土佐日記 第9章
難波から淀川へ
二月六日、一行は難波に着いて川尻に入り、人々は額に手を当てて喜ぶ。船酔いしていた淡路の老女が見事な歌を詠み、病の船君も負けじと歌をひねり出す。水の少ない淀川を船を引いてさかのぼり、九日には惟喬親王と業平ゆかりの渚の院を眺める。土佐で生まれた子を抱く人々を見て、亡き子の母はまた泣く。

- 1六日六日むいか、、、澪澪みお標標つくしのののもともともとよりよりより出出いでででゝゝて難難なに波波はにににつきつきつきててて河河かわ尻尻じりににに入入いるるる。。。みなみなみな人人ひと々々びと女女おんなおきなおきなおきなひたひひたひひたいににに手手てをををあてあてあてゝゝて喜喜よろこぶぶぶことことこと二二ふたつつつなしなしなし。。。かのかのかの船船ふな醉醉えいののの淡淡あわ路路じののの島島しまのののおほいおほいおおい、、、都都みやこ近近ちかくくくなりなりなりぬぬぬととといふいふいうををを喜喜よろこびびびててて、、、船船ふな底底ぞこよりよりより頭頭かしらをををもたげもたげもたげてててかくかくかくぞぞぞいへいへいえるるる、、、「「「いつしかいつしかいつしかととといぶせかりいぶせかりいぶせかりつるつるつる難難なに波波はがたがたがた蘆蘆あしこぎこぎこぎそけそけそけててて御御み船船ふねきききにににけりけりけり」」」。。。
- 2いといといとおもひおもひおもいののの外外ほかなるなるなる人人ひとのののいへいへいえれれればばば、、、人人ひと々々びとあやしあやしあやしがるがるがる。。。これこれこれががが中中なかににに心心ここちちちなやむなやむなやむ船船ふな君君ぎみいたくいたくいたくめでめでめでゝゝて「「「船船ふな醉醉えいしししたうべたうべとうべりりりししし御御おん顔顔かおにににははは似似にずずずもももあるあるあるかなかなかな」」」ととといひいひいいけるけるける。。。
- 3七日七日なのか、、、けふけふきょうははは川川かわ尻尻じりににに船船ふね入入いりりり立立たちちちててて漕漕こぎぎぎのぼるのぼるのぼるににに、、、川川かわののの水水みずひひひててて惱惱なやみみみわづらふわづらふわずらう。。。船船ふねののののぼるのぼるのぼることことこといといといと難難かたししし。。。かゝるかゝるかかる間間あいだににに船船ふな君君ぎみののの病病ぼう者者ざもともともとよりよりよりこちごちしきこちごちしきこちごちしき人人ひとにににててて、、、かうやうかうやうこうようののの事事こと更更さらににに知知しらららざりざりざりけりけりけり。。。かゝれかゝれかかれどもどもども淡淡あわ路路じのののたうめたうめとうめののの歌歌うたにににめでめでめでゝゝて、、、みやこみやこみやこぼこりぼこりぼこりにににもももやややあらあらあらむむん、、、からくからくからくしししてててあやしきあやしきあやしき歌歌うたひねりひねりひねり出出いだせせせりりり。。。そのそのそのうたうたうたははは、、、「「「きききととときききてててははは川川かわのののほりほりほりえええののの水水みずをををあさみあさみあさみ船船ふねももも我我わががが身身みもももなづむなづむなずむけふけふきょうかなかなかな」」」。。。
- 4これこれこれははは病病やまいをををすれすれすればばばよめよめよめるるるなるなるなるべしべしべし。。。ひとひとひとうたうたうたにににことことことののの飽飽あかかかねねねばばば今今いまひとひとひとつつつ、、、「「「とくとくとくととと思思おもふふう船船ふねなやますなやますなやますははは我我わがががためためためににに水水みずのののこゝろこゝろこころのののあさきあさきあさきなりなりなりけりけりけり」」」。。。このこのこの歌歌うたははは、、、みやこみやこみやこ近近ちかくくくなりなりなりぬるぬるぬるよろこびよろこびよろこびににに堪堪たへへえずずずしししててて言言いへへえるるるなるなるなるべしべしべし。。。淡淡あわ路路じののの御御ごののの歌歌うたにににおとれおとれおとれりりり。。。ねたきねたきねたき、、、いはいはいわざらざらざらましましましものものものをををとととくやしくやしくやしがるがるがるうちうちうちににによるよるよるににになりなりなりててて寢寢ねにににけりけりけり。。。
- 5八日八日ようか、、、なほなほなお川川かわのののほとりほとりほとりににになづみなづみなずみててて、、、鳥鳥とり養養かいののの御御み牧牧まきととといふいふいうほとりほとりほとりにににとまるとまるとまる。。。こよひこよひこよい船船ふな君君ぎみ例例れいののの病病やまい起起おこりりりててていたくいたくいたく惱惱なやむむむ。。。あるあるある人人ひとあさらかあさらかあさらかなるなるなる物物ものもてもてもてきききたりたりたり。。。よねよねよねしししてててかへりかへりかえりごとごとごとすすす。。。男男おとこどもどもども密密ひそかにににいふいふいうなりなりなり「「「いひいひいいぼぼぼしししてててもてもてもてるるる」」」とととややや。。。かうやうかうやうこうようののの事事こと所所ところ々々どころにににありありあり。。。今日今日きょう節節せちすれすれすればばばいをいをいおもちゐもちゐもちいずずず。。。
- 6九日九日ここのか、、、心心こころもともともとなさなさなさににに明明あけけけぬぬぬからからから船船ふねをををひきひきひきつゝつゝつつのぼれのぼれのぼれどもどもども川川かわののの水水みずなけれなけれなければばばゐざりゐざりいざりにににのみのみのみゐざるゐざるいざる。。。このこのこの間間あいだににに和和わ田田だののの泊泊とまりりりのののあかれあかれあかれのののところところところととといふいふいう所所ところありありあり。。。よねよねよねいをいをいおなどなどなどこへこへこえばばばおこなひおこなひおこないつつつ。。。かくかくかくててて船船ふねひきひきひきのぼるのぼるのぼるににに渚渚なぎさののの院院いんととといふいふいう所所ところををを見見みつゝつゝつつ行行ゆくくく。。。そのそのその院院いんむかしむかしむかしををを思思おもひひいやりやりやりててて見見みれれればばば、、、おもしろかりおもしろかりおもしろかりけるけるける所所ところなりなりなり。。。しりへしりへしりえなるなるなる岡岡おかにににははは松松まつののの木木きどもどもどもありありあり。。。中中なかののの庭庭にわにににははは梅梅うめののの花花はなさけさけさけりりり。。。
- 7こゝこゝここににに人人ひと々々びとのののいはくいはくいわく「「「これこれこれむかしむかしむかし名名な高高だかくくく聞聞きこえええたるたるたる所所ところなりなりなり。。。故故こ惟惟これ喬喬たかのののみこみこみこのののおほんおほんおおん供供ともににに故故こ在在あり原原はらののの業業なり平平ひらののの中將中將ちゅうじょうののの「「「世世よののの中中なかににに絕絕たえええててて櫻櫻さくらのののさかさかさかざらざらざらばばば春春はるのののこゝろこゝろこころはははのどけからのどけからのどけからましましまし」」」ととといふいふいう歌歌うたよめよめよめるるる所所ところなりなりなりけりけりけり。。。今今いま興興きょうあるあるある人人ひと所所ところににに似似にたるたるたる歌歌うたよめよめよめりりり、、、「「「千千ち代代よへへへたるたるたる松松まつにににはははあれあれあれどどどいにしへいにしへいにしえののの聲聲こえののの寒寒さむさささはははかはらかはらかわらざりざりざりけりけりけり」」」。。。又又またあるあるある人人ひとのののよめよめよめるるる、、、「「「君君きみ戀戀こひひいててて世世よをををふるふるふる宿宿やどのののうめうめうめののの花花はなむかしむかしむかしののの香香かにににぞぞぞなほなほなおにほひにほひにおいけるけるける」」」ととといひいひいいつゝつゝつつぞぞぞ都都みやこのののちかづくちかづくちかづくををを悅悅よろこびびびつゝつゝつつのぼるのぼるのぼる。。。
- 8かくかくかくのぼるのぼるのぼる人人ひと々々びとのののなかなかなかににに京京きょうよりよりよりくだりくだりくだりししし時時ときににに、、、皆皆みな人人ひと子子こどもどもどもなかりなかりなかりききき。。。いたれいたれいたれりりりししし國國くににににてててぞぞぞ子子こ生生うめめめるるる者者ものどもどもどもありありありあへあへあえるるる。。。みなみなみな人人ひと船船ふねのののとまるとまるとまる所所ところににに子子こををを抱抱いだきききつゝつゝつつおりおりおりのりのりのりすすす。。。これこれこれををを見見みててて昔昔むかしののの子子こののの母母ははかなしきかなしきかなしきににに堪堪たへへえずずずしししててて、、、「「「なかりなかりなかりしししもももありありありつゝつゝつつ歸歸かえるるる人人ひとののの子子こをををありありありしししもももなくなくなくてててくるくるくるががが悲悲かなしさしさしさ」」」ととといひいひいいてててぞぞぞ泣泣なきききけるけるける。。。父父ちちもももこれこれこれををを聞聞ききききててていかゞいかゞいかがあらあらあらむむん。。。かうやうかうやうこうようののの事事ことどもどもども歌歌うたもももこのむこのむこのむとてとてとてあるあるあるにににもももあらあらあらざるざるざるべしべしべし。。。もろこしもろこしもろこしもももこゝこゝここももも思思おもふふうことことことににに堪堪たへへえぬぬぬ時時ときのののわざわざわざとととかかか。。。こよひこよひこよい宇宇う土土ど野野のととといふいふいう所所ところにににとまるとまるとまる。。。
- 9十日十日とおか、、、さはるさはるさわることことことありありありてててのぼらのぼらのぼらずずず。。。
現代語訳
六日。澪標のあたりから出て、難波に着いて川尻に入る。人々はみな、女も老人も、額に手を当てて喜ぶことはこの上ない。あの船酔いしていた淡路の島の大御(おおいご)は、都が近くなったというのを喜んで、船底から頭をもたげて、こう詠んだ。「早く早くと気がふさいでいた難波潟に、葦を押し分けて御船がやって来たことだ」。
まったく思いがけない人が詠んだので、人々は不思議がる。そのなかで、気分のすぐれない船君がたいそう感心して、「船酔いしていらっしゃったお顔には似合わない歌ですね」と言った。
七日。今日は川尻に船が入って漕ぎのぼって行くと、川の水が干上がっていて、難儀して苦しむ。船がのぼって行くのはたいへん難しい。こうしているうちに、船君である病人は、もともと無骨な人で、こうした歌のことはまったく知らなかった。けれども、淡路の老女の歌に感心して、都が近づいた得意な気持ちからだろうか、やっとのことで妙な歌をひねり出した。その歌は、「来ては来たが、川の堀江の水が浅いので、船も私の身も難儀している今日であることよ」。
これは病気をしているので詠んだのであろう。一首では満足しないので、もう一首、「早くと思う船を悩ませるのは、私に対して水の心が浅い(思いやりがない)からなのだなあ」。この歌は、都が近くなった喜びに耐えきれずに詠んだのであろう。淡路の御の歌に劣っている。「しゃくだ、言わなければよかったのに」と悔しがるうちに夜になって寝てしまった。
八日。やはり川のほとりで難儀して、鳥養の御牧というあたりに泊まる。今夜、船君はいつもの病気が起こって、たいそう苦しむ。ある人が新鮮な魚を持って来た。米でお返しをする。男たちがひそかに言うには、「飯粒で魚を釣るとはこのことだ」とか。こうしたことはあちこちである。今日は精進日なので魚は食べない。
九日。待ちきれなくて、夜が明けないうちから船を引きながらのぼるけれど、川の水がないので、いざるようにしか進まない。このあいだに、和田の泊の分かれの所という所がある。米や魚などを求めるので、施してやった。こうして船を引いてのぼって行くと、渚の院という所を見ながら進む。その院を、昔をしのびながら見ると、趣深い所である。後ろの岡には松の木々がある。中の庭には梅の花が咲いている。
ここで人々が言うには、「ここは昔、名高く評判になった所である。亡き惟喬親王のお供をして、亡き在原業平中将が『世の中にまったく桜がなかったなら、春の心はのどかであろうに』という歌を詠んだ所なのだ」。今、興に乗った人が、この場所にふさわしい歌を詠んだ。「千年を経た松ではあるけれど、昔の松風の音の寒々しさは変わらないことだ」。またある人が詠んだのは、「主人を恋しく思って年月を過ごすこの家の梅の花は、昔のままの香りでなお匂っていることだ」と言いながら、都が近づくのを喜びつつのぼって行く。
こうしてのぼって行く人々のなかで、京から土佐へ下ったときには、誰も子どもがいなかった。赴任した国で子を生んだ者たちが、あちこちにいる。みな、船が泊まる所で、子を抱いて乗り降りする。これを見て、亡くなった子の母は、悲しみに耐えきれずに、「行きにはいなかった子を連れて帰る人もいるのに、行きにはいた子がいなくて帰ってくることの悲しさよ」と言って泣いた。父親もこれを聞いて、どんな気持ちだろうか。こうした歌も、好きで詠むのではないのだろう。唐でもこの国でも、思いに耐えきれないときにするわざだとか。今夜は鵜殿という所に泊まる。
十日。差し支えることがあって、のぼらない。
意訳
難波に着いた一行は、額に手を当てて喜び合う。これまで船底で寝こんでいた淡路の老女が、むくりと頭をもたげて見事な歌を詠み、人々を驚かせる。歌などわからないはずの無骨な船君までが、負けじと歌をひねり出すが、「淡路の御の歌に劣る」と書かれ、本人も「言わなければよかった」と悔しがる。都を目前にした一行の浮き立つ気分が、ユーモラスに描かれる。
淀川は水が少なく、船を岸から引いてのぼるしかない。米をめぐる船頭や物売りとのやりとりも書きとめられる。九日、渚の院を通ると、人々は惟喬親王と在原業平の昔をしのぶ。『伊勢物語』にも描かれた、親王と業平たちが桜を愛でて歌を詠んだ場所である。
しかし、この章の結びはまた亡き子への思いである。土佐で生まれた子を抱いて乗り降りする人々を見て、母は「行きにいなかった子を連れて帰る人もいるのに、行きにいた子がいない」と泣く。都に近づく喜びが大きいほど、帰らない子の不在がきわだっていく。
語釈・文法注
- おほい子
- 「大御(おほいご)」とも解される。老女に対する呼び名で、前に出た「淡路のたうめ」と同じ人。
- 節み
- 「節忌(せちいみ)」。肉や魚を断って精進する日。
文法
- 「喜ぶこと二つなし」
- この上なく喜ぶ。
- 「したうべりし」
- 「したまひ+はべりし」がつづまった「したうべりし」で、尊敬と丁寧をあわせた言い方。船酔いしていらっしゃった。
- 「きときては」
- 「来と来ては」。やって来たことは来たが。
- 「ひとうたにことの飽かねば」
- 一首だけでは満足しないので。
- 「いひぼしてもてる」
- 底本のまま。一般には「飯粒(いひぼ)して鮒釣る」の意のことわざとされ、わずかな元手で大きな得をすることのたとえ。
和歌
いつしかといぶせかりつる難波がた蘆こぎそけて御船きにけり
- 詠者
- 淡路の島のおほい子(淡路のたうめ)
- 状況
- 難波に着いて、船酔いで寝ていた老女が頭をもたげて詠んだ歌。
修辞
- 歌枕
- 「難波潟」は葦の名所として詠まれる歌枕。
きときては川のほりえの水をあさみ船も我が身もなづむけふかな
- 詠者
- 船君
- 状況
- 淡路の老女の歌に感心して、病の船君がひねり出した歌。
修辞
- ミ語法
- 「水をあさみ」は「〜を〜み」の形で、水が浅いので。
とくと思ふ船なやますは我がために水のこゝろのあさきなりけり
- 詠者
- 船君
- 状況
- 一首では満足できずに詠んだ二首目。淡路の老女の歌に劣ると評される。
修辞
- 掛詞
- 「あさき」に、水が浅い意と、思いやりが浅い意をかける。
千代へたる松にはあれどいにしへの聲の寒さはかはらざりけり
- 詠者
- 興ある人
- 状況
- 渚の院を眺め、惟喬親王と業平の昔をしのんで詠んだ歌。
修辞
- 対比
- 千年を経た松と、変わらない松風の音を対比する。
君戀ひて世をふる宿のうめの花むかしの香にぞなほにほひける
- 詠者
- ある人
- 状況
- 同じく渚の院の梅を見て詠んだ歌。
修辞
- 擬人法
- 主人を恋しく思って年月を過ごす家と梅を詠む。
なかりしもありつゝ歸る人の子をありしもなくてくるが悲しさ
- 詠者
- 昔の子の母
- 状況
- 土佐で生まれた子を抱いて乗り降りする人々を見て、亡き子の母が詠んだ歌。
修辞
- 対比
- 「なかりし」と「ありし」、「あり」と「なく」を対比させ、帰る子と帰らない子を際立たせる。
解説
一行は難波(今の大阪市)から淀川の河口(川尻)に入り、山崎まで川をさかのぼる。水量の少ない季節で、船を岸から綱で引くしかなく、鳥養の御牧(今の大阪府摂津市付近)、鵜殿(高槻市)と、少しずつしか進めなかった。
渚の院(今の大阪府枚方市)は文徳天皇の皇子惟喬親王の別荘で、『伊勢物語』八十二段に、親王が在原業平らを連れて桜狩りをし、業平が「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠んだ話がある。この日記では第二句を「絶えて桜のさかざらば」としている。百人一首にも業平の歌(第17首)がとられている。
亡き子の母の歌に続けて、書き手は「こうした歌も好きで詠むのではない。唐でもこの国でも、思いに耐えきれないときにするわざだ」と述べる。和歌は心の思いから生まれるという、『古今和歌集』仮名序とも通じる考え方がここにも見える。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(土佐日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、17–19頁(コマ11–12)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日