おくのほそ道 第17章
武隈の松
岩沼に泊まり、歌枕の武隈の松を見て目の覚める思いをする。根元から二本に分かれた昔の姿をとどめる松に、能因の歌や伐られては植え継がれてきた歴史を思い、門人挙白の餞別の句に応えて「櫻より松は二木を三月越」と詠む。

- 1ににに宿宿やどるるる。。。
- 2ののの松松まつ覺覺おぼるるる心地心地ここちはははすれすれすれ。。。根根ねははは土際土際つちぎわよりよりよりにわかれてにわかれてにわかれて、、、昔昔むかしののの姿姿すがたうしなはずとしらるうしなはずとしらるうしなわずとしらる。。。ひひい出出い。。。往昔往昔そのかみ、、、下下くだりしりしりし人人ひと、、、此此こ木木きををを伐伐きててて名取川名取川なとりがわののの橋橋はし杭杭くいにせられたるにせられたるにせられたる事事ことなどあればにやなどあればにやなどあればにや、、、ははは此此こたびたびたび跡跡あともなしともなしともなしとははは詠詠よたりたりたり。。。
- 3代々代々よよあるあるあるははは伐伐き、、、あるひあるひあるいははは植植う繼繼つなどせしとなどせしとなどせしと聞聞きくににに、、、今將千歳今將千歳いまはたちとせのかたちとゝののかたちとゝののかたちととのほひてほひてほいて、、、めでたきめでたきめでたき松松まつのけしきになんのけしきになんのけしきになん侍侍はべりししし。。。
- 4武隈武隈たけくまののの松松まつ見見みせせせ申申もうせせせ遲櫻遲櫻おそざくらととと、、、ととと云云いものゝものゝものの餞別餞別せんべつしたりければしたりければしたりければ、、、
- 5櫻櫻さくらよりよりより松松まつははは二木二木ふたきををを三月越三月越みつきごし
現代語訳
岩沼に泊まる。
武隈の松を見ると、まことに目の覚めるような心地がする。根は地面の際から二本に分かれていて、昔の姿を失っていないことがわかる。まず能因法師のことを思い出す。昔、陸奥守として下ってきた人が、この木を伐って名取川の橋杭にしたことなどがあったからであろうか、能因は「松はこのたび跡もなし」と詠んでいる。代々、あるときは伐り、あるときは植え継いだりしてきたと聞いていたが、今はまた千年の松にふさわしい姿が整って、みごとな松の様子であった。
江戸を発つとき、「武隈の松見せ申せ遅桜」と、挙白という者が餞別の句をくれたので、
櫻より松は二木を三月越(桜の咲くころに江戸を発ち、三月越しにようやく、二木の武隈の松を見ることができた)
意訳
武隈の松は、能因が「武隈の松はこのたび跡もなし千年を経てや我は来つらむ」と、跡かたもなく失われたことを嘆いた歌枕である。その松が、今は再び植え継がれ、二本の幹に分かれたみごとな姿でそびえている。失われたと思っていたものに出会えた喜びが、「め覺る心地」にこもる。
餞別の句「武隈の松見せ申せ遅桜」は、「遅桜よ、師に武隈の松を見せてさしあげてくれ」という意味。芭蕉はそれに応え、桜のころから三月越しで、二木の松を見たと詠んで約束を果たした。「二木」と「三月」の数字遊びに、門人への挨拶の心がある。
語釈・文法注
- 岩沼
- 宮城県岩沼市。奥州街道の宿場。
- 武隈の松
- 岩沼の竹駒神社の近くにある松。根元から二本に分かれるので「二木の松」とも呼ばれた。歌枕。
- め覺る心地
- 目の覚めるような、すばらしい心地。
- 二木
- 二本の幹。
- 能因法師
- 平安中期の歌人(988〜?)。陸奥を旅し、歌枕を多く詠んだ。
- むつのかみにて下りし人
- 陸奥守として下ってきた藤原孝義。武隈の松を伐って名取川の橋にしたという。
- 松は此たび跡もなし
- 能因の「武隈の松はこのたび跡もなし千年を経てや我は来つらむ」(後拾遺集)。
- 擧白
- 草壁挙白。江戸の商人で、芭蕉の門人。
文法
- 松にこそめ覺る心地はすれ
- 「こそ」の結びで、「すれ」はサ変動詞「す」の已然形。
- あればにや
- 「にや」の後に「あらむ」が略されている。あったからであろうか。
- けしきになん侍し
- 「なん(なむ)」は係助詞で、「侍し」の「し」(過去の助動詞「き」の連体形)が結び。
発句・和歌
武隈の松見せ申せ遲櫻
- 作者
- 草壁挙白
- 状況
- 旅立つ芭蕉に贈った餞別の句。遅桜に呼びかけて、師に武隈の松を見せてあげてくれと頼む。季語は「遅桜」で春。
修辞
- 季語
- 遅桜。春。
- 擬人法
- 遅桜に呼びかける。
櫻より松は二木を三月越
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 武隈の松を見て、挙白の餞別の句に応えた句。桜のころに旅立ってから三か月越しに、二本の松を見たという。季語は「桜」で春だが、ここでは季節の流れを示す。
修辞
- 数の対照
- 「二木」と「三月」。
- 挨拶句
- 挙白の句への返し。
解説
武隈の松は、宮城県岩沼市の竹駒神社の近くに、何代目かの松が今も植え継がれている。曾良の『随行日記』によれば、五月四日に岩沼で武隈の松を見ている。
「三月越」は、実際には三月二十七日の旅立ちから五月四日まで、足かけ三か月であることを言う。能因の歌に「千年を経てや」とあるのを受けて、本文で「今將千歳のかたち」と応じているところにも、古歌との対話が見られる。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、12頁(コマ15)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日