を走らせても馬を倒しません。戦ではまた、親が討たれようが子が討たれようが、死ねばその屍を乗り越え乗り越えして戦います。西国の戦と申すのは、まったくそうではございません。親が討たれれば退いて、仏事供養をし、喪が明けてから攻め寄せ、子が討たれれば、その悲しみ嘆きのために攻め寄せません。兵糧米が尽きれば、春は田を作り、秋は刈り取ってから攻め寄せ、夏は暑いといやがり、冬は寒いと嫌います。東国の戦と申すのは、まったくそうではございません。そのうえ甲斐・信濃の源氏たちは地理を知っておりますから、富士の裾野から背後に回ることでしょう。このように申しますと、大将軍のお心を怖じ気づかせようとして申すのかとお思いになるでしょう。そうではございません。ただし戦は軍勢の多少によるものではございません。大将軍の謀によるものと申し伝えております」と申したので、これを聞く兵たちはみな震えおののいた。

そのうちに、同じ二十四日の卯の刻(午前六時ごろ)に、富士川で源平の矢合わせをすると決めた。二十三日の夜になって、平家の兵たちが源氏の陣を見渡すと、伊豆・駿河の人民や百姓たちが戦を恐れて、あるいは野に入り山に隠れ、あるいは船に乗って海や川に浮かんでいたが、その炊事の火が見えたのを、「ああ、なんとおびただしい源氏の陣の遠火の多さよ。本当に野も山も、海も川も、みな武者だったのだ。どうしよう」とあきれ果てた。その夜の夜半ごろ、富士の沼にたくさんいた水鳥が、何に驚いたのか、一度にばっと飛び立った羽音が、雷や大風のように聞こえたので、平家の兵たちは、「すわ、源氏の大軍が攻めて来たぞ。昨日斎藤別当が申したように、甲斐・信濃の源氏たちが、富士の裾野から背後へ回ったのであろう。敵は何十万騎いるかわからない。取り囲まれてはかなうまい。ここは退いて、尾張川の洲股で防げ」といって、取る物も取りあえず、我先に我先にと逃げて行った。あまりにあわて騒いで、弓を取る者は弓の扱いもわからず、自分の馬には人が乗り、人の馬には自分が乗り、つないだままの馬に乗って走らせるので、杭のまわりをぐるぐる回ることかぎりがない。近くの宿々から遊女たちを呼び集めて遊び酒盛りをしていたが、あるいは頭を蹴割られ、あるいは腰を踏み折られて、わめき叫ぶ声がおびただしい。

同じ二十四日の卯の刻に、源氏二十万騎が富士川に押し寄せて、天も響き大地も揺れるほどに、鬨の声を三度あげた。平家の陣は静まり返って物音もしない。人を入れて見させると、「みな逃げております」と申す。あるいは敵が忘れていった鎧を取って来る者もあり、あるいは平家が捨て置いた大幕を取って帰る者もある。「およそ平家の陣には、蝿さえも飛んでおりません」と申す。兵衛佐は急いで馬から下り、兜を脱ぎ、手を洗い口をすすいで、都の方を伏し拝み、「これはまったく頼朝個人の手柄ではない。ひとえに八幡大菩薩のおはからいである」とおっしゃった。

そのまま手に入れた所だからというので、駿河国を一条次郎忠頼に、遠江国を安田三郎義定に預けられた。なおも続いて攻めるべきであったが、背後もやはり心配だというので、駿河国から鎌倉へ帰られた。東海道の宿々の遊女たちは、「ああ縁起でもない討手の大将軍だこと。戦では敵を見て逃げることさえ恥ずかしいことにするのに、平家の人々は音を聞いただけで逃げてしまわれた」と笑った。

そのころ、落書がたくさん出た。都の大将軍を宗盛といい、討手の大将を権亮というので、平家を平屋に詠みかえて、

平屋の棟木(宗盛)はどんなに騒いでいることだろう。柱と頼む添え木(亮)を落としてしまって。

富士川の瀬々の岩を越す水よりも、さらに早く落ちていく伊勢平氏であることよ。

また上総守忠清が、富士川に鎧を捨てたことをも詠んだ。

富士川に鎧は捨ててしまった。墨染めの衣を着て出家せよ、忠清よ。後の世のために。

忠清は逃げ足の速い馬に乗ったことだ。上総鞦(しりがい)をかけても、かいのないことだ。

意訳

頼朝の挙兵に対して平家が派遣した追討軍が、富士川で戦わずに敗走するまでを描く章段である。若く美しい維盛の出陣姿や、忠度と女房との風雅な歌のやりとりは、都の貴族化した平家の姿をよく表している。

斎藤別当実盛が語る坂東武者の強さと、西国の戦のありさまとの対比は、この章段の読みどころである。それを聞いておびえた平家の兵は、水鳥の羽音を敵の夜襲と思いこんで逃げ出す。戦わずして敗れた平家を、都の人々は落書であざけった。

語釈・文法注

節刀
天皇が出征する将軍に、任命のしるしとして授ける刀。
驅武者
諸国から駆り集めた武士。自分から進んで従った者ではないので、頼りにならない。
大矢
長い矢を強い弓で射る者。矢の長さは「束」(握りこぶし一つの幅)で数える。

文法

「野もせにすだく蟲の音よ」
古歌「かしがまし野もせにすだく虫の音よ我だに物は言はでこそ思へ」の一節。初句の「かしがまし(やかましい)」をほのめかし、扇の音をとがめた。
「ゆらへたり」
ためらっていた。「ゆらふ」はためらう、とどまるの意。
「多少により候はず」
多少によるのではございません。「により」の下に「も」などを補って読む。
「すみぞめのころもたゞきよ」
「衣裁つ」と「忠清」を掛ける。
「上總しりがい」
上総国産の鞦(馬の尻にかける組紐)。「しりがい(尻)」に逃げることを掛け、「上総」に忠清の官名「上総守」を掛ける。

和歌

東路の草葉をわけて袖よりもたたぬたもとの露ぞこぼるゝ

詠者
宮腹の女房
状況
東国へ出陣する忠度に、小袖を贈るときに書き添えた歌。

修辞

対比
東国へ旅立つ忠度の袖と、都に残る自分のたもととを比べ、残される者の涙のほうがまさると詠む。「たたぬ」は「(旅に)立たぬ」と「(衣を)裁たぬ」を掛ける。

別れ路を何かなげかむ越えてゆく關もむかしのあとと思へば

詠者
平忠度
状況
女房の歌への返し。先祖の平貞盛が将門追討のために東国へ下ったことを思い起こして詠んだ。

修辞

反語
「何かなげかむ」は、どうして嘆こうか、嘆くことはないの意。

ひらやなるむねもりいかに騒ぐらむ柱とたのむすけをおとして

詠者
落書
状況
富士川の敗走をあざけった落書の一首。

修辞

掛詞
「平家」を「平屋」に、「宗盛」を「棟守(棟木)」に、「亮(維盛)」を「すけ(添え木)」に掛ける。

富士川のせゞの岩越す水よりもはやくも落つる伊勢平氏かな

詠者
落書
状況
富士川の敗走をあざけった落書の一首。

修辞

掛詞
「落つる」に水が流れ落ちることと、敗れて逃げることとを掛ける。「伊勢平氏」は伊勢産の瓶子(へいじ)にもかけた、平家をあざける呼び名。

富士川に鎧は棄てつすみぞめのころもたゞきよ後の世のため

詠者
落書
状況
鎧を捨てて逃げた上総守忠清をあざけった落書。

修辞

掛詞
「ころもたゞきよ」に「衣裁て」と「忠清」を掛け、武士をやめて出家せよと皮肉る。

たゞきよはにげの馬にぞ乘りてける上總しりがいかけてかひなし

詠者
落書
状況
忠清の逃げぶりをあざけった落書。

修辞

掛詞
「上総鞦」に忠清の官名「上総守」を掛け、「かひなし」に「(鞦を)かけた甲斐がない」と「甲斐(の源氏)に歯が立たない」を響かせる。

解説

富士川の戦いは治承四年(1180)十月の出来事である。『吾妻鏡』や『山槐記』にも、平家の軍勢が水鳥の羽音に驚いて退いたことが記されている。実際には、平家の軍勢は兵糧の不足や脱走で弱っていたうえ、甲斐源氏の武田信義らの動きもあり、戦う前から士気を失っていたと考えられている。

斎藤別当実盛は、もとは源義朝に仕えた武士で、のちに平家に従った。巻第七「実盛の事」では、老いの身を隠すために白髪を黒く染めて戦い、討ち死にする姿が描かれる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、495–502頁(コマ276–280)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日