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土佐日記 第1章

門出

承平四年十二月二十一日、国司の任期を終えた「ある人」の一行が土佐の国府を発つ。見送りの人々との送別の宴が続き、二十七日に大津から船出するが、任地で亡くした幼い娘を思う悲しみが一行の胸をふさぐ。大湊で正月を迎え、都の正月をしのぶ。

夕暮れの土佐の国府を出て、松明に照らされながら船着き場へ向かう国司の一行(AI生成)
冬の夕暮れ、土佐の国府を出た一行が見送りを受け、松明を手に船着き場へ向かう場面
  1. 1男をとこ男をとこおとこもももすすすなるなるなる日に日にに記き記ききととといふいふいうものものものををを、、、女をんな女をんなおんなもももしししてててみみみむむんとてとてとてするするするなりなりなり。。。それそれそれののの年とし年としとしのののしはすしはすしわすののの二十日はつか二十日はつかはつかあまりあまりあまり一日ひとひ一日ひとひひとひののの、、、戌いぬ戌いぬいぬののの時とき時ときときににに門かど門かどかど出で出でですすす。。。そのそのそのよしよしよしいさゝかいさゝかいささかものものものにににかきかきかきつくつくつく。。。
  2. 2あるあるある人ひと人ひとひと縣あがた縣あがたあがたののの四よ四よよ年とせ年とせとせ五いつ五いついつ年とせ年とせとせはてはてはてゝゝて例れい例れいれいのののことことことゞもゞもども皆みな皆みなみなしししをををへへへててて、、、解げ解げげなどなどなど取と取ととりりりててて住す住すすむむむよりよりより出い出いいでででゝゝて船ふね船ふねふねににに乘の乘ののるるるべきべきべき所ところ所ところところへへへわたるわたるわたる。。。かれかれかれこれこれこれ知し知ししるるる知し知ししらららぬぬぬおくりおくりおくりすすす。。。年とし年としとしごろごろごろよくよくよく具ぐ具ぐぐしししつるつるつる人ひと人ひとひと々びと々びとびとなむなむなんわかれわかれわかれ難がた難がたがたくくく思おも思おもおもひひいてててそのそのその日ひ日ひひ頻しきり頻しきりしきりにににとかくとかくとかくしししつゝつゝつつのゝしるのゝしるののしるうちうちうちににに夜よ夜よよ更ふ更ふふけけけぬぬぬ。。。
  3. 3廿二日にじふににち廿二日にじふににちにじゅうににち、、、和い和いい泉づみ泉づみずみののの國くに國くにくにまでまでまでとととたひらかたひらかたいらかにににねがひねがひねがいたつたつたつ。。。藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらののの言とき言ときとき實ざね實ざねざね船ふな船ふなふな路ぢ路ぢじなれなれなれどどど馬むま馬むまうまのののすすす。。。上かみ上かみかみ中なか中なかなか下しも下しもしもながらながらながら醉ゑ醉ゑえひひい過す過すすぎぎぎててていといといと怪あや怪あやあやしくしくしくしほしほしお海うみ海うみうみのののほとりほとりほとりにににてててあざれあざれあざれあへあへあえりりり。。。
  4. 4廿三日にじふさんにち廿三日にじふさんにちにじゅうさんにち、、、八や八やや木ぎ木ぎぎののの康やす康やすやす敎のり敎のりのりととといふいふいう人ひと人ひとひとありありあり。。。このこのこの人ひと人ひとひと國くに國くにくにににに必かなら必かならかならずずずしもしもしもいひいひいいつかふつかふつかう者もの者ものものにににもももあらあらあらざるざるざるなりなりなり。。。これこれこれぞぞぞ正まさ正まさまさしきしきしきやうやうようにににててて馬むま馬むまうまののの餞はなむけ餞はなむけはなむけしししたるたるたる。。。かみかみかみにににやややあらあらあらむむん、、、國くに國くにくに人ひと人ひとひとののの心こころ心こころこころののの常つね常つねつねとしてとしてとして今いま今いまいまはははとてとてとて見み見みみえええざざざなるなるなるををを心こころ心こころこころあるあるあるものものものははは恥は恥ははぢぢじずずずきききなむなむなんきききけるけるける。。。これこれこれははは物もの物ものものににによりよりよりててて譽ほ譽ほほむるむるむるにににしもしもしもあらあらあらずずず。。。
  5. 5廿四日にじふしにち廿四日にじふしにちにじゅうしにち、、、講かう講かうこう馬むま馬むまうまののの餞はなむけ餞はなむけはなむけしししににに出い出いいでででませませませりりり。。。ありとありとありとあるあるある上かみ上かみかみ下しも下しもしも童わらは童わらはわらわまでまでまで醉ゑ醉ゑえひひいしれしれしれててて、、、一いち一いちいち文もん文もんもん字じ字じじをををだにだにだに知し知ししらららぬぬぬものものものしししががが、、、足あし足あしあしははは十じふ十じふじゅう文もん文もんもん字じ字じじににに踏ふ踏ふふみみみてててぞぞぞ遊あそ遊あそあそぶぶぶ。。。
  6. 6廿五日にじふごにち廿五日にじふごにちにじゅうごにち、、、守かみ守かみかみのののたちたちたちよりよりより呼よ呼よよびびびににに文ふみ文ふみふみもてもてもて來きた來きたきたれれれりりり。。。呼よ呼よよばばばれれれててて至いた至いたいたりりりててて日ひ日ひひひとひひとひひとひ夜よ夜よよひとよひとよひとよとかくとかくとかく遊あそ遊あそあそぶぶぶやうやうようにににててて明あ明ああけけけにににけりけりけり。。。
  7. 7廿六日にじふろくにち廿六日にじふろくにちにじゅうろくにち、、、なほなほなお守かみ守かみかみのののたちたちたちにににてててあるじあるじあるじしししのゝしりのゝしりののしりてててをのこをのこおのこらららまでまでまでににに物もの物ものものかづけかづけかずけたりたりたり。。。からからからうたうたうた聲こゑ聲こゑこえあげあげあげててていひいひいいけりけりけり。。。やまとやまとやまとうたうたうた、、、あるじあるじあるじもももまらうどまらうどまろうどもももことことこと人びと人びとびともももいひいひいいあへあへあえりりりけりけりけり。。。からからからうたうたうたはははこれこれこれにににはははえええ書か書かかかかかずずず。。。やまとやまとやまとうたうたうたあるじあるじあるじののの守かみ守かみかみのののよめよめよめりりりけるけるける、、、「「「都みやこ都みやこみやこいでいでいでゝゝて君きみ君きみきみににに逢あ逢ああははわむむんとととこここしししものものものをををこここしししかひかひかいもももなくなくなく別わか別わかわかれれれぬるぬるぬるかなかなかな」」」とととなむなむなんありありありけれけれければばば、、、かへるかへるかえる前さき前さきさきののの守かみ守かみかみのののよめよめよめりりりけるけるける、、、「「「しろしろしろたへたへたえののの浪なみ浪なみなみ路ぢ路ぢじををを遠とほ遠とほとおくくくゆきゆきゆきかひかひかいててて我われ我われわれににに似に似ににべきべきべきはははたれたれたれならならならなくなくなくににに」」」。。。ことことことひとひとひとびとびとびとのののもももありありありけれけれけれどどどさかしきさかしきさかしきもももなかるなかるなかるべしべしべし。。。とかくとかくとかくいひいひいいててて前さき前さきさきののの守かみ守かみかみももも今いま今いまいまのののももも諸もろ諸もろもろ共とも共ともともにににおりおりおりててて、、、今いま今いまいまのののあるじあるじあるじももも前さき前さきさきのののももも手て手てて取と取ととりりりかはしかはしかわしてててゑひゑひえいごとごとごとににに心こころ心こころこころよげよげよげなるなるなることことことしししててて出い出いいでででにににけりけりけり。。。
  8. 8廿七日にじふしちにち廿七日にじふしちにちにじゅうしちにち、、、大おほ大おほおお津つ津つつよりよりより浦うら浦うらうら戶ど戶どどをををさしさしさしててて漕こ漕ここぎぎぎ出い出いいづづず。。。かくかくかくあるあるあるうちうちうちににに京きやう京きやうきょうにににててて生うま生うまうまれれれたりたりたりししし女をんな女をんなおんな子ご子ごごこゝこゝここにににててて俄にはか俄にはかにはかにににうせうせうせにににしかしかしかばばば、、、このこのこの頃ごろ頃ごろごろののの出いで出いでいで立たち立たちたちいそぎいそぎいそぎををを見み見みみれれれどどど何なに何なになに事ごと事ごとごともももえええいはいはいわずずず。。。京きやう京きやうきょうへへへ歸かへ歸かへかえるるるににに女をんな女をんなおんな子ご子ごごのののなきなきなきのみのみのみぞぞぞ悲かな悲かなかなしびしびしび戀こ戀ここふるふるうる。。。あるあるある人ひと人ひとひと々びと々びとびともももえええ堪た堪たたへへえずずず。。。このこのこの間あひだ間あひだあいだにににあるあるある人ひと人ひとひとのののかきかきかきててて出いだ出いだいだせせせるるる歌うた歌うたうた、、、「「「都みやこ都みやこみやこへへへとととおもふおもふおもうもももものものものゝゝのかなしきかなしきかなしきはははかへらかへらかえらぬぬぬ人ひと人ひとひとのののあれあれあればばばなりなりなりけりけりけり」」」又また又またまた、、、或ある或あるある時とき時ときときにににははは、、、「「「あるあるあるものものものととと忘わす忘わすわすれれれつゝつゝつつなほなほなおなきなきなき人ひと人ひとひとをををいづらいづらいずらととと問と問ととふふうぞぞぞ悲かな悲かなかなしかりしかりしかりけるけるける」」」ととといひいひいいけるけるける間あひだ間あひだあいだににに
  9. 9鹿か鹿かか兒こ兒ここののの崎さき崎さきさきととといふいふいう所ところ所ところところににに守かみ守かみかみのののはらからはらからはらからまたまたまたことことことひとひとひとこれこれこれかれかれかれ酒さけ酒さけさけなにどなにどなにど持も持ももててて追お追おおひひいきききててて、、、磯いそ磯いそいそにににおりおりおり居ゐ居ゐいててて別わか別わかわかれれれ難がた難がたがたきききことことことをををいふいふいう。。。守かみ守かみかみのののたちたちたちののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの中なか中なかなかにににこのこのこの來く來くくるるる人ひと人ひとひと々びと々びとびとぞぞぞ心こころ心こころこころあるあるあるやうやうようにににはははいはいはいわれれれほのめくほのめくほのめく。。。かくかくかく別わか別わかわかれれれ難がた難がたがたくくくいひいひいいててて、、、かのかのかの人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの口くち口くちくち網あみ網あみあみももももろもちもろもちもろもちにににてててこのこのこの海うみ海うみうみ邊べ邊べべにににててて荷にな荷になになひひいいだせいだせいだせるるる歌うた歌うたうた、、、「「「をしをしをしととと思おも思おもおもふふう人ひと人ひとひとやややとまるとまるとまるとととあしあしあし鴨がも鴨がもがものののうちうちうち群む群むむれれれてててこそこそこそ我われ我われわれはははきききにににけれけれけれ」」」ととといひいひいいてててありありありけれけれければばば、、、いといといといたくいたくいたく愛め愛めめでででゝゝて行ゆ行ゆゆくくく人ひと人ひとひとのののよめよめよめりりりけるけるける、、、「「「棹さを棹さをさおさせさせさせどどど底そこ底そこそこひひいももも知し知ししらららぬぬぬわたつみわたつみわたつみのののふかきふかきふかきこゝろこゝろこころををを君きみ君きみきみににに見み見みみるるるかなかなかな」」」
  10. 10ととといふいふいう間あひだ間あひだあいだににに楫かぢ楫かぢかじ取とり取とりとりものものものゝゝの哀あはれ哀あはれあわれももも知し知ししらららでででおのれおのれおのれししし酒さけ酒さけさけをををくらひくらひくらいつれつれつればばば、、、早はや早はやはやくくくいないないなむむんとてとてとて「「「潮しほ潮しほしお滿み滿みみちちちぬぬぬ。。。風かぜ風かぜかぜももも吹ふ吹ふふきききぬぬぬべしべしべし」」」とととさわげさわげさわげばばば船ふね船ふねふねににに乘の乘ののりりりなむなむなんとととすすす。。。このこのこの折をり折をりおりにににあるあるある人ひと人ひとひと々びと々びとびと折をり折をりおり節ふし節ふしふしにににつけつけつけててて、、、からからからうたうたうたどもどもども時とき時ときときににに似に似ににつかはしきつかはしきつかわしきいふいふいう。。。又また又またまたあるあるある人ひと人ひとひと西にし西にしにし國ぐに國ぐにぐになれなれなれどどど甲か甲かか斐ひ斐ひひ歌うた歌うたうたなどなどなどいふいふいう。。。かくかくかくうたふうたふうたうににに、、、ふなふなふなやかたやかたやかたののの塵ちり塵ちりちりももも散ち散ちちりりり、、、空そら空そらそらゆくゆくゆく雲くも雲くもくももももたゞよひたゞよひただよいぬぬぬとととぞぞぞいふいふいうなるなるなる。。。今こ今ここ宵よひ宵よひよい浦うら浦うらうら戶ど戶どどにににとまるとまるとまる藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらのののときときとき實ざね實ざねざね、、、橘たちばな橘たちばなたちばなののの季すゑ季すゑすえ衡ひら衡ひらひら、、、ことことこと人びと人びとびと々びと々びとびと追お追おおひひいきききたりたりたり。。。
  11. 11廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにち、、、浦うら浦うらうら戶ど戶どどよりよりより漕こ漕ここぎぎぎ出い出いいでででゝゝて大おほ大おほおお湊みなと湊みなとみなとをををおふおふおう。。。このこのこの間あひだ間あひだあいだにににはやくはやくはやくののの國くに國くにくにののの守かみ守かみかみののの子こ子ここ山やま山やまやま口ぐち口ぐちぐちののの千ち千ちち岑みね岑みねみね、、、酒さけ酒さけさけよきよきよき物もの物ものものどもどもどももてもてもてきききててて船ふね船ふねふねににに入い入いいれれれたりたりたり。。。ゆくゆくゆくゆくゆくゆく飮の飮ののみみみくふくふくう。。。
  12. 12廿九日にじふくにち廿九日にじふくにちにじゅうくにち、、、大おほ大おほおお湊みなと湊みなとみなとにににとまれとまれとまれりりり。。。くすくすくす師し師ししふりはへふりはへふりはえててて屠と屠とと蘇そ蘇そそ白びやく白びやくびゃく酒さけ酒さけさけ加くは加くはくわへへえてててもてもてもて來き來ききたりたりたり。。。志こころざし志こころざしこころざしあるあるあるににに似に似ににたりたりたり。。。元ぐわん元ぐわんがん日にち日にちにち、、、なほなほなお同おな同おなおなじじじとまりとまりとまりなりなりなり。。。白びやく白びやくびゃく散さん散さんさんをををあるあるあるものものもの夜よ夜よよのののまままとてとてとてふなふなふなやかたやかたやかたにににさしさしさしはさめはさめはさめりりりけれけれければばば、、、風かぜ風かぜかぜににに吹ふ吹ふふきききならさならさならさせせせててて海うみ海うみうみににに入い入いいれれれてててえええ飮の飮ののまままずずずなりなりなりぬぬぬ。。。芋いも芋いもいもしししあらめあらめあらめももも齒は齒はは固がた固がたがたもももなしなしなし。。。かやうかやうかようののの物もの物ものものもももなきなきなき國くに國くにくになりなりなり。。。求もと求もともとめめめもももおかおかおかずずず。。。唯ただ唯ただただおしおしおしののの口くち口くちくちをををのみのみのみぞぞぞ吸す吸すすふふう。。。このこのこのすふすふすう人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの口くち口くちくちををを押おし押おしおし年あ年ああ魚ゆ魚ゆゆもしもしもし思おも思おもおもふふうやうやうようあらあらあらむむんややや。。。今日けふ今日けふきょうははは都みやこ都みやこみやこのののみみみぞぞぞ思おも思おもおもひひいやらやらやらるゝるゝるる。。。「「「九重こゝのへ九重こゝのへここのえののの門かど門かどかどのののしりくめしりくめしりくめ繩なは繩なはなわのののののの頭かしら頭かしらかしらひゝらひゝらひひら木ぎ木ぎぎらららいかにいかにいかに」」」とととぞぞぞいひいひいいあへあへあえるるる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

男も書くと聞いている日記というものを、女の私も書いてみようと思って書くのである。ある年の十二月二十一日の、午後八時ごろに出発する。そのときのことを、少しばかり書きつけておく。

ある人が、国司としての四、五年の任期が終わって、決まりの事務もすべて済ませ、解由状などを受け取って、住んでいた官舎から出て、船に乗る所へ移る。あの人この人、知っている人も知らない人も見送りをする。長年親しくつきあってきた人々は、別れがたく思って、その日は一日中あれこれと世話をやきながら騒いでいるうちに夜が更けた。

二十二日。和泉の国まで無事であるようにと願を立てる。藤原のときざねが、船旅なのに「馬のはなむけ」(送別の宴)をする。身分の上の者も中の者も下の者も、みなすっかり酔っぱらって、ひどく不思議なことに、塩のきいた海のほとりで、ふざけ合っている。

二十三日。八木のやすのりという人がいる。この人は、国府で必ずしも召し使っている者でもないのだという。この人が、いかにもきちんとした様子で送別の宴をしてくれた。国守の人柄のためだろうか、国の人の心の常として、「今はもうこれまで」と顔を見せなくなるものなのに、真心のある人は、人目を気にせずにやって来たのだった。これは、贈り物をもらったからほめるのではない。

二十四日。国分寺の講師が、送別の宴をしにおいでになった。そこにいた身分の上下の者は子どもまで酔いしれて、「一」という字さえ知らない者が、足は「十」の字を踏んで遊び興じている。

二十五日。新しい国守の官舎から、呼び出しの手紙を持って来た。呼ばれて行って、一日中、一晩中あれこれと遊び興じるうちに夜が明けた。

二十六日。やはり新しい国守の官舎で、主人がもてなして大騒ぎをし、従者たちにまで贈り物を与えた。漢詩を声高らかに吟じた。和歌は、主人も客も、ほかの人もみな詠み合った。漢詩はここには書くことができない。和歌で、主人の国守が詠んだのは、「都を出てあなたに会おうとやって来たのに、来たかいもなく別れてしまうことだ」とあったので、帰って行く前の国守が詠んだのは、「白い波の立つ海路をはるばると行き来して、私と同じ思いをするのは、ほかならぬあなたなのですよ」。ほかの人々の歌もあったけれど、気のきいたものはなかったようだ。あれこれ言って、前の国守も今の国守もいっしょに庭に下りて、今の主人も前の国守も手を取り合って、酔った勢いで調子のよいことを言って、出て行った。

二十七日。大津から浦戸をめざして漕ぎ出す。こうしているうちにも、京で生まれた女の子が、この土佐で急に亡くなってしまったので、このごろの出発の準備を見ても、何も言うことができない。京へ帰るのに、女の子がいないことばかりが悲しく恋しい。そばにいる人々も、こらえきれない。このときに、ある人が書いて差し出した歌は、「都へ帰ると思うのに何となく悲しいのは、一緒に帰らない人がいるからなのだ」。またあるときには、「まだ生きているものと、ついうっかりして、もういない子を『どこにいるの』と尋ねてしまうのが悲しいことだ」と詠んでいるうちに、

鹿児の崎という所で、国守の兄弟や、そのほかの人々があれこれ、酒などを持って追いかけて来て、磯に下りて座って、別れがたいことを言う。国守の官舎の人々の中で、このやって来た人々こそ真心があると、人々はうわさしてささやき合う。こうして別れがたく言って、その人々が網を引くように力を合わせて、この海辺で歌を詠み出した。「惜しいと思う人がとどまるかと、葦鴨が群れるように連れ立って、私たちはやって来たのです」と詠んだので、たいそう感じ入って、旅立つ人が詠んだのは、「棹をさしても底の知れない海のように深いお心を、あなたがたに見ることです」。

と言っているうちに、船頭はものの情けもわからず、自分だけ酒をくらってしまったので、早く出発しようとして「潮が満ちた。風も吹いてくるだろう」と騒ぐので、船に乗ろうとする。このときに、ある人々は折にふさわしい漢詩を口ずさむ。またある人は、西国なのに甲斐の国の歌などを歌う。このように歌うと、船屋形の塵も舞い散り、空を行く雲もただよって止まった、と言われる。今夜は浦戸に泊まる。藤原のときざね、橘のすえひら、そのほかの人々が追って来た。

二十八日。浦戸から漕ぎ出して、大湊をめざして進む。このあいだに、以前の国守の子の山口のちみねが、酒や結構な食べ物などを持って来て、船に入れてくれた。進みながら飲んだり食べたりする。

二十九日。大湊に泊まっている。医師がわざわざ屠蘇や白散を、酒を添えて持って来た。真心があるように見える。元日。やはり同じ港である。白散を、ある者が「夜のあいだだけ」と船屋形にはさんでおいたところ、風に吹かれて海に落ちてしまい、飲めなくなった。芋茎(ずいき)も荒布(あらめ)も、歯固めの品もない。こうした物もない国なのである。前もって買い求めておくこともしなかった。ただ押鮎の口ばかりを吸う。この吸う人々の口を、押鮎はどう思っているだろうか。今日は都のことばかりが思いやられる。「都の家々の門の注連縄に飾った鯔(ぼら)の頭や柊は、どうしているだろう」と言い合っている。

意訳

『土佐日記』は、「男が書く日記というものを、女の私も書いてみよう」という宣言で始まる。実際の筆者は土佐守の任期を終えた紀貫之だが、女性の書き手を装うことで、漢文ではなく仮名で、公の記録には書けない心の動きを自由に書くことができた。

出発に先立つ数日は、送別の宴の連続である。身分の上下なく酔いしれる人々を「一文字をだに知らぬものしが、足は十文字に踏みて」と文字遊びでからかい、「船路なれど馬のはなむけす」としゃれてみせる。筆致は軽やかだが、その陰で「京にて生れたりし女子」を任地で失った悲しみが、帰京の喜びをくもらせている。「あるものと忘れつつなほなき人を」の歌は、ついうっかり生きている子のように探してしまう親の心を詠み、この日記全体を貫く亡き子への思いの最初の表れとなっている。

見送りに来る人と来ない人を書き分けるところには、任期を終えた国守に対する人々の態度の変化への鋭い観察がある。正月の行事の品もない船上で、押鮎の口を吸いながら都の正月を思いやる結びには、旅のわびしさとユーモアが同居している。

語釈・文法注

解由
解由状。国司が交替するとき、後任者が前任者に事務の引き継ぎに問題がないことを証明して渡す文書。
たち
「館」。国司の官舎。
餞
「馬のはなむけ」。旅立つ人の馬の鼻を行き先へ向けて無事を祈ったことから、送別の宴や贈り物をいう。船旅なのに「馬の」というところにおかしみがある。
かみがら
「守柄」。国守の人柄。
講師
国ごとに置かれ、国分寺で経典を講じ、僧尼を監督した僧官。
白散
正月に酒に浸して飲み、一年の邪気を払う薬。屠蘇とともに用いた。
齒固め
正月の行事。長寿を願って、大根・瓜・押鮎・猪肉などの堅い物を食べる。
おしあゆ
「押鮎」。塩をして重しで押した鮎。歯固めに用いた。
なよし
鯔(ぼら)の幼魚の名。正月に柊とともに門の注連縄に飾り、邪気を払った。

文法

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
前の「なる」は伝聞の助動詞「なり」の連体形(男も書くと聞いている)、後の「なり」は断定の助動詞。終止形接続の「す」に付く「なる」は伝聞・推定と見る。
「見えざなるを」
「見えざるなるを」の撥音便「見えざんなる」の「ん」を表記しないかたち。「なる」は推定の助動詞。
「恥ぢずきなむきける」
底本の本文のまま。一般には「恥ぢずになむ来ける」とする本文が知られ、ここも人目を恥じずにやって来た、の意に解した。
「我に似べきはたれならなくに」
「ならなく」は断定「なり」の未然形+打消「ず」のク語法。「なくに」で、…ではないのに、の意。私と同じ思いをするはずなのは、ほかならぬあなたなのに。
「都へとおもふもものゝかなしきは」
「もの」は「ものかなし」(なんとなく悲しい)の接頭語的な用法。

和歌

都いでゝ君に逢はむとこしものをこしかひもなく別れぬるかな

詠者
新任の土佐守(あるじの守)
状況
新しい国守の官舎での送別の宴で、去って行く前の国守に贈った歌。

修辞

反復
「こしものを」「こしかひもなく」と「来し」をくり返し、会えたばかりで別れる惜しさを強める。

しろたへの浪路を遠くゆきかひて我に似べきはたれならなくに

詠者
前の土佐守(ある人)
状況
あるじの守の歌への返歌。任期を終えれば、あなたも私と同じように波路をはるばる帰ることになると答える。

修辞

枕詞
「しろたへの」は白い色にかかり、ここでは白波を思わせる。

都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり

詠者
ある人
状況
出発の準備のなかで、土佐で亡くなった娘を思って詠んだ歌。

あるものと忘れつゝなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける

詠者
ある人
状況
同じく亡き娘を思う歌。亡くなったことを忘れて、ついどこにいるのかと尋ねてしまう。

をしと思ふ人やとまるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ

詠者
見送りの人々
状況
鹿児の崎まで追って来た人々が、別れを惜しんで詠んだ歌。

修辞

掛詞
「をし」に「惜し」と鳥の「鴛鴦(をし)」をかけ、「あし鴨」と縁語にする。

棹させど底ひも知らぬわたつみのふかきこゝろを君に見るかな

詠者
旅立つ人(前の国守)
状況
見送りの人々の歌に感じ入って返した歌。

修辞

比喩
底の知れない海の深さに、人々の真心の深さをたとえる。

解説

『土佐日記』の筆者紀貫之(868?〜945?)は、『古今和歌集』の撰者の一人で、仮名序を書いたことでも知られる。延長八年(930)に土佐守に任じられ、承平四年(934)に任期を終えて京へ帰った。この日記はその帰途の五十五日間をつづったもので、「それの年」は承平四年をさす。

国司の帰任は、後任者から解由状を受け取って初めて完了する。書き手は前の国守を「ある人」と呼び、自分はその一行に加わる女性という立場をとる。冒頭の数日に送別の宴が続くのは、四、五年の任期のあいだに結ばれた人間関係のあらわれであり、見送りに来る人と来ない人を見分けるまなざしには、都に戻る官人の現実的な感覚がうかがえる。

大津・浦戸・大湊はいずれも土佐の国府(今の高知県南国市)に近い浦で、一行は浦戸湾から外海へ出る機会を待った。正月の元日を船の上で迎えた一行は、屠蘇や歯固めの品さえそろわない旅先で、都の正月の様子を思いやっている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(土佐日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1–4頁(コマ3–5)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日