紫式部日記 第1章
土御門殿の秋
寛弘五年の秋、出産のため里に下った中宮彰子のいる土御門殿のようすから日記は始まる。御産の祈りの読経、道長との女郎花の贈答、頼通の大人びた振る舞い、宮仕えの人々の夜々の遊び、昼寝する宰相の君の美しさを書きとめる。
- 1秋秋あきのののけはひけはひけわいのののたつたつたつまゝまゝままににに、、、土土つち御御み門門かど殿殿どののののありさまありさまありさまいはいはいわむむん方方かたなくなくなくをかしをかしおかし。。。
- 2池池いけのののわたりわたりわたりののの梢梢こずえどもどもども遣遣やり水水みずのののほとりほとりほとりののの草草くさむらむらむら、、、おのがじゝおのがじゝおのがじし色色いろづきづきずきわたりわたりわたりつゝつゝつつ、、、大大おおかたかたかたののの空空そらもももえんえんえんなるなるなるにににもてもてもてはやさはやさはやされれれててて、、、不不ふ斷斷だんののの御御みののの聲聲こえ々々ごえあはれあはれあわれまさりまさりまさりけりけりけり。。。
- 3やうやうやうやうようよう凉凉すずしきしきしき風風かぜのののけしきけしきけしきにににももも例例れいののの絕絕たえええせせせぬぬぬ水水みずのののおとなひおとなひおとない夜夜よもすがらもすがらもすがら聞聞ききききまがはさまがはさまがわさるるる。。。
- 4御御おまへまへまえにににももも、、、近近ちこうううさぶらふさぶらふさぶらう人人ひと々々びとはかなきはかなきはかなき物物もの語語がたりするするするををを聞聞きこしめししめししめしつゝつゝつつ、、、なやましうなやましうなやましゅうおはしますおはしますおわしますべかべかべかめるめるめるををを、、、さりげなくさりげなくさりげなくもてもてもてかくさかくさかくさせせせ給給たまへへえりりり。。。
- 5御御おんありさまありさまありさまなどなどなどのののいといといとさらさらさらなるなるなることことことなれなれなれどどど、、、うきうきうき世世よのののなぐさめなぐさめなぐさめにににははは、、、かゝるかゝるかかる御御おまへまへまえをををこそこそこそ尋尋たずねねねまゐるまゐるまいるべかりべかりべかりけれけれけれととと、、、うつしうつしうつしをををばばばひきひきひきたがへたがへたがえ、、、たとしへたとしへたとしえなくなくなくよろづよろづよろず忘忘わするゝるゝるるにににももも、、、かつかつかつはははあやしきあやしきあやしき。。。
- 6まだまだまだ夜夜よ深深ぶかきききほどほどほどののの月月つきさしさしさしくもりくもりくもり、、、木木こののの下下したをぐらきをぐらきおぐらきににに、、、「「「御御み格格こう子子しまゐりまゐりまいりなななばやばやばや。。。女女にょう官官かんはははいまだいまだいまださぶらはさぶらはさぶらわじじじ。。。藏藏くら人人うどまゐれまゐれまいれ」」」などなどなどいひいひいいしろふしろふしろう程程ほどににに、、、
- 7後後ご夜夜やののの鐘鐘かねうちうちうちおどろかしおどろかしおどろかし、、、五五ご壇壇だんののの御御みときときときはじめはじめはじめつつつ。。。我我われももも我我われもももとととうちうちうちあげあげあげたるたるたる伴伴ばん僧僧そうののの聲聲こえ々々ごえ、、、遠遠とおくくく近近ちかくくく聞聞ききききわたさわたさわたされれれたるたるたるほどほどほどおどろおどろしくおどろおどろしくおどろおどろしくたふとしたふとしとうとし。。。
- 8觀觀かん音音おん院院いんののの僧僧そう正正じょうひんがしひんがしひんがしののの對對たいよりよりより二十人二十人にじゅうにんののの伴伴ばん僧僧そうをををひきひきひきゐゐいててて御御み加加か持持じまゐりまゐりまいり給給たまふふう。。。足足あし音音おと渡渡わた殿殿どののののはしはしはしのののとゞろとゞろとゞろとゞろとどろとどろととと踏踏ふみみみならさならさならさるゝるゝるるさへさへさへぞぞぞことことことことことことのののけはひけはひけわいにににははは似似にぬぬぬ。。。
- 9法法ほう住住じゅう寺寺じののの座座ざ主主すはははうまばうまばうまばのののおとゞおとゞおとど、、、遍遍へんちちち寺寺じののの僧僧そう都都ずはははふどのふどのふどのなどなどなどににに、、、うちうちうちつれつれつれたるたるたる淨淨じょうえええすがたすがたすがたまでまでまでゆゑゆゑしきゆゑゆゑしきゆえゆえしき唐唐から橋橋はしどもどもどもをををわたりわたりわたりつゝつゝつつ、、、木木このののまままをををわけわけわけてててかへりかへりかえり入入いるるるほどほどほどももも、、、遙遙はるかににに見見みやらやらやらるゝるゝるる心心ここちちちしししてててあはれあはれあわれなりなりなり。。。
- 10さいささいささいさ阿阿あざざざ梨梨りももも大大だい威威い德德とくをををうやまひうやまひうやまいててて腰腰こしをををかゞめかゞめかがめたりたりたり、、、人人ひと々々びとまゐりまゐりまいりつれつれつればばば夜夜よももも明明あけけけぬぬぬ。。。
- 11渡渡わた殿殿どのののの戶戶と口口ぐちののの局局つぼねににに見見みいだせいだせいだせばばば、、、ほのほのほのうちうちうちきりきりきりたるたるたるあしたあしたあしたののの露露つゆもももまだまだまだおちおちおちぬぬぬににに、、、ありかありかありかせせせたまひたまひたまいてててみみみ隨隨ずい身身じん召召めしししててて遣遣やり水水みずはらははらははらわせせせたまふたまふたまう。。。
- 12橋橋はしののの南南みなみなるなるなる女女おみ郞郞な花花えしのののいみじういみじういみじゅう盛盛さかりなるなるなるををを一一ひと枝枝えだをらをらおらせせせたまひたまひたまいててて、、、几帳几帳きちょうのののかみかみかみよりよりよりさしさしさしのぞかのぞかのぞかせせせ給給たまへへえりりり。。。
- 13御御おんさまさまさまのののいといといとはづかしげはづかしげはずかしげなるなるなるににに、、、我我わががが朝朝あさ顏顏がおののの思思おもひひいしらしらしらるれるれるればばば、、、「「「これこれこれ遲遲おそくくくてててはははわろからわろからわろからむむん」」」とととのたまはするのたまはするのたまわするにににことつけことつけことつけててて硯硯すずりのののもともともとににによりよりよりぬぬぬ
- 14「「「をみなへしをみなへしおみなえしさかりさかりさかりののの色色いろををを見見みるるるからからからににに露露つゆのののわきわきわきけるけるける身身みこそこそこそしらしらしらるれるれるれ」」」。。。
- 15「「「あなあなあなととと」」」とととほゝゑみほゝゑみほほえみててて、、、硯硯すずりめしめしめしいづいづいず。。。
- 16「「「しらしらしら露露つゆはははわきわきわきてててもももをかをかをかじじじをみなへしをみなへしおみなえしこゝろこゝろこころからからからにににややや色色いろのののそむそむそむらむらむらん」」」。。。
- 17しめやかしめやかしめやかなるなるなる夕夕ゆう暮暮ぐれににに宰宰さい相相しょうのののととと二二ふた人人り物物もの語語がたりしししててて居居いたるたるたるににに、、、殿殿とのののの三三さん位位みのののすだれすだれすだれのののつまつまつまひきひきひきあげあげあげててて居居い給給たまふふう。。。
- 18年年としのののほどほどほどよりよりよりはははいといといとおとなしくおとなしくおとなしく心心こころにくきにくきにくきさまさまさましししててて、、、「「「人人ひとはははなほなほなお心心こころばへばへばえこそこそこそかたきかたきかたきものものものなななめれめれめれ」」」などなどなど世世よののの物物もの語語がたりしめしめしめしめしめしめとととしししててておはするおはするおわするけはひけはひけわいをををさなしさなしさなしととと、、、人人ひとのののあなづりあなづりあなずり聞聞きこゆるゆるゆるこそこそこそ惡惡あしけれしけれしけれととと、、、はづかしげはづかしげはずかしげににに見見みゆゆゆ。。。
- 19うちとけうちとけうちとけぬぬぬほどほどほどにてにてにて、、、「「「おほかるおほかるおおかる野野のべべべにににとととうちうちうちずんじずんじずんじててて、、、たちたちたち給給たまひひいにににしししさまさまさまこそこそこそ物物もの語語がたりににに譽譽ほめめめたるたるたる男男おとこののの心心ここちちちししし侍侍はべりりりしかしかしか。。。
- 20かばかりかばかりかばかりのののことことことのののうちうちうち思思おもひひい出出いでででらるゝらるゝらるるもももありありあり。。。そのそのそのをりをりおりはははをかしきをかしきおかしきことことことののの過過すぎぎぎぬれぬれぬればばば、、、忘忘わするゝるゝるるもももあるあるあるはははいかなるいかなるいかなるぞぞぞ。。。
- 21播播はり磨磨ま守守のかみ、、、碁碁ごのののまけまけまけしししけるけるける日日ひ、、、あからさまあからさまあからさまにににまかでまかでまかでゝゝて後後のちにににぞぞぞ碁碁ご盤盤ばんのののさまさまさまなどなどなど見見み給給たまへへえしかしかしかばばば、、、けそくけそくけそくなどなどなどゆゑゆゑしくゆゑゆゑしくゆえゆえしくしししててて、、、洲洲す濱濱はまのののほとりほとりほとりののの水水みずにににかきかきかきまぜまぜまぜたりたりたり。。。
- 22「「「きのくにきのくにきのくにのののしらゝしらゝしららののの濱濱はまにににひろふひろふひろうてふてふちょうこのこのこの石石いしこそこそこそはははいはほいはほいわおととともももなれなれなれ」」」。。。
- 23扇扇おうぎどもどもどものののをかしきをかしきおかしきををを、、、そのそのそのころころころははは人人ひと々々びともももたりたりたり。。。
- 24八月八月はちがつ二十日二十日はつかあまりあまりあまりののの程程ほどよりよりよりははは、、、上達部上達部かんだちめ殿殿てん上上じょう人人びとどもどもどもさるべきさるべきさるべきははは皆皆みなとのゐとのゐとのいがちがちがちにてにてにて、、、橋橋はしののの上上うえ對對たいののの簀簀す子子のこなどなどなどににに皆皆みなうたゝねうたゝねうたたねをををしししつゝつゝつつ、、、はかなうはかなうはかのう遊遊あそびびびあかすあかすあかす。。。
- 25琴琴こと笛笛ふえののの音音ねなどなどなどにににははは、、、たどたどしきたどたどしきたどたどしき若若わか人人うどたちたちたちのののとねとねとねあらそひあらそひあらそい、、、今今いま樣樣よう歌歌うたどもどもどもゝゝも所所ところにににつけつけつけてててはははをかしかりをかしかりおかしかりけりけりけり。。。
- 26宮宮みやののの大大だい夫夫ぶ齊齊ただ、、、左左ひだりののの宰宰さい相相しょうののの中將中將ちゅうじょう經經つね房房ふさ、、、兵兵ひょう衞衞えののの督督かみ、、、美美み濃濃のののの少少しょう將將しょう濟濟なり政政まさなどなどなどしししててて遊遊あそびびびたまふたまふたまう夜夜よもももありありあり。。。
- 27わざとわざとわざとののの御御おおんあそびあそびあそびははは、、、殿殿とのおぼすおぼすおぼすやうやうようやややあらあらあらむむん、、、せせせさせさせさせたまはたまはたまわずずず。。。年年とし頃頃ごろ里里さと居居いしししたるたるたる人人ひと々々びとのののなかなかなかたえたえたえをををおもひおもひおもい起起おこしししつゝつゝつつ、、、まゐりまゐりまいりつどふつどふつどうけはひけはひけわいさわがしうさわがしうさわがしゅうててて、、、そのそのその頃頃ころはははしめやかしめやかしめやかなるなるなることことことなしなしなし。。。
- 28廿六日廿六日にじゅうろくにち御御おおんたきものたきものたきものあはせあはせあわせはてはてはてゝゝて、、、人人ひと々々びとにににももも配配くばらららせせせ給給たまふふう。。。まろがしまろがしまろがしゐゐいたるたるたる人人ひと々々びとあまたあまたあまたつどひつどひつどい居居いたりたりたり。。。
- 29うへうへうえよりよりよりおるゝおるゝおるる道道みちににに、、、辨辨べんののの宰宰さい相相しょうのののののの戶戶と口口ぐちをををさしさしさしのぞきのぞきのぞきたれたれたればばば、、、晝晝ひるねねねしししたまへたまへたまえるるる程程ほどなりなりなりけりけりけり。。。
- 30萩萩はぎ、、、紫紫し苑苑おん、、、いろいろいろいろいろいろのののきぬきぬきぬににに、、、濃濃こきききかかか、、、うちめうちめうちめ、、、心心こころことことことなるなるなるをををうへうへうえにににきききててて、、、顏顏かおはははひきひきひき入入いれれれててて硯硯すずりののの箱箱はこににに枕枕まくらしししてててふしふしふし給給たまへへえるるるひたひひたひひたいつきつきつき、、、いといといとらうたげらうたげろうたげににになまめかしなまめかしなまめかし。。。
- 31繪繪えににに書書かきききたるたるたるものものものゝゝの姫姫ひめ君君ぎみののの心心ここちちちすれすれすればばばくちくちくちおほひおほひおおいをををひきひきひきやりやりやりててて「「「物物もの語語がたりののの女女おんなののの心心ここちちちもももししし給給たまへへえるるるかなかなかな」」」ととといふいふいうににに、、、見見みあげあげあげててて、、、
- 32「「「ものぐるほしものぐるほしものぐるおしののの御御おんさまさまさまややや。。。寢寢ねたるたるたる人人ひとををを心心こころなくなくなく驚驚おどろかすかすかすものものものかかか」」」とてとてとてすこしすこしすこしおきおきおきあがりあがりあがり給給たまへへえるるる顏顏かおのののうちうちうちあかみあかみあかみ給給たまへへえるるるなどなどなど、、、こまかこまかこまかにににをかしうをかしうおかしゅうこそこそこそ侍侍はべりりりしかしかしか。。。おほかたおほかたおおかたもももよきよきよき人人ひとののの、、、をりをりおりからからからにににまたまたまたこよなくこよなくこよなくまさるまさるまさるわざわざわざなりなりなりけりけりけり。。。
現代語訳
秋の気配が深まるにつれて、土御門殿のようすは言いようもなく趣がある。
池のあたりの木々の梢や、遣水のほとりの草むらが、それぞれ一面に色づいて、空のようすもおおかた優美なのに引き立てられて、絶え間なく続く御読経の声々は、いっそうしみじみと聞こえる。
しだいに涼しくなる風の気配の中で、いつもの絶えることのない遣水の音が、夜通し読経の声と聞き分けられないほどに響きあう。
中宮さまも、おそばに仕える女房たちがとりとめのない話をするのをお聞きになりながら、お体がおつらくていらっしゃるらしいのを、さりげなく隠していらっしゃる。
そのご様子などはいまさら申すまでもないことだが、つらい世の中の慰めには、このような方をこそ探してお仕えすべきだったのだと、ふだんの沈んだ心とはうって変わって、たとえようもなくすべてを忘れてしまうのも、一方では不思議なことである。
まだ夜深いころで、月がかげって木の下が薄暗いときに、「御格子を上げたいわ」「女官はまだ参っていないでしょう」「蔵人、お上げなさい」などと言い合っているうちに、
後夜の鐘の音があたりを驚かして、五壇の御修法が始まった。我も我もと声を張りあげる伴僧たちの読経が、遠く近く響きわたるのは、おごそかで尊い。
観音院の僧正が、東の対から二十人の伴僧を引き連れて御加持に参られる。渡殿の橋板をどんどんと踏み鳴らす足音までが、ほかの折とは違ったようすである。
法住寺の座主は馬場の御殿へ、浄土寺の僧都は文殿などへと、連れだった浄衣姿の人々まで、由緒ありげな唐橋をいくつも渡って、木々の間を分けて帰ってゆくようすも、はるかに見送られる気持ちがして、しみじみとした趣がある。
斎祇阿闍梨も大威徳明王を敬って腰をかがめている。女房たちが参上してきたので、夜も明けた。
渡殿の戸口の局から外を見ると、うっすらと霧のかかった朝の露もまだ落ちないうちに、殿(道長)が庭をお歩きになって、御随身をお召しになり遣水の手入れをおさせになる。
橋の南に咲く女郎花のまっさかりなのを一枝折らせなさって、几帳の上からのぞかせなさった。
殿のご様子がたいそう立派で気後れするほどなのに、自分の寝起きの顔が恥ずかしく思い知らされるので、「これ(の歌)が遅くてはよくないだろう」とおっしゃるのにかこつけて、硯のそばに寄った。
「女郎花の盛りの色を見るにつけても、露が分けへだてをして(美しく染めてくれない)わが身のほどが思い知られます」。
「おお、早いね」とほほえんで、(殿は)硯をお取り寄せになる。
「白露は分けへだてなど置くまい。女郎花は自分の心がけで美しい色に染まるのだろう」。
しっとりとした夕暮れに、宰相の君と二人で話をして座っていると、殿のご子息の三位の君(頼通)が、簾の端を引き上げてお座りになる。
年のわりにはたいそう大人びて奥ゆかしい様子で、「女の人はやはり気立てのよい人がめったにいないものですね」などと男女の仲の話をしんみりとなさっている様子は、子どもっぽいと人が侮り申し上げるのはまちがいだと思われるほど、こちらが気恥ずかしくなるほど立派に見える。
うちとけすぎない程度のところで、「多かる野辺に」と口ずさんで、お立ちになったさまは、物語でほめたたえている男君のようでした。
これほどのちょっとしたことでも、後から思い出されることもある。そのときは趣深いと思ったことでも、過ぎてしまえば忘れてしまうこともあるのは、どういうわけだろう。
播磨守が碁の負けわざ(負けた側のもてなし)をした日、わたしはちょっと里に下がっていて、後になって碁盤の飾りなどを拝見したところ、華足などを由緒ありげに作って、洲浜の水際の部分に、歌を混ぜて書いてあった。
「紀伊の国の白良の浜で拾うというこの碁石こそは、(君が代を祝って)巌ともなることでしょう」。
そのころは、女房たちも趣のある扇を持っていた。
八月二十日過ぎのころからは、上達部や殿上人などしかるべき方々はみな宿直がちで、橋の上や対の簀子などでうたた寝をしては、とりとめもなく遊び明かす。
琴や笛の音などには、まだ未熟な若い人たちの競い合う音が聞こえ、今様歌なども、場所がらおもしろく聞こえた。
中宮の大夫斉信、左の宰相の中将経房、兵衛の督、美濃の少将済政などが一緒に遊びなさる夜もある。
正式の管絃の遊びは、殿にお考えがあるのだろうか、おさせにならない。長年里に下がっていた女房たちも、久しく途絶えていたのを思い起こしては参上して集まってくる気配がにぎやかで、そのころは落ち着いたことがない。
二十六日、御薫物の調合が終わって、女房たちにもお配りになる。薫物を丸める作業をしていた女房たちが大勢集まっている。
中宮さまの御前から局へ下がる道すがら、弁の宰相の君の戸口をのぞいてみると、ちょうど昼寝をしていらっしゃるところだった。
萩や紫苑など色とりどりの衣に、濃い紅の打衣の、ことに美しいのを上に着て、顔は衣に引き入れて、硯の箱を枕にして横になっていらっしゃる額のあたりが、たいそうかわいらしく優美である。
絵に描いた物語の姫君のような気がしたので、口もとを覆っている衣を引きのけて、「物語の女君のようでいらっしゃるわね」と言うと、(宰相の君は)見上げて、
「正気とも思えないなさりようね。寝ている人を思いやりもなく起こすなんて」と言って、少し起きあがりなさった顔がほんのり赤らんでいるところなど、こまやかに美しゅうございました。ふだんから美しい人が、折しだいでいっそうすばらしく見えるものなのだった。
意訳
日記は季節の描写から始まる。「秋のけはひ」は、中宮の御産を待つ土御門殿の張りつめた空気をも含んでいる。
色づく梢、遣水、空、読経の声と、目と耳でとらえたものを重ねて、秋の邸の情景を描く。祈りの声が自然の美しさと溶けあっている。
風の気配と水音と読経が夜通し入りまじる。音で場面を描く書き方は、この日記の冒頭の特色である。
身重の中宮彰子は苦しさを隠して女房たちの雑談に耳を傾けている。気丈で思いやり深い主人の姿が、短い一文で示される。
作者は「憂き世」を嘆く心をいつも抱えているが、この主人のそばではそれを忘れてしまうという。ただし「かつはあやしき」と、そんな自分を冷静に見る目も忘れない。
夜明け前、格子を上げる係を押しつけあう女房たちの会話から、早朝の御産祈祷の場面に移る。
後夜の鐘を合図に、五人の阿闍梨が五大明王を祀る大がかりな修法が始まる。伴僧たちの声が邸じゅうに響く。
僧正の一行が渡殿の板を踏み鳴らす音までが、ふだんと違って聞こえる。非常時の緊張が足音にも表れている。
修法を終えた僧たちが、浄衣姿で庭の唐橋を渡って宿所へ帰ってゆく。その後ろ姿を遠く見送る作者のまなざしに、しみじみとした情趣がある。
大威徳明王に深く頭を下げる阿闍梨の姿に、祈りの真剣さがうかがえる。こうして夜が明ける。
朝の場面。道長が自ら庭を歩き、随身に遣水の手入れをさせる。孫の誕生を待つ道長の気持ちのはずみが感じられる。
道長は咲きほこる女郎花を一枝折らせ、几帳越しに作者に差し出す。歌を詠めという無言の求めである。
作者は寝起きの顔を見られるのが恥ずかしく、「早く詠め」という道長の言葉を口実に、顔をそむけて硯に向かう。
作者の歌は、美しく色づいた女郎花と、露の恵みを受けない自分とを比べて卑下する。道長の栄華と自分の身の対比でもある。
道長は「速いね」と感心し、すぐに自分も硯を取り寄せる。
道長の返歌は、露は分けへだてしない、美しく色づくのは女郎花自身の心がけだ、と作者を励ます。卑下を軽くいなす、大人の余裕がある。
別の日の夕暮れ、まだ十七歳の頼通が女房たちの部屋に顔を出す。
頼通は「女は気立てのよい人が少ない」などと、年に似合わず大人びたことを言う。作者は、彼を子ども扱いする人の見方は誤りだと感じる。
頼通は長居をせず、『古今和歌集』の「女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ」の一句を口ずさんで去る。女の多い所に長居をして浮名を立てられては困る、という機知である。作者はそれを物語の理想の男君のようだと評する。
作者は、こうした小さな出来事がふと思い出されることもあれば、そのときは心ひかれても忘れてしまうこともある、と記憶のふしぎを思う。
碁の勝負に負けた側がもてなしをする「負けわざ」の話。作者は里下がり中で見逃し、あとから飾りの碁盤を見せてもらった。
洲浜の飾りに書かれた歌は、紀伊の白良の浜の小石が巌となる、と君の長寿を祝う。小石を碁石にかけた趣向である。
人々が凝った扇を持っていたことも書き添える。
八月下旬、公卿たちが土御門殿に泊まりこみ、夜通し遊ぶようになる。御産が近づき、邸に人が集まっている。
琴や笛を競い合う若い人たちの未熟な音も、今様歌も、場所がらかえって趣がある。
斉信・経房らの名を挙げて、夜の遊びの顔ぶれを記録する。
道長は正式の管絃の遊びは催させない。御産の前で慎んでいるのだろうと作者は推し量る。里居していた女房たちも次々に戻ってきて、邸はにぎやかである。
中宮が調合させた薫物を女房たちに配る。薫物を丸める作業に女房たちが集まっている。
作者が局へ戻る途中、同僚の宰相の君(藤原豊子)の昼寝姿をのぞき見る。
色とりどりの衣を重ね、硯箱を枕に眠る宰相の君の姿を、作者は絵のように細かく描く。
作者は思わず顔の覆いを取り、「物語の女君のよう」と声をかける。物語作者らしい、親しい同僚へのいたずらである。
宰相の君はあきれながらも顔を赤らめる。作者は、もともと美しい人が折によっていっそう美しく見えると結ぶ。美しいものを見逃さない作者の目が感じられる場面である。
語釈・文法注
- 不斷の御どきやう
- 不断の御読経。昼夜絶えず交代で経を読むこと。中宮の安産を祈って行われた。
- うつし心
- 正気の心、ふだんの心。ここでは、いつも世を憂く思っている作者自身の心をいう。
- 五壇の御ずほふ
- 五壇の御修法。不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王を五つの壇に祀り、五人の阿闍梨が同時に行う大がかりな祈祷。
- 殿
- 藤原道長(966〜1027)。中宮彰子の父で、このとき左大臣。
- 宰相の君
- 中宮付きの女房。藤原道綱の娘の豊子とされる。のち敦成親王の乳母となる。
- 殿の三位の君
- 道長の長男、藤原頼通(992〜1074)。このとき十七歳で従三位。
- 「おほかる野べに」
- 『古今和歌集』秋上・小野美材「女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ」の一句。
- まけわざ
- 負け態。勝負に負けた側が、勝った側をもてなして饗応や贈り物をすること。
- 宮の大夫齊信
- 中宮大夫(中宮職の長官)の藤原斉信。漢詩文や管絃にすぐれた公卿。
- 辨の宰相の君
- 宰相の君と同じ人。父の道綱が参議(宰相)で、弁官を兼ねたことのある家の出であることからの呼び名とされる。
文法
- 「聞きまがはさる」
- 「まがはさ」は四段動詞「まがはす」の未然形、「る」は自発の助動詞。遣水の音と読経の声とが、自然と聞き分けられなくなる。
- 「尋ねまゐるべかりけれ」
- 「べかり」は当然の助動詞「べし」の連用形、「けれ」は気づきの「けり」の已然形(「こそ」の結び)。探してお仕えすべきだったのだなあ、と今になって気づく気持ち。
- 「遍ち寺」「さいさ阿ざ梨」
- 底本のまま。通行本文は「浄土寺」「斎祇阿闍梨」。
- 「硯のもとによりぬ」
- 底本はここに句点がない。底本のまま。
- 「をかじ」
- 「じ」は打消推量の助動詞。白露は分けへだてをして置くことはあるまい。
- 「扇どものをかしきを、そのころは人々もたり」
- 底本のまま。通行本文は「扇どもも、をかしきを、そのころは人々持たり」に近い。
和歌
をみなへしさかりの色を見るからに露のわきける身こそしらるれ
- 詠者
- 紫式部
- 状況
- 早朝、道長が女郎花の一枝を几帳越しに差し出し、歌を求めたときの歌。
修辞
- 対比
- 盛りの女郎花と、露の恵みを受けない自分の身とを対比する。
- 寓意
- 「露」に道長の恩恵を重ね、恵みを受けない身と卑下する。
しら露はわきてもをかじをみなへしこゝろからにや色のそむらむ
- 詠者
- 藤原道長
- 状況
- 紫式部の歌への返歌。
修辞
- 言葉の受け
- 式部の「露のわきける」を受けて「わきてもをかじ」と打ち消す。
- 教訓
- 美しく色づくのは本人の心がけ次第だと諭し、励ます。
きのくにのしらゝの濱にひろふてふこの石こそはいはほともなれ
- 詠者
- 不詳(碁の負けわざの洲浜に書かれた歌)
- 状況
- 播磨守の碁の負けわざで、洲浜の飾りに書き添えられた歌。
修辞
- 歌枕
- 紀伊の白良の浜は白い砂と小石で知られる。
- 本歌
- 「さざれ石の巌となりて」(『古今和歌集』賀)の発想をふまえ、碁石を巌になぞらえて長寿を祝う。
解説
『紫式部日記』は、寛弘五年(1008)の秋、一条天皇の中宮彰子が出産のために父藤原道長の邸、土御門殿に里下がりしているところから始まる。作者紫式部は彰子に仕える女房で、すでに『源氏物語』の作者として宮廷で知られていた。
冒頭は、秋の景物と絶え間ない御産の祈りの声とが一体となった名高い書き出しである。作者は中宮の気丈さをたたえ、ふだんの「憂き世」の思いを忘れるほどだと書く一方、そう感じる自分を「あやしき」と見つめている。晴れがましい記録と内省とが交互に現れるこの日記の書き方が、すでにここに表れている。
女郎花の贈答は、道長と作者の主従の関係をよく伝える場面としてよく知られる。道長の返歌は作者の卑下を受けとめて励ますもので、この後も道長はしばしば作者に歌を詠みかけている。頼通の場面や宰相の君の昼寝の場面には、物語作者らしい人物描写の細やかさが見られる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(紫式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、369–371頁(コマ196–197)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日