万葉集 巻第一 29〜31番
玉襷 畝火の山の
神武天皇以来、大和で天下を治めてきたのに、天智天皇はなぜか近江の大津に都を移した。その宮の跡は春草が茂り、霞にかすんで、見るのも悲しい。荒れた近江の都を悼む柿本人麻呂の長歌と反歌。

題詞近江の荒都を過る時、柿本朝臣人麿の作れる歌
- 1玉玉たま畝火畝火うねびののの山山やまののの玉手次 畝火之山乃長歌
- 2橿原橿原かしわらののの日日ひののの御御み代代よゆゆゆ橿原乃 日知之御世從
- 3生生あれれれましましましししし神神かみのののことごとことごとことごと阿禮座師 神之盡
- 4樛樛つがののの木木きのののいやいやいやつぎつぎつぎつぎつぎつぎににに樛木乃 彌繼嗣爾
- 5天天あめののの下下した知知しろしろしろしめめめししししししををを天下 所知食之乎
- 6天天そらににに倭倭やまとををを置置おきききててて天爾滿 倭乎置而
- 7あをによしあをによしあおによし奈良奈良なら山山やまををを越越こえええ青丹吉 平山乎越
- 8いかさまいかさまいかさまにににおもほしおもほしおもおしめめめせせせかかか何方 御念食可
- 9天天あま離離ざか夷夷ひなにににはははあれあれあれどどど天離 夷者雖有
- 10石石いわ走走ばしるるる淡海淡海おうみののの國國くにののの石走 淡海國乃
- 11ののの大津大津おおつののの宮宮みやににに樂浪乃 大津宮爾
- 12天天あめののの下下した知知しろしろしろしめめめしししけむけむけん天下 所知食兼
- 13天皇天皇すめろきののの神神かみののの尊尊みことののの天皇之 神之御言能
- 14大大おお宮宮みやははは此處此處ここととと聞聞きけけけどもどもども大宮者 此間等雖聞
- 15大大おお殿殿とのははは此處此處ここととと言言いへへえどもどもども大殿者 此間等雖云
- 16春春はる草草くさののの茂茂しげくくく生生おひひいたるたるたる春草之 茂生有
- 17霞霞かすみ立立たつつつ春春はる日日ひののの霧霧きれれれるるる霞立 春日之霧流
- 18百百もも磯磯しののの大大おお宮宮みや處處どころ見見みれれればばば悲悲かなしししももも百磯城之 大宮處 見者悲毛
- 19さざなみさざなみさざなみののの樂浪之反歌
- 20志賀志賀しがののの思賀乃辛碕
- 21幸幸さきくくくあれあれあれどどど雖幸有
- 22大大おお宮宮みや人人びとののの大宮人之
- 23船船ふね待待まちちちかねかねかねつつつ船麻知兼津
- 24さざなみさざなみさざなみののの左散難彌乃
- 25志賀志賀しがののの大大おお志我能大和太
- 26淀淀よどむむむともともとも與杼六友
- 27昔昔むかしののの人人ひとににに昔人二
- 28亦亦またももも逢逢あははわめめめやもやもやも亦母相目八毛
現代語訳
(玉襷)畝傍山のふもとの橿原の、聖なる天皇(神武天皇)の御代から、お生まれになった神であるすべての天皇が、(樛の木の)次々に天下をお治めになってきたのに、(天にみつ)大和を捨てて、(あをによし)奈良山を越え、どのようにお思いになったのか、(天離る)都から遠い田舎ではあるけれど、(石走る)近江の国の、(さざなみの)大津の宮で天下をお治めになったという天皇の、神である尊の大宮はここだと聞くけれど、大殿はここだと言うけれど、春草が茂って生えている、霞の立つ春の日がかすんでいる、(百磯城の)大宮の跡を見ると悲しいことだ。
〔反歌〕(さざなみの)志賀の辛崎は昔のままに無事であるけれど、大宮人の船をいくら待っても、もう待ちきれないことだ。
〔反歌〕(さざなみの)志賀の大きな入り江は、水が淀んでいても、昔の人にまた逢うことができようか(いや、できはしない)。
意訳
天智天皇が開いた近江大津宮は、壬申の乱(672)の後わずか五年ほどで荒れ果てた。人麻呂は、神武天皇以来の大和の都の歴史を荘重に語り起こし、「いかさまにおもほしめせか」と、天皇がなぜ近江へ遷ったのかを問いかける。そして春草に埋もれ、霞にかすむ宮跡を前に、ただ「見れば悲しも」と嘆く。反歌では、辛崎も入り江も昔のままなのに、そこに集った大宮人たちはもういないという、変わらない自然と失われた人の世との対比を歌う。
語釈・文法注
- 玉襷(たまだすき)
- 「畝火」にかかる枕詞。襷を「うなじ」にかけることから「うね」にかかるとされる。
- 日知(ひじり)
- 日を治める者、天皇。ここでは橿原で即位した神武天皇を指す。
- 天にみつ
- 「大和(倭)」にかかる枕詞。「そらみつ」と同じ。
- 天離る(あまざかる)
- 「夷(ひな)」にかかる枕詞。空のかなたに遠く離れている意。
- さざなみの
- 琵琶湖の南西岸一帯の古い地名「楽浪(さざなみ)」。「大津」「志賀」などにかかる枕詞としても用いる。
- 百磯城(ももしき)の
- 「大宮」にかかる枕詞。多くの石で築いた城の意から。
- 辛碕(からさき)
- 唐崎。滋賀県大津市の琵琶湖岸の地名。
- 大曲(おほわだ)
- 湖岸が大きく入りこんだ入り江。
文法・本文
- いかさまにおもほしめせか
- 「おもほしめせ」は已然形、「か」は疑問。どのようにお思いになったからか。天皇の遷都の意図を測りかねる表現。
- 船待ちかねつ
- 「かぬ」は…しきれない。待ちきれないでいる。
- 逢はめやも
- 推量「む」の已然形「め」に反語の「やも」。逢うことがあろうか、いやない。
- 神のことごと(本文)
- 底本は、原文を元暦校本によって「神之盡」とする。
和歌
- 作者
- 柿本人麻呂(生没年未詳(7世紀後半〜8世紀初め))
持統天皇・文武天皇の時代に宮廷に仕えた歌人。天皇や皇子をたたえる長歌、挽歌、旅の歌などに雄大な作品を残し、のちに「歌聖」とあがめられた。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・29〜31番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 壬申の乱(672)で荒廃した近江大津宮の跡を、柿本人麻呂が通り過ぎたときに詠んだ長歌と反歌。持統天皇の時代、近江へ下った折の作と考えられる。
修辞
- 枕詞
- 「玉襷」「樛の木の」「天にみつ」「あをによし」「天離る」「石走る」「さざなみの」「百磯城の」など、多くの枕詞を連ねて荘重な調子を作る。
- 対句
- 「大宮は此處と聞けども」と「大殿は此處と言へども」、「春草の茂く生ひたる」と「霞立つ春日の霧れる」が対になる。
- 擬人
- 反歌で、辛崎が大宮人の船を「待ちかねつ」と、土地を人のように詠む。
解説
天智天皇6年(667)に開かれた近江大津宮は、天皇の死後、壬申の乱で大友皇子が敗れると、まもなく捨てられて荒れ果てた。人麻呂は、その十数年後に宮跡を訪れ、この長歌を詠んだと考えられる。神武天皇から説き起こす歴史の語りと、目の前の荒れた宮跡との落差が、深い哀しみを生んでいる。
この歌は、荒れた都を悼む「荒都歌」の最初の作として、日本の文学に大きな影響を与えた。長歌の終わりに置かれた「見れば悲しも」の直截な嘆き、反歌の「船待ちかねつ」「亦も逢はめやも」と、変わらない自然と失われた人の営みを対比させる手法は、のちの懐古の歌の典型となった。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、25頁(コマ16)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、17頁(コマ14)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日