古典ライブラリー

平家物語 巻第七

倶利伽羅おとしの事

礪波山で向き合った源平両軍は、鏑矢を射交わすだけで本格的な戦いをせずに日を暮らした。夜になると、背後に回った源氏の搦手が倶利伽羅の堂のあたりで鬨をあげ、前後四万余騎の喚声に平家は総崩れとなった。暗闇の中、平家の大軍は我先にと倶利伽羅が谷へなだれ落ち、七万騎で深い谷を埋めた。忠綱・景高・秀国らが谷底に死に、瀬尾兼康は生け捕られ、内通した斎明は斬られた。維盛・通盛はわずか二千余騎で加賀へ逃れた。義仲はさらに志保の山の平家を破り、知度を討ち取った。

  1. 1さるさるさる程ほど程ほどほどににに源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺい兩りやう兩りやうりょう方はう方はうほう陣ぢん陣ぢんじんをををあはすあはすあわす。。。陣ぢん陣ぢんじんのののあはひあはひあわい、、、わづかわづかわずか三さん三さんさん町ちやう町ちやうちょうばかりばかりばかりににに寄よ寄よよせせせあはせあはせあわせたりたりたり。。。源げん源げんげん氏じ氏じじももも進すゝ進すゝすすまままずずず、、、平へい平へいへい家け家けけももも進すゝ進すゝすすまままずずず。。。やゝやゝややあつあつあっててて源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかたよりよりより精せい精せいせい兵びやう兵びやうびょうをををすぐつすぐつすぐっててて十じふ十じふじゅう五ご五ごご騎き騎きき、、、楯たて楯たてたてののの面おもて面おもておもてににに進すゝ進すゝすすままませせせ、、、十じふ十じふじゅう五ご五ごご騎き騎ききががが上うは上うはうわ矢や矢ややののの鏑かぶら鏑かぶらかぶらををを、、、たゞたゞただ一いち一いちいち度ど度どどににに平へい平へいへい氏じ氏じじののの陣ぢん陣ぢんじんへへへぞぞぞ射い射いい入い入いいれれれたるたるたる。。。平へい平へいへい家け家けけももも十じふ十じふじゅう五ご五ごご騎き騎ききををを出いだ出いだいだいいいててて、、、十じふ十じふじゅう五ご五ごごののの鏑かぶら鏑かぶらかぶらををを射い射いい返かへ返かへかえさささすすす。。。源げん源げんげん氏じ氏じじ三さん三さんさん十じつ十じつじっ騎き騎ききををを出いだ出いだいだいいいててて、、、三さん三さんさん十じふ十じふじゅうののの鏑かぶら鏑かぶらかぶらををを射い射いいさすれさすれさすればばば、、、平へい平へいへい家け家けけももも三さん三さんさん十じつ十じつじっ騎き騎ききををを出いだ出いだいだいいいててて、、、三さん三さんさん十じふ十じふじゅうののの鏑かぶら鏑かぶらかぶらををを射い射いい返かへ返かへかえさささすすす。。。源げん源げんげん氏じ氏じじ五ご五ごご十じつ十じつじっ騎き騎ききををを出いだ出いだいだせせせばばば、、、平へい平へいへい家け家けけももも五ご五ごご十じつ十じつじっ騎き騎ききををを出いだ出いだいだししし、、、百ひやく百ひやくひゃく騎き騎ききををを出いだ出いだいだせせせばばば百ひやく百ひやくひゃく騎き騎ききををを出いだ出いだいだすすす。。。兩りやう兩りやうりょう方はう方はうほう百ひやく百ひやくひゃく騎き騎ききづゝづゝずつ陣ぢん陣ぢんじんののの面おもて面おもておもてににに進すゝ進すゝすすままませせせ、、、互たがひ互たがひたがいににに勝しよう勝しようしょう負ぶ負ぶぶをををせせせんんんとととはははやりやりやりけるけるけるををを、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかたよりよりより制せい制せいせいしししててて、、、わざとわざとわざと勝しよう勝しようしょう負ぶ負ぶぶをををばばばせせせさせさせさせずずず。。。かやうかやうかようにににあひしらひあひしらひあいしらい、、、日ひ日ひひををを待ま待ままちちち暮くら暮くらくらししし、、、夜よ夜よよににに入い入いいつつっててて平へい平へいへい家け家けけののの大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいををを、、、後うしろ後うしろうしろののの倶く倶くく利り利りり伽か伽かか羅ら羅ららががが谷たに谷たにたにへへへ追お追おおひひい落おと落おとおとさささんんんとととたばかりたばかりたばかりけるけるけるををを、、、平へい平へいへい家け家けけこれこれこれをををばばば夢ゆめ夢ゆめゆめにににももも知し知ししらららずずず、、、共とも共ともともにににあひしらひあひしらひあいしらい、、、日ひ日ひひををを待ま待ままちちち暮くら暮くらくらすすすこそこそこそはかなけれはかなけれはかなけれ。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに北きた北きたきた南みなみ南みなみみなみよりよりより廻まは廻まはまわるるる搦からめ搦からめからめ手て手ててののの勢せい勢せいせい一いち一いちいち萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、倶く倶くく利り利りり伽か伽かか羅ら羅ららののの堂だう堂だうどうののの邊へん邊へんへんににに廻まは廻まはまわりりりあひあひあい、、、箙えびら箙えびらえびらののの方はう方はうほう立だて立だてだてうちうちうちたゝきたゝきたたき、、、鬨とき鬨ときときをををどつどつどっとととぞぞぞ作つく作つくつくりりりけるけるける。。。平へい平へいへい家け家けけ後うしろ後うしろうしろををを顧かへり顧かへりかえりみみみ給たま給たまたまへへえばばば、、、白しら白しらしら旗はた旗はたはた雲くも雲くもくもののの如ごと如ごとごとくくくにににさしさしさしあげあげあげたりたりたり。。。このこのこの山やま山やまやまははは四し四しし方はう方はうほう巖がん巖がんがん石じやく石じやくじゃくででであるあるあるなれなれなればばば、、、搦からめ搦からめからめ手て手ててよもよもよも廻まは廻まはまわらららじじじとととこそこそこそ思おも思おもおもひひいつるつるつるににに、、、こここはははいかにいかにいかにとととぞぞぞ騒さわ騒さわさわがががれれれけるけるける。。。
  3. 3さるさるさる程ほど程ほどほどににに大おほ大おほおお手て手ててよりよりより木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの一いち一いちいち萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、鬨とき鬨ときときののの聲こゑ聲こゑこえををを合あ合ああははわせせせ給たま給たまたまふふう。。。礪と礪とと竝なみ竝なみなみ山やま山やまやまののの裾すそ裾すそすそ、、、松まつ松まつまつ長なが長ながながののの柳やなぎ柳やなぎやなぎ原はら原はらはら、、、茱ぐ茱ぐぐ萸み萸みみののの木き木きき林ばやし林ばやしばやしににに引ひき引ひきひき隱かく隱かくかくしししたりたりたりけるけるける一いち一いちいち萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、日ひ日ひひののの宮みや宮みやみや林ばやし林ばやしばやしににに控ひか控ひかひかへへえたるたるたる今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろうののの六ろく六ろくろく千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎ききももも、、、同おな同おなおなじうじうじゅう鬨とき鬨ときときののの聲こゑ聲こゑこえをををぞぞぞ合あ合ああははわせせせけるけるける。。。前ぜん前ぜんぜん後ご後ごご四し四しし萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききがががをめくをめくおめく聲こゑ聲こゑこえににに、、、山やま山やまやまももも河かは河かはかはももも、、、たゞたゞただ一いち一いちいち度ど度どどににに崩くづ崩くづくずるゝるゝるるとととこそこそこそ聞きこ聞きこきこえええけれけれけれ。。。
  4. 4さるさるさる程ほど程ほどほどににに次し次しし第だい第だいだいににに闇くら闇くらくろうううはははなるなるなる、、、前ぜん前ぜんぜん後ご後ごごよりよりより敵かたき敵かたきかたきははは攻せ攻せせめめめ來く來くくるるる、、、きたなしきたなしきたなしややや、、、返かへ返かへかえせせせや〳〵や〳〵やかえせやととといふいふいうやからやからやから多おほ多おほおおかりかりかりけれけれけれどもどもども、、、大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜいののの傾かたぶ傾かたぶかたぶききき立た立たたつつったるたるたるははは、、、さうなうさうなうそうのう取と取ととつつっててて返かへ返かへかえすすすことことことののの難かた難かたかたけれけれければばば、、、平へい平へいへい家け家けけののの大おほ大おほおお勢ぜい勢ぜいぜい後うしろ後うしろうしろののの倶く倶くく利り利りり伽か伽かか羅ら羅ららががが谷たに谷たにたにへへへ、、、われわれわれ先さき先さきさきにににとととぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。先さき先さきさきににに落おと落おとおとしししたるたるたる者もの者ものものののの見み見みみえええねねねばばば、、、このこのこの谷たに谷たにたにののの底そこ底そこそこにににももも道みち道みちみちのののあるあるあるにににこそこそこそとてとてとて、、、親おや親おやおや落おと落おとおとせせせばばば子こ子ここももも落おと落おとおとししし、、、兄あに兄あにあにががが落おと落おとおとせせせばばば弟おとと弟おととおととももも落おと落おとおとししし、、、主しゆう主しゆうしゅう落おと落おとおとせせせばばば家いへ家いへいえののの子こ子ここ、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどうももも續つゞ續つゞつづきききけりけりけり。。。馬むま馬むまうまにににははは人ひと人ひとひと、、、人ひと人ひとひとにににははは馬むま馬むまうま、、、落お落おおちちち重かさ重かさかさなり〳〵なり〳〵なりかさなり、、、さばかりさばかりさばかり深ふか深ふかふかききき谷たに谷たにたに一ひと一ひとひとつつつををを、、、平へい平へいへい家け家けけののの勢せい勢せいせい七しち七しちしち萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎでででぞぞぞ埋うづ埋うづうずめめめたりたりたりけるけるける。。。澗かん澗かんかん泉せん泉せんせん血ち血ちちををを流なが流ながながししし、、、死し死しし骸がい骸がいがい岡をか岡をかをかををを爲な爲ななせせせりりり。。。さればさればさればこのこのこの谷たに谷たにたにのののほとりほとりほとりにににははは、、、矢や矢ややののの穴あな穴あなあな、、、刀かたな刀かたなかたなののの疵きず疵きずきず、、、殘のこ殘のこのこつつっててて今いま今いまいまにににありありありとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。
  5. 5平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらい大たい大たいたい將しやう將しやうしょう上總かづさ上總かづさかずさののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん忠たゞ忠たゞただ綱つな綱つなつな、、、飛ひ飛ひひ驒だ驒だだののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん景かげ景かげかげ高たか高たかたか、、、河かう河かうこう内ち内ちちののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん秀ひで秀ひでひで國くに國くにくにももも、、、このこのこの谷たに谷たにたにののの底そこ底そこそこににに埋うづも埋うづもうずもれれれてててぞぞぞ失う失ううせせせにににけるけるける。。。またまたまた備びつ備びつびっ中ちゆう中ちゆうちゅうののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん瀨せの瀨せのせの尾を尾をおののの太た太たた郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね康やす康やすやすははは、、、聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる兵つはもの兵つはものつわものにににありありありけれけれけれどもどもども、、、運うん運うんうんややや盡つ盡つつきききにににけんけんけん、、、加か加かか賀が賀ががののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん倉くら倉くらくら光みつ光みつみつののの次じ次じじ郎らう郎らうろう成なり成なりなり澄ずみ澄ずみずみががが手て手ててにににかゝつかゝつかかっててて、、、生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににこそこそこそせせせられられられけれけれけれ。。。またまたまた越ゑち越ゑちえち前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに燧ひうち燧ひうちひゅうちががが城じやう城じやうじょうにてにてにて返かへり返かへりかえり忠ちう忠ちうちゅうしししたりたりたりけるけるける平へい平へいへい泉せん泉せんせん寺じ寺じじののの長ちやう長ちやうちょう吏り吏りり齋さい齋さいさい明めい明めいめい威ゐ威ゐい儀ぎ儀ぎぎ師し師ししももも、、、捕とら捕とらとらははわれれれててて出い出いいででで來く來くくるるる。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの、、、「「「そのそのその法ほふ法ほふほう師し師ししはははあまりあまりあまりににに憎にく憎にくにくきききににに、、、まづまづまず斬き斬ききれれれ。。。」」」とてとてとて斬き斬ききらららせせせらるらるらる。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう維これ維これこれ盛もり盛もりもり、、、通みち通みちみち盛もり盛もりもり、、、希け希けけ有う有ううにににしてしてして加か加かか賀が賀ががののの國くに國くにくにへへへ引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。七しち七しちしち萬まん萬まんまん騎ぎ騎ぎぎががが中なか中なかなかよりよりより僅わづか僅わづかわずかににに二に二にに千せん千せんせん餘よ餘よよ騎き騎ききこそこそこそ遁のが遁のがのがれれれたれたれたれ。。。
  6. 6同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう二に二にに日にち日にちにち、、、奧おく奧おくおくののの秀ひで秀ひでひで衡ひら衡ひらひらがががもともともとよりよりより、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのへへへ龍りよう龍りようりょう蹄てい蹄ていてい二に二にに匹ひき匹ひきひき奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。一いつ一いついっ匹ぴき匹ぴきぴきははは白しら白しらしら月つき月つきつき毛げ毛げげ、、、一いつ一いついっ匹ぴき匹ぴきぴきははは連れん連れんれん錢ぜん錢ぜんぜん葦あし葦あしあし毛げ毛げげなりなりなり。。。やがてやがてやがてこのこのこの馬むま馬むまうまににに鏡かゞみ鏡かゞみかがみ鞍くら鞍くらくら置お置おおいいいててて、、、白しら白しらしら山やま山やまやまののの社やしろ社やしろやしろへへへ神じん神じんじん馬め馬めめににに立た立たたてててらるらるらる。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの今いま今いまいまははは思おも思おもおもふふう事こと事ことことなしなしなしとてとてとておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、但たゞ但たゞただししし叔を叔をお父ぢ父ぢじののの十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人うど人うどうど殿どの殿どのどのののの志し志しし保ほ保ほほののの戰たゝかひ戰たゝかひたたかいこそこそこそおぼつかなけれおぼつかなけれおぼつかなけれ。。。いざいざいざややや行ゆ行ゆゆいいいててて見み見みみんんんとてとてとて、、、四し四しし萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききががが中なか中なかなかよりよりより馬むま馬むまうまややや人ひと人ひとひとをををすぐつすぐつすぐっててて、、、二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききででで馳は馳ははせせせ向むか向むかむかふふう。。。こゝこゝここににに氷ひ氷ひひ見み見みみののの湊みなと湊みなとみなとををを渡わた渡わたわたらららんんんとととししし給たま給たまたまひひいけるけるけるががが、、、折をり折をりおりふしふしふし潮しほ潮しほしお滿み滿みみちちちててて、、、深ふか深ふかふかさささ淺あさ淺あさあささささををを知し知ししらららざりざりざりけれけれければばば、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのまづまづまず謀はかりごと謀はかりごとはかりごとににに、、、鞍くら鞍くらくら置おき置おきおき馬うま馬うまうま十じつ十じつじっ匹ぴき匹ぴきぴきばかりばかりばかり追お追おおひひい入い入いいれれれられられられたりたりたりけれけれければばば、、、鞍くら鞍くらくらづめづめずめひたるひたるひたる程ほど程ほどほどにてにてにて、、、相さう相さうそう違ゐ違ゐいなくなくなく向むか向むかむかひひいののの岸きし岸きしきしにににぞぞぞ著つ著つつきききにににけるけるける。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのこれこれこれををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて「「「淺あさ淺あさあさかりかりかりけるけるけるぞぞぞ、、、渡わた渡わたわたせせせややや。。。」」」とてとてとて、、、二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききさつさつさっととと渡わた渡わたわたいいいててて見み見みみ給たま給たまたまへへえばばば、、、案あん案あんあんののの如ごと如ごとごとくくく十じふ十じふじゅう郎らう郎らうろう藏くら藏くらくら人うど人うどうど殿どの殿どのどのははは、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに驅か驅かかけけけなさなさなされれれ、、、引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞききき、、、人じん人じんじん馬ば馬ばばののの息いき息いきいきををを休やす休やすやすむるむるむる所ところ所ところところににに、、、新あら新あらあら手て手ててののの源げん源げんげん氏じ氏じじ二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、平へい平へいへい家け家けけ三さん三さんさん萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎ききががが中なか中なかなかへへへかけかけかけ入い入いいりりり、、、もみもみもみにににもうもうもうででで、、、火ひ火ひひ出い出いいづるづるずる程ほど程ほどほどにににぞぞぞ攻せ攻せせめめめたりたりたりけるけるける。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょう軍ぐん軍ぐんぐん三み三みみ河かは河かはかわののの守かみ守かみかみ知とも知ともとも度のり度のりのり討う討ううたたたれれれ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。これこれこれははは入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの末ばつ末ばつばっ子し子ししなりなりなり。。。そのそのその外ほか外ほかほか兵つはもの兵つはものつわもの多おほ多おほおおくくく亡ほろ亡ほろほろびびびにににけりけりけり。。。平へい平へいへい家け家けけそこそこそこをををももも追お追おおひひい落おと落おとおとささされれれててて、、、加か加かか賀が賀ががののの國くに國くにくにへへへ引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのははは志し志しし保ほ保ほほののの山やま山やまやまうちうちうち越こ越ここえええててて、、、能の能のの登と登ととののの小を小をお田だ田だだ中なか中なかなか、、、新しん新しんしん王わう王わうおうののの塚つか塚つかつかののの前まへ前まへまえにににぞぞぞ陣ぢん陣ぢんじんををを取と取ととるるる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうこうするうちに源平両軍は陣を合わせた。陣の間はわずか三町ほどまで寄せ合った。源氏も進まず、平家も進まない。しばらくして源氏の方から精兵を選んで十五騎を楯の前に進ませ、十五騎が上差しの鏑矢を一度に平氏の陣へ射こんだ。平家も十五騎を出して、十五の鏑矢を射返させた。源氏が三十騎を出して三十の鏑矢を射させると、平家も三十騎を出して三十の鏑矢を射返させた。源氏が五十騎を出せば平家も五十騎を出し、百騎を出せば百騎を出す。両軍百騎ずつを陣の前に進ませ、互いに勝負をしようと逸ったのを、源氏の方では制して、わざと勝負をさせなかった。このように相手をしながら日を暮らし、夜になってから平家の大軍を背後の倶利伽羅が谷へ追い落とそうと計略をめぐらしていたのを、平家はこれを夢にも知らず、ともに相手をして日を暮らしたのはあさはかなことであった。

そのうちに、北と南から回りこんだ搦手の軍勢一万余騎が、倶利伽羅の堂のあたりで落ち合い、箙の方立を打ち叩いて、鬨の声をどっとあげた。平家が後ろを振り返られると、白旗が雲のように差し上げられている。この山は四方が岩山なので、背後には回ってこないだろうと思っていたのに、これはどうしたことかと騒がれた。

そのうちに大手から木曾殿の一万余騎が鬨の声を合わせられた。礪波山のふもと、松長の柳原やぐみの木林に隠しておいた一万余騎、日の宮林に控えていた今井四郎の六千余騎も、同じく鬨の声を合わせた。前後四万余騎がわめく声に、山も川も一度に崩れるかと聞こえた。

そのうちにしだいに暗くなる。前後から敵は攻めて来る。「卑怯だぞ、引き返せ引き返せ」という者も多かったが、大軍が浮き足立ってしまうと、たやすく引き返すことはむずかしいので、平家の大軍は背後の倶利伽羅が谷へ我先にと落ちて行った。先に落ちた者が見えないので、この谷の底にも道があるのだろうといって、親が落ちれば子も落ち、兄が落ちれば弟も落ち、主人が落ちれば家の子・郎等も続いた。馬の上には人、人の上には馬と、落ち重なり落ち重なりして、あれほど深い谷一つを、平家の軍勢七万騎で埋めてしまった。谷川は血を流し、死骸は丘をなした。それでこの谷のあたりには、矢の穴や刀の傷が今も残っているとうかがっている。

平家の侍大将、上総大夫判官忠綱、飛驒大夫判官景高、河内判官秀国も、この谷の底に埋もれて死んでしまった。また備中国の住人瀬尾太郎兼康は名高い武士であったが、運が尽きたのであろうか、加賀国の住人倉光次郎成澄の手にかかって生け捕りにされた。また越前国の燧が城で寝返った平泉寺の長吏斎明威儀師も、捕らえられて引き出されて来た。木曾殿は「その法師はあまりに憎いから、まず斬れ」といって斬らせられた。大将の維盛と通盛はからくも加賀国へ退いた。七万騎の中からわずか二千余騎が逃れただけであった。

同じ十二日、奥州の秀衡のもとから、木曾殿へ名馬が二頭贈られた。一頭は白月毛、一頭は連銭葦毛である。すぐにこの馬に鏡鞍を置いて、白山の社へ神馬として奉納された。木曾殿は、今は思い残すことはないとしておられたが、「ただし叔父の十郎蔵人殿の志保の戦いが気がかりだ。さあ行って見よう」といって、四万余騎の中から馬も人も選りすぐって、二万余騎で駆けつけた。そこで氷見の湊を渡ろうとされたが、折しも潮が満ちて、深いか浅いかがわからなかったので、木曾殿はまず計略として、鞍を置いた馬を十頭ほど追い入れられたところ、鞍の下端が水につかるほどで、無事に向こう岸に着いた。木曾殿はこれをご覧になって、「浅いぞ、渡せ」といって、二万余騎がさっと渡ってご覧になると、案の定、十郎蔵人殿はさんざんに駆け散らされて退き、人馬の息を休めているところであった。そこへ新手の源氏二万余騎が平家三万余騎の中へ駆け入り、もみにもんで、火が出るほどに攻めた。大将軍の三河守知度は討たれなさった。これは入道相国の末子である。そのほか兵も多く死んだ。平家はそこからも追い落とされて、加賀国へ退いた。木曾殿は志保の山を越えて、能登の小田中、新王の塚の前に陣を取った。

意訳

『平家物語』屈指の合戦場面、倶利伽羅峠の戦いを描く章段である。義仲は昼の間は小競り合いで時間をかせぎ、夜になってから搦手を背後に回して前後から鬨をあげさせた。

暗闇の中で総崩れとなった平家の大軍は、道があるものと思って倶利伽羅が谷へなだれ落ち、七万騎で谷を埋めたという。「馬には人、人には馬、落ち重なり重なり」という表現は、その凄惨さを伝えている。この大敗によって、平家は北陸道での勢力を失った。

語釈・文法注

文法

「すぐつて」
選りすぐって。
「きたなしや」
卑怯だぞ。逃げる味方をののしる言葉。
「さうなう」
たやすく。
「返忠」
寝返ること。
「もみにもうで」
もみにもんで。激しく攻め立てるさま。

解説

倶利伽羅峠の戦い(礪波山の戦い)は寿永二年(1183)五月十一日の夜の戦いである。義仲が牛の角に松明を結びつけて平家の陣へ放ったという「火牛の計」の話は、『源平盛衰記』に見えるもので、『平家物語』の覚一本や流布本には見えない。この大勝によって義仲は北陸道を制し、京への道を開いた。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、560–562頁(コマ309–310)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日