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平家物語 巻第九

坂おとしの事

生田の森では東国の諸党の武士と平家とが入り乱れて戦ったが、大手だけでは勝負がつかない。七日の明け方、鵯越に上った義経の三千余騎に驚いた鹿が一の谷へ駆け下り、平家は上の山からの敵を疑った。義経は試しに馬を落として三頭が無事に下りたのを見て、自ら先頭に立って駆け下る。釣瓶落としの岩場では佐原義連が「三浦の馬場」と言って先駆けし、全軍が続いた。鬨の声に山彦が答えて十万騎にも聞こえ、村上康国が火を放つと、平家の兵は海へ逃れ、船に取りすがって斬られる者も多かった。能登守教経も西へ落ち、屋島へ渡った。

  1. 1これこれこれををを始はじ始はじはじめめめててて三み三みみ浦うら浦うらうら、、、鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくら、、、秩ちゝ秩ちゝちち父ぶ父ぶぶ、、、足あし足あしあし利かゞ利かゞかが黨たう黨たうとうにににははは猪ゐの猪ゐのいの股また股またまた、、、兒こ兒ここ玉だま玉だまだま、、、野の野のの井ゐ井ゐい與よ與よよ、、、横よこ横よこよこ山やま山やまやま、、、西にし西にしにし黨たう黨たうとう、、、綴つゞ綴つゞつづ喜き喜きき黨たう黨たうとう、、、總そう總そうそうじじじててて私し私ししののの黨たう黨たうとうののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺい互たがひ互たがひたがいににに亂みだ亂みだみだれれれ合あ合ああひひい、、、をめきをめきおめき叫さけ叫さけさけぶぶぶ聲こゑ聲こゑこえははは山やま山やまやまををを響ひゞ響ひゞひびかしかしかし、、、馳は馳ははせせせ違ちが違ちがちがふふう馬むま馬むまうまののの音おと音おとおとははは雷いかづち雷いかづちいかずちののの如ごと如ごとごとくくく、、、射い射いい違ちが違ちがちがふるふるうる矢や矢ややははは雨あめ雨あめあめののの降ふ降ふふるるるににに異こと異ことことならならならずずず。。。或あるい或あるいあるいははは薄うす薄うすうす手で手でで負お負おおうううててて戰たゝか戰たゝかたたかふふう者もの者ものものもももありありあり、、、或あるい或あるいあるいははは引ひつ引ひつひっ組く組くくみみみ、、、さしさしさし違ちが違ちがちがへへえててて死し死ししぬるぬるぬるもももありありあり、、、或あるい或あるいあるいははは取と取ととつつっててて押おさ押おさおさへへえててて首くび首くびくびをををかくかくかくもももありありあり、、、かかるゝかかるゝかかるるもももありありあり、、、いづれいづれいずれ隙ひま隙ひまひまありありありとととももも見み見みみえええざりざりざりけりけりけり。。。
  2. 2斯か斯かかかりかりかりしかしかしかどもどもども源げん源げんげん氏じ氏じじ、、、大おほ大おほおお手て手ててばかりばかりばかりでででははは、、、いかにいかにいかにもももかなふかなふかなうべしべしべしとととももも見み見みみえええざりざりざりしにしにしに、、、七なぬ七なぬなぬ日か日かかののの曙あけぼの曙あけぼのあけぼのににに大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし義よし義よしよし經つね經つねつね、、、そのそのその勢せい勢せいせい三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、鵯ひよどり鵯ひよどりひよどり越ごえ越ごえごえににに打うち打うちうち上あが上あがあがつつっててて、、、人にん人にんにん馬ば馬ばばののの息いき息いきいきやすめやすめやすめててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、そのそのその勢せい勢せいせいにににややや驚おどろ驚おどろおどろきききたりたりたりけんけんけん、、、牡を牡をお鹿じか鹿じかじか二ふた二ふたふたつつつ牝め牝めめ鹿じか鹿じかじか一ひと一ひとひとつつつ、、、平へい平へいへい家け家けけののの城じやう城じやうじょう郭くわく郭くわくかく一いち一いちいちののの谷たに谷たにたにへへへぞぞぞ落お落おおちちちたりたりたりけるけるける。。。平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもどもこれこれこれををを見み見みみててて、、、「「「たとひたとひたとい里さと里さとさと近ちか近ちかちかからからからんんん鹿しか鹿しかしかだにだにだにももも、、、われわれわれらららににに恐おそ恐おそおそれれれててて山やま山やまやま深ふか深ふかふこうううこそこそこそ入い入いいるるるべきべきべきににに、、、たゞたゞただ今いま今いまいまののの鹿しか鹿しかしかののの落お落おおちちちやうやうようこそこそこそあやしけれあやしけれあやしけれ。。。いかさまいかさまいかさまにににもももこれこれこれははは上うへ上うへうえののの山やま山やまやまよりよりより敵かたき敵かたきかたき落おと落おとおとすすすにににこそこそこそ。。。」」」とてとてとて大おほ大おほおおきききににに騒さわ騒さわさわぐぐぐ所ところ所ところところににに、、、こゝこゝここににに伊い伊いい豫よ豫よよののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん高たけ高たけたけ市ち市ちちののの武む武むむ者しや者しやしゃ所どころ所どころどころ淸きよ淸きよきよ教のり教のりのり進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて、、、「「「たとひたとひたとい何なに何なになに者もの者ものものにてにてにてもももあらあらあらばばばあれあれあれ、、、敵かたき敵かたきかたきののの方かた方かたかたよりよりより出い出いいででで來きた來きたきたらららんんんずるずるずる者もの者ものものををを、、、通とほ通とほとおすすすべきべきべきやうやうようなしなしなし。。。」」」とてとてとて、、、牡を牡をお鹿じか鹿じかじか二ふた二ふたふたつつつ射い射いいとめとめとめててて、、、牝め牝めめ鹿じか鹿じかじかをををばばば射い射いいでででぞぞぞ通とほ通とほとおしししけるけるける。。。越ゑつ越ゑつえっ中ちう中ちうちゅうののの前ぜん前ぜんぜん司じ司じじこれこれこれををを見み見みみててて、、、「「「せんないせんないせんない殿との殿とのとのばらばらばらののの鹿しし鹿ししししののの射い射いいやうやうようかなかなかな。。。たゞたゞただ今いま今いまいまののの矢や矢やや一ひと一ひとひと筋すぢ筋すぢすじでででははは敵かたき敵かたきかたき十じふ十じふじゅう人にん人にんにんをををばばば防ふせ防ふせふせがががんんんずるずるずるものものものををを、、、罪つみ罪つみつみつくりつくりつくりににに矢や矢ややたふたふとうなななににに。。。」」」とととぞぞぞ制せい制せいせいしししけるけるける。。。
  3. 3さるさるさる程ほど程ほどほどににに大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん九く九くく郎らう郎らうろう御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし義よし義よしよし經つね經つねつね、、、平へい平へいへい家け家けけののの城じやう城じやうじょう郭くわく郭くわくかく遙はる遙はるはるかかかににに見み見みみ下おろ下おろおろしししててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、馬むま馬むまうま共ども共どもども落おと落おとおといいいててて見み見みみんんんとてとてとて、、、少せう少せうしょう々せう々せうしょう落おと落おとおとささされれれけりけりけり。。。或あるい或あるいあるいははは中なか中なかなかにてにてにて轉ころ轉ころころんんんででで落お落おおちちち、、、或あるい或あるいあるいははは足あし足あしあしうちうちうち折を折をおつつっててて死し死ししぬるぬるぬるもももありありあり。。。されどもされどもされどもそのそのその中なか中なかなかににに鞍くら鞍くらくら置おき置おきおき馬うま馬うまうま三さん三さんさん匹びき匹びきびき、、、相さう相さうそう違ゐ違ゐいなくなくなく落お落おおちちちついついついててて、、、越ゑつ越ゑつえっ中ちう中ちうちゅうののの前ぜん前ぜんぜん司じ司じじががが館やかた館やかたやかたののの前まへ前まへまえににに、、、身み身みみぶるひぶるひぶるいしてしてしてこそこそこそ立た立たたつつったりたりたりけれけれけれ。。。御おん御おんおん曹ざう曹ざうぞう司し司しし、、、「「「馬むま馬むまうまははは主ぬし主ぬしぬし々ぬし々ぬしぬしががが心こゝろ心こゝろこころ得え得ええててて落おと落おとおとさささんんんにににははは、、、痛いた痛いたいとうううははは損そん損そんそんずずずまじかりまじかりまじかりけるけるけるぞぞぞ。。。たゞたゞただ落おと落おとおとせせせ、、、義よし義よしよし經つね經つねつねををを手て手てて本ほん本ほんほんにににせせせよよよ。。。」」」とてとてとて、、、まづまづまず三さん三さんさん十じつ十じつじっ騎き騎ききばかりばかりばかり、、、まつまつまっ先さき先さきさきかけかけかけててて落おと落おとおとささされれれけれけれければばば、、、三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども、、、みなみなみな續つゞ續つゞつづいいいててて落おと落おとおとすすす。。。そこそこそこしもしもしも小こ小ここ石いし石いしいし交まじ交まじまじりりりののの砂まさご砂まさごまさごなりなりなりけれけれければばば、、、流なが流ながながれれれ落おと落おとおとしししににに二に二にに町ちやう町ちやうちょう許ばか許ばかばかりりりさつさつさっととと落おと落おとおといいいててて、、、壇だん壇だんだんなるなるなる所ところ所ところところににに控ひか控ひかひかへへえたりたりたり。。。それそれそれよりよりより下した下したしたををを見み見みみ渡わた渡わたわたせせせばばば、、、大だい大だいだい磐ばん磐ばんばん石じやく石じやくじゃくののの苔こけ苔こけこけむしむしむしたるたるたるががが、、、釣つる釣つるつる瓶べ瓶べべおろしおろしおろしににに十じふ十じふじゅう四し四しし五ご五ごご丈ぢやう丈ぢやうじょうぞぞぞ下くだ下くだくだつつったるたるたる。。。それそれそれよりよりより先さき先さきさきへへへははは進すゝ進すゝすすむむむべきべきべきとととももも見み見みみえええずずず。。。又また又またまた後うしろ後うしろうしろへへへ取と取ととつつってててかへすかへすかえすべきべきべきやうやうようもももなかりなかりなかりしかしかしかばばば、、、兵つはもの兵つはものつわものどもどもどもこゝこゝここぞぞぞ最さい最さいさい後ご後ごごととと申まう申まうもうしししててて、、、あきれあきれあきれててて控ひか控ひかひかへへえたるたるたる所ところ所ところところににに、、、三み三みみ浦うら浦うらうらののの佐さ佐ささ原はら原はらはらののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう義よし義よしよし連つら連つらつら、、、進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「われわれわれらららががが方かた方かたかたでででははは、、、鳥とり鳥とりとり一ひと一ひとひとつつつたつたつたってててだにだにだにももも、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆうかやうかやうかようののの所ところ所ところところをををばばば馳は馳ははせせせありありありけけけ。。。これこれこれははは三み三みみ浦うら浦うらうらののの方かた方かたかたののの馬ば馬ばば場ば場ばばぞぞぞ。。。」」」とてとてとて、、、まつまつまっ先さき先さきさきかけかけかけててて落おと落おとおとしししけれけれければばば、、、大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいみなみなみな續つゞ續つゞつづいいいててて落おと落おとおとすすす。。。後ご後ごご陣ぢん陣ぢんじんににに落おと落おとおとすすす者もの者ものものののの鐙あぶみ鐙あぶみあぶみののの鼻はな鼻はなはなははは、、、先せん先せんせん陣ぢん陣ぢんじんののの鎧よろひ鎧よろひよろい兜かぶと兜かぶとかぶとにににさはるさはるさわる程ほど程ほどほどなりなりなり。。。あまりあまりあまりのののいぶせさいぶせさいぶせさににに、、、目め目めめををを塞ふさ塞ふさふさいいいででで落おと落おとおとしししけるけるける。。。えい〳〵えい〳〵えいえい聲ごゑ聲ごゑごえをををしのびしのびしのびにににしてしてして、、、馬むま馬むまうまににに力ちから力ちからちからをををつけつけつけててて落おと落おとおとすすす。。。大おほ大おほおお方かた方かたかた人ひと人ひとひとのののしわざしわざしわざとととははは見み見みみえええずずず、、、たゞたゞただ鬼き鬼きき神じん神じんじんののの所しよ所しよしょ爲ゐ爲ゐいとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。落おと落おとおとしししもももはてはてはてぬぬぬににに、、、鬨とき鬨ときときをををどつどつどっとととぞぞぞつくりつくりつくりけるけるける。。。三さん三さんさん千ぜん千ぜんぜん餘よ餘よよ騎き騎ききががが聲こゑ聲こゑこえなれなれなれどもどもども、、、山やま山やまやま彥びこ彥びこびこ答こた答こたこたへへえててて十じふ十じふじゅう萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええけるけるける。。。
  4. 4村むら村むらむら上かみ上かみかみののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん代だい代だいだい康やす康やすやす國くに國くにくにががが手て手ててよりよりより火ひ火ひひををを出いだ出いだいだいいいててて、、、平へい平へいへい家け家けけののの屋や屋やや形かた形かたかた假かり假かりかり屋や屋ややををを、、、片へん片へんへん時じ時じじののの煙けぶり煙けぶりけぶりととと燒や燒ややききき拂はら拂はらはらふふう。。。黑くろ黑くろくろ煙けぶり煙けぶりけぶり既すで既すですでにににおしおしおしかゝりかゝりかかりけれけれければばば、、、平へい平へいへい家け家けけののの兵つはもの兵つはものつわもの共ども共どもども、、、もしやもしやもしや助たす助たすたすかるかるかるととと、、、前まへ前まへまえなるなるなる海うみ海うみうみへへへぞぞぞ多おほ多おほおおくくく走はし走はしはしりりり入い入いいりりりけるけるける。。。渚なぎさ渚なぎさなぎさにににははは助たすけ助たすけたすけ船ぶね船ぶねぶねどもどもどもいくらいくらいくらもももありありありけれけれけれどもどもども、、、船ふね船ふねふね一いつ一いついっ艘さう艘さうそうにににははは鎧よろひ鎧よろひよろいうたるうたるうたる者もの者ものものどもどもどもががが四し四しし五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく人にん人にんにん、、、千せん千せんせん人にん人にんにんばかりばかりばかりこみこみこみ乘の乘ののつつったらたらたらうううににに、、、なじかなじかなじかはははよかるよかるよかるべきべきべき、、、渚なぎさ渚なぎさなぎさよりよりより三さん三さんさん町ちやう町ちやうちょうばかりばかりばかり漕こ漕ここぎぎぎ出い出いいでででててて、、、目め目めめののの前まへ前まへまえにてにてにて大おほ大おほおお船ぶね船ぶねぶね三さん三さんさん艘ざう艘ざうぞう沉しづ沉しづしずみみみにににけりけりけり。。。そのそのその後のち後のちのちはははよきよきよき武む武むむ者しや者しやしゃをををばばば乘の乘ののするするするとととももも、、、雜ざふ雜ざふぞう人にん人にんにんばらばらばらをををばばば乘の乘ののすすすべからべからべからずずずとてとてとて、、、太た太たた刀ち刀ちち、、、長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなたにてにてにて打うち打うちうち拂はら拂はらはらひひいけりけりけり。。。かくかくかくするするする事こと事ことこととととははは知し知ししりりりながらながらながら、、、敵かたき敵かたきかたきにににあうあうおうてててははは死し死ししなななずずずしてしてして、、、乘の乘ののせせせじじじとととするするする船ふね船ふねふねににに取と取ととりりりつきつきつき、、、つかみつかみつかみつきつきつき、、、或あるい或あるいあるいははは臂ひぢ臂ひぢひじうちうちうち斬き斬ききららられれれ、、、或あるい或あるいあるいははは腕うで腕うでうでうちうちうち落おと落おとおとささされれれててて、、、一いち一いちいちののの谷たに谷たにたにののの汀みぎは汀みぎはみぎわににに朱あけ朱あけあけににになつなつなってててぞぞぞなみなみなみ伏ふ伏ふふしししたるたるたる。。。
  5. 5さるさるさる程ほど程ほどほどににに追おふ追おふおう手て手ててにににももも、、、濱はま濱はまはまののの手て手ててにににももも、、、武む武むむ藏さし藏さしさし、、、相さが相さがさが摸み摸みみののの若わか若わかわか殿との殿とのとのばらばらばら、、、面おもて面おもておもてもももふらふらふらずずず、、、命いのち命いのちいのちももも惜を惜をおしましましまずずず、、、こゝこゝここををを最さい最さいさい後ご後ごごととと攻せ攻せせめめめ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのははは度たび度たびたび々たび々たびたびののの軍いくさ軍いくさいくさににに、、、一いち一いちいち度ど度どどももも不ふ不ふふ覺かく覺かくかくししし給たま給たまたまははわぬぬぬ人ひと人ひとひとののの、、、今こん今こんこん度ど度どどはははいかゞいかゞいかが思おも思おもおもははわれれれけんけんけん。。。薄うす薄うすうす墨ずみ墨ずみずみととといふいふいう馬むま馬むまうまににに打うち打うちうち乘の乘ののつつっててて、、、西にし西にしにしをををさしさしさしてててぞぞぞ落お落おおちちち給たま給たまたまふふう。。。播はり播はりはり磨ま磨ままののの高たか高たかたか砂さご砂さごさごよりよりより御おん御おんおん船ふね船ふねふねににに召め召めめしししててて、、、讚さぬ讚さぬさぬ岐き岐ききののの八や八やや島しま島しましまへへへ渡わた渡わたわたりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

これを手始めに、三浦・鎌倉・秩父・足利の党には猪俣・児玉・野井与・横山・西党・綴喜党と、すべて私の党の兵たちが、源平互いに入り乱れ、わめき叫ぶ声は山を響かせ、馳せ違う馬の音は雷のようで、射違える矢は雨が降るのと変わらない。薄手を負って戦う者もあり、組み合って刺し違えて死ぬ者もあり、取り押さえて首をかく者もあり、かかられる者もあり、どちらにもすきがあるとは見えなかった。

けれども源氏は、大手だけではとても勝てそうに見えなかったところに、七日の明け方、大将軍九郎御曹司義経はその勢三千余騎で鵯越に上って、人馬の息を休めておられたが、その軍勢に驚いたのであろうか、牡鹿が二頭と牝鹿が一頭、平家の城郭の一の谷へ駆け下りてきた。平家の方の兵たちはこれを見て、「たとえ里近くにいる鹿でも、われらを恐れて山奥へ入るはずなのに、今の鹿の下り方は怪しい。きっとこれは上の山から敵が攻め下りてくるのだ」といって大いに騒いでいるところに、伊予国の住人高市武者所清教が進み出て、「たとえ何者であろうと、敵の方から出てくるものを通すわけにはいかない」といって、牡鹿二頭を射止めて、牝鹿は射ずに通した。越中前司(盛俊)はこれを見て、「つまらない殿ばらの鹿の射方よ。今の矢一本で敵十人を防げたものを。罪作りに矢を無駄にするな」と止めた。

そうするうちに、大将軍九郎御曹司義経は平家の城郭をはるかに見下ろしておられたが、馬を落としてみようといって、何頭か落とされた。途中で転んで落ちるものもあり、足を折って死ぬものもある。けれどもその中で鞍を置いた馬三頭が無事に下りついて、越中前司の館の前で身震いして立っていた。御曹司は「馬は乗り手がそれぞれ心得て落とせば、ひどく損じることはなさそうだ。ただ落とせ。義経を手本にせよ」といって、まず三十騎ほどで真っ先に駆け下られたので、三千余騎の兵たちもみな続いて駆け下りた。そこは小石まじりの砂地だったので、滑り落ちるように二町ほどさっと駆け下りて、平らな段になった所に控えた。そこから下を見渡すと、大きな岩の苔むしたのが、釣瓶を落とすように十四、五丈もまっすぐに下っている。そこから先へは進めそうにも見えない。また後ろへ引き返すこともできないので、兵たちはここが最後だと言って、あきれて控えていたところに、三浦の佐原十郎義連が進み出て申すには、「われらの方では、鳥一羽立つのを追うにも、朝夕このような所を駆け回っている。これは三浦の方の馬場だ」といって、真っ先に駆け下りたので、大勢もみな続いて駆け下りた。後ろから駆け下りる者の鐙の先は、前の者の鎧や兜に触れるほどである。あまりの恐ろしさに目をふさいで駆け下りた。えいえいと声を殺して馬に力をつけて駆け下りる。およそ人のしわざとは見えず、ただ鬼神の所業と見えた。駆け下り終わらないうちに、鬨の声をどっとあげた。三千余騎の声であったが、山彦が答えて十万余騎のように聞こえた。

村上判官代康国の手勢から火を放って、平家の屋形や仮屋を、たちまち煙にして焼き払った。黒煙がもう押しかかってきたので、平家の兵たちは、もしや助かるかと、前の海へ大勢走りこんだ。渚には助け船がいくらもあったが、一艘の船に鎧を着た者が四、五百人、千人ほども乗りこんだのだから、どうしてたまろうか、渚から三町ほど漕ぎ出したところで、目の前で大船三艘が沈んでしまった。その後は、よい武者は乗せても雑人どもは乗せてはならないといって、太刀や長刀で打ち払った。そうされると知りながら、敵に会って死ぬことはせずに、乗せまいとする船に取りつき、つかみつき、肘を斬られ、腕を斬り落とされて、一の谷の水際に血まみれになって並び伏していた。

そうするうちに、追手(大手)でも浜の手でも、武蔵・相模の若殿ばらが、わき目もふらず、命も惜しまず、ここを最後と攻め戦った。能登殿は、たびたびの戦で一度も不覚をとったことのない人であったが、今度はどう思われたのであろうか、薄墨という馬に乗って、西をさして落ちて行かれた。播磨の高砂から御船に乗って、讃岐の屋島へ渡られた。

意訳

義経の鵯越の坂落としを語る、一の谷合戦の頂点となる章段である。鹿の逃げ下りる姿に平家が不審を抱く場面、試しに馬を落としてみる義経の慎重さ、「三浦の方の馬場ぞ」と言って先駆けする佐原義連の豪胆さが重ねられ、「たゞ鬼神の所爲」と言われる奇襲が描き出される。

背後を突かれた平家は総崩れとなり、海へ逃れようとして船に取りすがった者たちが、味方に斬り払われて渚に倒れる。不敗の猛将能登守教経さえ西へ落ちたという結びは、一の谷での平家の敗北の大きさを物語っている。

語釈・文法注

文法

「かかるゝもあり」
底本どおり。敵にかかられる(討たれる)者もある、の意か。
「矢たふなに」
「矢たうな」の意。矢を無駄にするな。「たう」は「費ゆ(つひゆ)」の意か。
「釣瓶おろし」
釣瓶を井戸に落とすように、まっすぐに切り立っているさま。
「鳥一つたつてだにも」
鳥一羽が飛び立つのを追うのでさえも。
「山彦答へて」
こだまが響き返して。
「朱になつて」
血まみれになって。

解説

一の谷の合戦は寿永三年(1184)二月七日に行われた。義経の坂落としの場所は、鵯越(神戸市兵庫区・北区)とする説と、一の谷の背後の鉄拐山(神戸市須磨区)とする説とがある。『吾妻鏡』は義経が鵯越から攻めたと記すが、『玉葉』には一の谷を攻め落としたのは義経の軍とある。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、683–686頁(コマ370–372)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日