伊勢物語 第18章(第100段〜第106段)
藤の花と竜田川
忘れ草か忍ぶ草かと問われて返す歌、在原行平邸の酒宴で藤の花を題に藤原氏の栄華を詠む歌、尼になった高貴な女や斎宮に贈る歌、まじめな男の「夢をはかなみ」の歌、白露に託した女のつれない返事。最後は親王たちの逍遙に従って竜田川で詠んだ「ちはやぶる」の名歌を読む。
- 1むかしむかしむかし、、、男男おとこ、、、後後こう涼涼りょうのののはざまはざまはざまをををわたりわたりわたりけれけれければばば、、、あるあるあるやんごとなきやんごとなきやんごとなき人人ひとののの御御み局局つぼねよりよりより「「「忘忘わすれ草草ぐさををを忍忍しのぶ草草ぐさとととやややいふいふいう」」」とてとてとてさしさしさし出出いださささせせせ給給たまへへえりりりけれけれければばば、、、たまはりたまはりたまわりててて、、、
- 2「「「わすれわすれわすれ草草ぐさ生生おふるふるうる野野の邊邊べとととははは見見みるるるらめらめらめどどどこここはははしのぶしのぶしのぶなりなりなりのちのちのちもももたのまたのまたのまむむん」」」。。。
- 3昔昔むかし、、、左左さ兵兵ひょう衞衞えのののかみかみかみなりなりなりけるけるける在在あり原原わらののの行行ゆき平平ひらととといふいふいうありありありけりけりけり。。。そのそのその人人ひとののの家家いえににによきよきよき酒酒さけありありありととと聞聞ききききててて、、、うへうへうえにににありありありけるけるける人人ひと々々びと飮飮のまままむむんとてとてとてきたりきたりきたりけりけりけり。。。左左さ中中ちゅう辨辨べん藤藤ふじ原原わらのののまさまさまさ近近ちかととといふいふいう人人ひとをををなむなむなん、、、まらうどまらうどまろうどにににててて、、、其其その日日ひはははあるじあるじあるじまうけまうけもうけしししたりたりたりけるけるける。。。なさけなさけなさけあるあるある人人ひとにににてててかめかめかめににに花花はなをををさせさせさせりりり。。。そのそのその花花はなのののなかなかなかにににあやしきあやしきあやしき藤藤ふじのののはなはなはなありありありけりけりけり。。。花花はなのののしなひしなひしない三三さん尺尺じゃく六六ろく寸寸すんばかりばかりばかりなむなむなんありありありけるけるける。。。それそれそれををを題題だいにににてててよむよむよむ。。。よみよみよみはてはてはてがたがたがたににに、、、あるじあるじあるじのののはらからはらからはらからなるなるなる、、、あるじあるじあるじまうけまうけもうけししし給給たまふふうととと聞聞ききききてててきたりきたりきたりけれけれければばば、、、とらへとらへとらえてててよまよまよませせせけるけるける。。。もともともとよりよりより歌歌うたのののことことことははは知知しらららざりざりざりけれけれければばばすまひすまひすまいけれけれけれどどど、、、强强しひひいてててよまよまよませせせけれけれければばばかくかくかくなむなむなん、、、
- 4「「「咲咲さくくく花花はなのののしたしたしたにににかくるゝかくるゝかくるる人人ひとおほみおほみおおみありしありしありしにににまさるまさるまさる藤藤ふじのののかげかげかげかもかもかも」」」。。。
- 5「「「などなどなどかくかくかくしもしもしもよむよむよむ」」」ととといひいひいいけれけれければばば「「「おほきおほきおおきおとゞおとゞおとどののの榮榮えい華華がののの盛盛さかりにににみまそかりみまそかりみまそかりててて、、、藤藤とう氏氏しののの殊殊ことににに榮榮さかゆるゆるゆるををを思思おもひひいてててよめよめよめるるる」」」とととなむなむなんいひいひいいけるけるける。。。皆皆みな人人ひとそしらそしらそしらずずずなりなりなりにににけりけりけり。。。
- 6昔昔むかし、、、男男おとこありありありけりけりけり。。。歌歌うたはははよまよまよまざりざりざりけれけれけれどどど世世よののの中中なかををを思思おもひひいしりしりしりたりたりたりけりけりけり。。。あてあてあてなるなるなる女女おんなののの尼尼あまににになりなりなりててて、、、世世よののの中中なかをををおもひおもひおもいうんじうんじうんじててて、、、京京きょうにににもももあらあらあらずずず遙遙はるかなるなるなる山山やま里里ざとにににすみすみすみけりけりけり。。。もともともとしたしかりしたしかりしたしかりけれけれければばばよみよみよみてててやりやりやりけるけるける、、、
- 7「「「背背そむくくくとてとてとて雲雲くもにににははは乘乘のらららぬぬぬものものものなれなれなれどどど世世よのののうきうきうきことことことぞぞぞよそよそよそににになるなるなるてふてふちょう」」」
- 8とととなむなむなんいひいひいいやりやりやりけるけるける。。。齋齋さい宮宮ぐうののの宮宮みやなりなりなり。。。
- 9昔昔むかし、、、男男おとこありありありけりけりけり。。。いといといとまめまめまめににににににてててあだあだあだなるなるなる心心こころなかりなかりなかりけりけりけり。。。深深ふか草草くさのののににになむなむなんつかうつかうつこうまつりまつりまつりけるけるける。。。心心こころあやまりあやまりあやまりやややしししたりたりたりけむけむけん、、、みこみこみこたちたちたちのののつかひつかひつかい給給たまひひいけるけるけるひとひとひとをををあひあひあいいへいへいえりりりけりけりけり。。。さてさてさてあしたあしたあしたにににいひいひいいやるやるやる。。。
- 10「「「寢寢ねぬるぬるぬる夜夜よののの夢夢ゆめをををはかなはかなはかなみみみまどろめまどろめまどろめばばばいやいやいやはかなはかなはかなにににもももなりなりなりまさるまさるまさるかなかなかな」」」
- 11とととなむなむなんよみよみよみてててやりやりやりけるけるける。。。さるさるさる歌歌うたのののきたなげきたなげきたなげさささよよよ。。。
- 12むかしむかしむかし、、、ことことことなるなるなる事事ことなくなくなくててて尼尼あまににになれなれなれりりりけるけるける人人ひとありありありけりけりけり。。。かたちかたちかたちをををやつしやつしやつしたれたれたれどどど物物ものやややゆかしかりゆかしかりゆかしかりけむけむけん、、、賀賀か茂茂もののの祭祭まつり見見みにににいでいでいでたりたりたりけるけるけるををを、、、男男おとこ歌歌うたよみよみよみてててやるやるやる、、、
- 13「「「世世よをををうみうみうみのののあまあまあまとととししし人人ひとををを見見みるるるからからからにににめめめくはせくはせくわせよよよととともももたのまたのまたのまるゝるゝるるかなかなかな」」」。。。
- 14これこれこれははは齋齋さい宮宮ぐうののの物物もの見見み給給たまひひいけるけるけるくるまくるまくるまにににかくかくかくきこえきこえきこえたりたりたりけれけれければばば、、、見見みさしさしさしてててかへりかへりかえり給給たまひひいにににけりけりけりとととなむなむなん。。。
- 15むかしむかしむかし、、、男男おとこ「「「かくかくかくてててははは死死しぬぬぬべしべしべし」」」ととといひいひいいやりやりやりたりたりたりけれけれければばば、、、女女おんな、、、
- 16「「「しらしらしらつゆつゆつゆはははけけけなななばばばけけけなななゝゝなむむん消消きえええずずずとてとてとて玉玉たまにににぬくぬくぬくべきべきべき人人ひともももあらあらあらじじじををを」」」
- 17ととといへいへいえりりりけれけれければばば、、、ねたしねたしねたしととと思思おもひひいけれけれけれどどど、、、志志こころざしはははいやいやいやまさりまさりまさりけりけりけり。。。
- 18むかしむかしむかし、、、男男おとこ、、、みこみこみこたちたちたちののの逍遙逍遙しょうようしししたまふたまふたまう所所ところにににまうでゝまうでゝもうでて、、、立立たつ田田たのののほとりほとりほとりにににててて、、、
- 19「「「ちはやぶるちはやぶるちはやぶる神神かみ代代よもももきかきかきかずずずたつたたつたたつた川川がわからからからくれなゐくれなゐくれないににに水水みずくゝるくゝるくくるとととははは」」」。。。
現代語訳
〔第100段〕昔、ある男が、後涼殿と清涼殿の間の渡り廊下を通っていたところ、ある高貴な方の御局から、「忘れ草を忍ぶ草というのですか」と言って、忍ぶ草を差し出させなさったので、男はそれをいただいて、
「この御局を、忘れ草の生える野辺(私を忘れた人のいる所)とご覧になっているのでしょうが、これは忍ぶ草です。のちのちも、私を偲んでくださることを頼りにしましょう」。
〔第101段〕昔、左兵衛督であった在原行平という人がいた。その人の家によい酒があると聞いて、殿上に仕える人々が飲もうとしてやって来た。左中弁藤原良近という人を、主賓として、その日は行平がもてなしをした。行平は風流な人で、瓶に花を挿していた。その花の中に、珍しい藤の花があった。花房の垂れた長さが三尺六寸ほどもあった。それを題にして歌を詠む。詠み終わりかけたころに、主人の弟が、兄がもてなしをしていると聞いてやって来たので、つかまえて詠ませた。もともと歌のことは知らなかったので辞退したけれど、無理に詠ませたので、このように、
「咲く花の下に隠れる人が多いので、以前にもましてすばらしい藤の花陰であることだ」。
「どうしてこのように詠むのか」と言ったところ、「太政大臣が栄華の盛りにいらっしゃって、藤原氏がとりわけ栄えているのを思って詠んだのです」と言った。人々はみな、この歌を非難しなくなった。
〔第102段〕昔、ある男がいた。歌は詠まなかったけれど、世の中のことをよく分かっていた。身分の高い女が尼になって、世の中をいやに思って、京にも住まず、遠い山里に住んでいた。男はもと親しい間柄だったので、歌を詠んで贈った、
「世を捨てたといっても、仙人のように雲に乗ってしまうわけではないけれど、世の中のつらいことは、よそごとになるといいますね」
と言い贈ったのだった。この女は、斎宮であった方である。
〔第103段〕昔、ある男がいた。たいそうまじめで実直で、浮ついた心はなかった。深草の帝にお仕えしていた。心の迷いでもあったのだろうか、親王がお使いになっていた女房と親しい仲になった。そして翌朝に歌を贈る。
「共寝をした夜の夢がはかないので、うとうとすると、ますますはかない夢になっていくことです」
と詠んで贈ったのだった。なんとも見苦しい歌であることよ。
〔第104段〕昔、これといった理由もなく尼になった人がいた。尼の姿にやつしてはいたけれど、物見がしたかったのだろうか、賀茂の祭を見に出かけたのを、男が歌を詠んで贈る、
「世をつらく思って尼になった人だと見るにつけても、目くばせをしてほしいと、つい期待してしまうことです」。
これは、斎宮が見物していらっしゃった車に、このように申し上げたので、斎宮は見物を途中でやめて、お帰りになってしまったということだ。
〔第105段〕昔、ある男が「こんなことでは死んでしまいそうです」と言ってやったところ、女が、
「白露は、消えるなら消えてしまえばよいのです。消えずに残っても、玉として緒に通す人もいないでしょうに」
と言ったので、男は憎らしいと思ったけれど、思いはますますつのった。
〔第106段〕昔、ある男が、親王たちが遊覧なさる所に参上して、竜田川のほとりで、
「不思議なことの多かった神代にも聞いたことがない。竜田川の水を、真っ赤な紅葉が絞り染めにしているとは」。
意訳
〔第100・101段〕「忘れ草(私を忘れたの)」とからかわれた男は、「これは忍ぶ草、のちのちも偲んでください」と切り返す。行平邸の酒宴では、歌の苦手な弟が、無理に詠まされて、藤の花陰に隠れる人々の多さを詠み、藤原氏の繁栄をたたえる歌だと言いつくろって、一同を黙らせる。表向きは藤原氏への賛辞だが、その陰で不遇をかこつ在原氏の皮肉とも読める。
〔第102〜105段〕世を捨てた高貴な尼、斎宮に、世を厭えばつらさもよそごとになると慰める歌。まじめな男が珍しく心を乱して詠んだ「夢をはかなみ」の歌には、語り手が「見苦しい歌だ」と辛口の評を加える。祭見物の尼の車に目くばせを求める歌、死にそうだと訴える男に「消えたければ消えなさい」と返す女の歌と、恋の駆け引きが続く。
〔第106段〕竜田川一面に紅葉が流れるさまを、川の水を紅の絞り染めにしていると見立てる。百人一首にも選ばれた、業平の代表歌である。親王たちの遊覧に従った晴れやかな場面で、歌の才が最もあざやかに発揮される。
語釈・文法注
- 後涼殿
- 内裏の殿舎の一つ。清涼殿の西にあり、女御などの局があった。
- まらうどざね
- 客人の中の主賓。
- しちやう
- 実用(じちよう)。まじめで実直なこと。
- 深草の帝
- 仁明天皇(810〜850)。陵が深草にあることからの呼び名。
- 立田川
- 竜田川。大和国(今の奈良県生駒郡)を流れる川。紅葉の名所の歌枕。
文法
- 「忘草を忍草とやいふ」
- 「忘れ草」は男が自分を忘れたことを、「忍ぶ草」は偲ぶことを暗示する。
- 「その人の家によき酒ありと」
- 在原行平は業平の兄。
- 「みまそかりて」
- 底本の表記。「いまそかり」と同じく「あり」の尊敬語で、いらっしゃって。
- 「皆人そしらずなりにけり」
- みな(この歌を)非難しなくなった。
- 「齋宮の宮なり」
- 注記。尼になったのは斎宮であった方である。
- 「はかなみ」
- 「はかなし」の語幹+「み」で、はかないので。
- 「さる歌のきたなげさよ」
- 語り手の評。そのような歌の見苦しいことよ。
- 「けなばけなゝむ」
- 「け」は「消(く)」の連用形。消えるなら消えてしまえ。「なむ」は他に対する願望。
- 「水くゝるとは」
- 「くくる」は括り染め(絞り染め)にする。倒置で、神代にも聞かない、…とは。
和歌
わすれ草生ふる野邊とは見るらめどこはしのぶなりのちもたのまむ
- 詠者
- 男
- 状況
- 後涼殿の御局から、忘れ草を忍ぶ草というのかと言われて返した歌。『続後撰和歌集』に在原業平の歌として載る。
修辞
- 掛詞
- 「しのぶ」に「忍ぶ草」と「偲ぶ」を掛ける。
咲く花のしたにかくるゝ人おほみありしにまさる藤のかげかも
- 詠者
- 主人(行平)の弟
- 状況
- 行平邸の酒宴で、瓶に挿した藤の花を題に、無理に詠まされた歌。
修辞
- 寓意
- 「藤のかげ」に藤原氏の庇護、「かくるゝ人」にその恩恵を受ける人々を重ねる。
背くとて雲には乘らぬものなれど世のうきことぞよそになるてふ
- 詠者
- 男
- 状況
- 尼になって山里に住む高貴な女(もと斎宮)に贈った歌。
修辞
- 典拠
- 仙人が雲に乗って去るという中国の故事を踏まえる。
寢ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
- 詠者
- 男
- 状況
- 親王に仕える女房と一夜をともにした翌朝に贈った歌。『古今和歌集』恋三に在原業平の歌として載る。
修辞
- 反復
- 「はかなみ」「はかな」を重ねて、思いの募るさまを表す。
世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよともたのまるゝかな
- 詠者
- 男
- 状況
- 賀茂の祭を見物する尼(斎宮)の車に贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「うみ」に「倦み(いやになる)」と「海」、「あま」に「尼」と「海人」、「めくはせ」に「目配せ」と「海布(め)食はせ」を掛ける。
- 縁語
- 「うみ」「あま」「め」が海の縁語。
しらつゆはけなばけなゝむ消えずとて玉にぬくべき人もあらじを
- 詠者
- 女
- 状況
- 「死んでしまいそうだ」と言ってきた男に返した歌。
修辞
- 比喩
- 男を白露にたとえ、死んでも惜しむ人はいないと突き放す。
ちはやぶる神代もきかずたつた川からくれなゐに水くゝるとは
- 詠者
- 男
- 状況
- 親王たちの遊覧に従い、竜田川のほとりで詠んだ歌。『古今和歌集』秋下に在原業平の歌として載る(詞書では、二条の后の御屏風の絵を題に詠んだとする)。
修辞
- 枕詞
- 「ちはやぶる」は「神」にかかる。
- 見立て
- 川面を流れる紅葉を、水を紅に括り染めにしたものに見立てる。
- 倒置
- 「神代もきかず」を先に置き、「…とは」で結ぶ。
解説
第106段の「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」は、百人一首(第17首)にも選ばれた業平の代表歌である。『古今和歌集』の詞書では、二条の后がまだ東宮の御息所であったころ、屏風に描かれた竜田川の紅葉の絵を題に詠んだとされ、物語の場面設定とは異なる。
第101段の在原行平は業平の異母兄で、須磨に流されたという伝承があり、『源氏物語』須磨の巻の下敷きにもなった。藤の花を題に藤原氏の栄華をたたえる歌は、表向きの賛辞の裏に、藤原氏の陰に隠れて不遇な在原氏の思いがにじむ歌として読まれてきた。
第102段・第104段の斎宮は、第69段の「狩の使」の斎宮(恬子内親王)とされる。狩の使の後日談のように、出家した斎宮に男が歌を贈る話が置かれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部三 雑上(伊勢物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、68–70頁(コマ38–39)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日