おくのほそ道 第6章
日光
四月一日、日光山に参詣し、東照宮の威光をたたえて「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠む。黒髪山を望んで、曾良が剃髪して旅立った由来とその句を紹介し、さらに裏見の滝に立ち寄る。

- 1、、、御山御山みやまににに詣拜詣拜けいはいすすす。。。往昔往昔そのかみ、、、此此こ御山御山みやまをををととと書書がきしししををを、、、ののの時時とき、、、日光日光にっこうととと改改あらた給給たまふふう。。。千歳未來千歳未來せんざいみらいをををさとりさとりさとり給給たまふにやふにやうにや。。。今此御光一天今此御光一天いまこのみひかりいってんにかゞやきてにかゞやきてにかがやきて、、、にあふれにあふれにあうれ、、、ののの栖穩栖穩すみかおだやかなりなりなり。。。猶猶なお憚憚はばか多多おおくてくてくて筆筆ふでをををさしさしさし置置おぬぬぬ。。。
- 2あらたうとあらたうとあらとうと青葉青葉あおば若葉若葉わかばののの日日ひののの光光ひかり
- 3山山やまははは霞霞かすみかゝりてかゝりてかかりて雪雪ゆきいまだいまだいまだ白白しろししし。。。
- 4剃剃そ捨捨すててて黒髪黒髪くろかみ山山やまににに 曾良曾良そら
- 5曾良曾良そらはははにしてにしてにして惣五郎惣五郎そうごろうととと云云いへりへりえり。。。芭蕉芭蕉ばしょうののの下葉下葉したばににに軒軒のきをををならべてならべてならべて、、、予予よがががののの勞勞ろうをををたすくたすくたすく。。。このたびこのたびこのたび、、、松松まつしましましま象潟象潟きさかたののの眺眺なが共共ともにせんにせんにせん事事ことををを悦悦よろこびびび、、、且且かつはははののの難難なんをををいたはらんといたはらんといたわらんと、、、旅旅たび立立た曉曉あかつき、、、髪髪かみををを剃剃そててて墨染墨染すみぞめにさまにさまにさまをををかえかえかえ、、、惣五惣五そうごををを改改あらたててて宗悟宗悟そうごとすとすとす。。。仍仍よっててて黒髪黒髪くろかみ山山やまののの句有句有くあり。。。衣更衣更ころもがえののの二字二字にじ力力ちからありてきこゆありてきこゆありてきこゆ。。。
- 6廿餘丁廿餘丁にじゅうよちょう山山やまををを登登のぼつてつてつて瀧瀧たき有有あり。。。岩洞岩洞がんどうののの頂頂いただきよりよりより飛流飛流ひりゅうしてしてして百百ひゃく尺尺しゃく、、、千岩千岩せんがんののの碧潭碧潭へきたんににに落落おたりたりたり。。。岩窟岩窟がんくつににに身身みをををひそめひそめひそめ入入いててて、、、瀧瀧たきののの裏裏うらよりみればよりみればよりみれば、、、瀧瀧たきととと申申もう傳傳つたえええ侍侍はべるるる也也なり。。。
- 7暫時暫時しばらくははは瀧瀧たきににに籠籠こもるやるやるやののの初初はつ
現代語訳
四月一日、日光のお山に参詣する。昔、このお山を「二荒山」と書いていたのを、空海大師が寺を開かれたとき、「日光」と改められた。千年後の今日のことを見通しておられたのだろうか。今、この東照宮のご威光は天下に輝きわたり、そのお恵みは国のすみずみまであふれ、士農工商の民はみな安心して穏やかに暮らしている。これ以上書くのはなお恐れ多いので、筆をおくことにする。
あらたうと青葉若葉の日の光(ああ、なんと尊いことか。青葉若葉に照り映える日の光は)
黒髪山は霞がかかって、雪がまだ白く残っている。
剃捨て黒髪山に衣更 曾良(黒髪を剃り捨てて旅立ったが、ちょうどこの黒髪山で衣更えの日を迎えることだ)
曾良は河合氏で、名を惣五郎という。芭蕉庵の近くに住んで、私の炊事や水くみの手伝いをしてくれている。このたび松島・象潟の景色をともに見ることを喜び、また旅の苦労をいたわろうと、旅立ちの朝に髪を剃って墨染めの僧衣に姿を変え、名も惣五を改めて宗悟とした。それで黒髪山の句がある。「衣更」の二字に力があるように聞こえる。
二十町あまり山を登ると滝がある。岩の洞穴の頂から飛ぶように流れ落ちること百尺、多くの岩に囲まれた青い淵に落ちている。岩のくぼみに身をかがめて入り、滝の裏から見るので、裏見の滝と言い伝えている。
暫時は瀧に籠るや夏の初(しばらくのあいだ滝の裏にこもっていると、夏の初めの夏籠りをしているような気持ちになることだ)
意訳
「日光」という名に、東照宮の威光がやがて天下を照らすことの予言を読みとる。過剰とも思える讃辞は、徳川の聖地に対する礼儀でもあり、「猶憚多くて筆をさし置ぬ」と、恐れ多さを理由に筆をとめる。その分、発句の「日の光」に思いのすべてをこめた。
曾良の句と人物紹介がここに置かれるのは、黒髪山を前にした句を出す機会に、旅の同行者を読者に紹介するためである。剃髪して宗悟と名を改めた曾良の覚悟は、「衣更」の一語に凝縮されている。
裏見の滝では、滝の裏の岩屋にこもる体験を、僧が夏の間寺にこもって修行する「夏籠り(夏安居)」に見立てた。旅の始まりの時期が、ちょうど夏籠りの始まる四月であることにも重ねている。
語釈・文法注
- 卯月朔日
- 四月一日。太陽暦の1689年5月19日。この日は衣更えの日でもあった。
- 二荒山
- 日光山の古い名。「ふたら」は補陀落(観音の浄土)に由来するという。音読みの「にこう」に「日光」の字をあてたとされる。
- 空海大師開基
- 空海が日光山を開いたという伝え。実際の開山は勝道上人とされる。
- 恩澤八荒
- 恵みが国のすみずみまで及ぶこと。「八荒」は八方の果て。
- 四民安堵
- 士農工商の人々が安心して暮らすこと。
- 黒髪山
- 日光の男体山。歌枕。
- 衣更
- 四月一日に冬の衣から夏の衣に着替えること。
- 曾良
- 河合曾良(1649〜1710)。信濃上諏訪の人。芭蕉の門人で、深川の芭蕉庵の近くに住み、身の回りの世話をした。この旅の詳しい記録『曾良旅日記(随行日記)』を残した。
- 薪水の勞
- 炊事や水くみなどの日常の雑用。
- 羈旅の難
- 旅の苦労。
- うらみの瀧
- 裏見の滝。日光の大谷川の支流にある滝で、裏側から見ることができた。
- 夏の初
- 夏籠り(夏安居)の初め。僧が四月十六日から九十日間こもって修行すること。
文法
- さとり給ふにや
- 「にや」の後に「あらむ」が略されている。見通しておられたのであろうか。
- あらたうと
- 「あら」は感動詞、「たうと」は形容詞「たふとし」の語幹。ああ尊い。語幹だけで感動を表す用法。
- 申傳え侍る也
- 「え」は底本のまま(歴史的仮名遣いでは「申し伝へ」)。
- 籠るや
- 「や」は切れ字。
発句・和歌
あらたうと青葉若葉の日の光
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 日光山に参詣しての句。新緑に照り映える日の光の美しさに、「日光」の地名と東照宮の威光を重ねてたたえる。季語は「青葉若葉」で初夏。
修辞
- 季語
- 青葉若葉。夏(初夏)。
- 掛詞的な表現
- 「日の光」に、日光の地名と、徳川家康をまつる東照宮の威光とをこめる。
剃捨て黒髪山に衣更
- 作者
- 河合曾良
- 状況
- 旅立ちにあたって髪を剃り僧形となった曾良が、黒髪山を前に、ちょうど四月一日の衣更えを迎えて詠んだ句。季語は「衣更」で初夏。
修辞
- 季語
- 衣更(ころもがえ)。夏(四月一日)。
- 対照
- 剃り捨てた「黒髪」と「黒髪山」の名とを対照させる。
暫時は瀧に籠るや夏の初
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 裏見の滝の裏の岩屋に入って詠んだ句。滝にこもるのを、夏の初めに始まる夏籠りの修行に見立てる。季語は「夏の初」。
修辞
- 季語
- 夏の初(げのはじめ)。夏籠りの始まり。夏。
- 切れ字
- 「や」。
解説
日光は徳川家康をまつる東照宮の地で、江戸幕府にとって最も神聖な場所であった。芭蕉の讃辞が大げさに感じられるのは、そのためでもある。曾良の『随行日記』によれば、四月一日に東照宮に参拝し、翌二日に裏見の滝と含満が淵を見物している。
「あらたうと」の句は、はじめ室の八島あたりで「あなたふと木の下暗も日の光」と詠まれ、のちに推敲されたことが知られている。「木の下暗」を「青葉若葉」に改めたことで、初夏の明るい光景になった。
曾良の紹介がこの章に置かれているのは、旅の初めに同行者を紹介するためである。曾良は実際には、旅立ちの前からすでに出家の姿であったとも言われ、「旅立曉、髪を剃て」は、作品を構成するための脚色と見る説もある。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、4〜5頁(コマ11)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日