古典ライブラリー

古事記 上巻

黄泉の国

亡き妻伊邪那美命に会うため黄泉の国を訪れた伊邪那岐命は、「見てはならない」という禁を破って、蛆がわき八柱の雷神が取りつく妻の姿を見てしまう。追手を桃の実で退け、黄泉比良坂を千引の石でふさいで、妻と別れの言葉を交わす。

  1. 1こゝにこゝにここに其そ其そそののの妹いも妹いもいも伊邪那美いざなみ伊邪那美いざなみいざなみののの命みこと命みことみことををを相見あひみ相見あひみあいみまくまくまく思おも思おもおもほしてほしておして、、、ににに追お追おおひひい出い出いいでましきでましきでましき。。。卽すなは卽すなはすなわちちちよりよりより出い出いいでむかへますでむかへますでむかえます時とき時ときときににに、、、伊邪那岐いざなぎ伊邪那岐いざなぎいざなぎののの命みこと命みことみことかたらひかたらひかたらい給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「愛うつく愛うつくうつくしきあがしきあがしきあが那邇妹なにも那邇妹なにもなにもののの命みこと命みことみこと、、、吾あ吾ああ汝な汝ななととと作つく作つくつくれりしれりしれりし國くに國くにくに、、、未いま未いまいまだだだ作つく作つくつくりりり竟を竟ををへずあればへずあればへずあれば還かへ還かへかえりまさねりまさねりまさね。。。」」」ととと宣の宣ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに伊邪那美いざなみ伊邪那美いざなみいざなみののの命みこと命みことみことののの申まを申まをもうししし給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「悔くや悔くやくやしきかもしきかもしきかも、、、速と速ととくくく來き來ききまさずてまさずてまさずて、、、吾あ吾ああはははひしつひしつひしつ。。。然しか然しかしかれどもれどもれども愛うつく愛うつくうつくしきしきしき我あ我ああがががののの命みこと命みことみこと入い入いいりりり來き來ききませるませるませる事こと事ことことかしこければかしこければかしこければ還かへ還かへかえりなむりなむりなむををを、、、先ま先ままづつばらかにづつばらかにずつばらかに黃泉神よもつかみ黃泉神よもつかみよもつかみとあげつらはむとあげつらはむとあげつらわむ、、、我あ我ああをををななな見み見みみ給たま給たまたまひそひそいそ。。。」」」かくかくかく申まを申まをもうしてしてして、、、そのそのその殿內とのぬち殿內とのぬちとのぬちににに入い入いいりませるりませるりませる程ほど程ほどほど、、、いといといと久ひさ久ひさひさしくてしくてしくて待ま待ままちかねちかねちかね給たま給たまたまひきひきいき。。。故かれ故かれかれ左ひだり左ひだりひだりのののににに刺さ刺さささせるさせるさせるののの男柱をばしら男柱をばしらおばしら一ひと一ひとひとつつつ取と取ととりりり闕か闕かかきてきてきて、、、一ひと一ひとひとつつつ火ひ火ひひともしてともしてともして入い入いいりりり見み見みみますますます時とき時ときときににに、、、たかれとろゝぎてたかれとろゝぎてたかれとろろぎて、、、御頭みかしら御頭みかしらみかしらにににははは大雷おほいかづち大雷おほいかづちおおいかずち居を居をおりりり、、、御胸みむね御胸みむねみむねにににははは火雷ほのいかづち火雷ほのいかづちほのいかずち居を居をおりりり、、、御腹みはら御腹みはらみはらにににははは黑雷くろいかづち黑雷くろいかづちくろいかずち居を居をおりりり、、、御陰みほと御陰みほとみほとにににははは拆雷さくいかづち拆雷さくいかづちさくいかずち居を居をおりりり、、、左ひだり左ひだりひだりののの御手みて御手みてみてにににははは若雷わかいかづち若雷わかいかづちわかいかずち居を居をおりりり、、、右みぎり右みぎりみぎりののの御手みて御手みてみてにににははは土雷つちいかづち土雷つちいかづちつちいかずち居を居をおりりり、、、左ひだり左ひだりひだりののの御足みあし御足みあしみあしにににははは鳴雷なるいかづち鳴雷なるいかづちなるいかずち居を居をおりりり、、、右みぎり右みぎりみぎりののの御足みあし御足みあしみあしにににははは伏雷ふしいかづち伏雷ふしいかづちふしいかずち居を居をおりりり、、、幷あは幷あはあわせてせてせて八や八ややくさのくさのくさのなりなりなり居を居をおりきりきりき。。。於是欲相見其妹伊邪那美命。追往黃泉國。爾自殿縢戶出向之時。伊邪那岐命語詔之。愛我那邇妹命。吾與汝所作之國。未作竟。故可還。爾伊邪那美命答白。悔哉不速來。吾者爲黃泉戶喫。然愛我那勢命。〈那勢二字以音下效此〉入來坐之事恐。故欲還。且具與黃泉神相論。莫視我。如此白而。還入其殿內之間。甚久難待。故刺左之御美豆良〈三字以音下效此〉湯津津間櫛之男柱一箇取闕而。燭一火。入見之時。宇士多加禮斗呂呂岐弖〈此十字以音〉於頭者大雷居。於胸者火雷居。於腹者黑雷居。於陰者拆雷居。於左手者若雷居。於右手者土雷居。於左足者鳴雷居。於右足者伏雷居。幷八雷神成居。
  2. 2こゝにこゝにここに伊邪那岐いざなぎ伊邪那岐いざなぎいざなぎののの命みこと命みことみこと見み見みみかしこみてかしこみてかしこみて逃に逃ににげげげ還かへ還かへかえりますりますります時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの妹いも妹いもいも伊邪那美いざなみ伊邪那美いざなみいざなみののの命みこと命みことみこと、、、「「「あれにあれにあれに恥はぢ恥はぢはじ見み見みみせせせ給たま給たまたまひつひついつ。。。」」」ととと申まを申まをもうしたまひてしたまひてしたまいて、、、やがてやがてやがてををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして追お追おおはしめきはしめきわしめき。。。かれかれかれ、、、伊邪那岐いざなぎ伊邪那岐いざなぎいざなぎののの命みこと命みことみこと、、、黑御鬘くろみかづら黑御鬘くろみかづらくろみかずらををを取と取ととりてりてりて投いた投いたいたげげげうてうてうて給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、乃すなは乃すなはすなわちちち生な生ななりきりきりき。。。こここをををひりひひりひひりい食は食ははむむむ間ま間ままににに逃に逃ににげいでますげいでますげいでますををを、、、猶なほ猶なほなお追お追おおひしかばひしかばいしかば、、、亦また亦またまたそのそのその右みぎり右みぎりみぎりののの御美豆良みみづら御美豆良みみづらみみずらににに刺さ刺さささせるさせるさせる湯津津間櫛ゆつつまぐし湯津津間櫛ゆつつまぐしゆつつまぐしををを引ひ引ひひききき闕か闕かかきてきてきて投いた投いたいたげげげうてうてうて給たま給たまたまへばへばえば、、、乃すなは乃すなはすなわちちち生な生ななりきりきりき。。。こここををを拔ぬ拔ぬぬききき食は食ははむむむ間ま間ままににに逃に逃ににげいでましきげいでましきげいでましき。。。またまたまた後のち後のちのちにににはははかのかのかの八や八ややくさのくさのくさの雷神いかづちがみ雷神いかづちがみいかずちがみににに、、、千五百ちいほ千五百ちいほちいおののの黃泉軍よもついくさ黃泉軍よもついくさよもついくさををを副そ副そそへてへてえて追お追おおはしめきはしめきわしめき。。。かれかれかれ、、、みみみはかせるはかせるはかせる十拳劍とつかつるぎ十拳劍とつかつるぎとつかつるぎををを拔ぬ拔ぬぬきてきてきて、、、後手しりへで後手しりへでしりえでにににふきつゝふきつゝふきつつ逃に逃ににげげげ來き來ききませるませるませるををを、、、猶なほ猶なほなお追お追おおひてひていてののの坂本さかもと坂本さかもとさかもとににに到いた到いたいたるるる時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの坂本さかもと坂本さかもとさかもとなるなるなるののの實み實みみををを三み三みみつとりてつとりてつとりて待ま待ままちちち擊う擊ううちちち給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、こと〴〵にこと〴〵にことごとに逃に逃ににげげげ返かへ返かへかえりきりきりき。。。こゝにこゝにここに伊邪那岐いざなぎ伊邪那岐いざなぎいざなぎののの命みこと命みことみこと桃もも桃ももももににに宣の宣ののりりり給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「いましいましいまし吾あ吾ああををを助たす助たすたすけしがごとけしがごとけしがごと、、、葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ國くに國くにくににあらゆるにあらゆるにあらゆる現うつ現うつうつしきしきしきののの、、、苦瀨うきせ苦瀨うきせうきせににに落お落おおちてちてちて苦くる苦くるくるしまむしまむしまむ時とき時ときときににに助たす助たすたすけよけよけよ。。。」」」ととと宣の宣ののりりり給たま給たまたまひてひていて、、、ののの命みこと命みことみことといふといふという名な名ななをををたまひきたまひきたまいき。。。於是伊邪那岐命。見畏而逃還之時。其妹伊邪那美命言令見辱吾。卽遣豫母都志許賣〈此六字以音〉令追。爾伊邪那岐命取黑御鬘投棄。乃生蒲子。是摭食之間逃行。猶追。亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄。乃生笋。是拔食之間。逃行。且後者。於其八雷神。副千五百之黃泉軍令追。爾拔所御佩之十拳劒而。於後手布伎都都〈此四字以音〉逃來。猶追。到黃泉比良〈此二字以音〉坂之坂本時。取在其坂本桃子三箇。待擊者。悉逃返也。爾伊邪那岐命告桃子。汝如助吾。於葦原中國所有宇都志伎〈此四字以音〉靑人草之。落苦瀨而患惚時。可助告。賜名號意富加牟豆美命。〈自意至美以音〉
  3. 3最後いやはて最後いやはていやはてににに、、、そのそのその妹いも妹いもいも伊邪那美いざなみ伊邪那美いざなみいざなみののの命みこと命みことみこと、、、みみみ自づか自づかずかららら追お追おおひひい來き來ききましきましきましき。。。卽すなは卽すなはすなわちちちののの石いは石いはいわををを、、、そのそのその黃泉比良坂よもつひらさか黃泉比良坂よもつひらさかよもつひらさかににに引ひ引ひひききき塞さ塞ささへてへてえて、、、其そ其そそののの石いは石いはいわををを中なか中なかなかににに置お置おおきてきてきて、、、相あひ相あひあいむきむきむき立た立たたたしてたしてたしてををを度わた度わたわたすすす時とき時ときときににに、、、伊邪那美いざなみ伊邪那美いざなみいざなみののの命みこと命みことみこと申まを申まをもうししし給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「愛うつく愛うつくうつくしきあがしきあがしきあが那勢なせ那勢なせなせののの命みこと命みことみこと、、、かくしかくしかくし給たま給たまたまはばはばわば、、、汝な汝ななののの國くに國くにくにののの人草ひとくさ人草ひとくさひとくさ、、、一日ひとひ一日ひとひひとひににに千頭ちがしら千頭ちがしらちがしら絞くび絞くびくびりりり殺ころ殺ころころさなさなさな。。。」」」ととと申まを申まをもうししし給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに伊邪那岐いざなぎ伊邪那岐いざなぎいざなぎののの命みこと命みことみことのりのりのり給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「愛うつく愛うつくうつくしきしきしき我あ我ああががが那邇妹なにも那邇妹なにもなにもののの命みこと命みことみこと、、、汝な汝なな然しか然しかしかししし給たま給たまたまはばはばわば、、、吾あ吾ああははは一日ひとひ一日ひとひひとひににに千五百產屋ちいほうぶや千五百產屋ちいほうぶやちいおうぶや立た立たたててなててなててな。。。」」」ととと宣の宣ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。是ここ是ここここををを以もつ以もつもつててて一日ひとひ一日ひとひひとひににに必かなら必かならかならずずず千人ちひと千人ちひとちひと死し死ししににに、、、一日ひとひ一日ひとひひとひににに必かなら必かならかならずずず千五百人ちいほひと千五百人ちいほひとちいおひとなもなもなも生う生ううまるゝまるゝまるる。。。かれかれかれ、、、そのそのその伊邪那美いざなみ伊邪那美いざなみいざなみののの命みこと命みことみことををを、、、ととと申まを申まをもうすすす。。。又また又またまたかのかのかの追お追おおひひい及し及ししきしにきしにきしに依よ依よよりてりてりて、、、道敷ちしき道敷ちしきちしきののの大神おほかみ大神おほかみおおかみととと申まを申まをもうすともすともすとも云い云いいへりへりえり。。。またまたまた其そ其そそののの黃泉よみ黃泉よみよみののの坂さか坂さかさかににに塞さや塞さやさやれりしれりしれりし石いは石いはいわははは、、、ののの大神おほかみ大神おほかみおおかみともともとも申まを申まをもうししし、、、またまたまた塞さや塞さやさやりますりますります黃泉戶よみど黃泉戶よみどよみどののの大神おほかみ大神おほかみおおかみともともとも申まを申まをもうすすす。。。かれそのかれそのかれその所謂いはゆる所謂いはゆるいわゆる、、、黃泉比良坂よもつひらさか黃泉比良坂よもつひらさかよもつひらさかははは、、、今いま今いまいま出雲いづも出雲いづもいずもののの國くに國くにくにのののとなもいふとなもいふとなもいう。。。最後其妹伊邪那美命。身自追來焉。爾千引石。引塞其黃泉比良坂。其石置中。各對立而。度事戶之時。伊邪那美命言。愛我那勢命。爲如此者。汝國之人草。一日絞殺千頭。爾伊邪那岐命詔。愛我那邇妹命。汝爲然者。吾一日立千五百產屋。是以一日必千人死。一日必千五百人生也。故號其伊邪那美命。謂黃泉津大神。亦云以其追斯伎〈此三字以音〉而。號道敷大神。亦所塞其黃泉坂之石者。號道反大神。亦謂塞坐黃泉戶大神。故其所謂黃泉比良坂者。今謂出雲國之伊賦夜坂也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そこで伊邪那岐命は、妻の伊邪那美命にもう一度会いたいと思って、黄泉の国まで追って行かれた。伊邪那美命が御殿の戸口から出迎えたとき、伊邪那岐命は「いとしい我が妻よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終えていない。だから帰っておいで」と語りかけられた。すると伊邪那美命は、「残念なこと、もっと早く来てくださらなかったので、私はもう黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。けれども、いとしいあなたがわざわざ来てくださったのは恐れ多いことですから、帰りたいと思います。しばらく黄泉の神と詳しく相談してみましょう。そのあいだ私を見ないでください」と申し上げた。こう言って御殿の中に戻っていったが、あまりに長いので、伊邪那岐命は待ちきれなくなられた。そこで左の角髪(みずら)に挿していた神聖な櫛の太い歯を一本折り取って、火をともして中に入って見ると、伊邪那美命の体には蛆がたかってうごめき、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には拆雷、左の手には若雷、右の手には土雷、左の足には鳴雷、右の足には伏雷がいて、あわせて八柱の雷神が取りついていた。

これを見た伊邪那岐命は恐ろしくなって逃げ帰ろうとされた。すると妻の伊邪那美命は「よくも私に恥をかかせましたね」と言って、すぐに黄泉の醜女(よもつしこめ)を遣わして追いかけさせた。伊邪那岐命が髪に飾った黒い蔓草の髪飾りを取って投げつけると、たちまち山ぶどうの実がなった。醜女たちがそれを拾って食べているあいだに逃げて行かれたが、なおも追ってきたので、今度は右の角髪に挿していた櫛の歯を折って投げつけると、たちまち筍が生えた。醜女たちがそれを抜いて食べているあいだに逃げ延びられた。その後、伊邪那美命はあの八柱の雷神に千五百もの黄泉の軍勢を付けて追わせた。伊邪那岐命は腰の十拳剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げてこられたが、なおも追ってくる。黄泉比良坂のふもとまで来たとき、そこに生えていた桃の実を三つ取って待ち構えて投げつけると、追手はことごとく逃げ帰った。そこで伊邪那岐命は桃の実に、「おまえが私を助けたように、葦原の中つ国に生きているすべての人々が、つらい目にあって苦しむときには助けてやってくれ」とおっしゃって、意富加牟豆美命という名をお与えになった。

最後に、妻の伊邪那美命が自ら追ってこられた。そこで伊邪那岐命は、千人がかりで引くほどの大岩をその黄泉比良坂に引いてきてふさぎ、その岩をあいだに置いて向かい合い、夫婦の別れの言葉を言い渡されたとき、伊邪那美命は「いとしいあなた、そのようなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を一日に千人絞め殺しましょう」と申し上げた。すると伊邪那岐命は「いとしい我が妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」とおっしゃった。こういうわけで、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるのである。それで伊邪那美命を黄泉津大神という。また、伊邪那岐命に追いついたので、道敷大神ともいう。また、黄泉の坂をふさいだ岩は道反之大神といい、塞り坐す黄泉戸大神ともいう。そしてその黄泉比良坂は、今の出雲の国の伊賦夜坂であるという。

意訳

「私を見ないでください」と言われて見てしまう――「見るなの禁」と呼ばれる型の物語で、のちの豊玉毘売命の出産の話や、昔話の「鶴の恩返し」にも通じます。伊邪那美命が見られたくなかったのは、腐敗していく死者の姿でした。黄泉の国の食べ物を口にした者は戻れない(黄泉戸喫)という考えはギリシア神話のペルセポネの話にも似ており、死の世界の掟の普遍性を感じさせます。

逃げる伊邪那岐命が髪飾りや櫛を投げると、山ぶどうや筍に変わって追手の足を止めます。これは昔話の「三枚のお札」と同じ「呪的逃走」の型です。最後に桃の実が追手を退けるのは、中国から伝わった、桃に邪気を払う力があるという信仰によるもので、桃太郎の鬼退治や節分の行事にもつながっています。

黄泉比良坂を大岩でふさいだ二神の言い合いは、人の死と誕生の起源を語っています。毎日千人が死に、千五百人が生まれる――死は避けられないが、生まれる命がそれを上回るので人は絶えない。愛し合った夫婦の決別を通して、生と死の秩序が定まるという、深い哀しみと力強さを合わせもつ場面です。

語釈・文法注

黃泉國
死者の行く地下の国。「よみ」は「闇」「山」などに由来するとする説があり、漢字の「黄泉」は中国で地下の泉(死者の世界)をいう語を当てたもの。
殿縢戶
御殿の閉ざされた戸口。原文の「殿縢戸」を宣長は「とのど」と訓む。
黃泉戶喫
黄泉の国のかまどで煮たきした食べ物を食べること。それを食べると、その世界の者になってしまい、もとの世界には戻れないと考えられた。
那勢
「なせ」。女性から夫や兄を親しんで呼ぶ語。男性から妻や妹を呼ぶ「なにも(那邇妹)」と対になる。
御美豆良
角髪(みずら)。髪を左右に分けて耳のあたりで束ねて輪にする、古代の男性の髪型。
湯津津間櫛
神聖な、歯の多い櫛。「男柱」はその両端の太い歯。
蛆たかれとろゝぎて
蛆がたかってごろごろと鳴る(うごめく)さま。原文は「宇士多加禮斗呂呂岐弖」と音で書く。底本は「斗呂呂岐弖」と刷る(真福寺本などは「許呂呂岐弖」)。
八くさの雷神
伊邪那美命の体の八か所に取りついていた八柱の雷神。死体の腐敗の恐ろしさを雷の神々として表したもの。
豫母都志許賣
黄泉の醜女(よもつしこめ)。「しこ」は醜い、恐ろしいの意。黄泉の国の女の鬼。
蒲子
山ぶどうの実。原文の「蒲子」を「えびかづらのみ」と訓む。髪飾りの蔓草(黒御鬘)が実を結んだもの。
笋
筍(たけのこ)。櫛は竹で作られたので、筍に変わったとされる。
黃泉比良坂
黄泉の国と地上(葦原の中つ国)の境にある坂。「ひら」は崖や傾斜地の意とされる。
桃
中国では桃に邪気や鬼を払う力があるとされ、その信仰が日本にも伝わった。
靑人草
人々。人が増えるさまを青々と茂る草にたとえた語。
意富加牟豆美の命
桃の実に与えられた神名。「大神(おほかむ)つ実」の意とされる。
千引の石
千人がかりで引くほどの大きな岩。この岩が、生者の世界と死者の世界を永遠に隔てることになった。
事戶を度す
夫婦の縁を切る言葉を言い渡すこと。「ことど」は離縁の言葉と解される。
黃泉津大神
黄泉の国の主神。伊邪那美命は死者の世界を治める神となった。
道反の大神
黄泉からの道を引き返させる神。黄泉比良坂をふさいだ岩を神としてあがめたもの。
伊賦夜坂
出雲国意宇郡の坂。島根県松江市東出雲町揖屋にあたるとされ、黄泉比良坂の伝承地が残る。

文法

相見まく
「相見る」の未然形+推量の助動詞「む」のク語法「まく」。「会うこと」の意で、「思ほして」に続いて「会いたいとお思いになって」となる。
な見給ひそ
「な…そ」で禁止を表す。「どうか見ないでください」とやわらかく頼む言い方。
絞り殺さな・立ててな
「な」は意志を表す終助詞。「…しよう」の意。二神が互いに言い返す対句になっている。
宇士多加禮斗呂呂岐弖
底本どおり。多くの本は「許呂呂岐弖(ころろきて)」とし、「ころろく」は喉を鳴らすような音を立てる意。底本の訓み下しは「とろゝぎて」とする。
こと〴〵に
「ことごとく」と同じで、残らずみな、の意。底本はくの字点で書く。

解説

黄泉の国の訪問は、古事記の神話の中でも特によく知られた場面です。死者の国を訪れて妻(あるいは恋人)を連れ戻そうとし、禁を破って失敗するという筋は、ギリシア神話のオルフェウスとエウリュディケの物語とよく似ており、世界の神話に共通する型として注目されてきました。

古事記の黄泉の国は、地下にあるとも、地上と地続きの坂の向こうにあるとも読めます。死者を横穴式の石室に葬り、入口を石でふさいだ古墳時代の葬法が、この描写に反映しているという説があります。暗い殿の中で火をともして見る腐乱した姿や、入口をふさぐ大岩は、石室の中の様子を思わせます。

最後の伊邪那岐命と伊邪那美命のやりとりは、人が死ぬことと、それでも人が増え続けることの起源を説明しています。これによって伊邪那美命は死者の世界の神(黄泉津大神)となり、二神の国生み・神生みの物語は終わります。この後、伊邪那岐命は黄泉の国の穢れを清めるために禊をし、そこから天照大御神らの三貴子が生まれることになります。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。36〜40頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日