蜻蛉日記 中巻 第30章
鳴滝の山住み
鳴滝の寺に籠もった作者は、兼家に手紙を送るが返事はない。昼は勤行し、夜は仏を念じる日々。月の障りで御堂を下り、離れた屋に移ると、叔母が見舞いに来る。時鳥や水鶏の声、入相の鐘に心を乱しながら、作者は道綱に出家の思いを語り、道綱は泣きじゃくる。体調を崩した作者を妹が訪ね、続いてにぎやかな見舞いの一行がやって来る。
- 1京京きょうへへへ物物ものしししやるやるやるべきべきべき事事ことなどなどなどあれあれあればばば、、、人人ひと出出いだししし立立たつつつ。。。大大たい「「「よべよべよべのののいといといとおぼつかなきおぼつかなきおぼつかなきををを御御みかどかどかどのののへんへんへんにににててて、、、御御みけしきけしきけしきももも聞聞きかかかせせせむむん」」」とてとてとてものものものすれすれすればばば、、、それそれそれにににつけつけつけててて文文ふみ物物ものすすす。。。「「「いといといとあやしうあやしうあやしゅう、、、おどろおどろしかりおどろおどろしかりおどろおどろしかりししし御御おおんありきありきありきののの、、、夜夜よもももややや更更ふけけけぬぬぬらむらむらんととと思思おもひひい給給たまへへえしかしかしかばばば、、、たゞたゞただ佛佛ほとけをををおくりおくりおくり聞聞きこえええさせさせさせ給給たまへへえとととのみのみのみ祈祈いのりりり聞聞きこえええさせさせさせつるつるつる。。。さてさてさてもももいかにいかにいかに覺覺おぼえええたるたるたる事事ことありありありてててかはかはかはととと思思おもううう給給たまへれへれえればばば、、、いまたいまたいまたあまたあまたあまたいたくいたくいたくててて罷罷まかりりり歸歸かえらららむむん事事ことももも難難かたかるかるかるべきべきべきこゝちこゝちここちしししけるけるける」」」などなどなど、、、こまかこまかこまかににに書書かきききててて端端はしににに、、、「「「昔昔むかしももも御御ご覽覽らんぜぜぜししし道道みちとととははは見見み給給たまへへえつゝつゝつつ、、、罷罷まかりりり入入いりりりしかしかしかどどどたぐひたぐひたぐいなくなくなく思思おもひひいやりやりやり聞聞きこえええさせさせさせししし。。。今今いまいといといととくとくとくまかでまかでまかでぬぬぬべしべしべし」」」ととと書書かきききててて、、、苔苔こけららら着着ついいいたるたるたる松松まつののの枝枝えだにににつけつけつけてててものものものすすす。。。曙曙あけぼのををを見見みれれればばば、、、霧霧きりかかか雲雲くもかかかととと見見みゆるゆるゆるものものもの立立たちちち渡渡わたりりりてててあはれあはれあわれににに心心こころすごしすごしすごし。。。晝晝ひるつつつ方方かた出出いでででつるつるつる人人ひと歸歸かえりりり來來きたりたりたり。。。「「「御御おおん文文ふみははは出出いででで給給たまひひいにににけれけれければばば、、、をのこをのこおのこどもどもどもににに預預あずけけけててて來來きぬぬぬ」」」とととものものものすすす。。。さらさらさらずずずともともともかへりかへりかえりごとごとごとあらあらあらじじじととと思思おもふふう。。。さてさてさて晝晝ひるははは日日ひ一一ひと日日ひ例例れいののの行行おこなひひいをををししし、、、夜夜よはははあかしあかしあかしののの佛佛ほとけををを念念ねんじじじ奉奉たてまつるるる。。。めぐりめぐりめぐりててて山山やまなれなれなればばば晝晝ひるももも人人ひとややや見見みむむむののの疑疑うたがいなしなしなし。。。すだれすだれすだれ卷卷まききき上上あげげげてててなどなどなどあるあるあるににに、、、このこのこの時時とき過過すぎぎぎたるたるたる鶯鶯うぐいすののの、、、鳴鳴なききき鳴鳴なきききてててのののたちたちたちがらしがらしがらしににに、、、人人ひとくくく人人ひとくくくとととのみのみのみいちはやくいちはやくいちはやくいふいふいうにににぞぞぞすだれすだれすだれおろしおろしおろしつつつべくべくべく覺覺おぼゆるゆるゆる。。。そそそもももうつしうつしうつし心心ごころもももなきなきなきなるなるなるべしべしべし。。。
- 2かくかくかくててて程程ほどもももなくなくなくふじやうふじやうふじょうのののことことことあるあるあるををを、、、出出いでででむむんととと思思おもひひい置置おきききしかしかしかどどど、、、京京きょうははは皆皆みな形形かたちことことことにににいひいひいいなしなしなしたるたるたるにににははは、、、いといといとはしたなきはしたなきはしたなき心心ここちちちすすすべしべしべしととと思思おもひひいててて、、、さしさしさし離離はなれれれたるたるたるやややにににおりおりおりぬぬぬ。。。京京きょうよりよりよりをばをばをばなどなどなど思思おぼしきしきしき人人ひとものものものしししたりたりたり。。。「「「いといといとめづらかめづらかめずらかなるなるなるすまひすまひすまいなれなれなればばば、、、しづしづしず心心ごころもももなくなくなくてててなむなむなん」」」語語かたひひいててて、、、五五いつなるなるなるほどほどほど六月六月ろくがつさかりさかりさかりににになりなりなりにににたりたりたり。。。木木こ蔭蔭かげいといといとあはれあはれあわれなりなりなり。。。山山やま陰陰かげののの暗暗くらがりがりがりたるたるたる所所ところををを見見みれれればばば、、、ほたかほたかほたかしししものものもの思思おもひひいうすかりうすかりうすかりししし時時とき二二ふた聲聲こえととと聞聞きくくくとととはははなしなしなしにににととと、、、腹腹はらだゝだゝだたかりかりかりししし時時ほと鳥鳥とぎすもももうちうちうち解解とけけけててて鳴鳴なくくく。。。水水く鷄鷄ひなはははそこそこそこととと思思おもふふうまでまでまでたゝくたゝくたたく。。。いといといといみじげいみじげいみじげさささまさるまさるまさるものものもの思思おもひひいのののすみかすみかすみかなりなりなり。。。人人ひとやりやりやりならならならぬぬぬわざわざわざなれなれなればばば、、、問問とひひいとぶらはとぶらはとぶらわぬぬぬ人人ひとありありありともともとも、、、ゆめゆめゆめにににつらくつらくつらくなどなどなど思思おもふふうべきべきべきならならならねねねばばば、、、いといといと心心こころ安安やすくくくてててあるあるあるををを、、、唯唯ただかゝるかゝるかかるすまひすまひすまいをををさへさへさへせせせむむんとととはははかまへかまへかまえたりたりたりけるけるける身身みののの宿宿すく世世せばかりばかりばかりをををながむるながむるながむるにににそひそひそいててて、、、悲悲かなしきしきしき事事ことははは日日ひ頃頃ごろののの長長ながしやうじしやうじしょうじしししつるつるつる人人ひとののの、、、たのもしげたのもしげたのもしげなけれなけれなけれどどど、、、みみみゆづるゆづるゆずる人人ひともももなけれなけれなければばば、、、かしらかしらかしらもももさしさしさし出出いでででずずず。。。松松まつののの葉葉はばかりばかりばかりににに思思おもひひいなりなりなりにににたるたるたる身身みののの同同おなじじじさまさまさまにににてててくはくはくわせせせたれたれたれどどど、、、えええもももくひくひくいやらやらやらぬぬぬををを見見みるるるたびたびたびにににぞぞぞ淚淚なみだはははこぼれこぼれこぼれまさるまさるまさる。。。かくかくかくてててあるあるあるはははいといといと心心こころ安安やすかりかりかりけるけるけるををを唯唯ただ淚淚なみだもろもろもろなるなるなるこそこそこそいといといとくるしかりくるしかりくるしかりけれけれけれ。。。夕夕ゆう暮暮ぐれののの入入いり相相あいののの聲聲こえひぐらしひぐらしひぐらしのののねねね、、、めぐりめぐりめぐりののの小小こ寺寺でらちひさきちひさきちいさき鐘鐘かねどもどもども、、、我我われももも我我われもももとととうちうちうちたゝきたゝきたたきなどなどなどししし、、、前前まえなるなるなる岡岡をかににに神神かみののの社社やしろもももあれあれあればばば、、、法法ほう師師しばらばらばら讀讀ど經經きょうまつりまつりまつりなどなどなどするするする聲聲こえををを聞聞きくくくにににぞぞぞいといといとせせせむむん方方かたなくなくなくものものものははは覺覺おぼゆるゆるゆる。。。
- 3かくかくかく不不ふ淨淨じょうなるなるなるほどほどほどははは、、、夜夜よ晝晝ひるののの暇暇いとまもももあれあれあればばばはしはしはしののの方方かたににに居居いててて詠詠ながむるむるむるををを、、、このこのこの幼幼おさなききき人人ひと「「「入入いりりりねねね入入いりりりねねね」」」ととといふいふいうけしきけしきけしきををを見見みれれればばば、、、物物ものををを深深ふかくくく思思おもひひい入入いれれれさせさせさせじじじとととなるなるなるべしべしべし。。。「「「などなどなどかくかくかくはははのたまふのたまふのたまう。。。猶猶なおいといといとあああじじじ。。。ねぶたくねぶたくねぶたくももも侍侍はべりりり」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、「「「ひたひたひた心心ごころににになくなくなくもももなりなりなりつつつべきべきべき身身みををを、、、そこそこそこにににさはりさはりさわりててて今今いままでまでまであるあるあるををを、、、いかゞいかゞいかがせせせむむんずるずるずる。。。世世よののの人人ひとのののいふいふいうなるなるなるさまさまさまにににもももなりなりなりなむなむなん。。。むげむげむげににに世世よににになからなからなからむむんよりよりよりははは、、、さてさてさてあらあらあらばばばおぼつかなからおぼつかなからおぼつかなからむむんほどほどほどににに通通かよひひいつゝつゝつつなきなきなき物物ものににに思思おもひひいなしなしなしててて見見み給給たまへへえ。。。かくかくかくててていといといとありありありぬぬぬべかりべかりべかりけりけりけりととと、、、身身み一一ひとつつつににに思思おもふふうををを、、、唯唯ただいといといとかくかくかくあしきあしきあしき物物ものしししててて、、、物物ものををを參參まいれれればばば、、、いといといといたくいたくいたく瘦瘦やせせせ給給たまふふうををを見見みるるるなむなむなんいといといといみじきいみじきいみじき。。。形形かたちことことことにににてててもももきやうきやうきょうにににあるあるある人人ひとこそこそこそはははととと思思おもへへえどどど、、、それそれそれなむなむなんいといといともどかしうもどかしうもどかしゅう見見みゆるゆるゆることことことなれなれなればばば、、、かくかくかくかくかくかく思思おもふふう」」」ととといへいへいえばばば、、、いらへいらへいらえもももせせせでででさくりさくりさくりもももよゝよゝよよににになくなくなく。。。さてさてさて五日五日いつかばかりばかりばかりにににきよまはりきよまはりきよまわりぬれぬれぬればばばまたまたまた堂堂どうににに上上のぼりりりぬぬぬ。。。日日ひ頃頃ごろ物物ものしししつるつるつる人人ひと今日今日きょうぞぞぞ歸歸かえりりりぬるぬるぬる。。。車車くるまののの出出いづるづるずるををを見見みやりやりやりてててつくづくつくづくつくづくとととたてたてたてれれればばば、、、木木こ蔭蔭かげにににやうやうやうやうようよういくいくいくももも、、、いといといと心心こころすごしすごしすごし。。。見見みやりやりやりてててももも詠詠ながめめめたてたてたてりりりつるつるつる程程ほどににに、、、けけけやややあがりあがりあがりぬぬぬらむらむらん、、、心心ここちちちいといといとおぼえおぼえおぼえてててわざとわざとわざといといといと苦苦くるしけれしけれしければばば山山やま籠籠ごもりりりしししたるたるたるぜじぜじぜじ呼呼よびびびててて護護ご身身しんせせせにるにるにる。。。夕夕ゆう暮暮ぐれににになるなるなるほどほどほどににに、、、念念ねんずずず聲聲ごえににに加加か持持じしししたるたるたるををを、、、あなあなあないみじいみじいみじととと聞聞ききききつゝつゝつつ思思おもへへえばばば、、、むかしむかしむかし我我わががが身身みにににあらあらあらむむんことことこととととはははゆめゆめゆめににに思思おもははわででで、、、あはれあはれあわれににに心心こころすごきすごきすごき事事こととてとてとてはははたたた高高たかやかやかやかににに思思おもふふうにににももも、、、うきうきうき心心ここちちちのののあまりあまりあまりにににいひいひいいにににもももいひいひいいててて、、、あなあなあなゆゝしゆゝしゆゆしとととかつかつかつははは思思おもひひいしししさまさまさまににに一一ひとつつつ違違たがははわずずず覺覺おぼゆれゆれゆればばば、、、かゝらかゝらかからむむんとてとてとて、、、物物もの思思おもははわせせせいはいはいわでででなりなりなりけるけるけるととと、、、思思おもひひい臥臥ふしししたるたるたるほどほどほどににに、、、我我わががが元元もとのののはらからはらからはらから一一ひと人人りまたまたまた人人ひとももも歸歸かえりりりもももにににものものものしししたりたりたり。。。這這はひひい寄寄よりりりてててまづまづまずいかなるいかなるいかなる心心ここちちちぞぞぞとととさとりさとりさとりててて、、、思思おもひひいがたくがたくがたくまゐるまゐるまいる日日ひよりよりよりももも、、、山山やまににに入入いりりり立立たちちちてててはははいみじくいみじくいみじく物物もののののおぼえおぼえおぼえはべるはべるはべることことこととてとてとてふだんふだんふだんすすすまるまるまるなりなりなりとてとてとて、、、よゝよゝよよととと泣泣なくくく。。。人人ひとやりやりやりにににもももあらあらあらねねねばばば、、、念念ねんじじじ返返かえせせせどどどえええ堪堪たへへえずずず。。。泣泣なきききみみみ、、、わかるわかるわかるみみみ、、、よろづよろづよろずののの事事ことをををいひいひいいあかしあかしあかしててて、、、明明あけけけぬれぬれぬればばば「「「るゐるゐるいしししたるたるたる人人ひといそぐいそぐいそぐ事事ことあるあるあるををを今日今日きょうははは歸歸かえりりりててて後後のちににに參參まいりりり侍侍はべらららむむん。。。そもそもそもそもそもそもかくかくかくてててのみのみのみやややははは」」」などなどなどいといといと心心こころぼそげぼそげぼそげにににいひいひいいてててももも、、、かすかかすかかすかなるなるなるさまさまさまにににててて、、、歸歸かえるるる心心ここちちち、、、けしうけしうけしゅうはははあらあらあらねねねばばば、、、例例れいののの見見み送送おくりりりててて詠詠ながめめめ出出いだしししたるたるたるほどほどほどににに、、、またまたまたをさなくをさなくおさなくとととのゝしりのゝしりののしりてててくるくるくる人人ひとありありあり。。。さささならならならむむんととと思思おもひひいてててあれあれあればばば、、、いといといとにぎはゝしくにぎはゝしくにぎわわしく、、、さささととと心心ここちちちしししてててうつくしきうつくしきうつくしき者者ものどもどもども、、、さまざまさまざまさまざまにににさうぞきさうぞきそうぞき集集あつまりりりててて、、、二二ふた車車くるまぞぞぞあああ馬馬うまどもどもどもなどなどなどふさふさふさににに引引ひききき散散ちらししし、、、かいてかいてかいて騷騷さわぐぐぐ。。。破破わり子子ごややや何何なにやややとととふさふさふさにににありありあり。。。誦誦ず經經きょううちうちうちししし、、、哀哀あわれげげげなるなるなる法法ほう師師しばらばらばらににに、、、かたびらかたびらかたびらややや
現代語訳
京へ使いを出す用事などがあるので、人を送り出す。大夫(道綱)が「昨夜(父上が帰られた後)がたいそう気がかりなので、ご門のあたりで、ご様子もうかがわせよう」と言って使いを出すので、それにつけて手紙を出す。「たいそう妙な、大げさなお出かけで、夜も更けただろうと思いましたので、ただ仏に(無事に)お送り申し上げてくださいとばかり祈っておりました。それにしても、どんなお考えがあって(いらしたの)かと存じますので、まだまだ、ひどく(苦しくて)帰ることも難しい気がいたします」などと、こまごまと書いて、端に、「昔もご覧になった道だとは思いながら山に入りましたが、たとえようもなく(あなたのことを)思いやり申し上げました。もうすぐ退出いたしましょう」と書いて、苔のついた松の枝につけて送る。明け方を見ると、霧か雲かと見えるものが立ちこめて、しみじみともの寂しい。昼ごろ、出て行った使いが帰ってきた。「お手紙は、(殿が)お出かけになっていたので、下男たちに預けて参りました」と言う。そうでなくても返事はないだろうと思う。さて、昼は一日中いつもの勤行をし、夜は本尊の仏を念じ申し上げる。周りが山なので、昼も人に見られるかという心配はない。簾を巻き上げていたりすると、季節外れの鶯が、鳴き鳴きして、枯れた木の立ち枝で「人来、人来」とばかりしきりに鳴くので、簾を下ろしたくなる。それも、正気を失っているからなのだろう。
こうしているうちに、ほどもなく月の障りがあったので、山を出ようと思っていたけれど、京ではみな(私が)尼になったように言いふらしているので、(今帰っては)たいそうきまりの悪い気がするだろうと思って、離れた小屋に下りた。京から叔母と思われる人がやって来た。「たいそう珍しいお住まいなので、落ち着かなくて」と話して、五日ほどいるうちに、六月の盛りになった。木陰がたいそうしみじみとする。山陰の暗くなった所を見ると、(都で)物思いの薄かった頃は「二声と聞くとはなしに」と腹立たしかった時鳥も、ここでは打ち解けて鳴く。水鶏は、すぐそこと思うほど近くで戸を叩くように鳴く。いっそうひどく物思いのつのる住まいである。人に強いられたのではない自分からしたことなので、見舞わない人があっても、決してつらいなどと思うべきではないから、たいそう気楽にしているけれど、ただ、こんな住まいまでするようになった身の宿縁ばかりを思いながめるのに加えて、悲しいのは、日ごろ長い精進をしていた子(道綱)が、頼りないけれど、ほかに任せる人もいないので、(世間に)顔も出さない。松の葉ばかり(の粗食)でよいと思うようになった私と同じものを食べさせているが、とても食べきれないでいるのを見るたびに、涙がこぼれまさる。こうしているのはたいそう気楽だったのに、ただ涙もろいのがたいそう苦しい。夕暮れの入相の鐘の声、ひぐらしの声、周りの小寺の小さな鐘が我も我もと打ち鳴らされ、前の岡に神の社もあるので、法師たちが読経の奉納などをする声を聞くと、どうしようもなく物思いにふけってしまう。
このように不浄の期間は、夜昼の暇もあるので、端近くに座って物思いにふけっていると、この幼い子が「奥へお入りなさい、お入りなさい」と言う様子を見ると、物を深く思いつめさせまいとするのだろう。「どうしてそうおっしゃるの。やはりここがいいのです。それに眠くもないし」などと言うと、(私は)「ひたすらに死んでしまいたい身を、あなたが心残りで今まで生きているけれど、どうしたらよいでしょう。世間の人が言うように(尼にでも)なりましょう。まったくこの世にいなくなるよりは、そうして生きていれば、気がかりな時に通ってきて、亡き者と思いなして会ってください。こうしてもいられたのだと、自分一人では思うけれど、ただひどくこんな粗末なものを召し上がって、ひどくお痩せになるのを見るのがたいそうつらい。尼姿でも都にいる人もあるとは思うけれど、それはひどく見苦しく見えることなので、こうこう考えているのです」と言うと、返事もしないでしゃくりあげておいおいと泣く。さて、五日ほどで身が清まったので、また御堂に上った。何日もいた叔母が、今日帰った。車が出て行くのを見送ってつくづく立っていると、木陰をだんだん遠ざかって行くのも、たいそうもの寂しい。見送りながら物思いにふけって立っていたうちに、のぼせたのだろうか、気分がひどく悪くなって、ひどく苦しいので、山に籠もっている禅師を呼んで護身の加持をさせる。夕暮れになるころ、念じる声で加持しているのを、ああ、すごいことだと聞きながら思うと、昔、自分の身に起こることとは夢にも思わず、しみじみともの寂しいことだと、声高に思って、つらい気持ちのあまりに口にも出して、ああ縁起でもないと思ったその様子と一つも違わないように思われるので、こうなるはずだったから、あんなことを思わせ、言わせたのだったと、思って横になっているうちに、私の同腹の妹が一人、また人とともにやって来た。這い寄って、まずどんな気分かと事情を察して、「思いがけず参った日よりも、山に入ってみると、ひどく物思いがされることです」と言って、しきりにおいおいと泣く。人に強いられたわけでもないので、こらえ返すけれど、こらえきれない。泣いたり、笑ったりして、よろずのことを語り明かして、夜が明けると、「同行した人が急ぐ用事があるので、今日は帰って、後でまた参りましょう。そもそも、こうしてばかりいるのは(よくない)」などと、たいそう心細そうに言って、ひっそりとした様子で帰る気持ちも悪くはないので、いつものように見送って物思いにふけっていると、また「幼い(子が)」と騒いでやって来る人がいる。そうだろうと思っていると、たいそうにぎやかで、さっぱりとした気持ちのする美しい者たちが、さまざまに装束をつけて集まって、車二台、馬なども大勢引き連れて騒ぐ。破子や何やかやとたくさんある。誦経をして、気の毒な様子の法師たちに、帷子や
意訳
〔山の日々〕鳴滝の寺での暮らしは、昼は勤行、夜は本尊の仏を念じるもの。周りは山で、人目を気にすることもない。季節外れの鶯が「人来、人来」と鳴けば、思わず簾を下ろしたくなる。
〔時鳥と水鶏〕月の障りで御堂を下りても、作者は都に帰らない。都では「出家した」と噂されていたからである。時鳥や水鶏の声、入相の鐘、法師たちの読経。山の音のすべてが物思いをつのらせる。何より悲しいのは、一緒に籠もる道綱が、母と同じ粗食で痩せていくことだった。
〔母と子〕作者は道綱に、「死ぬよりは尼になって生きていたい。そのときは亡き者と思って会いに来て」と語る。道綱は返事もできずに泣きじゃくる。叔母や妹が見舞いに来ては帰り、作者の心は揺れつづける。
語釈・文法注
- 大夫
- 五位の通称。叙爵した道綱を指す。以後、日記では道綱を「大夫」と呼ぶ。
文法
- 「いまたあまたいたくて」
- 底本どおり。注記に異文がある。まだまだひどく(苦しくて)、の意に解する。
- 「あかしの佛」
- 本尊の仏。
- 「たちがらし」
- 立ち枯れした木。
- 「人く人くと」
- 鶯の鳴き声を「人来(ひとく)、人来」と聞きなす。人が来る、の意。
- 「ふじやうのこと」
- 不浄のこと。月の障り。
- 「京は皆形ことにいひなしたる」
- 都ではみな、(作者が)出家して姿を変えたと言いふらしている。
- 「五なるほど」
- 底本どおり。注記に「五六日」の異文があり、五、六日いるうちに、と解する。
- 「ほたかし」
- 底本どおり。注記に「四字ほたるはおもろくまで」などとあり、意味がとりにくい。都にいた頃は、の意に解する。
- 「二聲と聞くとはなしに」
- 古歌「二声と聞くとはなしに郭公夜深く目をも覚ましつるかな」(『後撰和歌集』)をふまえる。
- 「水鷄はそこと思ふまでたゝく」
- 水鶏の鳴き声は戸を叩く音に似ているとされた。
- 「みゆづる人」
- 底本の注記に「見」の異文がある。任せる人。
- 「猶いとあじ」
- 底本どおり。注記に「よ」の異文がある。
- 「きやうにある人」
- 京にいる人。
- 「けやあがりぬらむ」
- のぼせたのだろうか。
- 「護身せにる」
- 底本の注記に「さす」の誤りかとあり、「護身せさする」と解する。
- 「るゐしたる人」
- 同行した人。
- 「またをさなくとのゝしりて」
- 底本の注記に「おはす」の異文があり、「またおはすとののしりて」とも解される。
解説
鳴滝での籠居は、中巻の中心をなす部分である。作者は山寺の自然と、そこでの生活を細やかに描いている。鶯、時鳥、水鶏、ひぐらし、入相の鐘など、山の音が作者の心と響き合う。
道綱は母とともに山寺に籠もり、同じ粗食をとっている。作者は、出家を考えながらも、痩せていく道綱を見て心を痛める。尼になっても生きていたいと語る作者の言葉には、出家への覚悟と、子への愛情との間で揺れる心が表れている。
叔母や妹が次々に見舞いに来ることからも、作者の籠居が周囲に大きな衝撃を与えていたことがわかる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、95–97頁(コマ50–51)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日