方丈記 第5章
出家と方丈の庵
父方の祖母の家を継げなかった作者は、三十余歳で小さな庵を構え、五十歳の春に出家して大原にこもる。六十歳を前にして日野山の奥に結んだのは、広さ一丈四方、高さ七尺足らずの組み立て式の庵で、阿弥陀の絵像や琴・琵琶、和歌の書物などを置いて暮らしている。

- 1我我わががが身身み、、、父父ちちののの方方かたののの祖祖おお母母ばののの家家いえをををつたへつたへつたえててて、、、久久ひさしくしくしく彼彼かし所所こににに住住すむむむ。。。そのそのそののちのちのち緣緣えんかけかけかけ身身みおとろへおとろへおとろえててて、、、しのぶしのぶしのぶかたがたかたがたかたがたしげかりしげかりしげかりしかしかしかばばば、、、つひにつひについにあとあとあととむるとむるとむることことことををを得得えずずずしてしてして、、、三三さん十十じゅう餘餘よにににしてしてして、、、更更さらににに我我わががが心心こころととと一一ひとつつつののの庵庵いおりをををむすぶむすぶむすぶ。。。
- 2これこれこれをををありありありしししすまひすまひすまいににになずらふるなずらふるなずらうるににに、、、十十じゅう分分ぶががが一一いちなりなりなり。。。たゞたゞただ居居い屋屋やばかりばかりばかりをををかまへかまへかまえててて、、、はかばかしくはかばかしくはかばかしくははは屋屋やををを造造つくるるるにににおよばおよばおよばずずず。。。わづかわづかわずかににについついついひぢひぢひじをををつけつけつけりりりととといへいへいえどもどもども、、、門門かどたつるたつるたつるにににたづきたづきたずきなしなしなし。。。竹竹たけををを柱柱はしらとしてとしてとして、、、車車くるまやどりやどりやどりとととせせせりりり。。。雪雪ゆきふりふりふり風風かぜ吹吹ふくくくごとごとごとににに、、、危危あやふからふからうからずずずしもしもしもあらあらあらずずず。。。
- 3所所ところははは河河かわ原原ら近近ちかけれけれければばば、、、水水みずののの難難なんももも深深ふかくくく、、、白白しらのののおそれおそれおそれもももさわがしさわがしさわがし。。。すべてすべてすべてあらあらあらぬぬぬ世世よををを念念ねんじじじ過過すぐしぐしぐしつゝつゝつつ、、、心心こころをををなやませなやませなやませるるることことことははは、、、三三さん十十じゅう餘餘よ年年ねんなりなりなり。。。そのそのその間間あいだをりをりおりをりをりおりのののたがひめたがひめたがいめににに、、、おのづからおのづからおのずから短短みじかききき運運うんをををさとりさとりさとりぬぬぬ。。。
- 4すなはちすなはちすなわち五五ご十十じゅうののの春春はるをををむかへむかへむかえててて、、、家家いえをををいでいでいで世世よをををそむけそむけそむけりりり。。。もとよりもとよりもとより妻妻め子子こなけれなけれなければばば、、、捨捨すてててがたきがたきがたきよすがよすがよすがもももなしなしなし。。。身身みににに官官かん祿祿ろくあらあらあらずずず、、、何何なににににつけつけつけてててかかか執執しゅうをををとゞめとゞめとどめむむん。。。むなしくむなしくむなしく大大おお原原はら山山やまののの雲雲くもにににふしふしふしててて、、、いくそばくいくそばくいくそばくののの春春はる秋秋あきをををかかかへへへぬるぬるぬる。。。
- 5こゝこゝここににに六六ろく十十じゅうののの露露つゆ消消きえええがたがたがたににに及及およびびびててて、、、さらにさらにさらに末末すえ葉葉はのののやどりやどりやどりををを結結むすべべべるるることことことありありあり。。。いはゞいはゞいわば狩狩かり人人うどのののひとひとひとよよよののの宿宿やどをををつくりつくりつくり、、、老老おいいいたるたるたるかひこかひこかいこのののまゆまゆまゆをををいとなむいとなむいとなむがががごとしごとしごとし。。。これこれこれををを中中なかごろごろごろのののすみかすみかすみかににになずらふれなずらふれなずらうればばば、、、またまたまた百百ひゃく分分ぶががが一一いちにににだだだもももおよばおよばおよばずずず。。。
- 6とかくとかくとかくいふいふいう程程ほどににに、、、よはひよはひよわいははは年年とし々々どしにににかたぶきかたぶきかたぶき、、、すみかすみかすみかはははをりをりおりをりをりおりにににせばしせばしせばし。。。そのそのその家家いえのののありさまありさまありさまよよよのののつねつねつねにににももも似似にずずず、、、廣廣ひろさささはははわづかわづかわずかににに方方ほう、、、高高たかさささははは七七しち尺尺しゃくががが內內うちなりなりなり。。。所所ところをををおもひおもひおもい定定さだめめめざるざるざるがががゆゑゆゑゆえににに、、、地地ちをををしめしめしめててて造造つくらららずずず。。。土土つちをををくみくみくみ、、、うちうちうちおほひおほひおおいをををふきふきふきててて、、、つぎめつぎめつぎめごとごとごとにににかけかけかけがねがねがねをををかけかけかけたりたりたり。。。
- 7もしもしもし心心こころにににかなはかなはかなわぬぬぬことことことあらあらあらばばば、、、やすくやすくやすく外外ほかにににうつさうつさうつさむむんがががためためためなりなりなり。。。そのそのそのあらためあらためあらため造造つくるるるときときとき、、、いくばくいくばくいくばくのののわづらひわづらひわずらいかかかあるあるある。。。積積つむむむところところところわづかわづかわずかににに二二に輛輛りょうなりなりなり。。。車車くるまののの力力ちからをををむくゆるむくゆるむくゆるほかほかほかははは、、、更更さらににに他他たののの用用よう途途といらいらいらずずず。。。
- 8いまいまいま日日ひ野野の山山やまののの奥奥おくにににあとあとあとをををかくしかくしかくしててて後後のち、、、南南みなみにににかりかりかりののの日日ひをををさしさしさし出出いだしししててて、、、竹竹たけのののすのこすのこすのこををを敷敷しききき、、、そのそのその西西にしににに閼閼あ伽伽かををを作作つくりりり、、、うちうちうちにににははは西西にしののの垣垣かきににに添添そへへえててて、、、阿阿あ彌彌み陀陀だののの畫畫え像像ぞうををを安安あん置置ちしししたてまつりたてまつりたてまつりててて、、、落落らく日日じつをををうけうけうけててて、、、眉眉み間間けんのののひかりひかりひかりとととすすす。。。かのかのかの帳帳ちょうのののとびらとびらとびらににに普普ふ賢賢げんならびにならびにならびに不不ふ動動どうののの像像ぞうをををかけかけかけたりたりたり。。。
- 9北北きたののの障障しょう子子じののの上上うえににに、、、ちひさきちひさきちいさき棚棚たなをををかまへかまへかまえててて、、、黑黑くろききき皮皮かわ籠籠ご三三み四四よ合合ごうををを置置おくくく。。。すなはちすなはちすなわち和和わ歌歌か、、、管管かん絃絃げん、、、往往おう生生じょう要要ようごときごときごときののの抄抄しょう物物もつををを入入いれれれたりたりたり。。。傍傍かたわらにににことことこと、、、琵琵び琶琶わ、、、おのおのおのおのおのおの一一いつ張張ちょうをををたつたつたつ。。。いはゆるいはゆるいわゆるをりをりおりごとごとごと、、、つきつきつき琵琵びこれこれこれなりなりなり。。。
- 10東東ひんがしにににそへそへそえててて、、、わらびわらびわらびのののほどろほどろほどろををを敷敷しききき、、、つかなみつかなみつかなみををを敷敷しきききててて夜夜よるののの床床とことととすすす。。。東東ひんがしののの垣垣かきににに窓窓まどをををあけあけあけててて、、、こゝこゝここにににふづくゑふづくゑふずくえををを出出いだせせせりりり。。。枕枕まくらののの方方かたにににすびつすびつすびつありありあり。。。これこれこれををを柴柴しば折折おりりりくぶるくぶるくぶるよすがよすがよすがとととすすす。。。庵庵いおりののの北北きたににに少少すこし地地ちをををしめしめしめ、、、あばらあばらあばらなるなるなるひめひめひめ垣垣がきをををかこひかこひかこいててて園園そのとととすすす。。。すなはちすなはちすなわちもろもろもろもろもろもろののの藥藥やく草草そうをををうゑうゑうえたりたりたり。。。かりかりかりののの庵庵いおりのののありさまありさまありさまかくかくかくのののごとしごとしごとし。。。
現代語訳
私の身の上は、父方の祖母の家を受け継いで、長くその家に住んでいた。その後、縁がとだえ身も衰えて、思い出の多いことがいろいろあったけれど、とうとうその家にとどまることができなくなって、三十歳あまりで、新たに自分の心のままに一つの庵を構えた。
これを以前の住まいと比べると、十分の一である。ただ自分の住む建物だけを造って、ちゃんとした付属の建物を造るまでには至らない。かろうじて土塀は築いたけれど、門を建てる手だてはない。竹を柱にして、車庫とした。雪が降り風が吹くたびに、危なくないわけでもない。
場所は鴨川の河原に近いので、洪水の危険も大きく、盗賊の心配も絶えない。すべて意にそまない世の中を我慢して過ごしながら、心を悩ませてきたのは、三十年あまりである。その間、折々のつまずきによって、自然と自分のつたない運命を悟った。
そこで五十歳の春を迎えて、家を出て世を捨てた。もともと妻子もいないので、捨てにくい身内もいない。身には官職も俸禄もなく、何に執着をとどめることがあろうか。むなしく大原山の雲の中に寝起きして、いく年の春秋を過ごしたことだろうか。
ここに、六十歳という露の命が消えようとするころになって、新たに晩年の住まいを結ぶことになった。いってみれば、狩人が一夜の宿を作り、年老いた蚕が繭を作るようなものである。これを中年のころの住まいと比べると、また百分の一にも及ばない。
あれこれ言ううちに、年齢は年ごとに傾き、住まいはそのたびに狭くなる。その家のありさまは世間普通のものとも違い、広さはわずかに一丈四方、高さは七尺足らずである。住む場所を決めているわけではないので、土地を所有して建てたのではない。土台を組み、簡単な屋根を葺いて、継ぎ目ごとに掛け金をかけてある。
もし気に入らないことがあったら、たやすくほかへ移そうと考えてのことである。それを建て直すとき、どれほどの手間がかかろうか。積むのはわずか二台の車である。車の運び賃を払うほかは、まったくほかの費用はいらない。
いま日野山の奥に世を避けて住んでから後は、(庵の)南に仮の日よけの庇を差し出して、竹の簀の子を敷き、その西に閼伽棚を作り、内側には西の壁に沿って、阿弥陀仏の絵像を安置申し上げて、(西に沈む)夕日を受けて、仏の眉間の光とする。その厨子の扉には、普賢菩薩と不動明王の像をかけている。
北側の襖の上に小さな棚を作って、黒い皮籠を三つ四つ置く。中には和歌・管絃の書物や、『往生要集』のような抜き書きを入れてある。そばには琴と琵琶をそれぞれ一張ずつ立ててある。いわゆる折り琴と継ぎ琵琶がこれである。
東側に寄せて、わらびの穂を敷き、藁を束ねたものを敷いて夜の寝床とする。東の壁に窓を開けて、ここに文机を置いている。枕元には火鉢がある。これを柴を折ってくべる場所とする。庵の北に少しの土地を囲い、粗末な低い垣根をめぐらして畑とする。そこにはいろいろな薬草を植えてある。仮の庵のありさまは、このようなものである。
意訳
ここから『方丈記』は、作者自身の住まいの遍歴を語る後半に入る。祖母の家(作者は賀茂の神官の家に生まれた)→三十余歳で構えた十分の一の庵→五十歳での出家と大原での隠棲→六十歳近くでの日野山の方丈の庵と、住まいは次々に小さくなっていく。作者はそれを嘆くのではなく、年齢とともに住まいが狭くなるのは自然なことだと受けとめている。
方丈の庵は、土台を組み、継ぎ目に掛け金をかけて、気に入らなければ車二台で運んで建て直せる、いわば組み立て式の家である。土地に縛られないこの家は、冒頭で語られた「人とすみか」への執着から自由になるための、作者なりの答えでもある。
庵の中には、阿弥陀の絵像と普賢・不動の像という信仰のための品と、和歌・管絃の書物や琴・琵琶という風雅のための品が、同じ一丈四方の中に並んでいる。仏道と芸の道の両方を捨てきれない作者の姿が、部屋の調度からうかがえる。
語釈・文法注
- 白波
- 盗賊のこと。後漢の末、白波谷にこもった盗賊を「白波賊」と呼んだ故事による。
- 方丈
- 一丈(約3メートル)四方。維摩居士が方丈の室に住んだという故事にちなみ、この作品の名にもなった。
- 土居
- 建物の土台。地面に据えて柱を立てる横木。
- 日がくし
- 日よけのために、軒先に差し出した庇。
- 閼伽棚
- 仏に供える水(閼伽)や花を置く棚。
- 往生要集
- 平安中期の僧、源信(恵心僧都)の著書。極楽往生のための念仏の教えを説き、地獄と極楽のありさまを描いた。
- をりごと、つき琵琶
- 折り畳める琴と、組み立て式の琵琶。持ち運びのためにつくられたもので、作者の工夫ともいわれる。
文法
- 「しのぶかたがたしげかりしかば」
- 「しのぶ」は昔をなつかしむ、の意。思い出すことがあれこれ多かったので。「しか」は過去の助動詞「き」の已然形で、「ば」が付いて確定条件を表す。
- 「何につけてか執をとゞめむ」
- 係助詞「か」は反語。何に執着をとどめようか、何もない。
- 「いくそばくの春秋をかへぬる」
- 「か」は疑問の係助詞で、「へぬる」は「経」に完了の助動詞「ぬ」の連体形が付いた結び。底本は「かへぬる」と続けて書く。
- 「百分が一にだもおよばず」
- 「だも」は副助詞「だに」+係助詞「も」の変化した形で、…さえも、の意。
解説
鴨長明は、下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜(神職)鴨長継の次男として生まれた。若くして父を亡くし、祖母の家を継いだがやがてそこを離れたことが、この章の前半に語られている。五十歳ごろ、後鳥羽院の計らいで下鴨神社の摂社河合社の禰宜になる話が一族の反対でつぶれ、それをきっかけに出家したと伝えられる(『源家長日記』)。
方丈の庵があった日野山は、今の京都市伏見区日野で、法界寺の近くに「方丈石」と呼ばれる庵の跡が伝わっている。下鴨神社の境内には、この章の記述をもとに復元された方丈の庵が展示されている。
一丈四方という広さは、仏典『維摩経』で、在家の信者維摩居士が方丈の室に住みながら、無数の菩薩を迎え入れたという話にちなむ。作品名の「方丈記」は、この庵での記録という意味である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(方丈記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、548–550頁(コマ286–287)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日