古典ライブラリー

平家物語 巻第七

実盛最後の事

篠原の戦いで、斎藤別当実盛は錦の直垂に萌黄縅の鎧を着て、ただ一騎で引き返して戦った。手塚光盛に名を問われても名のらず、組み合って討たれた。首を見た義仲は、幼いころに見た実盛ならもう白髪のはずだと怪しみ、樋口兼光に見せると、兼光は涙を流して、実盛が老武者と侮られまいと髪を黒く染めていたことを語った。洗わせるとたちまち白髪となった。実盛は故郷へは錦を着て帰るという言葉どおり、宗盛から錦の直垂を許されて出陣していたのであった。

  1. 1落お落おおちちちゆくゆくゆく勢せい勢せいせいののの中なか中なかなかににに、、、武む武むむ藏さし藏さしさしののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん長なが長ながなが井ゐ井ゐいののの齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう實さね實さねさね盛もり盛もりもりははは、、、存ぞん存ぞんぞんずるずるずる旨むね旨むねむねありありありけれけれければばば、、、赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに萌もえ萌もえもえ黄ぎ黄ぎぎ縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、鍬くは鍬くはくわ形がた形がたがた打う打ううつつったるたるたる兜かぶと兜かぶとかぶとののの緒を緒をををををしめしめしめ、、、金こがね金こがねこがねづくりづくりずくりののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる切きり切きりきり斑ふ斑ふふののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、滋しげ滋しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ持も持ももつつっててて、、、連れん連れんれん錢ぜん錢ぜんぜん葦あし葦あしあし毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまににに金きん金きんきん覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの鞍くら鞍くらくらをををおいおいおいててて乘の乘ののつつったりたりたりけるけるけるががが、、、御み御みみ方かた方かたかたののの勢せい勢せいせいははは落お落おおちちち行ゆ行ゆゆけけけどもどもども、、、たゞたゞただ一いつ一いついっ騎き騎きき返かへ返かへかえししし合あ合ああははわせ〳〵せ〳〵せかえしあわせ防ふせ防ふせふせぎぎぎ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの方かた方かたかたよりよりより手て手てて塚づか塚づかずかののの太た太たた郎らう郎らうろう進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「あなあなあなやさしやさしやさし、、、いかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとにてにてにてわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、御み御みみ方かた方かたかたののの御おん御おんおん勢せい勢せいせいはははみなみなみな落お落おおちちちゆきゆきゆき候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、たゞたゞただ一いつ一いついっ騎き騎きき殘のこ殘のこのこらららせせせたまひたまひたまいたるたるたるこそこそこそ、、、優いう優いうゆうににに覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらへへえ。。。名な名なな乘の乘ののらららせせせたまへたまへたまえ。。。」」」とととことばことばことばををを懸か懸かかけけけけれけれければばば、、、「「「まづまづまずかうかうこういふいふいうわわわ殿どの殿どのどのははは誰た誰たたそそそ。。。」」」「「「信しな信しなしな濃の濃ののののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん手て手てて塚づか塚づかずかののの太た太たた郎らう郎らうろう金かな金かなかな刺さし刺さしさしののの光みつ光みつみつ盛もり盛もりもり。。。」」」とととこそこそこそ名な名なな乘の乘ののつつったれたれたれ。。。齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう、、、「「「さてさてさてははは互たがひ互たがひたがいににによきよきよき敵かたき敵かたきかたき、、、但たゞ但たゞただしししわわわ殿どの殿どのどのををを下さ下ささぐるぐるぐるにににはははあらあらあらずずず、、、存ぞん存ぞんぞんずるずるずる旨むね旨むねむねがががあれあれあればばば、、、名な名なな乘の乘ののるるる事こと事ことことはははあるあるあるまじいまじいまじいぞぞぞ。。。寄よ寄よよれれれ、、、組く組くくまままううう手て手てて塚づか塚づかずか。。。」」」とてとてとて、、、馳は馳ははせせせ竝なら竝ならならぶるぶるぶるところところところににに、、、手て手てて塚づか塚づかずかががが郎らう郎らうろう等どう等どうどう、、、主しゆう主しゆうしゅうををを討う討ううたたたせせせじじじととと中なか中なかなかににに隔へだ隔へだへだたりたりたり、、、齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうにににおしおしおし竝なら竝ならならべべべててて、、、むずむずむずととと組く組くくむむむ。。。齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう、、、「「「あつぱれあつぱれあっぱれおのれおのれおのれははは、、、日につ日につにっ本ぽん本ぽんぽん一いち一いちいちののの剛かう剛かうこうののの者もの者ものものととと組く組くくんんんでででうずうずうずよよよ、、、なうれなうれのうれ。。。」」」とてとてとて、、、わがわがわが乘の乘ののつつったりたりたりけるけるける鞍くら鞍くらくらののの前まへ前まへまえ輪わ輪わわにににおしおしおしつけつけつけててて、、、ちつちつちっとととももも働はたら働はたらはたらかかかさささずずず、、、首くび首くびくびかきかきかき切き切ききつつっててて捨す捨すすててててててけるけるける。。。手て手てて塚づか塚づかずかののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどうががが討う討ううたたたるゝるゝるるををを見み見みみててて、、、弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででににに廻まは廻まはまわりりりあひあひあい、、、鎧よろひ鎧よろひよろいののの草くさ草くさくさ摺ずり摺ずりずり引ひき引ひきひき上あ上ああげげげててて二ふた二ふたふた刀かたな刀かたなかたな刺さ刺ささししし、、、弱よわ弱よわよわるるる所ところ所ところところををを組く組くくんんんででで伏ふ伏ふふすすす。。。齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう心こゝろ心こゝろこころははは猛たけ猛たけたきょううう思おも思おもおもへへえどもどもども、、、軍いくさ軍いくさいくさにににはははしつかれしつかれしつかれぬぬぬ、、、手て手ててははは負お負おおうううつつつ、、、そのそのその上うへ上うへうえ老おい老おいおい武む武むむ者しや者しやしゃででではははありありあり、、、手て手てて塚づか塚づかずかががが下した下したしたにににぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。
  2. 2手て手てて塚づか塚づかずかののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、馳は馳ははせせせ來く來くくるるる郎らう郎らうろう等どう等どうどうににに首くび首くびくび取と取ととらららせせせ、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんにににまゐりまゐりまいり畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて、、、「「「光みつ光みつみつ盛もり盛もりもりこそこそこそ奇き奇きき異い異いいののの癖くせ癖くせくせ者もの者ものものととと組く組くくんんんででで、、、討う討ううつつっててて參まゐ參まゐまいつつっててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいかかかととと見み見みみ候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれををを著き著ききててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。またまたまた大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんかかかととと見み見みみ候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、つゞくつゞくつづく勢せい勢せいせいももも候さふら候さふらそうらははわずずず、、、名な名なな乘の乘ののれ〳〵れ〳〵れなのれととと責せ責せせめめめ候さふら候さふらそうらひひいつれつれつれどもどもども、、、遂つひ遂つひついににに名な名なな乘の乘ののりりり候さふら候さふらそうらははわずずず。。。聲こゑ聲こゑこえははは坂ばん坂ばんばん東どう東どうどう聲ごゑ聲ごゑごえにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいつるつるつる。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「あつぱれあつぱれあっぱれ、、、これこれこれははは齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうにてにてにてありありあり、、、ござんなれござんなれござんなれ、、、それそれそれならならならんんんにににははは義よし義よしよし仲なか仲なかなかががが上かう上かうこう野づけ野づけずけへへへ越こ越ここえええたりたりたりししし時とき時ときとき、、、をさなをさなおさな眼まなこ眼まなこまなこににに見み見みみしししかかかばばば、、、白しら白しらしら髪が髪ががののの糟かす糟かすかす尾を尾をおなつなつなっしししぞぞぞかしかしかし。。。今いま今いまいまははははやはやはや七しち七しちしち十じふ十じふじゅうにににもももあまりあまりあまり、、、白はく白はくはく髪はつ髪はつはつにににこそこそこそなりなりなりぬらんぬらんぬらんににに、、、鬢びん鬢びんびん鬚ひげ鬚ひげひげののの黑くろ黑くろくろいいいこそこそこそあやしけれあやしけれあやしけれ。。。樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね光みつ光みつみつははは年とし年としとし頃ごろ頃ごろごろ馴な馴ななれれれ遊あそ遊あそあそんんんででで、、、見み見みみ知し知ししりりりたるたるたるらんらんらん、、、樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐち召め召めめせせせ。。。」」」とてとてとて、、、召め召めめささされれれけりけりけり。。。
  3. 3樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろうたゞたゞただ一ひと一ひとひと目め目めめ見み見みみててて、、、「「「あなあなあな無む無むむ慙ざん慙ざんざん、、、齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいけりけりけり。。。」」」とてとてとて涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながすすす。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「それそれそれならならならんんんにににははは、、、はやはやはや七しち七しちしち十じふ十じふじゅうにににももも餘あま餘あまあまりりり、、、白はく白はくはく髪はつ髪はつはつにににこそこそこそなりなりなりぬらんぬらんぬらんににに、、、鬢びん鬢びんびん鬚ひげ鬚ひげひげののの黑くろ黑くろくろきききはははいかにいかにいかに。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、やゝやゝややあつあつあっててて樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「さささ候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、そのそのそのやうやうようををを申まう申まうもうししし上あ上ああげげげんんんととと仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふらふ候さふらふそうろうががが、、、あまりあまりあまりにににあはれあはれあわれににに覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふら候さふらそうらうううててて、、、まづまづまず不ふ不ふふ覺かく覺かくかくののの涙なみだ涙なみだなみだのののこぼれこぼれこぼれ候さふら候さふらそうらひひいけるけるけるぞぞぞややや。。。さればさればされば弓ゆみ弓ゆみゆみ矢や矢やや取と取ととりりりははは、、、聊いさゝ聊いさゝいささかかかののの所ところ所ところところにてにてにてももも思おもひ思おもひおもい出で出ででのののことばことばことばをををばばば、、、かねかねかねてててつかひつかひつかい置お置おおくくくべきべきべきことことことにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいけるけるけるぞぞぞややや。。。齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう、、、常つね常つねつねははは兼かね兼かねかね光みつ光みつみつににに逢あ逢あおうううててて物もの物ものもの語がたり語がたりがたりししし候さふら候さふらそうらひひいしししははは、、、『『『六ろく六ろくろく十じふ十じふじゅうにににあまりあまりあまりててて軍いくさ軍いくさいくさののの陣ぢん陣ぢんじんへへへ向むか向むかむかははわんんん時とき時ときときははは、、、鬢びん鬢びんびん鬚ひげ鬚ひげひげををを黑くろ黑くろくろううう染そ染そそめめめててて、、、若わか若わかわかやがやがやがうううととと思おも思おもおもふふうなりなりなり。。。そのそのその故ゆゑ故ゆゑゆえははは若わか若わかわか殿との殿とのとのばらばらばらににに爭あらそ爭あらそあらそうううててて、、、先さき先さきさきををを驅か驅かかけけけんんんもももおとなげおとなげおとなげなしなしなし、、、またまたまた老おい老おいおい武む武むむ者しや者しやしゃとてとてとて、、、人ひと人ひとひとののの侮あなど侮あなどあなどららられれれんんんももも口くち口くちくち惜を惜をおしかるしかるしかるべしべしべし。。。』』』ととと申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらひひいしししががが、、、まことまことまことににに染そ染そそめめめててて候さふら候さふらそうらひひいけるけるけるぞぞぞややや。。。洗あら洗あらあらははわせせせててて御ご御ごご覽らん覽らんらん候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのさもさもさもあるあるあるらんらんらんとてとてとて、、、洗あら洗あらあらははわせせせててて御ご御ごご覽らん覽らんらんずれずれずればばば、、、白はく白はくはく髪はつ髪はつはつにににこそこそこそなりなりなりにににけれけれけれ。。。
  4. 4またまたまた齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれををを著き著ききけるけるける事こと事ことことももも、、、最さい最さいさい後ご後ごごののの暇いとま暇いとまいとま申まう申まうもうしししににに大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、「「「かうかうこう申まう申まうもうせせせばばば、、、實さね實さねさね盛もり盛もりもりががが身み身みみ一ひと一ひとひとつつつにてにてにてははは候さふら候さふらそうらははわねねねどもどもども、、、先せん先せんせん年ねん年ねんねん坂ばん坂ばんばん東どう東どうどうへへへまかりまかりまかり下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらひひいししし時とき時ときとき、、、水みづ水みづみず鳥とり鳥とりとりののの羽は羽はは音おと音おとおとににに驚おどろ驚おどろおどろききき、、、矢や矢やや一ひと一ひとひとつつつをををだにだにだに射い射いいずずずしてしてして、、、駿する駿するする河が河ががののの蒲かん蒲かんかん原ばら原ばらばらよりよりより逃に逃ににげげげ上のぼ上のぼのぼつつっててて候さふら候さふらそうらひひいしししことことこと、、、老おい老おいおいののの後のち後のちのちののの恥ち恥ちち辱じよく辱じよくじょく、、、たゞたゞただこのこのこの事こと事ことことににに候さふらふ候さふらふそうろう。。。今こん今こんこん度ど度どど北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくへへへまかりまかりまかり下くだ下くだくだりりり候さふら候さふらそうらははわばばば、、、定さだ定さださだめめめててて討うち討うちうち死じに死じにじに仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。實さね實さねさね盛もり盛もりもりもともともとははは越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくにののの者もの者ものものにてにてにて候さふら候さふらそうらひひいしししががが、、、近きん近きんきん年ねん年ねんねん御ご御ごご領りやう領りやうりょうにににつけつけつけられられられててて、、、武む武むむ藏さし藏さしさしののの國くに國くにくに長なが長ながなが井ゐ井ゐいににに居きよ居きよきょ住ぢゆう住ぢゆうじゅう仕つかまつ仕つかまつつかまつりりり候さふら候さふらそうらひひいききき。。。事こと事ことことののの譬たとへ譬たとへたとえののの候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞかしかしかし。。。故こ故ここ郷きやう郷きやうきょうへへへははは錦にしき錦にしきにしきををを著き著ききててて歸かへ歸かへかえるるるととと申まう申まうもうすすす事こと事ことことののの候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、何なに何なになにかかか苦くる苦くるくるしうしうしゅう候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき、、、錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれををを御ご御ごご免めん免めんめん候さふら候さふらそうらへへえかしかしかし。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、「「「やさしうやさしうやさしゅうももも申まう申まうもうしししたりたりたりけるけるけるものものものかなかなかな。。。」」」とてとてとて、、、錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれををを御ご御ごご免めん免めんめんありありありけるけるけるとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。昔むかし昔むかしむかしののの朱しゆ朱しゆしゅ買ばい買ばいばい臣しん臣しんしんははは錦にしき錦にしきにしきののの袂たもと袂たもとたもとををを會くわい會くわいかい稽けい稽けいけい山ざん山ざんざんににに飜ひるがへ飜ひるがへひるがえししし、、、今いま今いまいまののの齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう實さね實さねさね盛もり盛もりもりははは、、、そのそのその名な名ななををを北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくののの巷ちまた巷ちまたちまたににに揚あ揚ああぐぐぐとととかやかやかや。。。朽く朽くくちちちもももせせせぬぬぬ空むな空むなむなしきしきしき名な名ななのみのみのみ止とゞ止とゞとどめめめ置お置おおいいいててて、、、屍かばね屍かばねかばねははは越こし越こしこし路ぢ路ぢじののの末すゑ末すゑすえののの塵ちり塵ちりちりとととなるなるなるこそこそこそあはれあはれあわれなれなれなれ。。。
  5. 5去い去いいんんんぬるぬるぬる四し四しし月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう七しち七しちしち日にち日にちにち、、、平へい平へいへい家け家けけ十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききにてにてにて都みやこ都みやこみやこををを出い出いいでででしししことことことがらがらがらははは、、、何なに何なになにおもておもておもてををを向むか向むかむかふふうべしべしべしとととももも見み見みみえええざりざりざりしししににに、、、今いま今いまいま五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ下げ下げげ旬じゆん旬じゆんじゅんににに都みやこ都みやこみやこへへへ歸かへ歸かへかえりりり上のぼ上のぼのぼるるるにににははは、、、そのそのその勢せい勢せいせい僅わづか僅わづかわずかににに二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、流なが流ながながれれれををを盡つく盡つくつくしししてててすなどるすなどるすなどる時とき時ときときははは、、、多おほ多おほおおくくくののの魚うを魚うをうおををを得う得ううるるるととといへいへいえどもどもども、、、明みやう明みやうみょう年ねん年ねんねんににに魚うを魚うをうおなしなしなし。。。林はやし林はやしはやしををを燒や燒ややいいいててて狩か狩かかるるるときときときははは、、、多おほ多おほおおくくくののの獸けだもの獸けだものけだものををを得う得ううるるるととといへいへいえどもどもども、、、明みやう明みやうみょう年ねん年ねんねんににに獸けだもの獸けだものけだものなしなしなし。。。後のち後のちのちををを存ぞん存ぞんぞんじじじててて少せう少せうしょう々せう々せうしょうははは殘のこ殘のこのこさささるるるべかりべかりべかりけるけるけるものものものをををととと、、、申まう申まうもうすすす人ひと人ひとひともももありありありけるけるけるとととかやかやかや。。。
  6. 6上總かづさ上總かづさかずさののの守かみ守かみかみ忠たゞ忠たゞただ清きよ清きよきよ、、、飛ひ飛ひひ驒だ驒だだののの守かみ守かみかみ景かげ景かげかげ家いへ家いへいえははは、、、一を一をを昨と昨とと年とし年としとし、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく薨こう薨こうこう去きよ去きよきょせせせられられられししし時とき時ときとき、、、二ふた二ふたふた人り人りりともともともににに出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけしてしてしてありありありけるけるけるががが、、、今こん今こんこん度ど度どど北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくにてにてにて、、、子こ子ここどもどもどももももみなみなみな打う打ううたたたれれれぬぬぬととと聞き聞ききいいいててて、、、そのそのその思おも思おもおもひひいのののつもりつもりつもりにににややや、、、遂つひ遂つひついににに歎なげ歎なげなげききき死じに死じにじににににぞぞぞ死し死ししににににににけるけるける。。。これこれこれををを始はじ始はじはじめめめててて、、、親おや親おやおやははは子こ子ここににに後おく後おくおくれれれ、、、妻め妻めめははは夫をつと夫をつとおつとににに別わか別わかわかれれれててて、、、歎なげ歎なげなげききき悲かな悲かなかなしむしむしむ事こと事ことことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。およそおよそおよそ京きやう京きやうきょう中ぢゆう中ぢゆうじゅうにににははは家いへ家いへいえ々いへ々いへいえににに門かど門かどかどををを閉と閉ととぢぢじててて、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆう鐘かね鐘かねかねうちうちうち鳴な鳴なならしらしらし、、、聲こゑ聲こゑこえ々ごゑ々ごゑごえににに念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつ申まう申まうもうししし、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけぶぶぶ事こと事ことことおびたゞしおびたゞしおびただし。。。またまたまた遠をん遠をんおん國ごく國ごくごく、、、近きん近きんきん國ごく國ごくごくもももかくかくかくののの如ごと如ごとごとししし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

逃げて行く軍勢の中に、武蔵国の住人長井の斎藤別当実盛は、思うところがあったので、赤地の錦の直垂に萌黄縅の鎧を着て、鍬形を打った兜の緒をしめ、黄金づくりの太刀を佩き、二十四本差した切斑の矢を背負い、滋籐の弓を持って、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍を置いて乗っていたが、味方の軍勢は逃げて行くのに、ただ一騎で引き返し引き返しして防ぎ戦った。木曾殿の方から手塚太郎が進み出て、「ああ立派なことだ。どのようなお方でいらっしゃるのか、味方の軍勢はみな逃げて行くのに、ただ一騎残っておられるのは、まことに心にくく思われます。お名のりください」と言葉をかけると、「まずそう言うおまえは誰だ」。「信濃国の住人手塚太郎金刺光盛」と名のった。斎藤別当は「さては互いによい敵だ。ただしおまえを見下すのではない。思うところがあるので名のることはするまいぞ。寄れ、組もう、手塚」といって馬を並べたところへ、手塚の郎等が主人を討たせまいと間に割って入り、斎藤別当に馬を押し並べてむずと組みついた。斎藤別当は「あっぱれ、おまえは日本一の剛の者と組もうというのだな。おのれ」といって、自分の乗っている鞍の前輪に押しつけて、少しも身動きさせず、首をかき切って捨ててしまった。手塚太郎は郎等が討たれるのを見て、左手に回りこみ、鎧の草摺を引き上げて二刀刺し、弱ったところを組み伏せた。斎藤別当は心では勇ましく思ったが、戦い疲れており、傷を負っており、そのうえ老武者でもあったので、手塚の下に組み敷かれてしまった。

手塚太郎は、駆けつけて来た郎等に首を取らせ、木曾殿の御前に参ってかしこまり、「光盛は不思議な曲者と組んで、討って参りました。侍かと思えば錦の直垂を着ております。また大将軍かと思えば、続く軍勢もおりません。名のれ名のれと責めましたが、ついに名のりませんでした。声は坂東なまりでございました」と申したので、木曾殿は「あっぱれ、これは斎藤別当であるな。そうであろう。それならば、義仲が上野へ越えたとき、幼い目に見たときには、白髪まじりのごま塩頭であった。今はもう七十を越えて、真っ白になっているはずなのに、鬢や鬚が黒いのは不思議だ。樋口次郎兼光は長年親しくしていたから、見知っているだろう。樋口を呼べ」といってお呼びになった。

樋口次郎はひと目見るなり、「ああ痛ましい。斎藤別当でございました」といって涙を流した。木曾殿が「それならば、もう七十を越えて真っ白になっているはずなのに、鬢や鬚が黒いのはどうしたことか」とおっしゃると、しばらくして樋口次郎が涙を抑えて申すには、「そうでございます。そのわけを申し上げようといたしましたが、あまりに哀れに思われて、まず思わず涙がこぼれてしまいました。それにつけても、弓矢を取る者は、ちょっとした場面でも心に残る言葉を、かねて言いおいておくべきものでございますね。斎藤別当がいつも兼光に会って話しておりましたのは、『六十を過ぎて戦の陣へ向かうときは、鬢や鬚を黒く染めて若く見せようと思う。そのわけは、若殿ばらと争って先駆けをするのもおとなげないし、また老武者だといって人に侮られるのも残念だからだ』と申しておりましたが、本当に染めていたのですね。洗わせてご覧ください」と申したので、木曾殿は「そうでもあろう」といって洗わせてご覧になると、真っ白な白髪になった。

また斎藤別当が錦の直垂を着ていたのも、最後の暇乞いに大臣殿(宗盛)のもとへ参って、「こう申しますのは、実盛一人のことではございませんが、先年坂東へ下りましたとき、水鳥の羽音に驚いて、矢一本も射ずに駿河の蒲原から逃げ上ってまいりましたこと、老いの身の恥辱は、ただこのことでございます。今度北国へ下りましたら、きっと討死いたしましょう。実盛はもとは越前国の者でございましたが、近年ご領地につけられて、武蔵国長井に住んでおりました。ことわざにもございますように、故郷へは錦を着て帰ると申しますので、どうかお許しください。錦の直垂の着用をお許しくださいませ」と申したので、大臣殿は「殊勝なことを申すものだ」といって、錦の直垂の着用を許されたと聞こえた。昔の朱買臣は錦の袂を会稽山にひるがえし、今の斎藤別当実盛は、その名を北国の巷にあげたということである。朽ちることのないむなしい名だけを残して、屍は越路の果ての塵となったのは哀れなことである。

去る四月十七日、平家が十万余騎で都を出たときのありさまは、立ち向かう者などないかと見えたが、今五月下旬に都へ帰り上るときには、その軍勢はわずか二万余騎であった。川の流れを涸らして魚をとるときは、多くの魚をとることができても、翌年には魚がいない。林を焼いて狩りをするときは、多くの獣をとることができても、翌年には獣がいない。後のことを考えて、少しは残しておくべきであったのにと言う人もいたということである。

上総守忠清と飛驒守景家は、一昨年入道相国が亡くなられたとき、二人とも出家していたが、今度北国で子どもたちがみな討たれたと聞いて、その思いが積もったのであろうか、ついに嘆き死にしてしまった。これをはじめとして、親は子に先立たれ、妻は夫に別れて、嘆き悲しむことはかぎりがない。およそ京中では家々で門を閉じて、朝夕に鐘を打ち鳴らし、声々に念仏を唱え、わめき叫ぶことおびただしい。また遠国・近国も同じありさまであった。

意訳

『平家物語』の中でも特に名高い章段である。七十を越えた老武者実盛は、若い者と争うのもおとなげなく、老いを侮られるのも口惜しいと、髪を黒く染めて出陣した。名のらずに戦い、討たれた首を洗うと白髪が現れる場面は、武士の誇りと老いの哀れとを鮮やかに描いている。

実盛は富士川で戦わずに逃げた恥をすすぐため、討死を覚悟して、故郷へは錦を着て帰るという言葉どおり錦の直垂を着て北国へ下った。物語は実盛の死に続けて、平家の大軍がわずか二万騎になって帰京したこと、多くの家で嘆きの声があがったことを記して、北陸での敗戦の大きさを伝えている。

語釈・文法注

文法

「ござんなれ」
そうであろう。思ったとおりだ。「ごさんなれ」とも。
「糟尾なつし」
白髪まじりのごま塩頭であった。
「組んでうずよ」
組もうというのだな。「うず」は「うとす」の約。
「なうれ」
おのれ。相手を呼びつける言葉。
「故郷へは錦を著て歸る」
出世して故郷へ帰ることのたとえ。朱買臣が会稽の太守となって錦を着て故郷に帰った故事による。

解説

斎藤別当実盛(?〜1183)は越前の出身で、武蔵国長井荘を本拠とした。かつて源義朝に仕え、幼い義仲の命を救って木曾へ送り届けたとも伝えられる。実盛の最期は謡曲「実盛」の題材となり、松尾芭蕉も加賀の多太神社で実盛の兜を見て「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠んだ。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、565–569頁(コマ311–313)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日