蜻蛉日記 中巻 第22章
唐崎祓
天禄元年(970)六月末、作者は夜明け前に京を出て、逢坂の関を越え、琵琶湖のほとりの唐崎へ祓えに出かける。湖に浮かぶ釣舟、大津の家並み、清水での休息、湖岸での祓え、関のひぐらし、走井の清水と、旅の景色に心がほどける。帰ると兼家が昼間に訪れていたと聞き、作者は「みつの浜べ」の歌を道綱に託して届ける。
- 1寅寅とらののの時時ときばかりばかりばかりににに出出いででで立立たつつつににに月月つきいといといと明明あかししし。。。我我わががが同同おなじじじやうやうようなるなるなる人人ひと又又また供供ともににに人人ひと一一ひと人人りばかりばかりばかりぞぞぞあれあれあればばば、、、唯唯ただ三三み人人たり乘乘のりりりててて馬馬うまいいい乘乘のりりりたるたるたるをのこをのこおのこどもどもども七八人七八人しちはちにんばかりばかりばかりぞぞぞあるあるある。。。加加か茂茂も川川がわのののほどほどほどにににてててほのぼのほのぼのほのぼのととと明明あくくく。。。うちうちうち過過すぎぎぎててて山山やま路路じににになりなりなりててて京京きょうににに違違たがひひいたるたるたるさまさまさまををを見見みるるるにににももも、、、このこのこの頃頃ころののの心心ここちちちなれなれなればばばにににやややあらあらあらむむん、、、いといといとあはれあはれあわれなりなりなり。。。いはむやいはむやいわむやときときときににに至至いたりりりてててしばししばししばし車車くるまとゞめとゞめとどめてててうしうしうしかへかへかへなどなどなどするするするににに、、、むなむなむなぐるまぐるまぐるま引引ひきききつゞけつゞけつづけててて、、、あやしきあやしきあやしき木木きこりこりこりおろしおろしおろしててていといといとををを暗暗くらききき中中なかよりよりより來來くるるるももも、、、心心ここちちち引引ひきききかへるかへるかえるたるたるたるやうやうようににに覺覺おぼえええててていといといとをかしをかしおかし。。。關關せきのののぢぢじ哀哀あわれれれ哀哀あわれれれとととおぼえおぼえおぼえててて、、、行行ゆくくくさきさきさきををを見見みやりやりやりたれたれたればばば行行ゆくくくへへへももも知知しらららずずず見見みえええ渡渡わたりりりててて、、、鳥鳥とりののの二二ふたつつつ三三みつつつ居居いたるたるたるととと見見みゆるゆるゆるものものものををを、、、强强しひひいててて思思おもへへえばばば釣釣つり舟舟ぶねなるなるなるべしべしべし。。。そこそこそこにににこそこそこそえええ淚淚なみだははは留留とどめめめずずずなりなりなりぬるぬるぬる。。。いふいふいうかひかひかいなきなきなき心心こころだにだにだにかくかくかく思思おもへへえばばば、、、ましてましてまして異異こと人人びとははは哀哀あわれととと泣泣なくくくなりなりなり。。。はしたなきはしたなきはしたなきまでまでまで覺覺おぼゆれゆれゆればばば目目めももも見見み合合あわせせせられられられずずず。。。
- 2行行ゆくくくさきさきさきおほゆるおほゆるおおゆるににに大大おお津津つのののいといといと物物ものむづかしきむづかしきむずかしき家家いえどもどもどもののの中中なかににに引引ひききき入入いりりりにににけりけりけり。。。それそれそれもももめづらかめづらかめずらかなるなるなる心心ここちちちしししててて行行ゆききき過過すぐれぐれぐればばば遙遙はる々々ばるととと濱濱はまににに出出いでででぬぬぬ。。。きしきしきし方方かたををを見見みやれやれやればばば海海うみづらづらずらににに並並ならびびびててて集集あつまりりりたるたるたるやどりやどりやどりののの前前まえににに船船ふねどもどもどもをををきききたたたににに並並ならべべべ寄寄よせせせつゝつゝつつあるあるあるぞぞぞいといといとをかしきをかしきおかしき。。。うぎうぎうぎ行行ゆきききちがふちがふちがう舟舟ふねどもどもどもゝゝもありありあり。。。いにいにいにもももゆくゆくゆく程程ほどににに巳巳みのののときときときはてはてはてににになりなりなりにににたりたりたり。。。しばししばししばし馬馬うまどもどもども休休やすめめめむむんとてとてとてししし水水みずととといふいふいう所所ところににに、、、かれかれかれととと見見みやらやらやられれれたるたるたるほどほどほどににに大大おおきききなるなるなるあふちあふちあうちののの木木き唯唯ただ一一ひとつつつ立立たてててるるるかげかげかげににに車車くるまかきかきかきおろしおろしおろしててて馬馬うまどもどもどもうらうらうらににに引引ひきききおろしおろしおろしてててひやうしひやうしひょうしなどなどなどしししててて「「「こゝこゝここにににててて御御おおん破破わり子子ご待待まちちちつけつけつけむむん。。。かのかのかのささささささはははまだまだまだいといといと遠遠とおかかかめりめりめり」」」ととといふいふいうほどほどほどににに幼幼おさなききき人人ひと一一ひと人人り勞勞つかれれれたるたるたる顏顏かおにににててて寄寄よりりり居居いたれたれたればばばゑゑえぶくろぶくろぶくろなるなるなるものものものとりとりとり出出いでゝでゝでてくひくひくいなどなどなどするするするほどほどほどににに、、、破破わり子子ご持持もてててきぬきぬきぬれれればばばさまざまさまざまさまざまあがちあがちあがちなどなどなどしししててて、、、かたへかたへかたえはははこれこれこれよりよりよりかへりかへりかえりてててししし水水みずにににきききつるつるつるとてとてとて、、、行行おこなひひいやりやりやりてててなどなどなどすすすなりなりなり。。。
- 3さてさてさて車車くるまかけかけかけてててそのそのそのさきさきさきにににさしさしさしいたりいたりいたり、、、車車くるま引引ひきききかへかへかえてててはらへはらへはらえしししににに行行ゆくくくまゝまゝままににに見見みれれればばば、、、風風かぜうちうちうち吹吹ふきききつゝつゝつつ浪浪なみたかくたかくたかくなるなるなる。。。行行ゆききき交交かふふう舟舟ふねどもどもども帆帆ほををを引引ひききき上上あげげげつゝつゝつついくいくいく。。。濱濱はまづらづらずらにににをのこをのこおのこどもどもども集集あつまりりり居居いててて「「「歌歌うた仕仕つかうまつりうまつりうまつりてててまかれまかれまかれ」」」ととといへいへいえばばば、、、いふいふいうかひかひかいなきなきなき聲聲こえ引引ひききき出出いでゝでゝでて歌歌うたひひいててて行行ゆくくく。。。はらへはらへはらえのののほどほどほどにににけいたけいたけいたににになりなりなりぬぬぬべくべくべくなからなからなからくるくるくるいといといとほどほどほどせばきせばきせばきさきさきさきにににてててしもしもしもののの方方かたはははみづみづみず際際ぎわににに車車くるま立立たてててたりたりたり。。。皆皆みなおろしおろしおろしたれたれたればばばしきしきしき波波なみににによせよせよせてててなごりなごりなごりにににはははなしなしなしととといひいひいいふるしふるしふるしたるたるたるかひかひかいもももありありありけりけりけり。。。しりしりしりなるなるなる人人ひと々々びとははは落落おちちちぬぬぬばかりばかりばかりのぞきのぞきのぞきてててうちうちうちあらすあらすあらす程程ほどににに天天てん下下か見見みえええぬぬぬものものものどもどもども取取とりりりあげあげあげまぜまぜまぜててて騷騷さわぐぐぐめりめりめり。。。若若わかきききをのこをのこおのこもももほどほどほどさしさしさし放放はなれれれででで、、、なみなみなみ居居いててて「「「さゞなみさゞなみさざなみややや志志し賀賀がののの唐唐から崎崎さき」」」などなどなど、、、例例れいのののかみかみかみ聲聲ごえ振振ふりりり出出いだしししたるたるたるもももいといといとをかしうをかしうおかしゅう聞聞きこえええたりたりたり。。。風風かぜはははいみじういみじういみじゅう吹吹ふけけけどもどもども木木こ蔭蔭かげなけれなけれなければばばいといといと暑暑あつししし。。。いづらいづらいずらかかかみづみづみずにににととと思思おもふふう。。。ひとしひとしひとしのののをりをりおりはははきききにににはてはてはてぬれぬれぬればばば歸歸かえるるる。。。
- 4ふりふりふり難難がたくくく哀哀あわれととと見見みつゝつゝつつ行行ゆききき過過すぎぎぎててて山山やま口口ぐちににに至至いたりりりかゝれかゝれかかればばばさるさるさるのののはてはてはてばかりばかりばかりににになりなりなりにににたりたりたり。。。ひぐらしひぐらしひぐらしさかりさかりさかりとととなきなきなき滿滿みちちちたりたりたり。。。聞聞きけけけばばばかくかくかくぞぞぞ覺覺おぼえええけるけるける、、、
- 5「「「鳴鳴なきききかへるかへるかえる聲聲こえぞぞぞきほひきほひきおいててて聞聞きこゆゆゆなるなるなるまちまちまちやややしししつつつらむらむらん關關せきのののひぐらしひぐらしひぐらし」」」
- 6とととのみのみのみいへいへいえるるる。。。人人ひとにににはははいはいはいわずずず。。。走走はしりにににはははこれこれこれかれかれかれ馬馬うまうちうちうちはやしはやしはやしててて先先さきだだだつつつもももありありありててて至至いたりりりつきつきつきたれたれたれぱぱぱ、、、さきさきさき立立だちちちししし人人ひと々々びといといといとよくよくよくやすみやすみやすみすゞみすゞみすずみててて、、、心心ここちちちよげよげよげにににててて車車くるまかきかきかきおろすおろすおろす所所ところににによりよりより來來きたれたれたればばば、、、しりしりしりなるなるなる人人ひと、、、
- 7「「「うらやましうらやましうらやまし駒駒こまのののあしあしあしとくとくとく走走はしり井井いののの」」」
- 8ととといひいひいいたれたれたればばば、、、
- 9「「「しみづしみづしみずにににかげかげかげはははよどむよどむよどむものものものかはかはかは」」」。。。
- 10近近ちかくくく車車くるま寄寄よせせせてててあてあてあてなるなるなる方方かたににに、、、幕幕まくるるるとるとるとるきききおろしおろしおろしててて皆皆みなおりおりおりぬぬぬ。。。手手て足足あしもももひたしひたしひたしたれたれたればばばこゝちこゝちここちものものもの思思おもひひいはるけるはるけるはるけるやうやうようにににぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。石石いしどもどもどもにににおしおしおしかゝりかゝりかかりててて水水みずやりやりやりたるたるたる樋樋ひのののうへうへうえにににをしきをしきおしきどもどもどもすゑすゑすえててて、、、ものものものくらひくらひくらいててて手手てづからづからずからすゐえすゐえすいえなどなどなどするするする心心ここちちちいといといと立立たちちちゅ憂憂うきききまでまでまであれあれあれどどど、、、日日ひ暮暮くれれれぬぬぬなどなどなどそゝのかすそゝのかすそそのかす。。。かゝるかゝるかかる所所ところにににてててははは物物ものなどなどなどいふいふいう人人ひともももあらあらあらじじじかしかしかしととと思思おもへへえどもどもども、、、日日ひののの暮暮くるれるれるればばばわりなくわりなくわりなくててて立立たちちちぬぬぬ。。。
- 11いきいきいきもてもてもて行行ゆけけけばばば粟粟あわ田田た山山やまととといふいふいう所所ところにににぞぞぞ京京きょうよりよりよりまづまづまず持持もちちちててて人人ひと來來きたるたるたる。。。「「「このこのこの晝晝ひる殿殿とのおはしましおはしましおわしましたりたりたりつつつ」」」ととといふいふいうををを聞聞きくくくいといといとぞぞぞあやしきあやしきあやしき。。。なきなきなきまままをををうかゞはうかゞはうかがわれれれけるけるけるとととまでまでまでぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。さてさてさてなどなどなどこれこれこれかれかれかれ問問とふふうなりなりなり。。。我我われはははいといといとあさましうあさましうあさましゅうのみのみのみ覺覺おぼえええててて來來き着着つきききぬぬぬ。。。おりおりおりたれたれたればばば心心ここちちちいといといとせせせむむんかたかたかたなくなくなく苦苦くるしきしきしきににに、、、とまりとまりとまりたりたりたりつるつるつる人人ひと々々びと出出いでででましましましててて問問とはははせせせ給給たまひひいつれつれつればばば、、、ありありありのののまゝまゝままににになむなむなん聞聞きこえええさせさせさせつるつるつる。。。なななさささどどどこのこのこのこゝろこゝろこころありありありつるつるつる。。。あしうあしうあしゅうももも來來きにににけるけるけるかなかなかなとととなむなむなんありありありつるつるつるなどなどなどあるあるあるををを聞聞きくくくにににももも夢夢ゆめのののやうやうようにににぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。又又またののの日日ひはははこうじこうじこうじ暮暮くらしししててて明明あくるくるくる日日ひ、、、幼幼おさなききき人人ひと殿殿とのへへへととと出出いででで立立たつつつ。。。あやしかりあやしかりあやしかりけるけるける事事こともももややや問問とはははましましましととと思思おもふふうももも物物もの憂憂うけれけれけれどどど、、、ありありありししし濱濱はまべべべををを思思おもひひい出出いづるづるずる心心ここちちちののの忍忍しのびびびがたきがたきがたきにににまけまけまけててて、、、
- 12「「「うきうきうき世世よをををばばばかばかりかばかりかばかりみつみつみつののの濱濱はまべべべにににててて淚淚なみだににになごりなごりなごりありありありやややとととぞぞぞ見見みししし」」」
- 13ととと書書かきききててて、、、「「「これこれこれ見見み給給たまははわざらざらざらむむんほどほどほどにににさしさしさしおきおきおきててて、、、やがてやがてやがて物物ものしししねねね」」」ととと敎敎をしへへへたれたれたればばば「「「さしさしさしつつつ」」」とてとてとて歸歸かえりりりたりたりたり。。。もしもしもし見見みたるたるたるけしきけしきけしきもももやややとととしらしらしらたたた待待またたたれれれけむけむけんかしかしかし。。。されどされどされどつれなくつれなくつれなくてててつごもりつごもりつごもり頃頃ごろににになりなりなりぬぬぬ。。。さいつさいつさいつ頃頃ごろつれづれつれづれつれづれなるなるなるまゝまゝままににに草草くさどもどもどもつくろはつくろはつくろわせせせなどなどなどせせせしししににに、、、あまたあまたあまたわかわかわかなへなへなえののの生生おひひいたりたりたりしししををを取取とりりり集集あつめめめさせさせさせててて、、、やややののの軒軒のきにににあてあてあてゝゝて植植うゑゑえさせさせさせしししががが、、、いといといとをかしうをかしうおかしゅうはらみはらみはらみててて、、、水水みずまかせまかせまかせなどなどなどせせせさせさせさせしかしかしかどどど、、、色色いろづけづけづけるるる葉葉はのののなづみなづみなずみててて立立たてててるるるををを見見みれれればばばいといといと悲悲かなしくしくしくててて、、、
- 14「「「いなづまいなづまいなずまのののひかりひかりひかりだにだにだにこここぬぬぬやややがくれがくれがくれははは軒軒のきばばばのののなへなへなえもももものものものおもふおもふおもうらしらしらし」」」
- 15ととと見見みえええたるたるたる。。。
現代語訳
寅の刻ごろに出発すると、月がたいそう明るい。私と同じような身の上の人(妹)と、ほかに供の者が一人ばかりいるので、ただ三人で車に乗り、馬に乗った男たちが七、八人ほどいる。賀茂川のあたりでほのぼのと夜が明ける。そこを過ぎて山道になって、京とは違った様子を見るにつけても、この頃の気持ちだからだろうか、たいそうしみじみとする。まして逢坂の関に着いて、しばらく車をとめて牛を替えたりしていると、空の荷車を引き連ねて、粗末な木を伐り下ろして、ひどく小暗い中から来るのも、気分ががらりと変わったように思われて、たいそうおもしろい。関の道がしみじみと趣深く思われて、行く先を見やると、行方も知れずはるばると見渡されて、鳥が二つ三つ浮かんでいると見えるものを、よくよく考えると釣舟なのだろう。そこで、とうとう涙がとまらなくなってしまった。わけもわからない私の心でさえこう思うのだから、まして(同乗の)ほかの人は、しみじみと泣いているのである。きまりが悪いほどに思われるので、目も見合わせられない。
行く先はまだ遠いと思われるのに、大津の、ひどくむさくるしい家々の中に入っていった。それも珍しい気持ちがして通り過ぎると、はるばると浜に出た。来た方を見やると、湖岸に並んで集まっている家々の前に、船どもを岸に並べ寄せてあるのが、たいそうおもしろい。漕いで行き交う舟もある。そうして行くうちに、巳の刻も終わりになった。しばらく馬を休ませようといって、清水という所で、あれがそうだと見やられたあたりに、大きな楝(おうち)の木がただ一本立っている陰に車を下ろして、馬を浦に引き下ろして冷やしたりして、「ここでお弁当を待ちましょう。あの(唐崎の)崎はまだずいぶん遠いようです」と言っているうちに、幼い子(道綱)が一人、疲れた顔で寄りかかっていたので、餌袋という物を取り出して食べたりしているところに、弁当が来たので、いろいろ分けたりして、一部の者はここから帰って、清水に来たのだといって、勤めをさせにやったりしているようだ。
さて、車に牛をかけて、その先へ行き着き、車の向きを変えて祓えをしに行くにつれて見ると、風が吹いて波が高くなる。行き交う舟は帆を引き上げて行く。浜辺に男たちが集まっていて、「歌をお詠み申し上げてから行け」と言うと、つまらない声を張り上げて歌って行く。祓えの間に、ちょうどよい時刻になるだろうというので、たいそう狭い崎の先端で、下の方は水際に車を立てた。皆が車から下ろしたので、寄せる波に、名残には(何も残さず)なしと言い古されたかいもあった。後ろの車に乗っている人々は、落ちそうなほどのぞきこんで、水をはね散らしているうちに、見たこともないものを取り上げて混ぜて騒いでいるようだ。若い男たちも少し離れて並んで座って、「さざなみや志賀の唐崎」などと、例の神歌の声を振りしぼって歌ったのも、たいそうおもしろく聞こえた。風はひどく吹くけれど、木陰がないのでたいそう暑い。どこか水のある所にと思う。祓えの時刻も終わったので帰る。
去りがたく、しみじみと見ながら通り過ぎて、山の入口に差しかかると、申の刻の終わりごろになっていた。ひぐらしが盛りと鳴き満ちている。聞くと、こう思われた。
「繰り返し鳴く声が、競い合って聞こえてくる。(私の帰りを)待っていたのだろうか、関のひぐらしは」
とだけ言った。人には言わない。走井では、あの人この人が馬を走らせて先に行く者もあって、着いてみると、先に行った人々は十分に休んで涼んで、気持ちよさそうにして、車を下ろす所に寄ってきたので、後ろの車の人が、
「うらやましいこと、駒の足も速く走井の(清水で涼んで)」
と言ったので、
「清水に映る影は、よどむものでしょうか(いいえ、速く走るのです)」。
近くに車を寄せて、人目につかない方に幕を引き下ろして皆降りた。手足も水に浸したので、気分も物思いも晴れていくように思われる。石などに寄りかかって、水を流してある樋の上に折敷を据えて、食べ物を食べて、自分で水漬け(水飯)などをする気持ちは、ほんとうに立ち去りがたいほどだけれど、「日が暮れました」などとせかす。こんな所では物思いなどをする人もいないだろうと思うけれど、日が暮れるのでしかたなく出発した。
進んで行くと、粟田山という所に、京からまず人がやって来た。「この昼、殿がおいでになっていました」と言うのを聞くと、たいそう妙な気がする。留守の間をうかがわれたのだとまで思われる。さて、どうしてかなどと、あれこれ尋ねているようだ。私はただひどくあきれた思いで帰り着いた。降りると気分がどうしようもなく苦しいのに、留守番をしていた人々が出てきて、「(殿が)お尋ねになったので、ありのままに申し上げました。どうしてそんな気になったのか。悪い時に来てしまったな、とおっしゃいました」などと言うのを聞くにつけても、夢のように思われる。翌日は疲れて一日を過ごし、その翌日、幼い子が殿のもとへ出かける。妙だったことを尋ねようかと思うのも気が進まないけれど、あの浜辺を思い出す気持ちがこらえきれないのに負けて、
「つらいこの世を、これほどと見つめてきた三津の浜辺で、涙の名残はあるかと(波の名残を)見たことです」
と書いて、「これを、ご覧にならないうちに置いて、すぐに帰って来なさい」と教えたので、「置いてきました」と言って帰ってきた。もしや見た様子でもと、知らず知らず待たれたことだった。けれども、そ知らぬ顔で月末になった。先頃、所在ないままに庭の草などを手入れさせた時に、たくさんの若苗が生えていたのを集めさせて、家の軒先に植えさせたのが、たいそう趣深く穂をはらんで、水をやらせたりしていたけれど、色づいた葉がしおれて立っているのを見ると、たいそう悲しくて、
「稲妻の光さえ来ない(あの人の訪れのない)家の陰では、軒端の苗も物思いにしおれているらしい」
と思われた。
意訳
〔逢坂を越えて〕夜明け前の明るい月の下、作者は妹と道綱を連れて京を出る。逢坂の関で牛を替え、湖を見下ろすと、鳥と見えたものが釣舟だった。日常を離れた風景に、作者の涙はとまらない。
〔湖畔の一日〕大津の家並み、岸に並ぶ船、清水での休憩と弁当、湖岸での祓え、神歌を歌う若者たち、ひぐらしの鳴く関、走井の清水で手足を浸す涼しさ。唐崎への旅は、日記の中でも珍しく明るく、作者の心がほどけていくのが伝わる紀行文である。
〔帰宅〕ところが京に戻ると、兼家が昼間に訪ねて来ていたと聞く。留守の間をうかがったのかとまで思う作者は、道綱に「みつの浜べ」の歌を託すが、兼家からは何の反応もない。軒先の稲の苗さえ、稲妻(夫の訪れ)を待ってしおれているように見える。
語釈・文法注
- 走井
- 逢坂の関のふもとにあった湧き水。旅人の休み所として知られた。
文法
- 「いはむやときに至りて」
- 底本どおり。注記に「せき」の異文があり、「いはむや関に至りて」と解する。
- 「心ち引きかへるたるやうに」
- 底本どおり。注記に「へたる」の異文がある。気分ががらりと変わったように。
- 「關のぢ」
- 関の道。
- 「をきたに並べ寄せつゝ」
- 底本どおり。注記に「かた」の異文があり、岸に並べ寄せて、と解する。
- 「うぎ行きちがふ」
- 底本どおり。注記に「こ」の異文があり、「漕ぎ行きちがふ」と解する。
- 「いにもゆく程に」
- 底本どおり。注記に「て」の異文がある。そうして行くうちに。
- 「し水」
- 底本の注記に「清」の異文がある。地名「清水」。
- 「ひやうしなどして」
- 底本どおり。馬を「冷やし」などして、の意に解する。
- 「かのささ」
- 底本の注記に「崎」とある。唐崎の崎。
- 「ゑぶくろ」
- 餌袋。旅の携帯食を入れる袋。
- 「けいたになりぬべく」
- 底本どおり。注記に「よ」の異文がある。ちょうどよい時刻、の意に解する。
- 「天下見えぬものども」
- これまで見たこともないような(湖の)ものども。
- 「ひとしのをりはきにはてぬれば」
- 底本どおり。注記に「八字ひつじのをりははイ」とあり、「未の刻ははてぬれば」と解される。
- 「幕るとるきおろして」
- 底本どおり。注記に「三字なとひ」などとあり、幕など引き下ろして、と解する。
- 「すゐえ」
- 底本どおり。「水飯(すいはん)」の類と解される。
- 「なさどこのこゝろありつる」
- 底本どおり。注記に異文がある。どうしてそんな気になったのか、の意に解する。
- 「しらた待たれけむかし」
- 底本の注記に「ず」の異文があり、「知らず待たれけむかし」と解する。
和歌
鳴きかへる聲ぞきほひて聞ゆなるまちやしつらむ關のひぐらし
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 唐崎からの帰り、逢坂の関の山口でひぐらしの声を聞いて心に思った歌。人には言わなかった。
修辞
- 掛詞
- 「鳴きかへる」に、繰り返し鳴くと、帰る私を迎える意を重ね、ひぐらしが自分の帰りを待っていたと見る。
うらやまし駒のあしとく走井の/しみづにかげはよどむものかは
- 詠者
- 同乗の人/道綱母(作者)
- 状況
- 走井で、先に着いて涼んでいた供の者たちを見て交わした連歌。
修辞
- 掛詞
- 「走井」に「走る」を掛け、駒の足の速さと清水の流れの速さを重ねる。
うき世をばかばかりみつの濱べにて淚になごりありやとぞ見し
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 唐崎から帰った後、留守中に訪れていた兼家に、道綱に託して置いてこさせた歌。
修辞
- 掛詞
- 「みつ」に地名の「三津(大津の浜)」と「見つ」、「なごり」に波の「名残」と心の名残を掛ける。
いなづまのひかりだにこぬやがくれは軒ばのなへもものおもふらし
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 月末、軒先に植えた稲の苗が色づいてしおれているのを見て詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 稲の実りを促すとされた「稲妻」を兼家の訪れにたとえ、しおれた苗に自分を重ねる。
解説
唐崎は琵琶湖の西岸にあり、祓えの名所として知られた。作者は京を夜明け前に出て、逢坂の関を越え、大津を経て唐崎に至り、その日のうちに帰っている。この一日の旅の記録は、『蜻蛉日記』の中でも屈指の紀行文として名高い。
湖の釣舟を鳥と見まがう場面、大津の家並み、清水の楝の木陰、走井の清水に手足を浸す涼しさなど、作者の目は風景の細部に注がれている。日ごろ家にこもり、夫の訪れを待つばかりの作者にとって、旅は心を解き放つ時間であった。
ところが帰京すると、兼家が留守中に訪ねてきていたことを知る。何十日も来なかった夫が、自分の留守の日に限って来たという皮肉。作者は「なきまをうかがはれける」と疑い、夢のような気持ちになる。この出来事は、続く石山詣(第24章)へとつながっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、75–78頁(コマ40–42)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日