蜻蛉日記 上巻 第14章
初瀬詣
安和元年(968)九月、作者は長年の願いだった初瀬(長谷寺)参詣にひそかに出かける。宇治の院で網代を眺め、泉河を渡り、橋寺・椿市に泊まる道中、目に映る人々や景色に心を動かされる。椿市には兼家から迎えを案じる手紙が届き、初瀬では盲人の祈る声に涙を流す。
- 1かくかくかくててて、、、年年とし頃頃ごろ願願がんあるあるあるをををいかでいかでいかで泊泊はつにににととと思思おもひひい立立たつつつををを、、、むむむ月月つきにににととと思思おもふふうをををさすがさすがさすがににに心心こころにににしししまかせまかせまかせねねねばばばからうじてからうじてかろうじて九月九月くがつににに思思おもひひい立立たつつつ。。。たゞたゞただむむむ月月つきにににははは大大だい嘗嘗じょうののの御御おおんけいけいけいこれこれこれよりよりより女女にょうご御御ご御御おおんたいたいたいいでいでいでたゝるたゝるたたるべしべしべし。。。これこれこれ過過すぐしぐしぐしててて諸諸もろ共共ともにににやややはははとととあれあれあれどどど、、、我我わががが方方かたののの事事ことにににしししあらあらあらねねねばばば、、、忍忍しのびびびててて思思おもひひい立立たちちちててて日日ひ惡惡あしけれしけれしければばば門門かど出出でばかりばかりばかり法法ほう正正しょう寺寺じのののべべべにににしししててて、、、曉曉あかつきよりよりより出出いででで立立たちちちてててうまうまうまののの時時ときばかりばかりばかりににに宇宇う治治じののの院院いんににに至至いたりりりつゝつゝつつ見見みやれやれやればばば、、、木木こののの間間まよりよりより水水みずのののおもておもておもてつやゝかつやゝかつややかにににててていといといと哀哀あわれなるなるなる心心ここちちちすすす。。。忍忍しのびやかびやかびやかにににととと思思おもひひいててて人人ひとあまたあまたあまたもももなうなうのうててて出出いででで立立たちちちたるたるたるももも、、、我我わががが心心こころののの怠怠おこたりりりにににはははあれあれあれどどど、、、我我われならならならぬぬぬ人人ひとなりなりなりせせせばばばいかにいかにいかにのゝしりのゝしりののしりてててととと覺覺おぼゆゆゆ。。。車車くるまさしさしさしまはしまはしまわしててて幕幕まくなどなどなど引引ひきききててて、、、しりしりしりなるなるなる人人ひとばかりばかりばかりををを下下おろしししてててかはりかはりかわりににに向向むかへへえてててすだれすだれすだれ卷卷まきききあげあげあげててて見見みれれればばば網網あとてとてとてにににししし渡渡わたしししたりたりたり。。。行行ゆきききかふかふかう舟舟ふねとてとてとてあまたあまたあまた見見みざりざりざりししし事事ことなれなれなればばば、、、すべてすべてすべてあはれあはれあわれにににをかしをかしおかし。。。しかしかしかののの方方かたををを見見みれれればばば來來きこうじこうじこうじたるたるたるげすげすげすどもどもどもあしげあしげあしげなるなるなるゆゆゆややや梨梨なしやややなどなどなどをををなつかしげなつかしげなつかしげにににもたりもたりもたりててて食食くひひいなどなどなどするするするももも哀哀あわれににに見見みゆゆゆ。。。わりにわりにわりになどなどなどものものものしししててて舟舟ふねににに車車くるま搔搔かきききすゑすゑすえててて急急いそぎぎぎもてもてもていけいけいけばばば、、、にへにへにへのののゝゝの池池いけ泉泉いずみ河河がわなどなどなどいひいひいいつゝつゝつつもりもりもりどてどてどて居居いなどなどなどしししたるたるたるももも心心こころにににしみしみしみててて哀哀あわれにににをかしうをかしうおかしゅう覺覺おぼゆゆゆ。。。かいかいかい忍忍しのびやかびやかびやかなれなれなればばば萬萬よろずにににつけつけつけててて淚淚なみだもろくもろくもろく覺覺おぼゆゆゆ。。。そのそのその泉泉いずみ河河がわもももわたりわたりわたりててて橋橋はし寺寺でらととといふいふいう所所ところにににとまりとまりとまりぬぬぬ。。。酉酉とりののの時時ときばかりばかりばかりにににおりおりおりててて休休やすみみみたれたれたればばば、、、はたはたはたにににとしとしとしろろろととと思思おぼしきしきしきるるるたたたよりよりより切切きり大大おお根根ねものしものしものしなしなしなしてててあへしらひあへしらひあえしらいてててまづまづまず出出いだしししたりたりたり。。。かゝるかゝるかかる旅旅たび立立だちちちたるたるたるわざわざわざどもどもどもをををしししたりたりたりしししこそこそこそあやしうあやしうあやしゅう忘忘わすれれれがたうがたうがとうをかしかりをかしかりおかしかりしかしかしか。。。
- 2明明あくれくれくればばば川川かは渡渡わたりりりててていくいくいくににに柴柴しば垣垣がきしししわたしわたしわたしてててあるあるある家家いえどてどてどてををを見見みるるるににに、、、いづれいづれいずれならならならむむんよよよもももののの物物もの語語がたりののの家家いえなどなどなど思思おもひひいいくいくいくにににいといといとぞぞぞ哀哀あわれなるなるなる。。。今日今日きょうももも寺寺てらめくめくめく所所ところにににとまりとまりとまりててて又又またののの日日ひはははととといふいふいう所所ところにににとまるとまるとまる。。。又又またののの日日ひ霜霜しものののいといといと白白しろきききににに、、、詣詣もうでででもももららら歸歸かえりりりもももするするするなめりなめりなめり。。。脛脛はぎををを布布ぬのののの端端はししししててて引引ひきききめぐらかしめぐらかしめぐらかしたるたるたるものものものどてどてどてありきありきありきちがひちがひちがい騷騷さわぐぐぐめりめりめりしししとみとみとみさしさしさしあげあげあげたるたるたる所所ところににに宿宿やどりりりててて、、、湯湯ゆわしわしわしなどなどなどするするする程程ほどににに見見みれれればばばさまざまさまざまさまざまなるなるなる人人ひとのののいきいきいきちがふちがふちがう、、、おのおのおのがががじゝじゝじしははは思思おもふふう事事ことこそこそこそはははあらあらあらめめめととと見見みゆゆゆ。。。とととばかりばかりばかりあれあれあればばば文文ふみ捧捧ささげげげてててくるくるくる者者ものありありあり。。。そこそこそこにににとまりとまりとまりててて「「「御御おおん文文ふみ」」」ととといふいふいうめりめりめり。。。見見みれれればばば「「「昨日昨日きのう今日今日きょうののの程程ほど何何なに事事ごとかかかいといといと覺覺おぼ束束つかなくなくなくなむなむなん人人ひと少少すくなななにににててて物物ものしししにににししし。。。いかゞいかゞいかがいひいひいいしししやうやうようににに三三み夜夜よきききぶらはぶらはぶらわむむんずるずるずるかかか。。。歸歸かえるるるべからべからべからむむん日日ひ聞聞ききききててて迎迎むかへへえにににだにだにだに」」」とととぞぞぞあるあるある。。。返返かえりごとごとごとにににははは「「「つばつばつば市市いちととといふいふいうまでまでまでははは平平たいらかかかににになむなむなん。。。かゝるかゝるかかるついでついでついでにににこれこれこれよりよりよりももも深深ふかくくくととと思思おもへへえばばば歸歸かえらららむむん日日ひをををえええこそこそこそ聞聞きこえええ定定さだめめめねねね」」」ととと書書かきききつつつ。。。「「「こそこそこそにににててて猶猶なお三日三日みつか作作さ給給たまふふう事事こと、、、いといといとびんびんびんなしなしなし」」」などなどなど定定さだむるむるむるををを、、、使使つかい聞聞ききききててて歸歸かえりりりぬれぬれぬればばば、、、それそれそれよりよりより立立たちちちててていきいきいきもてもてもていけいけいけるるるははは、、、なでふなでふなでう事事ことなきなきなき道道みちももも山山やま深深ぶかきききこゝちこゝちここちすれすれすればばば、、、いといといとあはれあはれあわれににに、、、水水みずののの聲聲こえももも例例れいににに過過すぎぎぎもともともと有有ありさしさしさしももも立立たちちちわたりわたりわたり木木こののの葉葉はははは色色いろ々々いろににに見見みえええたりたりたり。。。水水みずははは石石いしがちがちがちなるなるなるなかなかなかよりよりより湧湧わきききかへりかへりかえり行行ゆくくく。。。夕夕ゆう日日ひのののさしさしさしたるたるたるさまさまさまなどなどなどををを見見みるるるににに淚淚なみだももも留留とどまらまらまらずずず。。。道道みちははは殊殊ことにににをかしくをかしくおかしくもももあらあらあらざりざりざりつつつ。。。紅紅もみ葉葉じもももまだしまだしまだし。。。花花はなももも皆皆みな失失うせせせにににたりたりたり。。。をれをれおれたるたるたる薄薄すすきばかりばかりばかりぞぞぞ見見みえええつるつるつる。。。こゝこゝここはははいといといと心心こころことことことににに見見みゆれゆれゆればばばすだれすだれすだれ卷卷まきききあげあげあげててて下下した簾簾すだれ垂垂たれおしおしおしはさみはさみはさみててて見見みれれればばば、、、着着きなやしなやしなやしたるたるたる物物ものののの色色いろもももあらあらあらぬぬぬやうやうようににに見見みゆゆゆ。。。薄薄うす色色いろなるなるなるうすうすうすものゝものゝものの裳裳もををを引引ひきききかくれかくれかくればばば、、、こしこしこしなどなどなどちりちりちりてててこがれこがれこがれたるたるたるくちくちくち葉葉ばにににあひあひあいたるたるたる心心ここちちちもももいといといとをかしうをかしうおかしゅう覺覺おぼゆゆゆ。。。かたゐかたゐかたいどもどもどものののつきつきつきなべなべなべなどなどなど居居すゑゑえてててをるをるおるもももいといといと悲悲かなししし。。。げすげすげすぢかぢかじかなるなるなる心心ここちちちしししててて生生いけけけおとりおとりおとりしししてててぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。ねぶりねぶりねぶりもももせせせられられられずずずいそがしからいそがしからいそがしからねねねばばば、、、つくづくつくづくつくづくととと聞聞きけけけばばば目目めももも見見みえええぬぬぬ者者もののののいみじげいみじげいみじげにににしもしもしもあらあらあらぬぬぬががが、、、思思おもひひいけるけるける事事ことどもどもどもををを人人ひとややや聞聞きくくくらむらむらんともともとも思思おもははわずずずのゝしりのゝしりののしり申申もうすすすををを聞聞きくくくももも哀哀あわれにににててて唯唯ただ淚淚なみだのみのみのみぞぞぞこぼるゝこぼるゝこぼるる。。。
- 3かくかくかくててて今今いましばししばししばしあらあらあらばばばやややととと思思おもへへえどどど明明あくれくれくればばばのゝしりのゝしりののしりててて出出いだししし立立たつつつ。。。かへさかへさかえさははは忍忍しのぶれぶれぶれどどどこゝこゝここかしこかしこかしこあるじあるじあるじしししつゝつゝつつとゞむれとゞむれとどむればばば、、、物物ものさわがしうさわがしうさわがしゅうててて過過すぎぎぎ行行ゆくくく。。。三日三日みつかととといふいふいうににに京京きょうにににつきつきつきぬぬぬべけれべけれべけれどどど、、、いたういたういとう暮暮くれれれぬぬぬとてとてとて山山やま城城しろののの國國くに久久く世世せのののみやけみやけみやけととといふいふいう所所ところにににとまりとまりとまりぬぬぬ。。。
現代語訳
こうして、長年の願いがあるので、何とかして初瀬にと思い立っていたのを、正月にと思っていたけれど、やはり思うにまかせないので、やっと九月に思い立つ。あの人は、「ちょうど来月(十月)には大嘗会の御禊がある。こちら(の家)からも女御代が出立するはずだ。それを過ごしてから一緒に行こう」と言うけれど、私の方のことではないので、ひそかに思い立って、日が悪いので門出だけを法性寺のあたりでして、明け方に出発して、午の刻ごろに宇治の院に着いて見やると、木の間から川の水面がつやつやと光って、たいそうしみじみとした気持ちがする。人目に立たないようにと思って、供もあまり連れずに出立したのも、私の心の至らなさではあるけれど、私でない人だったら、どんなに大騒ぎをして出かけたことだろうと思われる。車の向きを変えて幕などを引いて、後ろに乗っている人だけを降ろして、川の方に向けて簾を巻き上げて見ると、網代が一面に渡してある。行き交う舟なども、たくさん見たことはなかったので、すべてがしみじみと趣深い。後ろの方を見ると、歩き疲れた下人たちが、粗末な柚子や梨などを大事そうに持って食べたりしているのも、哀れに見える。破籠(弁当)などを食べて、舟に車を担ぎ乗せて急いで行くと、贄野の池、泉河などと言いながら、鳥が群れているのも心にしみて、しみじみと趣深く思われる。人目を忍んでいるので、何かにつけて涙もろく思われる。その泉河も渡って、橋寺という所に泊まった。酉の刻ごろに降りて休んでいると、旅の宿の主人と思われる人が、切大根を料理して、柚子の汁であえて、まず出してくれた。こんな旅先ならではのことをしてもらったのが、不思議に忘れがたく、おもしろかった。
夜が明けると、川を渡って行くと、柴垣をめぐらしてある家々を見て、どれが昔の物語の家だろうなどと思いながら行くのは、たいそうしみじみとする。今日も寺らしい所に泊まって、翌日は椿市という所に泊まる。その翌日、霜がたいそう白い中を、参詣する人も帰る人もいるようだ。脛を布の端で巻いた者たちが、行き違って騒いでいるようだった。蔀を上げた所に宿って、湯を沸かしたりしているうちに見ると、さまざまな人が行き交っていて、それぞれに思うことがあるのだろうと見える。しばらくすると、手紙を捧げ持って来る者がいる。そこに止まって、「お手紙です」と言うようだ。見ると、「昨日今日の様子はどうか、たいそう気がかりだ。供も少なくて出かけたのだから。どうだ、言っていたように三晩籠もるつもりか。帰る日を聞いて、迎えにだけでも」とある。返事には、「椿市という所までは無事でございます。この機会に、ここからさらに奥へと思いますので、帰る日はまだ決めかねています」と書いた。「あそこでさらに三日も籠もりなさるのは、たいそう不都合なことです」などと供の者たちが相談するのを、使いが聞いて帰ったので、それから出発して行くと、何ということもない道も山深い気がして、たいそうしみじみとして、水の音も格別で、霧も立ちこめ、木の葉は色とりどりに見えた。水は石の多い間からわき返って流れて行く。夕日が差している様子などを見ると、涙もとまらない。道中はそれほど趣深くもなかった。紅葉もまだだし、花もみな散ってしまっていた。枯れて折れた薄ばかりが見えた。ここは格別趣深く見えるので、簾を巻き上げ、下簾を挟んで見ると、着古した衣の色も、色とは見えないほどだ。薄紫色の薄物の裳を引きかけると、腰のあたりが散って、焦げ色の朽葉色と合っている感じも、たいそうおもしろく思われる。乞食たちが坏や鍋などを据えて座っているのも、たいそう悲しい。下々の者に近づいた気がして、来たことが期待はずれに思われる。眠ることもできず、忙しいこともないので、じっと耳を澄ますと、目の見えない者で、ひどくみすぼらしいわけでもない人が、心に思っていることを人が聞くだろうとも思わずに、大声で仏に申し上げているのを聞くのも哀れで、ただ涙ばかりがこぼれる。
こうして、もうしばらくいたいと思うけれど、夜が明けると大騒ぎをして出発させる。帰り道は人目を忍んでいたけれど、あちこちでもてなしては引き止めるので、慌ただしく過ぎて行く。三日目には京に着くはずだったけれど、ひどく日が暮れてしまったというので、山城の国、久世の御宅という所に泊まった。
意訳
〔旅立ち〕長年の願いだった初瀬詣でを、作者は兼家の「大嘗会が済んでから一緒に」という言葉を待たずに、ひそかに決行する。夫に頼らず自分の意志で旅に出たことは、作者にとって大きな一歩であった。
〔道中の景色〕宇治川の網代、行き交う舟、柚子や梨を食べる下人たち、宿の主人がもてなしてくれた切大根。日ごろ家にこもる作者の目に映る旅先の風景は、どれも新鮮で、作者は「あやしう忘れがたうをかしかりしか」と書く。上巻の終わり近くに置かれたこの紀行文は、作者の観察眼と、旅による心の解放を伝えている。
〔初瀬の祈り〕椿市に届いた兼家の手紙は、帰る日を聞いて迎えに行きたいというものだった。初瀬では、乞食たちの姿や、目の見えない人が人目もかまわず大声で祈る声に、作者は自分の悩みの小ささと、人それぞれの苦しみを感じて涙を流す。
語釈・文法注
- 泊瀨
- 初瀬(長谷)。大和国(今の奈良県桜井市)の長谷寺。十一面観音を本尊とし、平安時代の女性たちの信仰を集めた。『源氏物語』の玉鬘も参詣している。
- 大嘗會
- 大嘗会。天皇の即位後に初めて行う新嘗祭。その前の十月に、天皇が賀茂川で禊をする御禊があり、女御代(女御の代わりを務める女性)が行列に加わった。安和元年(968)は冷泉天皇の大嘗会の年。
- 網代
- 川の瀬に竹や木を組んで仕掛け、魚を捕る設備。宇治川の網代は氷魚をとるもので、秋冬の宇治の名物だった。
- つばち
- 椿市(つばいち)。初瀬の手前にあった市で、長谷寺の参詣者が泊まった。のちの本文では「つば市」と書く。
文法
- 「大嘗會の御けいこれより女御御たいいでたゝるべし」
- 底本どおり。注記に「御禊」「女御代」などの異文がある。御禊の行列に、こちら(兼家の家)から女御代が出るはずだ、の意に解する。
- 「法正寺」
- 底本どおり。法性寺(ほっしょうじ)。京の東南、九条にあった藤原氏の寺。
- 「網代とてにし渡したり」
- 底本の注記に「も」の異文があり、「網代ども、し渡したり」と解する。
- 「しかの方」
- 底本どおり。注記に「り」の異文があり、「しりの方」(後ろの方)と解する。
- 「わりに」
- 底本どおり。注記に「ご」の脱字かとあり、「わりご(破籠、弁当)」と解する。
- 「にへのゝ池」
- 贄野の池。山城国綴喜郡(今の京都府京田辺市あたり)にあった池。
- 「もりどて居などしたる」
- 底本どおり。注記に「鳥」の異文があり、鳥どもが群れている、の意に解する。
- 「はたにとしろと思しきる」
- 底本どおり。注記に「はたご所」の異文があり、旅籠(宿)の主人と思われる人、の意に解する。
- 「三夜きぶらはむずるか」
- 底本どおり。注記に「さ」の異文があり、「三夜さぶらはむずるか」(三晩籠もるつもりか)と解する。
- 「こそにて猶三日作給ふ事」
- 底本どおり。注記に「かし」「さぶらひ」などの異文がある。そこでさらに三日籠もりなさること、の意に解する。
- 「過ぎもと有さしも」
- 底本どおり。注記に「霧はイ」とあり、「過ぎ、霧はさしも立ちわたり」の意に解する。
解説
安和元年(968)九月、作者は初瀬(長谷寺)に参詣した。京から初瀬までは、宇治・泉河(木津川)・奈良を経て、片道三日ほどの旅である。平安時代の女性にとって、長谷寺や石山寺への参詣は、信仰とともに、日常を離れて心を解き放つ貴重な旅であった。
この章は、上巻の中でも最も紀行文らしい部分である。宇治川の網代、柴垣の家々、宿のもてなし、乞食や盲人の姿など、作者の目は都の外の人々の暮らしにも向けられている。「げすぢかなる心ちして」と書くように、身分の低い人々に近づいた戸惑いもあるが、同時に、それぞれの人が「思ふ事」を抱えていることへの共感も見られる。
兼家は、大嘗会の準備で忙しいなか、作者の身を案じて手紙をよこし、帰りには宇治まで迎えに出る(第15章)。旅先での兼家の気づかいは、夫婦の関係がまだ穏やかであったことを示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、58–60頁(コマ32–33)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日