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おくのほそ道 第12章

須賀川

阿武隈川を渡り、須賀川の宿で旧知の相楽等窮を訪ねる。白河の関で詠んだ句を問われ、「風流の初やおくの田植うた」を発句に三巻の連句を巻く。宿のかたわらの栗の木陰に住む僧(可伸)の暮らしに心ひかれ、「世の人の見付ぬ花や軒の栗」と詠む。

須賀川で等窮らと連句を巻く芭蕉(AI生成)
須賀川で等窮らと連句を巻く芭蕉
  1. 1とかくしてとかくしてとかくして越行こえゆく越行こえゆくこえゆくまゝにまゝにままに、、、川がは川がはがわををを渡わた渡わたわたるるる。。。左ひだり左ひだりひだりににに高たか高たかたかくくく、、、右みぎ右みぎみぎににに岩城いはき岩城いはきいわき、、、相馬さうま相馬さうまそうま、、、三春みはる三春みはるみはるののの庄しやう庄しやうしょう、、、常陸ひたち常陸ひたちひたち下野しもつけ下野しもつけしもつけののの地ち地ちちをををさかひてさかひてさかいて山やま山やまやまつらなるつらなるつらなる。。。沼ぬま沼ぬまぬまととと云い云いい所ところ所ところところををを行ゆく行ゆくゆくににに、、、今日けふ今日けふきょうははは空そら空そらそら曇くも曇くもくもててて物もの物ものもの影かげ影かげかげうつらずうつらずうつらず。。。
  2. 2すかすかすか川がは川がはがわののの驛えき驛えきえきにににといふものといふものというものををを尋たづ尋たづたずててて四五日しごにち四五日しごにちしごにちとゞめらるとゞめらるとどめらる。。。先白河まづしらかは先白河まづしらかはまずしらかわののの關せき關せきせきいかにこえつるやといかにこえつるやといかにこえつるやと問と問とと。。。長途ちやうと長途ちやうとちょうとのくるしみのくるしみのくるしみ身心しんじん身心しんじんしんじんつかれつかれつかれ、、、且かつ且かつかつははは風景ふうけい風景ふうけいふうけいににに魂たましひ魂たましひたましいうばゝれうばゝれうばわれ、、、懷旧くわいきう懷旧くわいきうかいきゅうににに腸はらわた腸はらわたはらわたををを斷だん斷だんだんててて、、、はか〴〵しうはか〴〵しうはかばかしゅう思おも思おもおもひめぐらさずひめぐらさずいめぐらさず。。。
  3. 3風流ふりう風流ふりうふりゅうののの初はつ初はつはつやおくのやおくのやおくのうたうたうた
  4. 4無下むげ無下むげむげにこえんもさすがにとにこえんもさすがにとにこえんもさすがにと語かた語かたかたればればれば、、、とつゞけてとつゞけてとつづけてとなしぬとなしぬとなしぬ。。。
  5. 5此こ此ここ宿やど宿やどやどののの傍かたはら傍かたはらかたわらににに、、、大おほ大おほおおきなるきなるきなる栗くり栗くりくりののの木き木きき陰かげ陰かげかげをををたのみてたのみてたのみて、、、をををいとふいとふいとう僧そう僧そうそう有あり有ありあり。。。ひろふひろふひろう太山みやま太山みやまみやまもかくやともかくやともかくやと、、、閒しづか閒しづかしずかににに覺おぼえ覺おぼえおぼえられてものにられてものにられてものに書か書かか付つ付つつ侍はべ侍はべはべるるる。。。其そ其そそ詞ことば詞ことばことば、、、
  6. 6栗くり栗くりくりといふといふという文字もじ文字もじもじははは、、、西にし西にしにしののの木き木ききととと書か書かかててて、、、西方淨土さいはうじやうど西方淨土さいはうじやうどさいほうじょうどににに便たより便たよりたよりありとありとありと、、、ののの、、、一生いつしやう一生いつしやういっしょう杖つゑ杖つゑつえにもにもにも柱はしら柱はしらはしらにもにもにも此こ此ここ木き木ききををを用給もちゐたま用給もちゐたまもちいたまふとかやふとかやうとかや。。。
  7. 7世よ世よよののの人ひと人ひとひとののの見み見みみ付つ付つつぬぬぬ花はな花はなはなややや軒のき軒のきのきののの栗くり栗くりくり

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

とにかく白河の関を越えていくうちに、阿武隈川を渡る。左に会津の磐梯山が高くそびえ、右に岩城・相馬・三春の庄があり、常陸・下野の国との境には山々が連なっている。影沼という所を通ると、今日は空が曇っていて、物の影は映らない。須賀川の宿で等窮という者を訪ね、四、五日引き留められた。等窮はまず、「白河の関はどのように越えましたか」と尋ねる。「長旅の苦しさで体も心も疲れ、また風景に心を奪われ、昔をしのぶ思いに胸がいっぱいになって、ろくに句を思いめぐらすこともできませんでした。

風流の初やおくの田植うた(みちのくに入って最初に出会った風流は、この地の田植え歌であった)

それでも、何も詠まずに関を越えてしまうのもさすがに残念で」と話すと、等窮が脇句をつけ、さらに第三句と続けて、三巻の連句となった。

この宿のかたわらに、大きな栗の木の陰を頼りにして、世を避けて暮らす僧がいる。西行が「橡ひろふ」と詠んだ深山の暮らしもこのようであったかと、ひっそりとした趣に感じられて、ものに書きつけた。その言葉は、

「栗という字は、西の木と書いて、西方浄土に縁があるとして、行基菩薩は一生、杖にも柱にもこの木をお使いになったとか。」

世の人の見付ぬ花や軒の栗(栗の花は地味で、世の人の目にもとまらない。その花が、世を捨てた人の軒先にひっそりと咲いていることだ)

意訳

阿武隈川を渡ると、山々が四方に連なる、いかにもみちのくらしい景色が広がる。歌枕の影沼も、曇りで何も映らない。名所が名所らしく見えないことも、そのまま書きとめている。

「白河の関をどう越えたか」と問われて、芭蕉は、感動が大きすぎて句が浮かばなかったと答える。それでもみちのくの最初の句として示したのが、田植え歌の句である。歌枕の土地に入ってまず心ひかれたのは、古歌ではなく、土地の人々が歌う生活の歌だった。

栗の木陰の僧は、世間に知られず静かに暮らしている。人目をひかない栗の花に、その暮らしぶりと人柄を重ねた句である。西方浄土・行基とつながる栗の字の解釈は、僧への敬意をこめた戯れでもある。

語釈・文法注

あぶくま川
阿武隈川。福島県から宮城県へ流れる大河。
會津根
会津嶺。磐梯山。
かげ沼
影沼。須賀川の手前にあった沼で、物の影がよく映るとされた歌枕。
等窮
相楽等躬(1638〜1715)。須賀川の駅長で、俳人。江戸で芭蕉と交わりがあった。底本は「等窮」と刷る。
おくの田植うた
みちのくの田植え歌。
脇第三
連句の第二句(脇)と第三句。
三巻
連句三巻。実際には歌仙一巻が現存する。
世をいとふ僧
可伸(俳号は栗斎)。須賀川の等躬の屋敷の近くに庵を結んでいた僧。
橡ひろふ太山
西行の「山深み岩にしただる水とめむかつがつ落つる橡拾ふほど」をふまえる。深山で橡の実を拾って暮らすこと。
行基菩薩
奈良時代の僧。諸国をめぐって橋や池を作り、民衆に慕われた。

文法

こえつるやと問
「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形で、係助詞「や」の結び。どのように越えたかと尋ねる。
はか〴〵しう思ひめぐらさず
「はかばかしう」は「はかばかしく」のウ音便。しっかりと(句を)考えめぐらすこともできない。
無下にこえんもさすがに
何も詠まずに越えるのもさすがに(残念で)。「さすがに」の後に「口惜し」などが略されている。
閒に覺られて
底本は「閒」と刷る。「閑」の異体字で、しずかに。

発句・和歌

風流の初やおくの田植うた

作者
松尾芭蕉
状況
須賀川の等躬に、白河の関でどんな句を詠んだかと問われて示した句。陸奥に入って最初に味わった風流は田植え歌であった、と詠む。等躬への挨拶の句でもある。季語は「田植うた」で夏。

修辞

季語
田植うた(田植歌)。夏。
切れ字
「や」。

世の人の見付ぬ花や軒の栗

作者
松尾芭蕉
状況
須賀川の宿のかたわらで、栗の木陰に庵を結ぶ僧(可伸)の、世を離れた暮らしをたたえた句。季語は「栗の花」で夏。

修辞

季語
栗の花(花…栗)。夏。
切れ字
「や」。
寓意
人目につかない栗の花に、世に知られずに生きる僧の人柄を重ねる。

解説

曾良の『随行日記』によれば、須賀川には四月二十二日から二十九日まで、七泊している。等躬は須賀川宿の名主で、俳諧の宗匠でもあった。「風流の初や」を発句とする歌仙は、芭蕉・等躬・曾良の三人で巻かれ、今に伝わっている。

栗の木陰の僧、可伸の庵の跡は、須賀川市内に「可伸庵跡」として残っている。「栗といふ文字は」の一節は、芭蕉が庵で書いた文章の一部で、俳文として独立して伝わるものもある。

関連

出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、8〜9頁(コマ13)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日