更級日記 第2章
竹芝寺の伝説
武蔵の国に入ると、葦や荻ばかりが高く茂る野が続く。竹芝寺の跡で、作者は土地の人から、都の火焚屋の衛士が帝の姫宮を背負って故郷に逃げ帰り、二人がそのまま武蔵で暮らしたという伝説を聞く。
- 1今今いまははは武藏武藏むさしののの國國くにににになりなりなりぬぬぬ。。。殊殊ことにににをかしきをかしきおかしき所所ところももも見見みえええずずず。。。濱濱はまもももすなごすなごすなご白白しろくくくなどなどなどもももなくなくなくこひぢこひぢこいじのののやうやうようにににててて紫紫むらさきおふおふおうととと聞聞きくくく野野のももも葦荻葦荻あしおぎのみのみのみ高高たかくくく生生おひひいててて、、、馬馬うまににに乘乘のりりりててて弓弓ゆみもたるもたるもたる末末すえ見見みえええぬぬぬまでまでまで、、、高高たかくくく生生おひひい茂茂しげりりりててて中中なかををを分分わけけけ行行ゆくくくににに、、、竹竹たけしばしばしばととといふいふいう寺寺てらありありあり。。。
- 2遙遙はるかにににはゝさうふはゝさうふははそうふととといふいふいう所所ところののの廊廊ろうのののあとあとあとののの礎礎いしずえなどなどなどありありあり。。。「「「いかなるいかなるいかなる所所ところぞぞぞ」」」ととと問問とへへへばばば「「「これこれこれはははいにしへいにしへいにしえ竹芝竹芝たけしばととといふいふいうさかさかさかなりなりなり。。。
- 3國國くにののの人人ひとのののありありありけるけるけるをををたきたきたき屋屋やののの火火ひたくたくたく衞士衞士えじにににさしさしさし奉奉たてまつりりりたりたりたりけるけるけるににに、、、御前御前おまえののの庭庭にはををを掃掃はくくくとてとてとて、、、などなどなどややや苦苦くるしきしきしき目目めををを見見みるるるらむらむらん、、、わがわがわが國國くにににに七七ななつつつ三三みつつつ作作つくりりりすゑすゑすえたるたるたる酒壺酒壺さかつぼにににさしさしさし渡渡わたしししたるたるたるひたえひたえひたえののの瓢瓢ひさごののの、、、南風南風みなみかぜ吹吹ふけけけばばば北北きたににに靡靡なびききき、、、北風北風きたかぜ吹吹ふけけけばばば南南みなみににになびきなびきなびき、、、西西にし吹吹ふけけけばばば東東ひんがしににに靡靡なびききき、、、東東ひんがし吹吹ふけけけばばば西西にしににになびくなびくなびくををを見見みててて、、、かくかくかくてててあるあるあるよよよとととひとりごちひとりごちひとりごちつぶやきつぶやきつぶやきけるけるけるををを、、、
- 4そのそのその時時とき帝帝みかどののの御女御女おおんむすめいみじういみじういみじゅうかしづかかしづかかしずかれれれ給給たまふふう唯唯ただ一人一人ひとり御簾御簾みすののの際際きわににに立立たちちち出出いででで給給たまひひいててて、、、柱柱はしらににによりよりよりかゝりかゝりかかりててて御覽御覽ごらんずるずるずるににに、、、このこのこのをのこをのこおのこのののかくかくかくひとりごつひとりごつひとりごつをををいといといと哀哀あわれににに、、、いかなるいかなるいかなる瓢瓢ひさごのののいかにいかにいかに靡靡なびくくくらむらむらんととといみじういみじういみじゅうゆかしくゆかしくゆかしくおぼされおぼされおぼされけれけれければばば、、、御簾御簾みすををを押押おしししあげあげあげててて、、、あのあのあのをのこをのこおのこ子子ごこちこちこち寄寄よれれれととと召召めしししけれけれければばば、、、
- 5畏畏かしこまりまりまりててて高欄高欄こうらんのののつらつらつらににに參參まいりりりたりたりたりけれけれければばば、、、言言いひひいつるつるつる事事こと今今いま一一ひとかへりかへりかえり我我わにににいひいひいいててて聞聞きかせよかせよかせよととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば、、、酒壺酒壺さかつぼのののことことことををを今今いま一一ひとかへりかへりかえり申申もうしししけれけれければばば、、、我我わ率率いててていきいきいきててて見見みせよせよせよ、、、さささいふいふいうやうやうようありありありととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば、、、かしこくかしこくかしこくおそろしおそろしおそろしととと思思おもひひいけれけれけれどどどさるさるさるべきべきべきにににやややありありありけむけむけん、、、
- 6負負おひひい奉奉たてまつりりりててて下下くだるるるににに、、、便便びんなくなくなく人人ひと追追おひひいてててくらくらくらむむんととと思思おもひひいてててそのそのその夜夜よ勢多勢多せたののの橋橋はしのののもともともとにににこのこのこの宮宮みやをををすゑすゑすえ奉奉たてまつりりり、、、勢多勢多せたののの橋橋はしををを一一ひとまままばかりばかりばかり毀毀こぼちちちてててそれそれそれををを飛飛とびびびこえこえこえててて、、、このこのこの宮宮みやをををかきかきかき負負おひひい奉奉たてまつりりりててて七日七日なぬか七夜七夜ななよととといふいふいうににに武藏武藏むさしののの國國くににににいきいきいきつきつきつきけりけりけり。。。
- 7帝帝みかど后后きさき、、、みみみ子子こうせうせうせ給給たまひひいぬぬぬととと思思おぼししし惑惑まどひひい求求もとめめめ給給たまふふうににに、、、武藏武藏むさしののの國國くにののの衞士衞士えじのののをのこをのこおのこなむなむなんいといといとかうばしきかうばしきこうばしき物物ものををを頸頸くびににに引引ひきききかけかけかけててて飛飛とぶぶぶやうやうようににににげゝるにげゝるにげけるととと申申もうしししいでゝいでゝいでて、、、このこのこのをのこをのこおのこををを尋尋たずぬるぬるぬるににになかりなかりなかりけりけりけり。。。
- 8論論ろんなくなくなく元元もとののの國國くににににこそこそこそ行行ゆくくくらめらめらめととと公公おおやけよりよりより使使つかいくだりくだりくだりててて追追おふふうににに、、、勢多勢多せたののの橋橋はしのののこぼれこぼれこぼれてててえええ行行ゆきききやらやらやらずずず。。。
- 9三月三月みつきととといふいふいうににに武藏武藏むさしののの國國くににににいきいきいきつきつきつきてててこのこのこのをのこをのこおのこををを尋尋たずぬるぬるぬるににに、、、このこのこのみこみこみこ公公おおやけづかひづかひづかいををを召召めしししててて、、、我我わさるさるさるべきべきべきにににやややありありありけむけむけんこのこのこのをのこをのこおのこののの家家いえゆかしくゆかしくゆかしくててて率率いててて行行ゆけけけととといひいひいいしかしかしかばばば率率いてててきききたりたりたり、、、いみじくいみじくいみじくこゝこゝここありありありよくよくよく覺覺おぼゆゆゆ、、、
- 10このこのこのをのこをのこおのこ罪罪つみにににきうせきうせきゅうせられられらればばば我我わはははいかにいかにいかにあれあれあれどどど、、、此此これももも先先さきののの世世よにににこのこのこの國國くにににに跡跡あとをををたるたるたるべきべきべき宿世宿世すくせこそこそこそありありありけめけめけめ、、、はやはやはやかへりかへりかえりててて公公おおやけにににこのこのこの由由よしををを奏奏そうせよせよせよととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば、、、
- 11言言いははわむむんかたかたかたなくなくなくててて、、、のぼりのぼりのぼりててて帝帝みかどにににかくかくかくなむなむなんありありありつるつるつるととと奏奏そうしししけれけれければばば、、、いふかひなしいふかひなしいうかいなし、、、そのそのそのをのこをのこおのこををを罪罪つみしししてててももも今今いまはははこのこのこの宮宮みやををを取取とりりり返返かえししし都都みやこににに返返かへししし奉奉たてまつるるるべきべきべきにににもももあらあらあらずずず、、、
- 12竹芝竹芝たけしばのののをのこをのこおのこににに、、、生生いけけけらむらむらん世世よののの限限かぎり武藏武藏むさしののの國國くにをををあづけあづけあずけ取取とらせらせらせててて公公おおやけどもどもどもなさなさなさせせせじじじ、、、たゞたゞただ宮宮みやにににそのそのその國國くにををを預預あずけけけ奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふうよしよしよしののの宣旨宣旨せんじ下下くだりりりにににけれけれければばば、、、
- 13このこのこの家家いえををを內裏內裏だいりののの如如ごとくくく造造つくりりりてててすますますませせせ奉奉たてまつりりりけるけるける家家いえををを、、、宮宮みやなどなどなどうせうせうせ給給たまひひいにににけれけれければばば寺寺てらににになしなしなしたるたるたるををを竹芝寺竹芝寺たけしばでらととといふいふいうなりなりなり。。。そのそのその宮宮みやのののうみうみうみ給給たまへへえるるる子子こどもどもどもはははやがてやがてやがて武藏武藏むさしととといふいふいう姓姓しょうををを得得えてててなむなむなんありありありけるけるける。。。それそれそれよりよりよりのちのちのち火火ひたきたきたき屋屋やににに女女おんなはははゐるゐるいるなりなりなり」」」ととと語語かたるるる。。。
現代語訳
いよいよ武蔵の国に入った。とくに趣のある所も見えない。浜も砂が白いということもなく、泥のようで、紫草が生えると聞いていた野も、葦や荻ばかりが高く生えていて、馬に乗って弓を持った人の弓の先が見えないほど高く生い茂っている中を分けて行くと、竹芝という寺がある。
遠くに、ははそうふという所の、廊の跡の礎石などがある。「ここはどういう所か」とたずねると、「これは昔、竹芝という坂です。
この国の男がいたのを、(都の宮中の)火焚屋で火をたく衛士として差し出し申し上げたところ、(その男が)御前の庭を掃きながら、「どうしてこんな苦しい目を見るのだろう。わたしの国で、七つ三つと作り据えた酒壺に差し渡してある、ひたえの瓢箪の柄杓が、南風が吹けば北になびき、北風が吹けば南になびき、西風が吹けば東になびき、東風が吹けば西になびくのを見ていたのに、こんなところにいることよ」と、ひとりごとをつぶやいたのを、
そのとき、帝の御娘でたいそう大切に育てられていらっしゃった方が、ただ一人御簾のそばに出ていらっしゃって、柱に寄りかかってご覧になっていたが、この男がこのようにひとりごとを言うのをたいそう心ひかれて、どのような瓢箪がどのようになびくのだろうと、とても知りたくお思いになったので、御簾を押し上げて、「そこの男、こちらへ寄れ」とお呼びになったので、
(男が)かしこまって高欄のそばに参上したところ、「さっき言ったことを、もう一度わたしに言って聞かせよ」とおっしゃったので、酒壺のことをもう一度申し上げたところ、「わたしを連れて行って見せよ。そう言うわけがあるのです」とおっしゃったので、恐れ多くおそろしいと思ったけれど、そうなるはずの宿縁だったのだろうか、
(姫宮を)背負い申し上げて東国へ下ったが、きっと人が追ってくるだろうと思って、その夜、勢多の橋のたもとにこの宮をお下ろし申し上げ、勢多の橋を一間ほど壊して、そこを飛び越えて、この宮をふたたび背負い申し上げて、七日七夜かかって武蔵の国に行き着いた。
帝や后は、姫宮がいなくなってしまわれたとお嘆きになり、お探しになっていると、「武蔵の国の衛士の男が、たいそう香りのよいもの(姫宮)を首に引っかけて、飛ぶように逃げていきました」と申し出る者があって、この男を探させたが、(都には)いなかった。
きっと故郷の国へ行ったのだろうと、朝廷から使いが下って追ったが、勢多の橋が壊れていて、すぐには行くことができない。
三か月たって武蔵の国に行き着いて、この男を探しあてたところ、この姫宮が朝廷の使いをお呼びになって、「わたしは、そうなるはずの宿縁だったのでしょうか、この男の家を見たくて、連れて行けと言ったので、連れて来たのです。ここはたいそう住みよく思われます。
この男が罪に問われ罰せられたら、わたしはどうしたらよいのでしょう。これも前世で、この国に跡をとどめるはずの宿縁があったのでしょう。早く帰って、朝廷にこのことを奏上せよ」とおっしゃったので、
(使いは)言いようもなくて、都に上って帝に「このようなことでございました」と奏上したところ、(帝は)「しかたがない。その男を罰しても、今となってはこの宮を取り返して都にお戻し申し上げることもできない。
竹芝の男に、生きているあいだは武蔵の国を預けて治めさせ、公の務めはさせまい。ただ宮にその国をお預け申し上げなさる」という宣旨が下ったので、
この家を内裏のように造って(姫宮を)お住ませ申し上げたその家を、宮などが亡くなってしまわれたので寺にしたのを、竹芝寺というのです。その宮がお産みになった子どもたちは、そのまま武蔵という姓をもらって暮らしたのでした。それ以来、火焚屋には女が仕えるようになったのです」と語る。
意訳
期待していた武蔵野は、紫草の咲く歌の名所どころか、葦や荻が背丈より高く茂る荒野だった。歌や物語で聞いた土地と、実際の景色との落差に、少女の素直な驚きが表れている。
その荒野の中の寺の跡で聞いた伝説が、この章の中心である。故郷の酒壺と瓢箪の柄杓を懐かしむ衛士のひとりごとに、帝の姫宮が心を動かされ、「連れて行って見せよ」と命じる。身分を越えた逃避行は、まさに物語そのものである。
姫宮は追ってきた使いに、前世からの宿縁だと言い切り、武蔵での暮らしを選ぶ。帝もそれを認め、二人の子孫が武蔵の姓を名のったという結末は、土地の由来を語る伝説の形をとっている。
物語を夢見る少女にとって、この話は旅の中で出会った生きた物語だった。作者が長い伝説をほとんど聞いたままに書きとめていることからも、強く心に残ったことがうかがえる。
語釈・文法注
- 火たき屋
- 火焚屋。宮中で衛士が夜通しかがり火をたいて警備した小屋。衛士は諸国から交代で召し出された兵士。
文法
- 「さかなり」
- 底本は「竹芝といふさかなり」と書く。「さか」は坂と解した。
- 「ひたえの瓢」
- 「ひたえ」は直柄(まっすぐな柄)と解されるが、確かでない。瓢箪で作った柄杓。
- 「きうせられば」
- 「きうず」は勘ず(罪を問いただして罰する)の意と解した。罰せられたら。
- 「公どもなさせじ」
- 公の課役や務めを負わせまいの意。
- 「をのこ子」
- 男の子の意ではなく、身分の低い男を呼ぶことば。
解説
竹芝寺の伝説は、武蔵の国の地名や氏族の由来を語る説話で、都の女性が東国の男と結ばれる話として知られる。竹芝の地は今の東京都港区芝のあたりとする説があるが、確かではない。
作者は伝説を土地の人の語りの形のまま書きとめている。「かくてあるよ」とつぶやく衛士の望郷の思い、それに心を寄せる姫宮、橋を壊して追っ手を断つ逃避行と、話の運びは物語的で、物語を求めて上京する少女の心にかなうものだった。
勢多の橋は近江の瀬田川にかかる橋で、都から東国へ向かう道の要所である。この章の伝説は、のちに作者自身が京に入る前に渡る土地とも結びついている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、459–460頁(コマ241–242)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日