平家物語 灌頂巻
女院御往生の事
寂光院の鐘が夕暮れを告げ、法皇は名残を惜しみながら還御した。女院は見送ったのち仏前で一門の菩提を祈り、昔は伊勢や八幡に天皇の長寿を祈ったのに、今は亡き人の成仏を祈るばかりであることを悲しんだ。女院と供の実定は庵の障子や柱に歌を書きつけ、時鳥の声にも女院は涙を重ねた。壇の浦で捕らえられた平家の人々は斬られ、流され、女房たちも身寄りを頼ってちりぢりになったが、これは清盛が思うままに権勢をふるった報いであった。やがて女院は病に伏し、五色の糸を手に念仏を唱えながら、建久二年二月中旬、紫雲たなびく中で往生をとげた。仕えた大納言佐の局と阿波の内侍も、のちに往生の願いを果たしたという。
- 1さるさるさる程程ほどににに寂寂じゃく光光こう院院いんののの鐘鐘かねののの聲聲こえ、、、今日今日きょうももも暮暮くれれれぬぬぬとととうちうちうち知知しららられれれ、、、夕夕せき陽陽よう西西にしににに傾傾かたぶけけけばばば、、、御御おん名名な殘殘ごりはははつきつきつきせせせずずず思思おぼし召召めささされれれけれけれけれどもどもども、、、御御おん涙涙なみだをををおさへおさへおさえててて還還かん御御ぎょならならならせせせたまひたまひたまいけりけりけり。。。女女にょう院院いんはははいつしかいつしかいつしか昔昔むかしをををややや思思おぼし召召めししし出出いださささせせせたまひたまひたまいけんけんけん、、、忍忍しのびびびあへあへあえぬぬぬ御御おん涙涙なみだににに、、、袖袖そでのののしがらみしがらみしがらみせきせきせきあへあへあえさせさせさせ給給たまははわずずず。。。御御おん後後うしろををを遙遙はるかかかににに御御ご覽覽らんじじじ送送おくつつっててて、、、還還かん御御ぎょもももやう〳〵やう〳〵ようよう延延のびびびさせさせさせ給給たまへへえばばば、、、御御おん庵庵あん室室しつににに入入いらららせせせ給給たまひひいててて、、、佛佛ほとけののの御御おん前前まえににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて、、、「「「天天てん子子し聖聖しょう靈靈りょう、、、成成じょう等等どう正正しょう覺覺がく、、、一一いち門門もん亡亡ぼう魂魂こん、、、頓頓とん證證しょう菩菩ぼ提提だい。。。」」」ととと祈祈いのりりり申申もうさささせせせ給給たまひひいけりけりけり。。。昔昔むかしはははまづまづまず東東ひがしににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて、、、伊伊い勢勢せ大大だい神神じん宮宮ぐう、、、正正しょう八八はち幡幡まん宮宮ぐう伏伏ふししし拜拜おがままませせせおはしましおはしましおわしまし、、、「「「天天てん子子し寶寶ほう算算さん千千せん秋秋しゅう萬萬ばん歳歳ぜい。。。」」」とととこそこそこそ祈祈いのりりり申申もうさささせせせ給給たまひひいしししににに、、、今今いまははは引引ひきききかへかへかえててて、、、西西にしににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて、、、「「「過過か去去こ聖聖しょう靈靈りょう、、、必必ひっ一一いち佛佛ぶつ土土ど。。。」」」ととと祈祈いのらららせせせ給給たまふふうこそこそこそ悲悲かなしけれしけれしけれ。。。
- 2女女にょう院院いんはははいつしかいつしかいつしか昔昔むかし戀戀こいしうしうしゅうもももややや思思おぼし召召めささされれれけんけんけん、、、御御おん庵庵あん室室しつののの御御おん障障しょう子子じににに斯斯こうううぞぞぞあそばさあそばさあそばされれれけるけるける。。。
- 3このこのこのごろごろごろはははいついついつならひならひならいてててかかかわがわがわが心心こころおほみやおほみやおおみや人人びとののの戀戀こいしかるしかるしかるらむらむらん
- 4いにしへいにしへいにしえももも夢夢ゆめににになりなりなりにににしししことことことなれなれなればばば柴柴しばのののあみあみあみ戸戸どののの久久ひさしからしからしからじじじななな
- 5またまたまた御御み幸幸ゆきののの供供ともににに候候さぶらははわれれれけるけるける德德とく大大だい寺寺じののの左左さ大大だい將將しょう實實じっ定定てい公公こう、、、御御おん庵庵あん室室しつののの柱柱はしらににに書書かきききつけつけつけられられられけるけるけるとととかやかやかや。。。
- 6いにしへいにしへいにしえははは月月つきにににたとへたとへたとえししし君君きみなれなれなれどどどそのそのその光光ひかりなきなきなきみやまみやまみやまべべべののの里里さと
- 7女女にょう院院いんははは來來こししし方方かた行行ゆくくく末末すえのののうれしううれしううれしゅう、、、つらかりつらかりつらかりししし事事ことどもどもども思思おぼし召召めしししつゞけつゞけつづけててて、、、御御おん涙涙なみだにににむせばむせばむせばせせせ給給たまふふう折折おりふしふしふし、、、山山やま時時ほとと鳥鳥ぎす二二ふた聲聲こえ三三み聲聲こえおとづれおとづれおとずれててて通通とおりりりけれけれければばば、、、女女にょう院院いん、、、
- 8いざいざいざさらばさらばさらば涙涙なみだくらべくらべくらべむむんほとゝぎすほとゝぎすほととぎすわれわれわれもももうきうきうき世世よににに音音ねをををのみのみのみぞぞぞなくなくなく
- 9そも〳〵そも〳〵そもそも壇壇だんののの浦浦うらにににててて生生いけ捕捕どりにににせせせられられられたりたりたりけるけるける二二に十十じゅう餘餘よ人人にんののの人人ひと々々びと、、、或或あるいははは頭頭こうべををを刎刎はねねねててて大大おお路路じををを渡渡わたささされれれ、、、或或あるいははは妻妻さい子子しににに別別わかれれれててて遠遠おん流流るせせせらるらるらる。。。池池いけののの大大だい納納な言言ごんののの外外ほかははは、、、一一いち人人にんももも命命いのちををを生生いけけけててて都都みやこににに置置おかかかずずず。。。四四し十十じゅう餘餘よ人人にんののの女女にょう房房ぼうたちたちたちののの御御おん事事ことははは、、、何何なにののの沙沙さ汰汰たにににももも及及およばばばずずず。。。親親しん類類るいににに從從したがひひい、、、所所しょ緣緣えんにににつきつきつきてててぞぞぞましましましましましましけるけるける。。。忍忍しのぶぶぶ思思おもひひいははは盡盡つきききせせせねねねどもどもども、、、さてさてさてこそこそこそ歎歎なげきききながらながらながらももも過過すごささされれれけれけれけれ。。。上上かみははは玉玉たまののの簾簾すだれののの内内うちまでまでまでももも、、、風風かぜ靜靜しずかかかなるなるなる家家いえもももなくなくなく、、、下下しもははは賤賤しずががが伏伏ふせ屋屋やののの内内うちまでまでまでももも、、、塵塵ちり治治おさまれまれまれるるる宿宿やどもももなしなしなし。。。枕枕まくらををを竝竝ならべべべししし妹妹いも脊脊せももも雲雲くも居居いのののよそよそよそににになりなりなりはつるはつるはつる。。。養養やしなひひい立立たてててししし親親おや子子こももも、、、行行ゆきききがたがたがた知知しらららずずず別別わかれれれけりけりけり。。。これこれこれははは入入にゅう道道どう相相しょう國國こく、、、上上かみははは一一いち人人じんをををももも恐恐おそれれれずずず、、、下下しもははは萬萬ばん民民みんをををももも顧顧かえりみみみずずず、、、死死し罪罪ざい、、、流流る刑刑けい、、、解解げ官官かん、、、停停ちょう任任にん、、、思思おもふふうさまさまさまににに常常つねににに行行おこなははわれれれしししががが罪罪つみののの致致いたすすす所所ところなりなりなり。。。されされさればばば父父ふ祖祖そののの善善ぜん惡惡あくははは、、、必必かならずずず子子し孫孫そんににに及及およぶぶぶととといふいふいう事事ことははは、、、疑疑うたがひひいなしなしなしとととぞぞぞ見見みえええけるけるける。。。
- 10かくかくかくててて女女にょう院院いんははは空空むなしうしうしゅう年年とし月月つきををを送送おくらららせせせ給給たまふふう程程ほどににに、、、例例れいならならならぬぬぬ御御おん心心ここちちち出出いででで來來こさせさせさせ給給たまひひいててて、、、うちうちうち臥臥ふさささせせせ給給たまひひいしししががが、、、日日ひ頃頃ごろよりよりより思思おぼし召召めししし設設もうけけけたるたるたる事事ことなれなれなればばば、、、佛佛ほとけののの御御おん手手てにににかけかけかけられられられたりたりたりけるけるける、、、五五ご色色しきののの絲絲いとをををひかへひかへひかえつゝつゝつつ、、、「「「南南な無無む西西さい方方ほう極極ごく樂樂らく世世せ界界かいののの教教きょう主主しゅ彌彌み陀陀だ如如にょ來來らい、、、本本ほん願願がん過過あやまちちちたまはたまはたまわずずずばばば、、、必必かならずずず引引いん攝攝じょうししし給給たまへへえ。。。」」」とととててて御御おん念念ねん佛佛ぶつありありありしかしかしかばばば、、、大大だい納納な言言ごんののの佐佐すけののの局局つぼね、、、阿阿あ波波はののの内内ない侍侍し、、、左左さ右右ゆうににに候候さぶらひひいててて、、、今今いまををを限限かぎりりりののの御御おん名名な殘殘ごり惜惜おしさしさしさににに、、、聲聲こえ々々ごえにににをめきをめきおめき叫叫さけびびびたまひたまひたまいけりけりけり。。。御御おん念念ねん佛佛ぶつののの御御おん聲聲こえやう〳〵やう〳〵ようよう弱弱よわらららせせせまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、西西にしににに紫紫し雲雲うんたなたなたな引引びききき、、、異異い香香きょう室室しつににに充充みちちちててて、、、音音おん樂樂がく空空そらににに聞聞きこゆゆゆ。。。限限かぎりりりあるあるある御御おん事事ことなれなれなればばば、、、建建けん久久きゅう二二に年年ねん二二に月月がつ中中ちゅう旬旬じゅんににに一一いち期期ご遂遂ついににに終終おわらららせせせ給給たまひひいけりけりけり。。。
- 11二二ふた人人りののの女女にょう房房ぼうたちたちたちははは、、、后后きさいののの宮宮みやののの御御おん位位くらいよりよりよりつきつきつき參參まいらららせせせててて、、、片片かた時時ときももも離離はなれれれ參參まいらららせせせずずずしししててて候候さぶらははわれれれしかしかしかばばば、、、別別わかれ路路じののの御御おん時時ときももも、、、やるやるやる方方かたなくなくなくぞぞぞ思思おもははわれれれけるけるける。。。このこのこの女女にょう房房ぼうたちたちたちははは、、、昔昔むかしののの草草くさのののゆかりゆかりゆかりももも皆皆みな枯枯かれれれはてはてはてててて、、、寄寄よるるる方方かたもももなきなきなき身身みなれなれなれどもどもども、、、折折おり々々おりののの御御おん佛佛ぶつ事事じ營營いとなみみみ給給たまふふうぞぞぞあはれあはれあわれなるなるなる。。。このこのこの人人ひと々々びとははは、、、終終ついにににははは龍龍りゅう女女にょががが正正しょう覺覺がくののの跡跡あとををを追追おひひい、、、韋韋い提提だい希希け夫夫ぶ人人にんののの如如ごとくくくににに、、、みなみなみな往往おう生生じょうののの素素そ懷懷かいををを遂遂とげげげけるけるけるとととぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。
現代語訳
そのうちに寂光院の鐘の声に、今日も暮れたと知られ、夕日が西に傾いたので、名残は尽きないと思われたけれども、法皇は涙をおさえてお帰りになった。女院はいつしか昔のことを思い出されたのであろうか、こらえきれない涙に、袖のしがらみでもせきとめることがおできにならない。法皇のお後ろ姿をはるかに見送られ、還御の行列もしだいに遠ざかっていったので、御庵室にお入りになって仏の御前に向かい、「天子の御霊が正しい悟りを得られますように。一門の亡き魂がすみやかに菩提を得られますように」とお祈りになった。昔はまず東に向かって伊勢大神宮・石清水八幡宮を伏し拝まれ、「帝のご寿命が千年万年と続きますように」とお祈りになったのに、今はうって変わって西に向かい、「亡き人々の御霊が必ず同じ仏の国に生まれますように」とお祈りになるのは悲しいことである。
女院はいつしか昔を恋しく思われたのであろうか、御庵室の御障子にこのようにお書きになった。
このごろは、いつのまに慣れてしまったのか、わが心は宮中の人々が恋しくてならないのであろう。
昔のことも夢になってしまったのだから、この柴の編戸の住まいも長くは続くまい。
また御幸のお供をしていた徳大寺の左大将実定公は、御庵室の柱にこう書きつけられたということである。
昔は月にたとえた君であるけれど、その光も今はない、この深山辺の里よ。
女院は過ぎし日とこれからのことの、うれしかったことやつらかったことを思い続けられて、涙にむせんでおられたそのとき、山時鳥が二声三声鳴いて通り過ぎたので、女院は、
さあそれならば涙を比べよう、時鳥よ。私もつらい世に声をあげて泣いてばかりいるのだから。
そもそも壇の浦で生け捕りにされた二十余人の人々は、あるいは首を斬られて大路を渡され、あるいは妻子と別れて遠流にされた。池の大納言のほかは、一人も命を助けて都に置くことはなかった。四十余人の女房たちのことは、何の処分もなかった。親類に従い、縁故を頼って身を寄せておられた。人目を忍ぶ思いは尽きないけれども、そのようにして嘆きながらも日を送られたのである。上は玉の簾の内までも風の静かな家はなく、下は賤しい者の伏屋の内までも塵の治まる宿はない。枕を並べた夫婦も遠く離ればなれになってしまい、育て上げた親子も行方も知れずに別れてしまった。これは入道相国が、上は天子をも恐れず、下は万民をも顧みず、死罪・流刑・解官・停任を思うままにいつも行われた罪のいたすところである。だから父祖の善悪が必ず子孫に及ぶということは、疑いないと思われた。
こうして女院はむなしく年月を送っておられるうちに、ご病気になられ、床に伏しておられたが、日ごろから覚悟しておられたことなので、仏の御手に掛けられた五色の糸を手に取りながら、「南無西方極楽世界の教主阿弥陀如来、本願をお誤りにならないなら、必ずお導きください」と言ってお念仏を唱えられたので、大納言佐の局と阿波の内侍が左右にお仕えして、今を限りのお名残惜しさに、声々に泣き叫ばれた。お念仏のお声がしだいに弱くなられると、西に紫の雲がたなびき、えもいわれぬ香りが部屋に満ちて、音楽が空に聞こえた。限りある御命なので、建久二年二月中旬に、ご生涯をついに終えられた。
二人の女房は、女院が后の宮の位にあったころからお仕えして、片時も離れずにお仕えしてきたので、ご臨終の別れのときも、心の晴らしようもなく思われた。この女房たちは、昔の縁者もみな絶え果てて、身を寄せる所もない身であったが、折々の仏事を営まれたのは哀れである。この人々もついには、龍女が成仏した跡を追い、韋提希夫人のように、皆往生の願いを遂げたということである。
意訳
大原御幸を終えた法皇の還御から、女院の往生までを語り、『平家物語』全巻を結ぶ章段である。昔は天皇の長寿を祈った女院が今は亡き人の成仏を祈るという対比や、障子や柱に書きつけられた歌々が、栄華の夢から覚めた女院の境遇を静かに浮かび上がらせる。
平家の人々の末路を語ったあと、それを清盛の悪行の報いとし、「父祖の善悪は必ず子孫に及ぶ」と結ぶのは、冒頭「祇園精舎」の「驕れる人も久しからず」と響き合う物語の総括である。そして紫雲たなびく中での女院の往生と、仕えた女房たちの往生をもって、物語は鎮魂と救いのうちに幕を閉じる。
語釈・文法注
文法
- 「袖のしがらみせきあへさせ給はず」
- 袖をしがらみ(水をせきとめる柵)にしても、涙をせきとめることがおできにならない。
- 「天子寶算千秋萬歳」
- 天皇のご寿命が千年万年続きますように。
- 「過去聖靈、必一佛土」
- 亡き人々の御霊が必ず同じ仏の国土に生まれますように。
- 「おほみや人」
- 大宮人。宮中に仕える人々。
- 「その光なきみやまべの里」
- 「光なき」に、深山の里の暗さと、栄華を失った女院の境遇を重ねる。
- 「池の大納言」
- 平頼盛。清盛の異母弟で、頼朝の助命を受けた池禅尼の子。
- 「妹脊」
- 夫婦。
- 「死罪、流刑、解官、停任」
- 死刑、流罪、官職の剥奪、職務の停止。清盛が行った処罰。
- 「五色の絲をひかへつゝ」
- 阿弥陀仏の手に掛けた五色の糸を手に取りながら。臨終の人が仏に導かれるための作法。
- 「引攝」
- 仏が衆生を浄土へ導き入れること。
- 「紫雲たな引き、異香室に充ちて、音樂空に聞ゆ」
- 往生を示す瑞相。
- 「龍女が正覺の跡を追ひ」
- 『法華経』で、八歳の龍女がたちまち成仏した例にならい。
- 「韋提希夫人」
- 『観無量寿経』に登場する王妃。釈迦の説法によって極楽往生を願った。
和歌
このごろはいつならひてかわが心おほみや人の戀しかるらむ
- 詠者
- 建礼門院
- 状況
- 大原御幸ののち、昔を恋しく思って御庵室の障子に書きつけた歌。
修辞
- いつならひてか
- いつ慣れてしまったのか。山里の暮らしに慣れたはずの心が、宮中の人を恋しく思うことへの驚き。
いにしへも夢になりにしことなれば柴のあみ戸の久しからじな
- 詠者
- 建礼門院
- 状況
- 同じく御庵室の障子に書きつけた歌。
修辞
- 柴のあみ戸
- 柴を編んだ戸。粗末な庵の住まい。
- 久しからじな
- 長くは続くまい。わが命の短さを思う。
いにしへは月にたとへし君なれどその光なきみやまべの里
- 詠者
- 藤原実定
- 状況
- 大原御幸の供をした徳大寺実定が、御庵室の柱に書きつけた歌。
修辞
- 月にたとへし君
- 昔は月のように輝いていた后。
- 光なき
- 女院の栄華の光が失われたことと、山里の暗さを掛ける。
いざさらば涙くらべむほとゝぎすわれもうき世に音をのみぞなく
- 詠者
- 建礼門院
- 状況
- 御庵室で昔を思い涙にむせんでいるとき、山時鳥が鳴いて通り過ぎたので詠んだ。
修辞
- 音をのみぞなく
- 声をあげて泣くばかりである。時鳥の「鳴く」と女院の「泣く」を掛ける。
解説
建礼門院の没年は、本書の建久二年(1191)のほか、貞応二年(1223)とする説や、建保元年(1213)とする説(『皇代暦』など)があり、近年は建保元年説が有力とされる。寂光院の背後には女院の陵(大原西陵)があり、現在も宮内庁が管理している。灌頂巻の名は、仏教の秘法を授ける儀式「灌頂」になぞらえ、物語の奥義として特別に伝えられた巻であることによる。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、868–870頁(コマ463–464)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日