古典ライブラリー

万葉集 巻第一 20番

あかねさす

額田王(ぬかたのおおきみ)

紫草の生える御料地の野を行き来しながら、袖を振るあなた。野の番人が見とがめはしないかと、かつての夫に呼びかける。

初夏の野で、額田王が女官たちとともに、遠くの馬上から袖を振る大海人皇子に応える
初夏の野で、額田王が女官たちとともに、遠くの馬上から袖を振る大海人皇子に応える

題詞天皇、蒲生野に遊獵し給へる時、額田王の作れる歌

  1. 1茜草指
  2. 2紫むらさき紫むらさきむらさき行ゆ行ゆゆききき武良前野逝
  3. 3標しめ標しめしめ行ゆ行ゆゆききき標野行
  4. 4野の野ののははは見み見みみずずずややや野守者不見哉
  5. 5君きみ君きみきみががが袖そで袖そでそで振ふ振ふふ君之袖布流

引用の仕方

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現代語訳

(あかねさす)紫草の生える野を行き、御料地の野を行きながら、野の番人が見ているではありませんか。あなたが私に袖を振るのを。

意訳

天智天皇の催した薬猟の日、額田王は、かつての夫である大海人皇子が、人目もかまわず自分に袖を振っているのを見る。袖を振るのは、恋しい相手の魂を招き寄せる、愛情のしぐさであった。「番人に見られてしまいますよ」とたしなめる言葉の裏には、今も思いを寄せられていることへのときめきがのぞく。ただし、この歌は宴の席で披露された座興の歌であったとする見方も有力で、大勢の前で、昔の恋を題材に軽やかに戯れてみせたものとも考えられる。

語釈・文法注

あかねさす
「紫」「日」「昼」などにかかる枕詞。茜色に照り映える意。
紫野(むらさきの)
紫草を栽培している野。紫草の根は紫色の染料や薬になった。
標野(しめの)
標(しめ)を張って、一般の人の立ち入りを禁じた野。皇室の御料地。
野守(のもり)
標野の番人。
袖振る
袖を振るのは、相手の魂を引き寄せ、愛情を伝えるしぐさであった。

文法・本文

野守は見ずや
「や」は反語・詠嘆の係助詞。野守が見ないだろうか、いや見ている、の意。
見ずや 君が袖振る
「君が袖振るを野守は見ずや」の倒置。最後に「君が袖振る」を置いて、皇子の大胆なふるまいを印象づける。

和歌

作者
額田王(生没年未詳(7世紀後半))
鏡王の娘とされる。はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に仕えて十市皇女を産み、のち天智天皇の宮廷で活躍した。第1期を代表する歌人。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・20番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
状況
天智天皇7年(668)5月5日、天皇が近江の蒲生野で薬猟(くすりがり)を催したとき、額田王が詠んだ歌。大海人皇子が次の21番の歌で答えている。

修辞

枕詞
「あかねさす」が「紫」にかかる。
反復
「紫野行き 標野行き」と「野行き」を重ねて、皇子があちこち馬を走らせるさまを表す。
倒置
「野守は見ずや 君が袖振る」。

解説

薬猟は、五月五日に野に出て、男性は薬になる鹿の若角を、女性は薬草を摘む宮廷行事である。この日、天智天皇は弟の大海人皇子や諸王・群臣を率いて、近江の蒲生野に出かけた。額田王はかつて大海人皇子との間に十市皇女を産んだが、このころは天智天皇の宮廷に仕えていた。そうした事情から、この贈答は兄弟の間で揺れる女性の秘めた恋の歌として読まれてきた。

一方で、この歌は相聞ではなく雑歌に収められており、薬猟の後の宴で、大勢の前で披露された歌であったとする説が有力である。中年に達していたとみられる額田王と大海人皇子が、昔の恋を題材にして、わざと危うい恋の歌を詠み交わし、座を盛り上げたというのである。どちらの読み方をとっても、色彩豊かな言葉と、袖を振る皇子の姿をあざやかに描く構成のみごとさは変わらない。

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出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、23頁(コマ15)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、15頁(コマ13)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日