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平家物語 巻第二

徳大寺厳島詣での事

宗盛に大将の位を越えられて籠居していた徳大寺実定は、出家を思い立つが、家人の藤蔵人重兼の勧めで、平家の崇める安芸の厳島に参詣する。帰りに内侍たちを都まで連れ帰ると、内侍たちは西八条の清盛にそのことを告げ、喜んだ清盛は重盛に左大将を辞させて実定をその後に任じた。

  1. 1こゝこゝここににに德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん實じつ實じつじっ定てい定ていていののの卿きやう卿きやうきょうははは、、、平へい平へいへい家け家けけののの次じ次じじ男なん男なんなん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうににに大たい大たいたい將しやう將しやうしょうををを越こ越ここえええられられられててて、、、しばらくしばらくしばらく世よ世よよのののならならならんんんやうやうようををを見み見みみんんんとてとてとて、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんををを辭じ辭じじしししててて籠ろう籠ろうろう居きよ居きよきょしししててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせんんんととと宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、御み御みみ内うち内うちうちののの上じやう上じやうじょう下げ下げげ、、、みなみなみな歎なげ歎なげなげききき悲かな悲かなかなしびしびしびあへあへあえりりりけりけりけり。。。そのそのその中なか中なかなかににに藤とう藤とうとう藏くら藏くらくら人うど人うどうどののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ重しげ重しげしげ兼かね兼かねかねととといふいふいう諸しよ諸しよしょ大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶありありあり。。。諸しよ諸しよしょ事じ事じじににに心こころ心こころこころ得え得ええたるたるたる人ひと人ひとひとにににてててありありありけるけるけるががが、、、あるあるある月つき月つきつきののの夜よ夜よよ、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどのたゞたゞただ一ひと一ひとひと人り人りり、、、南なん南なんなん面めん面めんめんののの御み御みみ格かう格かうこう子し子ししあげあげあげさせさせさせ、、、月つき月つきつきににに嘯うそぶ嘯うそぶうそぶいいいててておはしおはしおわしけるけるける所ところ所ところところへへへ、、、藤とう藤とうとう藏くら藏くらくら人うど人うどうど參まゐ參まゐまいりりりたりたりたり。。。「「「誰た誰たたそそそ。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまへへえばばば、、、「「「重しげ重しげしげ兼かね兼かねかね候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」「「「夜よ夜よよははは遙はる遙はるはるかかかににに更ふ更ふふけけけぬぬぬらんらんらんににに、、、いかにいかにいかに只たゞ只たゞただ今いま今いまいま何なに何なになに事ごと事ごとごとぞぞぞ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「今こ今ここ夜よひ夜よひよいははは月つき月つきつきさえさえさえ、、、よろづよろづよろず心こころ心こころこころののの澄す澄すすむむむまゝまゝままににに參まゐ參まゐまいつつっててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどの、、、「「「神しん神しんしん妙べう妙べうびょうにににももも參まゐ參まゐまいりりりたりたりたり。。。まことまことまことににに今こ今ここ宵よひ宵よひよいははは、、、何なに何なになにとととやらやらやらんんん心こころ心こころこころほそうほそうほそうててて、、、世よ世よよににに徒と徒とと然ぜん然ぜんぜんなるなるなるににに。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  2. 2さてさてさて昔むかし昔むかしむかし今いま今いまいまののの物もの物ものもの語がたり語がたりがたりどもどもどもししし給たま給たまたまひひいててて後のち後のちのち、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんのたまひのたまひのたまいけるけるけるははは、、、「「「つら〳〵つら〳〵つらつら平へい平へいへい家け家けけののの繁はん繁はんはん昌じやう昌じやうじょうするするする有あり有ありあり樣さま樣さまさまををを見み見みみるるるににに、、、嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり、、、次じ次じじ男なん男なんなん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり、、、左さ左ささ右いう右いうゆうののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょうなりなりなり。。。やがてやがてやがて三さん三さんさん男なん男なんなん知とも知ともとも盛もり盛もりもり、、、嫡ちやく嫡ちやくちゃく孫そん孫そんそん維これ維これこれ盛もり盛もりもりもももあるあるあるぞぞぞかしかしかし。。。かれかれかれもももこれこれこれももも次し次しし第だい第だいだいにににならならならばばば、、、他た他たた家け家けけののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとはははいついついつ大たい大たいたい將しやう將しやうしょうににに當あた當あたあたりりりつくつくつくべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。さればさればさればつひつひついののの事こと事ことことなりなりなり、、、出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけせせせんんん。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。
  3. 3藤とう藤とうとう藏くら藏くらくら人うど人うどうど涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「君きみ君きみきみののの御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけ候さふら候さふらそうらははわばばば、、、御み御みみ内うち内うちうちののの上じやう上じやうじょう下げ下げげ、、、みなみなみなまどひまどひまどいものものものとととなりなりなり候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。重しげ重しげしげ兼かね兼かねかねこそこそこそこのこのこの頃ごろ頃ごろごろめづらしきめづらしきめずらしき事こと事ことことををを案あん案あんあんじじじ出いだ出いだいだしししててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。たとへばたとへばたとえば安あ安ああ藝き藝ききののの嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまをををばばば、、、平へい平へいへい家け家けけなのめなのめなのめならならならずずず崇あが崇あがあがめめめ敬うやま敬うやまうやまははわれれれ候さふらふ候さふらふそうろう。。。これこれこれへへへ御おん御おんおん參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうらへへえかしかしかし。。。かのかのかの社やしろ社やしろやしろにににははは内ない内ないない侍し侍ししとてとてとて、、、優いう優いうゆうなるなるなる舞まひ舞まひまい姫ひめ姫ひめひめあまたあまたあまた候さふらふ候さふらふそうろうなれなれなればばば、、、めづらしくめづらしくめずらしく思おも思おもおもひひいまゐらせまゐらせまいらせててて、、、もてなしもてなしもてなし參まゐ參まゐまいらせらせらせ候さふら候さふらそうらははわんんんずずずらんらんらん。。。何なに何なになに事ごと事ごとごとののの御ご御ごご祈き祈きき請せい請せいせいやらやらやらんんんととと尋たづ尋たづたずねねね申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらははわばばば、、、ありのありのありの儘まゝ儘まゝままににに仰おほ仰おほおおせせせ候さふらふ候さふらふそうろうべしべしべし。。。さてさてさて御ご御ごご下げ下げげ向かう向かうこうののの時とき時ときとき、、、むねむねむねとととののの内ない内ないない侍し侍しし一いち一いちいち兩りやう兩りやうりょう人にん人にんにん、、、都みやこ都みやこみやこまでまでまで召め召めめししし具ぐ具ぐぐせせせさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて候さふら候さふらそうらははわばばば、、、定さだ定さださだめめめててて西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょうののの邸てい邸ていていへへへぞぞぞ參まゐ參まゐまいりりり候さふら候さふらそうらははわんんんずずずらんらんらん。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう何なに何なになに事ごと事ごとごとぞぞぞととと尋たづ尋たづたずねねね申まう申まうもうささされれれ候さふら候さふらそうらははわばばば、、、ありのまゝありのまゝありのままにににぞぞぞ申まう申まうもうししし候さふら候さふらそうらははわんんんずずずらんらんらん。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう極きは極きはきわめめめてててものものものめでめでめでししし給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとなれなれなればばば、、、しかるしかるしかるべきべきべきはからひはからひはからいもももありありありぬぬぬととと覺おぼ覺おぼおぼえええ候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどの、、、「「「これこれこれこそこそこそ思おも思おもおもひひい寄よ寄よよらららざりざりざりつれつれつれ。。。さらばさらばさらばやがてやがてやがて參まゐ參まゐまいらららんんん。。。」」」とてとてとて俄にはか俄にはかにはかににに精しやう精しやうしょう進じん進じんじんはじめはじめはじめつゝつゝつつ、、、嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへぞぞぞ參まゐ參まゐまいららられれれけるけるける。。。げにげにげにももも優いう優いうゆうなるなるなる舞まひ舞まひまい姫ひめ姫ひめひめどもどもども多おほ多おほおおかりかりかりけりけりけり。。。
  4. 4「「「抑そもそも抑そもそもそもそも當たう當たうとう社しや社しやしゃへへへははは、、、われらわれらわれらががが主しゆう主しゆうしゅうののの平へい平へいへい家け家けけののの公きん公きんきん達だち達だちだちたちたちたちこそこそこそ御おん御おんおんまゐりまゐりまいり候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、これこれこれこそこそこそめづらしきめづらしきめずらしき御おん御おんおん參まゐ參まゐまいりりりにににててて候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とてとてとて、、、むねむねむねとととののの内ない内ないない侍し侍しし十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにん、、、夜よる夜よるよる晝ひる晝ひるひるつきつきつき添そ添そそひひい參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、やう〳〵やう〳〵ようようにににもてなしもてなしもてなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。さてさてさて内ない内ないない侍し侍ししどもどもども、、、「「「何なに何なになに事ごと事ごとごとののの御ご御ごご祈き祈きき請せい請せいせいやらやらやらんんん。。。」」」ととと尋たづ尋たづたずねねね候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、「「「大たい大たいたい將しやう將しやうしょうををを人ひと人ひとひとににに越こ越ここえええられられられててて、、、そのそのその祈いの祈いのいのりりりののの爲ため爲ためためなりなりなり。。。」」」とととぞぞぞのたまひのたまひのたまいけるけるける。。。一いち一いちいち七しち七しちしち日にち日にちにち御ご御ごご參さん參さんさん籠ろう籠ろうろうあつあつあっててて、、、神かぐ神かぐかぐ樂ら樂ららををを奏そう奏そうそうししし、、、風ふう風ふうふう俗ぞく俗ぞくぞく、、、催さい催さいさい馬ば馬ばば樂ら樂ららうたはうたはうたわるるる。。。そのそのその間あひだ間あひだあいだににに舞ぶ舞ぶぶ樂がく樂がくがくももも三さん三さんさん箇か箇かか度ど度どどまでまでまでありありありけりけりけり。。。
  5. 5さてさてさて御ご御ごご下げ下げげ向かう向かうこうののの時とき時ときとき、、、むねむねむねとととののの内ない内ないない侍し侍しし十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにん船ふね船ふねふねおしおしおしたてたてたてててて、、、一ひと一ひとひと日ひ日ひひ路ぢ路ぢじ送おく送おくおくりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどの、、、「「「餘あま餘あまあまりりりににに名な名なな殘ごり殘ごりごり惜を惜をおしきしきしきににに、、、今いま今いまいま一ひと一ひとひと日ひ日ひひ路ぢ路ぢじ、、、今いま今いまいま二ふた二ふたふた日ひ日ひひ路ぢ路ぢじ。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいててて、、、都みやこ都みやこみやこまでまでまで召め召めめししし具ぐ具ぐぐさせさせさせたまひたまひたまい、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじののの邸てい邸ていていへへへ入い入いいれれれさせさせさせおはしましおはしましおわしまし、、、やう〳〵やう〳〵ようようにににもてなしもてなしもてなし、、、さま〴〵さま〴〵さまざまののの引ひき引ひきひき出で出でで物もの物ものものたうでたうでとうで歸かへ歸かへかえささされれれけりけりけり。。。
  6. 6内ない内ないない侍し侍ししどもどもども、、、「「「はる〴〵はる〴〵はるばるこれこれこれまでまでまで上のぼ上のぼのぼりりりたらたらたらんんんずるずるずるににに、、、いかでいかでいかでかかかわれらわれらわれらががが主しゆう主しゆうしゅうののの平へい平へいへい家け家けけへへへ參まゐ參まゐまいらららででであるあるあるべきべきべき。。。」」」とてとてとて、、、西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょう殿どの殿どのどのへへへぞぞぞ參さん參さんさんじじじたるたるたる。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどうやがてやがてやがて出い出いいででであひあひあい、、、對たい對たいたい面めん面めんめんししし給たま給たまたまひひいててて、、、「「「いかにいかにいかに内ない内ないない侍し侍ししどもどもどもははは、、、たゞたゞただ今いま今いまいま何なに何なになに事ごと事ごとごとののの列れつ列れつれっ參さん參さんさんぞぞぞややや。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどのののの嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへ御おん御おんおん參まゐ參まゐまいりりり候さふらふ候さふらふそうろうほどほどほどににに、、、われらわれらわれらががが船ふね船ふねふねをををしししたてたてたてててて、、、一ひと一ひとひと日ひ日ひひ路ぢ路ぢじ送おく送おくおくりりり參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、それそれそれよりよりより暇いとま暇いとまいとま申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどのさりとてさりとてさりとてははは名な名なな殘ごり殘ごりごり惜を惜をおしきしきしきににに、、、今いま今いまいま一ひと一ひとひと日ひ日ひひ路ぢ路ぢじ、、、今いま今いまいま二ふた二ふたふた日ひ日ひひ路ぢ路ぢじととと仰おほ仰おほおおせせせられられられててて、、、これこれこれまでまでまで召め召めめししし具ぐ具ぐぐせせせられられられててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう、、、「「「德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじははは何なに何なになに事ごと事ごとごとののの祈き祈きき請せい請せいせいににに、、、嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへははは參まゐ參まゐまいららられれれけるけるけるやらやらやらんんん。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまへへえばばば、、、「「「大たい大たいたい將しやう將しやうしょうををを人ひと人ひとひとににに越こ越ここえええられられられててて、、、そのそのその祈いの祈いのいのりりりののの爲ため爲ためためとととこそこそこそ仰おほ仰おほおおせせせ侍はべ侍はべはべりりりつれつれつれ。。。」」」ととと申まう申まうもうしししけれけれければばば、、、
  7. 7そのそのその時とき時ときとき入にふ入にふにゅう道だう道だうどう大おほ大おほおおきききにににうちうちうちうなづいうなづいうなずいててて、、、「「「王わう王わうおう城じやう城じやうじょうにににさしもさしもさしもあらたあらたあらたなるなるなる靈れい靈れいれい佛ぶつ佛ぶつぶつ、、、靈れい靈れいれい社しや社しやしゃのののいくらいくらいくらもももましますましますましますをををさしさしさしおいおいおいててて、、、淨じやう淨じやうじょう海かい海かいかいががが崇あが崇あがあがめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへ、、、はる〴〵はる〴〵はるばるととと參まゐ參まゐまいららられれれけるけるけるこそこそこそいとほしけれいとほしけれいとおしけれ。。。それそれそれ程ほど程ほどほどまでまでまで切せつ切せつせつならならならんんん上うへ上うへうえははは。。。」」」とてとてとて、、、嫡ちやく嫡ちやくちゃく子し子しし重しげ重しげしげ盛もり盛もりもり内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじんののの左さ左ささ大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにににててておはしおはしおわしけるけるけるををを、、、辭じ辭じじせせせさせさせさせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、次じ次じじ男なん男なんなん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにににててておはしおはしおわしけるけるけるををを越こ越ここえええさせさせさせててて、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどのををを左さ左ささ大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにににぞぞぞなさなさなされれれけるけるける。。。あはれあはれあわれかしこきかしこきかしこきはからひはからひはからいかなかなかな。。。新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんもももかやうかやうかようののの謀はかりごと謀はかりごとはかりごとをををばばばししし給たま給たまたまははわででで、、、よしなきよしなきよしなき謀む謀むむ叛ほん叛ほんほん起おこ起おこおこしししててて、、、わがわがわが身み身みみももも子し子しし孫そん孫そんそんももも、、、亡ほろ亡ほろほろびびびぬるぬるぬるこそこそこそうたてけれうたてけれうたてけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

ここに徳大寺の大納言実定卿は、平家の次男宗盛卿に大将の位を越えられて、しばらく世の成り行きを見ようと、大納言を辞して引きこもっておられたが、出家しようとおっしゃったので、邸の上下の者はみな嘆き悲しみ合った。その中に藤蔵人大夫重兼という諸大夫がいた。万事に心得のある人であったが、ある月の夜、徳大寺殿がただ一人、南面の格子を上げさせて、月に詩を口ずさんでおられたところへ、藤蔵人が参った。「だれだ」とお尋ねになると、「重兼でございます」。「夜もずいぶん更けたであろうに、どうして今ごろ、何事だ」とおっしゃると、「今夜は月がさえて、万事心が澄みますので、参りました」と申す。徳大寺殿は「よく参った。まことに今夜は何となく心細くて、まったく退屈なところだ」とおっしゃった。

さて昔や今の話などなさった後、大納言がおっしゃるには、「よくよく平家の繁栄する有様を見ると、嫡子重盛、次男宗盛が左右の大将である。そのうえ三男知盛や嫡孫維盛もいる。あの人もこの人も順に大将になったら、他家の人々はいつ大将になれるとも思われない。だから結局は同じことだ、出家しよう」とおっしゃった。

藤蔵人は涙をはらはらと流して、「君がご出家なさったら、邸の上下の者はみな路頭に迷うことになりましょう。重兼はこのごろ珍しいことを考え出しました。たとえば安芸の厳島を、平家はひとかたならず崇敬しております。そこへご参詣なさいませ。あの社には内侍といって優雅な舞姫が大勢おりますので、珍しく思い申して、おもてなし申し上げるでしょう。何の御祈願かと尋ねましたら、ありのままにおっしゃいませ。そしてお帰りのときに、主だった内侍を一、二人都までお連れになったら、きっと西八条の邸へ参るでしょう。入道が何事かと尋ねましたら、ありのままに申すでしょう。入道はたいそう物に感じやすい人ですから、しかるべきはからいもあるかと思われます」と申したので、徳大寺殿は「これは思いも寄らなかった。それならすぐに参ろう」といって、にわかに精進を始めて厳島へ参られた。なるほど優雅な舞姫たちが大勢いた。

「そもそもこの社へは、私どもの主の平家の公達こそお参りになりますが、これは珍しいお参りでございます」といって、主だった内侍十余人が夜昼付き添い申し上げて、いろいろとおもてなし申した。さて内侍たちが「何の御祈願でしょう」と尋ねましたところ、「大将の位を人に越えられて、その祈りのためだ」とおっしゃった。七日間おこもりになって、神楽を奏し、風俗歌や催馬楽を歌われた。その間に舞楽も三度まであった。

さてお帰りのとき、主だった内侍十余人が船を仕立てて、一日の道のりをお送り申した。徳大寺殿は「あまりに名残惜しいので、もう一日、もう二日」とおっしゃって、都までお連れになり、徳大寺の邸へお入れになって、いろいろともてなし、さまざまな引出物を与えてお帰しになった。

内侍たちは「はるばるここまで上ってきたのに、どうして私どもの主の平家へ参らずにいられよう」といって、西八条殿へ参上した。入道はすぐに出てきて対面なさり、「どうした内侍たち、今そろって何事だ」とおっしゃると、「徳大寺殿が厳島へお参りになりましたので、私どもが船を仕立てて一日の道のりをお送り申し、そこでお暇を申しましたところ、徳大寺殿が、それでは名残惜しいので、もう一日、もう二日とおっしゃって、ここまでお連れになったのです」と申す。入道は「徳大寺は何の祈願で厳島へ参られたのか」とお尋ねになると、「大将の位を人に越えられて、その祈りのためとおっしゃっておりました」と申したので、

そのとき入道は大きくうなずいて、「都にあれほど霊験あらたかな仏や社がいくらでもおありになるのをさしおいて、浄海の崇め申す厳島へはるばる参られたのは、いとしいことだ。それほどまでに切に願っているのなら」といって、嫡子重盛が内大臣で左大将でいらっしゃったのを辞めさせ申し、次男宗盛が大納言で右大将でいらっしゃったのを越えさせて、徳大寺殿を左大将になさった。ああ、賢いはからいであることよ。新大納言(成親)もこのような計略をなさればよかったのに、つまらない謀反を起こして、わが身も子孫も滅んでしまったのは情けないことである。

意訳

鹿ケ谷事件の発端となった大将人事の、もう一つの結末を描く章段である。宗盛に大将の位を越えられた徳大寺実定は、謀反を起こした成親とは対照的に、家人重兼の知恵を借りて、清盛の崇める厳島に参詣するという方法で清盛の心をつかもうとする。

内侍たちを都まで連れ帰り、清盛のもとへ報告に行かせるという計略は見事に当たり、喜んだ清盛は重盛に左大将を辞めさせて実定をその後任とする。物語は「あはれかしこきはからひかな」と実定の才覚をほめ、成親も同じような手段をとればよかったのにと結ぶ。武力に訴えるより、権力者の自尊心をくすぐるほうが功を奏するという、宮廷社会の処世術が皮肉をこめて描かれている。

語釈・文法注

文法

「月に嘯いて」
「嘯く」は、詩歌を口ずさむ、の意。
「されば、つひの事なり」
結局は同じことだ、遅かれ早かれ出家することになるのだ、の意。
「ものめでし給ふ人」
「ものめで」は、物事に感じ入りやすいこと。
「それ程まで切ならん上は」
それほどまで切実に願っているのなら、の意で、後に「その望みをかなえてやろう」といった言葉が省略されている。

解説

徳大寺実定(1139〜1192)は、徳大寺公能の子で、「二代の后」藤原多子の兄にあたる。歌人としても知られ、「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」の歌が『百人一首』に選ばれている。実定が左大将になったのは治承元年(1177)十二月のことで、物語の語るように厳島参詣の効果であったかどうかは確かでないが、清盛の厳島信仰が平家と結ぼうとする人々に利用されていたことはうかがえる。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、343–346頁(コマ200–202)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日