古事記 中巻
倭建命の最期と白鳥
草薙剣を置いて伊服岐山に向かった倭建命は、山の神の化身の白猪を侮って大氷雨に打たれ、病に倒れる。当芸野・杖衝坂・三重と弱っていく足取りを地名に残し、能煩野で「倭は国のまほろば」と故郷を偲ぶ歌を詠んで亡くなる。その魂は八尋の白い鳥となって飛び去り、后や御子たちは泣きながら追う。
- 1こゝにこゝにここに詔詔のりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「このこのこの山山やまののの神神かみははは、、、ににに直直ただににに取取とりてむりてむりてむ。。。」」」とのりとのりとのり給給たまひてひていて、、、其其そののの山山やまににに騰騰のぼりますりますります時時ときににに、、、山山やまののの邊邊べにににへりへりえり、、、其其そののの大大おおきさきさきさ牛牛うしののの如如ごとくなりきくなりきくなりき。。。かれかれかれしてしてして詔詔のりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「このこのこの白猪白猪しろいになれるものになれるものになれるものははは、、、其其そののの神神かみののの使者使者つかいものにこそあらめにこそあらめにこそあらめ。。。今今いま殺殺とらずともらずともらずとも、、、還還かえらむらむらむ時時ときににに殺殺とりてむりてむりてむ。。。」」」とのたまひてとのたまひてとのたまいて騰騰のぼりましきりましきりましき。。。こゝにこゝにここにををを零零ふらしてらしてらして、、、倭建倭建やまとたけるののの命命みことををを打打うちちち惑惑まとはしまつりきはしまつりきわしまつりき。。。(((此此こののの白猪白猪しろいににに化化なれるものれるものれるものははは、、、其其そののの神神かみののの使者使者つかいものにににはははあらずてあらずてあらずて、、、其其そののの神神かみのののにぞありけむにぞありけむにぞありけむををを、、、言擧言擧ことあげししし給給たまへるによりてへるによりてえるによりて、、、惑惑まとさえたまへるなりさえたまへるなりさえたまえるなり。。。)))かれかれかれ還還かえりりり下下くだりましてりましてりまして、、、玉倉部玉倉部たまくらべののの淸泉淸泉しみずににに到到いたりてりてりて息息いこひませるひませるひませる時時ときににに、、、御心稍寤御心稍寤みこころややさめましきめましきめましき。。。かれかれかれ其其そののの淸泉淸泉しみずをををののの淸泉淸泉しみずとぞとぞとぞ謂謂いふふう。。。於是詔。茲山神者。徒手直取而。騰其山之時。白猪逢于山邊。其大如牛。爾爲言擧而詔。是化白猪者。其神之使者。雖今不殺。還時將殺而騰坐。於是零大冰雨。打惑倭建命。〈此化白猪者。非其神之使者。當其神之正身。因言擧見惑也。〉故還下坐之。到玉倉部之淸泉以息坐之時。御心稍寤。故號其淸泉。謂居寤淸泉也。
- 2其處其處そこよりよりより發發たたしてたしてたして、、、ののの上上うえににに到到いたりまししりまししりましし時時ときににに詔詔のりりり給給たまへるへるえるははは、、、「「「吾吾あががが心心こころ恒恒つねははは虛虛そらよりもよりもよりも翔翔かけりりり行行ゆかむとかむとかむと念念おもひつるひつるひつるををを、、、今今いま吾吾あががが足得步足得步あしえあゆまずまずまず、、、舵舵たぎしののの形形かたちににに成成なれりれりれり。。。」」」とぞとぞとぞ詔詔のりりり給給たまひけるひけるいける。。。かれかれかれ其地其地そこををを當藝當藝たぎととと謂謂いふふう。。。其地其地そこよりよりより差少差少ややすこししし幸幸いでますにすにすに、、、いたくいたくいたく疲疲つかれませるにれませるにれませるに因因よりてりてりて、、、御杖御杖みつえををを衝衝つかしてかしてかして、、、稍稍ややににに步步あゆみましきみましきみましき。。。かれかれかれ其地其地そこをををととと謂謂いふふう。。。ののの前前さきののの一一ひとつつつ松松まつののの許許もとににに到到いたりませるにりませるにりませるに、、、先先さきににに御食御食みおしせししせししせしし時時とき、、、其地其地そこににに忘忘わすらしたりしらしたりしらしたりし御刀御刀みはかし、、、失失うせずてせずてせずて猶猶なお有有ありきりきりき。。。かれかれかれ御歌御歌みうたよみしよみしよみし給給たまはくはくわく、、、尾張尾張おわりににに 直直ただににに向向むかへるへるえる 尾津尾津おつののの崎崎さきなるなるなる 一一ひとつつつ松松まつ ををを 一一ひとつつつ松松まつ 人人ひとにありせばにありせばにありせば 太刀太刀たち佩佩はけましけましけましををを 衣著衣著きぬきせましせましせましををを 一一ひとつつつ松松まつ 吾兄吾兄あせををを 其地其地そこよりよりより幸幸いでましてしてして、、、三重三重みえののの村村むらににに到到いたりませるりませるりませる時時ときににに、、、またまたまた、、、「「「吾吾あがががののの勾勾まがりなしてなしてなして、、、甚甚いたくくく疲疲つかれたりれたりれたり。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。かれかれかれ其地其地そこををを三重三重みえととと謂謂いふふう。。。自其處發。到當藝野上之時詔者。吾心恆念自虛翔行。然今吾足不得步。成當藝斯形。〈自當下三字以音〉故號其地謂當藝也。自其地差少幸行。因甚疲。衝御杖稍步。故號其地謂杖衝坂也。到坐尾津前一松之許。先御食之時。所忘其地御刀。不失猶有。爾御歌曰。袁波理邇。多陀邇牟迦幣流。袁都能佐岐那流。比登都麻都阿勢袁。比登都麻都。比登邇阿理勢婆。多知波氣麻斯袁。岐奴岐勢麻斯袁。比登都麻都阿勢袁。自其地幸。到三重村之時。亦詔之吾足如三重勾而甚疲。故號其地謂三重。
- 3そこよりそこよりそこより幸幸いでましてしてして、、、ににに到到いたりませるりませるりませる時時ときににに、、、國偲國偲くにしぬばしてばしてばして歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、倭倭やまとははは 國國くにののの たゝなづくたゝなづくたたなずく れるれるれる 倭倭やまとししし美美うるわはははししし またまたまた、、、命命みことののの 全全またけむけむけむ人人ひとははは 疊菰疊菰たたみこも 平羣平羣へぐりののの山山やまののの ががが葉葉はををを ににに插插させせせ そのそのその子子こ このこのこの御歌御歌みうたははわ、、、なりなりなり。。。またまたまた歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、はしけやしはしけやしはしけやし 吾家吾家わぎえののの方方かたよよよ 雲居起雲居起くもいたちちち來來きももも こここはははなりなりなり。。。此此こののの時御病急時御病急ときみやまいにわかになりぬになりぬになりぬ。。。こゝにこゝにここに御歌御歌みうたををを、、、孃女孃女おとめののの 牀牀とこののの邊邊べににに 吾吾あががが置置おきしきしきし 大刀大刀たち 其其そののの大刀大刀たちはやはやはや ととと歌歌うたひひい竟竟をへてへてへて、、、卽卽すなわちちち崩崩かむあがりましぬりましぬりましぬ。。。かれかれかれををを上上たてまつりきりきりき。。。自其幸行而到能煩野之時。思國以歌曰。夜麻登波。久爾能麻本呂婆。多多那豆久。阿袁加岐夜麻。棊母禮流。夜麻登志。宇流波斯。又歌曰。伊能知能。麻多祁牟比登波。多多美許母。幣具理能夜麻能。久麻加志賀波袁。宇受爾佐勢。曾能古。此歌者。思國歌也。又歌曰。波斯祁夜斯。和岐幣能迦多用。久毛韋多知久母。此者片歌也。此時御病甚急。爾御歌曰。袁登賣能。登許能辨爾。和賀淤岐斯。都流岐能多知。曾能多知波夜。歌竟卽崩。爾貢上驛使。
- 4こゝにこゝにここに倭倭やまとにますにますにます后后きさきたちたちたち、、、またまたまた御子御子みこたちたちたち、、、諸下諸下もろもろくだりきましてりきましてりきまして、、、御陵御陵みはかををを作作つくりてりてりて、、、其地其地そこのののききき田田たににに匍匐匍匐はらばひひひ廻廻もとおりてりてりて、、、哭哭みねしつゝしつゝしつつ歌歌うたひたまはくひたまはくいたまわく、、、靡附靡附なずきのきのきの 田田たののの稻幹稻幹いながらににに 稻幹稻幹いながらににに 蔓延廻蔓延廻はいもとおろふろふろう こゝにこゝにここにになりてになりてになりて、、、天天あめににに翔翔かけりてりてりて、、、濱濱はまににに向向むかきてきてきて飛飛とびびび行行ゆましぬましぬましぬ。。。かれかれかれ其其そののの后后きさきたちたちたち御子御子みこたちたちたち、、、其地其地そこなるなるなる小竹小竹しぬのののににに、、、御足御足みあし切切きりりり破破やぶるれどもるれどもるれども、、、其其そののの痛痛いたきききをもをもをも忘忘わすれてれてれて、、、哭哭なく〳〵く〳〵くなく追追おひいでましきひいでましきいいでましき。。。此此こののの時時ときののの御歌御歌みうた。。。淺小竹原淺小竹原あさじぬはら 腰煩腰煩こしなずむむむ 虛空虛空そらははは行行ゆかずかずかず 足足あしよよよ行行ゆくなくなくな またまたまた其其そののの海鹽海鹽うしおににに入入いりてりてりて、、、煩煩なずみみみ行行ゆきまししきまししきましし時時ときののの御歌御歌みうた。。。海海うみががが行行ゆけばけばけば 腰煩腰煩こしなずむむむ 大河原大河原おおかわらののの 植草植草うえぐさ 海海うみがががははは いさよふいさよふいさよう またまたまた飛飛とびてびてびて其其そののの磯磯いそににに居居いたまへるたまへるたまえる時時ときののの御歌御歌みうた。。。濱濱はまつつつ千鳥千鳥ちどり 濱濱はまよよよははは行行ゆかずかずかず 磯傳磯傳いそづたふふふ このこのこの四歌四歌よつうたははわ、、、皆皆みな其其そのののににに歌歌うたひたりきひたりきいたりき。。。かれかれかれ今今いまににに其其そののの歌歌うたははわ、、、天皇天皇すめらみことののの大葬大葬おおみはぶりににに歌歌うたふなりふなりうなり。。。かれかれかれ其其そののの國國くによりよりより飛飛とびびび翔翔かけりりり行行ゆましてましてまして、、、河內河內こうちののの國國くにのののににに留留とどまりましきまりましきまりましき。。。かれかれかれ其地其地そこににに御陵御陵みはかををを作作つくりてりてりて、、、鎭鎭しずまりまさしめきまりまさしめきまりまさしめき。。。このこのこの御陵御陵みはかををを白鳥白鳥しらとりののの御陵御陵みはかとぞとぞとぞ謂謂いふふう。。。然然しかれどもれどもれども又又また其地其地そこよりよりより更更さらににに天翔天翔あまかけりてりてりて飛飛とびびび行行ゆましぬましぬましぬ。。。すべてすべてすべて此此こののの倭建倭建やまとたけるののの命命みこと、、、國平國平くにむけにけにけに廻廻めぐりまししりまししりましし時時とき、、、久米久米くめののの直直あたえののの祖祖おや、、、名名なははは、、、いつもいつもいつも膳夫膳夫かしはでとしてとしてとして、、、御伴仕御伴仕みともつかへまつりきへまつりきえまつりき。。。於是坐倭后等。及御子等。諸下到而。作御陵。卽匍匐廻其地之那豆岐田〈自那下三字以音〉而。哭爲歌曰。那豆岐能。多能伊那賀良邇。伊那賀良爾。波比母登富呂布。登許呂豆良。於是化八尋白智鳥。翔天而。向濱飛行。〈智字以音〉爾其后及御子等。於其小竹之刈杙。雖足跳破。忘其痛以。哭追。此時歌曰。阿佐士怒波良。許斯那豆牟。蘇良波由賀受。阿斯用由久那。又入其海鹽而。那豆美〈此三字以音〉行時歌曰。宇美賀由氣婆。許斯那豆牟。意富迦波良能。宇惠具佐。宇美賀波。伊佐用布。又飛居其磯之時歌曰。波麻都知登理。波麻用波由迦受。伊蘇豆多布。是四歌者。皆歌其御葬也。故至今其歌者。歌天皇之大御葬也。故自其國。飛翔行。留河內國之志幾。故於其地作御陵。鎭坐也。卽號其御陵。謂白鳥御陵也。然亦自其地更翔天以飛行。凡此倭建命。平國廻行之時。久米直之祖名七拳脛。恆爲膳夫以。從仕奉也。
現代語訳
そこでおっしゃった。「この山の神は、素手でじかに討ち取ってやろう」。そうおっしゃって、その山にお登りになるとき、山のほとりで白い猪に出会った。その大きさは牛ほどもあった。そこで言挙げ(高言)しておっしゃった。「この白い猪になっているのは、神の使いであろう。今は殺さずとも、帰るときに殺してやろう」。
こうおっしゃって山をお登りになった。すると神は大粒の雹(ひょう)を降らせて、倭建命を打ち惑わした。(この白い猪に化けていたものは、神の使いではなく、その神の本体であったのに、言挙げをなさったので、惑わされたのである。)そこで山を下りてこられ、玉倉部の清水に着いて休まれたとき、御心が少し正気に戻られた。それでその清水を居寤(いさめ)の清水という。
そこから出発して、当芸野のほとりに着かれたときにおっしゃった。「私の心はいつも、空をも翔けて行こうと思っていたのに、今は私の足は歩くこともできず、たぎたぎしく(よろよろと)なってしまった」。それで
その地を当芸という。その地からほんの少し進まれたが、ひどくお疲れになったので、御杖をついて、そろそろと歩まれた。それでその地を杖衝坂という。尾津の崎の一本松のもとに着かれると、先に食事をなさったとき、そこに忘れておいた御刀が、なくならずにまだあった。そこでお詠みになった歌は、
尾張の国にまっすぐ向かい合っている、尾津の崎の一本松よ、わが兄よ。一本松が人であったなら、太刀をはかせてやろうものを、衣を着せてやろうものを。一本松よ、わが兄よ。
その地から進んで、三重の村に着かれたとき、また「私の足は三重に折れ曲がった餅のようになって、ひどく疲れた」とおっしゃった。それでその地を三重という。
そこから進んで、能煩野に着かれたとき、故郷を偲んで歌われた歌は、
大和は国の中で最もすぐれたところだ。重なり合う青い垣根のような山々に囲まれた大和は、本当に美しい。
また、
命の無事な人は、(たたみこも)平群の山の大きな樫の葉を、髪飾りに挿して楽しむがよい、皆の者よ。
この歌は思国歌(くにしのびうた)である。また歌われた歌は、
ああ、なつかしい。わが家の方から、雲が湧き立ってくることよ。
これは片歌である。このとき、御病が急に重くなった。そこで詠まれた歌は、
乙女の床のそばに、私が置いてきた剣の太刀、ああ、あの太刀よ。
こう歌い終えるとすぐにお亡くなりになった。そこで早馬の使いを都に送って知らせた。
そこで大和にいらした后たちや御子たちが、みな下ってきて、御陵を作り、そのまわりの田を這いまわって、声をあげて泣きながら歌われた歌は、
まわりの田の稲の茎に、稲の茎に、這いまつわっているところ葛のように、私たちは這いまわって泣いている。
すると倭建命の魂は、大きな白い鳥となって、空に翔け上り、浜に向かって飛んでいった。そこでその后たちや御子たちは、そのあたりの篠竹の切り株で足が切れて傷ついても、その痛さも忘れて、泣きながら追いかけていった。このときの歌は、
低い篠竹の原を行くと、腰にまつわりついて進めない。空を飛んでは行けず、足で歩いて行くもどかしさよ。
また海の潮に入って、難儀しながら進まれたときの歌は、
海を行くと、腰にまつわりついて進めない。大きな川原に生えている草のように、海では波にただよい揺れることよ。
また白鳥が飛んで磯にとまったときの歌は、
浜の千鳥は、浜を通って行かずに、磯伝いに飛んでいく。
この四首の歌は、みな倭建命の御葬儀に歌ったものである。それで今でも、この歌は天皇の御葬儀に歌うのである。そして白鳥はその国から飛び翔けて、河内の国の志幾にとどまった。そこでその地に御陵を作って、鎮まっていただいた。この御陵を白鳥の御陵という。しかし白鳥は、またその地からさらに空高く翔け上って飛んでいった。すべてこの倭建命が国々を平定してまわられたとき、久米直の祖、名は七拳脛が、いつも料理人としてお供をしてお仕えした。
意訳
草薙剣を美夜受比売のもとに置いてきた倭建命は、素手で伊吹山の神を討とうとします。白い猪を神の使いと見くびり、「帰りに殺してやる」と言挙げしたことが命取りになりました。猪は神そのものだったのです。剣を手放した油断と、神を侮る傲りが、英雄の破滅を招きました。
病に冒された倭建命の帰り道は、「たぎたぎしく(よろよろと)」なった当芸、杖をついた杖衝坂、足が三重に曲がった三重と、弱っていく様子が地名の由来として語られます。尾津の崎では、置き忘れた刀を守っていた一本松に「わが兄よ」と呼びかけます。孤独な旅の中で、松の木に親しみを覚える英雄の姿が胸を打ちます。
能煩野で死を前にした倭建命は、「倭は国のまほろば」と故郷の大和をたたえる思国歌を詠みます。最後の歌は、美夜受比売のもとに置いてきた草薙剣を思う歌でした。「その大刀はや」と剣を呼びながら、英雄は大和を目前にして息絶えます。
倭建命の魂は白鳥となって大和の方へ飛び去り、后や御子たちは篠竹で足を傷つけながら追いかけます。この四首は天皇の葬儀に歌われるようになったといいます。白鳥は大和を経て河内の志幾にとどまり、さらに天高く飛び去っていきました。
語釈・文法注
- 徒手
- 「むなで」。素手。剣を持たずに神を討とうとした。
- 白猪
- 白い猪。伊吹山の神の化身。日本書紀では大蛇の姿で現れる。
- 言擧
- 言葉に出して言い立てること。神に対する不用意な言挙げは災いを招くと考えられた。
- 大冰雨
- 「おほひさめ」。激しく降る雹(ひょう)や霰(あられ)。
- 正身
- 「むざね」。本体、正体。
- 居寤の淸泉
- 正気に戻った清水の意。滋賀県米原市醒井の居醒の清水とされる。
- 當藝
- 岐阜県養老郡の辺り。足がたぎたぎしく(よろよろと)なったことによる地名とする。
- 杖衝坂
- 三重県四日市市の坂。杖をついて登ったことによる名とする。
- 尾津の前
- 三重県桑名市多度町の辺り。かつては海に面した岬だった。
- 吾兄
- 「あせ」。親しい男性への呼びかけ。ここでは一本松を親しい友のように呼ぶ。
- 三重
- 三重県の名の由来とされる。足が三重に折れ曲がったように疲れたことによる。
- 能煩野
- 三重県亀山市の辺り。亀山市の能褒野王塚古墳が倭建命の陵に治定されている。
- まほろば
- すぐれたところ、秀でたところ。
- 靑垣山隱れる
- 青い垣根のように重なる山々に囲まれている。大和盆地のこと。
- 隱白橋
- 「くまかし」。大きな樫の木。その葉を髪に挿すのは長寿を願うまじない。
- 髻華
- 「うず」。髪に挿す飾り。草木の枝や花を挿した。
- 思國歌
- 「くにしのびうた」。故郷を偲ぶ歌。日本書紀では景行天皇が日向で詠んだ歌とする。
- 片歌
- 五七七の三句からなる歌。
- つるぎの大刀
- 美夜受比売のもとに置いてきた草薙剣。
- 驛使
- 「はゆまづかひ」。早馬で知らせを伝える使者。
- 靡附き田
- 「なづきた」。御陵のまわりの田。
- 薢葛
- 「ところづら」。ヤマノイモ科のつる草、トコロ。
- 八尋白智鳥
- 大きな白い鳥。白鳥。倭建命の魂が鳥となって飛び去った。
- 小竹の刈杙
- 刈り取った篠竹の切り株。
- 御葬
- 「みはぶり」。葬儀。この四首の歌が天皇の葬儀に歌われたという。
- 志幾
- 河内国志紀郡(大阪府藤井寺市・羽曳野市の辺り)。羽曳野市に白鳥陵とされる古墳がある。
- 七拳脛
- 「ななつかはぎ」。久米直の祖。倭建命の料理人として東征に従った。
文法
- 原文の「足跳破」
- 底本の原文は「雖足跳破」と刷る(通行本文は「䠊」)。底本どおりとした。
- 原文の「比登都麻都阿勢袁」
- 底本は「一つ松吾兄を」の原文を、句点で区切らずに刷る。底本どおりとした。
- 舵の形
- 底本の訓み下しは「舵」に「たぎし」とふりがなを付ける。原文は「當藝斯形」。足がよろめいて、舵のように曲がった形の意に訓む。
- 四歌
- 后や御子たちの歌三首と、白鳥が磯にとまったときの歌一首を合わせた四首。
歌謡
尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 吾兄を 一つ松 人にありせば 太刀佩けましを 衣著せましを 一つ松 吾兄を
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 尾津の崎の一本松のもとで、以前置き忘れた刀がなくならずに残っていたのを見て詠んだ歌。
修辞
- 反実仮想
- 「人にありせば…ましを」で、松が人であったならと仮想する。
- くり返し
- 「一つ松 吾兄を」を初めと終わりにくり返す。
倭は 國のまほろば たゝなづく 靑垣山隱れる 倭し美はし
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 能煩野で死を前にして、故郷の大和を偲んで詠んだ思国歌。
修辞
- 枕詞
- 「たたなづく」は「青垣」にかかる。
- 対句
- 「倭は」で始め「倭し」で結び、大和をたたえる。
命の 全けむ人は 疊菰 平羣の山の 隱白橋が葉を 髻華に插せ その子
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 思国歌の続き。生き残る人々に呼びかけた歌。
修辞
- 枕詞
- 「たたみこも」は「平群」にかかる。
はしけやし 吾家の方よ 雲居起ち來も
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 故郷の方角に立つ雲を見て詠んだ片歌。
修辞
- 片歌
- 五七七の三句の歌。
孃女の 牀の邊に 吾が置きし つるぎの大刀 其の大刀はや
- 詠者
- 倭建命
- 状況
- 病が急に重くなり、死の直前に美夜受比売のもとに置いてきた草薙剣を思って詠んだ歌。
修辞
- くり返し
- 「つるぎの大刀 其の大刀はや」と大刀をくり返して呼びかける。
靡附きの 田の稻幹に 稻幹に 蔓延廻ろふ 薢葛
- 詠者
- 倭建命の后たち・御子たち
- 状況
- 御陵のまわりの田を這いまわって泣きながら歌った歌。
修辞
- 比喩
- 稲の茎にまつわりつく「ところづら」に、這いまわって嘆く自分たちをたとえる。
淺小竹原 腰煩む 虛空は行かず 足よ行くな
- 詠者
- 倭建命の后たち・御子たち
- 状況
- 白鳥となって飛び去る倭建命を、篠竹の原で足を傷つけながら追ったときの歌。
修辞
- 対比
- 空を飛べる鳥と、足で歩くしかない自分たちを対比させる。
海が行けば 腰煩む 大河原の 植草 海がは いさよふ
- 詠者
- 倭建命の后たち・御子たち
- 状況
- 海の潮に入って難儀しながら白鳥を追ったときの歌。
修辞
- 比喩
- 川原の草が揺れるように、波に揺られて進めないさまをたとえる。
濱つ千鳥 濱よは行かず 磯傳ふ
- 詠者
- 倭建命の后たち・御子たち
- 状況
- 白鳥が飛んで磯にとまったときの歌。
修辞
- 比喩
- 磯伝いに飛ぶ千鳥に、白鳥となった倭建命の姿を重ねる。
解説
倭建命の最期は、古事記の中でも最も文学的に優れた部分とされます。英雄が神を侮って力を失い、故郷を目前にして倒れるという筋は、悲劇の英雄の典型です。「倭は国のまほろば」の歌は、日本書紀では景行天皇が九州で詠んだ歌とされていますが、古事記はこれを死にゆく倭建命の口に置くことで、故郷への思いを強く印象づけています。
当芸・杖衝坂・三重など、弱っていく倭建命の足取りを地名の由来として語る形は、古代の人々が土地の名に英雄の記憶を刻んで語り継いだことを示しています。白鳥となって飛び去る結末は、鳥を魂の運び手とみる古代の信仰を背景にしています。
后たちの四首が天皇の葬儀に歌われたという記述は、これらの歌がもとは葬送の儀礼歌であったことを示すとされます。白鳥陵は、三重県亀山市(能褒野)、奈良県御所市、大阪府羽曳野市の三か所にあると伝えられています。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。188〜193頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日