蜻蛉日記 上巻 第15章
宇治の迎えと上巻の結び
初瀬からの帰り道、まだ暗い宇治川のほとりに兼家が迎えに出ていた。網代を前に歌を交わし、按察使大納言の山荘からの贈り物や、酔って歌う若者たちに囲まれて京に帰る。冬には大嘗会の騒ぎにまぎれて年が暮れ、作者は「あるかなきかの心ちするかげろふの日記」と上巻を結ぶ。
- 1いみじういみじういみじゅうむつかしけれむつかしけれむつかしけれどどど夜夜よににに入入いりりりぬれぬれぬればばば唯唯ただ明明あくるくるくるををを待待まつつつ。。。まだまだまだ暗暗くらきききよりよりよりいけいけいけばばば黑黑くろみみみたるたるたるものものもののののてててぞぞぞ追追おひひいてててはしらはしらはしらせせせてててくくく。。。やゝやゝやや遠遠とおくくくよりよりよりおりおりおりてててついついついひざまづきひざまづきひざまずきたりたりたり。。。見見みれれればばばなりなりなりけりけりけり。。。何何なにぞぞぞとととこれこれこれかれかれかれ問問とへへへばばば「「「昨日昨日きのうののの酉酉とりののの時時ときばかりばかりばかりににに宇宇う治治じののの院院いんにににおはしましおはしましおわしまし着着つきききてててかへらかへらかえらせせせ給給たまひひいぬぬぬやややととと參參まいれれれととと仰仰おおせせせごとごとごと侍侍はべりりりつれつれつればばばなむなむなん」」」ととといふいふいう。。。さきさきさききるきるきるをのこをのこおのこどもどもどもとそゝとそゝとそそながせながせながせやややなどなどなど行行おこなふふう。。。宇宇う治治じののの河河かははりはりはりににによるよるよるほどほどほど、、、霧霧きりはははきしきしきし方方かた見見みえええずずず立立たちちち渡渡わたりりりててていといといとおぼつかなしおぼつかなしおぼつかなし。。。車車くるまかきかきかきおろしおろしおろしてててこちたくこちたくこちたくとかくとかくとかくするするするほどほどほどににに人人ひと聲聲ごえ多多おおくくくててて「「「御御み車車くるまおろしおろしおろし立立たてててよよよ」」」とととのゝしるのゝしるののしる。。。霧霧きりののの下下したよりよりより例例れいのののあじろあじろあじろももも見見みえええたりたりたり。。。いふいふいう方方かたなくなくなくをかしをかしおかし。。。みづからみづからみずからはははあなたあなたあなたにににあるあるあるなるなるなるべしべしべし。。。まづまづまずかくかくかくきてきてきてわたすわたすわたす、、、
- 2「「「人人ひと心心ごころ宇宇う治治じのののあじろあじろあじろにににたまさかたまさかたまさかににによるよるよるひるひるひるだにだにだにもももたづねたづねたずねけるけるけるかなかなかな」」」。。。
- 3船船ふねののの岸岸きしきするきするきするほどほどほどににに返返かへししし、、、
- 4「「「かへるかへるかえる日日ひををを心心こころのののうちうちうちににに數數かぞへへへつゝつゝつつ誰誰たれににによりよりよりてててかかかあじろあじろあじろをををもももとふとふとう」」」。。。
- 5見見みるるるほどほどほどににに車車くるまかきかきかき居居すゑゑえてててのゝしりのゝしりののしりてててさしさしさし渡渡わたるるる。。。いといといとやんごとなきやんごとなきやんごとなきにににはははあらあらあらねねねどどど卑卑いやしからしからしからぬぬぬ家家いえののの子子こどもどもども、、、何何なにのののぞうぞうぞうののの君君きみなどなどなどいふいふいうものものものどもどもども、、、ながみながみながみとびとびとびののの尾尾をのののなかなかなかこここ入入いりりりこみこみこみててて、、、ひひひのののあじろあじろあじろ僅僅わずかかかににに見見みえええててて霧霧きり所所ところ々々どころににに晴晴はれれれ行行ゆくくく。。。あなたあなたあなたののの岸岸きしににに家家いえののの子子こ衞衞え府府ふののの佐佐すけなどなどなどかひかひかいつれつれつれててて見見みおこせおこせおこせたりたりたり。。。なかなかなかににに立立たてててるるる人人ひとももも旅旅たび立立だちちちててて狩狩かりぎぬぎぬぎぬなりなりなり。。。岸岸きしのののいといといと高高たかききき所所ところににに船船ふねををを寄寄よせせせてててわりなくわりなくわりなくたゝあげたゝあげたたあげににに擔擔になひひいあぐあぐあぐ。。。轅轅ながえをををいたじきいたじきいたじきににに引引ひきききかけかけかけててて立立たてててたりたりたり。。。ののの設設もうけけけありありありけれけれければばばとかうとかうとこうものものものするするするほどほどほどにににはははのののあなたあなたあなたにににあぜちあぜちあぜちののの大大だい納納なのののらうじらうじろうじ給給たまふふうこころこころこころありありありけるけるける。。。「「「このこのこの頃頃ころのののあじろあじろあじろははは御御ご覽覽らんずずずとてとてとてこゝこゝここににになむなむなんものものものししし給給たまふふう」」」ととといふいふいう人人ひとあれあれあればばば、、、「「「かうかうこうてててありありありととと聞聞きききき給給たまへへえらむらむらんをををまうでまうでもうでこそこそこそすすすべかりべかりべかりけれけれけれ」」」などなどなど定定さだむるむるむるほどほどほどににに紅紅もみ葉葉じのののいといといとをかしきをかしきおかしきえだえだえだににに、、、きじきじきじひをひをひおなどなどなどをををつけつけつけててて、、、「「「かうかうこうものものものししし給給たまふふうととと聞聞ききききてててもろもろもろともともともにににととと思思おもふふうもももあやしうあやしうあやしゅう、、、ものものものなきなきなき日日ひにににこそこそこそあれあれあれ」」」とととありありあり。。。御御おおんかへりかへりかえり「「「こゝこゝここにににおはしましおはしましおわしましけるけるけるををを唯唯ただ今今いま侍侍さぶらひらひらいかしこまりかしこまりかしこまりははは」」」などなどなどととといひいひいいてててひとへひとへひとえぎぬぎぬぎぬぬぎぬぎぬぎてててかづくかづくかずくさながらさながらさながらさしさしさし渡渡わたりりりぬぬぬめりめりめり。。。又又また鯉鯉こい鱸鱸すずきなどなどなどしきりしきりしきりにににあああめりめりめり。。。あるあるあるすきすきすきものものものどもどもども醉醉よひひいあつまりあつまりあつまりててて「「「いみじかりいみじかりいみじかりつるつるつるものものものかなかなかな。。。御御み車車くるまのののつぎつぎつぎのののわたわたわたのののほどほどほどののの日日ひにににあたりあたりあたりててて見見みえええつるつるつるははは」」」ともともともいふいふいうめりめりめり。。。車車くるまのののしりしりしりののの方方かたににに花花はな紅紅もみ葉葉じなどなどなどやややさしさしさしたりたりたりけむけむけん、、、家家いえののの子子ことととおぼしきおぼしきおぼしき人人ひと「「「近近ちこううう花花はな咲咲さききき實實みなるなるなるまでまでまでなりなりなりにににけるけるける日日ひ頃頃ごろよよよ」」」ととといふいふいうなれなれなればばばしりしりしりなるなるなる人人ひともももとかくとかくとかくいらへいらへいらえなどなどなどするするするほどほどほどににに、、、あなたあなたあなたへへへ舟舟ふねにににててて皆皆みなさしさしさしわたるわたるわたる。。。ろなうろなうろのうゑはゑはよわむむんものものものぞぞぞとてとてとて皆皆みな酒酒さけ飮飮のむむむものものものどもどもどもををを選選えりりりてててゐゐいててて渡渡わたるるる。。。川川かはののの方方かたににに車車くるまむかへむかへむかえ榻榻しじ立立たてててさせさせさせてててふたふたふた舟舟ふねにににててて漕漕こききき渡渡わたるるるまでまでまで醉醉よひひい惑惑まどひひいててて歌歌うたひひい歸歸かえるるるまゝまゝままににに「「「御御み車車くるまかけかけかけよよよかけかけかけよよよ」」」とととのゝしれのゝしれののしればばば、、、困困こうじじじててていといといと侘侘わびしきしきしきにににいといといと苦苦くるしうしうしゅうててて來來きぬぬぬ。。。
- 6あくれあくれあくればばばのののいそぎいそぎいそぎ近近ちかくくくなりなりなりぬぬぬ。。。こゝこゝここにににししし給給たまふふうべきべきべき事事ことそれぞれそれぞれそれぞれとととあれあれあればばば、、、いかゞいかゞいかがはははとてとてとてししし騷騷さわぐぐぐ。。。儀儀ぎ式式しきののの車車くるまにににてててひきひきひきつゞきつゞきつづきりりり。。。しもしもしものののかへかへかへ手手て振振ぶりなどなどなどかくかくかくしししいけいけいけばばば、、、いろいろいろふしふしふしににに出出いでででたらたらたらむむんこゝちこゝちここちしししててて今今いまめかしめかしめかし。。。月月つき立立たちちちてててははは大大だいざうざうじょう會會えのののけみけみけみやややとととししし騷騷さわぎぎぎ、、、我我われももも物物もの見見みのののいそぎいそぎいそぎなどなどなどしししつるつるつるほどほどほどににに、、、晦晦つごもりににに又又またいそぎいそぎいそぎなどなどなどすすすめりめりめり。。。
- 7かくかくかく年年とし月月つきはははつもれつもれつもれどどど思思おもふふうやうやうようにににもももあらあらあらぬぬぬ身身みをををししし歎歎なげけけけばばば、、、聲聲こえあらたまるあらたまるあらたまるもももよろこぼしからよろこぼしからよろこぼしからずずず。。。猶猶なお物物ものはかなきはかなきはかなきををを思思おもへへえばばばあるあるあるかかかなきなきなきかかかののの心心ここちちちするするするのののにきにきにきととといふいふいうべしべしべし。。。
現代語訳
ひどくうっとうしいけれど、夜になったので、ただ夜が明けるのを待つ。まだ暗いうちから出発すると、黒っぽい装束の者が追いかけて走って来る。少し離れた所から馬を降りてひざまずいた。見ると随身であった。どうしたのかと供の者たちが尋ねると、「昨日の酉の刻ごろ、宇治の院にお着きになって、お帰りになったかどうか見て来いと仰せがございましたので」と言う。先を払う下人たちが、「それそれ、急げ」などとさしずする。宇治川のほとりに近づくころ、霧で来た方も見えないほど立ちこめて、たいそう心もとない。車を降ろして、大げさにあれこれしているうちに、人の声が多くして、「お車を降ろして据えよ」と大声で言う。霧の下から、いつもの網代も見えた。言いようもなく趣深い。あの人自身は向こう岸にいるのだろう。まず、こう書いてよこした。
「人の心は憂いものだが、宇治の網代にたまたま寄るように、夜も昼も(あなたを)尋ねて来たのだよ」。
舟が岸に着くころに、返しを。
「帰る日を心の中で数えながら、誰のためにと思って、網代を訪ねていらしたのですか」。
見ているうちに、車を舟に担ぎ乗せて、大声で騒いで川を渡る。たいそう高貴というほどではないが卑しくはない家の子息たち、何某の丞の君などという者たちが、轅(ながえ)と鴟の尾の間に入りこんで、日の光で網代がわずかに見えて、霧があちこち晴れていく。向こう岸に、家の子息や衛府の佐などが連れだって、こちらを見ている。中に立っている人(兼家)も旅姿で狩衣を着ている。岸のたいそう高い所に船を寄せて、無理やり担ぎ上げる。轅を板敷に引っかけて車を据えた。精進落としの用意があったので、あれこれしているうちに、川の向こうに按察使大納言の領していらっしゃる山荘があった。「近ごろの網代をご覧になるといって、こちらにおいでです」と言う人がいるので、「こうして(私が)いると聞いていらっしゃるだろうから、ご挨拶に参上すべきだった」などと相談しているうちに、紅葉のたいそう美しい枝に、雉や氷魚などをつけて、「こうしておいでになると聞いて、ご一緒にと思うのも妙なことで、何もない日でして」とあった。お返事に、「こちらにおいでになったのを、ただ今伺いまして、恐縮しております」などと言って、単衣を脱いで使いの者に与えると、そのまま向こう岸へ渡って行ったようだ。また、鯉や鱸などが次々に届くようだ。風流好みの者たちが酔って集まって、「すばらしかったなあ。お車の後ろの方が日に当たって見えたのは」などとも言っているようだ。車の後ろの方に花や紅葉などを挿していたのだろうか、家の子と思われる人が、「もう花が咲き実がなるほどになってしまった日数だなあ」と言うので、後ろに乗っている人もあれこれ返事などするうちに、向こう岸へ舟で皆渡って行く。「きっと酔うだろう」と言って、酒を飲む者たちを選んで連れて渡る。川の方に車を向けて榻を立てさせて、二艘の舟で漕ぎ渡ってくるまで、酔い乱れて歌いながら帰ってくるやいなや、「お車をかけよ、かけよ」と騒ぐので、疲れてひどくつらいうえに、たいそう苦しい思いで帰ってきた。
夜が明けると、御禊の準備が近づいた。「こちらでしていただくことはこれこれ」とあるので、どうしようもないと思って騒いで準備する。儀式の車で行列が続いた。下仕えの者たちや手振などが、こうして行くので、晴れの舞台に出たような気がして華やかである。月が改まると大嘗会の検見だといって騒ぎ、私も見物の準備などをしているうちに、月末にはまた別の準備などをするようだ。
こうして年月は積もるけれど、思うようにもならない身を嘆いているので、新年の声が改まるのも喜ばしくない。やはり、はかないことを思うと、あるかないかの心地がするかげろうのような日記と言うべきであろう。
意訳
〔宇治の迎え〕初瀬から帰る作者を、兼家は宇治まで迎えに出ていた。夜明け前に随身が様子を見に来て、霧の宇治川の向こうから「夜も昼も尋ねてきた」と歌をよこす。狩衣姿の兼家、若い貴公子たち、按察使大納言からの紅葉の枝に結んだ贈り物、酒に酔って歌う者たち。旅の終わりは華やかなにぎわいに包まれ、疲れ果てた作者は苦しい思いで京に帰りつく。
〔大嘗会〕冬、冷泉天皇の大嘗会の御禊で、兼家の家から女御代を出すことになり、作者もその準備に追われる。行列の華やかさに「晴れの舞台に出たよう」と感じるものの、作者の心は晴れない。
〔かげろふの日記〕上巻の最後に、作者は「年月は積もっても、思うようにならない身」を嘆き、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」と結ぶ。かげろう(蜉蝣、または陽炎)のようにはかない自分の人生の記録。この一文が、日記の名の由来となった。序の「ものはかなく世に経る人」と呼応して、上巻はひとつの作品として閉じられている。
語釈・文法注
- すゝいんし
- 底本どおり。注記に「ずいじん(随身)」の誤りかとある。貴人の外出に従う護衛の役人。兼家の随身。
- としみ
- 精進落とし。物詣でを終えて、精進(肉や魚を断つこと)をやめ、ふつうの食事にもどること。
- あぜちの大納言
- 按察使を兼ねた大納言。藤原師氏(兼家の叔父)とされる。
- ごけい
- 御禊。ここでは大嘗会の前の十月に行われる、天皇の賀茂川での禊。
- かげろふ
- 蜉蝣(かげろう)、または陽炎。どちらもはかないもののたとえ。この一文から書名『蜻蛉日記』(かげろうにっき)が生まれた。
文法
- 「黑みたるもののてぞ」
- 底本の注記に「どもイ」とあり、「黒みたるものどもぞ」と解する。黒っぽい装束の者たち。
- 「さききるをのこどもとそゝながせや」
- 底本どおりで意味がとりにくい。先払いの者たちが急がせる様子と解する。
- 「宇治の河はりによるほど」
- 底本どおり。注記に「ほとり」の異文があり、「河のほとり」と解する。
- 「まづかくきてわたす」
- 底本どおり。注記に「か」の脱字かとあり、「書きて」と解する。
- 「ながみとびの尾のなかこ」
- 底本どおり。注記に「え」「に」の異文があり、「轅(ながえ)と鴟の尾の中に」と解される。
- 「ひのあじろ」
- 底本どおり。注記に「ひを(氷魚)の網代」の異文がある。
- 「たゝあげ」
- 底本どおり。「ただ上げ」の意か。無理に担ぎ上げる。
- 「らうじ給ふこころ」
- 底本どおり。注記に「ところ」の異文があり、「領じ給ふところ」(所有していらっしゃる所)と解する。
- 「ろなうゑはむものぞ」
- 「論なう酔はむものぞ」。きっと酔うだろう。
- 「ひきつゞきり」
- 底本どおり。注記に「たり」の誤りかとある。
- 「大ざう會のけみ」
- 「大嘗会の検見」。大嘗会の準備の点検。
- 「かげろふのにき」
- 底本どおり。「かげろふの日記」。
和歌
人心宇治のあじろにたまさかによるひるだにもたづねけるかな
- 詠者
- 藤原兼家
- 状況
- 初瀬から帰る作者を宇治まで迎えに出た兼家が、川の向こうから送った歌。
修辞
- 掛詞
- 「宇治」に「憂し」、「よる」に網代に「寄る」と「夜」を掛け、「よるひる(夜昼)」と続ける。
かへる日を心のうちに數へつゝ誰によりてかあじろをもとふ
- 詠者
- 道綱母(作者)
- 状況
- 兼家の歌への返歌。舟が岸に着くころに返した。
修辞
- 掛詞
- 「よりて」に、網代に「寄る」と「因りて(のために)」を掛け、誰のために来たのかと問い返す。
解説
初瀬からの帰り、兼家は宇治まで迎えに出た。大嘗会を控えた多忙な時期に、わざわざ随身を遣わし、自分も若い貴族たちを引き連れて出迎えたのである。按察使大納言(藤原師氏)からの贈り物も届き、宇治川のほとりは華やかなにぎわいとなった。作者はその様子を詳しく書きとめているが、最後は「困じていと侘しきに、いと苦しうて来ぬ」と、疲れとつらさで結んでいる。
上巻の結びの一文、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」は、日記の名の由来として名高い。「かげろふ」は、朝に生まれて夕べに死ぬという蜉蝣とも、ゆらゆらと立ちのぼって消える陽炎とも解される。どちらにしても、たよりなく、はかない自分の人生のありようをたとえたものである。
上巻は、天暦八年(954)の求婚から安和元年(968)の大晦日までの十五年間を描く。序と結びが「ものはかなし」で呼応していることから、上巻はある時点でまとめて書かれたと考えられている。中巻からは、記録の時と書く時とが近づき、日々の出来事と心の動きが、より詳しく書かれていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、60–63頁(コマ33–34)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日