土佐日記 第3章
那波の泊から室津へ
正月九日、一行はついに大湊を漕ぎ出し、国境まで見送ってきた人々とも別れる。宇多の松原の鶴を眺め、夜の海を船頭まかせに進み、船頭たちの舟歌に心をなごませる。十一日、「羽根」という地名を聞いた子どもの言葉から、亡き娘への思いがまたよみがえる。

- 1九日九日ここのか、、、つとめてつとめてつとめて大大おお湊湊みなとよりよりより那那な波波はののの泊泊とまりをををおはおはおわむむんとてとてとて漕漕こぎぎぎ出出いでででにににけりけりけり。。。これこれこれかれかれかれ互互たがいににに國國くにののの境境さかいののの內內うちはははとてとてとて見見みおくりおくりおくりにににくるくるくる人人ひと數數あま多多たががが中中なかににに藤藤ふじ原原はらのののときときときざねざねざね、、、橘橘たちばなののの季季すえ衡衡ひら、、、長長は谷谷せ部部べののの行行ゆき政政まさ等等らなむなむなんみたちみたちみたちよりよりより出出いでででたうびたうびとうびししし日日ひよりよりより此所此所ここ彼所彼所かしこにににおひおひおいくるくるくる。。。このこのこの人人ひと々々びとぞぞぞ志志こころざしあるあるある人人ひとなりなりなりけるけるける。。。このこのこの人人ひと々々びとののの深深ふかききき志志こころざしはははこのこのこの海海うみにににははは劣劣おとらららざるざるざるべしべしべし。。。
- 2これこれこれよりよりより今今いまははは漕漕こぎぎぎ離離はなれれれててて往往ゆくくく。。。これこれこれををを見見み送送おくらららむむんとてとてとてぞぞぞこのこのこの人人ひとどもどもどもははは追追おひひいきききけるけるける。。。かくかくかくててて漕漕こぎぎぎ行行ゆくくくまにまにまにまにまにまに海海うみののの邊邊ほとりにににとまれとまれとまれるるる人人ひとももも遠遠とおくくくなりなりなりぬぬぬ。。。船船ふねののの人人ひとももも見見みえええずずずなりなりなりぬぬぬ。。。岸岸きしにににもももいふいふいう事事ことあるあるあるべしべしべし、、、船船ふねにににももも思思おもふふうことことことあれあれあれどどどかひかひかいなしなしなし。。。かゝれかゝれかかれどどどこのこのこの歌歌うたををを獨獨ひとり言言ごとにににしししてててやみやみやみぬぬぬ。。。「「「おもひおもひおもいやるやるやる心心こころははは海海うみををを渡渡わたれれれどもどもどもふみふみふみしししなれなれなればばば知知しらららずずずやややあるあるあるらむらむらん」」」。。。
- 3かくかくかくててて宇宇う多多だののの松松まつ原原ばらををを行行ゆききき過過すぐぐぐ。。。そのそのその松松まつののの數數かず幾幾いくそばくそばくそばく、、、幾幾いく千千ち年年とせへへへたりたりたりととと知知しらららずずず。。。もともともとごとごとごとににに浪浪なみうちうちうちよせよせよせ枝枝えだごとごとごとににに鶴鶴つるぞぞぞ飛飛とびびびかふかふかうおもしろしおもしろしおもしろしととと見見みるるるににに堪堪たへへえずずずしししててて船船ふな人人びとのののよめよめよめるるる歌歌うた、、、「「「見見み渡渡わたせせせばばば松松まつのののうれうれうれごとごとごとにににすむすむすむ鶴鶴つるははは千千ち代代よのののどちどちどちとととぞぞぞ思思おもふふうべらべらべらなるなるなる」」」とととややや。。。このこのこの歌歌うたははは所所ところををを見見みるるるにににえええまさらまさらまさらずずず。。。
- 4かくかくかくあるあるあるををを見見みつゝつゝつつ漕漕こぎぎぎ行行ゆくくくまにまにまにまにまにまに、、、山山やまももも海海うみもももみなみなみなくれくれくれ、、、夜夜よ更更ふけけけててて、、、西西にしひんがしひんがしひんがしももも見見みえええずずずしししててて、、、のののことことこと楫楫かじ取取とりののの心心こころにににまかせまかせまかせつつつ。。。男男おとこもももならはならはならわねねねばばばいといといとももも心心こころ細細ぼそししし。。。ましてましてまして女女おんなははは船船ふな底底ぞこににに頭頭かしらをををつきつきつきあてあてあてゝゝてねねねをををのみのみのみぞぞぞなくなくなく。。。かくかくかく思思おもへへえばばば舟舟ふな子子こ楫楫かじ取取とりははは船船ふな歌歌うたうたひうたひうたいててて何何なにとととももも思思おもへへえらららずずず。。。
- 5そのそのそのうたふうたふうたううたうたうたははは、、、「「「春春はるののの野野のにににてててぞぞぞねねねをををばばばなくなくなく。。。わがわがわが薄薄すすきにににててて手手てをををきるきるきるきるきるきる、、、つんつんつんだるだるだる菜菜なををを、、、親親おややややまほるまほるまおるらむらむらん、、、姑姑しゅうとめやややくふくふくうらむらむらん。。。かへらかへらかえらややや。。。よんべよんべよんべのののうなゐうなゐうないもがなもがなもがな。。。ぜにぜにぜにこはこはこわむむん。。。そらそらそらごとごとごとをををしししててて、、、わざわざわざをををしししててて、、、ぜにぜにぜにももももてもてもてこここずずずおのれおのれおのれだにだにだにこここずずず」」」。。。これこれこれならならならずずず多多おおかれかれかれどもどもども書書かかかかずずず。。。これらこれらこれらををを人人ひとののの笑笑わらふふうををを聞聞ききききててて、、、海海うみははは荒荒あるれるれるれどもどもども心心こころははは少少すこしししなぎなぎなぎぬぬぬ。。。
- 6かくかくかくゆきゆきゆきくらしくらしくらしててて泊泊とまりにににいたりいたりいたりててて、、、おきなおきなおきな人人びとひとりひとりひとり、、、一一ひと人人りあるあるあるがががなかなかなかににに、、、心心ここちちちあしみあしみあしみしししてててものものものももも物物ものししし給給たまははわでででひそまりひそまりひそまりぬぬぬ。。。
- 7十日十日とおか、、、けふけふきょうはははこのこのこの那那な波波はののの泊泊とまりにににとまりとまりとまりぬぬぬ。。。
- 8十一日十一日じゅういちにち、、、曉曉あかつきににに船船ふねををを出出いだしししててて室室むろ津津つをををおふおふおう。。。人人ひと皆皆みなまだまだまだねねねたれたれたればばば海海うみのののありありありやうやうようももも見見みえええずずず、、、唯唯ただ月月つきををを見見みてててぞぞぞ西西にし東東ひんがしをををばばば知知しりりりけるけるける。。。かゝるかゝるかかる間間あいだににに皆皆みな夜夜よ明明あけけけててて手手てあらひあらひあらい例例れいののの事事ことどもどもどもしししててて晝晝ひるににになりなりなりぬぬぬ。。。
- 9いまいまいましししはねはねはねととといふいふいう所所ところにににきききぬぬぬ、、、わかきわかきわかき童童わらわこのこのこの所所ところののの名名なををを聞聞ききききててて「「「はねはねはねととといふいふいう所所ところははは鳥鳥とりののの羽羽はねのののやうやうようにににやややあるあるある」」」ととといふいふいう。。。まだまだまだ幼幼おさなききき童童わらわのののことことことなれなれなればばば人人ひと々々びと笑笑わらふふう。。。時時ときにににありありありけるけるける女女おんなののの童童わらわなむなむなんこのこのこの歌歌うたをををよめよめよめるるる、、、「「「まことまことまことにににててて名名なににに聞聞きくくく所所ところはねはねはねならならならばばば飛飛とぶぶぶがががごとくごとくごとくにににみやこみやこみやこへへへもがなもがなもがな」」」とととぞぞぞいへいへいえるるる。。。男男おとこももも女女おんなもももいかでいかでいかで疾疾とくくく都都みやこへへへもがなもがなもがなととと思思おもふふう心心こころあれあれあればばば、、、このこのこの歌歌うたよしよしよしとととにににはははあらあらあらねねねどどどげにげにげにととと思思おもひひいててて人人ひと々々びとわすれわすれわすれずずず。。。
- 10このこのこのはねはねはねととといふいふいう所所ところ問問とふふう童童わらわののの序序ついでにににててて、、、又又また昔昔むかしののの人人ひとををを思思おもひひい出出いでででゝゝていづれいづれいずれののの時時ときにににかかか忘忘わするゝるゝるる。。。今日今日きょうはははましてましてまして母母ははののの悲悲かなしがしがしがらるゝらるゝらるる事事ことははは、、、くだりくだりくだりししし時時ときののの人人ひとののの數數かず足足たらららねねねばばば、、、ふるきふるきふるき歌歌うたににに「「「數數かずはははたらたらたらでででぞぞぞかへるかへるかえるべらべらべらなるなるなる」」」ととといふいふいうことことことををを思思おもひひい出出いでででゝゝて人人ひとのののよめよめよめるるる、、、「「「世世よののの中中なかにににおもひおもひおもいやれやれやれどもどもども子子こををを戀戀こふるふるうる思思おもひひいにににまさるまさるまさる思思おもひひいなきなきなきかなかなかな」」」ととといひいひいいつゝつゝつつなむなむなん。。。
現代語訳
九日。早朝、大湊から那波の泊をめざそうとして漕ぎ出した。あの人この人が、互いに「国境の内までは」と言って見送りに来る人が大勢いるなかで、藤原のときざね、橘のすえひら、長谷部のゆきまさたちは、国守の館を出発なさった日から、あちらこちらと追いかけて来る。この人々こそ真心のある人であったのだ。この人々の深い心は、この海の深さにも劣らないだろう。
ここから今は、岸から漕ぎ離れて行く。これを見送ろうとして、この人たちは追って来たのだった。こうして漕いで行くにつれて、海辺にとどまっている人も遠くなった。船の人の姿も、岸からは見えなくなった。岸の人にも言いたいことがあるだろう。船の人にも思うことがあるけれど、どうしようもない。そうではあるが、この歌をひとりごとのように詠んで終わった。「あなたがたを思いやる心は海を渡って行くけれど、手紙もないので、私の心を知らないでいるのだろうか」。
こうして宇多の松原を通り過ぎる。その松の数はどれほどあるか、何千年たったのかわからない。根もとごとに波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛び交っている。趣深いと見るにつけて、こらえきれずに船の人が詠んだ歌は、「見渡すと、松の梢ごとに住んでいる鶴は、千年の寿命をもつ松を仲間だと思っているようだ」とか。この歌は、実際の景色を見るのには及ばない。
こうした景色を見ながら漕いで行くにつれて、山も海もすっかり暮れ、夜が更けて、西も東もわからなくなって、天気のことは船頭の心にまかせた。男も船旅に慣れていないので、とても心細い。まして女は、船底に頭を押しつけて、声をあげて泣いてばかりいる。こちらがこんなに心細く思っているのに、船子や船頭は舟歌を歌って、何とも思っていない。
その歌う歌は、「春の野で声をあげて泣く。若いすすきで手を切りながら摘んだ菜を、親が食べているだろうか、姑が食べているだろうか。帰りたいなあ。ゆうべの少女に会いたいなあ。銭を請求しよう。うそをついて、つけで物を買っておいて、銭も持って来ないで、自分さえ来ない」。このほかにもたくさん歌ったが書かない。これらの歌を人々が笑うのを聞いて、海は荒れているけれど、心は少し落ち着いた。
このようにして一日を過ごして泊に着いて、老人の男が一人、老女が一人いたが、その老女は気分が悪くなって、食事もなさらずにひっそりと寝てしまった。
十日。今日はこの那波の泊にとどまった。
十一日。夜明け前に船を出して、室津をめざして進む。人はみなまだ寝ているので、海の様子も見えない。ただ月を見て、西と東を知るのだった。そうしているうちに、すっかり夜が明けて、手を洗い、いつもの朝のことなどをして昼になった。
ちょうど今、羽根という所に来た。幼い子がこの所の名を聞いて、「羽根という所は、鳥の羽のような形をしているの」と言う。まだ幼い子の言うことなので、人々は笑う。そのとき、そこにいた女の子が、この歌を詠んだ。「本当に、名に聞く所が羽根であるなら、その羽で飛ぶように、早く都へ帰りたい」と言った。男も女も、なんとかして早く都へ帰りたいと思う心があるので、この歌が上手だというのではないが、なるほどと思って、人々は忘れない。
この「羽根」という所のことを尋ねた子をきっかけに、また亡くなった子のことを思い出して、いったいいつ忘れることがあろうか。今日はいっそう、母親が悲しく思わずにはいられないのは、土佐に下ったときの人数が足りないので、古い歌に「数は足りずに帰って行くようだ」とあるのを思い出して、ある人が詠んだ歌、「世の中のあれこれに思いをめぐらしてみても、子を恋しく思う思いにまさる思いはないことだ」と言いながら。
意訳
国境まで見送ってくれる人々と別れて、いよいよ船は土佐の岸を離れる。書き手は、館を出た日から追ってきた人々の真心を「この海の深さにも劣らない」とたたえ、見えなくなっていく岸を見つめる。
夜の海を船頭まかせに進む心細さのなかで、船子たちは「親が食べるか姑が食べるか」「銭を払わずに逃げた女」と、田舎の生活を歌った舟歌を陽気に歌う。荒れた海でおびえる都人と、仕事唄を歌う船子たちとの対比が鮮やかで、書き手はその歌に笑って心をなごませる。こうした民謡が書き留められていることは、当時の庶民の歌を伝える貴重な記録にもなっている。
「羽根」という地名に「鳥の羽のよう」と無邪気に尋ねる子どもの姿は、そのまま亡き娘の面影につながる。「羽根なら飛ぶように都へ帰りたい」という歌に一同が共感するのは、早く帰りたい思いと同時に、帰ってもあの子はいないという悲しみがあるからである。行きの人数に足りない帰りの一行という現実が、古歌の一句とともに胸に迫る。
語釈・文法注
- てけ
- 「天気(てんけ)」の撥音を表記しないかたち。前の場面と同じく、ここでは天候や航路の判断。
- おぎのり
- 代金をあと払いにして物を買うこと。つけ買い。
- たうめ
- 「専女(たうめ)」。老女。
文法
- 「ふみしなれば」
- 底本の本文のまま。一般には「ふみしなければ」とする本文が知られ、ここもそれに従って訳した。「ふみ」に「文(手紙)」と「踏み」をかけ、海を踏んで渡ることもできず、手紙もない、の意を重ねる。
- 「思ふべらなる」
- 「べらなり」は推量の助動詞。平安初期の歌に多く、紀貫之が好んで用いた。
- 「数はたらでぞかへるべらなる」
- 『古今和歌集』秋上の「北へゆく雁ぞなくなるつれてこし数はたらでぞかへるべらなる」の下の句。連れてきた仲間の数が足りずに帰る雁に、子を亡くして帰る一行を重ねる。
和歌
おもひやる心は海を渡れどもふみしなれば知らずやあるらむ
- 詠者
- 船の人(ある人)
- 状況
- 見送りの人々と別れて船が岸を離れたとき、ひとりごとのように詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「ふみ」に「文」と「踏み」をかける。
見渡せば松のうれごとにすむ鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる
- 詠者
- 船人
- 状況
- 宇多の松原の、松の梢に住む鶴を見て詠んだ歌。
修辞
- 縁語
- 千年の寿命をもつとされた松と鶴をとりあわせ、「千代のどち」(千年を生きる仲間)とする。
まことにて名に聞く所はねならば飛ぶがごとくにみやこへもがな
- 詠者
- 女の童
- 状況
- 羽根という地名を聞いた子どもの言葉を受けて詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 地名の「羽根」に鳥の「羽」をかける。
世の中におもひやれども子を戀ふる思ひにまさる思ひなきかな
- 詠者
- ある人
- 状況
- 行きの人数に足りない一行を思い、亡き娘を恋しく思って詠んだ歌。
修辞
- 反復
- 「思ひ」を三度くり返し、子を思う思いの深さを強める。
解説
那波の泊(奈半利)、宇多の松原、羽根、室津は、いずれも土佐の東海岸、今の高知県安芸郡から室戸市にかけての地名である。一行は浦戸を出て、室戸岬に向けて海岸沿いを東へ進んだ。
船子たちの歌は「船歌」として書き留められ、当時の民謡を伝える数少ない資料として注目されている。歌われる内容は、若菜摘みの苦労や、つけで買い物をして逃げた女への恨みなど、都の貴族の和歌とはまったく違う庶民の生活の歌である。
「羽根」の地名から亡き子を思う場面は、子どもの何気ない言葉が悲しみを呼び起こすという、この日記にくり返し現れるかたちの一つである。「母の悲しがらるる」とあるように、悲しみの中心にいるのは亡き子の母であり、書き手はその姿を少し外から見つめている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(土佐日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、6–7頁(コマ6)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日