古事記 中巻
倭建命の東征
西から戻るとすぐ東方十二道の平定を命じられた倭建命は、伊勢で叔母の倭比売命に「父は私に死ねと思っておられる」と泣いて訴え、草薙剣と御嚢を授かる。相武の野火、走水の海での弟橘比売命の入水、足柄の坂の「吾妻はや」、酒折宮の問答歌を経て、尾張の美夜受比売のもとに戻る。
- 1こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと、、、またまたまた頻頻しきててて倭建倭建やまとたけるののの命命みことににに、、、「「「東東ひむかしのののののの荒荒あらぶるぶるぶる神神かみ、、、またまたまた伏伏まつろはははぬぬぬ人人ひとどもどもどもををを言向言向ことむけけけ和和やわせせせ。。。」」」ととと詔詔のりたまひてりたまひてりたまいて、、、吉備吉備きびののの臣等臣等おみらががが祖祖おや、、、名名なはははををを副副そへてへてえて遣遣つかはすはすわす時時ときににに、、、ををを賜賜たまひきひきいき。。。かれかれかれ命命みことををを受受うけたまはりてけたまはりてけたまわりて、、、罷罷まかりりり行行いでますでますでます時時ときににに、、、伊勢伊勢いせののの大御神大御神おおみかみののの宮宮みやににに參參まいりましてりましてりまして、、、神神かみののの朝廷朝廷みかどををを拜拜おろがみたまひてみたまひてみたまいて、、、其其そのののののの命命みことにににまをしたまへらくまをしたまへらくまおしたまえらくははは、、、「「「天皇天皇すめらみことはやくはやくはやく吾吾あををを死死しねとやねとやねとや思思おもほすらむほすらむおすらむ。。。如何如何いかなれかなれかなれか、、、西西にしののの方方かたののの惡人惡人まつろわぬひとどもどもどもををを擊擊とりにりにりに遣遣つかはしてはしてわして、、、返返かえりまゐりまゐりまい上上のぼりりり來來きししし間間ま、、、幾時幾時いくだもあらねばもあらねばもあらねば、、、軍衆軍衆いくさびとどもをもをもをも賜賜たまはずてはずてわずて、、、今今いま更更さらににに東東ひむかしののの方方かたののの十二道十二道とおまりふたみちののの惡人惡人まつろわぬひとどもどもどもををを平平たいらけにけにけに遣遣つかはすらむはすらむわすらむ。。。これにこれにこれに因因よしりてりてりて思思おもへばへばえば、、、猶吾早猶吾早なおあれはやくくく死死しねとねとねと思思おもほしめすなりけりほしめすなりけりおしめすなりけり。。。」」」とまとまとまをををしてしてして、、、患患うれひひい泣泣なきてきてきて罷罷まかりますりますります時時ときににに、、、倭比賣倭比賣やまとひめののの命命みことののの劒劒つるぎををを賜賜たまひひい、、、またまたまたををを賜賜たまひてひていて、、、「「「若若もししし急急とみののの事事ことあらばあらばあらば、、、このこのこの囊囊ふくろののの口口くちををを解解ときたまへきたまへきたまえ。。。」」」となもとなもとなも詔詔のりたまひけるりたまひけるりたまいける。。。爾天皇亦頻詔倭建命。言向和平東方十二道之荒夫琉神。及摩都樓波奴人等而。副吉備臣等之祖。名御鉏友耳建日子而遣之時。給比比羅木之八尋矛。〈比比羅三字以音〉故受命。罷行之時。參入伊勢大御神宮。拜神朝廷。卽白其姨倭比賣命者。天皇既所以思吾死乎。何擊遣西方之惡人等而。返參上來之間。未經幾時。不賜軍衆。今更平遣東方十二道之惡人等。因此思惟。猶所思看吾既死焉。患泣罷時。倭比賣命賜草那藝劒。〈那藝二字以音〉亦賜御囊而。詔若有急事。解茲囊口。
- 2かれかれかれ尾張尾張おわりののの國國くにににに到到いたりましてりましてりまして、、、尾張尾張おわりののの國國くにののの造造みやつこののの祖祖おや、、、ののの家家いえににに入入いりましきりましきりましき。。。乃乃すなわちちち婚婚めさむとさむとさむと思思おもほししかどもほししかどもおししかども、、、またまたまた還還かえりりり上上のぼりたらむりたらむりたらむ時時ときにこそにこそにこそ婚婚めさめとさめとさめと思思おもほしてほしておして、、、契契ちぎりりり置置おきてきてきて、、、東東ひむかしののの國國くににいでましてにいでましてにいでまして、、、山山やま河河かわののの荒荒あらぶるぶるぶる神神かみ、、、又伏又伏またまつろはははぬぬぬ人人ひとどもどもどもををを、、、悉悉ことごとににに平平たいらけけけ和和やわしたまひきしたまひきしたまいき。。。かれこゝにかれこゝにかれここにののの國國くにににに到到いたりませるりませるりませる時時ときににに、、、其其そののの國國くにののの造詐造詐みやつこいつわりまをさくりまをさくりまおさく、、、「「「此此こののの野野ぬののの中中なかににに大沼大沼おおぬまありありあり、、、このこのこの沼沼ぬまののの中中なかににに住住すめるめるめる神神かみ、、、甚甚いたくくくるるる神神かみなりなりなり。。。」」」とまとまとまをををすすす。。。こゝにこゝにここに其其そののの神神かみををを看看みそなはしにそなはしにそなわしに、、、其其そののの野野ぬににに入入いりましつればりましつればりましつれば、、、其其そののの國國くにののの造造みやつこ其其そののの野野ぬににに火火ひをををなもなもなも著著つけたりけるけたりけるけたりける。。。かれかれかれ欺欺あざむかえぬとかえぬとかえぬと知知しろしめしてろしめしてろしめして、、、かのかのかの姨倭比賣姨倭比賣みおばやまとひめののの命命みことののの給給たまへるへるえる御囊御囊みふくろののの口口くちををを解解とききき開開ひらけてけてけて見見みたまへばたまへばたまえば、、、其其そののの裏裏うちににに火打火打ひうちぞありけるぞありけるぞありける。。。こゝにこゝにここに先先まづづず其其そののの御刀御刀みはかしもてもてもて、、、草草くさををを刈刈かりりり撥撥はらひひひ、、、其其そののの火打火打ひうちをもちてをもちておもちて火火ひををを打打うちちち出出いででで、、、火火ひををを著著つけてけてけて燒燒やききき退退そけてけてけて、、、還還かえりりり出出いでましてでましてでまして、、、其其そののの國國くにののの造造みやつこ共共ともををを皆皆みな切切きりりり滅滅ほろぼしぼしぼし、、、卽卽すなわちちち火火ひををを著著つけてけてけて燒燒やきたまひききたまひききたまいき。。。かれかれかれ其地其地そこをばをばをば今今いまにににとぞとぞとぞ謂謂いふふう。。。故到尾張國。入坐尾張國造之祖。美夜受比賣之家。乃雖思將婚。亦思還上之時將婚。期定而。幸于東國。悉言向和平山河荒神。及不伏人等。故爾到相武國之時。其國造詐白。於此野中有大沼。住是沼中之神。甚道速振神也。於是看行其神。入坐其野爾。其國造。火著其野。故知見欺而。解開其姨倭比賣命之所給囊口而見者。火打有其裏。於是先以其御刀刈撥草。以其火打而打出火。著向火而燒退。還出。皆切滅其國造等。卽著火燒。故其地者。於今謂燒遣也。
- 3それよりそれよりそれより入入いりいましてりいましてりいまして、、、ののの海海うみををを渡渡わたりますりますります時時ときににに、、、其其そののの渡渡わたののの神神かみ浪浪なみををを興興おこてててててて、、、御船御船みふね廻廻めぐひてひていて得得え進進すすみみみ渡渡わたりまさずりまさずりまさず。。。こゝにこゝにここに其其そののの后后きさき、、、御名御名みなはははののの命命みことまままをををしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「妾妾あれ御子御子みこににに易易やすりてりてりて海海うみににに入入いりなむりなむりなむ。。。御子御子みこはははまけのまけのまけの政遂政遂まつりごととげてげてげて、、、覆奏覆奏かえりごとしたまふべししたまふべししたまうべし。。。」」」とまとまとまをををしてしてして、、、海海うみににに入入いりまさむとするりまさむとするりまさむとする時時ときににに、、、菅疊八重菅疊八重すがたたみやえ、、、皮疊八重皮疊八重かわたたみやえ、、、絁疊八重絁疊八重きぬたたみやえををを波波なみののの上上うえににに敷敷しきてきてきて、、、其其そののの上上うえににに下下おりましきりましきりましき。。。こゝにこゝにここに其其そののの暴浪自暴浪自あらなみおのずかららら伏伏ふぎてぎてぎて、、、御船御船みふね得得え進進すすみきみきみき。。。かれかれかれ其其そののの后后きさきののの歌歌うたはせるはせるわせる御歌御歌みうた。。。 相摸相摸さがむののの小野小野おぬににに 燃燃もゆるゆるゆる火火ひののの 火中火中ほなかににに立立たちてちてちて 問問とひしひしいし君君きみはもはもはも かれかれかれ七日七日なぬかありてありてありて後後のちににに、、、其其そののの后后きさきのののににに依依よりたりきりたりきりたりき。。。乃乃すなわちちち其其そののの御櫛御櫛みくしををを取取とりてりてりて、、、御陵御陵みはかををを作作つくりてりてりて治治おさめめめ置置おきききききき。。。自其入幸。渡走水海之時。其渡神興浪。廻船不得進渡。爾其后名弟橘比賣命白之。妾易御子而入海中。御子者。所遣之政遂應覆奏。將入海時。以菅疊八重。皮疊八重。絁疊八重。敷于波上而。下坐其上。於是其暴浪自伏。御船得進。爾其后歌曰。佐泥佐斯。佐賀牟能袁怒邇。毛由流肥能。本那迦邇多知弖。斗比斯岐美波母。故七日之後。其后御櫛依于海邊。乃取其櫛。作御陵而治置也。
- 4それよりそれよりそれより入入いりいましてりいましてりいまして、、、悉悉ことごとににに荒荒あらぶるぶるぶるどもどもどもををを言向言向ことむけけけ、、、またまたまた山山やま河河かわののの荒荒あらぶるぶるぶる神神かみどもどもどもををを和和やはしてしてして、、、還還かえりりり上上のぼりますときにりますときにりますときに、、、ののの坂本坂本さかもとににに到到いたりましてりましてりまして、、、御粮聞食御粮聞食みかれいきこしめすすす處處ところににに、、、其其そののの坂坂さかののの神神かみ、、、白白しろききき鹿鹿かになりてになりてになりて來立來立きたちきちきちき。。。かれかれかれ其其そののの咋咋みおししし遺遺のこりのりのりのののの片端片端かたはしもてもてもて、、、待待まちちち打打うちたまひしかばちたまひしかばちたまいしかば、、、其其そののの目目めににに中中なかりてりてりて、、、打打うちちち殺殺ころさえたりきさえたりきさえたりき。。。かれかれかれ其其そののの坂坂さかににに登登のぼりりり立立たちてちてちて、、、ねもころにねもころにねもころに歎歎なげかしてかしてかして、、、「「「はやはやはや。。。」」」ととと詔詔のりたまひきりたまひきりたまいき。。。かれかれかれ其其そののの國國くにををを阿豆麻阿豆麻あずまとととはははいふなりいふなりいうなり。。。自其入幸。悉言向荒夫琉蝦夷等。亦平和山河荒神等而。還上幸時。到足柄之坂本。於食御粮處。其坂神化白鹿而來立。爾卽以其咋遺之蒜片端。待打者。中其目乃打殺也。故登立其坂。三歎。詔云阿豆麻波夜。〈自阿下五字以音〉故號其國謂阿豆麻也。
- 5卽卽すなわちちち其其そののの國國くによりよりより越越こしえてえてえて、、、甲斐甲斐かいににに出出いでてでてでて、、、ののの宮宮みやにましましけるにましましけるにましましける時時ときににに、、、歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、新治新治にいばり 筑波筑波つくばををを過過すぎてぎてぎて 幾夜幾夜いくよかかか宿宿ねつるつるつる こゝにこゝにここに其其そのののののの老人御歌老人御歌おきなみうたををを續續つぎてぎてぎて、、、 夜夜よるにににははは九夜九夜ここのよ 日日ひにににははは十日十日とおかををを とぞとぞとぞ歌歌うたひけるひけるいける。。。こゝこゝここををを以以もつててて其其そののの老人老人おきなををを譽譽ほめてめてめて、、、東東あずまののの國國くにののの造造みやつこにぞなしたまひけるにぞなしたまひけるにぞなしたまいける。。。卽自其國越出甲斐。坐酒折宮之時。歌曰。邇比婆理。都久波袁須疑弖。伊久用加泥都流。爾其御火燒之老人。續御歌以歌曰。迦賀那倍弖。用邇波許許能用。比邇波登袁加袁。是以譽其老人。卽給東國造也。
- 6そのそのその國國くによりよりより科野科野しなぬののの國國くにににに越越こしえましてえましてえまして、、、科野科野しなぬののの坂坂さかののの神神かみををを言向言向ことむけてけてけて、、、尾張尾張おわりののの國國くににかへりにかへりにかえり來來きましてましてまして、、、先先さきににに期期ちぎりおかししりおかししりおかしし美夜受比賣美夜受比賣みやずひめののの許許もとににに入入いりましつりましつりましつ。。。こゝにこゝにここに大御食獻大御食獻おおみけたてまつるるる時時ときににに、、、其其そののの美夜受比賣大御酒盞美夜受比賣大御酒盞みやずひめおおみさかずきををを捧捧ささげてげてげて獻獻たてまつるるる。。。こゝにこゝにここに美夜受比賣其美夜受比賣其みやずひめそれれれののの襴襴すそににに著著つきたりきたりきたり。。。かれかれかれ其其そををを見見みそなはしてそなはしてそなわして、、、御歌御歌みうたよみしたまはくよみしたまはくよみしたまわく、、、ののの 天天あめののの 利鎌利鎌とかまににに 眞渡眞渡さわたるるる杙杙くい 弱細弱細ひわぼそ 手弱腕手弱腕たわやがひなををを 枕枕まかむとかむとかむとははは 吾吾あはははすれどすれどすれど 眞寢眞寢さねむとむとむとははは 吾吾あははは思思おもへどへどえど 汝汝なががが著著けせるせるせる 襲襲おすいののの襴襴すそににに 月立月立つきたちにけりちにけりちにけり かれかれかれ美夜受比賣御歌美夜受比賣御歌みやずひめみうたににに答答こたへてへてえて歌歌うたひけらくひけらくいけらく、、、るるる 日日ひののの御子御子みこ 安見安見やすみしししししし 吾吾あががが大君大君おおきみ 新玉新玉あらたまののの 年年としががが來經來經きへればればれば 新玉新玉あらたまののの 月月つきははは來經來經きへ往往ゆくくく 諾諾うべななな諾諾うべななな 君待君待きみまちちち難難がたににに 吾吾あががが著著けせるせるせる 襲襲おすいののの襴襴すそににに 月立月立つきたたなむよたなむよたなむよ かれこゝにかれこゝにかれここに御合御合みあひましてひましていまして、、、其其そののの御刀御刀みはかしののの草薙草薙くさなぎののの劒劒つるぎををを、、、其其そののの美夜受比賣美夜受比賣みやずひめののの許許もとににに置置おきてきてきて、、、ののの神神かみををを取取とりにいでましきりにいでましきりにいでましき。。。自其國越科野國。乃言向科野之坂神而。還來尾張國。入坐先日所期美夜受比賣之許。於是獻大御食之時。其美夜受比賣。捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣。其於意須比之襴。〈意須比三字以音〉著月經。故見其月經。御歌曰。比佐迦多能。阿米能迦具夜麻。斗迦麻邇。佐和多流久毘。比波煩曾。多和夜賀比那袁。麻迦牟登波。阿禮波須禮杼。佐泥牟登波。阿禮波意母閇杼。那賀祁勢流。意須比能須蘇爾。都紀多知邇祁理。爾美夜受比賣。答御歌曰。多迦比迦流。比能美古。夜須美斯志。和賀意富岐美。阿良多麻能。登斯賀岐布禮婆。阿良多麻能。都紀波岐閇由久。宇倍那宇倍那。岐美麻知賀多爾。和賀祁勢流。意須比能須蘇爾。都紀多多那牟余。故爾御合而。以其御刀之草那藝劒。置其美夜受比賣之許而。取伊服岐能山之神幸行。
現代語訳
そこで天皇は、また重ねて倭建命に「東の方の十二の道の荒ぶる神や、従わない人々を説き伏せ平定せよ」とおっしゃって、吉備臣らの祖、名は御鉏友耳建日子を付き添わせて遣わすときに、柊の八尋の矛をお与えになった。そこで命令を受けて出発なさるとき、伊勢の大
御神の宮に参って、神の朝廷を拝み、叔母の倭比売命に申し上げた。「天皇はもう私など死んでしまえと思っておられるのでしょうか。どうして、西の方の従わない者たちを討ちに遣わして、都に帰って来てからまだいくらもたたないのに、軍勢もくださらずに、今度はまた東の方の十二の道の従わない者たちを平らげに遣わされるのでしょう。これを思うと、やはり私など早く死んでしまえと思っておられるのです」。こう申し上げて、嘆き泣いて出発なさるときに、倭比売命は草薙剣をお与えになり、また御嚢(袋)をお与えになって、「もし急なことがあったら、この袋の口を解きなさい」とおっしゃった。
そして尾張の国に着いて、尾張国造の祖、美夜受比売の家にお入りになった。すぐに
結婚しようとお思いになったが、また都へ帰り上るときに結婚しようと思い直して、約束をしておいて東の国へお出かけになり、山や河の荒ぶる神、また従わない人々を、ことごとく平定なさった。そして相武の国に着いたとき、その国の国造が偽って「この野の中に大きな沼があります。この沼の中に住む神は、ひどく荒々しく恐ろしい神です」と申し上げた。そこでその神を見ようとして、その野にお入りになると、その国造は野に火をつけた。そこでだまされたとお知りになって、叔母の倭比売命がくださった袋の口を解いて開けてご覧になると、その中に火打ち石があった。そこでまず御刀で草を刈り払い、その火打ち石で火を打ち出して、向かい火をつけて火を焼き退け、野から帰り出て、その国の国造たちをみな切り殺し、すぐに火をつけて焼いてしまわれた。それでその地を今も焼遣(焼津)という。
そこからさらに進んで、走水の海を渡られるとき、その海峡の神が波を起こして、御船はぐるぐる回って進むことができなかった。そこでその后、名は弟橘比売命が申し上げた。「私が御子の身代わりとなって海に入りましょう。御子は遣わされた任務を成し遂げて、天皇にご報告なさってください」。そして海に入ろうとするとき、菅の畳を八枚、皮の畳を八枚、絹の畳を八枚、波の上に敷いて、その上にお降りになった。するとその荒波は自然に静まって、御船は進むことができた。そのとき后がお詠みになった歌は、
(さねさし)相模の野で、燃えさかる火の中に立って、私の名を呼んで安否を尋ねてくださったあなたよ。
それから七日たって、その后の御櫛が海辺に流れ着いた。そこでその櫛を拾って、御陵を作って納め置いた。
そこからさらに奥へ進んで、荒ぶる蝦夷たちをことごとく説き伏せ、また山や河の荒ぶる神々を平定して、
都へ帰り上られるとき、足柄の坂のふもとに着いて、食事をしておられたところへ、その坂の神が白い鹿の姿になって現れた。そこで召し上がり残しの蒜(野蒜)の切れ端で、待ち構えて打たれると、その目に当たって打ち殺してしまった。そしてその坂に登り立って、深く嘆いて「吾が妻よ、ああ」とおっしゃった。それでその国を阿豆麻(あづま)というのである。
すぐにその国から越えて甲斐に出て、酒折の宮にいらしたとき、お歌いになった歌は、
新治や筑波を過ぎて、幾夜寝ただろうか。
すると、そこで御火焼の役をしていた老人が、御歌に続けて歌った歌は、
日数を重ねて、夜では九夜、日では十日でございます。
こう歌ったので、その老人をほめて、東の国造になさった。
その国から科野の国に越えて、科野の坂の神を説き伏せて、尾張の国に帰って来て、先に約束しておいた美夜受比売のもとにお入りになった。そこでお食事を差し上げるとき、美夜受比売は大御酒の杯を捧げて差し上げた。そのとき美夜受比売の襲(おすい)の裾に月の障り(月経)の血がついていた。それをご覧になって詠まれた歌は、
(ひさかたの)天の香具山の上を、鋭い鎌のように渡っていく白鳥よ。そのか細くしなやかな腕を、枕にしようと私は思うけれど、共寝しようと私は思うけれど、あなたの着ている襲の裾に、月が出てしまったよ。
すると美夜受比売が御歌に答えて歌った歌は、
(高光る)日の御子、(やすみしし)わが大君よ。年が来て過ぎていけば、月も来て過ぎていきます。本当に、本当に、あなたを待ちきれずに、私の着ている襲の裾に、月も出てしまうことでしょう。
そこで結婚なさって、その御刀の草薙剣を美夜受比売のもとに置いて、伊服岐の山の神を討ち取りにお出かけになった。
意訳
熊曾を討って帰ったばかりの倭建命に、父はすぐさま東国の平定を命じます。軍勢もほとんど与えられない出発に、倭建命は伊勢の叔母のもとで「父は私に死ねと思っておられるのだ」と泣いて訴えます。勇猛な英雄が、父に疎まれる子として涙を見せるこの場面は、日本書紀にはない古事記独自のもので、倭建命の物語を悲劇として印象づけています。叔母が授けた草薙剣と袋が、この後の危機を救うことになります。
相武(相模)の野で火攻めにあった倭建命は、草薙剣で草を刈り、袋の中の火打ち石で向かい火を放って難を逃れます。走水の海(浦賀水道)では、荒れる海を鎮めるため、后の弟橘比売命が身代わりに海に入ります。辞世の歌「さねさし相模の小野に…」は、あの燃える野火の中でも私の身を案じてくださったあなた、と夫への愛を歌ったもので、古事記の中でも特に心を打つ歌の一つです。
帰り道、足柄の坂で倭建命は「吾妻はや(わが妻よ)」と三度嘆きました。これが東国を「あづま」と呼ぶ由来だと古事記は語ります。酒折宮での「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の問いに、火焚きの老人が「かがなべて夜には九夜日には十日を」と答えた問答は、のちに連歌の始まりとされ、連歌を「筑波の道」と呼ぶもとになりました。
尾張に戻った倭建命は、婚約していた美夜受比売と結ばれますが、大切な草薙剣を彼女のもとに置いたまま、伊吹山の神を討ちに出かけます。この油断が、英雄の最期を招くことになります。
語釈・文法注
- 東の方十二道
- 東海道・東山道方面の諸国。伊勢・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・総・常陸・陸奥などを指すとされる。
- 御鉏友耳建日子
- 吉備臣の祖。倭建命の東征に付き従った。日本書紀では吉備武彦。
- 比々羅木之八尋矛
- 柊(ひいらぎ)の木で作った長い矛。柊はとげのある葉で邪気を払うとされた。
- 倭比賣の命
- 倭建命の叔母で、伊勢の大神に仕える斎宮。西征のときにも衣装を授けた。
- 草薙の劒
- 須佐之男命が八俣の大蛇の尾から得た剣(天叢雲剣)。天照大御神に献上され、のち伊勢に祭られていた。古事記では、この野火の難を逃れた話がこの名の由来と読める。今は熱田神宮の神体とされ、三種の神器の一つ。
- 御囊
- 袋。中に火打ち石が入っていた。
- 美夜受比賣
- 尾張国造の祖。倭建命の妃となり、のちに草薙剣を預かった。熱田神宮の起源とされる。
- 相武の國
- 相模国(神奈川県)。日本書紀では駿河の焼津での話とする。
- 道速振る神
- 荒々しく勢いの激しい神。「ちはやぶる」は神にかかる枕詞にもなった。
- 向火
- 迫ってくる火に向かってこちらから火をつけ、燃えるものをなくして火を防ぐこと。
- 燒遣
- 静岡県焼津市。古事記は相武の国の話とするが、地名は駿河の焼津。
- 走水の海
- 三浦半島と房総半島の間の浦賀水道。神奈川県横須賀市に走水の地名と、弟橘比売命を祭る走水神社がある。
- 弟橘比賣の命
- 倭建命の后。海の神の怒りを鎮めるため、身代わりとなって海に入った。千葉県茂原市の橘樹神社などに祭られる。
- さねさし
- 「相模」にかかる枕詞。意味は未詳。
- 御櫛
- 櫛は女性の魂の宿るものとされた。流れ着いた櫛を納めて陵を作った。
- 蝦夷
- 東北地方などに住み、大和の王権に従わなかった人々。
- 足柄の坂本
- 相模と駿河の境の足柄峠のふもと。日本書紀では碓日坂(碓氷峠)でのこととする。
- 蒜
- ノビルなど、においの強い草。邪気を払う力があると考えられた。
- 吾嬬はや
- 「わが妻よ、ああ」。海に沈んだ弟橘比売命を偲んで嘆いた言葉。東国を「あづま」と呼ぶ由来とする。
- 酒折の宮
- 山梨県甲府市の酒折宮。連歌の発祥の地とされる。
- 御火燒の老人
- 夜の警護のためにかがり火をたく役の老人。
- かゞなべて
- 「日々(かが)並べて」。日数を重ねての意。
- 襲
- 「おすひ」。上着の上から頭からかぶって着る、儀式用の衣。
- 月經
- 「さはりのもの」。月経。
- 久方の
- 「天」にかかる枕詞。
- 天の香山
- 天の香具山(奈良県橿原市)。
- 高光る・安見しし
- 「高光る」は「日」に、「やすみしし」は「わが大君」にかかる枕詞。
- 伊服岐能山
- 伊吹山(滋賀県・岐阜県の境)。
文法
- 頻て
- 底本の訓み下しは「頻て」に「しき」とふりがなを付ける。重ねて、続けての意。
- 惡人
- 底本の訓み下しは「惡人」に「まつろはぬひと」とふりがなを付ける。原文の「惡人等」を、従わない者たちと訓む。
- 原文の「入坐其野爾」
- 底本の原文は「入坐其野爾。其國造。」と区切る。底本どおりとした。
- 原文の「故其地者」
- 底本は原文の「其地者」を枠で囲んで刷る。翻刻では枠を入れなかった。
- 咋し遺り
- 底本は「咋」に「みを」とふりがなを付け、召し上がり残しの意に訓む。
- 歌の原文の「邇」と「爾」
- 美夜受比売の歌の原文は「意須比能須蘇爾」と「爾」を用い、ほかの句は「邇」を用いる。底本どおりとした。
歌謡
さねさし 相摸の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
- 詠者
- 弟橘比売命
- 状況
- 走水の海の神を鎮めるため、倭建命の身代わりとして海に入るときに詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「さねさし」は「相模」にかかる。
- 回想
- 相模の野火の中で、自分の身を案じて名を呼んでくれた夫を思い起こす。
新治 筑波を過ぎて 幾夜か宿つる
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 東国の平定を終えて甲斐の酒折宮に着いたとき、旅の日数を問いかけた歌。
修辞
- 問答
- 片歌(五七七)の問い。火焚きの老人の答えの歌と合わせて一首になる。
かゞなべて 夜には九夜 日には十日を
- 詠者
- 御火焼の老人
- 状況
- 倭建命の問いの歌に続けて答えた歌。これによって老人は東の国造に任じられた。
修辞
- 問答
- 片歌(五七七)の答え。この問答は連歌の始まりとされ、連歌を「筑波の道」と呼ぶもとになった。
- 対句
- 「夜には九夜」「日には十日」と対にする。
久方の 天の香山 利鎌に 眞渡る杙 弱細 手弱腕を 枕かむとは 吾はすれど 眞寢むとは 吾は思へど 汝が著せる 襲の襴に 月立ちにけり
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 尾張に戻り、美夜受比売の襲の裾に月経の血がついているのを見て詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「久方の」は「天」にかかる。
- 序詞
- 天の香具山を鋭い鎌のように渡る鵠(白鳥)の首の細さから、「ひはぼそ(か細い)」を導く。
- 掛詞
- 「月」に、暦の月と月経を掛ける。
高光る 日の御子 安見しし 吾が大君 新玉の 年が來經れば 新玉の 月は來經往く 諾な諾な 君待ち難に 吾が著せる 襲の襴に 月立たなむよ
- 詠者
- 美夜受比売
- 状況
- 倭建命の歌に答えた歌。
修辞
- 枕詞
- 「高光る」は「日」に、「やすみしし」は「わが大君」に、「新玉の」は「年」「月」にかかる。
- 掛詞
- 「月」に、暦の月と月経を掛け、待ちわびる間に月日がたったことを言う。
解説
倭建命の東征は、古事記の中巻で最も長く、最も劇的な物語です。伊勢で叔母に泣いて訴える場面は日本書紀にはなく、書紀では倭建命は自ら進んで東征を申し出る勇ましい皇子として描かれます。父に疎まれ、死に向かって旅を続ける悲劇の英雄という像は、古事記によって形づくられました。
草薙剣は、上巻で須佐之男命が八俣の大蛇から得た剣が、天照大御神を経て伊勢に伝わったものです。野火の難を草を刈って逃れたことが「草薙」の名にふさわしい話になっています。この剣は最後に美夜受比売のもとに置かれ、のちの熱田神宮の神体となったと伝えられます。
弟橘比売命の入水、「吾妻はや」の嘆き、酒折宮の問答歌など、この章には後世の文学に大きな影響を与えた場面が続きます。特に酒折宮の問答は、二人で句を詠み継ぐ連歌の始まりとされ、中世の連歌師たちは連歌を「筑波の道」と呼んで、倭建命をその祖と仰ぎました。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。182〜188頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日