平家物語 巻第十一
弓流の事
扇が射落とされたのに感じて船上で舞った年配の武者を、与一は義経の命で射倒した。平家は怒って武者三人を渚に上げ、美尾屋十郎ら五騎が駆け向かうと、十郎は馬を射られ、長刀の武者に兜の錏を引きちぎられて逃げた。武者は錏を長刀の先に掲げ、悪七兵衛景清と名のった。勢いづいた平家は二百余人で楯を並べたが、義経の八十余騎に蹴散らされて船に逃げた。乱戦の中で義経は弓を海に落とし、味方が止めるのも聞かず鞭でかき寄せて拾い上げた。弱い弓を敵に取られて嘲られるのが惜しかったのだと言い、人々は感じ入った。その夜、疲れきった源氏の陣に平家の夜討ちはなく、平家の運の尽きであった。
- 1あまりあまりあまりのののおもしろおもしろおもしろさささににに感感かんににに堪堪たへへえずずずやややおもひおもひおもいけんけんけん、、、船船ふねののの中中なかよりよりより年年としののの齡齡よわい五五ご十十じゅう許許ばかりりりなるなるなる男男おとこののの黑黑くろ革革かわ縅縅おどしののの鎧鎧よろい著著きたるたるたるががが、、、白白しら柄柄えののの長長なぎ刀刀なた杖杖つえにににつきつきつき、、、扇扇おうぎ立立たてててたるたるたる所所ところににに立立たつつっててて舞舞まひひいすましすましすましたりたりたり。。。伊伊い勢勢せののの三三さぶ郎郎ろう義義よし盛盛もり、、、與與よ一一いちががが後後うしろににに歩歩あゆままませせせ寄寄よつつっててて、、、「「「御御ご諚諚じょうででであるあるあるぞぞぞ、、、これこれこれをををもももまたまたまた仕仕つかまつれれれ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、與與よ一一いち今今こん度度どははは中中なか差差ざし取取とつつってててつがひつがひつがい、、、よつよつよっぴいぴいぴいててて、、、ひようひようひょうととと放放はなつつつ。。。舞舞まひひいすましすましすましたるたるたる男男おとこのののまつまつまつたゞたゞただ中中なかををを、、、ひようつばひようつばひょうつばととと射射いててて、、、船船ふな底底ぞこへへへまつまつまつさかさまさかさまさかさまににに射射い倒倒たおすすす。。。あゝあゝああ射射いたりたりたりととといふいふいう人人ひともももありありあり、、、いやいやいやいやいやいや情情なさけけけなしなしなしととといふいふいう者者ものももも多多おおかりかりかりけりけりけり。。。平平へい家家けののの方方かたにににははは靜靜しずまりまりまり返返かえつつっててて音音おともももせせせずずず。。。源源げん氏氏じはははまたまたまた箙箙えびらをををたゝいたゝいたたいてててどよめきどよめきどよめきけりけりけり。。。
- 2平平へい家家けこれこれこれををを本本ほ意意いなしなしなしとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、弓弓ゆみ持持もつつっててて一一ひと人人り、、、楯楯たてついついついててて一一ひと人人り、、、長長なぎ刀刀なた持持もつつっててて一一ひと人人り、、、武武む者者しゃ三三さん人人にん渚渚なぎさににに上上あがりりり、、、源源げん氏氏じこゝこゝここををを寄寄よせせせよよよやややとととぞぞぞ招招まねきききけるけるける。。。判判ほう官官がん、、、「「「やすからやすからやすからぬぬぬ事事ことなりなりなり。。。馬馬うま強強づよならならならんんん若若わか黨黨とうどもどもども、、、馳馳はせせせ寄寄よせせせててて蹴蹴け散散ちらせらせらせ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、武武む藏藏さしののの國國くにののの住住じゅう人人にん美美み尾尾おののの屋屋やののの十十じゅう郎郎ろう、、、おなじきおなじきおなじき四四し郎郎ろう、、、おなじきおなじきおなじき藤藤とう七七しち、、、上上こう野野づけののの國國くにののの住住じゅう人人にん丹丹に生生うののの四四し郎郎ろう、、、信信しな濃濃のののの國國くにののの住住じゅう人人にん木木き曾曾そののの中中ちゅう次次じ、、、五五ご騎騎きつれつれつれててて、、、をめいをめいおめいててて驅驅かくくく。。。まづまづまず楯楯たてののの陰陰かげよりよりより、、、塗塗ぬり篦篦のににに黑黑くろほろほろおろはいはいはいだるだるだる大大だいののの矢矢やををを持持もつつっててて、、、まつまつまつさきさきさきににに進進すすんんんだるだるだる、、、美美み尾尾おののの屋屋やののの十十じゅう郎郎ろうががが馬馬むまののの左左ひだりのののむながいむながいむながいづくしづくしずくしををを、、、筈筈はずのののかくるゝかくるゝかくるる程程ほどにににぞぞぞ射射いこうこうこうだるだるだる。。。屏屏びょう風風ぶををを返返かえすすすやうやうようににに、、、馬馬むまはははどうどうどうととと倒倒たおるれるれるればばば、、、主主ぬしははは弓弓ゆん手手でののの足足あしををを越越こえええ、、、馬馬め手手てののの方方かたへへへ下下おりりり立立たつつっててて、、、やがてやがてやがて太太た刀刀ちをををぞぞぞ拔拔ぬいいいたりたりたりけるけるける。。。
- 3またまたまた楯楯たてののの陰陰かげよりよりより、、、大大おお長長なぎ刀刀なた打打うち振振ふつつってててかゝりかゝりかかりけれけれければばば、、、美美み尾尾おののの屋屋やののの十十じゅう郎郎ろう、、、小小こ太太だ刀刀ち、、、大大おお長長なぎ刀刀なたにににかなはかなはかなわじじじとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、かいかいかいふいふいふいててて逃逃にげげげけれけれければばば、、、やがてやがてやがて續續つづいいいててて追追おつつっかけかけかけたりたりたり。。。長長なぎ刀刀なたにににててて薙薙ながががんんんずるずるずるかかかととと見見みるるる所所ところににに、、、さささはははなくなくなくしししててて、、、長長なぎ刀刀なたをををばばば弓弓ゆん手手でののの脇脇わきにににかいかいかい挾挾はさみみみ、、、馬馬め手手てののの手手てをををさしさしさしのべのべのべててて、、、美美み尾尾おののの屋屋やののの十十じゅう郎郎ろうががが兜兜かぶとののの錏錏しころををを摑摑つかまうまうもうとととすすす。。。摑摑つかまままれれれまじまじまじととと逃逃にぐるぐるぐる。。。三三さん度度どつかみつかみつかみはづいはづいはずいててて、、、四四よ度度どのののたびたびたびむずむずむずととと摑摑つかむむむ。。。しばししばししばしぞぞぞたまつたまつたまっててて見見みえええししし。。。鉢鉢はち附附つけののの板板いたよりよりより、、、ふつふつふっととと引引ひき切切きつつってててぞぞぞ逃逃にげげげたりたりたりけるけるける。。。殘殘のこりりり四四し騎騎きははは馬馬むまををを惜惜おしうしうしゅうでででかけかけかけずずず、、、見見けん物物ぶつしししてててぞぞぞゐゐいたりたりたりけるけるける。。。美美み尾尾おののの屋屋やののの十十じゅう郎郎ろうははは御御み方方かたののの馬馬むまののの陰陰かげににに逃逃にげげげ入入いつつっててて、、、息息いきつぎつぎつぎゐゐいたりたりたり。。。敵敵かたきははは追追おうううてててももも來來こずずず。。。そのそのその後後のち、、、兜兜かぶとののの錏錏しころをををばばば長長なぎ刀刀なたののの先先さきににに貫貫つらぬききき、、、高高たかくくくさしさしさし上上あげげげ大大だい音音おん聲聲じょうをををあげあげあげててて、、、「「「遠遠とおからからからんんん者者ものははは音音おとにににももも聞聞きけけけ、、、近近ちかくくくばばば目目めにににももも見見みたまへたまへたまえ、、、これこれこれこそこそこそ京京きょう童童わらんべののの呼呼よぶぶぶなるなるなる上上かず總總さののの惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞え景景かげ淸淸きよよよよ。。。」」」ととと名名な乘乘のりりり棄棄すてててててて、、、御御み方方かたののの楯楯たてののの陰陰かげへへへぞぞぞ退退のきききにににけるけるける。。。
- 4平平へい家家けこれこれこれににに少少すこししし心心ここちちちををを直直なおしししててて、、、「「「惡惡あく七七しち兵兵びょう衞衞え討討うたたたすすすななな者者ものどもどもども、、、景景かげ淸淸きよ討討うたたたすすすななな續續つづけけけややや。。。」」」とととててて、、、二二に百百ひゃく餘餘よ人人にん渚渚なぎさににに上上あがりりり、、、楯楯たてををを雌雌めん鳥鳥どり羽羽ばにににつきつきつき竝竝ならべべべ、、、源源げん氏氏じこゝこゝここををを寄寄よせせせよよよやややとととぞぞぞ招招まねいいいたるたるたる。。。判判ほう官官がんやすからやすからやすからぬぬぬ事事ことなりなりなりとととててて、、、田田た代代しろののの冠冠かん者者じゃををを先先さきににに立立たててて、、、後後ご藤藤とう兵兵びょう衞衞え父父ふ子子し、、、金金かね子子こ兄兄きょう弟弟だいををを弓弓ゆん手手で馬馬め手手てににになしなしなし、、、伊伊い勢勢せののの三三さぶ郎郎ろうををを後後うしろとととしししててて、、、判判ほう官官がん八八はち十十じゅう餘餘よ騎騎きをめいをめいおめいててて先先さきをををかけかけかけ給給たまへへえばばば、、、平平へい家家けののの方方かたにににははは馬馬むまににに乘乘のつつったるたるたる勢勢せいははは少少すくなししし、、、大大たい畧畧りやく徒徒かち武武む者者しゃなりなりなりけれけれければばば、、、馬馬むまににに當當あてててられられられじじじとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、しばししばししばしもももたまらたまらたまらずずず引引ひき退退しりぞききき、、、みなみなみな船船ふねにににぞぞぞ乘乘のりりりにににけるけるける。。。楯楯たてははは算算さんををを散散ちらしらしらしたるたるたるやうやうようににに、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに蹴蹴け散散ちらさらさらさるるる。。。源源げん氏氏じ勝勝かつつつににに乘乘のつつっててて、、、馬馬むまののの太太ふと腹腹はらつかるつかるつかるほどほどほどににに、、、打打うち入入いれ〳〵れ〳〵れうちいれ攻攻せめめめ戰戰たたかふふう。。。船船ふねののの中中なかよりよりより熊熊くま手手で、、、薙薙ない鎌鎌がまをををもつもつもっててて、、、判判ほう官官がんののの兜兜かぶとののの錏錏しころにににからり〳〵からり〳〵からりからりととと打打うちちちかけ〳〵かけ〳〵かけうちかけ、、、二二に三三さん度度どしししけれけれけれどもどもども、、、御御み方方かたののの兵兵つわものどもどもども、、、太太た刀刀ち、、、長長なぎ刀刀なたののの先先さきにににててて、、、打打うち拂拂はらひ〳〵ひ〳〵いうちわらい攻攻せめめめ戰戰たたかふふう。。。
- 5されどもされどもされどもいかゞいかゞいかがはははししし給給たまひひいたりたりたりけんけんけん、、、判判ほう官官がん弓弓ゆみををを取取とり落落おとささされれれぬぬぬ。。。うつうつうつ伏伏ぶししし、、、鞭鞭むちをををもつもつもってててかきかきかき寄寄よせせせ、、、取取とらららん〳〵ん〳〵んんとととしししたまへたまへたまえばばば、、、御御み方方かたののの兵兵つわものどもどもども、、、「「「たゞたゞただ捨捨すてててさせさせさせ給給たまへ〳〵へ〳〵えたまえ。。。」」」ととと申申もうしししけれけれけれどもどもども、、、遂遂ついににに取取とつつっててて笑笑わろうううてててぞぞぞ歸歸かえららられれれけるけるける。。。おとなおとなおとな共共どもははは皆皆みな爪爪つまはじきはじきわじきをををしししててて、、、「「「たとひたとひたとい千千せん疋疋びき萬萬まん疋疋びきにににかへかへかへさせさせさせ給給たまふふうべきべきべき御御おんたらしたらしたらしなりなりなりととと申申もうすすすともともとも、、、いかでいかでいかでかかか御御おん命命いのちにににはははかへかへかへさせさせさせ給給たまふふうべきべきべきかかか。。。」」」ととと申申もうしししけれけれければばば、、、判判ほう官官がん、、、「「「弓弓ゆみののの惜惜おしさしさしさにににももも取取とらららばばばこそこそこそ。。。義義よし經經つねががが弓弓ゆみととといはいはいわばばば、、、二二ふた人人りしししてててももも張張はりりり、、、もしもしもしははは三三さん人人にんしししてててももも張張はりりり、、、叔叔お父父じ爲爲ため朝朝ともなどなどなどががが弓弓ゆみのののやうやうようならならならばばば、、、わざとわざとわざとももも落落おといいいててて取取とらすらすらすべしべしべし。。。尫尫おう弱弱じゃくなるなるなる弓弓ゆみををを敵敵かたきののの取取とりりり持持もつつっててて、、、これこれこれこそこそこそ源源げん氏氏じののの大大たい將將しょう軍軍ぐん九九く郎郎ろう義義よし經經つねががが弓弓ゆみよよよなどなどなど、、、嘲嘲ちょう弄弄ろうせせせられられられんんんががが惜惜おしさしさしさににに、、、命命いのちにににかへかへかへててて取取とつつったるたるたるぞぞぞかしかしかし。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、皆皆みなまたまたまたこれこれこれをををぞぞぞ感感かんじじじけるけるける。。。
- 6一一いち日日にち戰戰たたかひひい暮暮くらししし、、、夜夜よににに入入いりりりけれけれければばば、、、平平へい家家けののの船船ふねははは沖沖おきににに浮浮うかびびび、、、源源げん氏氏じははは陸陸くがににに打打うち上上あがつつっててて、、、牟牟む禮禮れ高高たか松松まつののの中中なかなるなるなる野野の山山やまににに陣陣じんをををぞぞぞ取取とつつったりたりたりけるけるける。。。源源げん氏氏じののの兵兵つわもの共共どもはははこのこのこの三三みつ日日かががが閒閒あいだははは寢寢ねざりざりざりけりけりけり。。。一昨日一昨日おととい攝攝つ津津のののの國國くに渡渡わた邊邊なべ、、、福福ふく島島しまををを出出いづるづるずるとてとてとて、、、大大おお風風かぜ大大おお波波なみにににゆらゆらゆられれれてててまどろままどろままどろまずずず、、、昨日昨日きのう阿阿あ波波わののの國國くに勝勝かつ浦浦うらににに著著ついいいててて軍軍いくさししし、、、夜夜よもすがらもすがらもすがら中中なか山山やま越越こえええ、、、今日今日きょうまたまたまた一一いち日日にち戰戰たたかひひい暮暮くらしししたりたりたりけれけれければばば、、、人人ひとももも馬馬むまもももみなみなみな疲疲つかれれれはてはてはてててて、、、或或あるいははは兜兜かぶとををを枕枕まくらにににししし、、、或或あるいははは鎧鎧よろいののの袖袖そで、、、箙箙えびらなどなどなどををを枕枕まくらとととしししててて、、、前前ぜん後後ごももも知知しらららずずずぞぞぞ臥臥ふしししにににけるけるける。。。されどもされどもされどもそのそのその中中なかににに、、、判判ほう官官がんととと伊伊い勢勢せののの三三さぶ郎郎ろうははは寢寢ねざりざりざりけりけりけり。。。判判ほう官官がんははは高高たかききき所所ところににに打打うち上上あがつつっててて、、、敵敵かたきややや寄寄よするするするととと遠遠とお見見みししし給給たまふふう。。。伊伊い勢勢せののの三三さぶ郎郎ろうはははくぼきくぼきくぼき所所ところににに隱隱かくれれれゐゐいててて、、、敵敵かたき寄寄よせせせばばばまづまづまず馬馬むまののの太太ふと腹腹はら射射いんんんとととててて、、、待待まちちちかけかけかけたりたりたり。。。平平へい家家けののの方方かたにににははは能能の登登と殿殿どのををを大大たい將將しょう軍軍ぐんとととしししててて、、、そのそのその夜夜よ夜夜よ討討うちにににせせせんんんととと支支し度度たくせせせられられられたりたりたりけれけれけれどもどもども、、、越越えっ中中ちゅうののの次次じ郎郎ろう兵兵びょう衞衞えととと江江え見見みののの次次じ郎郎ろうががが先先せん陣陣じんををを爭爭あらそふふう程程ほどににに、、、そのそのその夜夜よももも空空むなしくしくしく明明あけけけにににけりけりけり。。。寄寄よせせせたりたりたりせせせばばば、、、源源げん氏氏じなじかはなじかはなじかわたまるたまるたまるべきべきべき、、、寄寄よせせせざりざりざりけるけるけるこそこそこそ、、、せめてせめてせめてののの運運うんのののきはめきはめきわめなれなれなれ。。。
現代語訳
あまりのおもしろさに感に堪えなかったのであろうか、船の中から年のころ五十ほどの男で、黒革縅の鎧を着た者が、白柄の長刀を杖について、扇を立ててあった所に立って舞い澄ました。伊勢三郎義盛が与一の後ろに馬を歩ませ寄って、「ご命令だぞ。これも射よ」と言ったので、与一は今度は中差を取ってつがえ、引きしぼってひょうと放つ。舞い澄ましていた男の真ん中をひょうふっと射て、船底へまっさかさまに射倒した。「ああ、よく射た」と言う人もあり、「いやいや、情けないことだ」と言う者も多かった。平家方は静まりかえって音も立てない。源氏はまた箙をたたいてどよめいた。
平家はこれを残念に思ったのか、弓を持って一人、楯をついて一人、長刀を持って一人、武者が三人渚に上がり、「源氏よ、ここへ寄せてこい」と招いた。判官は、「腹の立つことだ。馬の強い若党ども、馳せ寄せて蹴散らせ」とおっしゃったので、武蔵国の住人美尾屋十郎、同じく四郎、同じく藤七、上野国の住人丹生四郎、信濃国の住人木曾中次の五騎が連れだって、わめいて駆けた。まず楯の陰から、塗篦に黒保呂の羽を矧いだ大きな矢を持って、まっ先に進んだ美尾屋十郎の馬の左の胸繋のあたりを、矢筈が隠れるほど深く射こんだ。屏風を倒すように馬がどうと倒れたので、主は左足を越えて右側へ下り立ち、すぐに太刀を抜いた。
また楯の陰から大長刀を振り回して打ってかかったので、美尾屋十郎は、小太刀では大長刀にかなわないと思ったのか、身をかがめて逃げたところ、すぐに続いて追いかけた。長刀で薙ぐのかと見ていると、そうではなく、長刀を左の脇に挟みこみ、右の手を差し伸べて、美尾屋十郎の兜の錏をつかもうとする。つかまれまいと逃げる。三度つかみそこねて、四度目にむずとつかんだ。しばらくは持ちこたえているように見えたが、鉢付の板からふっと引きちぎって逃げた。残りの四騎は馬を惜しんで駆けず、見物していた。美尾屋十郎は味方の馬の陰に逃げこんで、息を継いでいた。敵は追ってもこない。その後、兜の錏を長刀の先に貫いて高く差し上げ、大音声をあげて、「遠い者は音にも聞け、近い者は目にも見よ。これこそ京童が呼ぶという上総の悪七兵衛景清だ」と名のり捨てて、味方の楯の陰へ退いた。
平家はこれに少し気をとり直して、「悪七兵衛を討たせるな、者ども。景清を討たせるな、続け」といって、二百余人が渚に上がり、楯を雌鳥羽に並べ立てて、「源氏よ、ここへ寄せてこい」と招いた。判官は腹の立つことだといって、田代冠者を先に立て、後藤兵衛父子・金子兄弟を左右に置き、伊勢三郎を後ろにして、八十余騎でわめいて先駆けなさると、平家方は馬に乗った者は少なく、大部分が徒歩の武者だったので、馬に蹴られまいと思ったのか、少しも持ちこたえられずに退いて、みな船に乗ってしまった。楯は算木を散らしたように、さんざんに蹴散らされた。源氏は勝ちに乗じて、馬の太腹がつかるほどまで海に打ち入って攻め戦った。船の中から熊手や薙鎌で、判官の兜の錏にからりからりと引っかけること二、三度に及んだが、味方の兵たちが太刀や長刀の先で打ち払い打ち払い攻め戦った。
けれどもどうなさったのか、判官は弓を海に取り落とされた。身をかがめ、鞭でかき寄せて取ろう取ろうとなさるので、味方の兵たちは「ただお捨てなさい、お捨てなさい」と申したけれども、とうとう取り上げて笑って帰られた。年配の者たちはみな爪はじきをして、「たとえ千疋万疋にも替えられる御弓だと申しても、どうしてお命に替えられましょうか」と申したので、判官は、「弓が惜しくて取ったのではない。義経の弓が、二人でも張り、三人でも張るような、叔父の為朝などの弓のようなものなら、わざと落としてでも取らせよう。弱い弓を敵が取って、これこそ源氏の大将軍九郎義経の弓だなどと嘲られるのが残念なので、命にかえて取ったのだ」とおっしゃったので、人々はまたこれに感じ入った。
一日戦い暮らして夜になったので、平家の船は沖に浮かび、源氏は陸に上がって、牟礼と高松の間の野山に陣を取った。源氏の兵たちはこの三日間眠っていなかった。一昨日は摂津国渡辺・福島を出るときに大風大波に揺られてまどろまず、昨日は阿波国勝浦に着いて戦い、夜通し中山を越え、今日もまた一日戦い暮らしたので、人も馬もみな疲れはてて、あるいは兜を枕にし、あるいは鎧の袖や箙などを枕にして、前後も知らずに寝てしまった。けれどもその中で、判官と伊勢三郎は眠らなかった。判官は高い所に上がって、敵が寄せてこないかと遠見をなさる。伊勢三郎はくぼんだ所に隠れて、敵が寄せたらまず馬の太腹を射ようと待ち構えていた。平家方では能登殿を大将軍として、その夜夜討ちをしようと支度されていたが、越中次郎兵衛と江見次郎が先陣を争っているうちに、その夜もむなしく明けてしまった。寄せていたら、源氏はどうして持ちこたえられただろうか。寄せなかったことこそ、平家の運の尽きであった。
意訳
扇の的のあとに、感に堪えず舞った武者まで射倒させる場面は、「情けなし」という声とともに、華やかな見物が一転して殺し合いに戻る戦場の非情さを示す。続く景清の錏引きは、怪力と豪胆さで知られた悪七兵衛景清の名を高めた逸話として、謡曲「景清」などにも受け継がれた。
弓流しは、大将としての面目を命より重んじる義経の気性をよく伝える話である。弱い弓を敵に取られて嘲られることを恐れたという言葉には、小柄な義経の自意識もうかがえる。結びの、疲れはてた源氏を夜討ちしなかったことを平家の運の尽きとする評は、屋島の敗北の分かれ目を語っている。
語釈・文法注
文法
- 「中差」
- 箙に差した、征矢(そや)の一本。鏑矢に対していう。
- 「ひようつば」
- 矢が当たる音。
- 「塗篦に黑ほろはいだる」
- 漆を塗った矢柄に、黒い保呂羽(鷲の脇羽)を矧いだ。
- 「射こうだる」
- 射こんだ。
- 「かいふいて」
- 身をかがめて。
- 「鉢附の板」
- 兜の鉢に付いている錏の最上段の板。
- 「京童」
- 京の口さがない若者たち。
- 「雌鳥羽につき竝べ」
- 楯を鳥の羽が重なるように、互い違いに並べ立てて。
- 「算を散らしたるやうに」
- 算木を散らしたように、ばらばらに。
- 「千疋萬疋にかへさせ給ふべき御たらし」
- 千疋万疋の銭にも替えられる御弓。「たらし」は弓の尊称。
- 「尫弱なる弓」
- 弱い弓。
- 「せめての運のきはめ」
- 平家の運のこの上ない尽きよう。
解説
藤原景清(悪七兵衛)は上総介忠清の子で、平家の侍大将として各地を転戦した。屋島の錏引きの話は『平家物語』で名高く、景清はのちに源氏への復讐を図った勇士として、謡曲・浄瑠璃・歌舞伎で盛んに取り上げられた。高松市牟礼町には、景清と美尾屋十郎の「錏引き」の跡と伝える地がある。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、777–780頁(コマ417–419)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日