万葉集 巻第一 45〜49番
やすみしし 吾大王 高照らす
軽皇子が亡き父の草壁皇子をしのび、冬の安騎野に旅宿りする。夜明け、東の野にかぎろいが立ち、ふり返ると月が西に傾いている。人麻呂の長歌と四首の短歌。

題詞輕皇子の安騎野に宿りませる時、柿本朝臣人麿の作れる歌
- 1やすみししやすみししやすみしし吾吾わご大王大王おおきみ八隅知之 吾大王長歌
- 2高高たか照照て日日ひののの皇子皇子みこ高照 日之皇子
- 3神神かむながらながらながら神神かむさびさびさびせせせすすすととと神長柄 神佐備世須登
- 4太太ふと敷敷しかかかすすす京京みやこををを置置おきききててて太敷爲 京乎置而
- 5ののの泊瀬泊瀬はつせののの山山やまははは隱口乃 泊瀨山者
- 6眞眞ま木木き立立たつつつ荒荒あら山山やま道道みちををを眞木立 荒山道乎
- 7石石いわががが根根ね楚楚しもと樹樹きおしおしおしなべなべなべ石根 禁樹押靡
- 8坂坂さかののの朝朝あさ越越こえええましましましててて坂鳥乃 朝越座而
- 9玉玉たま夕夕ゆうさりさりさりくれくれくればばば玉限 夕去來者
- 10みみみ雪雪ゆき降降ふるるるののの大大おお野野ぬににに三雪落 阿騎乃大野爾
- 11旗旗はた薄薄すすきしのしのしのをををおしおしおし靡靡なべべべ旗須爲寸 四能乎押靡
- 12草草くさ枕枕まくら旅旅たび宿宿やどりりりせせせすすす古古いにしえ思思おもひひいててて草枕 多日夜取世須 古昔念而
- 13阿騎阿騎あきののの野野ぬににに阿騎乃野爾短歌
- 14宿宿やどるるる旅旅たび人人びと宿旅人
- 15うちうちうち靡靡なびききき打靡
- 16寐寐いももも寢寢ぬらららめめめやもやもやも寐毛宿良目八方
- 17古古いにしえおもふおもふおもうににに古部念爾
- 18眞眞ま草草くさ苅苅かるるる眞草苅
- 19荒荒あら野野ぬにににはははあれあれあれどどど荒野者雖有
- 20黄黄もみ葉葉じののの葉
- 21過過すぎぎぎにににししし君君きみががが過去君之
- 22形形かた見見みとととぞぞぞ來來こししし形見跡曾來師
- 23ののの東
- 24野野ぬにににののの野炎
- 25立立たつつつ見見みえええててて立所見而
- 26かへりみかへりみかえりみすれすれすればばば反見爲者
- 27月月つき西西かた渡渡ぶきききぬぬぬ月西渡
- 28日日ひののの日雙斯
- 29皇子皇子みこののの尊尊みことののの皇子命乃
- 30馬馬うま竝竝なめめめててて馬副而
- 31御御み獵獵かり立立たたしたしたしししし御獵立師斯
- 32時時ときははは來來き向向むかふふう時者來向
現代語訳
わが大君、高く照らす日の御子(軽皇子)は、神であるままに神々しくふるまわれるとて、しっかりとお治めになる都をあとにして、(隠口の)泊瀬の山の、真木の立ち茂る荒い山道を、岩や茂った木々を押し伏せて、(坂鳥の)朝に山を越えられ、(玉かぎる)夕方になると、雪の降る阿騎の広い野に、旗のようになびく薄や篠を押し伏せて、(草枕)旅の宿りをなさる。昔のことをしのんで。
〔短歌〕阿騎の野に宿る旅人たちは、くつろいで眠ることなどできようか。昔のことを思うと。
〔短歌〕(真草苅る)荒れた野ではあるけれど、(黄葉の)亡くなった君の形見の地として、やって来たのだ。
〔短歌〕東の野に夜明けの光がさしそめるのが見えて、ふり返って見ると、月は西に傾いている。
〔短歌〕日並の皇子の尊(草壁皇子)が、馬を並べて狩りにお出かけになった、その時刻がいまやってくる。
意訳
軽皇子(のちの文武天皇)は十歳ほどの少年であった。その父、草壁皇子はかつてこの安騎野で狩りをしたが、皇位につかないまま若くして亡くなった。冬の安騎野に旅宿りした一行は、亡き皇子をしのんで眠れない夜を過ごす。そして夜明け、東の空がかぎろいに染まり、西に月が沈もうとする。その光の中で、かつて草壁皇子が狩りに出た時刻が、いまの軽皇子の上によみがえる。父から子へと皇統が受け継がれることを、夜明けの光景に託して歌いあげている。
語釈・文法注
- 高照らす
- 「日」にかかる枕詞。空高く照らす。
- 隱口(こもりく)の
- 「泊瀬」にかかる枕詞。山に囲まれた隠れた土地の意。
- 坂鳥(さかどり)の
- 「朝越え」にかかる枕詞。朝に山の坂を越えて飛ぶ鳥の意。
- 玉かぎる
- 「夕」「日」などにかかる枕詞。玉がほのかに光る意。
- 阿騎(あき)の野
- 大和国宇陀郡の野。今の奈良県宇陀市大宇陀あたり。宮廷の狩り場であった。
- 東(ひむがし)
- 東。「ひがし」の古い形。
- かぎろひ
- 明け方の東の空に立つ光。曙光。陽炎とする説もある。
- 日竝(ひなみし)の皇子の尊
- 草壁皇子の尊称。日(天皇)と並ぶ皇子の意。
文法・本文
- 寐も寢らめやも
- 「寐(い)」は眠り。「め」は推量「む」の已然形、「やも」は反語。眠ることができようか、いやできない。
- 月西渡きぬ
- 「西渡」を「かたぶく」と訓む義訓。月は西に傾いてしまった。
- 原文「葉」
- 47番の「黄葉の」を、『白文万葉集』は「葉」一字で刷る。
- 阿騎の野に(本文)
- 底本は、46番の原文を神田本によって「阿騎乃野爾」とする。
和歌
- 作者
- 柿本人麻呂(生没年未詳(7世紀後半〜8世紀初め))
持統天皇・文武天皇の時代に宮廷に仕えた歌人。天皇や皇子をたたえる長歌、挽歌、旅の歌などに雄大な作品を残し、のちに「歌聖」とあがめられた。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・45〜49番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 持統天皇6年(692)ごろの冬、軽皇子(のちの文武天皇)が、亡き父草壁皇子のゆかりの地である安騎野に狩りに出て宿ったとき、従った柿本人麻呂が詠んだ長歌と短歌四首。
修辞
- 枕詞
- 「やすみしし」「高照らす」「隱口の」「坂鳥の」「玉かぎる」「草枕」「眞草苅る」「黄葉の」など多くの枕詞を用いる。
- 構成
- 短歌四首は、夜の追想(46)、亡き人の形見の地(47)、夜明けの光景(48)、亡き皇子の狩りの再現(49)と、時間の流れに沿って展開する。
解説
草壁皇子は天武天皇と持統天皇の子で、皇太子であったが、即位しないまま持統天皇3年(689)に28歳で亡くなった。持統天皇は、その子の軽皇子を皇位につけることを強く願い、のちに軽皇子は15歳で即位して文武天皇となる。この安騎野の遊猟は、亡き草壁皇子の狩りを再現する、軽皇子の成長を示す儀礼的な意味をもっていたと考えられる。
48番の「東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡きぬ」は、東に昇る光と西に沈む月を一首に収めた雄大な叙景の歌として、万葉集の中でも特に名高い。沈む月を亡き草壁皇子に、昇る光を軽皇子に重ねて読む解釈もある。この訓みは賀茂真淵によるもので、それ以前は「あづまのの けぶりのたてる ところみて」などと訓まれていた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、28頁(コマ18)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、21頁(コマ16)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日