おくのほそ道 第27章
尾花沢
尾花沢で、紅花問屋を営む富裕な俳人の鈴木清風を訪ねる。清風は旅の心を知る人で、長旅の疲れをいたわり、手厚くもてなしてくれる。芭蕉はくつろいだ思いを「涼しさを我宿にしてねまる也」と詠み、紅花の里の句を残す。

- 1にてにてにてととと云云い者者ものををを尋尋たずぬぬぬ。。。かれかれかれははは富富とめるものなれどもるものなれどもるものなれども、、、志志こころざしいやしからずいやしからずいやしからず。。。都都みやこにもにもにも折々折々おりおりかよひてかよひてかよいて、、、さすがにさすがにさすがに旅旅たびののの情情なさけをもをもをも知知したればたればたれば、、、日比日比ひごろとゞめてとゞめてとどめて長途長途ちょうとのののいたはりいたはりいたわりさま〴〵さま〴〵さまざまにもてなしにもてなしにもてなし侍侍はべるるる。。。
- 2涼涼すずしさしさしさををを我宿我宿わがやど也也なり
- 3這出這出はいいで下下したののの聲聲こえ
- 4はははきききををを俤俤おもかげにしてにしてにしてののの花花はな
- 5するするする人人ひとははは古代古代こだいのすがたのすがたのすがた哉哉かな 曾良曾良そら
現代語訳
尾花沢で清風という者を訪ねる。彼は裕福な人だが、心ばえは卑しくない。都にもたびたび行き来して、さすがに旅の苦しさも知っているので、何日も引き留めて、長旅の疲れをいたわり、いろいろともてなしてくれた。
涼しさを我宿にしてねまる也(この涼しさを自分の家にいるようにくつろいで、ゆったりと座っていることだ)
這出よかひやが下のひきの聲(蚕屋の床下でひきがえるが鳴いている。そこから這い出ておいで)
まゆはきを俤にして紅粉の花(紅花の花を見ていると、女性が化粧に使う眉掃きの姿が思い浮かぶ)
蠶飼する人は古代のすがた哉 曾良(蚕を飼う人々の素朴な姿は、まるで古代の人を見るようだ)
意訳
険しい山越えのあとに、尾花沢での穏やかな日々が置かれる。清風は紅花の取引で富をきずいた豪商だが、江戸や京都にも通って俳諧をたしなむ風流人であった。旅の苦しさを知る人のもてなしは、芭蕉の心と体を深くいやした。
「ねまる」は、くつろいで座るという土地の言葉である。方言をとりいれて、主人への感謝と自分のくつろぎを表した挨拶の句となっている。
続く三句は、養蚕と紅花の里である尾花沢の風物を詠む。蚕屋の下のひきがえる、眉掃きの形をした紅花、昔ながらの姿で蚕を飼う人々。土地の暮らしに温かいまなざしを向けている。
語釈・文法注
- 尾花澤
- 尾花沢。山形県尾花沢市。紅花の産地。
- 清風
- 鈴木清風(1651〜1721)。尾花沢の紅花問屋で、俳人。江戸で芭蕉と交わりがあった。
- ねまる
- くつろいで座る。尾花沢の方言とされる。
- かひや
- 蚕屋。蚕を飼う小屋。「飼屋」とも書く。「鹿火屋」(獣よけの火をたく小屋)とする説もある。
- ひき
- ひきがえる。
- まゆはき
- 眉掃き。おしろいをつけたあと、眉についた粉を払う小さな刷毛。紅花の花の形が似ている。
- 紅粉の花
- 紅花。花から紅をとり、染料や化粧品にする。尾花沢を含む最上地方の名産。
- 蠶飼
- 蚕を飼うこと。養蚕。
文法
- 富るものなれども
- 「富め(る)」は四段動詞「富む」の已然形+存続の「り」。裕福な者であるけれども。
- 知たれば
- 「たれ」は存続の助動詞「たり」の已然形。知っているので。
- ねまる也
- 「也」は断定。くつろいでいることだ。
- 這出よ
- 「這ひ出よ」の命令形。
発句・和歌
涼しさを我宿にしてねまる也
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 尾花沢の清風の家で、手厚いもてなしにくつろいで詠んだ挨拶の句。季語は「涼しさ」で夏。
修辞
- 季語
- 涼しさ。夏。
- 方言
- 「ねまる」。土地の言葉で主人への親しみを表す。
這出よかひやが下のひきの聲
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 尾花沢で、蚕屋の床下から聞こえるひきがえるの声に呼びかけた句。『万葉集』の「朝霞かひやが下に鳴くかはづ」をふまえる。季語は「ひき(蟾蜍)」で夏。
修辞
- 季語
- ひき(ひきがえる)。夏。
- 本歌
- 『万葉集』の「朝霞鹿火屋が下に鳴くかはづ声だに聞かば吾恋ひめやも」。
まゆはきを俤にして紅粉の花
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 尾花沢で、咲きそろう紅花を見て、その形から眉掃きを連想した句。紅は女性の化粧に使われることから、都の女性の面影も重なる。季語は「紅粉の花(紅花)」で夏。
修辞
- 季語
- 紅粉の花(紅花)。夏。
- 見立て
- 紅花の形を眉掃きに見立てる。
蠶飼する人は古代のすがた哉
- 作者
- 河合曾良
- 状況
- 尾花沢で、養蚕にいそしむ人々の素朴な姿に、古代の人の面影を見た句。季語は「蚕飼」で夏。
修辞
- 季語
- 蠶飼(こがい)。夏(春とする歳時記もある)。
- 切れ字
- 「哉」。
解説
曾良の『随行日記』によれば、五月十七日に尾花沢に着き、二十七日まで滞在している(途中、立石寺に出かけた)。清風の家のほか、養泉寺にも泊まった。清風の屋敷跡には「芭蕉・清風歴史資料館」が建っている。
本文で清風を「富るものなれども、志いやしからず」と評するのは、富と風流とは両立しがたいという当時の考え方をふまえ、清風の人柄をたたえたものである。紅花は最上川の舟運で酒田に運ばれ、北前船で京都・大坂へ送られて、紅や染料となった。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、21頁(コマ19)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日