更級日記 第16章
石山詣でと大嘗会の日の初瀬詣で
若い日の物語への夢を悔い、家の繁栄と後世の安楽を願って、作者は物詣でに励むようになる。十一月の石山詣でで、少女のころ荒彫りの顔を見た関寺の仏が立派に造られたのを見る。翌年十月、人々が大嘗会の御禊の見物に浮かれる日に、あえて初瀬詣でに出発し、あざける人々の中を宇治の渡しまで進む。
- 1今今いまはははむかしむかしむかしのののよしなしよしなしよしなし心心こころもももくやしかりくやしかりくやしかりけりけりけりとととのみのみのみおもひおもひおもい知知しりりりはてはてはて親親おやのののものものものへへへ率率いてててまゐりまゐりまいりなどなどなどせせせでででやみやみやみにににしししももも、、、もどかしくもどかしくもどかしく思思おもひひい出出いでででらるれらるれらるればばば、、、今今いまはははひとへひとへひとえにににゆたかゆたかゆたかなるなるなるいきほひいきほひいきおいににになりなりなりててて、、、二葉二葉ふたばののの人人ひとをををももも思思おもふふうざまざまざまにににかしづきかしづきかしずきおぼしおぼしおぼしたてたてたて、、、我我わががが身身みもももみくらみくらみくらののの山山やまににに積積つみみみあまるあまるあまるばかりばかりばかりにににててて、、、後後のちののの世世よまでまでまでのののことことことをををもももおもはおもはおもわむむんとととおもひおもひおもいはげみはげみはげみててて、、、しもしもしも月月つきののの二十餘日二十餘日はつかあまりにににまゐるまゐるまいる。。。
- 2雪雪ゆきうちうちうちふりふりふりつゝつゝつつ道道みちのののほどほどほどさへさへさへをかしきをかしきおかしきににに、、、逢坂逢坂おうさかののの關關せきををを見見みるるるにににもももむかしむかしむかし越越こえええしししももも冬冬ふゆぞぞぞかしかしかしとととおもひおもひおもいいでいでいでらるゝらるゝらるるににに、、、そのそのそのほどほどほどしもしもしもいといといとあらうあらうあろう吹吹ふいいいたりたりたり。。。
- 3「「「逢坂逢坂おうさかののの關關せきのののやませきかぜやませきかぜやませきかぜ吹吹ふくくくこゑこゑこえはははむかしむかしむかし聞聞ききききしししにににかはらかはらかわらざりざりざりけりけりけり」」」。。。
- 4のののいかめしういかめしういかめしゅう造造つくららられれれたるたるたるををを見見みるるるにににももも、、、そのそのそのをりをりおり、、、あらづくりあらづくりあらづくりののの御顏御顏おおんかおばかりばかりばかり見見みられられられしししをりをりおり思思おもひひい出出いでででられられられててて、、、年月年月としつきののの過過すぎぎぎにににけるけるけるもももいといといとあはれあはれあわれなりなりなり。。。
- 5打出打出うちいでののの濱濱はまのののほどほどほどなどなどなど、、、見見みしししにににもももかはらかはらかわらずずず暮暮くれれれかゝるかゝるかかる程程ほどにににまうでまうでもうでつきつきつきててて、、、ゆやゆやゆやにににおりおりおりててて御堂御堂みどうににに昇昇のぼるるるににに人聲人聲ひとごえもももせせせずずず。。。
- 6山風山風やまかぜおそろしうおそろしうおそろしゅう覺覺おぼえええててて行行おこなひひいさしさしさしてててうちうちうちまどろみまどろみまどろみたるたるたる夢夢ゆめににに、、、中堂中堂ちゅうどうよりよりより御御ごかうかうこう賜賜たまはりはりわりぬぬぬ。。。「「「疾疾とくくくかしこかしこかしこへへへ告告つげよげよげよ」」」ととといふいふいう人人ひとあるあるあるににに、、、うちうちうち驚驚おどろきききたれたれたればばば夢夢ゆめなりなりなりけりけりけりととと思思おもふふうににに、、、よきよきよきことことことならならならむむんかしかしかしととと思思おもひひいててて行行おこなひひいあかすあかすあかす。。。
- 7又又またののの日日ひもももいみじくいみじくいみじく雪雪ゆきふりふりふり荒荒あれれれててて宮宮みやにににかたらひかたらひかたらい聞聞きこゆるゆるゆる人人ひとのののぐしぐしぐし給給たまへへえるるるととと物語物語ものがたりしししててて心心こころぼそさぼそさぼそさををを慰慰なぐさむむむ。。。三日三日みか侍侍さぶらひひいてててまかでまかでまかでぬぬぬ。。。
- 8そのそのそのかへるかへるかえる年年とし十月十月かんなづき廿五日廿五日にじゅうごにちののの御禊御禊ごけいとととのゝしるのゝしるののしるににに、、、初瀨初瀨はつせののの精進精進そうじ始始はじめめめてててそのそのその日日ひ京京きょうををを出出いづるづるずるににに、、、
- 9さるさるさるべきべきべき人々人々ひとびと「「「一代一代いちだいににに一度一度ひとたびののの見物見物みものにににててて田舍田舍いなか世界世界せかいののの人人ひとだにだにだに見見みるるる物物ものををを、、、月日月日つきひ多多おおかりかりかり、、、そのそのその日日ひしもしもしも京京きょうをををふりふりふり出出いでゝでゝでていかいかいかむむんもももいといといと物物もの狂狂ぐるほしくほしくおしく、、、流流ながれれれてててののの物語物語ものがたりととともももなりなりなりぬぬぬべきべきべき事事ことなりなりなり」」」などなどなどはらからはらからはらからなるなるなる人人ひとはははいひいひいい腹立腹立はらだてててどどどちごちごちごどもどもどもののの親親おやなるなるなる人人ひとははは「「「いかにいかにいかにもももいかにいかにいかにももも心心こころにににこそこそこそあらあらあらめめめ」」」ととといふいふいうににに隨隨したがひひいててて出出いだしししたつるたつるたつる心心こころばへばへばえももも哀哀あわれなりなりなり。。。
- 10ともともともににに行行ゆくくく人々人々ひとびともももいといといといみじくいみじくいみじく物物ものゆかしげゆかしげゆかしげなるなるなるはははいとほしけれいとほしけれいとおしけれどどど物物もの見見みててて何何なににににかかかはははせせせむむん、、、かゝるかゝるかかるをりをりおりににに詣詣もうでででむむん志志こころざしをををさりともさりともさりとも思思おぼしししなななむむんかならずかならずかならず佛佛ほとけののの御驗御驗みしるしををを見見みむむんととと思思おもひひい立立たちちちてててそのそのその曉曉あかつきににに京京きょうをををいづるいづるいずるににに、、、
- 11二條二條にじょうののの大路大路おおじをををしもしもしも渡渡わたりりりててていくいくいくににに、、、さきさきさきにににみあかしみあかしみあかしもたもたもたせせせ供供ともののの人々人々ひとびと淨衣淨衣じょうえ姿姿すがたなるなるなるをををそこらそこらそこらさじきさじきさじきどもどもどもににに移移うつるるるとてとてとていきいきいきちがふちがふちがう馬馬うまももも車車くるまもももかちかちかち人人びともももあれあれあれはははなでふなでふなじょうとととやすからやすからやすからずずず言言いひひい驚驚おどろきききあざみあざみあざみ笑笑わらひひいあざけるあざけるあざけるものものものどもゝどもゝどももありありあり。。。
- 12ののの兵衞督兵衞督ひょうえのかみととと申申もうしゝしゝしし人人ひとののの家家いえののの前前まえををを過過すぐれぐれぐればばば、、、それそれそれさじきさじきさじきへへへわたりわたりわたり給給たまふふうなるなるなるべしべしべし、、、門門かどひろうひろうひろうおしおしおし前前あけけけててて人々人々ひとびとたてたてたてるるるががが「「「あれあれあれははは物物もの詣詣もうででで人人ひとなめりなめりなめりななな。。。月日月日つきひしもしもしもこそこそこそ世世よににに多多おおかれかれかれ」」」ととと笑笑わらふふう中中なかににに、、、
- 13いかなるいかなるいかなる心心こころあるあるある人人ひとにににかかか「「「一時一時ひとときががが目目めをををこやしこやしこやしててて何何なににににかかかはははせせせむむん。。。いみじくいみじくいみじく思思おぼししし立立たちちちててて佛佛ほとけののの御德御德おおんとくかならずかならずかならず見見み給給たまふふうべきべきべき人人ひとにににこそこそこそあめれあめれあめれ。。。よしなしよしなしよしなしかしかしかし。。。物物もの見見みでででかうかうこうこそこそこそ思思おもひひいたつたつたつべかりべかりべかりけれけれけれ」」」とととまめやかまめやかまめやかにににいふいふいう人人ひとひとりひとりひとりぞぞぞあるあるある。。。
- 14道道みちけんそうけんそうけんそうならならならぬぬぬさきさきさきにににととと夜夜よふかうふかうふこう出出いでででしかしかしかばばば、、、立立たちちち後後おくれれれたるたるたる人々人々ひとびとももも待待まちちちいといといとおそろしうおそろしうおそろしゅう深深ふかききき霧霧きりをををももも少少すこしししはるけはるけはるけむむんとてとてとて、、、ののの大門大門だいもんにににたちたちたちとまりとまりとまりたるたるたるににに田舍田舍いなかよりよりより物物もの見見みにににのぼるのぼるのぼる者者ものどもどもどもののの水水みずののの流流ながるゝるゝるるやうやうようにににぞぞぞ見見みゆるゆるゆるややや。。。
- 15すべてすべてすべて道道みちもももさりさりさりあへあへあえずずず。。。物物ものののの心心こころ知知しりりりげげげもももなきなきなきあやしあやしあやしののの童童わらわべべべまでまでまでひきひきひきよせよせよせててて行行ゆききき過過すぐるぐるぐるををを車車くるまををを驚驚おどろきききあざみあざみあざみたるたるたることことこと限限かぎりなしなしなし。。。これらこれらこれらををを見見みるるるにににげにげにげにいかにいかにいかに出出いででで立立たちちちししし道道みちなりなりなりとととももも覺覺おぼゆれゆれゆれどどど、、、ひたぶるひたぶるひたぶるににに佛佛ほとけををを念念ねんじじじ奉奉たてまつりりりててて宇治宇治うじのののわたりわたりわたりにににいきいきいき着着つきききぬぬぬ。。。
- 16そこそこそこにににももも猶猶なおしもしもしも此方此方こなたざまざまざまにににわたりわたりわたりするするする者者ものどもどもども立立たちちちこみこみこみたれたれたればばば、、、舟舟ふねののの楫楫かじ取取とりりりたるたるたるをのこをのこおのこどもどもども舟舟ふねをををまつまつまつ人人ひとののの數數かずももも知知しらららぬぬぬににに、、、心心こころ驕驕おごりりりしししたるたるたる氣色氣色けしきにににててて袖袖そでをををかいかいかいまくりまくりまくりててて、、、顏顏かおにににあてゝあてゝあてて竿竿さおににに押押おしししかゝりかゝりかかりてててとみとみとみににに舟舟ふねもももよせよせよせずずず、、、嘯嘯うそぶいいいててて見見みまはしまはしまわし、、、いといといといみじういみじういみじゅうすみすみすみたるたるたるさまさまさまなりなりなり。。。
現代語訳
今はもう、昔のつまらない心も悔やまれるばかりだとすっかり思い知って、親が物詣でに連れて行ってくれたりもしないで終わってしまったのも、もどかしく思い出されるので、今はひたすら豊かな勢いになって、幼い子どもも思うとおりに大切に育て、わが身も御蔵の山に積みあまるほど(の財産)になって、来世のことをも考えようと心に励んで、十一月の二十日過ぎに石山寺に参詣する。
雪がちらつきながら、道中までも趣深いうえに、逢坂の関を見るにつけても、昔ここを越えたのも冬だったなあと思い出されるが、ちょうどそのとき、風がたいそう荒く吹いていた。
「逢坂の関の山の関風が吹く音は、昔聞いたのと変わらないことだ」。
関寺がいかめしく造られているのを見るにつけても、あのとき、荒彫りのお顔だけが見えたときのことが思い出されて、年月が過ぎてしまったのも、たいそうしみじみと感じられる。
打出の浜のあたりなども、昔見たのと変わらない。日が暮れかかるころに参り着いて、湯屋に下りて(身を清め)、御堂に上ると、人の声もしない。
山風が恐ろしく感じられて、勤行の途中でうとうとと眠った夢に、「中堂から御香をいただいた。早くあちらへ知らせよ」と言う人がいるので、はっと目が覚めると夢だったのだと思うが、よいことなのだろうと思って、勤行をして夜を明かす。
次の日も、たいそう雪が降り荒れて、宮家で親しくしていただいている人がいっしょに来ていらっしゃったのと話をして、心細さを慰める。三日籠って退出した。
その翌年の十月二十五日、大嘗会の御禊だといって世間が大騒ぎしているときに、初瀬詣での精進を始めて、その日に京を出発するので、
しかるべき人々は、「一代に一度の見物で、田舎や地方の人でさえ見に来るものを、日は(ほかにも)たくさんあるのに、よりによってその日に京を振り捨てて行くのも、ひどく正気の沙汰とも思えず、後々までの語り草にもなりそうなことだ」などと、兄弟にあたる人は言って腹を立てたけれど、子どもたちの父親である人(夫)は、「どうでもあなたの心しだいだ」と言って、言うとおりに出発させてくれる気持ちも、しみじみとありがたい。
いっしょに行く人々も、たいそう見物したそうにしているのは気の毒だけれど、見物して何になろう。こういうときに参詣しようとする志を、仏もそうはいってもお認めくださるだろう、きっと仏のご霊験を見ようと思い立って、その明け方に京を出ると、
二条大路をちょうど渡って行くときに、先に灯明を持たせ、供の人々が浄衣姿でいるのを、あちこちの桟敷に移るといって行き来する馬も車も徒歩の人も、「あれは何だ」と気にくわないように言って、驚きあきれ、笑いあざける者たちもいる。
良頼の兵衛督と申した人の家の前を通ると、そこは桟敷へお出かけになるところなのだろう、門を広く押し開けて人々が立っているのが、「あれは物詣での人らしいな。日はほかにもたくさんあるのに」と笑う中に、
どういう心ある人なのか、「一時の目を楽しませて何になろう。たいそう思い立って、仏のご利益をきっとご覧になるはずの人なのだろう。(見物など)つまらないことだよ。見物などしないで、こうしてこそ思い立つべきだったのだ」と、まじめに言う人が一人だけいる。
道が混雑しないうちにと、夜深く出発したので、遅れて来る人々を待ち、たいそう恐ろしく深い霧も少し晴らそうというので、法性寺の大門に車を止めていると、田舎から見物に上る者たちが、水の流れるように(続いて)見えることよ。
まったく道もよけきれない。物の道理もわかりそうにない卑しい子どもまでが、(車を)よけて通り過ぎながら、(物詣での)車を見て驚きあきれることこの上ない。これらを見ると、本当にどうして出発してきた道なのだろうとも思われるけれど、ひたすら仏をお祈り申し上げて、宇治の渡しに行き着いた。
そこでもやはり、こちら側へ渡ろうとする者たちが立てこんでいるので、舟の舵を取っている男たちは、舟を待つ人が数え切れないほどなので、得意げなようすで、袖をまくり上げて顔にあて、竿に寄りかかって、すぐには舟も寄せず、口笛を吹いて見まわし、たいそう澄ましたようすである。
意訳
物語の夢から覚めた作者は、家の繁栄と子の成長、来世の安楽を願って、物詣でに励むようになる。「みくらの山に積みあまる」ほどの富という願いは、受領の妻らしい現実的な願いでもある。若い日の作者からは考えられない変化である。
石山への道で逢坂の関を越えると、十三歳で上京したときのことが思い出される。関の風の音は昔のままである。少女のころ荒彫りの顔だけを見た関寺の仏(第4章)は、今は立派なお堂に収まっている。過ぎた年月の長さを、作者は二つの関寺の仏の姿で感じとっている。
石山寺での夢のお告げを、作者はよいことと信じて勤行する。若いころ夢を気にとめなかった作者が、今は夢に心を寄せている。
翌年十月、後冷泉天皇の大嘗会の御禊の日、京じゅうが見物に浮かれる中、作者はあえて初瀬詣でに出発する。兄は「物狂ほし」と腹を立てるが、夫は「心にこそあらめ」と送り出す。夫の理解をありがたく思う一文に、夫への信頼がにじむ。
見物に向かう人々は浄衣姿の一行を笑い、あざける。その中にただ一人、「物見でかうこそ思ひたつべかりけれ」と感心する人がいる。作者はその声をしっかりと書きとめている。人々の流れに逆らって進む一行は、宇治の渡しで、得意げな船頭たちに待たされる。
語釈・文法注
- 石山
- 石山寺。近江の国(今の滋賀県大津市)の、瀬田川のほとりにある観音信仰の寺。紫式部が『源氏物語』を書き始めたという伝説もある。
- 關寺
- 関寺。逢坂の関の近くにあった寺。万寿年間に再建され、五丈の弥勒仏が安置された。作者が上京のときに見た荒彫りの仏はこの仏とされる。
- 大甞會
- 大嘗会。天皇が即位して初めて行う新嘗祭。その前の十月に、天皇が賀茂川で身を清める御禊の行幸があり、多くの見物人が集まった。
- 良賴
- 藤原良頼(1002〜1048)。隆家の子で、兵衛督などをつとめた。
- 法性寺
- 京の南、九条の東にあった寺。藤原忠平が建てた。初瀬へ向かう道筋にあった。
文法
- 「二葉の人」
- 幼い子ども。作者には仲俊・氏綱らの子がいた。
- 「みくらの山に積みあまる」
- 御蔵の山に積みあまるほど。財産が豊かなことのたとえ。
- 「御かう賜はりぬ」
- 御香をいただいた。中堂(比叡山延暦寺の根本中堂)から香を賜る夢で、仏の加護のしるしと解された。
- 「ぐし給へる」
- 具し給へる。いっしょに来ていらっしゃった。
- 「流れての物語」
- 後々まで語り伝えられる話、語り草。
- 「なでふ」
- 何という。「なにといふ」の約。
- 「おし前けて」
- 底本は「前」と刷る。意味から「開け」の誤植とみて「あけ」と読んだ。
- 「けんそうならぬ」
- 喧噪ならぬ。混雑しない。
- 「すみたる」
- 澄ましている、気取っている。
和歌
逢坂の關のやませきかぜ吹くこゑはむかし聞きしにかはらざりけり
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 十一月、石山寺への道で逢坂の関を越えたとき、少女のころ上京して越えたのも冬だったと思い出して詠んだ歌。
修辞
- 対比
- 変わらない関の風の音と、変わった自分の身の上とを、言外に対比する。
解説
石山詣では寛徳二年(1045)十一月、初瀬詣では永承元年(1046)十月のことで、作者は三十八、九歳だった。後冷泉天皇の大嘗会の御禊の日に、あえて初瀬に出かけたことは、作者の信仰への思いの強さを示している。
この章から、作品は物詣での記事が中心になる。物語にあこがれた少女は、家の繁栄と来世の安楽を願う中年の女性になっていた。それでも宇治の渡しで、作者は『源氏物語』の宇治十帖を思い出す(第17章)。
国文大観の本文では、この章は第15章に続いて、通行本文と同じ順である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、487–489頁(コマ255–256)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日