おくのほそ道 第14章
佐藤庄司が旧跡
月の輪の渡しを越え、源義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟の父、佐藤庄司の館跡を訪ねる。菩提寺の医王寺で一族の墓碑、とりわけ兄弟の妻たちの話に涙し、寺宝の義経の太刀・弁慶の笈を見て、端午の節句にちなむ一句を詠む。

- 1ののの輪輪わのわたしのわたしのわたしををを越越こててて、、、ののの上上うえととと云云い宿宿やどににに出出いづづず。。。ががが旧跡旧跡きゅうせきははは、、、左左ひだりののの山際一里半計山際一里半計やまぎわいちりはんばかりににに有有あり。。。ののの里鯖野里鯖野さとさばのととと聞聞ききててて、、、尋〳〵尋〳〵たずねたずね行行ゆくににに、、、山山やまととと云云いににに尋尋たずあたるあたるあたる。。。
- 2是庄司是庄司これしょうじががが旧舘也旧舘也きゅうたちなり。。。梺梺ふもとににに大手大手おおてののの跡跡あとなどなどなど人人ひとののの敎敎おしえゆるにまかせてゆるにまかせてゆるにまかせて泪泪なみだををを落落おとししし、、、又又またかたはらのかたはらのかたわらのににに一家一家いっけののの石碑石碑せきひををを殘殘のこすすす。。。中中なかにもにもにもののの嫁嫁よめがしるしがしるしがしるし先哀也先哀也まずあわれなり。。。
- 3女女おんななれどもなれどもなれどもかひ〴〵しきかひ〴〵しきかいがいしき名名なののの、、、世世よににに聞聞きこえつるえつるえつる物物ものかなとかなとかなと袂袂たもとをををぬらしぬぬらしぬぬらしぬ。。。ののの石碑石碑せきひももも遠遠とおきにあらずきにあらずきにあらず。。。寺寺てらににに入入いててて茶茶ちゃををを乞乞こへばへばへば、、、爰爰ここににに義經義經よしつねののの太刀太刀たち、、、辨慶辨慶べんけいがががをををとゞめてとゞめてとどめて什物什物じゅうもつとすとすとす。。。
- 4笈笈おいももも太刀太刀たちももも五月五月さつきにかざれにかざれにかざれ
- 5五月五月さつき朔日朔日ついたちののの事事こと也也なり。。。
現代語訳
月の輪の渡しを越えて、瀬の上という宿場に出る。佐藤庄司の旧跡は、左手の山際を一里半ほど行った所にある。飯塚の里の鯖野と聞いて、尋ね尋ね行くと、丸山という所に尋ねあてた。これが庄司の館の跡である。ふもとに大手門の跡などがあると、人が教えてくれるままに見て涙を落とし、またそばの古寺には、一族の石碑が残っている。その中でも、二人の嫁の墓碑がまず何より哀れである。女ながらもけなげな評判が世に伝えられたものだなあと、袖を涙でぬらした。中国の堕涙の碑も、遠い異国のことではない。寺に入って茶を所望すると、ここには義経の太刀や弁慶の笈を寺宝として保存している。
笈も太刀も五月にかざれ帋幟(弁慶の笈も義経の太刀も、端午の節句の五月には紙の幟とともに飾りなさい)
五月一日のことである。
意訳
佐藤庄司(基治)の子、継信・忠信の兄弟は、義経に従って戦い、ともに義経の身代わりのようにして死んだ。この地は、その兄弟の故郷である。
芭蕉の心を最も打ったのは、兄弟の二人の妻の話であった。夫たちを失って悲しむ姑を慰めるため、二人は夫の甲冑を身につけ、凱旋の姿を見せたと伝えられる。「女なれどもかひがひしき」とは、そのけなげさへの讃嘆である。
「堕涙の碑」は、晋の羊祜の徳を慕って、その碑を見る人がみな涙を落としたという故事。遠い中国の話と思っていたが、目の前の墓碑がまさにそれだ、という感動である。発句は、五月の節句に男の子の成長を祈って武具を飾る風習にかけて、寺宝の笈と太刀を紙の幟とともに飾れ、と呼びかける。忠義に生きた人々への鎮魂の思いがこめられている。
語釈・文法注
- 月の輪のわたし
- 阿武隈川の渡し場。福島市の北部。
- 瀨の上
- 瀬上。奥州街道の宿場。
- 佐藤庄司
- 佐藤基治。奥州藤原氏の家臣で、信夫の庄司(荘園の管理者)。子の継信・忠信は義経に仕えた。
- 飯塚の里鯖野
- 飯坂の佐場野。底本は「飯塚」と刷る(次の章も同じ)。
- 丸山
- 大鳥城の跡。佐藤氏の居城。
- かたはらの古寺
- 医王寺。佐藤一族の菩提寺。
- 二人の嫁
- 継信・忠信の妻、楓と初音。夫を失って嘆く姑の乙和を慰めるため、夫の甲冑を着て凱旋の姿を見せたという。
- 墮涙の石碑
- 晋の羊祜の徳をしのんで、碑を見た者はみな涙を落としたという「堕涙碑」の故事。
- 笈
- 修験者や行脚僧が仏具・衣服などを入れて背負う箱。
- 帋幟
- 紙で作った幟。端午の節句に立てた。
文法
- 尋〳〵行に
- 「くの字点」でくり返す。尋ね尋ね行くと。
- 先哀也
- 「先(まづ)」は、何よりもまず。
- 聞えつる物かな
- 「聞ゆ」は評判になる。「つる」は完了。評判が伝えられたものだなあ。
- かざれ
- 四段動詞「かざる」の命令形。
発句・和歌
笈も太刀も五月にかざれ帋幟
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 医王寺で、寺宝の義経の太刀と弁慶の笈を見て詠んだ句。五月一日のことで、端午の節句に武具を飾る風習にかける。季語は「帋幟(紙幟)」で夏。
修辞
- 季語
- 紙幟(五月)。夏。
- 命令形
- 「かざれ」。
解説
医王寺は福島市飯坂町平野にあり、佐藤一族の墓碑が今も残る。継信・忠信兄弟の妻の話は、のちに浄瑠璃や歌舞伎にも取り上げられた。白石市の甲冑堂には、甲冑姿の二人の嫁の像がまつられている。
曾良の『随行日記』によれば、医王寺を訪ねたのは五月二日である。また、義経の太刀・弁慶の笈は寺にはなかったと記されており、本文の記述は芭蕉の創作とも考えられている。本文の「五月朔日」は、端午の節句を目前にした日付として選ばれたのであろう。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、10頁(コマ14)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日