古典ライブラリー

平家物語 巻第四

厳島御幸の事

治承四年二月、高倉天皇は清盛の意向で三歳の皇太子(安徳天皇)に譲位させられ、清盛夫妻は准三后となった。三月、上皇は譲位後初の御幸に、八幡・賀茂などを差しおいて安芸の厳島を選び、延暦寺の大衆は反発した。出発の朝、上皇は鳥羽殿に幽閉された父法皇を訪ね、亡き母建春門院に似た姿に法皇は涙した。

  1. 1治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう四し四しし年ねん年ねんねん正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ一ひと一ひとひと日ひ日ひひののの日ひ日ひひ鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのにににははは、、、相しやう相しやうしょう國こく國こくこくももも許ゆる許ゆるゆるさささずずず、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうももも恐おそ恐おそおそれれれさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、元ぐわん元ぐわんがん日にち日にちにち元ぐわん元ぐわんがん三さん三さんさんののの間あひだ間あひだあいだ、、、參さん參さんさん入にふ入にふにゅう仕つかまつ仕つかまつつかまつるるる人ひと人ひとひともももなしなしなし。。。されどもされどもされどもそのそのその中なか中なかなかににに故こ故ここ少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜいののの子し子しし息そく息そくそく、、、櫻さくら櫻さくらさくら町まち町まちまちののの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん重しげ重しげしげののの卿きやう卿きやうきょう、、、そのそのその弟おとうと弟おとうとおとうと左さ左ささ京きやう京きやうきょうののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ脩なが脩ながなが範のり範のりのりばかりばかりばかりぞぞぞ、、、許ゆる許ゆるゆるささされれれてててははは參まゐ參まゐまいららられれれけるけるける。。。
  2. 2同おな同おなおなじきじきじき二は二はは十つ十つつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐう御おん御おんおん袴はかま袴はかまはかま著ぎ著ぎぎ、、、竝ならび竝ならびならびににに御おん御おんおん魚ま魚まま味な味なな始はじ始はじはじめめめとてとてとて、、、めでたきめでたきめでたき事こと事ことことどもどもどもありありありしかしかしかどもどもども、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうははは鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのにににててて、、、御おん御おんおん耳みゝ耳みゝみみのののよそよそよそにににぞぞぞ聞きこ聞きこきこしめすしめすしめす。。。二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう一いち一いちいち日にち日にちにち、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう異こと異ことことなるなるなる御おん御おんおん恙つゝが恙つゝがつつがもももわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまははわざりざりざりしししををを、、、おしおしおしおろしおろしおろし奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐう踐せん踐せんせん祚そ祚そそありありあり。。。これこれこれももも入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく、、、よろづよろづよろず思おも思おもおもふふう樣さま樣さまさまなるなるなるががが致いた致いたいたすすす所ところ所ところところなりなりなり。。。時とき時ときときよくよくよくなりなりなりぬぬぬとてとてとてひしめきひしめきひしめきあへあへあえりりり。。。
  3. 3神しん神しんしん璽じ璽じじ、、、寶ほう寶ほうほう劒けん劒けんけん、、、内ない内ないない侍し侍しし所どころ所どころどころ渡わた渡わたわたししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。上かん上かんかん達だち達だちだち部め部めめ陣ぢん陣ぢんじんににに集あつ集あつあつまつまつまっててて、、、ふるきふるきふるき事こと事ことことどもどもども先せん先せんせん例れい例れいれいにににまかせまかせまかせててて行おこな行おこなおこなひひいしししににに、、、左さ左ささ大だい大だいだい臣じん臣じんじん殿どの殿どのどの陣ぢん陣ぢんじんににに出い出いいでででててて、、、御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらい讓ゆづ讓ゆづゆずりりりののの事こと事ことことどもどもども仰おほ仰おほおおせせせしししををを聞き聞きききききててて、、、心こころ心こころこころあるあるある人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながししし、、、心こころ心こころこころををを傷いた傷いたいたましめましめましめずずずととといふいふいう事こと事ことことなしなしなし。。。われわれわれととと御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらいををを儲まうけ儲まうけもうけののの君きみ君きみきみににに讓ゆづ讓ゆづゆずりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、藐は藐はは姑こ姑ここ射や射ややののの山やま山やまやまののの中うち中うちうちもももしづかしづかしずかににになどなどなど思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすすさき〴〵さき〴〵さきざきだにだにだにももも、、、あはれあはれあわれははは多おほ多おほおおきききならひならひならいぞぞぞかしかしかし。。。況いは況いはいわんんんやややこれこれこれははは、、、御み御みみ心こころ心こころこころならならならずずずおしおしおし下おろ下おろおろささされれれさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましましけんけんけん御み御みみ心こころ心こころこころののの中うち中うちうち、、、申まう申まうもうすすすもももなか〳〵なか〳〵なかなかおろかおろかおろかなりなりなり。。。
  4. 4傳つた傳つたつたはれはれわれるるる御おん御おんおん寶たから寶たからたから物もの物ものものどもどもども品しな品しなしな々じな々じなじな、、、司つかさ司つかさつかさ々づかさ々づかさづかさ請うけ請うけうけ取と取ととつつっててて、、、新しん新しんしん帝てい帝ていていののの皇くわう皇くわうかう后ごう后ごうごう五ご五ごご條でう條でうじょうののの内だい内だいだい裏り裏りりへへへわたしわたしわたし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。閑かん閑かんかん院ゐん院ゐんいん殿どの殿どのどのにににははは火ひ火ひひののの影かげ影かげかげかすかかすかかすかににに、、、鷄けい鷄けいけい人じん人じんじんののの聲こゑ聲こゑこえももも止とゞ止とゞとどまりまりまり、、、瀧たき瀧たきたき口ぐち口ぐちぐちののの問もん問もんもん籍じやく籍じやくじゃくももも絶た絶たたえええにににしかしかしかばばば、、、ふるきふるきふるき人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは、、、斯か斯かかかるかるかるめでたきめでたきめでたき祝いは祝いはいわひひいののの中なか中なかなかにににももも、、、今いま今いまいま更さら更さらさらあはれあはれあわれににに覺おぼ覺おぼおぼえええててて、、、涙なみだ涙なみだなみだををを流なが流ながながししし、、、袖そで袖そでそでををを濡ぬ濡ぬぬらさらさらさぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。
  5. 5新しん新しんしん帝てい帝ていてい今こ今ここ年とし年としとし三さん三さんさん歳さい歳さいさい、、、あはれあはれあわれいつしかいつしかいつしかなるなるなる讓じやう讓じやうじょう位ゐ位ゐいかなかなかなとととぞぞぞ、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとさゝやきさゝやきささやきあはれあはれあわれけるけるける。。。平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょうははは、、、内うち内うちうちののの御おん御おんおん乳めの乳めのめの母と母とと、、、帥そつ帥そつそつののの亮すけ亮すけすけののの夫をつと夫をつとおつとたるたるたるににに依よ依よよつつっててて、、、「「「今こん今こんこん度ど度どどののの讓じやう讓じやうじょう位ゐ位ゐい、、、いつしかいつしかいつしかなりなりなりととと誰たれ誰たれたれかかかかたむけかたむけかたむけ申まう申まうもうすすすべきべきべき。。。異い異いい國こく國こくこくにににははは周しう周しうしゅうののの成せい成せいせい王わう王わうおう三さん三さんさん歳さい歳さいさい、、、晉しん晉しんしんののの穆ぼく穆ぼくぼく帝てい帝ていてい二に二にに歳さい歳さいさい、、、わがわがわが朝てう朝てうちょうにににははは近この近このこの衞ゑ衞ゑえののの院ゐん院ゐんいん三さん三さんさん歳さい歳さいさい、、、六ろく六ろくろく條でう條でうじょうののの院ゐん院ゐんいん二に二にに歳さい歳さいさい、、、これこれこれみなみなみな襁きやう襁きやうきょう褓はう褓はうほうののの中うち中うちうちににに包つゝ包つゝつつまままれれれててて、、、衣い衣いい帶たい帶たいたいををを正たゞ正たゞただしうしうしゅうせせせざりざりざりしかしかしかどもどもども、、、或あるい或あるいあるいははは攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょう負お負おおうううててて位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつききき、、、或あるい或あるいあるいははは母ぼ母ぼぼ后こう后こうこう抱いだ抱いだいだいいいててて朝てう朝てうちょうににに臨のぞ臨のぞのぞむむむととと見み見みみえええたりたりたり。。。後ご後ごご漢かん漢かんかんののの孝かう孝かうこう章しやう章しやうしょう皇くわう皇くわうかう帝てい帝ていていははは、、、生うま生うまうまれれれててて百ひやく百ひやくひゃく日にち日にちにちととといふいふいうににに踐せん踐せんせん祚そ祚そそありありあり。。。天てん天てんてん子し子しし位くらゐ位くらゐくらいををを踐ふ踐ふふむむむ先せん先せんせん蹤じよう蹤じようじょう、、、和わ和わわ漢かん漢かんかんかくかくかくののの如ごと如ごとごとししし。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、そのそのその時とき時ときときののの有いう有いうゆう職そく職そくそくののの人ひと人ひとひと々びと々びとびと、、、「「「あなあなあなおそろしおそろしおそろし、、、ものものものななな申まう申まうもうささされれれそそそ。。。さればさればさればそれらそれらそれらはははよきよきよき例れい例れいれいどもどもどもかやかやかや。。。」」」とととぞぞぞつぶやきつぶやきつぶやき合あ合ああははわれれれけるけるける。。。
  6. 6春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐう踐せん踐せんせん祚そ祚そそありありありしかしかしかばばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこく夫ふう夫ふうふう婦ふ婦ふふ共とも共ともともににに、、、外ぐわい外ぐわいがい祖そ祖そそ父ふ父ふふ、、、外ぐわい外ぐわいがい祖そ祖そそ母も母ももとてとてとて、、、准じゆん准じゆんじゅん三さん三さんさん后こう后こうこうののの宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶりりり、、、年ねん年ねんねん官くわん官くわんかん、、、年ねん年ねんねん爵しやく爵しやくしゃくををを賜たま賜たまたまはつはつわっててて、、、上じやう上じやうじょう日にち日にちにちののの者もの者ものものををを召め召めめしししつかひつかひつかい、、、繪ゑ繪ゑえかきかきかき花はな花はなはなつけつけつけたるたるたる者もの者ものものどもどもども出い出いいででで入い入いいつつっててて、、、ひとへひとへひとえににに院ゐん院ゐんいん宮ぐう宮ぐうぐうののの如ごと如ごとごとくくくにににぞぞぞありありありけるけるける。。。出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけののの人ひと人ひとひとののの准じゆん准じゆんじゅん三さん三さんさん后こう后こうこうののの宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを蒙かうぶ蒙かうぶこうぶるるる事こと事ことことははは、、、法ほふ法ほふほう興こう興こうこう院ゐん院ゐんいんののの大おほ大おほおお入にふ入にふにゅう道だう道だうどう殿どの殿どのどの兼かね兼かねかね家いへ家いへいえ公こう公こうこうののの外ほか外ほかほかははは、、、これこれこれ始はじ始はじはじめめめとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。
  7. 7同おな同おなおなじきじきじき三さん三さんさん月ぐわつ月ぐわつがつ上じやう上じやうじょう旬じゆん旬じゆんじゅんににに、、、上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかう安あ安ああ藝き藝ききののの嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなるべしべしべしととと聞きこ聞きこきこえええけりけりけり。。。帝てい帝ていてい王わう王わうおう位くらゐ位くらゐくらいすべらすべらすべらせせせ給たま給たまたまひひいててて諸しよ諸しよしょ社しや社しやしやののの御ご御ごご幸かう幸かうこう始はじ始はじはじめめめにににははは、、、八や八やや幡はた幡はたはた、、、賀か賀かか茂も茂もも、、、春かす春かすかす日が日ががへへへこそこそこそ御ご御ごご幸かう幸かうこうははは成な成ななるるるべきべきべきににに、、、遙はる遙はるはる々ばる々ばるばるととと安あ安ああ藝き藝ききののの國くに國くにくにまでまでまでののの御ご御ごご幸かう幸かうこうはははいかにいかにいかにととと、、、人ひと人ひとひと不ふ不ふふ審しん審しんしんをををなすなすなす。。。或ある或あるある人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、白しら白しらしら河かは河かはかわののの院ゐん院ゐんいんははは熊くま熊くまくま野の野ののへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこう、、、後ご後ごご白しら白しらしら河かは河かはかわははは日ひ日ひひ吉よし吉よしよしののの社やしろ社やしろやしろへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。さればさればされば知し知ししんんんぬぬぬ、、、叡えい叡えいえい慮りよ慮りよりょにににありありありととと申まう申まうもうすすすことことことををを。。。御ご御ごご心しん心しんしん中ちゆう中ちゆうちゅうににに深ふか深ふかふかききき御ご御ごご立りふ立りふりゅう願ぐわん願ぐわんがんありありあり。。。そのそのその上うへ上うへうえこのこのこの嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまをををばばば、、、平へい平へいへい家け家けけなのめなのめなのめならならならずずずににに崇あが崇あがあがめめめ敬うやま敬うやまうやまひひい申まう申まうもうささされれれけるけるける閒あひだ閒あひだあいだ、、、上うへ上うへうえにににははは平へい平へいへい家け家けけににに御ご御ごご同どう同どうどう心しん心しんしん、、、下した下したしたにににははは法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうのののいついついつとととなくなくなく鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのにににおしおしおし籠こ籠ここめめめられられられててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの心こころ心こころこころもももやはらぎやはらぎやわらぎ給たま給たまたまふふうかかかとととののの御ご御ごご祈き祈きき念ねん念ねんねんののの爲ため爲ためためとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  8. 8山さん山さんさん門もん門もんもんののの大だい大だいだい衆しゆ衆しゆしゅ憤いきどほ憤いきどほいきどおりりり申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらいをををすべつすべつすべっててて、、、諸しよ諸しよしょ社しや社しやしやののの御ご御ごご幸かう幸かうこう始はじ始はじはじめめめにににははは、、、八や八やや幡はた幡はたはた、、、賀か賀かか茂も茂もも、、、春かす春かすかす日が日ががへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうならならならずずずばばば、、、わがわがわが山やま山やまやまののの山さん山さんさん王わう王わうおうへへへこそこそこそ御ご御ごご幸かう幸かうこうはははなるなるなるべきべきべきににに、、、はる〴〵はる〴〵はるばるととと安あ安ああ藝き藝ききののの國くに國くにくにまでまでまでののの御ご御ごご幸かう幸かうこうははは、、、いついついつのののならひならひならいぞぞぞややや。。。そのそのその儀ぎ儀ぎぎならならならばばば神しん神しんしん輿よ輿よよふりふりふり下おろ下おろおろししし奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、御ご御ごご幸かう幸かうこうををを止とゞ止とゞとどめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつれれれ。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。これこれこれににに依よ依よよつつっててて、、、しばらくしばらくしばらく御ご御ごご延えん延えんえん引いん引いんいんありありありけりけりけり。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくやう〳〵やう〳〵ようようににになだめなだめなだめ宣のたま宣のたまのたまへへえばばば、、、山さん山さんさん門もん門もんもんののの衆しゆ衆しゆしゅしづまりしづまりしずまりぬぬぬ。。。
  9. 9同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう七しち七しちしち日にち日にちにち、、、上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかう嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましま御ご御ごご幸かう幸かうこうののの御おん御おんおん門かど門かどかど出で出ででとてとてとて、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの北きた北きたきたののの方かた方かたかた二に二にに位ゐ位ゐい殿どの殿どのどのののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょ、、、八はち八はちはち條でう條でうじょう大おほ大おほおお宮みや宮みやみやへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。そのそのその夜よ夜よよやがてやがてやがて嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまののの御ご御ごご神しん神しんしん事じ事じじ始はじ始はじはじめめめらるらるらる。。。殿てん殿てんてん下か下かかよりよりより唐から唐からからののの御おん御おんおん車くるま車くるまくるま、、、うつしうつしうつしののの馬むま馬むまうまなどなどなど參まゐ參まゐまいらせらせらせらるらるらる。。。あくるあくるあくる十じふ十じふじゅう八はち八はちはち日にち日にちにち、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの邸てい邸ていていへへへ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。そのそのその日ひ日ひひののの暮く暮くくれれれ方がた方がたがたににに、、、前さき前さきさきののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょう宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうををを召め召めめしししててて、、、「「「明みやう明みやうみょう日にち日にちにち嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましまへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうののの御おん御おんおんついでついでついでににに、、、鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの御ご御ごご見げん見げんげん參ざん參ざんざんににに入い入いいらららばやばやばやととと思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすすははは、、、相しやう相しやうしょう國こく國こくこく禪ぜん禪ぜんぜん門もん門もんもんににに知し知ししらせらせらせずずずしてしてしてははは惡あ惡ああしかりしかりしかりなななんんんややや。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう、、、「「「なんでふなんでふなんじょう事こと事ことことかかか候さふらふ候さふらふそうろうべきべきべき。。。」」」ととと奏そう奏そうそうせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、「「「さらばさらばさらば汝なんぢ汝なんぢなんじ今こ今ここ宵よひ宵よひよい鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ參まゐ參まゐまいりりりててて、、、そのそのそのやうやうようををを申まう申まうもうせせせかしかしかし。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、畏かしこ畏かしこかしこまりまりまり承うけたまは承うけたまはうけたまわつつっててて、、、いそぎいそぎいそぎ鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ參まゐ參まゐまいつつっててて、、、このこのこの由よし由よしよし奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんせせせられられられけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうはははあまりあまりあまりににに思おぼし思おぼしおぼし召め召めめすすす御ご御ごご幸かう幸かうこうにににててて、、、こはこはこわ夢ゆめ夢ゆめゆめやらやらやらんんんとととぞぞぞ仰おほ仰おほおおせせせられられられけるけるける。。。
  10. 10あくるあくるあくる十じふ十じふじゅう九く九くく日にち日にちにち、、、大おほ大おほおお宮みや宮みやみやののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん隆たか隆たかたか季すゑ季すゑすえののの卿きやう卿きやうきょう、、、未いま未いまいまだだだ夜よ夜よよ深ぶか深ぶかぶこううう參まゐ參まゐまいつつっててて、、、御ご御ごご幸かう幸かうこう催もよほ催もよほもよおささされれれけりけりけり。。。このこのこの日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろ聞きこ聞きこきこえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいつるつるつる嚴いつく嚴いつくいつく島しま島しましま御ご御ごご幸かう幸かうこうをををばばば、、、西にし西にしにし八はち八はちはち條でう條でうじょうののの邸てい邸ていていよりよりより既すで既すですでににに遂と遂ととげげげさせさせさせおはしますおはしますおわします。。。三や三やや月よひ月よひよいももも半なか半なかなかばばば過す過すすぎぎぎぬれぬれぬれどどど、、、霞かすみ霞かすみかすみにににくもるくもるくもる有あり有ありあり明あけ明あけあけののの月つき月つきつきははは猶なほ猶なほなおおぼろおぼろおぼろなりなりなり。。。越こし越こしこし路ぢ路ぢじををを指さ指ささしししててて歸かへ歸かへかえるるる鴈かり鴈かりかりののの、、、雲くも雲くもくも居ゐ居ゐいにににおとづれおとづれおとずれ行ゆ行ゆゆくくくももも、、、折をり折をりおりふしふしふしあはれあはれあわれにににおぼしめすおぼしめすおぼしめす。。。未いま未いまいまだだだ夜よ夜よよのののうちうちうちににに鳥と鳥とと羽ば羽ばば殿どの殿どのどのへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。門もん門もんもん前ぜん前ぜんぜんにににててて御おん御おんおん車くるま車くるまくるまよりよりより下お下おおりりりさせさせさせおはしましおはしましおわしまし、、、門もん門もんもんののの内うち内うちうちへへへさしさしさし入い入いいらららせせせ給たま給たまたまふふうににに、、、人ひと人ひとひと稀まれ稀まれまれにににしてしてして木こ木ここぐらくぐらくぐらく、、、ものものものさびしげさびしげさびしげなるなるなる御おん御おんおん住すま住すますま居ひ居ひひ、、、まづまづまずあはれあはれあわれにににぞぞぞおぼしめすおぼしめすおぼしめす。。。
  11. 11春はる春はるはる既すで既すですでににに暮く暮くくれれれなななんんんとととすすす。。。夏なつ夏なつなつ木こ木ここ立だち立だちだちにににもももなりなりなりにににけりけりけり。。。梢こずゑ梢こずゑこずえののの花はな花はなはな色いろ色いろいろ衰おとろ衰おとろおとろへへえててて、、、宮みや宮みやみやののの鶯うぐひす鶯うぐひすうぐいす聲こゑ聲こゑこえ老お老おおいいいたりたりたり。。。去こ去ここ年ぞ年ぞぞののの正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ六むゆ六むゆむい日か日かか朝てう朝てうちょう覲きん覲きんきんののの爲ため爲ためためににに、、、法ほふ法ほふほう住ぢゆう住ぢゆうじゅう寺じ寺じじ殿どの殿どのどのへへへ行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうありありありしししにににははは、、、樂がく樂がくがく屋や屋ややににに亂らん亂らんらん聲じやう聲じやうじょうををを奏そう奏そうそうししし、、、諸しよ諸しよしょ卿きやう卿きやうきょう列れつ列れつれつににに立た立たたつつっててて、、、諸しよ諸しよしょ衞ゑ衞ゑえ陣ぢん陣ぢんじんををを引ひ引ひひききき、、、院ゐん院ゐんいん司じ司じじののの公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう參まゐ參まゐまいりりり向むか向むかむかつつっててて、、、幔まん幔まんまん門もん門もんもんををを開ひら開ひらひらききき、、、掃部かもん掃部かもんかもん寮れう寮れうりょう筵えん筵えんえん道だう道だうどうををを布し布ししききき、、、正たゞ正たゞただしかりしかりしかりししし儀ぎ儀ぎぎ式しき式しきしき、、、一いち一いちいち事じ事じじもももなしなしなし。。。今日けふ今日けふきょうはははたゞたゞただ夢ゆめ夢ゆめゆめとととのみのみのみぞぞぞおぼしめすおぼしめすおぼしめす。。。
  12. 12櫻さくら櫻さくらさくら町まち町まちまちののの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん重しげ重しげしげ教のり教のりのりののの卿きやう卿きやうきょう參まゐ參まゐまいつつっててて、、、御ご御ごご氣き氣きき色しよく色しよくしょく申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうははははやはやはや寢しん寢しんしん殿でん殿でんでんののの階はし階はしはしがくしがくしがくしののの間ま間ままへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなつなつなっててて、、、待ま待ままちちち參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかうははは今こ今ここ年とし年としとし二は二はは十たち十たちたち、、、あけあけあけがたがたがたののの月つき月つきつきののの光ひかり光ひかりひかりにににはえはえはえさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、玉ぎよく玉ぎよくぎょく體たい體たいたいもももいとゞいとゞいとど美うつく美うつくうつくしうしうしゅうぞぞぞ見み見みみえええさせさせさせまし〳〵まし〳〵ましましけるけるける。。。御おん御おんおん母ぼ母ぼぼ儀ぎ儀ぎぎ故こ故ここ建けん建けんけん春しゆん春しゆんしゅん門もん門もんもん院ゐん院ゐんいんにににいたくいたくいたく似に似にに參まゐ參まゐまいらさらさらさせせせ給たま給たまたまひひいたりたりたりしかしかしかばばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうはははまづまづまず故こ故ここ女によ女によにょ院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん事こと事ことことおぼしめしおぼしめしおぼしめし出い出いいでででててて、、、御おん御おんおん涙なみだ涙なみだなみだせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給たま給たまたまははわずずず。。。
  13. 13兩りやう兩りやうりょう院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご座ざ座ざざ、、、近ちか近ちかちかくくくしつらはれしつらはれしつらわれたりたりたり。。。御ご御ごご問もん問もんもん答だふ答だふどうははは人ひと人ひとひと承うけたまは承うけたまはうけたまわるるるににに及およ及およおよばばばずずず。。。御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんにににははは尼あま尼あまあま前ぜ前ぜぜばかりばかりばかりぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらははわれれれけるけるける。。。やゝやゝやや久ひさ久ひさひさしくしくしく御おん御おんおん物もの物ものもの語がたり語がたりがたりせせせさせさせさせおはしましおはしましおわしまし、、、はるかはるかはるかににに日ひ日ひひたけたけたけててて後のち後のちのち、、、御おん御おんおん暇いとま暇いとまいとま申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの草くさ草くさくさ津つ津つつよりよりより御おん御おんおん船ふね船ふねふねにににぞぞぞ召め召めめささされれれけりけりけり。。。上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかうははは法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうののの離り離りり宮きゆう宮きゆうきゅうののの古こ古ここ亭てい亭ていてい、、、幽いう幽いうゆう閑かん閑かんかん寂せき寂せきせき寞ばく寞ばくばくののの御おん御おんおん住すま住すますま居ひ居ひひ、、、御み御みみ心こころ心こころこころ苦ぐる苦ぐるぐるしうしうしゅう御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじ置お置おおかかかせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうはははまたまたまた上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかうののの旅りよ旅りよりょ泊はく泊はくはくののの行あん行あんあん宮ぐう宮ぐうぐう、、、波なみ波なみなみののの上うへ上うへうえ、、、船ふね船ふねふねののの内うち内うちうちののの御おん御おんおん有あり有ありあり樣さま樣さまさま、、、おぼつかなくおぼつかなくおぼつかなくぞぞぞおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれけるけるける。。。まことまことまことににに宗そう宗そうそう廟べう廟べうびょう、、、八や八やや幡はた幡はたはた、、、賀か賀かか茂も茂ももなどなどなどをををさしさしさしおかおかおかせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、はる〴〵はる〴〵はるばるととと安あ安ああ藝き藝ききののの國くに國くにくにまでまでまでののの御ご御ごご幸かう幸かうこうをををばばば、、、神しん神しんしん明めい明めいめいもももなどなどなどかかか御ご御ごご納なふ納なふのう受じゆ受じゆじゅなかるなかるなかるべきべきべき。。。御ご御ごご願ぐわん願ぐわんがん成じやう成じやうじょう就じゆ就じゆじゅ疑うたが疑うたがうたがひひいなしなしなしとととぞぞぞ見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

治承四年(1180)正月一日、鳥羽殿には、相国(清盛)も許さず、法皇も恐れておられたので、元日から三が日の間、参上する人もいない。けれどもその中で、故少納言入道信西の子息の桜町中納言重教(成範)卿と、その弟の左京大夫脩範だけが、許されて参られた。

同じ月の二十日、春宮(言仁親王)の御袴着と御魚味始めの儀があって、めでたいことであったが、法皇は鳥羽殿で、それを遠いよそごととしてお聞きになった。二月二十一日、主上(高倉天皇)は特にご病気もなかったのに、位からお下ろし申して、春宮が践祚された。これも入道相国が何事も思いのままにしたことである。時が来たといって平家の人々は騒ぎ合った。

神璽・宝剣・内侍所をお渡し申した。上達部が陣の座に集まって、古いしきたりを先例どおりに執り行ったが、左大臣殿が陣に出て御譲位のことを宣するのを聞いて、心ある人々は涙を流し、心を痛めない者はなかった。自ら位を皇太子にお譲りになって、仙洞で静かに暮らそうとお思いになる場合でさえ、あわれは多いものである。ましてこれは、お心ならずも位から下ろされなさったのであるから、そのお心の中は言葉に尽くせない。

伝来の御宝物の数々を、それぞれの役所が受け取って、新帝の皇居である五条内裏へお渡し申した。閑院殿では灯火の影もかすかに、時を告げる鶏人の声もやみ、滝口の武士の問籍も絶えてしまったので、古くから仕える人々は、このようなめでたい祝いの中でも、今さらのようにあわれに思って、涙を流し袖を濡らさない者はなかった。

新帝は今年三歳。ああ、何と早い譲位であろうかと、人々はささやき合った。平大納言時忠卿は、新帝の御乳母である帥の典侍の夫であったので、「このたびの譲位を早すぎると誰が非難できよう。異国では周の成王が三歳、晋の穆帝が二歳、わが国では近衛院が三歳、六条院が二歳で位につかれた。これらはみな産着にくるまれて、衣帯も正しく着けられなかったが、あるいは摂政が背負って位につき、あるいは母后が抱いて朝廷に臨んだと見える。後漢の孝章皇帝は生まれて百日で践祚された。天子が位を踏む先例は、和漢このとおりである」と申されたので、その時の故実に通じた人々は、「ああ恐ろしい、ものをおっしゃるな。それではそれらはよい先例だというのか」とつぶやき合われた。

春宮が践祚されたので、入道相国夫婦はともに外祖父・外祖母として准三后の宣旨を受け、年官・年爵を賜って、上日の者を召し使い、絵を描き花を飾った装束の者たちが出入りして、まるで院や宮のようであった。出家の身で准三后の宣旨を受けたのは、法興院の大入道殿兼家公のほかは、これが初めてと聞く。

同じ年の三月上旬に、上皇(高倉院)が安芸の厳島へ御幸なさると聞こえた。帝王が位を退かれて初めて諸社へ御幸なさるときは、八幡・賀茂・春日へこそ御幸になるはずなのに、はるばると安芸国までの御幸はどうしたことかと、人々は不審に思った。ある人が言うには、「白河院は熊野へ、後白河院は日吉の社へ御幸なさった。それでわかるだろう、お心次第だということが。お心の中に深いご立願があるのだ。そのうえ、この厳島は平家がことのほか崇敬申しているので、表向きは平家に同調なさり、内心では、法皇がいつまでも鳥羽殿に押し込められておいでになるので、入道相国の心も和らいでほしいとのご祈願のためだ」と聞こえた。

延暦寺の大衆が怒って申すには、「主上が位を退かれて初めて諸社へ御幸なさるとき、八幡・賀茂・春日へ御幸なさらないのであれば、わが比叡山の山王へこそ御幸なさるべきなのに、はるばると安芸国までの御幸は、いつからのならわしか。そういうことなら、神輿を振り下ろし申して御幸をお止め申せ」と申した。これによって、しばらく御幸は延期された。入道相国がいろいろとなだめられたので、延暦寺の大衆は静まった。

同じ月の十七日、上皇は厳島御幸の御門出として、入道相国の北の方二位殿の宿所である八条大宮へ御幸なさった。その夜すぐに厳島の御神事が始められた。殿下(基通)から唐の御車や移しの馬などが献上された。明けて十八日、入道相国の邸へお入りになった。その日の夕方、前右大将宗盛卿を召して、「明日、厳島へ御幸のついでに鳥羽殿へ参って、法皇にお目にかかりたいと思うが、相国禅門に知らせないではまずいだろうか」とおっしゃると、宗盛卿は「何の差し支えがございましょう」と申し上げたので、「それならそなたは今夜鳥羽殿へ参って、その旨を申し上げよ」とおっしゃった。宗盛はかしこまって承り、急いで鳥羽殿へ参ってこのことを奏上されると、法皇はあまりに思いがけない御幸なので、これは夢であろうかとおっしゃった。

明けて十九日、大宮大納言隆季卿がまだ夜深いうちに参って、御幸の支度を促された。日ごろ評判であった厳島御幸を、西八条の邸からついに出発なさった。三月も半ばを過ぎたが、霞にくもる有明の月はなおおぼろである。北国を指して帰る雁が雲の上で鳴いて行くのも、折からあわれにお思いになる。まだ夜のうちに鳥羽殿へ御幸なさった。門前で御車から降りられて門の内へお入りになると、人の姿もまばらで木々は暗く、もの寂しげなお住まいで、まずあわれにお思いになった。

春はもう暮れようとしている。夏木立にもなってしまった。梢の花は色あせ、宮の鶯の声も老いている。去年の正月六日、朝覲のために法住寺殿へ行幸されたときには、楽屋で乱声を奏し、諸卿は列に並び、諸衛の武官が陣を張り、院司の公卿が迎えに出て幔門を開き、掃部寮が筵道を敷いて、整った儀式であったが、今は一つもない。今日はただ夢のようにお思いになる。

桜町中納言重教卿が参って、上皇の到着を申し上げると、法皇はもう寝殿の階隠しの間へお出ましになって、お待ちになっていた。上皇は今年二十歳、明け方の月の光に映えて、お姿もいっそう美しくお見えになった。母君の故建春門院によく似ておられたので、法皇はまず亡き女院のことを思い出されて、涙を抑えきれずにおられた。

両院の御座が近くに設けられた。お二人のお話は、人の聞くところではない。御前には尼御前だけがお仕えしていた。しばらく長くお話をなさって、日が高く昇ってから暇乞いをなさり、鳥羽の草津から御船にお乗りになった。上皇は法皇の離宮の古びた御殿、ひっそりと寂しいお住まいを心苦しくご覧になって後にされ、法皇はまた上皇の旅の仮の宿、波の上、船の中のご様子を気がかりにお思いになった。まことに宗廟(伊勢)や八幡・賀茂などをさしおいて、はるばると安芸国まで御幸なさるのだから、神もどうしてお受け入れにならないことがあろうか。ご願の成就は疑いないと見えた。

意訳

巻第四の冒頭で、物語は清盛の外孫安徳天皇の即位を描く。高倉天皇は病もないのに位を下ろされ、三歳の新帝が立つ。時忠が和漢の幼帝の例を挙げて正当化すると、有職の人々は「されどもそれらはよき例どもかや」とつぶやく。言仁親王の即位で清盛は天皇の外祖父となり、その権勢は頂点に達した。

後半の厳島御幸では、上皇が八幡・賀茂を差しおいて平家の崇める厳島を選んだことに延暦寺が反発する。上皇は出発の朝、鳥羽殿に幽閉されている父法皇を訪ねる。荒れた離宮の春の終わりの景色と、亡き建春門院に似た息子の姿に涙する法皇。物語は、清盛の専横のもとで引き裂かれた父子の情を、静かな筆致で描き出している。

語釈・文法注

重教
底本の表記。藤原成範(しげのり、1135〜1187)のこと。信西の子で、桜を愛したので桜町中納言と呼ばれた。

文法

「御魚味始め」
幼児に初めて魚を食べさせる祝いの儀式。
「藐姑射の山」
仙人の住む山。転じて上皇の御所(仙洞)をいう。
「鷄人」
宮中で時刻を告げる役の者。
「問籍」
滝口の武士が夜ごとに名のりをすること。
「さればそれらはよき例どもかや」
時忠の挙げた例はみな、早世や不運に終わった幼帝の例であるのに、それがよい先例だというのか、と皮肉ったもの。
「准三后」
太皇太后・皇太后・皇后の三后に準じる待遇。
「階がくしの間」
寝殿の正面の階段の上に張り出した屋根の下の間。

解説

治承四年(1180)二月二十一日、高倉天皇は三歳の言仁親王(安徳天皇)に譲位した。三月、高倉上皇は譲位後初の社参として安芸の厳島に御幸した。延暦寺はこれに強く反発し、園城寺・興福寺と結んで後白河法皇と高倉上皇の奪取を計画したともいわれる。こうした寺社勢力の反平家の動きは、同年四月の以仁王の挙兵につながっていく。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、412–416頁(コマ235–237)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日