古典ライブラリー

おくのほそ道 第34章

越後路

酒田の人々との名残を惜しみつつ、北陸道を加賀へ向かう。鼠の関を越えて越後に入り、市振の関まで九日、暑さと湿気で病がおこり、記録を残さない。ただ、七夕を前にした「文月や六日も常の夜には似ず」と、名句「荒海や佐渡によこたふ天河」を記す。

荒れる日本海の向こうに佐渡島が横たわり、夜空に天の川が流れる(AI生成)
荒れる日本海の向こうに佐渡島が横たわり、夜空に天の川が流れる
  1. 1酒田さかた酒田さかたさかたののの、、、日ひ日ひひををを重かさね重かさねかさねてててののの雲くも雲くもくもににに望のぞ望のぞのぞ。。。遙々はるばる遙々はるばるはるばるのおもひのおもひのおもい胸むね胸むねむねをををいたましめていたましめていたましめて、、、賀が賀ががののの府ふ府ふふまでまでまで百卅里ひやくさんじふり百卅里ひやくさんじふりひゃくさんじゅうりととと聞きこ聞きこきこ。。。ののの關せき關せきせきをををこゆればこゆればこゆれば、、、越後ゑちご越後ゑちごえちごののの地ち地ちちににに歩行かち歩行かちかちををを改あらた改あらたあらたててて、、、越中ゑつちゆう越中ゑつちゆうえっちゅうのののぶりのぶりのぶりの關せき關せきせきににに到いた到いたいたるるる。。。
  2. 2此間九日このかんここのか此間九日このかんここのかこのかんここのか、、、ののの勞らう勞らうろうににに神しん神しんしんをををなやましなやましなやまし、、、病やまひ病やまひやまいおこりておこりておこりて事こと事ことことをををしるさずしるさずしるさず。。。
  3. 3ややや六日むゆか六日むゆかむゆかももも常つね常つねつねののの夜よ夜よよにににははは似に似ににずずず
  4. 4荒海あらうみ荒海あらうみあろうみやややによこたふによこたふによこたう

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

酒田の人々との名残を惜しみながら日を重ね、北陸道の空にかかる雲を望んで出発した。はるかな道のりへの思いに胸が痛み、加賀の金沢までは百三十里と聞く。鼠の関を越えると越後の地に入り、さらに歩みを進めて、越中の国の市振の関に着いた。この間九日、暑さと湿気の苦しさに心身を悩まし、病気も起こって、旅のことを書き記さなかった。

文月や六日も常の夜には似ず(七月六日、七夕の前夜というだけで、いつもの夜とはどこか違って感じられることだ)

荒海や佐渡によこたふ天河(荒れた日本海の向こうに佐渡島がある。その佐渡へ、天の川が空いっぱいに横たわっている)

意訳

越後路の九日間を、芭蕉は「病おこりて事をしるさず」と、わずか二句で済ませる。暑さと病の苦しさのためというが、実際には越後での不快な出来事(宿を断られるなど)もあったとされる。書かないことによって、かえって旅の苦しさを伝えている。

「荒海や」の句は、荒れる日本海、流人の島である佐渡、空にかかる天の川を一つにとらえた、壮大な句である。佐渡は古来、順徳院や日蓮、世阿弥などが流された悲しみの島。七夕の夜、天の川が佐渡へ横たわるのは、天の川で隔てられた牽牛・織女の別れの悲しみとも重なり合う。

語釈・文法注

余波
名残。別れを惜しむ気持ち。
北陸道
北陸地方を通る街道。
加賀の府
加賀藩の城下、金沢。
鼠の關
念珠が関。出羽と越後の境にあった関所。奥州三関の一つ。
一ぶりの關
市振の関。越後と越中の境の関所。実際には越後国に属する。
暑濕の勞
暑さと湿気による疲れ。
文月
陰暦七月。
佐渡
日本海の佐渡島。古くから流刑の地で、金山もあった。
天河
天の川。七夕の夜、牽牛と織女が渡って会うという。

文法

加賀の府まで百卅里と聞
酒田から金沢まで百三十里と聞く。実際の距離はもっと短い。
歩行を改て
「歩行(かち)」は徒歩。歩みを改めて、進んで。
事をしるさず
旅のことを記録しない。
よこたふ
「横たふ」は下二段動詞で、横たえる。天の川が(佐渡に)横たわる意に用いる。

発句・和歌

文月や六日も常の夜には似ず

作者
松尾芭蕉
状況
越後の直江津で、七夕の前夜、七月六日に詠んだ句。七夕を明日にひかえて、いつもの夜とは違う気配を感じる。季語は「文月」で秋。

修辞

季語
文月。秋。
切れ字
「や」。

荒海や佐渡によこたふ天河

作者
松尾芭蕉
状況
越後の出雲崎で、荒れる海の向こうの佐渡島と、空にかかる天の川をのぞんで詠んだとされる句。季語は「天河」で秋。

修辞

季語
天河(天の川)。秋。
切れ字
「や」。
構成
荒海(地)・佐渡(人の歴史)・天の川(天)を一句の中に重ねる。

解説

曾良の『随行日記』によれば、六月二十五日に酒田を発ち、温海・中村・村上・新潟・弥彦・出雲崎・柏崎・今町(直江津)・高田・能生を経て、七月十二日に市振に着いている。実際には九日ではなく、半月以上かかっている。

「荒海や」の句は、出雲崎で詠まれたと伝えられるが、曾良の日記によれば、出雲崎に泊まった七月四日の夜は雨であった。また、夏から秋にかけての日本海は、実際には穏やかなことが多い。この句は、実景をそのまま写したものではなく、心の中で構成された風景を詠んだものと考えられている。

「文月や」の句は直江津の佐藤元仙の家での句会で詠まれた。『おくのほそ道』では、二つの句の順序を入れ替え、七夕に関わる二句を並べている。

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出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、27頁(コマ22)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日