古典ライブラリー

平家物語 灌頂巻

小原への入御の事

七月の大地震で吉田の住まいも傾き、建礼門院を気にかける縁者も少なくなったが、冷泉大納言隆房と七条修理大夫信隆の北の方が、ひそかに見舞いを続けた。都に近く人目も多いので、ある女房の勧めで、女院は文治元年九月の末、大原の奥の寂光院に移った。寂光院のかたわらに方丈の庵を結び、一間を仏間、一間を寝所として念仏の日々を送った。十月十五日の夕暮れ、楢の落ち葉を踏む音に人の訪れかと驚いたが、小鹿であった。大納言佐の局がそれを歌に詠み、女院は窓の小障子に書き留めた。庵の植木や岩間の水を極楽の宝樹や功徳水になぞらえながら、昔の栄華をしのぶ日々であった。

  1. 1去い去いいんんんぬるぬるぬる七しち七しちしち月ぐわつ月ぐわつがつ九こゝの九こゝのここの日か日かかののの日ひ日ひひののの大だい大だいだい地ぢ地ぢじ震しん震しんしんににに築つい築ついつい地ぢ地ぢじももも崩くづ崩くづくずれれれ、、、荒あ荒ああれれれたるたるたる御ご御ごご所しよ所しよしょももも傾かたぶ傾かたぶかたぶききき破やぶ破やぶやぶれれれててて、、、いとゞいとゞいとど住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふうべきべきべき御おん御おんおんたよりたよりたよりもももなしなしなし。。。綠りよく綠りよくりょく衣い衣いいののの監かん監かんかん使し使しし、、、宮きう宮きうきゅう門もん門もんもんををを守まも守まもまもるるるだにだにだにもももなしなしなし。。。心こゝろ心こゝろこころのののまゝまゝままににに荒あ荒ああれれれたるたるたる籬まがき籬まがきまがきははは、、、茂しげ茂しげしげききき野の野ののべべべよりよりよりももも露つゆ露つゆつゆけくけくけく、、、折をり折をりおり知し知ししりりり顏がほ顏がほがおににに、、、いつしかいつしかいつしか蟲むし蟲むしむしののの聲こゑ聲こゑこえ々ごゑ々ごゑごえ恨うら恨うらうらむるむるむるもももあはれあはれあわれなりなりなり。。。さるさるさるまゝまゝままにににははは夜よ夜よよもももやう〳〵やう〳〵ようよう長なが長ながながくくくなれなれなればばば、、、いとゞいとゞいとど御おん御おんおん寐ね寐ねね覺ざめ覺ざめざめがちがちがちにににててて、、、あかしあかしあかしかねかねかねさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。つきつきつきせせせぬぬぬ御おん御おんおん物もの物ものもの思おも思おもおもひひいににに、、、秋あき秋あきあきののの哀あは哀あはあわれれれさへさへさへうちうちうち添そ添そそひひいててて、、、いとゞいとゞいとど忍しの忍しのしのびびびがたうがたうがとうぞぞぞ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけるけるける。。。何なに何なになに事ごと事ごとごともももみなみなみな變かは變かはかわりりりはてはてはてぬるぬるぬるうきうきうき世よ世よよなれなれなればばば、、、おのづからおのづからおのずから情なさけ情なさけなさけをををかけかけかけ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべき、、、昔むかし昔むかしむかしののの草くさ草くさくさのののゆかりゆかりゆかりもももみなみなみな枯か枯かかれれれはてはてはてててて、、、誰たれ誰たれたれはぐゝみはぐゝみはぐくみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべしべしべしとととももも覺おぼ覺おぼおぼえええずずず。。。
  2. 2されどもされどもされども冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜいののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん隆たか隆たかたか房ふさ房ふさふさののの卿きやう卿きやうきょうののの北きた北きたきたののの方かた方かたかた、、、七しち七しちしち條でう條でうじょうののの修しゆ修しゆしゅ理り理りりののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ信のぶ信のぶのぶ隆たか隆たかたかののの卿きやう卿きやうきょうののの北きた北きたきたののの方かた方かたかたよりよりより、、、忍しの忍しのしのびびびつゝつゝつつ常つね常つねつねはははことことこととひとひとい申まう申まうもうささされれれけりけりけり。。。女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん、、、「「「そのそのその昔むかし昔むかしむかし、、、あのあのあの人ひと人ひとひと共ども共どもどものののはぐゝみはぐゝみはぐくみにににてててあるあるあるべしべしべしとととははは、、、露つゆ露つゆつゆももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし寄よ寄よよらららざりざりざりしししものものものををを。。。」」」とととててて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながさささせせせたまひたまひたまいけれけれければばば、、、つきつきつき參まゐ參まゐまいらららせせせたるたるたる女によう女にようにょう房ばう房ばうぼう達たち達たちたちももも、、、みなみなみな袖そで袖そでそでをををぞぞぞぬらさぬらさぬらされれれけるけるける。。。このこのこの御おん御おんおん住すま住すますま居ひ居ひいもももなほなほなお都みやこ都みやこみやこ近ちか近ちかちかくくくててて、、、玉たま玉たまたま鉾ぼこ鉾ぼこぼこののの道みち道みちみち行ゆ行ゆゆききき人びと人びとびとののの人ひと人ひとひと目め目めめもももしげけれしげけれしげければばば、、、露つゆ露つゆつゆののの御おん御おんおん命いのち命いのちいのちののの風かぜ風かぜかぜををを待ま待ままたたたんんんほどほどほど、、、うきうきうきことことこと聞き聞ききかかかぬぬぬ深ふか深ふかふかききき山やま山やまやまののの奧おく奧おくおくへへへももも、、、入い入いいりりりなななばやばやばやとととははは思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけれけれけれどもどもども、、、さるさるさるべきべきべきたよりたよりたよりもももましまさましまさましまさずずず。。。あるあるある女によう女にようにょう房ばう房ばうぼうののの吉よし吉よしよし田だ田だだににに參まゐ參まゐまいつつっててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「これこれこれよりよりより北きた北きたきた、、、小を小をお原はら原はらはら山やま山やまやまののの奧おく奧おくおく、、、寂じやく寂じやくじゃく光くわう光くわうこう院ゐん院ゐんいんととと申まう申まうもうすすす所ところ所ところところこそこそこそ靜しづ靜しづしずかかかににに候さふら候さふらそうらへへえ。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん、、、「「「山やま山やまやま里ざと里ざとざとはははものものものさびしきさびしきさびしき事こと事ことことこそこそこそあんあんあんなれなれなれどもどもども、、、世よ世よよののの憂う憂ううきききよりよりよりははは住す住すすみみみよかよかよかんんんなるなるなるものものものををを。。。」」」とととててて、、、思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし立た立たたたたたせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。御おん御おんおん輿こし輿こしこしなどなどなどをををばばば、、、信のぶ信のぶのぶ隆たか隆たかたか、、、隆たか隆たかたか房ふさ房ふさふさののの北きた北きたきたののの方かた方かたかたよりよりより御ご御ごご沙さ沙ささ汰た汰たたありありありけるけるけるとととかやかやかや。。。
  3. 3文ぶん文ぶんぶん治ぢ治ぢじ元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねん九く九くく月ぐわつ月ぐわつがつののの末すゑ末すゑすえにににかのかのかの寂じやく寂じやくじゃく光くわう光くわうこう院ゐん院ゐんいんへへへ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。道みち道みちみちすがらすがらすがらももも四よ四よよ方も方ももののの梢こずゑ梢こずゑこずえののの色いろ色いろいろ々いろ々いろいろなるなるなるををを御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじ過す過すすぎぎぎさせさせさせ給たま給たまたまふふう程ほど程ほどほどににに、、、山やま山やまやま陰かげ陰かげかげなれなれなればばばにににややや、、、日ひ日ひひもももやう〳〵やう〳〵ようよう暮く暮くくれれれかゝりかゝりかかりぬぬぬ。。。野の野のの寺でら寺でらでらののの鐘かね鐘かねかねののの入いり入いりいり相あひ相あひあいののの聲こゑ聲こゑこえすごくすごくすごく、、、わくるわくるわくる草くさ草くさくさ葉ば葉ばばののの露つゆ露つゆつゆしげみしげみしげみ、、、いとゞいとゞいとど御おん御おんおん袖そで袖そでそでぬれぬれぬれまさりまさりまさり、、、嵐あらし嵐あらしあらしはげしくはげしくはげしく、、、木こ木ここののの葉は葉ははみだりがはしみだりがはしみだりがわし。。。空そら空そらそらかきかきかきくもりくもりくもり、、、いつしかいつしかいつしかうちうちうちしぐれしぐれしぐれつゝつゝつつ、、、鹿しか鹿しかしかののの音ね音ねねかすかかすかかすかにににおとづれおとづれおとずれててて、、、蟲むし蟲むしむしのののうらみうらみうらみもももたえ〴〵たえ〴〵たえだえなりなりなり。。。とにかくにとにかくにとにかくに取と取ととりりりあつめあつめあつめたるたるたる御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころ細ぼそ細ぼそぼそさささ、、、たとへたとへたとえやるやるやるべきべきべき方かた方かたかたもももなしなしなし。。。浦うら浦うらうらづたひづたひづたい、、、島しま島しましまづたひづたひづたいせせせしかしかしかどもどもども、、、さすがさすがさすが斯か斯かかくくくはははなかりなかりなかりしししものものものをををととと、、、思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすすこそこそこそ悲かな悲かなかなしけれしけれしけれ。。。岩いは岩いはいわににに苔こけ苔こけこけむしむしむしてててさびさびさびたるたるたる所ところ所ところところなれなれなればばば、、、住す住すすままままほしくまほしくまほしくぞぞぞ思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすす。。。露つゆ露つゆつゆむすぶむすぶむすぶ庭には庭にはにはののの萩はぎ萩はぎはぎ原はら原はらはら霜しも霜しもしも枯が枯ががれれれててて、、、籬まがき籬まがきまがきののの菊きく菊きくきくののの枯か枯かかれ〴〵れ〴〵れがれににに、、、移うつ移うつうつろふろふろう色いろ色いろいろををを御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじてててももも、、、御おん御おんおん身み身みみののの上うへ上うへうえとととややや思おぼ思おぼおぼしししけんけんけん。。。佛ほとけ佛ほとけほとけののの御おん御おんおん前まへ前まへまえににに參まゐ參まゐまいらららせせせたまひたまひたまいててて、、、「「「天てん天てんてん子し子しし聖しやう聖しやうしょう靈りやう靈りやうりょう、、、成じやう成じやうじょう等どう等どうどう正しやう正しやうしょう覺がく覺がくがく、、、一いち一いちいち門もん門もんもん亡ばう亡ばうぼう魂こん魂こんこん、、、頓とん頓とんとん證しよう證しようしょう菩ぼ菩ぼぼ提だい提だいだい。。。」」」ととと祈いの祈いのいのりりり申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。いついついつののの世よ世よよにににももも忘わす忘わすわすれれれ難がた難がたがたきききははは先せん先せんせん帝てい帝ていていののの御おん御おんおん面おも面おもおも影かげ影かげかげひしひしひしととと御おん御おんおん身み身みみににに添そ添そそひひいててて、、、いかならいかならいかならんんん世よ世よよにににももも忘わす忘わすわするるるべしべしべしとととももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめさささずずず。。。
  4. 4さてさてさて寂じやく寂じやくじゃく光くわう光くわうこう院ゐん院ゐんいんののの傍かたはら傍かたはらかたわらににに、、、方はう方はうほう丈ぢやう丈ぢやうじょうなるなるなる御おん御おんおん庵あん庵あんあん室しつ室しつしつをををむすんむすんむすんででで、、、一ひと一ひとひと閒ま閒ままをををばばば佛ぶつ佛ぶつぶつ所しよ所しよしょににに定さだ定さださだめめめ、、、一ひと一ひとひと閒ま閒ままをををばばば御ご御ごご寢しん寢しんしん所じよ所じよじょにににしつらひしつらひしつらい、、、晝ちう晝ちうちゅう夜や夜やや朝てう朝てうちょう夕せき夕せきせきののの御おん御おんおんつとめつとめつとめ、、、長ちやう長ちやうちょう時じ時じじ不ふ不ふふ斷だん斷だんだんののの御おん御おんおん念ねん念ねんねん佛ぶつ佛ぶつぶつ、、、怠おこた怠おこたおこたるるる事こと事ことことなくなくなくしししててて月つき月つきつき日ひ日ひひををを送おく送おくおくらららせせせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。かくかくかくててて神かみ神かみかみ無な無なな月づき月づきづき中なか中なかなかののの五いつ五いついつ日か日かかののの暮くれ暮くれくれ方がた方がたがたににに、、、庭には庭にはにはににに散ち散ちちりりり敷し敷ししくくく楢なら楢ならならののの葉は葉ははををを、、、ものものもの蹈ふ蹈ふふみみみ鳴な鳴なならしらしらしててて聞きこ聞きこきこえええけれけれければばば、、、「「「女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん世よ世よよをををいとふいとふいとう所ところ所ところところににに、、、何なに何なになに者もの者ものものののの訪と訪ととひひい來く來くくるるるやらんやらんやらん。。。あれあれあれ見み見みみよよよややや。。。忍しの忍しのしのぶぶぶべきべきべきものものものならならならばばば急いそ急いそいそぎぎぎ忍しの忍しのしのばばばんんん。。。」」」とととててて、、、見み見みみせせせらるゝらるゝらるるににに、、、小を小をお鹿じか鹿じかじかののの通とほ通とほとおるるるにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん、、、「「「さてさてさていかにいかにいかにやややいかにいかにいかに。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの佐すけ佐すけすけののの局つぼね局つぼねつぼね涙なみだ涙なみだなみだをををおさへおさへおさえててて、、、
  5. 5岩いは岩いはいわ根ね根ねねふみふみふみ誰たれ誰たれたれかかかははは訪と訪ととはははむむん楢なら楢ならならののの葉は葉ははのののそよぐそよぐそよぐははは鹿しか鹿しかしかのののわたるわたるわたるなりなりなりけりけりけり
  6. 6女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん、、、このこのこの歌うた歌うたうたあまりあまりあまりにににあはれあはれあわれににに思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししててて、、、窗まど窗まどまどののの小こ小ここ障しやう障しやうしょう子じ子じじにににあそばしあそばしあそばし留とゞ留とゞとどめめめさせさせさせおはしますおはしますおわします。。。
  7. 7斯か斯かかかるかるかる御おん御おんおんつれ〴〵つれ〴〵つれづれののの中うち中うちうちにににももも、、、思おぼし思おぼしおぼし召め召めめしししなぞらふなぞらふなぞらうことことことどもどもどもははは、、、つらきつらきつらき中なか中なかなかにににもももあまたあまたあまたありありあり。。。軒のき軒のきのきににに竝なら竝ならならべべべるるる植うゑ植うゑうえ木き木ききをををばばば七しち七しちしち重ぢう重ぢうじゅう寶ほう寶ほうほう樹じゆ樹じゆじゅとととかたどりかたどりかたどり、、、岩いは岩いはいわ閒ま閒ままにににつもるつもるつもる水みづ水みづみずをををばばば八はつ八はつはっ功く功くく德どく德どくどく水すゐ水すゐすいととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすす。。。無む無むむ常じやう常じやうじょうははは春はる春はるはるののの花はな花はなはな、、、風かぜ風かぜかぜににに從したが從したがしたがつつっててて散ち散ちちりりり易やす易やすやすくくく、、、有う有うう涯がい涯がいがいははは秋あき秋あきあきののの月つき月つきつき、、、雲くも雲くもくもににに伴ともな伴ともなともなつつっててて隱かく隱かくかくれれれやすしやすしやすし、、、承しよう承しようしょう陽やう陽やうよう殿でん殿でんでんににに花はな花はなはなをををもてもてもてあそびあそびあそびししし朝あした朝あしたあしたにににははは、、、風かぜ風かぜかぜ來きた來きたきたつつってててにほひにほひにおいををを散ち散ちちらしらしらし、、、長ちやう長ちやうちょう秋しう秋しうしゅう宮きう宮きうきゅうににに月つき月つきつきををを詠えい詠えいえいぜぜぜししし夕ゆふべ夕ゆふべゆうべにににははは、、、雲くも雲くもくもおほうおほうおおうててて光ひかり光ひかりひかりをををかくすかくすかくす。。。昔むかし昔むかしむかしははは玉ぎよく玉ぎよくぎょく樓ろう樓ろうろう金きん金きんきん殿でん殿でんでんににに錦にしき錦にしきにしきのののしとねしとねしとねををを敷し敷ししききき、、、妙たへ妙たへたえなりなりなりししし御おん御おんおん住すま住すますま居ひ居ひいなりなりなりしかしかしかどもどもども、、、今いま今いまいまははは柴しば柴しばしば引ひ引ひひきききむすぶむすぶむすぶ草くさ草くさくさののの庵いほ庵いほいお、、、よそよそよそののの袂たもと袂たもとたもともももしをれしをれしおれけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

去る七月九日の大地震で築地も崩れ、荒れた御所も傾き壊れて、いっそうお住まいになるよすがもない。緑衣の番人が宮門を守ることさえない。荒れるにまかせた垣根は、草の茂る野辺よりも露っぽく、時節を心得たように、いつしか虫の声々が恨むように鳴くのも哀れである。そうなると夜もしだいに長くなるので、いっそう目覚めがちで、夜を明かしかねておられた。尽きないもの思いに秋の哀れまで加わって、いっそう耐えがたく思われた。何事もすっかり変わり果てたつらい世なので、自然と情けをかけ申すはずの昔の縁者もみな枯れ果てて、誰がお世話申し上げるとも思えなかった。

けれども冷泉大納言隆房卿の北の方と七条修理大夫信隆卿の北の方からは、ひそかにいつもお見舞いを申し上げていた。女院は「昔は、あの人たちの世話になろうとは、露ほども思いもしなかったのに」と言って涙を流されたので、お仕えしている女房たちもみな袖を濡らした。このお住まいもやはり都に近く、道行く人の人目も多いので、露の命が風を待つ間だけでも、つらいことの聞こえない深い山の奥へ入りたいと思われたが、しかるべきつてもなかった。ある女房が吉田に参って申すには、「ここから北、大原山の奥の寂光院という所が静かでございます」と申した。女院は「山里はもの寂しいものだというけれど、つらい世の中よりは住みよいそうだ」と言って、移ることを思い立たれた。御輿などは、信隆・隆房の北の方から手配があったということである。

文治元年九月の末に、その寂光院にお入りになった。道すがら四方の梢がとりどりに色づいているのをご覧になりながら行かれるうちに、山陰だからであろうか、日もしだいに暮れかかった。野寺の鐘の入相の声はもの寂しく、分け入る草葉の露は深く、いっそう袖が濡れまさり、嵐は激しく、木の葉が乱れ散る。空がかき曇り、いつしか時雨が降りだして、鹿の声がかすかに聞こえ、虫の恨むような声も途切れがちである。あれこれと重なる心細さは、たとえようもない。浦伝い、島伝いをしたけれども、さすがにこれほどではなかったのにと思われるのが悲しい。岩に苔がむしてさびた所なので、住みたいと思われた。露の結ぶ庭の萩原は霜に枯れ、垣根の菊が枯れ枯れに色あせていくのをご覧になっても、わが身の上と思われたのであろうか。仏の御前に参られて、「天子の御霊が正しい悟りを得られますように。一門の亡き魂がすみやかに菩提を得られますように」とお祈りになった。いつの世にも忘れがたいのは先帝の面影で、ひしと身に添って、どんな世になっても忘れられるとは思われない。

さて寂光院のかたわらに方丈の庵室を結んで、一間を仏間とし、一間を寝所にしつらえ、昼夜朝夕のお勤め、絶え間のない念仏を怠ることなく、月日を送っておられた。こうして十月十五日の夕暮れに、庭に散り敷いた楢の葉を何者かが踏み鳴らす音が聞こえたので、「世をいとう所に、誰が訪ねて来るのだろう。あれを見なさい。隠れるべき者なら急いで隠れよう」と言って見させると、小鹿が通るのであった。女院が「さて、どうであったか」とおっしゃったので、大納言佐の局が涙をおさえて、

岩を踏みわけて誰が訪ねて来ようか。楢の葉がそよぐのは、鹿が渡っていく音なのであった。

女院はこの歌をたいそう哀れに思われて、窓の小障子にお書き留めになった。

このような所在ない日々の中にも、なぞらえて思われることは、つらい中にも多くあった。軒に並ぶ植木を極楽の七重宝樹にかたどり、岩間にたまる水を八功徳水と思われる。無常は春の花のように風に従って散りやすく、限りある命は秋の月のように雲に伴って隠れやすい。承陽殿で花をもてあそんだ朝には風が吹いて匂いを散らし、長秋宮で月を詠じた夕べには雲がおおって光を隠す。昔は玉楼金殿に錦の敷物を敷き、すばらしいお住まいであったが、今は柴を引き結んだ草の庵で、よその人の袂まで涙にしおれるのであった。

意訳

女院が都を離れ、大原の寂光院に移るまでを語る章段である。荒れ果てた吉田の住まい、晩秋の山路の寂しさ、庵の質素な暮らしが重ねて描かれ、栄華から遠ざかっていく女院の歩みが季節の移ろいとともに示される。

落ち葉を踏む音に人の訪れかと身構え、それが小鹿だったと知る場面は、人目を避けて生きる女院たちの不安と、山里の静けさとを同時に伝える。結びでは極楽の宝樹や功徳水になぞらえる仏道の心と、承陽殿・長秋宮での昔の栄華をしのぶ心とが対照的に置かれている。

語釈・文法注

文法

「綠衣の監使、宮門を守るだにもなし」
緑の衣を着た番人が宮門を守ることさえない。白居易「上陽白髪人」の句による。
「折知り顏に」
時節を心得た顔つきで。
「昔の草のゆかり」
昔の縁故の人々。「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」による表現。
「露の御命の風を待たんほど」
露のようにはかない命が、風に散るのを待つ間だけでも。
「住みよかんなるものを」
住みよいということだよ。
「みだりがはし」
乱れているさま。
「天子聖靈、成等正覺、一門亡魂、頓證菩提」
安徳天皇の御霊が正しい悟りを成就し、一門の亡魂がすみやかに菩提を証せられますように。
「方丈なる御庵室」
一丈四方ほどの小さな庵室。
「長時不斷の御念佛」
絶え間なく唱え続ける念仏。
「さていかにやいかに」
さて、どうであったか、どうであった。
「七重寶樹」
極楽浄土に七重に並ぶという宝の樹。
「八功德水」
極楽の池に満ちる、八つの功徳をそなえた水。
「承陽殿」「長秋宮」
いずれも中国の宮殿の名で、皇后の御殿を指す。女院が中宮であったころの暮らしにたとえる。

和歌

岩根ふみ誰かは訪はむ楢の葉のそよぐは鹿のわたるなりけり

詠者
大納言佐の局
状況
寂光院の庵で、楢の落ち葉を踏む音に人の訪れかと驚いたところ、小鹿であったと知って詠んだ。

修辞

誰かは訪はむ
反語。こんな山奥に誰が訪ねて来ようか、誰も来はしない。
なりけり
気づきの「けり」。鹿だったのだと今わかった。

解説

寂光院(京都市左京区大原)は聖徳太子の創建と伝える天台宗の尼寺で、建礼門院がここに隠棲したことで知られる。建礼門院の大原入りは、史実では文治元年(1185)の秋とされる。大納言佐の局は平重衡の妻(藤原輔子)で、安徳天皇の乳母を務めた人。七月の大地震は元暦二年(文治元年)七月九日の大地震で、巻第十二「大地震の事」に語られている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、855–858頁(コマ456–458)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日