平家物語 巻第六
小督の事
葵の前を失って沈む高倉天皇のもとへ、中宮は琴の名手小督を差し向けた。小督はかつて冷泉少将隆房の恋人で、二人の婿を取られることを嫌った清盛を恐れて宮中から姿を消す。天皇の命を受けた源仲国は、八月十五夜の嵯峨野で小督の弾く「想夫恋」の琴の音をたよりに隠れ家を探し当て、小督を宮中に連れ戻した。しかし清盛はついに小督を捕らえて尼にし、天皇は病みついて崩御した。
- 1主主しゅ上上しょうははは戀戀れん慕慕ぼののの御御おん涙涙なみだにににおぼしめしおぼしめしおぼしめし沉沉しずままませせせ給給たまひひいたるたるたるををを、、、申申もうししし慰慰なぐさめめめ參參まいらせらせらせんんんとてとてとて、、、中中ちゅう宮宮ぐうののの御御おん方方かたよりよりより小小こ督督ごうののの殿殿とのととと申申もうすすす女女にょう房房ぼうををを參參まいらせらせらせらるらるらる。。。そもそもそもこのこのこの女女にょう房房ぼうととと申申もうすすすははは、、、櫻櫻さくら町町まちののの中中ちゅう納納な言言ごん重重しげ教教のり卿卿きょうののの御御おん女女むすめ、、、禁禁きん中中ちゅう一一いちののの美美び人人じん、、、雙雙ならびびびなきなきなき琴琴ことののの上上じょう手手ずにてにてにてぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。冷冷れい泉泉ぜいののの大大だい納納な言言ごん隆隆たか房房ふさ卿卿きょう、、、未未いまだだだ少少しょう將將しょうなりなりなりししし時時とき、、、見見みそめそめそめたりたりたりししし女女にょう房房ぼうなりなりなり。。。始始はじめめめははは歌歌うたををを詠詠よみみみ、、、文文ふみをををばばば盡盡つくささされれれけれけれけれどもどもども、、、玉玉たま章章ずさののの數數かずのみのみのみ積積つもりりりててて、、、靡靡なびくくく氣氣け色色しきもももなかりなかりなかりしししががが、、、さすがさすがさすが情情なさけににに弱弱よわるるる心心こころにににややや、、、遂遂ついにににははは靡靡なびききき給給たまひひいけりけりけり。。。されどもされどもされども今今いまははは君君きみへへへ召召めささされれれ參參まいらせらせらせててて、、、せんせんせん方方かたもももなくなくなく悲悲かなしくしくしくててて、、、あかあかあかぬぬぬ別別わかれれれののの涙涙なみだにににややや、、、袖袖そでしほたれしほたれしおたれてててほしほしほしあへあへあえずずず。。。少少しょう將將しょういかにいかにいかにもももしてしてして小小こ督督ごうののの殿殿とのををを今今いま一一いち度度ど見見み奉奉たてまつるるる事事こともももやややととと、、、そのそのその事事こととととなくなくなく常常つねははは參參さん内内だいせせせられられられけりけりけり。。。小小こ督督ごうののの殿殿とののののおはしおはしおわしけるけるける局局つぼねののの邊邊へん、、、彼彼あな方方た此此こな方方たへへへたゝずみたゝずみたたずみありきありきありき給給たまひひいけれけれけれどもどもども、、、小小こ督督ごうののの殿殿との、、、われわれわれ君君きみへへへ召召めささされれれ參參まいらせらせらせぬるぬるぬる上上うえははは、、、少少しょう將將しょういかにいかにいかに申申もうすすすともともとも、、、言言こと葉葉ばをををもももかはすかはすかわすべからべからべからずずずとてとてとて、、、つてつてつてののの情情なさけをををだにだにだにもももかけかけかけられられられずずず。。。少少しょう將將しょうもしもしもしやややととと、、、一一いっ首首しゅののの歌歌うたをををようでようでようで、、、小小こ督督ごうののの殿殿とののののましましましましましましけるけるける局局つぼねののの簾簾みすののの中中うちへへへぞぞぞ投投なげげげ入入いれれれけるけるける。。。
- 2思思おもひひいかねかねかね心心こころはははそらそらそらにににみちのくみちのくみちのくのののちがちがちがのののしほがましほがましおがま近近ちかきききかひかひかいなしなしなし
- 3小小こ督督ごうののの殿殿との、、、やがてやがてやがて返返へん事事じもももせまほしうせまほしうせまほしゅうははは思思おもははわれれれけれけれけれどもどもども、、、君君きみののの御御おんためためため御御おんうしろめたしうしろめたしうしろめたしとととややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、手手てにににだにだにだに取取とつつっててて見見み給給たまははわずずず、、、やがてやがてやがて上上うえ童童わらわににに取取とらららせせせててて、、、坪坪つぼののの内内うちへへへぞぞぞ投投なげげげ出出いださささるるる。。。少少しょう將將しょう情情なさけなうなうのう、、、うらめしけれうらめしけれうらめしけれどもどもども、、、さすがさすがさすが人人ひともももこそこそこそ見見みれれれととと、、、そらそらそらおそろしくおそろしくおそろしくててて、、、急急いそぎぎぎ取取とつつっててて懷懷ふところににに引引ひき入入いれれれててて出出いでででられられられけるけるけるががが、、、なほなほなお立立たち返返かえりりり、、、
- 4たまづさたまづさたまずさををを今今いまははは手手てにににだにだにだに取取とらららじじじとととやややさささこそこそこそ心心こころににに思思おもひひいすつすつすつともともとも
- 5今今いまはははこのこのこの世世よにてにてにて逢逢あひひい見見みんんん事事こともももかたけれかたけれかたければばば、、、生生いきききてててゐゐいててて、、、とにかくにとにかくにとにかくに人人ひとををを戀戀こいしししととと思思おもははわんんんよりよりより、、、たゞたゞただ死死しなななんんんとととのみのみのみぞぞぞ願願ねがははわれれれけるけるける。。。
- 6入入にゅう道道どう相相しょう國國こく、、、このこのこの由由よしををを傳傳つたへへえ聞聞きききき給給たまひひいててて、、、「「「中中ちゅう宮宮ぐうととと申申もうすすすももも御御おん女女むすめ、、、冷冷れい泉泉ぜいののの少少しょう將將しょうもももまたまたまた壻壻むこなりなりなり。。。小小こ督督ごうののの殿殿とのににに二二ふた人人りののの壻壻むこををを取取とららられれれてててははは、、、世世よののの中中なかよかるよかるよかるまじまじまじ。。。いかにいかにいかにもももしてしてして小小こ督督ごうののの殿殿とのををを召召めししし出出いだいいいててて失失うしなははわんんん。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。小小こ督督ごうののの殿殿との、、、このこのこの由由よしををを聞聞きききき給給たまひひいててて、、、わがわがわが身身みののの上上うえはははとととにににもももかくかくかくにににもももなりなりなりなななんんん、、、君君きみののの御御おんためためため御御おん心心こころ苦苦ぐるしししととと思思おもははわれれれけれけれければばば、、、あるあるある夜夜よ、、、内内だい裏裏りをををまぎれまぎれまぎれ出出いでででててて、、、ゆくゆくゆくへへへももも知知しれれれずずず失失うせせせられられられけるけるける。。。
- 7主主しゅ上上しょう御御おんなげきなげきなげきなのめなのめなのめならならならずずず。。。晝晝ひるははは夜夜よるののの御御お殿殿とどにににのみのみのみ入入いらららせせせ給給たまひひいててて、、、御御おん涙涙なみだににに沉沉しずままませせせおはしますおはしますおわします。。。夜夜よるははは南南なん殿殿でんににに出出しゅつ御御ぎょなつなつなっててて、、、月月つきののの光光ひかりををを御御ご覽覽らんじじじてててぞぞぞ慰慰なぐさままませせせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。入入にゅう道道どう相相しょう國國こくこのこのこの由由よしををを承承うけたまわつつっててて、、、さてさてさてははは君君きみははは小小こ督督ごう故故ゆえにににおぼしめしおぼしめしおぼしめし沉沉しずままませせせ給給たまひひいたんたんたんなりなりなり。。。さらんさらんさらんににに取取とつつってててはははとてとてとて、、、御御ご介介かい錯錯しゃくののの女女にょう房房ぼう達達たちをををももも參參まいらせらせらせられられられずずず、、、參參さん内内だいししし給給たまふふう人人ひと々々びとももも猜猜そねまままれれれけれけれければばば、、、入入にゅう道道どうののの權權けん威威いににに憚憚はばかつつっててて、、、參參まいりりり通通かよふふう臣臣しん下下かもももなしなしなし。。。男男なん女女にょうちうちうちひそめひそめひそめててて、、、禁禁きん中中ちゅういま〳〵しういま〳〵しういまいましゅうぞぞぞ見見みえええししし。。。
- 8頃頃ころははは八八はち月月がつ十十とお日日かあまりあまりあまりののの事事ことなれなれなればばば、、、さしもさしもさしも隈隈くまなきなきなき空空そらなれなれなれどもどもども、、、主主しゅ上上しょうははは御御おん涙涙なみだにににくもらくもらくもらせせせ給給たまひひいててて、、、月月つきののの光光ひかりもももおぼろおぼろおぼろにににぞぞぞ御御ご覽覽らんぜぜぜられられられけるけるける。。。やゝやゝやや深深しん更更こうににに及及およんんんででで、、、「「「人人ひとやややあるあるある、、、人人ひとやややあるあるある。。。」」」ととと召召めささされれれけれけれけれどもどもども、、、御御おんいらへいらへいらえ申申もうすすす者者ものもももなしなしなし。。。やゝやゝややあつあつあっててて彈彈だん正正じょうののの大大だい弼弼ひつ仲仲なか國國くに、、、そのそのその夜夜よしもしもしも御御おん宿宿との直直いににに參參まいりりりててて、、、遙遙はるかかかににに遠遠とおううう候候さぶらひひいけるけるけるががが、、、「「「仲仲なか國國くに。。。」」」ととと御御おん答答いらへへえ申申もうすすす。。。「「「汝汝なんじ近近ちこううう參參まいれれれ、、、仰仰おおせせせ下下くださささるるるべきべきべき旨旨むねありありあり。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、何何なに事事ごとやらんやらんやらんととと思思おもひひい、、、御御ご前前ぜん近近ちこうううぞぞぞ參參さんじじじたるたるたる。。。「「「汝汝なんじもしもしもし小小こ督督ごうがががゆくゆくゆくへへへややや知知しりりりたるたるたる。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、「「「いかでいかでいかでかかか知知しりりり參參まいらせらせらせ候候そうろうべきべきべき。。。」」」ととと申申もうすすす。。。「「「實實まことややや小小こ督督ごうははは嵯嵯さ峨峨がののの邊邊へん、、、片片かた折折おり戶戶どとととかやかやかやしししたるたるたる内内うちにににありありありととと、、、申申もうすすす者者もののののあるあるあるぞぞぞとよとよとよ。。。主主ある人人じががが名名なをををばばば知知しらららずずずともともとも尋尋たずねねねててて參參まいらせらせらせてててんんんややや。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、仲仲なか國國くに、、、「「「主主ある人人じががが名名なををを知知しりりり候候そうらははわでででははは、、、いかでいかでいかでかかか尋尋たずねねね逢逢あひひい參參まいらせらせらせ候候そうろうべきべきべき。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、主主しゅ上上しょうげにげにげにもももとてとてとて、、、御御おん涙涙なみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせましまさましまさましまさずずず。。。
- 9仲仲なか國國くにつく〴〵つく〴〵つくづくものものものををを案案あんずるずるずるににに、、、まことまことまことややや小小こ督督ごうののの殿殿とのははは琴琴こと彈彈ひききき給給たまひひいしししぞぞぞかしかしかし。。。このこのこの月月つきののの明明あかさささににに、、、君君きみののの御御おん事事こと思思おもひひい出出いでででまゐらせまゐらせまいらせててて、、、琴琴こと彈彈ひききき給給たまははわぬぬぬ事事ことはははよもよもよもあらあらあらじじじ。。。内内だい裏裏りにてにてにて琴琴こと彈彈ひききき給給たまひひいししし時時とき、、、仲仲なか國國くに笛笛ふえののの役役やくににに召召めささされれれまゐらせまゐらせまいらせしかしかしかばばば、、、そのそのその琴琴ことののの音音ねははは、、、何何いず處處くにてにてにてももも聞聞きききき知知しらららんずるんずるんずるものものものををを。。。嵯嵯さ峨峨がののの在在ざい家家けいくいくいくほどほどほどかかかあらあらあらんんん、、、うちうちうちまはつまはつまわっててて尋尋たずねねねんんんににに、、、などなどなどかかか聞聞きききき出出いださささででであるあるあるべきべきべきととと思思おもひひい、、、「「「さささ候候そうらははわばばば、、、主主ある人人じががが名名なははは知知しらららずずずともともとも、、、尋尋たずねねね參參まいらせらせらせ候候そうろうべしべしべし。。。たとひたとひたとい尋尋たずねねねあひあひあい參參まいらせらせらせててて候候そうろうともともとも、、、御御ご書書しょなどなどなど候候そうらははわずずずばばば、、、うはうはうわののの空空そらとととややや思思おぼし召召めささされれれ候候そうらははわんずんずんずらんらんらん。。。御御ご書書しょををを賜賜たまはつはつわっててて參參まいりりり候候そうらははわんんん。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、主主しゅ上上しょうげにげにげにもももとてとてとて、、、やがてやがてやがて御御ご書書しょあそばいあそばいあそばいてててぞぞぞ下下くだささされれれけるけるける。。。
- 10「「「寮寮りょうののの御御おん馬馬うまににに乘乘のりりりててて行行ゆけけけ。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、仲仲なか國國くに寮寮りょうののの御御おん馬馬うま賜賜たまはつはつわっててて、、、明明めい月月げつににに鞭鞭むちをををあげあげあげ、、、西西にしをををさしさしさしてててぞぞぞ歩歩あゆままませせせけるけるける。。。「「「男男お鹿鹿じか鳴鳴なくくくこのこのこの山山やま里里ざと。。。」」」ととと詠詠えいじじじけんけんけん、、、嵯嵯さ峨峨がのののあたりあたりあたりののの秋秋あきののの頃頃ころ、、、さささこそこそこそはははあはれあはれあわれにににももも覺覺おぼえええけめけめけめ。。。片片かた折折おり戶戶どしししたるたるたる屋屋やををを見見みつけつけつけてててははは、、、このこのこの内内うちにににもももやややおはすおはすおわすらんらんらんととと、、、控控ひかへへえ控控ひかへへえ聞聞ききききけれけれけれどもどもども、、、琴琴こと彈彈ひくくく所所ところはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。御御み堂堂どうなどなどなどへへへももも參參まいりりり給給たまへへえるるる事事こともももやややととと、、、釋釋しゃ迦迦か堂堂どうををを始始はじめめめててて、、、堂堂どう々々どう見見み廻廻まわれれれどもどもども、、、小小こ督督ごうののの殿殿とのににに似似にたるたるたる女女にょう房房ぼうだにだにだにもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。空空むなしうしうしゅう歸歸かえりりり參參まいりりりたらたらたらんんんははは、、、參參まいらららざらざらざらんんんよりよりよりなか〳〵なか〳〵なかなか惡惡あしかるしかるしかるべしべしべし。。。これこれこれよりよりより何何いず地地ちへへへももも迷迷まよひひい行行ゆかかかばやばやばやととと思思おもへへえどもどもども、、、いづくいづくいずくかかか王王おう地地じならならならぬぬぬ、、、身身みををを隱隱かくすすすべきべきべき宿宿やどもももなしなしなし。。。いかゞいかゞいかがせせせんんんととと案案あんじじじ煩煩わずらふふう。。。まことまことまことややや法法ほう輪輪りんははは程程ほど近近ちかけれけれければばば、、、月月つきののの光光ひかりににに誘誘さそははわれれれててて、、、參參まいりりり給給たまへへえるるる事事こともももやややととと、、、そなたそなたそなたへへへ向向むいいいてててぞぞぞあくがれあくがれあくがれけるけるける。。。龜龜かめ山山やまのののあたりあたりあたり近近ちかくくく、、、松松まつののの一一ひと羣羣むらあるあるある方方かたににに、、、かすかかすかかすかににに琴琴ことぞぞぞ聞聞きこえええけるけるける。。。峯峯みねののの嵐嵐あらしかかか松松まつ風風かぜかかか、、、尋尋たずぬるぬるぬる人人ひとののの琴琴ことののの音音ねかかか、、、おぼつかなくおぼつかなくおぼつかなくははは思思おもへへえどもどもども、、、駒駒こまををを早早はやめめめててて行行ゆくくくほどほどほどににに、、、片片かた折折おり戶戶どしししたるたるたる内内うちににに、、、琴琴ことをををぞぞぞ彈彈ひきききすまさすまさすまされれれたるたるたる。。。控控ひかへへえてててこれこれこれををを聞聞ききききけれけれければばば、、、少少すこしししもももまがふまがふまがうべうべうびょうもももなくなくなく、、、小小こ督督ごうののの殿殿とのののの爪爪つま音音おとなりなりなり。。。樂樂がくははは何何なにぞぞぞととと聞聞ききききけれけれければばば、、、夫夫おつとををを想想おもうううててて戀戀こふふうとととよむよむよむ、、、想想そう夫夫ふ戀戀れんととといふいふいう樂樂がくなりなりなりけりけりけり。。。仲仲なか國國くに、、、さればこそさればこそさればこそ君君きみののの御御おん事事こと思思おもひひい出出いででで參參まいらせらせらせててて、、、樂樂がくこそこそこそ多多おおけれけれけれ、、、このこのこの樂樂がくををを彈彈ひききき給給たまふふう事事ことのののやさしさやさしさやさしさよよよととと思思おもひひい、、、腰腰こしよりよりよりやうでうやうでうようじょう拔拔ぬききき出出いだししし、、、ちつちつちっととと鳴鳴ならいらいらいててて、、、門門かどをををほと〳〵ほと〳〵ほとほとととと叩叩たたけけけばばば、、、琴琴ことをををばばばやがてやがてやがて彈彈ひききき止止やみみみ給給たまひひいぬぬぬ。。。「「「これこれこれははは内内だい裏裏りよりよりより仲仲なか國國くにががが御御おん使使つかいににに參參まいりりりててて候候そうろう。。。あけあけあけさせさせさせ給給たまへへえ。。。」」」とてとてとて、、、叩叩たたけけけども〳〵ども〳〵どもたたけども、、、咎咎とがむるむるむる者者ものもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 11やゝやゝややあつあつあっててて内内うちよりよりより人人ひとののの出出いづるづるずる音音おとしししけりけりけり。。。嬉嬉うれしうしうしゅう思思おもつつっててて待待まつつつ所所ところににに、、、錠錠じょうをををはづしはづしはずし、、、門門かどををを細細ほそ目目めにににあけあけあけ、、、いたいけいたいけいたいけしししたるたるたる小小こ女女にょう房房ぼうののの、、、顏顏かおばかりばかりばかりさしさしさし出出いだいいいててて、、、「「「これこれこれははは、、、さやうさやうさようににに内内だい裏裏りよりよりより御御おん使使つかいなどなどなど賜賜たまはるはるわるべきべきべき所所ところでででももも候候そうらははわずずず。。。もしもしもし門門かど違違たがへへえでででぞぞぞ候候そうろうらんらんらん。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、仲仲なか國國くに、、、返返へん事事じせせせばばば門門かどたてたてたてられられられ、、、錠錠じょうささささささられられられなななんずんずんずとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、是是ぜ非非ひなくなくなくおしおしおしあけあけあけてててぞぞぞ入入いりりりにににけるけるける。。。妻妻つま戶戶どののの際際きわなるなるなる緣緣えんにににゐゐいててて、、、「「「何何なにとてとてとてかやうかやうかようののの所所ところににに御御おんわたりわたりわたり候候そうろうやらんやらんやらん。。。君君きみははは御御ご故故ゆえにににおぼしめしおぼしめしおぼしめし沉沉しずままませせせ給給たまひひいててて、、、御御おん命命いのちももも既既すでににに危危あやうくくくこそこそこそ見見みえええさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましまし候候そうらへへえ。。。かやうかやうかようににに申申もうさささばばば、、、うはうはうわののの空空そらとととややや思思おぼし召召めささされれれ候候そうろうらんらんらん。。。御御ご書書しょををを賜賜たまはつはつわっててて參參まいりりりててて候候そうろう。。。」」」とてとてとて取取とりりり出出いだいいいててて奉奉たてまつるるる。。。ありありありつるつるつる女女にょう房房ぼう取取とりりりついついついででで、、、小小こ督督ごうののの殿殿とのにににぞぞぞ參參まいらせらせらせけるけるける。。。これこれこれをををあけあけあけててて見見み給給たまふふうににに、、、まことまことまことににに君君きみののの御御ご書書しょにてにてにてぞぞぞありありありけるけるける。。。やがてやがてやがて御御おん返返へん事事じ書書かいいいててて引引ひき結結むすびびび、、、女女にょう房房ぼうののの裝裝しょう束束ぞく一一ひと襲襲かさね添添そへへえてててぞぞぞ出出いだささされれれたるたるたる。。。仲仲なか國國くに、、、「「「御御おん返返へん事事じののの上上うえははは、、、とかうとかうとこう申申もうすすすににに及及およびびび候候そうらははわねねねどもどもども、、、別別べちののの御御おん使使つかいにてにてにてももも候候そうらははわばばばこそこそこそ、、、ぢきぢきじきののの御御おん返返へん事事じ承承うけたまわらららでででははは、、、いかでいかでいかでかかか歸歸かえりりりまゐりまゐりまいり候候そうろうべきべきべき。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、小小こ督督ごうののの殿殿とのげにげにげにもももとととややや思思おもははわれれれけんけんけん、、、みづからみづからみずから返返へん事事じしししたまひたまひたまいけりけりけり。。。
- 12「「「そこそこそこにににももも聞聞きききき給給たまひひいつらんつらんつらんやうやうようににに、、、入入にゅう道道どうあまりあまりあまりににに恐恐おそろしきろしきろしき事事ことをををのみのみのみ申申もうすすすととと聞聞ききききしししががが淺淺あさましさましさましさににに、、、あるあるある夜夜よひそかひそかひそかににに忍忍しのびびびつゝつゝつつ、、、内内だい裏裏りをををばばばまぎれまぎれまぎれ出出いでででててて、、、今今いまははは斯斯かかるかるかる所所ところののの住住すま居居ひなれなれなればばば、、、琴琴こと彈彈ひくくく事事こともももなかりなかりなかりしししががが、、、明明あ日日すよりよりより大大おお原原はらののの奧奧おくへへへ思思おもひひい立立たつつつ事事ことののの候候そうらへへえばばば、、、主主ある人人じののの女女にょう房房ぼう、、、今今こ宵宵よいばかりばかりばかりののの名名な殘殘ごりををを惜惜おしみしみしみ、、、今今いまははは夜夜よももも更更ふけけけぬぬぬ、、、立立たちちち聞聞きくくく人人ひともももあらあらあらじじじなどなどなど勸勸すすむるむるむる間間あいだ、、、さぞさぞさぞななな昔昔むかしのののなごりなごりなごりももも、、、さすがさすがさすがゆかしくゆかしくゆかしくててて、、、手手て馴馴なれれれししし琴琴ことををを彈彈ひくくく程程ほどににに、、、やすうやすうやすうももも聞聞きききき出出いだささされれれけりけりけりななな。。。」」」とてとてとて、、、御御おん涙涙なみだせきせきせきあへあへあえ給給たまははわねねねばばば、、、仲仲なか國國くにもももそゞろそゞろそぞろににに袖袖そでをををぞぞぞしぼりしぼりしぼりけるけるける。。。
- 13やゝやゝややあつあつあっててて仲仲なか國國くに、、、涙涙なみだをををおさへおさへおさえててて申申もうしししけるけるけるははは、、、「「「明明あ日日すよりよりより大大おお原原はらののの奧奧おくへへへ思思おぼし召召めししし立立たつつつ事事ことととと候候そうろうははは、、、定定さだめめめててて御御おん樣樣さまなどなどなどもももやややかへかへかへさせさせさせ給給たまひひい候候そうらははわんずんずんずらんらんらん。。。然然しかるるるべうべうびょうももも候候そうらははわずずず。。。さてさてさて君君きみをををばばば何何なにとととかかかししし參參まいらせらせらせ給給たまふふうべきべきべき。。。ゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめかなひかなひかない候候そうろうまじまじまじ。。。相相あい構構かまへへえてててこのこのこの女女にょう房房ぼう出出いだししし參參まいらすらすらすななな。。。」」」とてとてとて、、、供供ともににに召召めししし具具ぐしししたるたるたる馬馬め部部ぶ黃黃き仕仕じ丁丁ちょうなどなどなど止止とどめめめ置置おききき、、、そのそのその屋屋やををを守守しゅ護護ごせせせさせさせさせ、、、わがわがわが身身みははは寮寮りょうののの御御おん馬馬うまにににうちうちうち乘乘のつつっててて、、、内内だい裏裏りへへへ歸歸かえりりり參參まいつつったれたれたればばば、、、夜夜よはははほの〴〵ほの〴〵ほのぼのとととぞぞぞあけあけあけにににけるけるける。。。
- 14仲仲なか國國くにやがてやがてやがて寮寮りょうののの御御おん馬馬うま繋繋つながががせせせ、、、女女にょう房房ぼうののの裝裝しょう束束ぞくをををばばばはねはねはね馬馬うまののの障障しょう子子じにににうちうちうちかけかけかけててて、、、今今いまははは定定さだめめめててて御御ぎょ寢寢しんもももなりなりなりつらんつらんつらん、、、誰誰たれしてしてしてかかか申申もうすすすべきべきべきととと思思おもひひい、、、南南なん殿殿でんをををさしさしさしててて參參まいるるる程程ほどににに、、、主主しゅ上上しょうははは未未いまだだだ昨昨ゆう夜夜べののの御御ご座座ざにににぞぞぞまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。「「「南南みなみににに翔翔かけりりり北北きたににに嚮嚮むかふふう、、、寒寒かん溫溫うんををを秋秋あきののの鴈鴈かりににに附附つけけけ難難がたししし、、、東東ひがしににに出出いででで西西にしににに流流ながるるる、、、たゞたゞただ瞻瞻せん望望ぼうををを曉曉あかつきののの月月つきににに寄寄よすすす。。。」」」ととと御御おん心心こころ細細ぼそげげげにににうちうちうちながめながめながめさせさせさせ給給たまふふう所所ところににに、、、仲仲なか國國くにつとつとつと參參まいりりりつゝつゝつつ、、、小小こ督督ごうののの殿殿とのののの御御おん返返へん事事じをををこそこそこそ參參まいらせらせらせけれけれけれ。。。主主しゅ上上しょう、、、なのめなのめなのめならならならずずず御御ぎょ感感かんあつあつあっててて、、、「「「さらばさらばさらば汝汝なんじ、、、やがてやがてやがて夕夕ゆうさりさりさり具具ぐしししててて參參まいれれれ。。。」」」とととぞぞぞ仰仰おおせせせけるけるける。。。
- 15仲仲なか國國くに、、、入入にゅう道道どう相相しょう國國こくのののかへりかへりかえり聞聞きききき給給たまははわんんん所所ところははは恐恐おそろしけれろしけれろしけれどもどもども、、、是是これ又又また敕敕ちょく定定じょうなれなれなればばば、、、人人ひとににに車車くるま借借かつつっててて嵯嵯さ峨峨がへへへ行行ゆききき向向むかふふう。。。小小こ督督ごうののの殿殿との參參まいるるるまじきまじきまじき由由よしのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、やう〳〵やう〳〵ようようにににこしらへこしらへこしらえ奉奉たてまつりりりててて、、、車車くるまににに乘乘のせせせ奉奉たてまつりりりててて、、、内内だい裏裏りへへへ參參まいりりりたりたりたりけれけれければばば、、、かすかかすかかすかなるなるなる所所ところににに忍忍しのばばばせせせててて、、、夜夜よな〳〵な〳〵なよな召召めささされれれ參參まいらせらせらせけるけるける程程ほどににに、、、姫姫ひめ宮宮みや御御ご一一いっ所所しょ出出いででで來來きさせさせさせ給給たまひひいけりけりけり。。。坊坊ぼう門門もんののの女女にょう院院いんとととはははこのこのこの宮宮みやののの御御おん事事ことなりなりなり。。。入入にゅう道道どう相相しょう國國こく、、、「「「小小こ督督ごうががが失失うせせせたりたりたりととといふいふいうははは、、、跡跡あと形形かたもももなきなきなきそらそらそらごとごとごとなりなりなり。。。いかにいかにいかにもももしてしてして失失うしなははわんんん。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるががが、、、何何なにとととしてしてしてかかかはははたばかりたばかりたばかり出出いだささされれれたりたりたりけんけんけん、、、小小こ督督ごうののの殿殿とのををを捕捕とらへへえつゝつゝつつ、、、尼尼あまににになしなしなしてててぞぞぞおつぱなたるおつぱなたるおっぱなたる。。。年年とし二二に十十じゅう三三さん。。。出出しゅっ家家けはははもともともとよりよりより望望のぞみみみなりなりなりけれけれけれどもどもども、、、心心こころならならならずずず尼尼あまににになさなさなされれれ、、、濃濃こききき墨墨すみ染染ぞめにににやつれやつれやつれはてはてはて、、、嵯嵯さ峨峨が野野のののの奧奧おくにににぞぞぞ住住すまままれれれけるけるける。。。むげむげむげにににうたてきうたてきうたてき事事ことどもどもどもなりなりなり。。。主主しゅ上上しょうはははかやうかやうかようののの事事ことどもどもどもににに御御ご惱惱のうつかつかつかせせせ給給たまひひいててて、、、遂遂ついにににかくれかくれかくれさせさせさせ給給たまひひいけるけるけるとととかやかやかや。。。法法ほう皇皇おううちうちうちつゞきつゞきつづき、、、御御おんなげきなげきなげきのみのみのみぞぞぞしげかりしげかりしげかりけるけるける。。。
- 16去去いんんんぬるぬるぬる永永えい萬萬まんにににははは、、、第第だい一一いちののの御御み子子こ二二に條條じょうののの院院いん崩崩ほう御御ぎょなりなりなりぬぬぬ。。。安安あん元元げん二二に年年ねんののの七七しち月月がつにににははは、、、御御おん孫孫まご六六ろく條條じょうののの院院いんかくれかくれかくれさせさせさせ給給たまひひいぬぬぬ。。。天天てんににに住住すまままばばば比比ひ翼翼よくののの鳥鳥とり、、、地地ちにににあらあらあらばばば連連れん理理りののの枝枝えだとととならならならんんんととと、、、天天あまののの河河がはののの星星ほしををを指指さしししててて、、、さしもさしもさしも御御おんちぎりちぎりちぎり淺淺あさからからからざりざりざりししし建建けん春春しゅん門門もん院院いん、、、秋秋あきののの霧霧きりににに犯犯おかささされれれててて、、、朝朝あしたののの露露つゆととと消消きえええさせさせさせ給給たまひひいぬぬぬ。。。年年とし月月つきははは隔隔へだたれたれたれどもどもども、、、昨日昨日きのう今日今日きょうののの御御おん別別わかれれれのののやうやうようににに思思おぼし召召めしししててて、、、御御おん涙涙なみだももも未未いまだだだ盡盡つきききせせせざるざるざるににに、、、治治じ承承しょう四四し年年ねんののの五五ご月月がつにににははは第第だい二二にののの皇皇おう子子じ高高たか倉倉くら宮宮のみや討討うたたたれれれさせさせさせ給給たまひひいぬぬぬ。。。現現げん世世ぜ、、、後後ご生生しょう、、、賴賴たのみみみ思思おぼし召召めささされれれつるつるつる新新しん院院いんさへさへさへ先先さき立立だたたたせせせ給給たまひひいぬれぬれぬればばば、、、とにかくにとにかくにとにかくにかこつかこつかこつ方方かたなきなきなき御御おん涙涙なみだのみのみのみぞぞぞしげかりしげかりしげかりけるけるける。。。
- 17「「「悲悲かなしみしみしみののの至至いたつつっててて悲悲かなしきしきしきははは、、、老老おいいいててて後後のち、、、子子こににに後後おくれれれたるたるたるよりよりよりももも悲悲かなしきしきしきはははなしなしなし。。。恨恨うらみみみののの至至いたつつっててて恨恨うらめしきめしきめしきははは、、、若若わこうううしてしてして親親おやにににさきさきさき立立だつつつよりよりよりももも恨恨うらめしきめしきめしきはははなしなしなし。。。」」」ととと、、、かのかのかの朝朝あさ綱綱つなののの相相しょう公公こうののの、、、子子し息息そく澄澄すみ明明あきらにににおくれおくれおくれててて、、、書書かきききたりたりたりけるけるける筆筆ふでのののあとあとあと、、、今今いまこそこそこそ思思おぼし召召めししし知知しららられれれけれけれけれ。。。かのかのかの一一いち乘乘じょう妙妙みょう典典てんののの御御ご讀讀どく誦誦じゅももも怠怠おこたらららせせせ給給たまははわずずず、、、三三さん密密みつ行行ぎょう法法ぼうののの御御ご薰薰くん修修じゅももも功功こうつもらつもらつもらせせせおはしますおはしますおわします。。。天天てん下下か諒諒りょう闇闇あんににになりなりなりしかしかしかばばば、、、大大おお宮宮みや人人びともももおしなべておしなべておしなべて花花はなののの袂袂たもとややややつれやつれやつれけんけんけん。。。
現代語訳
天皇が恋しさの涙に沈んでおられたのを、お慰め申し上げようとして、中宮の御方から小督の殿という女房を差し上げられた。そもそもこの女房は、桜町中納言重教卿(成範)の娘で、宮中一の美人であり、並ぶ者のない琴の名手であった。冷泉大納言隆房卿がまだ少将であったころ、見そめた女房である。はじめは歌を詠み、手紙を書き尽くされたが、恋文の数ばかりが積もって、なびく様子もなかった。しかしさすがに情けにほだされる心からか、ついにはなびかれた。けれども今は天皇に召されてしまったので、隆房はどうしようもなく悲しくて、名残惜しい別れの涙で、袖は濡れて乾くひまもない。少将はなんとかして小督の殿をもう一度見たいものだと、用事もないのにいつも参内された。小督の殿のおられる局のあたりを、あちらこちらとたたずみ歩かれたが、小督の殿は、わたしは天皇に召された身だから、少将がどのように言っても言葉を交わしてはならないと、人づての返事さえされない。少将はもしやと、一首の歌を詠んで、小督の殿のおられる局の簾の中へ投げ入れた。
思いに堪えかねて、心は上の空になっている。陸奥の千賀の塩竈のように、あなたの近くにいてもかいのないことだ。
小督の殿は、すぐに返事もしたいとは思われたが、天皇に対して後ろめたいと思われたのだろうか、手に取って見ることもなさらず、すぐに上童に渡して、中庭へ投げ出させた。少将はつれなく恨めしく思ったが、人に見られては困ると空恐ろしくなって、急いで拾って懐に入れて出て行かれたが、なお立ち返って、
手紙を、今はもう手にさえ取るまいというのか。たとえ心の中でわたしを思い捨てたとしても。
今はこの世で逢うこともむずかしいので、生きながらえて、あれこれと恋しく思い続けるよりは、ただ死にたいとばかり願われた。
入道相国はこのことを伝え聞かれて、「中宮というのもわが娘、冷泉少将もまた婿である。小督の殿に二人の婿を取られては、世の中はうまくいくまい。なんとかして小督の殿を召し出して殺してしまおう」とおっしゃった。小督の殿はこれを聞かれて、わが身はどうなってもかまわないが、天皇にとってお気の毒だと思われたので、ある夜内裏を抜け出して、行方も知れず姿を消された。
天皇のお嘆きはひととおりではない。昼は夜の御殿にばかりこもられて、涙に沈んでおられる。夜は南殿にお出ましになって、月の光をご覧になってお慰めになっていた。入道相国はこれを聞いて、「さては君は小督のために沈んでおられるのだな。それならば」といって、お世話をする女房たちも差し上げず、参内する人々もねたまれたので、入道の権威をはばかって、通って来る臣下もいない。男も女も声をひそめて、宮中は不吉なさまに見えた。
ころは八月十日過ぎのことなので、あれほど曇りのない空であるのに、天皇は涙にくもられて、月の光もおぼろにご覧になった。夜がやや更けて、「誰かいないか、誰かいないか」とお呼びになったが、お答えする者もいない。しばらくして、弾正大弼仲国が、ちょうどその夜宿直に参って、遠く離れて控えていたが、「仲国」とお答え申した。「近う参れ。申しつけることがある」とおっしゃったので、何事だろうと思って御前近くに参った。「そなた、もしや小督の行方を知っているか」とおっしゃったので、「どうして存じておりましょう」と申し上げる。「そういえば、小督は嵯峨のあたりの、片折戸とかいう門をした家にいると申す者があるぞ。主人の名は知らなくても、探して連れて来てくれまいか」とおっしゃったので、仲国が「主人の名も知らずに、どうして探し会えましょう」と申したので、天皇はもっともだといって、涙をこらえることがおできにならない。
仲国がつくづく考えるに、そうだ、小督の殿は琴を弾かれたのだった。この月の明るさに、天皇のことを思い出されて、琴を弾かれないことはよもやあるまい。内裏で琴を弾かれたとき、自分は笛の役に召されたのだから、その琴の音はどこであっても聞き分けられるはずだ。嵯峨の民家はいくらもあるまい。回って探せば、どうして聞き出せないことがあろうと思い、「それならば、主人の名は知らなくても、お探し申しましょう。たとえ探し会えましても、お手紙などがなければ、いいかげんなことと思われるでしょう。お手紙をいただいて参りましょう」と申したので、天皇はもっともだといって、すぐにお手紙を書いて下された。
「寮の御馬に乗って行け」とおっしゃったので、仲国は馬寮の御馬をいただいて、明月に鞭をあげ、西をさして進ませた。「牡鹿の鳴くこの山里」と詠まれた嵯峨のあたりの秋のころは、さぞあわれに思われたことであろう。片折戸の家を見つけるたびに、この中におられるのではないかと、馬を止め止め耳を澄ませたが、琴を弾いている所はなかった。御堂などへお参りになっていることもあろうかと、釈迦堂をはじめとして堂々を見て回ったが、小督の殿に似た女房さえいない。むなしく帰って参るのは、参らないよりかえって悪いだろう。ここからどこへなりともさまよって行きたいと思うが、どこが王の土地でない所があろう、身を隠せる宿もない。どうしようと思い悩む。そうだ、法輪寺は近いから、月の光に誘われてお参りになっていることもあろうかと、そちらへ向かってさまよって行った。亀山のあたり近く、松の一むらある方に、かすかに琴の音が聞こえた。峰の嵐か、松風か、探している人の琴の音か、はっきりとはわからないが、馬を急がせて行くと、片折戸の家の中で、琴を澄んだ音で弾いておられる。馬を止めてこれを聞くと、少しもまちがいなく小督の殿の爪音である。曲は何かと聞くと、夫を想って恋うと読む「想夫恋」という曲であった。仲国は、やはり天皇のことを思い出されて、曲は多いのに、この曲を弾かれるとは心にくいことよと思い、腰から横笛を抜き出して少し吹き鳴らし、門をとんとんと叩くと、琴はすぐに弾きやめられた。「これは内裏から仲国が御使いに参ったのです。開けてください」といって、叩いても叩いても、とがめる者もいない。
しばらくして中から人の出て来る音がした。うれしく思って待っていると、錠をはずし、門を細めに開けて、かわいらしい小女房が顔だけ出して、「ここはそのように内裏から御使いなどいただくような所ではございません。門違いでございましょう」と言ったので、仲国は、返事をすれば門を閉められ錠を下ろされてしまうだろうと思ったのか、かまわず押し開けて入ってしまった。妻戸のきわの縁に座って、「どうしてこのような所にお住まいなのですか。天皇はあなたのために沈んでおられて、お命もすでに危うく見えます。このように申しても、いいかげんなことと思われるでしょう。お手紙をいただいて参りました」といって取り出して差し上げる。さきほどの女房が取り次いで小督の殿に差し上げた。これを開けてご覧になると、まことに天皇のお手紙であった。すぐにお返事を書いて結び、女房の装束一揃いを添えて出された。仲国は「お返事をいただいた上は、とやかく申すには及びませんが、ほかの使いならともかく、じかのお返事をうかがわないでは、どうして帰れましょう」と申したので、小督の殿ももっともだと思われたのか、自ら返事をなさった。
「あなたもお聞きのように、入道があまりに恐ろしいことばかり言うと聞いたのが情けなくて、ある夜こっそりと内裏を抜け出して、今はこのような所の住まいなので、琴を弾くこともありませんでしたが、明日から大原の奥へ入ろうと思い立っておりますので、この家の主人の女房が、今宵かぎりの名残を惜しんで、もう夜も更けた、立ち聞きする人もいないだろうなどと勧めますので、そうね、昔の名残もさすがに懐かしくて、弾きなれた琴を弾いておりましたところ、たやすく聞きつけられてしまいましたね」といって、涙をこらえきれずにおられるので、仲国もそぞろに袖をしぼった。
しばらくして仲国は涙を抑えて申すには、「明日から大原の奥へと思い立たれるのは、きっとお姿なども変えられる(出家なさる)おつもりでしょう。とんでもないことです。それでは天皇をどうなさるおつもりですか。決してなりません。よくよくこの女房を外へお出し申すな」といって、供に連れて来た馬部や吉上などを残して、その家を守らせ、自分は寮の御馬に乗って内裏へ帰って参ると、夜はほのぼのと明けていた。
仲国はすぐに寮の御馬をつながせ、女房の装束をはね馬の障子に掛けて、今はきっとお休みになっておられるだろう、誰に取り次いでもらおうかと思いながら、南殿をさして参ると、天皇はまだ昨夜の御座におられた。「南に翔り北に向かう、寒温を秋の雁に託すことはできない。東に出で西に流れる、ただ思いを暁の月に寄せる」と心細げに口ずさんでおられたところに、仲国がつと参って、小督の殿のお返事を差し上げた。天皇はひととおりでなくお喜びになって、「それならそなた、すぐに今夜連れて参れ」とおっしゃった。
仲国は、入道相国が聞きつけられたらと思うと恐ろしかったが、これもまた勅命なので、人に車を借りて嵯峨へ向かった。小督の殿は参るまいとおっしゃったが、いろいろとなだめすかして車にお乗せし、内裏へ参ったところ、目立たない所に忍ばせて、夜な夜なお召しになっているうちに、姫宮がお一人お生まれになった。坊門の女院とはこの宮のことである。入道相国は「小督が姿を消したというのは、跡形もないうそだ。なんとしても殺してしまおう」とおっしゃったが、どのようにしてか、だまして連れ出されたのであろう、小督の殿を捕らえて尼にして追い放った。年は二十三。出家はもとより望んでいたことであったが、心ならずも尼にされ、濃い墨染めの衣にやつれ果てて、嵯峨野の奥に住まわれた。まったくひどいことである。天皇はこのようなことでご病気になられて、ついに崩御されたとかいうことである。法皇は続けざまの不幸に、お嘆きばかりが深かった。
去る永万には第一の御子二条院が崩御された。安元二年の七月には御孫の六条院がお隠れになった。天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝となろうと、天の川の星をさしてお約束になった、あれほど契りの深かった建春門院も、秋の霧に冒されて、朝の露のように消えてしまわれた。年月は隔たったが、昨日今日のお別れのように思われて、涙もまだ尽きないうちに、治承四年の五月には第二の皇子高倉宮が討たれなさった。現世も後生も頼みに思っておられた新院(高倉院)までが先立たれたので、どうにも嘆きを訴えようもない涙ばかりが多かった。
「悲しみの極みで悲しいのは、老いた後に子に先立たれるより悲しいことはない。恨みの極みで恨めしいのは、若くして親に先立つより恨めしいことはない」と、あの朝綱の宰相が子息澄明に先立たれて書いた筆の跡を、今こそ思い知られたのである。法華経の御読誦も怠られず、真言の三密の行法も功徳を積まれた。天下は諒闇(天皇の服喪)となったので、宮中の人々もみな、華やかな袖をやつれた喪服に変えたことであろう。
意訳
『平家物語』屈指の名場面として知られる章段である。清盛の怒りを恐れて姿を消した小督を、源仲国が八月十五夜の嵯峨野で、琴の「想夫恋」の音をたよりに探し当てる。月夜の嵯峨野を馬で行く仲国の姿と、琴の音との取り合わせは、能「小督」にも受け継がれた。
連れ戻された小督は天皇の娘を生むが、清盛に捕らえられて尼にされる。高倉天皇はこうした悲しみの中で世を去り、物語は相次いで子や孫、后を失った後白河法皇の嘆きを語って結んでいる。
語釈・文法注
文法
- 「ようで」
- 詠んで。「よみて」の音便。
- 「みちのくのちがのしほがま」
- 陸奥国の歌枕「千賀の塩竈」。「ちか(近)」を導く。
- 「御故に」
- あなたのせいで。
- 「やうでう」
- 横笛。
- 「男鹿鳴くこの山里」
- 嵯峨の山里の秋を詠んだ古歌の一節を引く。
- 「南に翔り北に嚮ふ」
- 『和漢朗詠集』に収める大江朝綱の詩句。離れた人を思う心を詠む。
- 「おつぱなたる」
- 追い放った。「おひはなつ」の促音便。
和歌
思ひかね心はそらにみちのくのちがのしほがま近きかひなし
- 詠者
- 藤原隆房
- 状況
- 天皇に召された小督に、隆房が局の簾の中へ投げ入れた歌。
修辞
- 掛詞・序詞
- 「みちのくのちがのしほがま」は「ちか(近)」を導く。「そら」に「空」と「上の空」を掛ける。
たまづさを今は手にだに取らじとやさこそ心に思ひすつとも
- 詠者
- 藤原隆房
- 状況
- 小督が歌を手に取らずに投げ出させたのを恨んで詠んだ歌。
修辞
- 倒置
- 下の句の「たとえ心に思い捨てるとしても」を後に置き、せめて手紙だけでも取ってほしいと訴える。
解説
小督は藤原成範(底本は「重教」と刷る)の娘で、高倉天皇との間に範子内親王(坊門院)をもうけた。のちに嵯峨に隠棲したことは史実と考えられている。仲国が小督を探し当てる場面は能「小督」の題材となり、嵯峨野には小督の塚と伝えるものが残る。
後白河法皇は、二条天皇(永万元年〈1165〉)、六条天皇(安元二年〈1176〉)、建春門院(同年)、以仁王(治承四年〈1180〉)、高倉上皇(治承五年〈1181〉)と、近親を相次いで失った。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、517–524頁(コマ287–291)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日