おくのほそ道 第23章
瑞巌寺
五月十一日、瑞巌寺に参詣する。真壁平四郎が入唐して帰国後に開いた寺で、のちに雲居禅師の徳によって七堂伽藍が整い、金色に輝く大寺となった。芭蕉は、かつての見仏上人の寺はどこにあったのかとしのぶ。

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現代語訳
十一日、瑞巌寺に参詣する。この寺の三十二世の昔、真壁の平四郎が出家して唐に渡り、帰国したのちに開山した。その後、雲居禅師の徳による教化によって、七堂伽藍の屋根の甍も新しく改まり、金色の壁や荘厳な飾りは光り輝いて、この世に仏の浄土を実現したような大寺院となったのである。それにしても、あの見仏聖の寺はどのあたりにあったのだろうかと、なつかしく思われる。
意訳
瑞巌寺は伊達政宗が再建した、絢爛豪華な寺である。芭蕉はその壮麗さを「佛土成就の大伽藍」とたたえる。
しかし結びで心を寄せるのは、平安時代にこの地で修行した見仏上人の、質素な草庵のことである。豪華な伽藍よりも、名もない聖の庵の跡をしのぶところに、隠者の生き方を慕う芭蕉の心がある。前の章で雄島の草庵の隠者に心ひかれたこととも呼応している。
語釈・文法注
- 瑞岩寺
- 瑞巌寺。松島にある臨済宗の寺。伊達政宗が再建した。底本は「瑞岩寺」と刷る。
- 眞壁の平四郎
- 法身性西。鎌倉時代の禅僧。真壁の出身で、出家して宋に渡り、帰国後に円福寺(のちの瑞巌寺)を開いたと伝えられる。
- 入唐
- 中国に渡ること。実際には宋の時代。
- 德化
- 徳による教化。
- 七堂甍改りて
- 寺の主要な七つの建物(七堂伽藍)の屋根が新しくなって。
- 金壁莊嚴
- 金色に塗った壁と、仏堂の飾り。
- 見佛聖
- 見仏上人。平安時代後期、松島の雄島に庵を結んで修行した僧。法華経を読誦し、鳥羽上皇から松の木を賜ったという。
文法
- なれりける
- 「なれ」は四段動詞「なる」の已然形(命令形とも)、「り」は完了・存続、「ける」は詠嘆の「けり」。(大伽藍と)なったのであった。
- いづくにやとしたはる
- 「や」の後に「あらむ」が略されている。「る」は自発。どこにあったのだろうかと、自然としのばれる。
解説
瑞巌寺は、天長五年(828)に慈覚大師円仁が開いた延福寺に始まるとされ、鎌倉時代に法身性西が臨済宗の円福寺として再興した。江戸時代初め、伊達政宗が五年をかけて再建し、名を瑞巌寺と改めた。本堂(方丈)は国宝である。
本文の日付は「十一日」だが、曾良の『随行日記』によれば、瑞巌寺に参詣したのは松島に着いた五月九日で、十日に松島を発って石巻に向かっている。本文は前後の章とのつながりを考えて日付を整えたものと考えられる。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、17〜18頁(コマ17–18)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日