おくのほそ道 第40章
山中
山中温泉に入湯し、その効き目を「山中や菊はたおらぬ湯の匂」とたたえる。宿の主人の少年、久米之助の父の俳諧の逸話を記す。腹を病んだ曾良は先に伊勢へ向かうことになり、師弟は句を交わして別れる。

- 1溫泉溫泉いでゆににに浴浴よくすすす。。。ににに次次つぎととと云云い。。。
- 2やややはははたおらぬたおらぬたおらぬ湯湯ゆののの匂匂におい
- 3あるじとするあるじとするあるじとする物物ものははは、、、とていまだとていまだとていまだ小童也小童也しょうどうなり。。。かれがかれがかれが父父ちち、、、誹諧誹諧はいかいををを好好このみみみ、、、洛洛らくののののむかしのむかしのむかし、、、爰爰ここににに來來きたりしりしりし比比ごろ、、、風雅風雅ふうがににに辱辱はずかしめられてしめられてしめられて、、、洛洛らくににに歸歸かえてててののの門人門人もんにんとなつてとなつてとなつて、、、世世よにしらるにしらるにしらる。。。
- 4功名後功名後こうみょうご、、、ののの料料りょうををを請請うけずとずとずと云云い。。。今更今更いまさらむかしむかしむかし語語かたとととはははなりぬなりぬなりぬ。。。
- 5曾良曾良そらははは腹腹はらををを病病やんででで、、、伊勢伊勢いせのののととと云云い所所ところにゆかりあればにゆかりあればにゆかりあれば先立先立さきだちててて行行ゆくににに、、、
- 6行〳〵行〳〵ゆきゆきてててたふれたふれたおれ伏伏ふともともとも萩萩はぎののの原原はら 曾良曾良そら
- 7ととと書書か置置おたりたりたり。。。行行ゆくものゝものゝものの悲悲かなしみしみしみ、、、殘殘のこるものゝうらみものゝうらみもののうらみ、、、のわかれてのわかれてのわかれて雲雲くもにまよふがごとしにまよふがごとしにまようがごとし。。。予予よももも又又また、、、
- 8今日今日きょうよりやよりやよりやさんさんさん笠笠かさののの露露つゆ
現代語訳
温泉に入浴する。その効き目は有馬温泉に次ぐという。
山中や菊はたおらぬ湯の匂(菊の露を飲めば長寿を得るというが、この山中温泉では菊を手折るまでもない。湯の香りだけで命がのびるようだ)
宿の主人は、久米之助といって、まだ少年である。その父は俳諧を好み、京の貞室がまだ若かったころ、ここに来たときに、俳諧の腕前で恥をかかされ、京に帰って貞徳の門人となって世に知られるようになった。名を上げたのちも、貞室はこの村から俳諧の点料を受け取らなかったという。今となっては昔話になってしまった。
曾良は腹を病んで、伊勢の国の長島という所に縁者がいるので、先に出発するにあたって、
行〳〵てたふれ伏とも萩の原 曾良(行き行きて、たとえ倒れ伏すことがあっても、萩の原で死ねるなら本望だ)
と書き置いた。先に行く者の悲しみ、残る者の恨めしさは、つがいの鴨が別れて雲間に迷うようなものである。私もまた、
今日よりや書付消さん笠の露(今日からは一人旅だ。笠に書いた「同行二人」の文字を、秋の露で消してしまおう)
意訳
山中温泉では、湯の効き目をたたえる挨拶の句を詠み、宿の主人の家に伝わる俳諧の逸話を記す。名人貞室も、若いころここで恥をかいて発奮したという話は、この土地の俳諧の伝統の深さを語っている。
後半は、曾良との別れである。深川から百数十日、ともに旅をしてきた曾良が、病のため先に旅立つ。曾良の句「行〳〵て」は、旅の途中で死ぬことも覚悟した決意の句。芭蕉の句は、二人旅の笠に書いた「同行二人」の文字を露で消そうと、一人旅の寂しさを詠む。
「隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし」は、漢詩の表現で、つがいの鳥が別れ別れになる悲しみをいう。冒頭の章で旅に死ぬ覚悟を語った芭蕉と、同じ覚悟を句にした曾良。師弟の心が通い合った、旅の中でも特に印象深い別れの場面である。
語釈・文法注
- 山中
- 山中温泉。石川県加賀市。
- 有明
- 有馬温泉のこと。底本は「有明」と刷る(頭注に「有馬の誤なるべし」とある)。
- 菊はたおらぬ
- 中国の故事で、菊の露を飲んで長寿を得たという(菊慈童の伝説)。山中温泉の湯の効き目はそれにまさるので、菊を手折る必要もない、の意。
- 久米之助
- 山中温泉の泉屋の主人、長谷部甚左衛門。当時十四歳。俳号は桃妖。
- 貞室
- 安原貞室(1610〜1673)。京都の俳人。松永貞徳の高弟。
- 貞德
- 松永貞徳(1571〜1653)。俳諧の貞門派の祖。
- 判詞の料
- 俳諧の点をつけ、評をする謝礼。
- 伊勢の國長嶋
- 伊勢国長島。三重県桑名市。曾良の縁者がいた。
- 隻鳧
- つがいの鴨の片方。漢詩で別れを表す。
- 書付
- 笠に書いた「乾坤無住同行二人」の文字。巡礼者が仏と二人づれで旅するという意で書いた。
文法
- 辱しめられて
- 「られ」は受身。恥をかかされて。
- 請ずと云
- 「請け」は受け取る。受け取らないという。
- 先立て行に
- 先に出発して行くので。
- たふれ伏とも
- 「とも」は逆接の仮定。倒れ伏すとしても。
- 消さん
- 「ん」は意志。消してしまおう。
発句・和歌
山中や菊はたおらぬ湯の匂
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 山中温泉の湯の効き目をたたえた挨拶の句。菊の露を飲んで長寿を得たという故事をふまえる。季語は「菊」で秋。
修辞
- 季語
- 菊。秋。
- 切れ字
- 「や」。
- 故事
- 菊慈童の伝説。
行〳〵てたふれ伏とも萩の原
- 作者
- 河合曾良
- 状況
- 病のため芭蕉と別れて先に伊勢へ向かう曾良が、書き置いた句。旅の途中で倒れても、萩の咲く野原で死ねるなら本望だという覚悟を詠む。季語は「萩」で秋。
修辞
- 季語
- 萩。秋。
- 反復
- 「行〳〵て(行き行きて)」。
今日よりや書付消さん笠の露
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 曾良と別れて一人旅となるにあたり、笠に書いた「同行二人」の文字を露で消そうと詠んだ句。季語は「露」で秋。
修辞
- 季語
- 露。秋。
- 切れ字
- 「や」。
- 掛詞的表現
- 「露」に、秋の露と涙とを重ねる。
解説
曾良の『随行日記』によれば、七月二十七日に山中温泉に着き、八月五日まで滞在した。曾良は五日に芭蕉と別れて先に出発し、伊勢の長島へ向かった。芭蕉はその後、金沢から同行してきた北枝とともに旅を続けた。
芭蕉はこの宿の少年久米之助に「桃妖」の俳号を与えている。曾良と別れたあとの句「今日よりや」は、『おくのほそ道』の旅の大きな転換点を示している。冒頭の旅立ちから、曾良は常に芭蕉のそばにいた。その曾良がいなくなることで、旅は終わりに向かって進み始める。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、31〜32頁(コマ24–25)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日