おくのほそ道 第15章
飯塚
飯坂の温泉に宿をとると、土間にむしろを敷いただけの粗末な家で、夜は雷雨の雨漏りと蚤・蚊に悩まされ、持病まで起こる。弱気になりながらも、旅先で死ぬのも天命と気力をふるい起こし、伊達の大木戸を越える。

- 1にとまるにとまるにとまる。。。溫泉溫泉いでゆあればあればあれば湯湯ゆににに入入いててて宿宿やどをををかるにかるにかるに、、、ににに莚莚むしろををを敷敷してあやしきてあやしきてあやしき貧家也貧家也ひんかなり。。。灯灯ともしびもなければもなければもなければ、、、火火ひかげにかげにかげに寐所寐所ふしどをををまうけてまうけてもうけて臥臥ふすすす。。。
- 2夜夜よににに入入いててて、、、雷鳴雷鳴かみなり、、、雨雨あめしきりにしきりにしきりに降降ふててて、、、臥臥ふるるる上上うえよりもりよりもりよりもり、、、蚤蚊蚤蚊のみかにせゝられてにせゝられてにせせられて眠眠ねむらずらずらず。。。さへおこりてさへおこりてさえおこりて消入斗消入斗きえいるばかりになんになんになん。。。短夜短夜みじかよののの空空そらもももやう〳〵やう〳〵ようよう明明あればればれば、、、又又また旅旅たび立立たぬぬぬ。。。
- 3猶猶なお夜夜よののの余波心余波心なごりこころすゝまずすゝまずすすまず。。。馬馬うまかりてかりてかりてののの驛驛えきににに出出いずるるる。。。遙遙はるかなるなるなる行末行末ゆくすえをををかゝえてかゝえてかかえて、、、斯斯かかるるる病覺束病覺束やまいおぼつかなしといへどなしといへどなしといえど、、、羈旅羈旅きりょ邊土邊土へんどののの行脚行脚あんぎゃ、、、ののの觀念觀念かんねん、、、にしなんにしなんにしなん是天是天これてんののの命命いのちなりとなりとなりと、、、氣力氣力きりょく聊聊いささかとりとりとり直直なおししし、、、路縱横路縱横みちじゅうおうににに踏踏ふててて、、、ののの大木戸大木戸おおきどをををこすこすこす。。。
現代語訳
その夜は飯坂に泊まる。温泉があるので湯に入ってから宿を借りたところ、土間にむしろを敷いただけの、みすぼらしい貧しい家である。灯火もないので、いろりの火の明かりのそばに寝床をこしらえて横になる。夜になって雷が鳴り、雨がしきりに降って、寝ている上から雨が漏り、蚤や蚊に刺されて眠れない。持病まで起こって、気を失いそうになった。
短い夏の夜の空もようやく明けたので、また旅立った。それでもまだ昨夜の苦しさが残って、気持ちが進まない。馬を借りて桑折の宿場に出る。はるかな先の道のりをひかえて、このような病気では心細いけれども、辺境の旅の行脚は、もとより身を捨て、この世の無常を覚悟してのことだ。道の途中で死ぬのも天命であると、気力を少しとり直し、道を縦横に踏みしめて、伊達の大木戸を越えた。
意訳
名所や歌枕の感動のあとに、旅の現実の苦しさが置かれる。雨漏り・蚤・蚊・持病と、悪いことが重なる一夜は、ほとんど滑稽なほど克明に描かれている。
弱気になった芭蕉は、旅に出たときの覚悟――「道路に死なん、是天の命なり」――を思い出して自分を励ます。この言葉は、『論語』の「予縦ひ大葬を得ずとも、予道路に死なんや」をふまえるとされる。「路縱横に踏て」の力強い表現に、ふるい起こした気力が表れている。伊達の大木戸は、平泉の藤原氏が源頼朝の軍を防いだ古戦場でもある。
語釈・文法注
- 飯塚
- 飯坂。福島市の温泉地。底本は「飯塚」と刷る。
- 土坐
- 土間。床を張らない土のままの床。
- ゐろり
- 囲炉裏。
- 持病
- 芭蕉には痔と疝気(腹痛)の持病があった。
- 桑折の驛
- 桑折の宿場。奥州街道と羽州街道の分岐点。
- 捨身無常の觀念
- 身を捨てて、この世の無常をさとる心構え。
- 道路にしなん是天の命なり
- 旅の途中で死ぬのも天命である。『論語』子罕篇の「予道路に死なんや」をふまえる。
- 伊達の大木戸
- 国見峠にあった関門の跡。文治五年(1189)、藤原泰衡の軍が源頼朝の軍を防いだ所。
文法
- 消入斗になん
- 「なん(なむ)」は係助詞で、結びの「ありける」などが略されている。気が遠くなるほどであった。
- 斯る病覺束なしといへど
- 「覺束なし」は、不安だ、心細い。
- しなん
- 「しな」はナ変動詞「死ぬ」の未然形、「ん」は推量・意志の助動詞。死ぬようなことになるのも。
解説
曾良の『随行日記』によれば、飯坂に泊まったのは五月二日の夜で、日記には「夜ニ入雷雨甚強、蚊多シ」とある。本文の悲惨な描写は、事実をもとにしつつ、誇張して書かれていると考えられる。
この章は、旅の苦難を描く章として、殺生石・白河の関・須賀川と続いた名所の章の流れに変化を与えている。死を覚悟して旅に出たという冒頭の思いが、ここで改めて確かめられ、平泉・出羽へと続く旅の厳しさを予感させる。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、10〜11頁(コマ14)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日