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おくのほそ道 第8章

黒羽

黒羽の城代家老・浄法寺何某を訪ねると、思いがけない来訪を喜ばれ、弟の桃翠とともに歓待される。犬追物の跡や玉藻の前の古墳、那須与一ゆかりの八幡宮を訪ね、修験光明寺の行者堂で一句を詠む。

黒羽の浄法寺邸で歓待を受ける芭蕉と曾良(AI生成)
黒羽の浄法寺邸で歓待を受ける芭蕉と曾良
  1. 1黒くろ黒くろくろ羽ば羽ばばののの何なに何なになにがしのがしのがしの方かた方かたかたににに音信おとづ音信おとづおとずるるる。。。思おも思おもおもひかけぬあるじのひかけぬあるじのいかけぬあるじの悦よろこ悦よろこよろこびびび、、、日夜にちや日夜にちやにちや語かた語かたかたつゞけてつゞけてつづけて、、、其そ其そそ弟おとうと弟おとうとおとうとなどなどなど云い云いいががが朝夕あさゆふ朝夕あさゆふあさゆう勤つと勤つとつととぶらひとぶらひとぶらい、、、自みづから自みづからみずからののの家いへ家いへいえにもにもにも伴ともな伴ともなともなひてひていて親屬しんぞく親屬しんぞくしんぞくののの方かた方かたかたにもまねかれにもまねかれにもまねかれ、、、日ひ日ひひをををふるまゝにふるまゝにふるままに、、、日ひ日ひひとひとひとい郊外かうぐわい郊外かうぐわいこうがいににに逍遙せうえう逍遙せうえうしょうようしてしてして、、、ののの跡あと跡あとあとををを一見いつけん一見いつけんいっけんししし、、、那な那なな須す須すすののの篠原しのはら篠原しのはらしのはらをををわけてわけてわけてののの前まへ前まへまえののの古墳こふん古墳こふんこふんをををとふとふとう。。。
  2. 2それよりそれよりそれより八幡宮はちまんぐう八幡宮はちまんぐうはちまんぐうににに詣まう詣まうもう。。。扇あふぎ扇あふぎおうぎののの的まと的まとまとををを射い射いいししし時とき時ときとき、、、別べつ別べつべっしてしてしてはははまんとちかひしもまんとちかひしもまんとちかいしも此こ此ここ神社じんじや神社じんじやじんじゃにてにてにて侍はべる侍はべるはべるととと聞きこ聞きこきこばばば、、、感かん感かんかん應おう應おうおう殊こと殊ことことしきりにしきりにしきりに覺おぼ覺おぼおぼえらるえらるえらる。。。暮く暮くくればればれば桃翠宅たうすいたく桃翠宅たうすいたくとうすいたくににに歸かへ歸かへかえるるる。。。
  3. 3ととと云い云いい有あり有ありあり。。。そこにまねかれてそこにまねかれてそこにまねかれてををを拜はい拜はいはいすすす。。。
  4. 4夏山なつやま夏山なつやまなつやまににに足駄あしだ足駄あしだあしだををを拜をが拜をがおがむむむ

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

黒羽の城代家老である浄法寺何某の家を訪ねる。思いがけない来訪に主人は喜び、昼も夜も語り続けて、その弟の桃翠などという人が朝夕訪ねてきては、自分の家にも連れていき、親類の家にも招かれたりして、日を過ごすうちに、ある日、郊外を散策して、犬追物の跡を見物し、那須の篠原を分け入って、玉藻の前の古墳を訪ねる。それから八幡宮に参詣する。与一が扇の的を射たとき、「とりわけ私の国の氏神正八幡よ」と祈ったのもこの神社であると聞くと、神の霊験がいっそう強く感じられる。日が暮れたので桃翠の家に帰る。

修験光明寺という寺がある。そこに招かれて、行者堂を拝む。

夏山に足駄を拜む首途哉(これから夏山を越えて長い旅に出る門出にあたり、修験の祖、役の行者の高下駄を拝むことだ)

意訳

黒羽では十日以上も滞在し、地元の人々に心をこめてもてなされた。章の文は息長く一続きに書かれ、次々に招かれ、あちこちを見物して過ごした日々の楽しさが、そのまま伝わってくる。

犬追物・玉藻の前・那須与一と、黒羽は武士や伝説の物語にゆかりの深い土地である。とりわけ『平家物語』の与一の話は、旅人の芭蕉にも身近で、その祈りを聞いたという八幡宮に立つと、神の力が身にしみて感じられた。

発句は、山野をかけめぐった役の行者の足駄(高下駄)を拝み、その健脚にあやかって、これから先の長い山旅の無事を祈るものである。

語釈・文法注

館代
城主の留守を預かる家老。黒羽藩の城代家老、浄法寺高勝(俳号は秋鴉)。
淨坊寺何がし
浄法寺図書高勝。底本は「淨坊寺」と刷る。
桃翠
浄法寺の弟、鹿子畑豊明。俳号は翠桃。底本は「桃翠」と刷る。
犬追物
馬上から犬を追って射る武芸。那須野は、鳥羽上皇の時代に玉藻の前(九尾の狐)を退治するために、犬追物で弓の稽古をした所と伝えられた。
玉藻の前
鳥羽上皇に仕えた美女で、正体は九尾の狐とされる。那須野で退治され、殺生石になったという。
與市
那須与一。屋島の戦いで、平家の船に掲げられた扇の的を射落とした弓の名人。
正八まん
正八幡。八幡大菩薩。与一は扇を射るとき「南無八幡大菩薩、別しては我が国の神明、日光の権現・宇都宮・那須の湯泉大明神」と祈ったと『平家物語』に見える。
修驗光明寺
黒羽にあった修験道の寺。
行者堂
修験道の祖、役の行者(役小角)をまつる堂。
首途
旅の出発。門出。

文法

日とひ郊外に
底本どおり「日とひ」。通行本文は「一日(ひとひ)郊外に」で、ある日、の意。
音信る
「おとづる」。訪ねる。
侍と聞ば
「侍(はべる)」は丁寧の補助動詞。「聞ば」は已然形+「ば」で、聞くと。
覺えらる
「らる」は自発の助動詞。自然と感じられる。

発句・和歌

夏山に足駄を拜む首途哉

作者
松尾芭蕉
状況
黒羽の修験光明寺で、役の行者をまつる行者堂を拝んだときの句。これから越える夏山の旅の門出に、健脚で知られた役の行者の高下駄を拝む。季語は「夏山」。

修辞

季語
夏山。夏。
切れ字
「哉」。

解説

曾良の『随行日記』によれば、芭蕉一行は四月三日から十六日まで、十三泊十四日も黒羽に滞在した。これは『おくのほそ道』の旅で最も長い滞在である。浄法寺高勝と弟の鹿子畑豊明(翠桃)は、どちらも芭蕉の門人で、江戸で芭蕉に学んだことがあった。

底本は兄を「淨坊寺」、弟を「桃翠」と刷るが、実名は浄法寺、俳号は翠桃である。芭蕉の自筆本や素龍清書本にもこのように書かれ、芭蕉の思い違いか、わざと変えたのかは分かっていない。

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出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、6頁(コマ12)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日