大和物語 第23章(第151段〜第155段)
立田川・いはでおもふ・安積山
奈良の帝と人麻呂の立田川の紅葉の歌、愛鷹を逃がした大納言に帝が返した「いはでおもふぞいふにまされる」、嵯峨の東宮との藤袴の贈答、立田山で男にさらわれて死んだ娘、大納言の娘をさらって安積山に住んだ内舎人と、山の井に映るわが姿に恥じて死んだ娘の「安積山」の歌まで、五つの段。
- 1同同おなじじじ帝帝みかど、、、川川がわののの紅葉紅葉もみじいとおもしろきいとおもしろきいとおもしろきををを御覽御覽ごらんじけるじけるじける日日ひ、、、人人ひとまろまろまろ、、、
- 2「「「立田立田たつた川川がわもみぢもみぢもみじ葉葉は三室三室みもろののの山山やまにしぐれにしぐれにしぐれふるふるふるらしらしらし」」」。。。
- 3みかどみかどみかど、、、
- 4「「「立田立田たつた川川がわもみぢみだれてながるめりもみぢみだれてながるめりもみじみだれてながるめり渡渡わたらばにしきらばにしきらばにしき中中なかややや絕絕たえなむえなむえなむ」」」
- 5とぞあそばしたりけるとぞあそばしたりけるとぞあそばしたりける。。。
- 6同同おなじじじ帝帝みかど、、、狩狩かりいとかしこくいとかしこくいとかしこく好好このみみみ給給たもうけりうけりうけり。。。みちのみちのみちの國國くに手手てののの郡郡こおりよりよりより奉奉たてまつれるれるれる御御おん鷹鷹たか、、、世世よになくかしこかりければになうになくかしこかりければになうになくかしこかりければにのう思思おぼしてしてして鷹鷹たかにしにしにし給給たもうけりうけりうけり。。。
- 7名名なをばをばをばはははでとなむつけでとなむつけでとなむつけ給給たまへりけるへりけるえりける。。。それそれそれをををかのかのかの道道みちににに心心こころありてありてありて預預あずかりりり仕仕つこうまつりうまつりうまつり給給たもうけるうけるうける大納言大納言だいなごんににに預預あずけけけ給給たまへりけるへりけるえりける。。。夜晝夜晝よるひるこれこれこれをををあづかりてとりかひあづかりてとりかひあずかりてとりかい給給たまふふうほどにほどにほどに、、、いかゞしいかゞしいかがし給給たまひけむそらしひけむそらしいけむそらし給給たもうてけりうてけりうてけり。。。
- 8心心こころ肝肝きもををを惑惑まどはしてはしてわして求求もとむるにむるにむるに更更さらにえにえにえ見見み出出いでずでずでず。。。山々山々やまやまににに人人ひとをやをやをやりつゝりつゝりつつ求求もとめさすれどめさすれどめさすれど更更さらになしになしになし。。。自自みずからもらもらも深深ふかききき山山やまににに入入いりてりてりて惑惑まどひありきひありきいありき給給たまへどかひもなしへどかひもなしえどかいもなし。。。
- 9このこのこの事事ことををを奏奏そうせでせでせで暫暫しばしもあるべけれどしもあるべけれどしもあるべけれど、、、二三日二三日ふつかみかにあけずにあけずにあけず御覽御覽ごらんせぬせぬせぬ日日ひなしなしなし。。。いかゞせむとていかゞせむとていかがせむとてうちにうちにうちに參參まいりてりてりて御御おん鷹鷹たかののの失失うせたるよしせたるよしせたるよしををを奏奏そうししし給給たまふふう時時ときににに、、、帝帝みかどものものたまはせずものものたまはせずものものたまわせず。。。
- 10聞聞きこしめしつけぬにやあらむとてしめしつけぬにやあらむとてしめしつけぬにやあらむとて、、、又又また奏奏そうししし給給たまふにおもてふにおもてうにおもてをををのみまもらせのみまもらせのみまもらせ給給たもうてうてうて物物ものものたまはせずものたまはせずものたまわせず。。。思思おぼしたるなりけりとしたるなりけりとしたるなりけりと我我わにもあらぬにもあらぬにもあらぬ心心こころちしてちしてちして畏畏かしこまりていますかりてまりていますかりてまりていますかりて「「「このこのこの御御おん鷹鷹たかののの、、、求求もとむるにむるにむるに侍侍はべらぬことらぬことらぬこと、、、いかさまにかしいかさまにかしいかさまにかし侍侍はべらむらむらむ。。。などかなどかなどか仰事仰事おおせごともしもしもし給給たまはぬはぬわぬ」」」ととと奏奏そうししし給給たまふふう時時ときににに、、、帝帝みかど、、、
- 11「「「いいいはははでおもふぞいふにまされるでおもふぞいふにまされるでおもうぞいうにまされる」」」
- 12とのたまひけりとのたまひけりとのたまいけり。。。かくのみのたまはせてかくのみのたまはせてかくのみのたまわせて、、、ことことこと事事ことものたまはざりけりものたまはざりけりものたまわざりけり。。。御心御心みこころにいといふかひなくにいといふかひなくにいというかいなく惜惜おしくおぼさるゝになむありけるしくおぼさるゝになむありけるしくおぼさるるになむありける。。。これこれこれをををなむなむなん世世よののの中中なかののの人人ひと、、、をばをばをばとかくつけたるとかくつけたるとかくつけたる。。。もともともとはははかくのみなむありけるかくのみなむありけるかくのみなむありける。。。
- 13ならのならのならの帝帝みかど位位くらいにおはしましけるにおはしましけるにおわしましける時時とき、、、ののの帝帝みかどはははにおはしましてにおはしましてにおわしまして、、、詠詠よみてたてまつれみてたてまつれみてたてまつれ給給たもうけるうけるうける。。。
- 14「「「みなみなみな人人ひとのそののそののその香香かにににめづるめづるめずる君君きみのみためとのみためとのみためと手手て折折おりつるりつるりつるけふけふきょう」」」。。。
- 15帝帝みかど、、、御御おんかへしかへしかえし、、、
- 16「「「折折おるるる人人ひとのこゝろにかなふのこゝろにかなふのこころにかなうふぢばかまふぢばかまふじばかまうべうべうべ色色いろごとににほひたりけりごとににほひたりけりごとににおいたりけり」」」。。。
- 17大和大和やまとののの國國くになりけるなりけるなりける人人ひとのむすめいとのむすめいとのむすめいと淸淸きよらにてありけるらにてありけるらにてありけるををを、、、京京きょうよりよりより來來きたりけるたりけるたりける男男おとこのかいまみてのかいまみてのかいまみて見見みけるにいとをかしげなりければぬすみてけるにいとをかしげなりければぬすみてけるにいとおかしげなりければぬすみて、、、かきかきかき抱抱いだきてきてきて馬馬うまにににうちうちうち乘乘のせてせてせて逃逃にげていにけりげていにけりげていにけり。。。
- 18いとあさましうおそろしういとあさましうおそろしういとあさましゅうおそろしゅう思思おもひけりひけりいけり。。。日暮日暮ひくれてれてれて立田立田たつた山山やまにやどりぬにやどりぬにやどりぬ。。。草草くさののの中中なかにににををを解解とききき敷敷しきてきてきて女女おんなををを抱抱いだきてきてきて臥臥ふせりせりせり。。。女女おんな恐恐おそろしとろしとろしと思思おもふことかぎりなしふことかぎりなしうことかぎりなし。。。
- 19侘侘わびしとおもひてしとおもひてしとおもいて、、、男男おとこのものいへどいらへもせでのものいへどいらへもせでのものいえどいらえもせで泣泣なきければきければきければ、、、男男おとこ、、、
- 20「「「鳥鳥とりかからごろもかからごろもかからごろも立田立田たつたののの山山やまにににをりはへをりはへおりはえてててなくなくなく」」」。。。
- 21女女おんな、、、かへしかへしかへし、、、
- 22「「「立田立田たつた川川がわ岩根岩根いわねをををさしてさしてさして行行ゆくくく水水みずのゆくへものゆくへものゆくえも知知しらぬわがごとやなくらぬわがごとやなくらぬわがごとやなく」」」
- 23ととと詠詠よみてみてみて死死しにけりにけりにけり。。。いとあさましうてなむいとあさましうてなむいとあさましゅうてなむ男男おとこ抱抱いだきもちてきもちてきもちて泣泣なきけるきけるきける。。。
- 24昔昔むかし大納言大納言だいなごんののの女女おんないといといと美美うつくしうてくしうてくしゅうて持持もちちち給給たまひたりけるひたりけるいたりけるををを、、、帝帝ていににに奉奉たてまつらむとてかしづきらむとてかしづきらむとてかしずき給給たもうけるうけるうける。。。殿殿どのにちかうにちかうにちこう仕仕つこ人人ひと、、、いかでかいかでかいかでか見見みけむけむけむ、、、このむすめこのむすめこのむすめををを見見みてけりてけりてけり。。。
- 25顏顏かおかたちのいとかたちのいとかたちのいと美美うつくしげなるくしげなるくしげなるををを見見みててて、、、萬萬よろずののの事事ことおぼえずおぼえずおぼえず、、、心心こころにかゝりてにかゝりてにかかりて、、、夜晝夜晝よるひるいとわびしくやまひになりておぼえければいとわびしくやまひになりておぼえければいとわびしくやまいになりておぼえければ、、、「「「せちにせちにせちに聞聞きこえさすべきえさすべきえさすべき事事ことなむあるなむあるなむある」」」ととと言言いひひい渡渡わたりたりければりたりければりたりければ、、、「「「あやしあやしあやし。。。何事何事なにごとぞぞぞ」」」といひてといひてといいて出出いでたりけるでたりけるでたりけるををを、、、さるさるさる心心こころまうけしてゆくりもなくかきまうけしてゆくりもなくかきもうけしてゆくりもなくかき抱抱いだきてきてきて馬馬うまににに乗乗のせてみちのせてみちのせてみちの國國くにへへへ夜夜よともいはずともいはずともいわず、、、晝晝ひるともいはずともいはずともいわず、、、逃逃にげていにけりげていにけりげていにけり。。。
- 26あさかのあさかのあさかの郡郡こおりあさかのあさかのあさかの山山やまといふといふという所所ところにいほりにいほりにいおりををを造造つくりてこのりてこのりてこの女女おんなをををすゑてすゑてすえて里里さとににに出出いでつゝでつゝでつつ物物ものなどなどなど求求もとめてめてめて來來きつゝくはせてつゝくはせてつつくわせて年月年月としつきををを經經へてててありありありへへへけりけりけり。。。このこのこの男男おとこいぬればいぬればいぬれば唯唯ただ一人一人ひとり物物ものももも食食くはははででで山山やまののの中中なかににに居居いたればたればたれば限限かぎりなくなくなく侘侘わびしかりけりしかりけりしかりけり。。。
- 27かゝるかゝるかかるほどにほどにほどに孕孕はらみにけりみにけりみにけり。。。このこのこの男男おとこ物物ものもとめにもとめにもとめに出出いでにけるまゝにでにけるまゝにでにけるままに、、、三四日三四日みかよかこざりければこざりければこざりければ、、、待待まちちち侘侘わびてびてびて立立たちちち出出いでゝでゝでてののの井井いにいきてにいきてにいきて影影かげををを見見みればればれば、、、わがありしかたちにもあらずわがありしかたちにもあらずわがありしかたちにもあらず。。。
- 28怪怪あやしきしきしきやうになりにけりやうになりにけりようになりにけり。。。鏡鏡かがみもなければもなければもなければ顏顏かおのなりたらむやうものなりたらむやうものなりたらむようも知知しらでありけるにらでありけるにらでありけるに、、、俄俄にわかににに見見みればいとればいとればいと恐恐おそろしげなりけるろしげなりけるろしげなりけるををを、、、いといといとはははづかしとづかしとずかしと思思おもひけりひけりいけり。。。さてよみたりけるさてよみたりけるさてよみたりける、、、
- 29「「「山山やまかげさへかげさへかげさえ見見みゆるゆるゆる山山やまののの井井いののの淺淺あさくくくははは人人ひとをををおもふものかおもふものかおもうものかははは」」」
- 30とよみてとよみてとよみて木木きににに書書かきつけていほにきつけていほにきつけていおに來來きててて死死しにけりにけりにけり。。。男男おとこ物物ものなどもとめてもてなどもとめてもてなどもとめてもて來來きててて、、、死死しにてにてにて伏伏ふせりければいとあさましとせりければいとあさましとせりければいとあさましと思思おもひけりひけりいけり。。。山山やまののの井井いなりけるなりけるなりける歌歌うたををを見見みててて歸歸かえりりり來來きててて、、、これこれこれををを思思おもひひい死死しにゝにゝにに傍傍かたわらににに臥臥ふせりてせりてせりて死死しにけりにけりにけり。。。世世よののの。。。
現代語訳
〔第151段〕同じ帝(奈良の帝)が、立田川の紅葉がたいへん美しいのをご覧になった日に、人麻呂が、
「立田川に紅葉が流れている。神奈備の三室の山に、時雨が降っているらしい」。
帝が、
「立田川に紅葉が乱れて流れているようだ。渡ったら、錦が中で断ち切れてしまうだろうか」
とおよみになった。
〔第152段〕同じ帝は、鷹狩をたいへんお好みになった。陸奥の国の磐手の郡から献上された御鷹は、世にまたとなくすぐれていたので、このうえなく大切にお思いになって、御手鷹にしていらっしゃった。名を「磐手(いはで)」とお付けになっていた。それを、その道に心得があって預かってお仕えしていらっしゃった大納言にお預けになっていた。大納言は昼も夜もこれを預かって世話をしていらっしゃるうちに、どうなさったのか、逃がしてしまわれた。心も肝もうろたえさせて探したが、まったく見つけ出せない。山々に人をやって探させたけれど、まったくいない。自分でも深い山に入って探しまわりなさったけれど、かいもない。このことを奏上しないで、しばらくはいられそうでもあるが、帝は二、三日おかずにご覧にならない日はない。どうしようと思って、内裏に参上して、御鷹がいなくなったことを奏上なさった時に、帝は何もおっしゃらない。お聞き取りにならなかったのだろうかと思って、また奏上なさると、帝は大納言の顔をじっと見つめなさるばかりで、何もおっしゃらない。けしからんとお思いなのだと、生きた心地もせず恐縮していらっしゃって、「この御鷹が、探しても見つかりませんことは、どういたしましょう。どうして何もおおせごとをくださらないのですか」と奏上なさった時に、帝が、
「言わないで思うほうが、言うよりもまさっている」
とおっしゃった。ただこれだけをおっしゃって、ほかのことは何もおっしゃらなかった。御心の中では、たいへん言いようもなく残念にお思いになっていたのであった。これを世の中の人は、上の句をあれこれと付けている。もとはこれだけであった。
〔第153段〕奈良の帝が位についていらっしゃった時、嵯峨の帝は東宮でいらっしゃって、よんでさし上げなさった歌。
「誰もがその香りをめでる藤袴を、あなたのためにと、今日手折ったのです」。
帝の御返し、
「折る人の心にかなった藤袴は、なるほど色ごとに美しく匂っていることよ」。
〔第154段〕大和の国にいた人の娘が、たいへん美しく暮らしていたのを、京から来た男がのぞき見て、たいそうかわいらしかったので盗んで、抱きかかえて馬に乗せて逃げて行ってしまった。娘はたいへんあきれて恐ろしく思った。日が暮れて立田山に宿った。草の中に障泥(あおり)を解いて敷いて、女を抱いて臥した。女は恐ろしいと思うことこのうえない。つらいと思って、男がものを言っても返事もせずに泣いていたので、男が、
「誰の禊のための木綿付け鳥なのか、唐衣を裁つという立田の山で、長々と鳴いている」。
女の返し、
「立田川の岩根をさして流れて行く水のように、行く先も知らないわたしのように、鳥も泣いているのでしょうか」
とよんで死んでしまった。たいへんあきれて、男は亡骸を抱いて泣いた。
〔第155段〕昔、大納言が、娘でたいへん美しいのを持っていらっしゃったのを、帝にさし上げようと大切に育てていらっしゃった。御殿の近くに仕えていた内舎人であった人が、どうして見たのか、この娘を見てしまった。顔かたちがたいへん美しいのを見て、何もかも分からなくなり、心にかかって、昼も夜もたいへんつらく病気のようになって思われたので、「ぜひとも申し上げたいことがあります」と言い続けたところ、娘が「不思議なこと。何事でしょう」と言って出て来たのを、そのつもりで用意していて、いきなり抱きかかえて馬に乗せ、陸奥の国へ、夜とも言わず昼とも言わず逃げて行った。安積の郡の安積山という所に庵を造って、この女を住まわせ、男は里に出ては食べ物などを求めて来ては食べさせて、年月を過ごしていた。この男が出て行くと、女はただ一人、物も食べずに山の中にいたので、このうえなくわびしかった。そうするうちに身ごもった。この男が食べ物を探しに出て行ったまま、三、四日帰って来なかったので、待ちわびて外に出て、山の井戸に行って自分の姿を映して見ると、昔の自分の姿でもない。見苦しい様子になってしまっていた。鏡もないので、顔がどうなっているかも知らずにいたが、急に見るとたいへん恐ろしげであったのを、たいへん恥ずかしく思った。そうしてよんだ歌、
「安積山の影までも映って見える山の井は浅いけれど、わたしは浅い心で人を思っているのではありません」
とよんで、木に書きつけて、庵に帰って死んでしまった。男は食べ物などを探して持って来て、女が死んで臥しているので、たいへんあきれて思った。山の井戸のところにあった歌を見て帰って来て、これを思い悩んで、そばに臥して死んでしまった。昔の言い伝えであった。
意訳
〔第151段〕立田川を流れる紅葉の美しさ。人麻呂は川上の三室山の時雨を思いやり、帝は「渡れば錦が断ち切れてしまう」と、川面を錦に見立てて渡るのをためらう。帝の歌は、『古今和歌集』では「読人しらず」の歌として、少し形を変えて入っている。
〔第152段〕愛鷹「磐手」を逃がしてしまった大納言。恐る恐る報告しても、帝は黙って大納言の顔を見つめるばかり。ようやく口にしたのは「いはでおもふぞいふにまされる」――鷹の名の「磐手(いはで)」に「言はで(言わないで)」を掛け、「口に出さずに思うほうが、言うよりも深い」と、責める言葉も嘆きの言葉ものみこんだ。人々がこの下の句にさまざまな上の句を付けて楽しんだという結びも、歌が人の口から口へ伝わっていく様子をうかがわせる。
〔第153段〕兄弟の帝と東宮が、藤袴に寄せて敬意と親しみを交わす。
〔第154段〕さらわれた娘は、立田山の草の上で、恐ろしさのあまり口もきかない。男が鶏の声に寄せて歌いかけると、娘は「行く先も知らない水のような身の上」とよんで息絶えた。短く、残酷な話である。
〔第155段〕帝に入内させるはずの娘をさらった内舎人。陸奥の安積山の庵で暮らすうち、娘は身ごもり、ひとりで待つ日々にやつれていく。山の井戸に映ったわが姿の変わりように驚き、恥じた娘は、「山の井は浅いけれど、わたしの思いは浅くない」と木に書きつけて死んだ。それを見た男も、そのそばで死ぬ。「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」は『万葉集』の歌で、『古今和歌集』仮名序では、歌の「父母」として「難波津」の歌と並べて挙げられた名歌である。
語釈・文法注
- 立田川
- 竜田川。大和国の川。紅葉の名所。
- かみなびの三室の山
- 神奈備の三室山。神の宿る山の意で、竜田の神奈備山を指す。
- 岩手の郡
- 陸奥国磐手郡。今の岩手県。鷹の産地として知られた。
- 御手鷹
- 天皇がみずから手に据えて狩に使う鷹。
- いはで
- 鷹の名「磐手」。「言はで(言わないで)」を掛ける。
- たいだいし
- けしからん、もってのほかだ。
- もと
- 和歌の上の句(本)。
- 嵯峨の帝
- 嵯峨天皇(786〜842)。平城天皇の弟。
- 坊
- 東宮坊。皇太子。
- ふぢばかま
- 藤袴。秋の七草の一つで、香りのよい花。
- あふり
- 障泥(あおり)。馬の脇腹に垂らす泥よけの革。
- みそぎ
- 禊。水で身を清める神事。
- うどねり
- 内舎人。天皇の身辺の警護や雑事に仕える下級の官人。
- あさかの郡あさかの山
- 陸奥国安積郡(今の福島県郡山市のあたり)の安積山。
- 山の井
- 山の清水がたまった浅い泉。
- ふるごと
- 古事。昔から言い伝えられた話。
文法
- しぐれふるらし
- 「らし」は根拠のある推定。紅葉が流れてくるのを根拠に推量する。
- 中や絕えなむ
- 「や」は疑問、「な」は強意、「む」は推量。
- いかゞし給ひけむ
- 語り手の挿入句。どうなさったのか。
- 二三日にあけず
- 底本の本文。二、三日おかずに、の意に解した。
- 聞しめしつけぬにやあらむ
- 「にやあらむ」は推測。
- いはでおもふぞいふにまされる
- 「ぞ」の結びで連体形「まされる」(「る」は存続の「り」の連体形)。下の句だけの歌。
- もとをばとかくつけたる
- 人々が上の句をいろいろに付けていることを言う。
- たてまつれ給うける
- 「奉る」の未然形+尊敬の「給ふ」。底本は「たてまつれ」と書く。
- いかでか見けむ
- 「いかでか」は疑問。どうして見たのだろう。
- 顏のなりたらむやう
- 「たら」は完了「たり」の未然形、「む」は婉曲。
- おもふものかは
- 「ものかは」は反語。
- これを思ひ死にゝ
- 底本は「思ひ死にゝ」と踊り字で書く。思い死にに。
和歌
立田川 もみぢ葉ながる かみなびの 三室の山に しぐれふるらし
- 詠者
- 柿本人麻呂
- 状況
- 奈良の帝のお供で、立田川の紅葉を見て。『古今和歌集』秋下にも入る(読人しらず、左注に人麻呂の歌とも)。
立田川 もみぢみだれて ながるめり 渡らばにしき 中や絕えなむ
- 詠者
- 奈良の帝
- 状況
- 同じく。『古今和歌集』秋下にも入る(読人しらず、左注に奈良の帝の歌とも)。
修辞
- 見立て
- 川面に流れる紅葉を錦に見立てる。
いはでおもふぞ いふにまされる
- 詠者
- 奈良の帝
- 状況
- 愛鷹「磐手」を逃がした大納言の報告を受けて。下の句だけの歌。
修辞
- 掛詞
- 「いはで」に鷹の名「磐手」と「言はで」を掛ける。
みな人の その香にめづる ふぢばかま 君のみためと 手折りつるけふ
- 詠者
- 嵯峨天皇(東宮)
- 状況
- 兄の奈良の帝(平城天皇)に、藤袴を手折って。
折る人の こゝろにかなふ ふぢばかま うべ色ごとに にほひたりけり
- 詠者
- 奈良の帝
- 状況
- 東宮の歌への返し。
たがみそぎ ゆふつけ鳥か からごろも 立田の山に をりはへてなく
- 詠者
- 大和の娘をさらった男
- 状況
- 立田山で一夜を明かし、泣く娘に。『古今和歌集』雑下にも入る(読人しらず)。
修辞
- 枕詞
- 「からごろも」が「たつ(裁つ)」から「立田」にかかる。
- 掛詞
- 「をりはへ」に「折り延へ(長々と)」と、唐衣の「織り」を響かせる。
立田川 岩根をさして 行く水の ゆくへも知らぬ わがごとやなく
- 詠者
- さらわれた大和の娘
- 状況
- 男の歌への返し。この歌をよんで死んだ。
修辞
- 序詞
- 「立田川岩根をさして行く水の」が「ゆくへも知らぬ」を導く。
あさか山 かげさへ見ゆる 山の井の 淺くは人を おもふものかは
- 詠者
- さらわれた大納言の娘
- 状況
- 安積山の山の井に映ったやつれた姿を恥じ、木に書きつけて。
修辞
- 序詞
- 「あさか山かげさへ見ゆる山の井の」が「浅く」を導く。
- 本歌
- 『万葉集』巻十六の「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」をふまえる。
解説
第152段の「いはでおもふぞいふにまされる」は、下の句だけが伝わる歌として名高い。鷹の名「磐手」に「言はで」を掛け、口に出さずに思うほうが深いという帝の言葉は、のちに多くの人が上の句を付けて楽しんだ。「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」(『古今和歌六帖』)がよく知られ、百人一首にはないが、慣用句のようにも使われるようになった。
第155段の安積山の話は、『万葉集』巻十六の「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」という歌をもとにした話である。『万葉集』の左注では、葛城王が陸奥に下った時に、もてなしの悪さに怒った王を、もと采女であった女がこの歌でなだめたという、まったく別の由来が記されている。『大和物語』は、同じ歌に、さらわれた娘の悲しい死という新しい物語を与えている。
この章の段は、いずれも「奈良の帝」の時代や「昔」の話として語られる伝説である。歌の由来を語る点では前半の歌語りと同じだが、その歌は古い時代のもので、話の内容も、人さらい、死、山中の暮らしなど、宮廷の外の世界に広がっている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、59〜62頁(コマ33–36)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日