古典ライブラリー

平家物語 巻第九

宇治川の事

義仲討伐のため、頼朝は範頼を大手、義経を搦手の大将として六万余騎を上らせた。頼朝の名馬生食は、梶原景季の所望を退けて佐々木高綱に与えられ、景季は磨墨を賜る。浮島が原で生食に気づいた景季は佐々木と刺し違えようとするが、佐々木は盗んで来たと偽って笑いに紛らせた。雪解け水で増水した宇治川で、佐々木は景季に腹帯がゆるんでいると言って先を越し、川底の大綱を切って先陣を果たす。畠山重忠は徒歩で川を渡り、流された大串重親を岸へ投げ上げ、宇治・勢多の守りは破られた。

  1. 1同おな同おなおなじきじきじき正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ十じふ十じふじゅう一いち一いちいち日にち日にちにち、、、木き木きき曾そ曾そそののの左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ義よし義よしよし仲なか仲なかなか院ゐん院ゐんいん參さん參さんさんしてしてして、、、平へい平へいへい家け家けけ追つゐ追つゐつい討たう討たうとうののの爲ため爲ためためににに西さい西さいさい國こく國こくこくへへへ發はつ發はつはっ向かう向かうこうすすすべきべきべき由よし由よしよしををを奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんすすす。。。同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち既すで既すですでににに門かど門かどかど出いで出いでいですすすととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらののの前さき前さきさきののの右う右うう兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ賴より賴よりより朝とも朝ともとも、、、木き木きき曾そ曾そそががが狼らう狼らうろう藉ぜき藉ぜきぜきしづめしづめしずめんんんとてとてとて、、、範のり範のりのり賴より賴よりより、、、義よし義よしよし經つね經つねつねををを先さき先さきさきとととしてしてして、、、數す數すす萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎののの軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょうをををさしさしさし上のぼ上のぼのぼせせせられられられけるけるけるががが、、、既すで既すですでににに美み美みみ濃の濃ののののの國くに國くにくに、、、伊い伊いい勢せ勢せせののの國くに國くにくににににももも著つ著つつくくくととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかばばば、、、木き木きき曾そ曾そそ大おほ大おほおおきききににに驚おどろ驚おどろおどろききき、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ、、、勢せ勢せせ多た多たたののの橋はし橋はしはしををを引ひ引ひひいいいててて、、、軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょうどもどもどもををを分わか分わかわかちちち遣つか遣つかつかははわすすす。。。折をり折をりおりふしふしふし勢せい勢せいせいこそこそこそなかりなかりなかりけれけれけれ。。。まづまづまず勢せ勢せせ多た多たたののの橋はし橋はしはしへへへははは、、、大おほ大おほおお手て手ててなれなれなればばばとてとてとて今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね平ひら平ひらひら、、、八はつ八はつはっ百ぴやく百ぴやくぴゃく餘よ餘よよ騎き騎ききにてにてにてさしさしさし遣つか遣つかつかははわすすす。。。宇う宇うう治ぢ治ぢじ橋ばし橋ばしばしへへへははは仁に仁にに科しな科しなしな、、、高たか高たかたか梨なし梨なしなし、、、山やま山やまやま田だ田だだののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎ききででで遣つか遣つかつかははわしししけりけりけり。。。一いも一いもいも口あらひ口あらひあらいへへへははは伯を伯をお父ぢ父ぢじののの志し志しし田だ田だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう先せん先せんせん生じやう生じやうじょう義よし義よしよし教のり教のりのり、、、三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく餘よ餘よよ騎き騎ききででで向むか向むかむかひひいけりけりけり。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに東とう東とうとう國ごく國ごくごくよりよりより攻せ攻せせめめめ上のぼ上のぼのぼるるる大おほ大おほおお手て手ててののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにににははは、、、蒲かば蒲かばかばののの御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし範のり範のりのり賴より賴よりより、、、搦から搦からから手め手めめののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにににははは九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし義よし義よしよし經つね經つねつね、、、宗むね宗むねむね徒と徒ととののの大だい大だいだい名みやう名みやうみょう三さん三さんさん十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい六ろく六ろくろく萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。そのそのその頃ころ頃ころころ鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのにににははは、、、生いけ生いけいけ食ずき食ずきずき、、、磨する磨するする墨すみ墨すみすみとてとてとて聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる名めい名めいめい馬ば馬ばばありありありけりけりけり。。。生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきをををばばば梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら源げん源げんげん太た太たた景かげ景かげかげ季すゑ季すゑすえ、、、頻しき頻しきしきりりりににに所しよ所しよしょ望まう望まうもう申まう申まうもうしししけれけれけれどもどもども、、、「「「これこれこれははは自じ自じじ然ねん然ねんねんのののことことことあらあらあらんんん時とき時ときとき、、、賴より賴よりより朝とも朝ともともががが物もの物ものもの具のぐ具のぐのぐしてしてして乘の乘ののるるるべきべきべき馬むま馬むまうまなりなりなり。。。これこれこれももも劣おと劣おとおとらららぬぬぬ名めい名めいめい馬ば馬ばばぞぞぞ。。。」」」とてとてとて、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらにににははは磨する磨するする墨すみ墨すみすみをををこそこそこそ賜たま賜たまたもうううてててけれけれけれ。。。そのそのその後のち後のちのち、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき四し四しし郎らう郎らうろうののの御おん御おんおん暇いとま暇いとまいとま申まう申まうもうしししににに參まゐ參まゐまいららられれれたるたるたるににに、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのいかゞいかゞいかが思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけんけんけん、、、「「「所しよ所しよしょ望まう望まうもうののの者もの者ものものはははいくらいくらいくらもももありありありけれけれけれどもどもども、、、そのそのその旨むね旨むねむね存ぞん存ぞんぞん知ぢ知ぢじせせせよよよ。。。」」」とてとてとて、、、生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきをををばばば佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききにににたぶたぶたぶ。。。佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき畏かしこ畏かしこかしこまつまつまっててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「今こん今こんこん度ど度どどこのこのこの御おん御おんおん馬むま馬むまうまにてにてにて、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわのののまつまつまっ先さき先さきさき渡わた渡わたわたししし候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。もしもしもし死し死ししにににたりたりたりととと聞きこし聞きこしきこし召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらははわばばば、、、人ひと人ひとひとににに先さき先さきさきをををせせせられられられてててけりけりけりととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。未いま未いまいまだだだ生い生いいきききたりたりたりととと聞きこし聞きこしきこし召め召めめししし候さふら候さふらそうらははわばばば、、、定さだ定さださだめめめててて先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんをををばばば高たか高たかたか綱つな綱つなつなぞぞぞしししつつつらんらんらんものものものをををととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれ候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とてとてとて御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんをををまかりまかりまかり立た立たたつつつ。。。參さん參さんさん會くわい會くわいかいしししたるたるたる大だい大だいだい名みやう名みやうみょう、、、小せう小せうしょう名みやう名みやうみょう、、、「「「あつぱれあつぱれあっぱれ荒くわう荒くわうこう涼りやう涼りやうりょうののの申まう申まうもうしししやうやうようかなかなかな。。。」」」とととぞぞぞ人ひと人ひとひと々びと々びとびとさゝやきさゝやきささやき合あ合ああははわれれれけるけるける。。。
  3. 3各おの〳〵各おの〳〵おのおの鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらををを立た立たたつつっててて、、、足あし足あしあし柄がら柄がらがらををを經へ經へへててて行ゆ行ゆゆくくくもももありありあり、、、箱はこ箱はこはこ根ね根ねねにににかゝるかゝるかかる勢せい勢せいせいもももありありあり、、、思おも思おもおもひ〳〵ひ〳〵いおもいににに上のぼ上のぼのぼるるる程ほど程ほどほどににに、、、駿する駿するする河が河ががののの國くに國くにくに浮うき浮うきうき島しま島しましまががが原はら原はらはらにてにてにて、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら源げん源げんげん太た太たた景かげ景かげかげ季すゑ季すゑすえ高たか高たかたかききき所ところ所ところところにににうちうちうち上あが上あがあがりりり、、、暫しばら暫しばらしばらくくくひかへひかへひかえててて、、、多おほ多おほおおくくくののの馬むま馬むまうまどもどもどもををを見み見みみけるけるけるににに、、、思おも思おもおもひ〳〵ひ〳〵いおもいののの鞍くら鞍くらくら置お置おおかかかせせせ、、、いろ〳〵いろ〳〵いろいろののの鞦しりがい鞦しりがいしりがいかけかけかけ、、、或あるい或あるいあるいははは乘のり乘のりのり口くち口くちくちににに引ひ引ひひかかかせせせ、、、或あるい或あるいあるいははは諸もろ諸もろもろ口くち口くちくちににに引ひ引ひひかかかせせせ、、、幾いく幾いくいく千せん千せんせん萬まん萬まんまんととといふいふいう數かず數かずかずををを知し知ししらららずずず、、、引ひき引ひきひき通とほ通とほとおし〳〵し〳〵しひきとおししししけるけるけるなかなかなかにににももも、、、景かげ景かげかげ季すゑ季すゑすえががが賜たま賜たまたまははわつつったるたるたる磨する磨するする墨すみ墨すみすみにににまさるまさるまさる馬むま馬むまうまこそこそこそなかりなかりなかりけれけれけれととと、、、うれしううれしううれしゅうおもひおもひおもいててて見み見みみるるる所ところ所ところところににに、、、こゝこゝここににに生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきとととおぼしきおぼしきおぼしき馬むま馬むまうまこそこそこそ一いつ一いついっ騎き騎きき出い出いいででで來き來ききたれたれたれ。。。金きん金きんきん覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの鞍くら鞍くらくら置お置おおかかかせせせ、、、小こ小ここ總ぶさ總ぶさぶさののの鞦しりがい鞦しりがいしりがいかけかけかけ、、、白しろ白しろしろ轡くつわ轡くつわくつわはげはげはげ、、、白しら白しらしら泡あわ泡あわあわかませかませかませててて、、、舎とね舎とねとね人り人りりあまたあまたあまた附つ附つつけけけたりたりたりけれけれけれどもどもども、、、猶なほ猶なほなお引ひ引ひひきききもももためためためずずず、、、跳をど跳をどおどらららせせせてててこそこそこそ出い出いいででで來き來ききたれたれたれ。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらうちうちうち寄よ寄よよつつっててて、、、「「「これこれこれははは誰た誰たたががが御おん御おんおん馬むま馬むまうまぞぞぞ。。。」」」「「「佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん馬むま馬むまうま候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。「「「佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききははは三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう殿どの殿どのどのかかか四し四しし郎らう郎らうろう殿どの殿どのどのかかか。。。」」」「「「四し四しし郎らう郎らうろう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん馬むま馬むまうま候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」とてとてとて引ひき引ひきひき通とほ通とほとおすすす。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら、、、「「「やすからやすからやすからぬぬぬことことことなりなりなり。。。同おな同おなおなじじじやうやうようににに召めし召めしめし使つか使つかつかははわるゝるゝるる景かげ景かげかげ季すゑ季すゑすえををを、、、佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききににに思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししかへかへかえられられられけるけるけるこそこそこそ、、、遺ゐ遺ゐい恨こん恨こんこんののの次し次しし第だい第だいだいなれなれなれ。。。今こん今こんこん度ど度どど都みやこ都みやこみやこへへへ上のぼ上のぼのぼりりり、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの御み御みみ内うち内うちうちににに四し四しし天てん天てんてん王わう王わうのうととと聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる、、、今いま今いまいま井ゐ井ゐい、、、樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐち、、、楯たて楯たてたて、、、根ねの根ねのねの井ゐ井ゐいととと組く組くくんんんででで死し死ししぬるぬるぬるかかか、、、しからしからしからずずずばばば西さい西さいさい國こく國こくこくへへへ向むか向むかむかつつっててて、、、一いち一いちいち人にん人にんにん當たう當たうとう千ぜん千ぜんぜんととと聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる平へい平へいへい家け家けけののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもととと軍いくさ軍いくさいくさしてしてして、、、死し死ししなななんんんとととこそこそこそおもひおもひおもいしにしにしに、、、このこのこの御ご御ごご氣き氣きき色しよく色しよくしょくででではははそれそれそれももも詮せん詮せんせんなしなしなし。。。詮せん詮せんせんずるずるずる所ところ所ところところ、、、こゝこゝここにてにてにて佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききををを待ま待ままちちち受う受ううけけけ、、、引ひつ引ひつひっ組く組くくみみみ、、、さしさしさし違ちが違ちがちがへへえ、、、よきよきよき侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい二ふた二ふたふた人り人りり死し死ししんんんででで、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら殿どの殿どのどのににに損そん損そんそん取と取ととらららせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららんんん。。。」」」ととと、、、つぶやいつぶやいつぶやいてててこそこそこそ待ま待ままちちちかけかけかけたれたれたれ。。。
  4. 4佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき何なに何なになに心ごゝろ心ごゝろごころもももなうなうのう歩あゆ歩あゆあゆままませせせててて出い出いいででで來き來ききたりたりたり。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらおしおしおし竝なら竝ならならべべべてててややや組く組くくむむむ、、、向むか向むかむこうううざまざまざまににに當あ當ああててててててややや落おと落おとおとすすすべきべきべきととと思おも思おもおもひひいけるけるけるががが、、、まづまづまず詞ことば詞ことばことばをををぞぞぞかけかけかけけるけるける。。。「「「いかにいかにいかに佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき殿どの殿どのどのははは、、、生いけ生いけいけ食ずき食ずきずき賜たま賜たまたまははわらららせせせ給たま給たまたまひひいててて上のぼ上のぼのぼらららせせせ給たま給たまたまふふうななな。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき、、、あつぱれあつぱれあっぱれこのこのこの仁じん仁じんじんももも、、、内ない内ないない々ない々ないない所しよ所しよしょ望まう望まうもう申まう申まうもうしししつるつるつるととと聞き聞きききききしししものものものをををととと思おも思おもおもひひい、、、「「「さささ候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、今こん今こんこん度ど度どどこのこのこの御おん御おんおん大だい大だいだい事じ事じじににに罷まか罷まかまかりりり上のぼ上のぼのぼりりり候さふらふ候さふらふそうろうががが、、、定さだ定さださだめめめててて宇う宇うう治ぢ治ぢじ、、、勢せ勢せせ多た多たたののの橋はし橋はしはしをををややや引ひ引ひひきききたるたるたるらんらんらん、、、乘の乘ののつつっててて河かは河かはかわををを渡わた渡わたわたすすすべきべきべき馬むま馬むまうまはははなしなしなし。。。生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきををを申まう申まうもうさささばやばやばやとととははは存ぞん存ぞんぞんじじじつれつれつれどもどもども、、、御ご御ごご邊へん邊へんへんののの申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまふふうだにだにだに、、、御おん御おんおん許ゆる許ゆるゆるされされされなきなきなきととと承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、ましてましてまして高たか高たかたか綱つな綱つなつななどなどなどががが申まう申まうもうすすすとととももも、、、よもよもよも賜たま賜たまたまははわらららじじじととと思おも思おもおもひひい、、、後ご後ごご日にち日にちにちにににいかなるいかなるいかなる御ご御ごご勘かん勘かんかん當だう當だうどうもももあらあらあらばばばあれあれあれととと存ぞん存ぞんぞんじじじつゝつゝつつ、、、曉あかつき曉あかつきあかつき立た立たたたたたんんんとてとてとてののの夜よ夜よよ、、、舎とね舎とねとね人り人りりににに心こゝろ心こゝろこころををを合あ合ああははわせせせててて、、、さしもさしもさしも御ご御ごご祕ひ祕ひひ藏ざう藏ざうぞうののの生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきををを、、、盜ぬす盜ぬすぬすみみみすましすましすましててて上のぼ上のぼのぼりりりさうさうそうはははいかにいかにいかに、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら殿どの殿どのどの。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらこのこのこのことばことばことばににに腹はら腹はらはらがががゐゐいててて、、、「「「ねつたいねつたいねったい、、、さらばさらばさらば景かげ景かげかげ季すゑ季すゑすえももも盜ぬす盜ぬすぬすむむむべかりべかりべかりけるけるけるものものものををを。。。」」」とてとてとて、、、どつどつどっととと笑わら笑わらわろうううてててぞぞぞ退の退ののきききにににけるけるける。。。
  5. 5佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき四し四しし郎らう郎らうろうののの賜たまは賜たまはたまわららられれれたりたりたりけるけるける御おん御おんおん馬むま馬むまうまははは、、、黑くろ黑くろくろ栗くり栗くりくり毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまののの、、、極きは極きはきわめめめててて太ふと太ふとふとううう逞たくま逞たくまたくましきしきしきががが、、、馬むま馬むまうまをををももも人ひと人ひとひとをををももも、、、あたりあたりあたりををを拂はら拂はらはらつつっててて食く食くくひひいけれけれければばば、、、生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきとととはははつけつけつけられられられたりたりたり。。。八や八やや寸き寸ききののの馬むま馬むまうまとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらががが賜たま賜たまたまつつったりたりたりけるけるける御おん御おんおん馬むま馬むまうまももも、、、極きは極きはきわめめめててて太ふと太ふとふとううう逞たくま逞たくまたくましきしきしきががが、、、まことまことまことににに黑くろ黑くろくろかりかりかりけれけれければばば、、、磨する磨するする墨すみ墨すみすみとととはははつけつけつけられられられたりたりたり。。。いづれいづれいずれももも劣おと劣おとおとらららぬぬぬ名めい名めいめい馬ば馬ばばなりなりなり。。。
  6. 6さるさるさる程ほど程ほどほどににに東とう東とうとう國ごく國ごくごくよりよりより攻せ攻せせめめめ上のぼ上のぼのぼるるる大おほ大おほおお手て手てて、、、搦から搦からから手め手めめののの軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょう、、、尾を尾をお張はり張はりはりののの國くに國くにくによりよりより二ふた二ふたふた手て手ててににに分わか分わかわかつつっててて攻せ攻せせめめめ上のぼ上のぼのぼるるる。。。大おほ大おほおお手て手ててののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにににははは蒲かば蒲かばかばののの御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし範のり範のりのり賴より賴よりより、、、相あひ相あひあい伴ともな伴ともなともなふふう人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、武たけ武たけたけ田だ田だだののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、加か加かか賀が賀がが美み美みみののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、一いち一いちいち條でう條でうじょうののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、板いた板いたいた垣がき垣がきがきののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう、、、稻いな稻いないな毛げ毛げげののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう、、、榛はん榛はんはん谷がへ谷がへがえののの四し四しし郎らう郎らうろう、、、熊くま熊くまくま谷がへ谷がへがえののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、猪ゐの猪ゐのいの股また股またまたののの小こ小ここ平へい平へいへい六ろく六ろくろくををを先さき先さきさきとととしてしてして、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい三さん三さんさん萬まん萬まんまん五ご五ごご千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくに野の野のの路ぢ路ぢじ篠しの篠しのしの原はら原はらはらにににぞぞぞ陣ぢん陣ぢんじんををを取と取ととるるる。。。搦から搦からから手め手めめののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐんにににははは九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし義よし義よしよし經つね經つねつね、、、同おな同おなおなじくじくじく伴ともな伴ともなともなふふう人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、安やす安やすやす田だ田だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう、、、大おほ大おほおお内うち内うちうちののの太た太たた郎らう郎らうろう、、、畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまののの莊しやう莊しやうしょう司じ司じじ次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら源げん源げんげん太た太たた、、、佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき四し四しし郎らう郎らうろう、、、糟かす糟かすかす屋や屋ややののの藤とう藤とうとう太だ太だだ、、、澀しぶ澀しぶしぶ谷や谷ややののの右う右うう馬まの馬まのまの允じよう允じようじょう、、、平ひら平ひらひら山やま山やまやまののの武む武むむ者しや者しやしゃ所どころ所どころどころををを先さき先さきさきとととしてしてして、、、都つ都つつ合がふ合がふごうそのそのその勢せい勢せいせい二に二にに萬まん萬まんまん五ご五ごご千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、伊い伊いい賀が賀ががののの國くに國くにくにををを經へ經へへててて宇う宇うう治ぢ治ぢじ橋ばし橋ばしばしののの詰つめ詰つめつめにににぞぞぞおしおしおし寄よ寄よよせせせたるたるたる。。。
  7. 7宇う宇うう治ぢ治ぢじももも勢せ勢せせ多た多たたももも橋はし橋はしはしををを引ひ引ひひききき、、、水みづ水みづみずののの底そこ底そこそこにににははは亂らん亂らんらん杭ぐひ杭ぐひぐい打う打ううつつっててて大おほ大おほおお綱づな綱づなづな張は張ははりりり、、、逆さか逆さかさか木もぎ木もぎもぎつないつないつないででで流なが流ながながしししかけかけかけたりたりたり。。。頃ころ頃ころころははは睦むつ睦むつむつ月き月きき二は二はは十つ十つつ日か日かかあまりあまりあまりののの事こと事ことことなれなれなればばば、、、比ひ比ひひ良ら良ららののの高たか高たかたか根ね根ねね、、、志し志しし賀が賀ががののの山やま山やまやま、、、昔むかし昔むかしむかしながらながらながらののの雪ゆき雪ゆきゆきももも消き消ききえええ、、、谷たに谷たにたに々だに々だにだにののの氷こほり氷こほりこおりうちうちうちとけとけとけててて、、、水みづ水みづみずははは折をり折をりおりふしふしふし增まさ增まさまさりりりたりたりたり。。。白はく白はくはく浪らう浪らうろうおびたゞしうおびたゞしうおびただしゅう漲みなぎ漲みなぎみなぎりりり落お落おおちちち、、、瀨せ瀨せせ枕まくら枕まくらまくら大おほ大おほおおきききににに瀧たき瀧たきたき鳴な鳴ななつつっててて、、、逆さか逆さかさか卷ま卷ままくくく水みづ水みづみずももも早はや早はやはやかりかりかりけりけりけり。。。夜よ夜よよははは既すで既すですでにににほの〴〵ほの〴〵ほのぼのとととあけあけあけ行ゆ行ゆゆけけけどどど、、、川かは川かはかわ霧ぎり霧ぎりぎり深ふか深ふかふかくくくたちたちたち籠こ籠ここめめめててて、、、馬むま馬むまうまののの毛け毛けけももも鎧よろひ鎧よろひよろいののの毛け毛けけもももさだかさだかさだかならならならずずず。。。
  8. 8大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし、、、河かは河かはかわののの端はた端はたはたにににうちうちうち出い出いいででで、、、水みづ水みづみずののの面おもて面おもておもてををを見み見みみわたいわたいわたいててて、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの心こゝろ心こゝろこころををを見み見みみんんんとととややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、「「「淀よど淀よどよど、、、一いも一いもいも口あらひ口あらひあらいへへへややや向むか向むかむかふふうべきべきべき、、、またまたまた河かう河かうこう内ち内ちち路ぢ路ぢじへへへややや廻まは廻まはまわるるるべきべきべき。。。水みづ水みづみずののの落おち落おちおち足あし足あしあしをををややや待ま待ままつつつべきべきべき、、、いかがいかがいかがせせせんんん。。。」」」とととのたまふのたまふのたまう所ところ所ところところににに、、、こゝこゝここににに武む武むむ藏さし藏さしさしののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまののの莊しやう莊しやうしょう司じ司じじ次じ次じじ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ忠たゞ忠たゞただ、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん二に二にに十じふ十じふじゅう一いち一いちいちににになりなりなりけるけるけるががが進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「このこのこの河かは河かはかわののの御ご御ごご沙さ沙ささ汰た汰たたははは、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらにてにてにてもももよく〳〵よく〳〵よくよく候さふら候さふらそうらひひいしししぞぞぞかしかしかし。。。かねかねかねてててももも知しろし知しろししろし召め召めめささされれれぬぬぬ海うみ海うみうみ河かは河かはかわののの、、、俄にはか俄にはかにはかににに出い出いいででで來き來ききてててももも候さふら候さふらそうらははわばばばこそこそこそ。。。近あふ近あふおう江み江みみののの湖みづうみ湖みづうみみずうみののの末すゑ末すゑすえなれなれなればばば、、、待ま待ままつつつとととも〳〵も〳〵もまつとも水みづ水みづみずひひひまじまじまじ、、、橋はし橋はしはしをををばばばまたまたまた誰たれ誰たれたれかかか渡わた渡わたわたいいいてててまゐらすまゐらすまいらすべきべきべき。。。去い去いいんんんぬるぬるぬる治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょうののの合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんににに足あし足あしあし利かゞ利かゞかがののの又また又またまた太た太たた郎らう郎らうろう忠たゞ忠たゞただ綱つな綱つなつなががが、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう七しち七しちしち歳さい歳さいさいにてにてにて渡わた渡わたわたしししけるけるけるももも、、、鬼おに鬼おにおに神がみ神がみがみにてにてにてはははよもよもよもあらあらあらじじじ。。。重しげ重しげしげ忠たゞ忠たゞただまづまづまず瀨せ瀨せせ蹈ぶみ蹈ぶみぶみ仕つかまつ仕つかまつつかまつらららんんん。。。」」」とてとてとて丹たん丹たんたんののの黨たう黨たうとうををを宗むね宗むねむねとととしてしてして五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎ききひし〳〵ひし〳〵ひしひしととと轡くつばみ轡くつばみくつばみををを竝なら竝ならならぶるぶるぶる所ところ所ところところににに、、、こゝこゝここににに平びやう平びやうびょう等どう等どうどう院ゐん院ゐんいんののの艮うしとら艮うしとらうしとら、、、橘たちばな橘たちばなたちばなののの小こ小ここ島じま島じまじまががが崎さき崎さきさきよりよりより、、、武む武むむ者しや者しやしゃ二に二にに騎き騎きき引ひ引ひひつつっかけ〳〵かけ〳〵けひっかけ出い出いいででで來き來ききたりたりたり。。。一いつ一いついっ騎き騎ききははは梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら源げん源げんげん太た太たた景かげ景かげかげ季すゑ季すゑすえ、、、一いつ一いついっ騎き騎ききははは佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき四し四しし郎らう郎らうろう高たか高たかたか綱つな綱つなつななりなりなり。。。人ひと人ひとひと目め目めめにににははは何なに何なになにとととももも見み見みみえええざりざりざりけれけれけれどもどもども、、、内ない内ないない々ない々ないない先さき先さきさきににに心こゝろ心こゝろこころをををかけかけかけたるたるたるらんらんらん、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらははは佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききににに一いつ一いついっ反たん反たんたんばかりばかりばかりぞぞぞ進すゝ進すゝすすんんんだるだるだる。。。
  9. 9佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき、、、「「「いかにいかにいかに梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら殿どの殿どのどの、、、このこのこの川かは川かはかわははは西さい西さいさい國こく國こくこく一いち一いちいちののの大たい大たいたい河が河ががぞぞぞややや。。。腹はる腹はるはる帶び帶びびののの延の延ののびびびててて見み見みみえええさうさうそうぞぞぞ、、、しめしめしめ給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらさもさもさもあるあるあるらんらんらんとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、手た手たた綱づな綱づなずなををを馬むま馬むまうまのののゆがみゆがみゆがみににに捨す捨すすててて、、、左さ左ささ右いう右いうゆうののの鐙あぶみ鐙あぶみあぶみををを蹈ふ蹈ふふみみみすかしすかしすかし、、、腹はる腹はるはる帶び帶びびををを解と解とといいいてててぞぞぞ締し締ししめめめたりたりたりけるけるける。。。佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききそのそのその隙ひま隙ひまひまににに、、、そこそこそこをををつつつととと馳は馳ははせせせ拔ぬ拔ぬぬいいいててて、、、河かは河かはかわへへへさつさつさっとととぞぞぞ打うち打うちうち入い入いいつつったるたるたる。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらたばからたばからたばかられれれぬぬぬとととややや思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、やがてやがてやがてつゞいつゞいつづいててて打うち打うちうち入い入いいつつったりたりたり。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはら、、、「「「いかにいかにいかに佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき殿どの殿どのどの、、、高かう高かうこう名みやう名みやうみょうせうせうしょうとてとてとて不ふ不ふふ覺かく覺かくかくしししたまふたまふたまうななな。。。水みづ水みづみずののの底そこ底そこそこにににははは大おほ大おほおお綱づな綱づなづなあるあるあるらんらんらん、、、心こゝろ心こゝろこころ得え得ええ給たま給たまたまへへえ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、佐さ佐ささ々さ々ささ木き木ききさもさもさもあるあるあるらんらんらんやややととと思おも思おもおもひひいけんけんけん、、、太た太たた刀ち刀ちちをををぬいぬいぬいててて、、、馬むま馬むまうまののの足あし足あしあしにににかゝりかゝりかかりけるけるける大おほ大おほおお綱づな綱づなづなどもどもどもををを、、、ふつ〳〵ふつ〳〵ふつふつととと打うち打うちうち切き切ききり〳〵り〳〵りうちきり、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわ早はや早はやはやしししととといへいへいえどもどもども、、、生いけ生いけいけ食ずき食ずきずきととといふいふいう世よ世よよ一いち一いちいちののの馬むま馬むまうまにににははは乘の乘ののつつったりたりたりけりけりけり、、、一いち一いちいち文もん文もんもん字じ字じじにににさつさつさっととと渡わた渡わたわたいいいててて、、、向むか向むかむかひひいののの岸きし岸きしきしにににぞぞぞ打うち打うちうち上あ上ああげげげたるたるたる。。。梶かぢ梶かぢかじ原はら原はらはらががが乘の乘ののつつったりたりたりけるけるける磨する磨するする墨すみ墨すみすみははは、、、川かは川かはかわ中なか中なかなかよりよりより篦の篦のの檠ため檠ためため形がた形がたがたにににおしおしおし流なが流ながながささされれれ、、、遙はる遙はるはるかかかののの下しも下しもしもよりよりより打うち打うちうち上あ上ああげげげたりたりたり。。。
  10. 10そのそのその後のち後のちのち佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき鐙あぶみ鐙あぶみあぶみふんばりふんばりふんばり立た立たたちちち上あが上あがあがりりり、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「宇う宇うう多だ多だだののの天てん天てんてん皇わう皇わうおうににに九く九くく代だい代だいだいののの後こう後こうこう胤いん胤いんいん、、、近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし秀ひで秀ひでひでががが四し四しし男なん男なんなん、、、佐さ佐ささ々さ々ささ木き木きき四し四しし郎らう郎らうろう高たか高たかたか綱つな綱つなつな宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわののの先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんぞぞぞややや。。。」」」とととぞぞぞ名な名なな乘の乘ののつつったるたるたる。。。畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎きき打うち打うちうち入い入いいつつっててて渡わた渡わたわたすすす。。。向むか向むかむかひひいののの岸きし岸きしきしよりよりより山やま山やまやま田だ田だだののの次じ次じじ郎らう郎らうろうががが放はな放はなはなつつつ矢や矢ややににに、、、畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま馬むま馬むまうまののの額ひたひ額ひたひひたいををを篦の篦のの深ぶか深ぶかぶかににに射い射いいさせさせさせ、、、はぬれはぬれはぬればばば弓ゆん弓ゆんゆん杖づゑ杖づゑづえをををついついついててて下お下おおりりり立た立たたつつったりたりたり。。。岩いは岩いはいわ波なみ波なみなみ兜かぶと兜かぶとかぶとののの手て手てて先さき先さきさきへへへ、、、さつさつさっとととおしおしおしかけかけかけけれけれけれどもどもども、、、畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまこれこれこれををを事こと事ことことととともももせせせずずず、、、水みづ水みづみずののの底そこ底そこそこををを潛くゞ潛くゞくぐつつっててて向むか向むかむかひひいののの岸きし岸きしきしにににぞぞぞつきつきつきにににけるけるける。。。うちうちうち上あが上あがあがらららんんんとととするするする所ところ所ところところににに、、、後うしろ後うしろうしろよりよりよりものものものこそこそこそむずむずむずととと控ひか控ひかひかへへえたれたれたれ。。。「「「誰た誰たたぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととへへへばばば、、、「「「重しげ重しげしげ親ちか親ちかちか。。。」」」ととと答こた答こたこたふふう。。。「「「大おほ大おほおお串ぐし串ぐしぐしかかか。。。」」」「「「さんさんさん候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」大おほ大おほおお串ぐし串ぐしぐしののの次じ次じじ郎らう郎らうろうははは畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまががが爲ため爲ためためにににははは、、、烏え烏ええ帽ぼ帽ぼぼ子し子しし子ご子ごごにてにてにてぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。「「「あまりあまりあまりににに水みづ水みづみずががが早はや早はやはようううててて、、、馬むま馬むまうまをををばばば川かは川かはかわ中なか中なかなかよりよりよりおしおしおし流なが流ながながささされれれ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばでででこれこれこれまでまでまで著つ著つつききき參まゐ參まゐまいつつっててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま、、、「「「いついついつもももわわわ殿どの殿どのどのばらばらばらがががやうやうようなるなるなる者もの者ものものははは、、、重しげ重しげしげ忠たゞ忠たゞただにににこそこそこそ助たす助たすたすけけけられられられんんんずれずれずれ。。。」」」ととといふいふいう儘まゝ儘まゝままににに、、、大おほ大おほおお串ぐし串ぐしぐしををを摑つか摑つかつかんんんででで岸きし岸きしきしののの上うへ上うへうえへへへぞぞぞ投な投ななげげげ上あ上ああげげげたるたるたる。。。投な投ななげげげ上あ上ああげげげられられられてててたゞたゞただなほりなほりなおり、、、太た太たた刀ち刀ちちをををぬいぬいぬいててて額ひたひ額ひたひひたいにににあてあてあて、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「武む武むむ藏さし藏さしさしののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん大おほ大おほおお串ぐし串ぐしぐしののの次じ次じじ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ親ちか親ちかちか、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ川がは川がはがわののの歩かち歩かちかち立だち立だちだちののの先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんぞぞぞややや。。。」」」とととぞぞぞ名な名なな乘の乘ののつつったるたるたる。。。敵かたき敵かたきかたきももも御み御みみ方かた方かたかたもももこれこれこれををを聞き聞ききいいいててて、、、一いち一いちいち度ど度どどにににどつどつどっとととぞぞぞ笑わら笑わらわらひひいけるけるける。。。
  11. 11そのそのその後のち後のちのち畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま、、、乘のり乘のりのり替かへ替かへかえににに乘の乘ののつつってててをめいをめいおめいててて驅か驅かかくくく。。。こゝこゝここににに魚ぎよ魚ぎよぎょ陵りよう陵りようりょうののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに緋ひ緋ひひ縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、連れん連れんれん錢ぜん錢ぜんぜん葦あし葦あしあし毛げ毛げげなるなるなる馬むま馬むまうまににに、、、金きん金きんきん覆ぷく覆ぷくぷく輪りん輪りんりんののの鞍くら鞍くらくらををを置お置おおいいいててて乘の乘ののつつったりたりたりけるけるける武む武むむ者しや者しやしゃ一いつ一いついっ騎き騎きき、、、まつまつまっ先さき先さきさきににに進すゝ進すゝすすんんんだるだるだるををを、、、畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま、、、「「「こゝこゝここににに驅か驅かかくるくるくるはははいかなるいかなるいかなる者もの者ものものぞぞぞ、、、名な名なな乘の乘ののれれれややや。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、「「「これこれこれははは木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの家いへ家いへいえののの子こ子ここににに、、、長なが長ながなが瀨せ瀨せせののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん代だい代だいだい重しげ重しげしげ綱つな綱つなつな。。。」」」ととと名な名なな乘の乘ののるるる。。。畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまけふけふきょうののの軍いくさ軍いくさいくさ神がみ神がみがみ祝いは祝いはいわははわんんんとてとてとて、、、おしおしおし竝なら竝ならならべべべてててむずむずむずととと組く組くくんんんででで引ひき引ひきひき落おと落おとおとししし、、、わがわがわが乘の乘ののつつったりたりたりけるけるける鞍くら鞍くらくらののの前まへ前まへまえ輪わ輪わわにににおしおしおしつけつけつけ、、、ちつちつちっとととももも働はたら働はたらはたらかかかさささずずず、、、首くび首くびくびねぢねぢねじ切き切ききつつっててて、、、本ほん本ほんほん田だ田だだののの次じ次じじ郎らう郎らうろうががが鞍くら鞍くらくらのののとつつけとつつけとっつけにににこそこそこそつけつけつけさせさせさせけれけれけれ。。。これこれこれををを始はじ始はじはじめめめててて、、、宇う宇うう治ぢ治ぢじ橋ばし橋ばしばし固かた固かたかためめめたりたりたりけるけるける兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、しばししばししばし支さゝ支さゝささへへえててて防ふせ防ふせふせぎぎぎ戰たゝか戰たゝかたたかふふうととといへいへいえどもどもども、、、東とう東とうとう國ごく國ごくごくののの大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいみなみなみな渡わた渡わたわたいいいててて攻せ攻せせめめめけれけれければばば、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずず、、、木こ木ここ幡はた幡はたはた山やま山やまやま、、、伏ふし伏ふしふし見み見みみをををさしさしさしてててぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。勢せ勢せせ多た多たたをををばばば稻いな稻いないな毛げ毛げげののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ成なり成なりなりがががはからひはからひはからいにてにてにて、、、田た田たた上がみ上がみがみののの供く供くく御ご御ごごののの瀨せ瀨せせをををこそこそこそ渡わた渡わたわたしししけれけれけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

同年正月十一日、木曾左馬頭義仲は院の御所に参って、平家追討のために西国へ向かうことを奏上した。同月十三日にいよいよ出発すると聞こえたが、鎌倉の前右兵衛佐頼朝が、木曾の狼藉を鎮めようとして、範頼・義経を先頭に数万騎の軍兵を上らせたところ、もう美濃国・伊勢国にも着いたと聞こえたので、木曾はたいそう驚き、宇治と勢多の橋を引き落として、軍兵を分けて差し向けた。折しも軍勢は少なかった。まず勢多の橋へは、大手であるからといって今井四郎兼平を八百余騎で差し向けた。宇治橋へは仁科・高梨・山田次郎を五百余騎で遣わした。一口(いもあらい)へは伯父の志田三郎先生義教が三百余騎で向かった。

さて東国から攻め上る大手の大将軍は蒲御曹司範頼、搦手の大将軍は九郎御曹司義経で、主だった大名三十余人、合わせてその勢六万余騎と聞こえた。そのころ鎌倉殿には、生食・磨墨という名高い名馬があった。生食を梶原源太景季がしきりに所望したが、「これは万一のことがあったとき、頼朝が武具をつけて乗るべき馬である。これも劣らぬ名馬だぞ」といって、梶原には磨墨をお与えになった。その後、近江国の住人佐々木四郎(高綱)がお暇乞いに参ったとき、鎌倉殿はどうお思いになったのか、「所望する者はいくらもあったが、そのことを心得よ」といって、生食を佐々木にお与えになった。佐々木はかしこまって申すには、「今度この御馬で、宇治川を真っ先に渡りましょう。もし死んだとお聞きになったら、人に先を越されたのだとお思いください。まだ生きているとお聞きになったら、きっと先陣は高綱がしたであろうとお思いください」といって御前を退出した。居合わせた大名・小名は、「なんと大胆な物言いよ」とささやき合った。

それぞれ鎌倉を発って、足柄を越えて行く者もあり、箱根を越える勢もあり、思い思いに上っていくうちに、駿河国の浮島が原で、梶原源太景季は高い所に上ってしばらく馬を止め、多くの馬を眺めていたが、思い思いの鞍を置かせ、色とりどりの鞦をかけ、乗り口で引かせたり両側から引かせたりして、幾千万とも数知れず引き通していくなかにも、景季が賜った磨墨にまさる馬はないと、うれしく思って見ていたところに、生食と思われる馬が一頭現れた。金覆輪の鞍を置かせ、小総の鞦をかけ、白い轡をはめ、白い泡をかませて、舎人が大勢ついていたが、それでも引き止めきれず、躍らせながら出てきた。梶原が近寄って、「これは誰の御馬か」「佐々木殿の御馬でございます」と申す。「佐々木は三郎殿か四郎殿か」「四郎殿の御馬でございます」といって引いて通る。梶原は「けしからぬことだ。同じように召し使われている景季を、佐々木に見かえられたとは残念なことだ。今度都へ上ったら、木曾殿の身内で四天王といわれる今井・樋口・楯・根井と組んで死ぬか、そうでなければ西国へ向かって、一騎当千といわれる平家の侍どもと戦って死のうと思っていたが、このお心ではそれもかいがない。結局、ここで佐々木を待ち受けて組み合い、刺し違えて、よい侍が二人死んで、鎌倉殿に損をさせ申そう」とつぶやいて待ち受けた。

佐々木は何の気もなく馬を歩ませてやって来た。梶原は、馬を並べて組もうか、正面からぶつかって落とそうかと思ったが、まず声をかけた。「どうした佐々木殿は、生食を賜ってお上りか」と言ったので、佐々木は、ああこの人も内々に所望していたと聞いていたのにと思い、「そうでございます。今度のこの大事に上って参りますが、きっと宇治・勢多の橋も引き落としてあるでしょう。乗って川を渡れる馬はありません。生食を所望しようとは思いましたが、あなたが申されてさえお許しがなかったと承りましたので、まして高綱などが申しても、まさかいただけまいと思い、後日どんなおとがめがあろうともかまわないと思いながら、明け方出発しようという夜に、舎人としめし合わせて、あれほど大切になさっている生食を盗み出して上ってきたのですが、どうでしょう、梶原殿」と言ったので、梶原はこの言葉に腹の虫がおさまって、「しゃくだな。それなら景季も盗めばよかった」といって、どっと笑って立ち去った。

佐々木四郎が賜った御馬は、黒栗毛の馬で、とても太くたくましく、馬にも人にも、あたりかまわず噛みついたので、生食と名づけられた。八寸の馬と聞こえた。梶原が賜った御馬も、とても太くたくましく、まことに黒かったので、磨墨と名づけられた。どちらも劣らぬ名馬である。

そうするうちに、東国から攻め上る大手・搦手の軍兵は、尾張国から二手に分かれて攻め上った。大手の大将軍は蒲御曹司範頼で、従う人々は、武田太郎・加賀美次郎・一条次郎・板垣三郎・稲毛三郎・榛谷四郎・熊谷次郎・猪俣小平六を先頭として、合わせてその勢三万五千余騎、近江国の野路・篠原に陣を取った。搦手の大将軍は九郎御曹司義経で、同じく従う人々は、安田三郎・大内太郎・畠山荘司次郎・梶原源太・佐々木四郎・糟屋藤太・渋谷右馬允・平山武者所を先頭として、合わせてその勢二万五千余騎、伊賀国を経て宇治橋のたもとに押し寄せた。

宇治も勢多も橋板を引きはがし、川底には乱杭を打って大綱を張り、逆茂木をつないで流しかけてある。ころは正月二十日過ぎのことなので、比良の高嶺や志賀の山の古い雪も消え、谷々の氷も解けて、水は折しも増していた。白波がおびただしくみなぎり落ち、瀬の波は大きく滝のように鳴りとどろき、逆巻く水も速かった。夜はすでにほのぼのと明けていくが、川霧が深く立ちこめて、馬の毛色も鎧の縅の色もはっきりしない。

大将軍の九郎御曹司は川岸に出て、水面を見渡し、人々の心を試そうと思われたのであろうか、「淀・一口へ向かおうか、また河内路へ回ろうか。水が引くのを待とうか、どうしよう」とおっしゃったところに、武蔵国の住人畠山荘司次郎重忠が、生年二十一歳であったが進み出て、「この川のことは、鎌倉でもよくよく議論いたしました。前もってご存じない海や川が急に現れたというのならともかく。近江の湖の末ですから、待っても待っても水は引きますまい。橋をまた誰が架けてさしあげましょうか。去る治承の合戦で足利又太郎忠綱が生年十七歳で渡したのも、まさか鬼神ではありますまい。重忠がまず瀬踏みをいたしましょう」といって、丹党を中心に五百余騎がひしひしと轡を並べたところに、平等院の東北、橘の小島が崎から、武者が二騎、馬を駆けに駆けさせて出てきた。一騎は梶原源太景季、一騎は佐々木四郎高綱である。人目には何とも見えなかったが、内心先陣を心がけていたのであろう、梶原は佐々木より一段(約十一メートル)ほど先に進んでいた。

佐々木が「どうした梶原殿、この川は西国一の大河ですぞ。腹帯がゆるんで見えますぞ。締めなされ」と言ったので、梶原はそうかもしれないと思ったのであろうか、手綱を馬のたてがみに投げかけ、左右の鐙を踏み離して、腹帯を解いて締め直した。佐々木はその隙に、そこをさっと駆け抜けて、川へさっと乗り入れた。梶原はだまされたと思ったのであろうか、すぐに続いて乗り入れた。梶原が「どうした佐々木殿、手柄を立てようとして失敗なさるな。川底には大綱があるだろう。用心なされ」と言ったので、佐々木はそうかもしれないと思ったのであろうか、太刀を抜いて、馬の足にかかる大綱をぷつぷつと切りながら、宇治川は流れが速いといっても、生食という天下一の馬に乗っていたので、一文字にさっと渡って、向こう岸に上がった。梶原の乗った磨墨は、川の中ほどから斜めに押し流されて、ずっと下流から岸に上がった。

その後佐々木は鐙を踏んばって立ち上がり、大音声をあげて、「宇多天皇から九代の子孫、近江国の住人佐々木三郎秀義の四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣だぞ」と名のった。畠山は五百余騎で乗り入れて渡る。向こう岸から山田次郎が放った矢に、畠山は馬の額を深く射られ、馬がはねたので、弓を杖にして降り立った。岩に砕ける波が兜の手先へさっと押しかかったが、畠山はこれをものともせず、水の底をくぐって向こう岸に着いた。岸に上がろうとしたところに、後ろから何者かがむんずとつかまってきた。「誰だ」と問うと、「重親」と答える。「大串か」「さようでございます」。大串次郎は、畠山にとっては烏帽子子にあたる者であった。「あまりに水が速くて、馬は川の中ほどで押し流されてしまいました。力及ばず、ここまでつかまって参りました」と言ったので、畠山は「いつもおまえたちのような者は、重忠に助けられるのだな」と言うなり、大串をつかんで岸の上へ投げ上げた。投げ上げられた大串はすぐに立ち直り、太刀を抜いて額にかざし、大音声をあげて、「武蔵国の住人大串次郎重親、宇治川の徒歩の先陣だぞ」と名のった。敵も味方もこれを聞いて、一度にどっと笑った。

その後畠山は替え馬に乗って、わめいて駆けた。そこに魚綾の直垂に緋縅の鎧を着て、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者が一騎、真っ先に進んできたので、畠山が「そこに駆けてくるのは何者か。名のれ」と言うと、「これは木曾殿の家の子、長瀬判官代重綱」と名のった。畠山は今日の軍神の血祭りにしようといって、馬を並べてむんずと組んで引き落とし、自分の乗った鞍の前輪に押しつけて、少しも動かさず、首をねじ切って、本田次郎の鞍の取りつけにつけさせた。これを手始めに、宇治橋を固めていた兵たちはしばらく支えて防ぎ戦ったが、東国の大軍がみな渡って攻めたので、力及ばず、木幡山・伏見をさして落ちて行った。勢多は稲毛三郎重成のはからいで、田上の供御の瀬を渡った。

意訳

『平家物語』の中でもとりわけ名高い、宇治川の先陣争いの章段である。頼朝の名馬生食をめぐる梶原と佐々木の確執が、浮島が原での一触即発の場面を経て、宇治川の先陣争いへとつながっていく。佐々木は梶原に「盗んで来た」と偽り、川では「腹帯がゆるんでいる」とだまして先を越すが、その機転と大胆さが東国武士の気風として生き生きと描かれている。

徒歩で渡りきった畠山重忠が、流された大串を岸へ投げ上げ、大串が「徒歩の先陣」と名のって敵味方を笑わせる場面は、緊迫した合戦のなかのおおらかな笑いである。雪解けで増水した川を押し渡る東国の大軍の勢いは、まもなく訪れる義仲の最期を予感させる。

語釈・文法注

文法

「一口」
「いもあらひ」と読む。山城国の地名で、巨椋池の西岸にあたる。
「先生」
「せんじやう」。帯刀先生(皇太子の護衛の長)の略。
「生食」「磨墨」
頼朝が持っていた名馬。生食は人にも馬にも噛みつく荒馬、磨墨は墨をすったように黒い馬の意。
「その旨存知せよ」
所望の多かった馬を特に与えるのだから、その心得でいよ。
「荒涼の申しやう」
大げさで大胆な物言い。
「腹がゐて」
腹の虫がおさまって。
「ねつたい」
「ねたし」の音便。しゃくだ、いまいましい。
「八寸の馬」
馬の背の高さが四尺八寸(約一四五センチ)ある大きな馬。
「待つとも〳〵水ひまじ」
待っても待っても水は引くまい。「ひ」は「干る」。
「一反」
「一段」に同じ。六間(約十一メートル)。
「篦檠形」
「のためがた」。矢柄(篦)を矯めるように、斜めに押し流されるさま。
「烏帽子子」
元服のときに烏帽子親から烏帽子をかぶせてもらった子。
「軍神祝はん」
軍神への血祭りにしよう。
「とつつけ」
「取りつけ」の音便。鞍の後ろにつけた紐。

解説

宇治川の合戦は寿永三年(1184)正月二十日に行われた。佐々木高綱と梶原景季の先陣争いは、『源平盛衰記』『吾妻鏡』にも記され、のちに浄瑠璃・歌舞伎・講談などで繰り返し語られた。宇治の平等院近くには、先陣争いの碑が建てられている。

佐々木高綱の父は佐々木秀義で、近江源氏の流れをくむ。底本は「義秀」と刷るが、ふつうは「秀義」と伝える。生食(池月とも書く)と磨墨の伝説は東国各地に残り、それぞれの産地を名のる土地がある。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、643–649頁(コマ350–353)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日